はてなキーワード: 抜け道とは
こういうふうに言われることがめちゃくちゃ多くてだんだん反・反・反ワクチンくらいの立ち位置になってきましたね(基本的なワクチンは打ってるはずだし、仮に子供ができたらワクチンを打ってもらうけど、今の過剰な反ワクチン叩きはおかしいという立場)。
そもそも自分の身体に何を入れるか決める権利があるのは自分だけなのに何でワクチンは強制してもいいと思えるんですか? いや、効果の有無とかそういう話は聞き飽きました。なんびとも身体に針を刺して不愉快な物質を注入されなければならない義務はないし、むしろそれから逃れる権利を有する、っていうごくごく当たり前の自由と人権の話をしましょう。
公衆衛生と公共サービスを共有してるんだから、「社会的な秩序」が嫌なら山奥に行って生きればいいと思うわ。
後段、問題はそこなんですよね……義務教育の時代から「みんなで一丸になって頑張ろう!」みたいなのが嫌いで体育祭とかではなるべく手を抜いてた人間なので、おんなじ圧力かけられたらおんなじ反応しちゃいますわ……なるべく手を抜くしむしろ抜け道をどんどん探してやるぜ的な……
本気でやってひどい結果だと恥ずかしいもんな、気持ちはわかるぞ
個人営業のお店とかはね……仕方ないというか、元々「客を理不尽に選別する自由」を持ってる人たちっすよね。極端な話、阪神ファンの店主が巨人ファンの入店お断りってやるのも自由でしょ。だからマスク強要が理不尽だなと思ってもそこは尊重すべき点かなと思います。お店の自由なので。
でも、そういう理不尽な選別が許されない公共交通機関とかでの理不尽な強要にはNOと言っていきたいっすね。
まあ都心部でマスク無しで地下鉄乗りまくってるけど咎められたことなんて一度もないですけどね。地下鉄以外でも知らん人から物言いつけられたことはない。映画館でマスク外して知人と会話したときも別になんも起きなかったっすよ。仮にそういうのに遭遇したら都知事選では平塚に入れてやろうと思ってたけど特に何もなかったんで宇都宮に入れました、はい。
映画館でマスク外して会話とか、ガイジすぎて関わりたくないだけだろ
そもそも論として私は去年までと同じ暮らしを送ってるだけですが。
去年まではなにも後ろ指を指されることのなかった当たり前の社会生活をしてるだけで社会不適合者扱いされる風潮、端的に言って狂ってるので積極的に抗っていきたいっすね。
去年までと状況が明らかに違うのに、それに合わせられないってのは社会不適合者だろw
状況や環境を無視して「前までは大丈夫だったのにおかしい!」って言うのってパワハラセクハラを正当化させる年寄と変わらんよな。
嫌なんですよ。嫌なものは嫌なんですよ。
別にマスク自体は嫌じゃないですよ。去年までは花粉で鼻がムズムズしてるときとか普通につけてましたよ。マスクつけてかぶれるとかも特にありませんよ。
春先、ちょっとメンタルが弱ってたんですよ。でもそんなの、適度に遊びに行って人と交流して図書館に入り浸ってイベントに通ってとかやってれば自然と治まるくらいのメンタルの落ち込み具合だったわけですよ。
なのにそれを全部奪われた。
狭い部屋に閉じ込められた。ギスギスした環境で暮らすことを強いられた。テレワークの普及でただでさえ遅かった通信回線が激重になって、ネットすらできずそんな場所に軟禁された。死んだメンタルのままで何ヶ月も過ごすことになった。ぶっちゃけ軽く病んでましたよあのとき。
だから、もう、これ以上何かを奪われたり何かを強制されたりするのは嫌なんですよ。
私をあんなふうに閉じ込めた連中の言うことなんて絶対聞きたくないんですよ。
マスクをつけろという圧力がはびこっているのなら私はマスクを外しますよ。マスクが嫌だからじゃない、マスクが強制されているから外すんです。
これが仮に帽子をかぶれという圧力だったら私は髪をむき出しにして往来を歩きますよ。眼鏡をかけろという圧力なら裸眼で街に出ますよ。視力クッソ悪いけど。
