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はてなキーワード: 命題とは

2023-04-28

anond:20230428101836

…………。

まともな大人でその質問に答えられる人はいないと思うよ。

高名な数学者によると正しいとも間違いとも証明できない命題があるらしい。

君のがそれ。

沈黙!! それが答えなんだ。

沈黙もまた答です。お別れです

2023-04-26

anond:20230426133556

「なんでそんなに攻撃的な反応するんですか?」

という質問は多重質問といって、「その反応は攻撃である」というまだ結論が出ていないはずの命題を先取している誤りがあります

「なんでそんな反応をするんですか?また、その反応は攻撃的だと思いますがどうですか?」

質問を分割してください

2023-04-14

命題死にたいって言ってるやつは自殺しない

命題を認めるなら

自殺した人は死にたいとは言わなかった。

ことも認めざるを得ない。

今まで自殺で死んだ何十万人もの人間が、誰一人として死にたいと言わなかったとは考えにくい。

よって命題は偽である

anond:20230414002143

・「作品面白い」ことの根拠がない

・「「作品面白い」という仮定が成り立つならば「売れる」」という命題が真である、という根拠がない

ここらへんを理解できない知性に問題があるんじゃないですかね。

2023-04-03

内田樹記事事実誤認が多すぎて体調崩しそうになった

ネタ

http://blog.tatsuru.com/2023/04/02_0947.html

賛成できる部分もあるが、個別の具体例に対して事実認識が古いか間違っている内容が多すぎて、読んでて気分悪くなった

一つは米国に徹底的に追随すること

外圧を利用して政策を通す、といういつも通りの政府のやりかたであって、米国のいいなりと言い切ってしまうのは一面的にすぎない。米国日本要求している事項は多くあるが、日本にとって都合のいい要求だけ呑んでいる。例えば、米国ははロシアへの経済制裁圧力をかけているが、日本サハリン2から撤退する気配はない。米国へ徹底的に追従するというなら、今すぐにでもサハリン2から撤退してしかるべきだが、そうしていない。

国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているかである

でたよ雑な日本人論。安全保障について考えるのが政府仕事というのは世界共通であり、別に日本に限ったことではない。日本人が平和ボケしているという人は多いが、実際平和なのだからしょうがない。ウクライナ戦争が始まってから慌てて軍縮撤回しているドイツなど見てわかる通り、平和ボケ別に日本に限ったことではない。紛争を抱えていない国はたいていこんなもんであるロシア中国隣国とは言えども海を隔てているのであり、例えばロシアと陸続きの東欧などとは、安全保障に対する意識の差は比べようもない。世界中積極的揉め事引き起こしているアメリカでさえ、一般国民の大半は安全保障に関しては無関心で、日本人より関心を持っていないまである共和党の有力な大統領候補ポピュリスト二人がウクライナへの関与を減らせと言って支持を得ているのが、その証左だ。

安全保障戦略米国が起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権別に安全保障政策の「大転換」したわけではない。政権によって米の要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから国民は誰も驚かないのである

最近日本外交政策を全く追いかけられていない無能アピールか?俺は安倍首相政策に対してはかなり批判的な方と思っているが、「外交安倍」に関してはかなり評価している。というのも、QUAD提唱したのが安倍からだ。QUADが始まったのが2007年アメリカが対中シフトを始めたのが2011年であることを考えると、むしろ日本アメリカ外交政策を動かしたといっても過言ではない。いや、過言かもしれないが、少なくともアメリカのいいなりになってQUADを始めたわけではないというただ一点において、内田樹の言説は全く持って誤っていると言わざるを得ない。安倍首相時代安全保障政策は大転換しており、そして、その時の外務大臣は岸田である安倍政権がクソであったことはさておき、日本外交安保政策における主体性は正しく評価されるべきである

岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢ものではない。だから長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力生命線となる。ホワイトハウスから米国にとってつごうのよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「米国に盾突く 」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。

陰謀論。まだGHQ日本駐留してるならともかく、21世紀現代でそれは無理がある。日本アメリカ属国であるという命題から逆算した結果、とんでもない主張をしているとしか思えない。属国であるということは否定しない。外国軍隊駐留していて、その駐留費用日本負担しており、外国軍隊治外法権享受している事実を列挙してみれば、属国扱いもしょうがない。だが、現代アメリカに、その時の気分次第で日本首相の首を挿げ替えるような力があるのだろうか。いやない。あるなら事例を出せよという感想しかない。菅首相アメリカのいうことを聞かなかったかアメリカに首を挿げ替えられたとでも思っているのだろうか。

岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権延命」だけである。喩えて言えば、船長目的地を知らない船のようなものである自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。

岸田首相安倍首相外交安保政策主体的継承、推進しているので、指摘は当たらない。岸田首相動機に関しては、本当かどうかはともかく、NHKの以下の記事示唆である

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93812.html

総理周辺はこう解説する。「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分仕事だと、よく語っている」岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣経験短期間だが防衛大臣兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交努力だとしながらも、外交説得力を持たせるためには防衛力必要だという考えを持つに至った。「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」

それが、岸田の信念だという。その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。

国民の声を聴く」とか「個性多様性尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされた。

これは同意。まあ選挙向けの適当アピールだったんだろうが、特に「新しい資本主義」の中身のなさっぷりにはかなり失望した。何をどうやったら再分配が消えて投資連呼になるんだよ、内容が180度転換してるじゃん。これこそ国民をナメてるとしか思えない。

今回の防衛予算の積み上げも、まず米国から要求があり、それに合うように予算が組まれさらにその予算枠に合うように、「中国北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである

ここに関しても同意金額ありきなのは本当に意味不明アメリカから外圧を利用しての2%なのは構わないが、予算の内容について防衛省と調整してから出せよ。それを悠長に待ってたらタイミングを逃すから、という極めて政局的な判断なのであれば、それは批判されてしかるべき。

日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシープログラム)」の兵器とされている。中国との競争において、米国AI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地空母戦闘機時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのであるしかし、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである

ここに関しては完全に誤認している。情報が間違ってるし古い。開発中は開発期間の延期と開発費の高騰で失敗作扱いされることもあったF-35も、今では様々な不具合が改修され、最新鋭の戦闘機として各国に順次導入されている。本当に時代遅れの欠陥機なら、米国と仲が悪いトルコがわざわざF-35供与要求するわけないじゃん。トマホークも初出は古いものの常にアップデートされており、日本が購入するブロックVは2021年開発である亜音速巡航ミサイルが古いという言説も、ロシアウクライナ戦争前に自慢していた超音速ミサイルが期待通りの成果を上げていないことを見れば、何言ってんだこいつしか思えない。

米国AI軍拡で後れを取っているという言説に至っては完全に意味不明だ。OpenAI中国製だったのだろうか。中国米国比較して先進的な軍用AIを開発した、というのも聞いたことがない。一応中華ソースニュース記事も調べてはみたが、中国AI開発に遅れを取っているというような内容しか見つからない。

不良在庫を言い値で買ってくれるのだから米国にしてみたら日本自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることを米国が願うのは当然なのである

前提があらゆる部分で完全に間違っているため、この結論にもうなずけない。思いやり予算批判でもしてればいいのに。

日本国民属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国政権正統性根拠第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである米国に気に入られている政権であることが何よりも重要だと日本国民自身が思い込んでいる以上、日本人が岸田政権に不満を持つはずがない。だから、岸田政権防衛増税を進めても、インボイス制度マイナンバーカードなどで、国民負担を増大させても、国民デモストライキもしない。それは国民自身が「政府というのは、国民生活のために政策実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているかである

全体的に批判が雑。岸田政権に不満があるから支持率が下がってるんじゃないのか…最近また上がってるけど。デモストライキをしない=政権支持というのは短絡的すぎるし。

インボイス制度の導入で被害を被るのは零細の個人事業主という狭いターゲットであり、これに対して大規模なデモストライキは起きにくい。というかデモ自体はやっているが、ニュースにならないだけである安保闘争の時のように、100万人単位で動員しないとデモ認定されないんだろうか。サラリーマン非正規というプロレタリアートにとって個人事業主というプチブルは敵であるから、むしろインボイス導入を喜ぶべきであるという冗談はさておき、労働組合個人事業主に雇われる側なんだからストライキにはならんだろ。

またマイナンバーカード国民負担を減らすための施策であり、マイナポイントというエサで導入を釣ったり、保険証からの性急な切り替えに対して文句を言うのはともかく、国民負担増大というくくりに入れるのは具体事例としてどうなの。復興特別所得税防衛費へのつけかえとかもっと直球な負担増大の具体例あるじゃん

そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党選挙には勝ち続けることができる。

https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

長期的なトレンドとしては下がってますが、ここ数年の国政選挙投票率は上がっています。この理屈だと菅と岸田政権国民の期待が上がってるみたいじゃん。

通してみると、全体的に認識が間違っているというより古い認識からアップデートできてないのかな、と悲しい気分になった。

2023-04-01

道徳って本当に提言命題にかぎられるのかな?あとは人間としてどう生きるかということについての意見がでている。人間としての真理を導けばきりがないから?なんなら人間論理性を義務付けるようなものじゃないの?みたいな考察もあった。そして、これとは別の意見に、ものすごくピンポイント発言として答えを出してくれるようなコメントも多かった。たとえば、これは本当に同意するんだけど「この世を合理的に生きることについて思想はあっても行動しない人間は全員犯罪者」という発言に対しての「あるある」の反応。よく

Anond AI作成

2023-03-29

anond:20230329203340

教育実習特別支援学校に行ったとき指導員に「彼らは成長したら教育によって状態が緩和するんですか?」と聞いてしまって、「成長につれ、本来ならその年齢で出来なければならないことが増えていき、その溝を埋めることはとても難しい。けれども、彼らに寄り添うことで、出来ることを増やすことはできる、(と、そのように信じている)」という回答を貰い、そのような残酷な回答を、こちらに気を遣わせて言わせてしまった、といったような重たい気持ちが今も拭いきれない。「彼らへの教育意味とは?」なんて、指導員の人々は、半永久的にずっと向き合わなければならない重たい命題だろうに。

2023-03-27

anond:20230327155921

コロナ自分で考えて手洗い励行マスク必須とした訳で、それは今までも今からもかわらんのだが、お前には難しい命題かな

anond:20230327111621

実に、君の提示する論証は前提となる命題から帰結が導かれる演繹法において、その論理的整合性説得力を示している。

君の立場に対して反駁し難いと感じさせる、緻密なアプローチが用いられており、その結果、我々は君の主張に賛同せざるを得ない状況に追い込まれている。

証拠や前提が適切に提示され、その上で結論が導かれる構造は、まさに有効アルゴン形式を満たしている。

この議論において、君の主張が示す真実性はまさに否定きぬものとなっており、その根拠となる命題は強固な論理構造を持っていると思うのですがどうですか?

2023-03-16

頭の悪い人はAIくさい文を書くんですね

この命題は真か偽か

2023-03-15

ABC予想ってそもそも形式的証明可能なんですか? 真か偽かのいずれ一方であることを信じて証明に挑んでる数学者が多い気はしますけど、証明可能かどうかを証明しようとしてる数学者も同時並行で存在してるんでしょうか?

やっぱり証明にてこずっていると思っていたら実は証明不可能命題でしたってことになったら今まで証明にかけた時間はなんだったんだってなるじゃないですか。それでも永久証明できない命題時間を捧げ続けてしまうよりはマシなので、証明可能性を検討する数学者もいてもいいと思うんですけど…

いまさらこれだけ時間をかけてきた命題証明が実は証明自体不可能だったなんて聞かされたくないっていうサンクコスト効果みたいなのもあるんでしょうけど、永遠に比べれば遅すぎるものなんてないと思いんですよね。

証明に手こずってきたら証明可能性を疑ってみるとい

2023-03-14

トロッコ問題って色んな要素が無視されすぎだよな

二者択一に対する思考実験でありトロッコ物理的な性質重要ではない

・回答する人間世界トップクラス学歴の持ち主であり人類社会幹部候補である

・「なにもしないことを選択すれば責任回避できるのか」は命題に含まれている

・「5人と1人の内訳(終身刑5人vs合衆国大統領1人、他人5人vs肉親1人、等)によって選択は変わるのか」は命題に含まれている

・出題者側による特殊条件の追加はルール上許されている

回答者側が屁理屈をこねて全員助かる道を探すことは可能だが出題者はそれを拒絶することが出来る

・「どのような思考過程を持って選択をするか」が最重要であり結果として生かす人数そのものを問うて多数決をしているわけではない

特に一番最後の「大事なのは途中過程であって、前提条件ごとに正しい結論があるわけではない」こそが本質なのにそこが一番雑に扱われている気がする。

「こういう時5人を活かす人は~~~」でシンプルにぶった切ってしまったら、それはもう単なる性格占いしかないんだよ

2023-03-11

数学YouTuberやばい

たまたまおすすめに出てきた1年以上前動画なんだけどさすがにひどいと思った

https://www.youtube.com/shorts/zUjQYm4va3k

以下書き起こし(言ってることと字幕対応してないからややこしい)

やばい小学生つけました

円周率ってみんななんぼで使った?

