はてなキーワード: 従順とは
仕事内容に「正社員からの理不尽な要求に耐えること」とか「正社員様に向かって汚い言葉遣いをしないこと」なんて書いてなかっただろうがファッキンくそったれがマジで死ねクソが肉人形みてーなきったねーツラと身体しやがって死ね一刻も早く死ね、そして俺が死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そうだ、冷蔵庫の中の棚は四段あって、そのスペースの、下2段だけを空けろって話だったんだろう?
そして(やっとのことで)空けたスペースを、生菓子を扱わない我々の店のスペースを、クリスマスケーキ様をお売りあそばす貴様らの特設会場とやらのために空けたスペースを、貴様らは悠々自適にケーキをお並べあそばせなすって、そう、その優雅っぷりといったら反吐が出るほどで、一段につき四十センチ強はあろうかという高さの棚に、高さ十センチほどのケーキをただ一面にずらりと並べるだけの、それはさあーあのーえっとぉー番重を使ったりだとかちょっと積んだりだとか、そんなふうにしたら棚一段で足りるんじゃないですかねアーユーオーケィおまえらバカなの死ぬの?
というような、ただでさえ苛々くる所業に対して従順にも22日のうちに下2段を空けた我々の、23日朝の、開店13分前になってから、
「上2段空けてもらってないんですけど?」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!!!
ハァ? 死ねよファッキンおまえら下2段だけって言ってただろうが毎年そうなんだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!
「去年も全部空けてもらってたよ?」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!!!!
死ねよカスが無能がデブがクッソがマジで今すぐ死ねよカス!!!!!!!!!!
少なくとも10箱の段ボール箱があるの、見ておわかりになりませんでしょうか?
その段ぼーるを、早番のわたくしめがたった一人で、開店までに、どうにか何処にか退かすことが、可能だとお思いあそばさったんでしょうか!!!!!?????????
だとしたら救いようのないバカだからさっさと死ね!!!!!!!!!
いじめって、やったほうは覚えてないけど、やられたほうは覚えてるらしいです。
その論理でいくと「どかせよ」っておっしゃりあそばすった貴様らは記憶がおぼろげかもしれませんが(更年期障害アルツハイマー記憶喪失かもねかもねそうかもね!!!!!!!?????????)
こっちのほうが確実に覚えてまっすよねええええええええええええええ
私は去年この店にいなかったのでわかりませんが
どう見てもクソババアみてーな貴様とブッサイクな趣味のわりー紫色のセーターをお召しになっていらっしゃるテメー、御歳は存じませんが確実にオーバーサーティであらせられるとお見受けいたしますそこの無能バカマネージャーよりも、わたくしめは僭越ながら自分の店の店長と先輩店員を信用しますよおぉおおおおおおおお!!!!!!!!!!
今からどかすのは、どう考えても無理だっつってんの!!!!!!!!
店長に電話確認したら下2段だっつってんの!!!!!!!!!!
冷蔵庫じゃないほうの倉庫も天井までビッチリ積んであんの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
氏ねとか市ねとかじゃなくて、今すぐに、その醜い身体をどうにかして死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
無理なら俺が殺してやるから、その醜い身体とキンキン高い声をどうにかしてくれ、つまり今すぐ死んでくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
クソババアに向かってクソババアつって何が悪いんだよ!!!!!!!!!
「あなたなあにその言葉遣いは?」「仕事なんだからそんな言葉遣いじゃだめよ」
じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!!
俺の仕事は!!!!!!!!!!!!!!!!!貴様に媚を売ることではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「条件はみんな同じだからね~」
同じならコンテナの手配くらいしろよ!!!!!!!!!!!!!!
天井まで段ボール詰めよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
命の危機を感じながら棚の一番上まで登れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
みんな同じなら、うちだけじゃなくて他のとこから借りろよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そんで結局冷蔵庫の棚の一番上は使わねーってなんだそれ!!!!!!!!!!!
冷静に考えりゃそりゃそうだろだって一番上に積んだら手を頭上に揚げないと届かないからケーキ置いたら危ないもんね!!!!!!!!!!!!!!!!??????????
つまり!!!!!!!!!おまえらは!!!!!!!全部空けろなんて!!!!!!!!!!どう考えても言ってねーーーーーーーーーだろっつってんの!!!!!!!!!!!!!
クソが、クソがこの理不尽が、俺の仕事はあくまでお客様相手に商品を販売することであって、貴様らみたいなバカなクソに向かって丁寧な言葉遣いで対応することではないのだ、それは正解であるが、この世には正しいことには何の価値も意味もない、もし正しいことがすべてだったら、コペルニクスは殺される必要なんてなかったからだ。
間違えていた教会は、今も世界のナンバーワンベストセラーたる聖書を世界中にまき散らしているのだ、から!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
クソが、クソが、さっさと死んでしまえ、そうやって願う最短ルートは私が死ぬことだ、けれど私は怖くて死ねない、クソが、クソが、ああもうやだよぉ苛々するよぉ泣いちゃう泣いちゃうどうにもなんない、そうやってわたくしめは自分の、この自分ごときの腕をまた切りました!!!!!!!!!!!!!
高校大学で彼女が出来なかった人間が、その後に彼女を作れたって、それは偽物。
婚期を逃すことに焦った女が、そこそこ金と定職を持ってて従順そうな男で妥協してるだけ。
だってそうだろう?