私は去年通りの生活を続けますよ。鼻がムズムズしているわけでも咳やくしゃみがすごい出てるとかでもないのなら別にマスクはつけないっていう生活を続けますよ。
それが抵抗ですよ。私のメンタルをボロボロにした連中へのせめてもの抵抗ですよ。私を軟禁したやつらへのささやかな叛逆ですよ。
もちろんわかってますよ、あのひとたちも善意でやってたんだってことは。あのひとたちはあのひとたちなりに必死だったんだろうなってことは。
でもそんなのボロボロになったメンタルとズタズタになった人間関係とポシャった仕事の前では何になるっていうんですか。
許せない。私をあんなふうに閉じ込めたやつらのことは許せない。いや許してもいいけど、あいつらの言いなりになって行動に制限を受けるのだけは我慢ならない。
だからマスクは基本的につけてませんし、接触確認アプリも入れてません。嫌なものは嫌なので。
自分がコロナにかかったらこれまでの判断を後悔する日がひょっとしたら来るのかもしれないけれど、少なくとも今の私は、圧力に屈さずノーマスクを貫くことで自分を支えてる今の私は、熱もなければ咳もしてないのにマスクをつけようという気にはなれない。
数年後くらいにはマスクと和解できる気分になっているのかもしれないけど、残念ながら今の私のメンタルはまだマスクを許せていないので。
っていうか、繰り返しになるけど、許せないのはマスクじゃなくて、マスクが象徴している監禁の記憶なんですよね。あの閉じ込められた悪夢の日々の記憶が薄れない限りユニバーサルマスキングには協力できないなぁ。
こういうふうに言われることがめちゃくちゃ多くてだんだん反・反・反ワクチンくらいの立ち位置になってきましたね(基本的なワクチンは打ってるはずだし、仮に子供ができたらワクチンを打ってもらうけど、今の過剰な反ワクチン叩きはおかしいという立場)。
そもそも自分の身体に何を入れるか決める権利があるのは自分だけなのに何でワクチンは強制してもいいと思えるんですか? いや、効果の有無とかそういう話は聞き飽きました。なんびとも身体に針を刺して不愉快な物質を注入されなければならない義務はないし、むしろそれから逃れる権利を有する、っていうごくごく当たり前の自由と人権の話をしましょう。
後段、問題はそこなんですよね……義務教育の時代から「みんなで一丸になって頑張ろう!」みたいなのが嫌いで体育祭とかではなるべく手を抜いてた人間なので、おんなじ圧力かけられたらおんなじ反応しちゃいますわ……なるべく手を抜くしむしろ抜け道をどんどん探してやるぜ的な……
強制されるのは嫌と言うのは分からないではないが、わざわざ逆を行こうとする必要はないのでは。マスクをつけるのが嫌なのはよく分かる。
別にわざわざ特別な行為をしているわけではないですし……去年と同程度のマスク消費量で暮らしてるだけです。つまりごくごく普通の、当たり前の日常生活を送っているだけ。わざわざ能動的な行為なんてしてないっすよ。
マスク着用のところを非着用で入ろうとして揉めるとか
個人営業のお店とかはね……仕方ないというか、元々「客を理不尽に選別する自由」を持ってる人たちっすよね。極端な話、阪神ファンの店主が巨人ファンの入店お断りってやるのも自由でしょ。だからマスク強要が理不尽だなと思ってもそこは尊重すべき点かなと思います。お店の自由なので。
でも、そういう理不尽な選別が許されない公共交通機関とかでの理不尽な強要にはNOと言っていきたいっすね。
まあ都心部でマスク無しで地下鉄乗りまくってるけど咎められたことなんて一度もないですけどね。地下鉄以外でも知らん人から物言いつけられたことはない。映画館でマスク外して知人と会話したときも別になんも起きなかったっすよ。仮にそういうのに遭遇したら都知事選では平塚に入れてやろうと思ってたけど特に何もなかったんで宇都宮に入れました、はい。
飛行機で降ろされた人?