円周率が3ってのはアカンっていう証明

小学生がやっとって

円周率って中学生やったらπで習う

普通3.14として扱うかなと思うんやけど

これがもし3やとしたらアカンよっていうのを

背理法

っていうのを使って証明しててんけど

例えばもし3やとして

半径1の円を考えてそれに内接する正六角形を考えんねんな

そしたらこれの円周っていうのは2πrで求まるから

2×3×1で求まって6になんねんな

もちろんこれは円周率まりπが3やとしてやってる

これを次正六角形の周の長さを求めてほしいんやけど

これこういう風に割ったら正三角形が6つあって

ここの長さっていうのは6

ってことは円周と正六角形の周の長さが同じになって

おかしいか

円周率3じゃアカンよってなんのよ

これみなさん小学生ときできましたか

ばいばい

第一

円周率3.14で教えようが3で教えようが

近似値であることに変わりはないんだよ

3から3.14にしても

正6角形が正100角形や正1000角形になるだけで

本当のπの値になるわけじゃないか

本質的な違いはないんだよ

まずそれを説明していない時点でおかし

まあこれはコメント欄でも書かれてる

第二に、こっちの方が本質的ヤバいと思ってるんだけど

こいつはこれを「証明」って言ってるんだよね

そもそも円周率=3はヤバい」っていうのは命題じゃない

個人感覚に訴えてるだけ

それを「背理法」とか言って数学的な証明と同一視してるこいつがマジでヤバイと思う

しかもこいつ、調べたら「数学公式図鑑」とかいう本出してんだよね

この程度の数学リテラシー数学の本出してるのは正直恐怖を感じる

2023-03-09

anond:20230309184950

この世には対等婚しかないって??

ないのを証明するのは悪魔の証明無理ゲー

1件でも下方婚上方婚があったらすぐに偽だと判定されてしま命題だね

俺は最低でも1件はあると思うけどw

2023-02-24

anond:20230224144717

早まった一般化 (hasty generalization)

詳細は「早まった一般化」を参照

A「私が今まで付き合った4人の男は、皆私に暴力を振るった。男というもの暴力を好む生き物なのだ

Aの発言は、少ない例から普遍的結論を導こうとしており、早まった一般化となる[注 2]。仮に「男というもの暴力が好きなのかもしれない 」と断定を避けていれば、その発言帰納となる(帰納演繹ではないので、厳密には論理的に正しくない)。Aの発言反証するためには、暴力が好きでない男の存在(ある男は暴力的でない)を示せばよい。Aの発言は、「1は60の約数だ。2も60の約数だ。3も60の約数だ。4も60の約数だ。5も60の約数だ。6も60の約数だ。つまり、全ての自然数は60の約数なのだ」と論理構造は等しい。

この種の話法例は容易であり「ある貧困者が努力により成功した」「ある障害者努力により成功した」などの論調により統計的検証を待たずして命題として認証される誤謬の原因となる可能性がある。ある貧困者や障害者が「努力」を要因として成功したとしても、それは問題解決にとって論証的に有効提示となりえるかどうかは分からない。都合の良い事例や事実あるいは要因のみを羅列し、都合の悪い論点への言及を避け、誤った結論誘導する手法は「つまみぐい (チェリー・ピッキング)」と呼ばれる。また、極稀な例を挙げ、それをあたか一般であるように主張することもこの一種となる。

2023-02-21

anond:20230221150137

「運航ダイヤを守るのに失敗した」ことは認めるんですね?

自分が言い出した命題ですよ

2023-02-06

anond:20230205192606

そもそもお前が主張してるわけでその主張を明瞭化しろと言ってるだけなんだよね。何に負けてるのか書かれてないのでは命題として不完全で反証しようがない。

いわば反駁肯定もできない主張をしてなんの意味があるって言ってるだけなんだけど違うか?そんな不完全な主張もどきを展開するぐらいならそんなことには意味がないんだから最初からするなよって話。

子供自分から質問してきてなんでもかんでも答えてくれると思ってるのと状況が全く違う。

これをいっしょくたにして俺が子供のようで非があるように言うのは詭弁だね。

2023-02-05

​​ナニカ疑獄、あるいはポップな市民革命について。

​​​ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的まなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。

​​

​​日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。

​​

​​一見、素晴らしく見える言説。

​​貧困をなくそう、飢餓ゼロに、すべての人に健康福祉を。

​​SDGs17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから

​​これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。

​​しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ

​​

​​ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。

​​それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。

そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。

​​普段本音正論を隠して、

​​こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。

​​1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。

​​

​​そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。

​​

​​私はapos時代ブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。

​​すぐレス対象マウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。

​​

​​彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。

忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。

​​とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ

​​

​​そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。

​​彼は一切攻撃していないのだ。

​​ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去データ発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。