性欲に狂ったお年ごろの男と女を一箇所にあつめて、親の監視もゆるゆるだし、周囲の空気だって男女交際推奨みたいなノリじゃん。
そこでうまくやれなかったやつが、その後の人生でチャンスにめぐり合っても、そんなのは偽物に決まってる。
私事だけど、彼女が出来たんだけど、別れました。
ちゃっかりすることはしちゃったんですが、精神的童貞のままで、被害妄想と女性敵視だけが残った。
つーか、彼女いないのが普通だったからそれほど苦痛はなかったのが、逆に中途半端に女を知っちゃったせいで余計につらくなった。
ところで、エロ年代の想像力って知ってる?ゼロ年代の想像力っていう2000年代のサブカルチャーの批評本のパロディ。
2000年代のエロアニメの批評してる本とかサイトらしいので詳しくは検索で。
最初そのパロディを知った時はすごいいい着眼点だと思ったけど、コンセプトの「未来のエロの想像云々」で、自分が思ったこととは違う事に最近気づいた。
自分の着眼点はエロ年代の想像力というかエロ年代の妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。
ゼロ年代なんて複雑すぎて無いに等しいようなどうでもいいものなんだけどゼロ年代のエロアニメにまで焦点を絞ると確かに
マニアックだからこそ明確な変化があると思った。しかもそれは意外に最近の傾向と関わりがある。
それはエロ年代では半ばに一つのエロアニメのレーベル、グリーンバニーが資金難で消えたことに象徴される。
今思うとこの会社があった頃までは火の車なのが見て取れるクオリティーが多々ある作品を出さざるをえない業界にも関わらず、コピーのコピーのコピーだとしても
物語もエロと同じくらい随分と凝ったものが多かったように思う。だからこそ妙にシュールな雰囲気に惹きつけられるものがあるとさえ思わせた。
それにそのシュールさを極めた人はエロの枠を火の車からか、意欲からか飛び越えざるをえないのかもしれない。結構メジャーな所で活躍してますからね。名前変えたり変えなかったりして様々な方面で。エロ年代は縁の下の力持ちなのかもしれませんがここでは割愛。
最近のエロアニメはそういった雰囲気は無視して、エロに突っ走るので本来はこっちが需要に従順で正しい。それに最近は美少女文化の社会での浸透率の高さがあると思う。
つまり、一々物語から順を追ってエロしなくても「二次元美少女」は無条件に主人公(特定の青少年)に惚れるよ!⇨(エロいとこ観れるかも!?)ということがあらゆるサブカルチャーっつーかもうメディアを通して誰にでもわかるパッケージ化した社会になったということ。
つまり自分の着眼点はエロ年代の想像力というかエロ年代の妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。
最終的にこの文脈で行くとけいおん!だってすごい。なにがすごいって「「二次元美少女」は無条件に主人公に惚れる」んだから主人公(特定の青少年)を消して「誰にも惚れない美少女」というある意味偶像の境地をパッケージ化してんだから。
せっかく増田なんだから、選択肢なんてコスいことしねーで自由記述でいきましょう。
問一:
おそらく性的欲求を使った支配欲の充足でしょう。アレは。
問二:
(男も女も)自分に都合のいい妄想を押しつけている、という点では一緒でしょ。
妄想を人に押しつけるなら、逆に人から押しつけられることもありうる。
問三:
総合すると、「従順に話を聞くと想定していた元増田から、自分の欲望を裏返したかたちの反撃をくらったから」。かな。
受験の現代文と違って、筆者が自ら考えを吐露しているんだから、他人である問題文作成者が勝手に作って提示した選択肢よりは真に近いですよ。
シチュエーションを理解しよう。
以下の練習問題からやり直そう。
問一 元増田いわく「女の品定め」ばかりする男。彼の行動は、次のア~エの内どれによるものと推測できるか
問二 元増田が男に例示し、「(男も女も)一緒でしょ」と示した話は次のア~エのどれか
ア 生物学上男のヘテロセクシャルが、生物学上女の二人をホモセクシャルであると仮定して、二人がパートナーであると想定する性的妄想
イ 生物学上男のホモセクシャルが、生物学上男の二人をホモセクシャルであると仮定して、二人がパートナーであると想定する性的妄想
ウ 生物学上女のヘテロセクシャルが、生物学上男の二人をホモセクシャルであると仮定して、二人がパートナーであると想定する性的妄想
エ 生物学上女のホモセクシャルが、生物学上女の二人をホモセクシャルであると仮定して、二人がパートナーであると想定する性的妄想
問三 その話は、男には通じず、嫌な顔をされたらしいが、その理由として考えられるものは次のア~エのうちどれか、当てはまるものをすべて選べ
ア 元増田の話で、自分自身も異性から性的視点で見られる対象だと自覚したから
イ 元増田の話で、元増田がバカで論理性の欠如した人間だとわかったから
大きな大きな振動と、とてもとても、とてもうるさかった騒音が止んでしばらく経ちました。
私はいま、窮屈な檻に閉じ込められています。頑丈そうな鉄の棒が、循々と周りを囲っているのです。立ち上がることはできますが、歩くことはできません。同じ場所でくるくると尻尾を追いかけ回ってみれば、確かに多少なりとも運動にはなるのですが、目一杯走りまわることが何よりの楽しみである私にしてみれば、少々どころか全く物足りない状況に陥ってしまっているのです。
厳重に施された不自由は、身体はもちろんのこと精神をも蝕んでいくものです。鬱積し続ける不満によって、私の心身は内側から漆黒に染め上げられつつある――。
抗おうとは思うのです。けれど、行動を大きく制限された檻の中では、体制を変えたり、意味もなく回ってみたりすることがやっとなのです。それ以外には、丸まってふて寝をすることしかできません。そればかりか、少し前までは眠ることさえもが容易ではなかったのです。私が入れられた檻は、なんだかよく分からないランプがやたらめったらに点灯している円錐型の箱に囲われているのですが、この箱もまた異様なほど狭く小さくて、つまるところ私は極小の檻に捕らわれたまま、狭っ苦しい箱物に乗せられるや、いつ終わるともわからない唐突な振動と騒音とに怯えることを余儀なくされていたのです。
そうなのです。本当にけたたましい振動と騒音だったのです。私がまだ人に捕まることもなく、広い森の中を、あるいは街の中を自由に歩いて回っていた頃には体感したこともなかったほどの揺れと音だったのです。身体が芯から揺さぶられ、鼓膜が破れてしまうのではないかと怖くなったくらいです。いまも足元が揺れているような気がしますし、耳の奥がきーんと甲高い音を立てているような錯覚を覚えています。もう過ぎ去ってしまったことなのできっと幻覚なんだろうとは思うのですが、酷いものだなあと感じないわけにはいかないのです。
ため息混じりに、私はついつい考えてしまいます。ただただひたすらに死を恐怖し、生きることだけに全力を注いで日々を過ごしていた私を捕らえて、温かな毛布と、安全な空間を与えてくれた人間という存在は、どうしてこんな場所に私を閉じ込めたのでしょうか。人間でありながら独特の雰囲気を纏っていた彼女もまた、結局は他の人間と同様、小汚い私を忌み嫌い、時には石を投げつけたり蹴りあげたりする悪童や暴漢などの類と同じだったということなのでしょうか。
とてもとても優しくしてくれたのに。額を撫でてくれた手のひらが大きくて暖かくて、とうの昔に失くしてしまったはずの温もりを思い出しかけていたというのに。思わず寄りかかってしまいそうな、くっついて眠ってしまいたくなりそうな安らぎが、確かにあったはずだったのに。
どれもこれも私が抱いていた幻想だったというのでしょうか。ドロドロとした液状のご飯や、なぜこんなことをしなくてはならないのか全く意味のわからない厳しい訓練を終えた後、あらん限りの言葉と抱擁でもって褒め称えてくれたことの全てが、単なる演技だったと言うのでしょうか。
私を騙すために?