元々海外にはよく行くのとメーデー民なので飛行機で基本的な自由が制限されることは諦めてますね。空港と機内ではおとなしくマスクつけます。
でも飛行機でマスク拒否して降ろされたマンのニュースには同じマスク拒否マンとして同情と連帯の気持ちが湧いてきて市中では積極的にマスクを拒否していこうなというお気持ちが高まるというか……
所属する共同体への貢献とか、チームプレイみたいな行為のことを、この手の人たちは「同町圧力が」「強制が」「全体主義の足音が」とか言う。
そもそも論として私は去年までと同じ暮らしを送ってるだけですが。
去年まではなにも後ろ指を指されることのなかった当たり前の社会生活をしてるだけで社会不適合者扱いされる風潮、端的に言って狂ってるので積極的に抗っていきたいっすね。
映画館でマスクせずに会話するのなんて去年までは当たり前だったでしょ。その程度のことでガイジ呼ばわりしてくる人の方がどうかしてますよ。まあこっちに関わってこないのならどう思ってようがその人の自由ですけど。私も別に積極的にあんたらに話しかけたりはしないので。
んじゃあ「生きろ」って強制されたら死ぬんですかね、的な極端なことを言いたくなる程度には「ああただの我儘か」で斬って捨てたい案件/自分が感染するのは勝手だけど「他人に感染させる」リスクは考えてくれ。
じゃあ私がメンタル病みそうになったのもただのワガママってことですか。あまりにもクソ野郎の言い分すぎて「マスク拒否に正当性を与えてくれてありがとう」としか言えないっすね。
っていうか、私が風邪をひいたときもインフルエンザにかかったときも水ぼうそうになったときもおたふく風邪をもらってきたときも水虫を発症したときもなんかのウイルスで死ぬ寸前の状態になって病院に担ぎ込まれたときも、誰も私に感染させた人を責めなかったし、病気にかかってそれを他人にうつしてしまった人もあくまで被害者であってなんら責められるべきではないというのが良識的な態度だったはずなのに、なんで私が自分のメンタルを守るために普通の暮らしを送ろうとしたら「他人に感染させるのか!」って責められなきゃいけないんですか? 理不尽 of 理不尽。こういう犠牲者非難には絶対に屈しない。人権を守るために徹底的に闘いぬいてやる。
大口叩いてる割には本気の怒られが発生する場所(飛行機、個人店)ではマスクするとか日和ってるな。大丈夫そうな所でだけマスクしないマンやって勝った気になってるとかダサすぎるわ。
いや、個人店ではしてませんけど。よく行く個人店でマスクしてなくて怒られが発生したことはないし今後もなさそうなんで安心してノーマスクで通ってますね。あくまで民間のお店には巨人ファンを断ったりピアスしてるやつを退店させる自由はあるよね、という原理原則を確認してるだけです。
たっくさん書いた後に「空港と機内ではおとなしくマスクつけます」って書いててズコッとなった。わがまま通せそうなところでは通そうとし、絶対無理なところでは長いものに巻かれとるやん。
上で書いたけど、コロナ前には旅行やら何やらで年に何度か飛行機乗る生活してたんですよね。で、もともと飛行機っていうのはコロナ以前から
という2つの条件があるから、別に1つや2つ制約が増えたところで気にならないわけですよ。っていうか諦めモード。年に数回の非日常経験のために自分の自由やプライバシーが制約されるのはある程度仕方ない、嫌なら船なり列車なりそんな偏執的に身体検査とかされない乗り物に乗ればいいんだし、という話で。
それに対して1年で300日以上過ごし日常的に使う街や施設でこれまで享受できていた自由が享受できなくなるのは受け入れられない、という話です。そんなにわかりづらい?
長期間マスクすると呼吸に支障あるので、それが必要な所にはもう行かなくなった自分には、メンタルが耐えられないと言いつつ何時間もマスクして飛行機に乗れるというのは嘘八百にしか見えない
たまにしか乗らない飛行機の中や空港で当たり前の自由が制限された非人道的な扱いを受けるのは慣れてるしそんなもんかと耐えられるけど日常的に使う地下鉄や商業施設でそんな扱いを受けるのは慣れてないし耐えられないし慣れるつもりも耐えるつもりもないという話なので……
監禁とかよくわかんないんだけど、強制が気に入らないというのなら卒業式の起立斉唱やら戦争中の飼い犬供出にも抵抗するんだろうか。だったら応援します。
卒業式の国歌斉唱を強制するのは明確に反対で、戦時中に非国民呼ばわりされてでも全体主義に反対した人たちのことは尊敬してますね。まさかたかだかマスクをつけずに電車に乗る程度のことで先人の衣鉢を継げることになるとは思いもしませんでしたが……
献血には定期的に行ってますけど、もしも仮に赤十字が「来てくれた人ありがとう! 献血できる人は献血してくれると嬉しいな!」じゃなくて「来て当然。来ないやつは社会不適合者」みたいな態度を取り始めたとしたら献血行くのやめますわ。当たり前でしょ?
こういうのはレアな難病でマスクがつけられない人みたいなものだと思えばいいのでは。徒党組んでマスク反対集会をするわけでもなさそうだし。
クラスターデモに参加しなかった最大の理由は「デモとかするときは顔バレとか嫌だからなるべくマスクを着けたい」というコロナ以前からの考えと完璧に衝突するデモだからですね。どんなに良い目的であっても素顔をさらしてデモ行進とかするのは抵抗がある。でもまさかマスク反対デモにマスク着けていくわけにはいかないので……
ごく小規模なイベントのビラで萌え絵を使っていたことがあるが苦労した。
セミプロとおっしゃっていた絵師さんにお願いしたんだが、エロ表現がすぎる。
一般向けなのでエロ描写は控えるように言ったが、抜け道を探してくるのだ。
これは肌の露出ではないから問題ない、これは光の加減だから問題ない、と言った具合だ。
それまで何人かの絵師さんにお願いしていたが、このようなことはなかった。だから困惑した。
こちらは事前に良い例と悪い例のサンプルを出して、表現の程度を指示していた。
だが、良い例に従うわけでもなく、良い例悪い例を出した意図を汲み取るわけでもない。
ただ悪い例を回避すれば何やっても良いくらいのスタンスだった。
「全裸に肌色のボディーペイントしたという設定なので、肌の露出ではないと言い張れますよ」みたいな提案を頂いたが、
こちらの意図は必要以上にエロと思われないことである。エロ描写をしたいという要望はないし、言い訳が通ればいいというわけではない。
TPOに沿いたい、誰かを不快にさせたくない、というものである。
こちらの意図をまったく汲み取ってくれないので、その方は前金だけでお断りした。
イラストは以前にお願いした絵師さんに描いてもらった。費用はかかったが、出来栄えが良かった。
・際どい描写をしたがるイラストレーターがいるので、担当者はチェックを怠ってはならない。
・際どい描写を担当者レベルではじいていれば、そもそも問題にはならない(露出がないからと怒る人は少ない。「露出があるから撤去された」だと怒る人がいる)
置いてあったのは屋外の私有地。
道路からは視認しづらい位置に、中身がわからない段ボール箱に入れて保管。
かなりの田舎。
人がめったに通らない田舎の狭い道で、段ボール箱が中身ごと盗難。
その道路は狭く、ほとんど抜け道にもならない位置のため近所の人しか通らない。
その近所の人も、狭すぎるのであまり通りたがらない。
大体の人は迂回する。
ただの一人を除いて。
その容疑者は広かろうが狭かろうが、常にキョロキョロしながら徐行運転することで有名。
その狭い道を通る事で唯一、自宅までの距離が短くなる人。