いいえ、そんなことはないはずです。長らく生きることだけに執着していた私にはよくわかるのです。相手の感情の機微というものが。真贋を見極める眼にだけは、確固たる自信があるのです。何が危険で何が安全か。鋭利な感覚を持ち合わせていなければ、私はこれまで生きてこられなかったわけなのですから。
主に彼女が私に与えてくれたものども。それは今まで口に含んだこともなかったような食事であり、おおよそ誰も経験したことのなかった訓練の数々でありました。それらは、正直なところ嫌なことばかりで、何度も何度も施設から逃げ出してやろうと考えてしまうくらいでした。伏せることも座ることも許されずにじっと立ち続ける訓練では、足ががくがくとしてくるのはもちろんのこと、身動きが取れずにもどかしい思いをしなくてはならなかったし、ごわごわとした衣服を着せられたことも、またへんてこな装置の中で外側へと押しつぶされるような力に耐える訓練も受ける羽目になったのです。
捕まえられた当初、私はそれらの訓練が心の底から嫌で嫌でたまりませんでした。自由に外を走り回りたかったし、物珍しそうに私を覗き込む人間たちが怖くておぞましくて我慢ならなかったのです。何度も何度も大声で威嚇しました。牙を見せ、爪を剥き出しにして、絶え間なく吠え続けることだけが、私に安らぎを与えてくれるものだと本能的に思い込んでいたのです。
でも、彼女は違いました。彼女だけは、意固地なまでに獰猛な態度をみせる私に歩み寄ろうとしてくれたのです。私と同様、人間たちに捕らえられたものたちの世話を、彼女は一手に引き受けていました。人見知りな私は、彼らとの接触すら断とうとできるだけ近寄らず、檻の隅っこで丸まる毎日だったのですが、彼女はそんな私に近づき、側にしゃがみ込んで、何をするでもなくただただ優しく見守ってくれていたのでした。
鉄の猜疑心と鉛の恐怖心とでがちがちに固められていた私の心を、彼女の眼差しはゆっくりと剥がし溶かしていったのです。ある日、そっと差し出された彼女の手のひらを、私はくんくんと嗅いでみました。素敵に柔らかな匂いがしました。寒くて余所余所しい無機質な施設の中で、彼女の手のひらからはミルクのような穏やかさが漏れ出していたのです。
それが彼女の本性なのか、それとも作り出した仮面だったのか、依然として私には確証が持てなかったのですが、取り敢えず気を許しても大丈夫そうだと判断しました。以降私は彼女にだけ従順な態度を取るようになったのです。
彼女は私の変化を大変嬉しがり、より一層私との距離を縮めようとしました。時たまその一歩が大きいことがあり、私の爪牙が彼女の手のひらを傷つけることもあったのですが、彼女の優しさは変わることなく、かえってより一層深いものへと変貌していくようでした。
この空に向こう側には何があると思う? 穏やかな声で彼女が問いかけてきたことがありました。その日はちょうど訓練も休みの日で、私は彼女に連れられて久々に施設の外へとやってきていたのでした。高台の上にある施設から少し離れたところになる平原で、私の隣に座った彼女は真っ青な大空を見上げながらそんなことを口にしたのでした。
無論、私には答えることなどできません。私の言葉は彼女には伝わらないし、そもそも空の向こうなんてものを想像したこともなかったのですから。だから私は内心、何も無いよ、ずっとずうっと空があるだけだよ、と思うだけ思って、黙っていました。
宇宙には何が待っているんだろうね。髪を押さえつけながら彼女はそう呟きました。ぼんやりとした夢見るかのような口調でしたが、その眼には溢れんばかりの光と希望が満ち溢れていました。
ああ、これが人間なのだな。刹那に、見上げたていた私は心底打ちのめされてしまいました。私なんぞが思いも至らない、想像することもなかった世界を見上げて、あまつさえその場所に名前を与えて、遂には到達することさえ見据えている。外へ外へと向かうことのできる、好奇心と云う名の侵略性を持ちえている存在が人間なのだなと。
がんばろうね。そう言って私に微笑んだ彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いてしまいました。訳もわからないまま吠えて尻尾を振った私は、なんとも単純で愚かで滑稽でさえあったのかもしれません。それでもあの瞬間そうすることが何よりも正しかったし、そうあるべきだと自発的に思えたのです。驚いた様子の彼女は、すぐに満面の笑みを取り戻すと、ぎゅっと私の身体を抱きしめたのでした。ぎゅっと、ぎゅうっと抱きしめてくれたのでした。
それからどれほど時間が経ったのでしょう。訓練は次第に厳しさを増していき、それにともなって私が入れられる檻も小さな物へと変化していきました。最終的にはその場で立ち上がり一回転するのが精一杯な檻になったのです。狭くて心地よくなくて私の苛々は加速度的に増していきましたが、彼女の笑顔と時折見せる辛そうな表情とが頑丈な堰となって日々を乗り越えさていくことができたのでした。
私が入れられた極小の檻が狭っ苦しい箱物に搭載される直前に、私は彼女とお別れをしました。がんばってね、と彼女は真剣な表情で口にし、あなたならきっと大丈夫、と抱きしめてくれました。いつもと変わらない暖かくて安らぐことのできる抱擁だったのですが、その奥底に到底隠し切ることのできない感情があることに、私は気づかないままいられませんでした。
それは青い滴のような感情でした。爛漫な彼女が、穏やかで底抜けなまでに優しいはずの彼女が、気丈なほどいつもどおりに振る舞いながら、はたはたと湖面に水を漲らせている。後もう二三滴、滴が落ちればわっと決壊してしまいそうな静かな緊張感を、貼りつけた微笑の裏に懸命に隠そうとしている。
私にはもう、与えられた役目を見事遣り遂げることしかできなくなってしまったのでした。檻の中でじっとしたまま、何日間か我慢し続ける。寝食の問題はそれほどでもないにせよ、重なりに重なる苛々に耐え続けなければならないという辛抱のいる役目を負わないわけにはいかなくなったのです。
もちろん、私には我慢し続けられるだけの自信なんてありません。我慢しなければならない確固たる理由もないのです。しかしながら、彼女とのお別れをしている最中に、私の運命は定まってしまったのです。
私はライカ。クドリャフカのライカなのです。彼女に与えられた名前を、その時私は初めて意識したのでした。
私が入れられた檻を乗せた箱物は、依然としてたくさんのランプを点灯したまま変化がありません。宇宙への航行は順調に進んでいるようです。だから問題は私の方。じっとして我慢しなくてはならない私の方にこそ、この任務を遂行するための因子は偏っているのです。
一時はとんでもなく暑くなった船の中ですが、現在は然程でもありません。むしろぐんぐんと気温は下がってきていて、肌寒い気さえします。いいえ、もしかしたらまだまだ船の中は暑いままなのかもしれません。私にはもうよく分からないのです。もうずっと同じ景色のまま、朝も夜もわからず我慢し続けているのです。食事の回数までもが朧気になってしまっては、今が何日目の航行なのかを判別する術は残されていないのです。
狭い檻の中での排泄は、綺麗好きな私にとっては屈辱以外の何者でもありません。が、それさえも与えられた役割であり任務であるというのならば、私は彼女のために我慢し続けなければならないのです。もう少しだけ。もう少しだけ。我慢し辛抱し続けなければならないのです。
ああ、でも、なんだか疲れてきてしまいました。行動が制限されているので、食べては寝続けることしかやることがないのです。始まりこそそんなに眠ってばかりいられるかと思っていたのですが、案外眠れるもので、近頃は眠っている時間のほうが多い気さえするのです。とにかく眠くて眠くて堪らないのです。加えて眠っていると彼女との夢を見られるので幸せです。起きていると我慢しなくてはならないのですが、寝ていれば幸せなのです。とてもとても幸せなのです――。
かしゃんと、餌箱が開く音が微睡みの中に響き渡りました。また今回もドロドロとした美味しくもない食事が始まります。夢現な私の味覚はもう死んでしまっていますが、それでも食べないことには死んでしまいます。死ぬわけにはいかないのです。私の任務には生き続けることも含まれているのですから。
綺麗に器を舐めきって、私は再び丸まって檻の中に伏せます。次の食事の時間まで、また寝続けなければならないのです。あと何回このサイクルが繰り返されるのかはわかりません。でもとにかく続けなければならないのです。そのためには少しでも体力を温存しなくてはなりません。船内の景色を見続けるのは辛いので、眠って彼女と会うのです。会って彼女と戯れるのです。戯れたいのです。
広い高原で、彼女はずっと遠くで私を呼んでいます。私はその声に向かって全力で走るのです。カシャカシャと。檻が立てる音をも気にせず、夢現のまま全力疾走し続けるのです。まだ彼女の元まで届いたことはありませんが、きっといつの日か届くはずです。その時こそ、私の役目は、任務は遂げられるはずなのですから。
カシャカシャ、カシャ……カシャ……。
微笑を湛えた彼女の胸に飛び込む瞬間を今か今かと夢見ながら。
だって「今のパラダイム」の言葉じゃん「オバサン」てww そりゃ今のパラダイム内でケリついちゃうでしょ。
新しい価値観に移行させたいんなら再構築してみせてから言えよwww
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「マダム」は輸入にちょっと失敗しちゃったせいでギャグだけど"Madame"は「女子」至上主義じゃないんじゃね?
俗に言われてるMademoiselleとの対比からして。
そしてたぶん、「オバサン」でもない。
「脱構築せよ」という話に対して
「脱構築せよ」だなどと突然言い出したのはお前さんだということはこの際措いてやろうw
なら「スタイル」だなどと既存雑誌メディアの武器を持ち出してくるべきではなかったんですよ。最初から。
それにやっぱり「オバサン」も持ってくるべきじゃあなかったな。せめて「失った人」に反駁する感じで解体して定義し直してくんないと。
つってもどうせやらねーんだろうから自分でちょっとだけやってみるけど、「小母さん」の定義は辞書によれば「よその年配の女性を親しんで言う語」だ。
で、本来年配の人っていうのは「失った人」というより「手に入れた人」のはずなんだよね。何をって経験とか人生とかを、だけど。
それがごっそり無視されてるというか、価値としてカウントされてないのがアレですよね。
つーても「年寄りをうやまえー」とかじゃなくて、ステレオタイプだけどいわゆる近所のおせっかいおばちゃんのポジとかかつてはあったはずなんだよねっつー。巻き戻しても詮無い話だけど。
あと「よその」とか「親しんで」ってのがすごく嫌な感じに作用してしまっていますね「オバサン」においては。
流行の潮流、渦中から見た「外部のサエない他人」感の強まり方が半端ない。
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
いやいやwそれは単なる主観による決めつけだからww 根拠が薄弱、つーかもう無根拠の域。
キミ理論だと例えば昼は栄養点滴でしたって人と焼き肉食べて腹はちきれそうって人とに差がないとかになるわけ?ww
住んでるところとか勤め先とかイヌとイルカのペアよりはたぶん近いけどさwww
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
え…何を見て「女子」に慣らされてると思ったん?w 「オバサン」ディスってたから反射的にそう思っちゃったん?
むしろ馴染まないからウザいんだし、出てきたのがオバサンっていうのも事実として「コインの裏っかわ」で意味ねーから意味ねえよって言ったのよ。
反論するなら非コイン裏の「オバサン」をひとかけらでも具体的に提示してからにしな。
わからないだろう?
意味が判らない、と言ったんですよ。何が異様かわからない、ではなくて。というか強いて言えばキミの文章が異様だったわけだけど。
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
そもそもがスタイルから意図的に降りる降りないの話じゃなかったんじゃね。スタイルから「外れる」とめんどくせえっていう話だったはず。
あと毛髪がないことの「不便」って何だよw 頭で床にモップがけでもするのか?ww 日焼け? 帽子かぶってろ。
「アレな目で見られる」っていう社会的な弊害は「スタイルから外れたせい」だから、不便ていうよりは先述の「同種の恐怖」にカウントですよ。
安定収入が絶たれてつらいってのももっともだ、だがそれだけで「リストラ=もう自殺」とは普通ならない。
そうでもないんじゃね。「死の覚悟」とか出したのはそちらさんだからこっちはよくわからんけど。いろいろごっちゃにして「死の覚悟」って言ってない?