その道路を使う人は
我が家9、その容疑者9、なんらかの事情で通る近所の人2、道に迷った一般人2、金属廃品回収の業者の営業トラック1
くらいの割合。
業者が勝手に持っていった可能性もなくはないが、二種類あった消耗品の小さい方だけ盗まれていた。
大きい方は段ボール箱に入ってなくむき出し。
2トントラックを使わなければ運べない大きさなので、目立つが金になる方を置いていくのも解せない。
くやしい。
万が一違うかもしれないけど、その人が犯人であって欲しい。
たかだか数千円の消耗品ために鑑識読んで足跡取ったりはなんだか気が引ける。
ああ、イライラする。
少なくとも年齢と妊娠能力は間違いなく制限かかるやろ。政府がわざわざ国民の人権を制限してまでやる程のことなら国益に適ってないと困る。
非モテの自己肯定感をくじ引き結婚で上げたとこで政府にとっちゃ税金の無駄遣いでしかない。納税奴隷が殖えなきゃ国家にとって何一つ得がないんだから。(わあ優生思想! 非情な現実!)
だからくじ引きガラガラポンの参加条件としては妊娠する/させる能力が双方ある事、出来れば国のお税金に頼らず自分らで勝手に殖えてくれる力(経済力/マンパワー)がある事が望ましい。(じゃないと国がお税金使って実現するインセンティブ何もないしな! 税金投入が必要な家庭の子供なんて殖えても迷惑! わあ優生思想! 非情な現実!)
でもそうやって恋愛で結ばれた男女を引き裂いてくじ引き強制結婚に持ち込んだとこで、片方が同性愛者のとこは多分子供出来ないし、無理くそ引き裂かれたカップルは不倫でもとの恋人と子供作るだろうし、じゃあ相手のいる人はくじ引きから外すよって抜け道作ったら間違いなく偽装交際によるくじ引き逃れが出るだろうし、相手が気に入らない夫婦は子供作っても家庭崩壊で即シングル化して福祉のお世話になるだろうし、ご面倒な事山積みですね! 人間工場で人間イチからつくった方がまだコスパよさそう!
って考えると「やっぱりお税金もったいないから、やる気ある奴に勝手にやって貰ってお税金節約するのが一番コスパいいな」ってオチになっちゃうのよね。それですらお金なくてお税金ケチってる結果少子化絶賛進行中ですけど。
トラと戯れることならできるぞ。タイガーテンプル(ワット・パ・ルアンダ・ブア)で
ステータスシンボルの猛獣飼育、法律で禁止に UAE
https://www.afpbb.com/articles/-/3113224
UAEやその他の湾岸諸国では、絶滅が危惧されるチーターなど、ネコ科の野生動物がペットとして飼育されており、
昨年10月には、ドバイ(Dubai)の超高級ホテル「ブルジュ・アル・アラブ(Burj Al Arab)」付近の浜辺で、
5頭のトラとともに外出している人を捉えた動画がソーシャルメディアで話題となった他、車に複数のライオンを乗せてドライブする人も撮影されたことがある。
ロシア・ビヨンド:ロシアには、ペットのトラ達をちょっとしたドライブに連れていく男もいる(動画)
タイトルのままではあるが、公式側の人が言う「本日フラゲ日です!」が嫌いだ。
私が好きでよく聴くのが、いわゆる“中の人”がいるコンテンツだ。
公式側の人が気軽に情報を発信してくれるなんて、いい時代になったなーなんて普段は思っている。
CD発売直前には宣伝の写真、曲のおすすめポイント、どこを頑張ったかなんていう裏話もつぶやかれるので楽しく見ている。
嫌いだな、と感じるのは発売日前日の1ツイートだけ。
もう聴いてくれましたか?」
こんな感じのツイートが、複数いる中の人のうち1人から発信された。
発売日前日から店頭に商品が並ぶことがあるなんて珍しくもないし、予約していた人が取りに行けば受け取れることもわかっている。
それでも、公式が何ヶ月も前から宣伝してきた発売日の前に、その公式に属するはずの中の人から「前日に入手できて当たり前」ような発言が出てしまったことがなんとなく引っかかった。