まず自然の摂理として、老いるということはあれこれ出来なくなっていってごく緩慢に死んでくってことだから、ガチで直面するときは死に近づく覚悟が問答無用で必要なもの。
これは本来性別も問わないレベルの話で、女においてはその「老い(始め)」に気づく段階の象徴としてわかりやすく「オバサン」が置かれてるってだけ。
でこれに伴って、かつて出来たことが今出来ないってことで、「出来る」潮流からは外れざるを得なくなる。こっちの方が大半の「女子」には怖いんだと思う。
それこそ死のごとくっていうか、ある意味死そのものよりも怖いだろうな。身を包む「もうおしまいだ」感。グループからさしたる理由もなくハブにされたときのアレ。
これは「女子」至上主義の弊害に数えられなくはない点だけど、至上主義にまでなる前の時点で元々「女子」というものにそういう素地があった。小学生女子から続く素地が。
それが雑誌にフレーズとして拾われて振幅してるってのが現状、ではないかな。
「覚悟するくらいしかテがないのが怖い」って書いたけど、厳密には「事前に欲望を整理できなかったタイプの高齢女子がいざ直面しても覚悟できるかどうかわからない、その絶望の可能性が怖い」って感じだわ。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
あとがん患者は地獄に目つぶらないから。比喩取り違えすぎですよ。
「直面したら覚悟するしかない」って言ってるでしょ。
無視なんかできねーの少しずつでも受け入れるしかねーのよ。老いのごとく。
「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。
という話ではあった。
宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。
ほら、出てくる検討ってこれでしょ。
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「オバサン」は死の世界、という女子至上教義から1ミリも踏み出して無いとこで考えてるから
結論は女子至上教義の枠内に収まるに決まってるよ。
「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。
「脱構築せよ」という話に対して
君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもので
だからそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。
明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。
雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。
わからないだろう?
もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。
>30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。
>目を開けて降りるには死の覚悟を要する。
いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。
「そこから降りると死にそうな心地がする」のは
いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。
大変厳しい無茶のある教義を誇っている。
その風合いは一信徒である君の発言からもいくらでも拾える、こんな感じ。
オバサンって「失った人」ってことでしょ。
ある意味不治の病と似てる
ガン患者
覚悟するくらいしかテがない
こわい
しかも地獄の世界が現世に現れる構造になっているから死後の没落で脅すよりある意味えぐい。
今まだ女子至上教義の観点からしかオバサンを検討できないからだよ。
オバサンがコインのうらっかわなんじゃなくて、君がオバサンを「女子の裏」としてしか見られないだけ。
これも違う。
自分にあわないパラダイムに抑圧されて従順な人というのはいくらでもいる。
特に変わり目にはね。
新しいパラダイムどころかその予感にすら怯えて攻撃したりする。
ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
俺の両親は俺が高校入学した時に離婚している。原因は父親の浪費とか色々、完全に父親のせい。俺は母に育ててもらった(慰謝料とかはもらってなかったっぽい)
社長が下衆なワンマンで、社員の人格イジリが大好き(人格を攻撃して萎えさせ、従順にさせるのが好きらしい)
俺のことも先日イジってきたが、まあひとしきり終わって雑談みたいな感じになってから「離婚するような女は全員屑。そういう女に育てられた人間も総じて屑。男はいいんだよ、愛想つきたんだから離婚してんだから」という趣旨のことを言いやがった。母親を悪く言われてあそこまで腹が立つとは思わなかったぐらい腹が立ったわ。俺が片親だっていうのも親の離婚の原因も知ってるだろ。
社長は日頃から「会社は絶対。社長は絶対。俺が黒いものを白と言ったら白だ。それに染まれない奴は辞めろ、染まれない奴は社会不適合者だけどな」と言い張る。それはお前が好き放題言うことや、ころころ変わる会社の方針についていくのが正しいって思わせたい保険だろうが。
即座に辞めれるぐらいのブラックなことはやってない会社だから(それがまたムカつく。生かさず殺さず)今辞めるタイミングと理由を見計らってる。
「合わない」で辞めるなんてほんとにあるんだな。
あー吐き出してちょっとすっきりした。
自己啓発に、はまる人というのがいる。
基本的にネガティブ思考な人間あるいは、精神的に弱い人に多く存在する。
例えポジティブ思考であっても、「幸せになりたいがどうしたら良いか分からない」と考える人だろう。
また、ネット上では多少強気な発言をするにも関わらず、リアルでは長いものに巻かれろ的な弱い発言が多かったりする。
だから、実際に会うとそのキャラクターのギャップに驚くだろう。
ただ、実際問題のところ「善人」が多いのだと思う。
いずれにせよ、そういう人は「自分の言動に対して、もの凄く自信がない」。
だから、何かと流されやすくて騙されやすい。道しるべをしてくれる人に対して妄信するのだ。
もの凄く自信がないと、どうなるか?というと、誰か頼れる人を探す。
でも、そういう人は大抵コミュニケーション力が乏しくなかなか言いたいことも言えないので、リアルではなかなか探せない。
だから、自己啓発書を多読したり、善人を演じているみたいな自己啓発ブログを読んで信者になったりする。
この時点で、ただの娯楽レベルで楽しむなら問題はないだろう。
ただ、それから一歩進むと、自己啓発系のセミナーに行ったりして一種の妄信状態になる。
最初は、1000円ぐらいかもしれない。だが、次第に3万、5万、10万と上がっていく。
貯金を崩し、本来なら他に使うべきだったお金を費やす。これは、もはや娯楽レベルを越えているだろう。
そして、そこで仲間を作る。ただそこでも、特出した行動はせず「〇〇〇って凄いね、学べたね」と言い合う、慣れ合う、
だが本質のところでは何も変わらない。当然、あくまで自分と同じような立ち位置やレベルの人ばかりのぬるま湯だからだ。
心地よい代わりに、刺激がない。
だから結局のところ、自信をつけることには到らず、しばらくしたら次の寄生先を探す。
自己啓発教のFacebookのコメントとかを読んでみよう。気持ち悪いぐらい、お互いを褒めあっている。
むしろ、褒めるしか能がないのかと思うこともしばしばだ。それも褒め方が一様だ。
「これいいですね」「この考えはなかったです」みたいな。
いや、お前本当に考えて読んでいるのか?他に言うことはないのか?と感じる。
だが、それを求めているのだろうし、悪くはない。
それが実生活で役に立つか、というのは、参加者にとっては本質ではない。
要は、妄信した上での仲間が欲しいのだ。ファンの集いと言ったほうが分かりやすいかもしれない。
こうして、セミナー主が「右を向けと言えば、右を向き」
「左を向けと言えば、左を向く」従順な教徒が出来上がっていく。仮に誰かがその主催側を叩く発言をしたら、
積極的に擁護するだろう。そう、度が過ぎると、時として信じるという力は攻撃性を生む。
そして、それが正しいと思い込む。だから、周りへの勧誘をし始めたりする。
そして、セミナー主は、恐らく参加者に向かってこう言うだろう。
「学んだことは、アウトプットすることが大切です。
今回、学んだことは必ずブログ記事にしましょう」など。これで上手く販促活動まで出来る。
一度妄信してきた人間を操るのは、こんなに簡単だ。
だから、精神的に弱い人から搾取する方法としては、まずは憧られることが重要だ。
年収、職業、あるいは人間性。特に、人間性というのは、「演じやすい」。
例えば、ブログやTwitterで完璧にキャラクターを演じることも可能だろう。
その後、少しずつ同じようなことを手を替え品を替え、刷り込んで信者を作り、
そしてその本が売れたら雑誌やネットへの露出が増え、それを契機にセミナーや有料のメルマガなどを開設し、
儲かる仕組みを作り上げていく。
だから、セミナー主が大切にしているのは「発言そのもの」というよりは、空気だ。
ここには仲間がいます、安心ですよという空気を作り出す能力に優れている。
実際、発言内容だけとったら、スカスカな内容だろう。
だが、それをあたかも凄いかのように演出で作り出していく。これは、映画などに近いだろう。
「感動させること」は、「笑いを取ること」よりも技術的に簡単であるからだ。
だから、演出力が凄い。参加している人は、1つのエンターテイメントのように感じるだろう。
実際のところ、その辺の本を読んだことと、本質的には変わらないんだけれど。
ちなみに、笑える話だが、信者の中にはそこから自分なりの自己啓発を生み出し稼ごうとする人間もいる。
つまり、自分が成功するには他の自己啓発教を引き入れれば良いと考え、自らが教祖に名乗り出るのだ。
だから、自己啓発教の中でも教祖への道を歩き始めた人間のブログを見ると、
「メルマガ作りました、成功情報満載です!」とか「勉強会を開催しています!」とかの言葉が次第に増えてくる。
あたかもスキルアップするかのような、幻想を抱かせる言葉だもん。
世に仕組みとして多く存在しているだろう。
例えば、健康食品がそうだ。加齢すれば、それなりに人間体が悪くなるのは当然。
でも、そこに付け込んで「これを飲めば」と提示する。
あらかじめ誰もが抱く不安を利用するという意味で、すごく効率が良い。
これが「老人食品」だったら、どうだろう?
「健康食品」という名称にすることで、最初は老人をターゲットにしていたはずの健康食品は、
次第に若年層にまで浸透し始めた。この仕掛けを作った考えた人って、つくづく凄い。
そして、実際、健康食品を購入する層というのは、それっぽいキャッチコピーで騙されているだろう。
実際にどの成分がどのような働きをして、どのように役立つかまで考えている人はそういないはず。
何となく体に良さそう・・と考える人間からいくらでも搾取できるわけである。
パチンコや宝くじも近いかもしれない。確率に関して考えることの出来ない人間が搾取されているだろう。
「宝くじとは、夢を買うことだ」みたいに、言い出したのは誰なんだろうね。上手いことを言う。
妄信状態というのは、一種の麻薬中毒だ。
その間に、本当にリターンがあるのかを冷静に考えてみよう。
一旦、毒が抜けるのを待って見よう。
もし、その結果必要なのであれば、言うことはない。
「お金が欲しい」「成功したい」「健康のままでいたい」と考える人間は、基本的に楽をしたがる。
そして、その楽をしたがる人間というのは、簡単に騙される。
世の中に、そうそう甘い話なんてない。
id:kanoseさんに、ブログ記事のブックマークコメントで
「ふと思ったけどブクマ集めた記事を他の人が自分が書いたと言っても、
元記事にURLを追記する以外、証明する方法ってないよなあ」と、言われたので一応。
///削除///
「脳」から「頭」に表現を変えました。指摘ありがとうございます。
「頭」から「能」に表現を変えました。指摘ありがとうございます。
まったくもって余計なお世話だけど、ナイナイの岡村さんは絶対結婚できないと思う。
増田で「さん付け」するくらいだからわかると思うけど、俺はナイナイファンであり、ヘビーリスナーでもある。
ラジオでの岡村さんにはずっと好感を抱いていた。いつからか「おじいちゃん」とあだ名を付けられるほどおじいちゃん行動が目立っていた彼だが、それもかわいらしく思えたし、たまに漏らす弱音とか批判に弱いところとか、親近感持ってた。
以前と決定的に変わってしまった部分は、自分に甘く、他人に厳しくなったことだと思う。ラジオで愚痴をしゃべり続けたり、普通の社会人なら呆れられるような論理を平然と持ち出して自分の正当性を主張したり、他者への罵詈雑言も耳についてきた。
そんな岡村さんは強い結婚願望があるらしい。でも、絶対に結婚できないと思う。彼が欲しいのは彼女でも嫁でもなく「SEXさせてくれて、従順で、他の男を知らなくて、家事の一切を引き受けてくれる」人だから。ま、要はSEXさせてくれる家政婦を求めてる。本人はそれに全く気付いていない。相方の矢部さんは気付いてる。で、矢部さんは岡村さんのことを本気で心配してる((もちろん、仕事のパートナーだから心配して当然))から、岡村さんのプライドを傷つけないようにこう言う。「理想が高すぎるんとちゃいます?」「そんな女性いないですよ」と。その言葉の真意は岡村さんには届かない。「いや、いるはずや」と言って聞かない。
残念過ぎる。岡村さんは一生心休まる相手を見つけることはできない。で、多分またパニックになってしまう。27時間テレビの司会をすると聞いた時「あぁ、終わった」と思った。本当に残念だ。そのことを思うと、またパニックになった時のことを思うと、岡村さんに同情して泣きそうになる。
従順でありつつ無理をしないってのは
相手の希望通りに一応は動くけど
体力的にきつかったり、やってみて自分に合わなかったら相手の望むやり方に執着しないって事だと思う。
どんな方法でもとりあえず試してみて、合わなかったらすぐやめるっていうのは意外と大切な処世術だと思う。
……。
じゅう‐じゅん 【従順】
[名・形動]性質・態度などがすなおで、人に逆らわないこと。おとなしくて人の言うことをよく聞くこと。また、そのさま。「権力には―である」「―な部下」
すなおで、人に逆らわないこと。
率直か何かと間違えてないか?