“フラゲ”というのは、私の認識では抜け道的なものであって、みんなよりちょっと早く買えてラッキー! というものだ。
フラゲした購入者側もその日を迎えるまでは感想をつぶやかないように注意している人もいる。
だというのに、公式側から“発売日前に手に入れられる”ということを前提に話を出されると、どうにも受け付けない。
この人はそういうことを言う人なんだな、と思ったら、曲もコンテンツ自体も好きだけど、この人を応援するのはやめておこうという気持ちになってしまった。
私がそういう性分というだけだ。
そういうツイートをやめろなんて言わない。
中の人への嫌悪感をキャラクターにも覚えるようになってしまったら、そのときはそっと離れるだけだ。
結局CDは発売日に買いました。
「Go Toキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円献金」
こう題した週刊文春の記事が今ネット・SNSを通じて話題を呼んでいる。
このタイトルだけ見ると、一見「Go Toキャンペーン受託団体が4200万円の献金でもって自団体の利益になるような政策を買ってきた」ように思える。が、しかし実際記事を読んでみると、この献金自体は分かっている分で2011年から2018年までの間に行ってきた献金額の合計というだけで、明らかにこの政策のための献金ではない。二階氏が過去に受けたとされる合計470万円の献金を理由に今回の政策を押し進めたかのようにも書かれているが、それについてもそんな少額で2020年の今になって動く訳がないだろう。今回の政策を「長年の献金実績によって政治と癒着した結果」として捉えるのならば確かに問題ではあるが、その癒着の事実も現状真偽は定かではない。献金の有無で癒着と判断するのならば全ての献金は容易に黒となる。ミスリードを狙うような記事の書き方も悪いが、まずは落ち着いて今後の追及を待つべきだ。
さて、話題となった記事について述べてきたが、私が今日ここで記しておきたいのは献金と政治活動の繋がり、特に企業献金についてである。上記の記事のことはこれを考えるきっかけになっただけなので、何かを期待した方はここでブラバを推奨する。個人や企業が政治家に金を渡す、これだけ聞くとどうにも賄賂のように思えあまりいいイメージを持たないが、実際のところ献金とはどのようなものなのか。今回はそれを確認しておきたい。
政治献金とは何かはっきりさせておこう。最初に確認したいのは、なぜ献金といったものが必要なのかについてである。これはズバリ、政治には金が必要だからである。まず議員になるための選挙活動費、選挙で勝つためには自分を応援する人々を増やし、政治団体を作って運営していく必要がある。選挙期間中は選挙運動に伴う広告宣伝費用、人件費、事務所に係る費用等一部公費で賄われるものもあるが、その負担は大きい。晴れて当選して議員として活動を始めてからも、給与として年間2000万円以上の歳費や様々な補助があるが、新たな事務所を構えたり自分の補助をする秘書を増やす中で追加の費用は必要になってくる。こういった政治活動にかかる費用を賄うために、個人や企業の献金が存在するのである。
ではその政治献金にはどのような種類があるのか。詳しくは政治資金規制法を参照。政治献金には大きく分けて、個人が政治家個人や政党に献金を行う個人献金、そして企業が政党に献金する企業献金の二種類が存在する。
まずは個人献金について、これは日本国籍を持つ個人であれば今読んでいるあなたにも可能な献金である。相手は二通り、政治家個人と政党(及び政治資金団体)だ。ここで政治家個人とすると各所から怒られそうな気もするので訂正しておくが、政治家個人への献金は原則禁止されており、政治家に献金する場合はその政治家が指定する資金管理団体や後援会を通じて献金することとなる。ざっくりと理解の上では、個人献金には政治家個人への献金と政党への献金があるという程度でいいだろう。