なんとなく恋愛が上手くいっている今の自分(24歳女)が思う、男の人に好感触に思われているように感じる要素的なもの備忘録。
根拠はない。
「自分に自信がないから自分から誘えない!コクるのなんてもってのほか!」という女の子はすごく多いけど。
自分は逆の考え方。「自分から待ってたって絶対誘われたりこくられたりなんかしないし」。
だからこそ、自分から「飲みにいきましょー」とか言えるほう。男の人といきなり二人で、ということはないけど。
大人数の飲み会で気になる人がいたら、なんとなくその人と席が近くなるように入店したり、
他の人が席移動したタイミングでなんとなく近くに行ってみたり。
勇気を出して、自分から行く。待ってても相手が来るような自信はないから。
私になら冗談言っても全然いいですよ的雰囲気を作りたいといつも思ってる。
自分も「OOさんいつもかっこいいですねー」とか軽く言ったりする。
職場の場合だと、最年少の24歳女であることからして、私に求められているのは若さと元気さであると思うので、
極端に意識してそうしてるわけじゃないけど、そうしてると楽だし楽しい気がする。
逆に後輩たちと飲むときはちょっとおとなぶった落ち着いた振る舞いを心がける。
自分の考えははっきり言う。自分の考えを言ったら、相手の考えを聞く。
相手の考えを聞くと、自分はたいてい感心するので、「なるほど」とか言う。笑
相手の意見を聞いて自分の意見を曲げられる順応さは、生きていて結構大事だなと、社会人になって常々思うようになった。
これは恋愛にはほとんど関係ないし、自分が単純バカなだけな気がする…。
変わった趣味を持つとか、やたらホラーが好きとか、実は競馬を見るとか。
ちょっとしたことでも良いから、自分のネタになって自分が語れる“ひと癖”を持つ。
自分はちょっと変わった趣味があるんだけど、インパクトがあって覚えてもらえる。なんか嬉しい。
その話を振られたら、ほんのちょっとだけ熱く語って(長引かせない・しつこくしゃべらない)、
最後に「ぜひ今度一緒にやりましょー」でしめる。
これは当然かもしれないけど。
私の後輩で、ツイッターでやたらめったら芸能人をけなしたり“街で見かけたバカップル”とか言って人を貶めるようなことをいう子がいる。
これを見て「うんうんそうだよね!OOちゃんはよくわかっているなあ」と言って彼女を好きになったり好意を持って共感できる人がどれだけいるだろうかと思う。
これは警戒する人もいるかもしれないけど、たいてい喜んでくれてると思う。
女の子をほめるのと一緒で、「OOなところがすごいですよね」とか「いつもOOだなと思ってました」とか「今日のネクタイいいですな」とか
割と具体的に言うと、喜んでもらえてる気がする。
まあ、本当にそう思ってるから言ってるんだけど。
飲み会の席で次に何を頼もうかと思ったら、
例えば好きな男の人に「(飲んでいるものを指さして)これ何ですか?」と聞いて、同じものを頼んでみる。
あるいは、その人が飲み物を頼んだ時に、「じゃあ私もそれで」とか言ってみる。
話題にもなるし、自分もなんとなくいい気分になる。笑
男の人と歩いているなら、前を歩かないようにするとか。
「外に出てますね」と言って先に出て、自分は外でお金を出す。(店の人には男の人が奢ってるように見える)
これはいつもなんとなくやってるけど、女友達とひょんなことからそういう話題になってそうしていることを伝えたら参考になる!と言われたことがある。
迷惑に思われたり謎に思われたりしてないだろうか…?
気になる人ができたからといって、あからさまにその人にべたべたすることはしない。(誰でもそうか)
でも、飲み会で隣の席になってふたりだけで話すことがあったら、
ちょっと耳打ちをしたら、それだけでぐっと距離が近づく気がする。内容は全然どうでもいいことでも。
あからさまにやったり、他の人に見られたら、ちょっと気持ち悪いけど。
都合が悪くなければ、たいてい断られない。笑
あまりしゃべらなくていいから間が持つし。笑
飲みに行ったりご飯に行った時、相手が奢ってくれそうになったら、まず断る。
それでも「いいよ」と言われたら、お言葉に甘える。そして、「じゃあ次は私が奢りますからね!」という。
また誘う口実ができるし、それで自分が奢ったら「次は奢ってくださいね!」と言える。その繰り返し。
年齢がすごく上、とかだとまた変わってくるのかもしれないけど、たいていうまくいくし、
個人的に、普通の割り勘よりもなんかすき。
道端で売ってるアクセサリとかちょっとした小物とか、ちょっとしたものを欲しがって、買ってもらう。
買ってもらったら喜んで、そしてそれをすごーく大切にする。アクセサリなら、日々愛用する。
そうすると、とても喜んでくれる。
私は好きになるとがまんができないんでつい言っちゃうんですけど。笑
1~12みたいな態度をとって、相手もまんざらでもない感じだったら、自分はもう好きですオーラを出してしまう(出てしまう)。
奥手の男の人でも、わかりやすく「この子自分のこと好きなのか」と気付くと、相応の態度をとってくれる。
これで相手が拒否反応を示したら、諦める。男の人は他にもいるもんねと自分を慰める。
片思い状態でも、お付き合いができても、素直で従順に暮らしている。
好きな人を喜ばせたいっていう気持ちで動いて、でも無理はしない。多少のわがままもいう。
相手と一緒にだらだらする。長く付き合いたいから、自然体でも一緒にいられる関係になりたいから、自分も無理はしない。
きっと20代前半だからそれでいけるんだ、という項目もかなりあると思う。
家に帰るとネクラだしダラダラだし干物だけど、人前ではある程度見た目も繕って前向きに過ごすことを目指している。
そういう生き方も手伝ってか、比較的運にも恵まれてこれまでやってきた。
まあ、これからも、どうにかなるでしょ。
今の恋愛がうまくいくといいなあ。
教育従順県で毎日国旗掲揚と国歌斉唱があった小学校中学校だったけど、思想の強制と思ったことはないんだけど、なんでそう熱くなるんかな?
たとえばさ、生徒の髪型とか服装ってすごく制限されてるじゃん。
国旗国歌はルールではないんだから強制されるのはおかしい!って言うんでしょう?