次に企業献金について、この場合の相手は一通り、政党だけである。企業の献金の場合、政治家個人への献金は特定の企業に見返りを与えることに繋がらないよう禁止となっている、というところが「一見」大きな違いだ。ここで「一見」としたのは、実はこれには抜け道が存在するためだ。企業献金では、先述のように政治家個人への献金が禁止されている一方で、政治家の所属する政党や政治資金団体へ献金することは認められているため、一度企業が政党や政治資金団体を経由してしまえば、政治家個人が間接的に献金を受け取ることは容易に可能なのだ。これは企業献金の抜け道として指摘されているが、現在法律で禁止されていない。もう一度、詳しくは政治資金規制法を参照。
私はこの企業献金について、大きな疑問を持っている。企業献金で一番重要なのは、献金が特定の企業への見返りに繋がってはいけないという点だ。もし見返りがあれば、それは即時に賄賂と同じになる。だが、その見返りは本当にないのだろうか。先述したように、政治には金が必要である。そこで金を出す企業は言うなればスポンサーだ。スポンサーが何も言わず、ただ社会貢献のためだけに金を与えるだろうか。そこには大きな疑問が残る。事実、この企業献金については調べればいくつも不祥事が出てくるので、気になる方は自分で調べてみるといい。
ここまできてやっと本題。企業献金について記していこうと思う。ここからは私の纏まっていない考えを記していくだけになるので読みにくくなり申し訳ない。あくまで私の個人的な意見であることを念頭に置いてあなたも一緒に考えてほしい。
私ははっきり言ってこの企業献金の仕組みは実質的な賄賂だと感じている。必要悪とでも言おうか、完全な悪だとは思わないが、仕組みについては再考するべきだと考えている。その一番の理由は、企業と政治の癒着問題についてである。政治には金がかかる、それは紛れもない事実であり、何らかの形での資金提供は必要だ。その意味において、企業献金は大事な政治のガソリンになっており、必要な存在だと言えるだろう。しかし、やはりそれでも現状の仕組みだと企業と政治の癒着は確実に起きていくだろう。企業、そして業界は政党を通じて政治家に資金を提供することを通じて自社、自業会に有利となる政策の提言を行っていくことは想像に難くない。それを各業界からの意見集約として捉える見方もあるだろうが、そこに金の大小という一つの物差しがどうしてもできてしまう時点で、一部に有利な歪んだ意見となる危険性は無視できない。そして、もしそれがその業界の発展、ひいては経済の発展に寄与するものだとしてもまだ問題は残っている。それは企業の利益と一般の国民である我々との利益は必ずしも一致しないということだ。もちろん全ての人々に都合の良い政治などあるわけはない。だが、私たちは自分たちの暮らしを、国を良くする可能性のある政治家を選挙によって選出するしかない一方で、企業は金でもってその政治に大いに関与できるのである。もちろん全てそうだと言いたいわけではないし、企業も社会の一員として政治に参加する権利があるのは分かるが、これではあまりにもアンフェアではないか。それなら私たちにより良い暮らしを訴える政治家ではなく、私たちの暮らしをより良くする提言をする可能性のある企業から多く献金を受けている、政党の政治家を選んだ方が意見が通りやすいというものだ。その通りだ、と言われればそこまでかもしれないが、私にはそれがどうにも納得できない。資本主義だ、金を多くもっている者が偉いのだとまでは言いすぎだろうが、政治にその側面が感じられるのはどうにも腑に落ちない。政党の活動資金の多くは政党交付金で賄われているし、企業献金を全く受け取っていない政党も存在する。企業献金の大小でもって1か10かのように語るのは言い過ぎかもしれない。私が潔癖すぎるのだろうか。まずは落ち着こう。
さて、ここまで私の考えを本当に思うままに記してきたが、私はやはり現状の仕組みを再考すべきだと強く信じている。政策の提言を行いたい、経済の活性化を願うのであればそれ専用の場があるべきだし、政治に金が必要であればそれはそれとして集める場所があるべきだ。その二つが混じり合うべきではない。もし奇跡的にこのただの日記を読む政治家、専門家、そして今読んでいるあなたに問いたい。あなたは政治献金についてどう考えるかと。
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(最後に)
これは一大学生がその日感じたことを記録しておくだけのただの日記です。
ここに書かれている内容は事実とは一部異なる場合があります。何なら全部間違ってると思って読むことをオススメします。ただの日記です。少しでも気になった方は自分で調べ、自分の頭で考えてください。ただ記載内容に誤解を与えるような明らかな間違いがある、誰かに意図せず不利益が生じる場合は修正致します。
また、Webに載せている以上いかなる批判もあるものとして考えておりますが、行き過ぎた誹謗中傷はおやめ下さい。
今後も日記.○のような感じで不定期で投稿をしていく予定です。次回はコロナ報道におけるメディアについて書きます。たぶん。ではまた。
それを辞める事にした。今までありがとう。
どことは言わない。
今の新型コロナで大変な時期に、
ただそれだけ。
去年の公式発表の時は、ネット企業だからこそ色々新しい事をやってくれるかなと
色々トラブルや問題や課題はあろうとも、良い面もあるだろうと期待してた。
しかしながら、
過去に、お札折り紙と色んな紆余曲折があったのだからわかっていた事だろうに
対策せず、今もなおすり抜けて転売されているし、転売ネットワークではどうすれば
プラットフォームからすり抜けられるかの情報共有がされているくらいなのに。
もっと早い段階で変えられたであろうにしてこなかった。
身内に医療従事者がいる身からすると、怒りを越すどころではない。
マスクもアルコールも現場になくなってしまって、我が家の毎年の花粉症とインフル対策用として
備蓄していた分を送ったくらいに現場にないのに転売プラットフォームでは売られている。
どれだけアントラーズが好きでも、今後、その企業がちらつくので応援はできなくなった。
たったそれだけと思う人も多いかもしれない。
だが、医療従事者が身内にいて、色々な感情や思惑がある中で、どれだけしんどい思いや辛い思いをして
それでも働いているかを知ってると、転売屋とグルかの如く、その高額で売られた手数料で儲けがっぽり!なんて企業は
どれだけチームが好きでも応援したくない。
必死に取り締まって、なんとか頑張ってそれでも裏を突かれてるとかなら応援したい。
キャッシュレスもチームがあったからこそ他に目もくれず使ってきた。
鹿島から遠い遠い地域だから、そうそうスタに行く事はできなかったから遠隔応援をしていた。
しかし、ユニやグッズや何を買ってもあの企業にメリットがあるのか。。。
そういうアントラーズの良さよりも、あの企業への嫌悪の方が先にでるようになってしまった。
だからもう辞めようと思う。
本格的にアントラーズ好きになったのは東福岡組が入った時から。
本山選手のドリブル、サイドを切り裂くダブル古賀選手など、当時は見ていてとても楽しかった。
さらにはその選手権でのある意味では伝説的な元旦の大雪の決勝で相手だった中田浩二選手もきた。
あの時は心が躍ったし楽しみでしかなかった。
その後も有力選手が次々来たり色々あったりしたけどチームは本当に好きだった。
うっちーがシャルケ行った時はシャルケを応援してたし、ファルファンとのサイドは心躍った。
そんなに好きだったチームを、たったこんな理由で好きになれなくなった自分が嫌な気もする。