じゃあそれをルール化しようって話じゃないの?
それもダメといわれたら、国旗国歌を強制されない学校に再就職するしかないんじゃないかな。
ルール化するのも思想良心の自由を侵害してるとか言われたらさ、俺だってあんな制服きたくなかったし、それに関しては侵害してないわけ?
軍服を思わせるけど、それに関してはオッケーなわけ?
左の教師ってなぜかジャージ着用が好きだけど(卒業式とか入学式でもジャージとか)、スーツも元々は軍服だからとかそういうの考えての行動?
連日悪夢ばかり見ている。
特に今見た夢がなかなか寝覚めの悪い夢だった。
惚けた祖父(現実)に羽交い締めにされ、「やめてください!やめてください!」と叫ばれ続けている。
私は抵抗するけどうまくほどくことができずそんな中、父が泣きながら飛び込んできて祖父を止める。
我々家族は何もうまくいっていないとひしひしと感じている。
祖父が惚けてしまったときに悲しんだのは父だけだったと思うし、祖母が入院してやつれていく様をみても私や母は何の感情も持ち得ていない。
母と姉に関してはむしろ祖父母を恨んでさえいる。
と、書くということはつまり私は現状を悲しむべきことであると認識しているのだと思う。
本当は祖父母達と笑い悲しみあう当たり前の関係(社会一般的な)を築いていたかった。
私が幼少の頃には母姉と祖父母の関係は決定的に崩壊しており、家族に従順に育った私はそういう対立状況にいかんともすることができなかった。
母に関しては嫁という立場上、祖父母達と必要最低限のコミュニケーションをとってはいるが、姉はもう十五年は真っ当なコミュニケーションはとっていないだろう。
さらに問題なのはその姉は数年前に大きな癇癪を起こして家庭内引き蘢りになってしまった。
これだけ客観的に家族の状況を書いている私は何の問題にも直接的には加担せず、家族の歯車としての役割をうまく果たすこともできていない。
現在の私がいなくなったところで我々の状況はよくも悪くもならない。
こんなことを書こうと思ったのは現在は父と母の仲もうまくいっていないようだからである。
けんかをすることはたまにあったことだけれど、現在とこれまでが決定的に違っているのは父が今は家にいない祖父母の部屋を使っていることである。
それぞれがそれぞれの場所を持ってしまったことによって我々は誰も積極的なコミュニケーションをとる必要を失ってしまった。
※あくまで「とあるゼミ」について。 他は存じあげません。 教えて下さい。 お願いします。
論文とは「問い」である。(率直な疑問をテーマにしてこそ良い論文になりやすい。)
論文には以下の構成がある。※この日記は序論の「問題」と「研究目的」に対する考察(PLAN)でしかない。
問題と研究目的や研究方法の提示、用語の定義を述べる必要がある。
引用文献だけではなく、使えそうで読んだ(参考にした)本を述べる。
近年、娯楽コンテンツをテーマにする流れがとあるゼミ内であったようなので、注意点を述べる。
これは、社会的背景に迫らなければ動機以上に有意義なテーマにならない、ということである。
疑問に思う(QUESTION)→「考察(PLAN)」→調査(DO)→考察(CHECK)→発表(PRESENTATION)の流れでは「PLAN」に該当するプロセスで基本だが、大抵の大学生は多忙を理由にして調査への過度な期待をして失敗を繰り返しているという意味で最重要プロセスでもあると考える。
失敗の例として具体的には「自分の研究がなにをいいたいのかがわからなくなる。」といったものがある。
そこで、対策として社会的背景へ迫るPLANの例として娯楽に対する考察を以下に提示する。
そもそも、娯楽の意義を知らなければならない。無論、娯楽はストレス(抑圧)発散のためにある。
社会的なストレスとは労働といった規範に関連するもの。学生は学業が社会的なストレスになる。
知識の外部性を最初に指摘したのはマルクスだった、といえば牽強付会に聞こえるかもしれないが、彼は労働についての断章と呼ばれる『資本論』の草稿(経済学批判要綱)で次のように書いている
自然は機械をつくらない。それは人間の頭脳や手の生み出した器官であり、知識の力が対象化されたものだ。固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産に適応しているかを示している。
これはネグリ=ハートが『帝国』で、マルクスが「非物質的労働」を視野に収めていたことを示す証拠として引用した文章だ。これに続く部分で、マルクスは社会的知性が科学技術による生産の条件だとものべている。そしておもしろいことに、こうした社会的知性は生産だけではなく消費によっても生まれると説いている
池田信夫 blog : マルクスとソーシャルメディア - ライブドアブログhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51671941.html
知識の外部性、社会的知性、一般的知性 というものがあることがわかる。
おそらく書籍を読解していく上で【知性やイデオロギー】等の違う言い回しで多くの似た概念に出くわすと思う。※注意は必要だが、以降は「規範」として解説する。
私たちは幼少より社会的な規範や市場的な規範を様々なものを通して学ぶ。
娯楽も例外ではない。例えば、女の子はおままごとを通して家庭の内部規範を、男の子はロボットやヒーローのおもちゃで外部規範を学んでいく。
ここから、「娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。」ということがはっきりわかった。
実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。
これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が—また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ—永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である。
「経営の未来」に従業員の未来を見る - アンカテhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20080310/p1
「従業員」という一見当たり前の概念についても長い歴史で観ればつい最近確立された規範であり、社会問題を伴う。
つまり、「娯楽という概念」にも労働を代表する外部の概念が抑圧・弊害や規範として間接的に関わってくるため、視野を広めて(ここでは労働をキーワードに)考察をすることが重要ということである。
(※今回は閲覧できるようにwebをソースにしましたが、実際はキーワードに関する書籍を読解し、参考・引用してください。)
娯楽コンテンツについて調査するならば、調査対象においての労働観(学業観)、社会観、消費観を知る必要があるだろう。
むしろ、引用するしないに関わらず参考文献範囲を研究テーマの外側まで広げていかなければ、根源的な問いに対する調査の切り口が見いだせない。
娯楽コンテンツを研究テーマにした場合は袋小路に入ることになる。
しかし、研究テーマの外部の考察をすれば必ず研究に活きてくる。まず発表に際して学生間での質問に引けをとることはなくなる。
一見言わなくても分かると思われることも、しっかりと問題の本質、動機、仮定、構造の説明ができるかどうかは別問題ということである。