​​それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。

​​

​​正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。

​​結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。

​​むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。

​​

​​こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパ金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。

​​だからマイナー運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。

​​

​​私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間複数名いる。財団の犬も。

​​社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事言及なんてできないのは自明であろう。

​​関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなた見解は?なんて今のインターネット世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebook国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。

​​わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)

​​

​​しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。

​​お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。

​​そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。

​​

​​極めて個人的サンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。

​​普段積極的インターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。

​​

​​一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題認知すらしていないからここが課題だと思われた。

​​

​​左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。

​​そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。

​​

​​そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシー必要とされる。

​​かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会世間を取り戻す智慧革命と言っても過言ではない、かも。

​​

​​あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。

​​

​​本件はもはやcolabo問題ではない。

​​WBPC問題であり、疑獄である

​​ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。

2023-02-04

これからSNSで支持が取れる人は、誰かの感情社会的理屈として理論化できる人だと思う

以前までは、理性と感情対立する概念だと思っていた(感情は理性で押さえつけられるものだと思っていた)が、今のSNSを見てると、そうではないんだなと思う。

具体例を挙げることは本意では無い(一般的事象として捉えたい)ので避けるが、理性は今や、感情助長させる道具のひとつしかないと感じることがしばしば。

例えば、自分感情道徳的命題として正当化したり、もしくは、法律など別な問題から搦め手で攻めていったり。

まり感情結論として在り、それをいかにして社会的合理性を持つ言説として成立させることができるか、が人々に求められているように感じる。

なんというか、結論に合わせて理屈を作るとは、非常にお役所仕事的な発想だとも思うが、そういう人間が、今のSNSでは支持を取れるのだと思う。

そして、次の段階は、そういう手段として学問を学ばせようとする学科が登場することだろう。

それが、心理学科なのか、社会学科なのか、コミュニケーション学科なのかは知らないが、

他人感情社会的合理化させる言説を理論的に構成する手段を、カリキュラムとして学ばせる学科が、そろそろ登場してもおかしくないと思う。

しかし、私はこれを悲しいこととは思わない。人々は自分感情ちゃんと主張できるようになるからだ。

特に日本人感情の表出が苦手と言われているのだから理屈を経由するというもどかしさはあるにしろ、良い方向なのだと思う。

2023-01-30

anond:20230130182152

テンソルは4つ以下の変数では構成できない。この命題の真偽を答えよ。

偽です。テンソル任意の数の変数構成することができます

事典には5つ以上いるみたいな風に書いてあったが俺が何か誤読してるのか?

いいえ、おそらくあなた誤読していません。テンソル任意の数の変数構成することができます。多次元データを扱うために使われることが多いとされていますが、特に変数数に制限はありません。

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いや大辞林には確かに三次元空間において五個以上の成分を持ち」って書いてあんだが?大辞林ダメ辞林なの?

2023-01-29

anond:20230128162210

元の命題「xは男である⇒xは狼である」偽(反例:x=  )

対偶「xは狼でない⇒xは男でない」偽(反例:同上)

元の命題「xは恋人である⇒xはサンタクロースである」偽(反例:x=  )

対偶「xはサンタクロースでない⇒xは恋人でない」偽(反例:同上)

対偶の真偽が一致していて別に不思議ことないじゃんと思ったら

ああ、元の命題一見真っぽいのにというのが面白ポイントなのか

なるほどなるほど

2023-01-27

国語の成績が良く読解力が高い人は数学もできるのでは?

そういう人で数学の成績がそれほどでなかったり大学数学を専攻している人というのが少ないのは、根本的に数学に対して能力がないのではなく、数式には文章と違って情感みたいなものがないとかいった理由愛着を持てないからだと思います

それで熱心に学ばないからそうなってるだけで、彼らのような類に数学勉強強制させたらそれこそ大化けして並みの数学者を凌駕する理解力を発揮するのではないでしょうか?

かに高校時代まで重視される計算力(速さ)という意味数学力は読解力とかすりもしない概念でしょう。

しか大学に入ってまず習う位相や集合の理解にしてもあのページが進むごとに論理的に入り組んでいく解説についていくということについてはまさしく国語で成績を取ってきたのと共通する読解力がものを言うように思えてなりません。逆にあれを理解するのに要する読解力と小説なり評論なりの問題を解くのに要する読解力とでどこに違いがあるのか探す方が難しいでしょう。

双対原理事典での説明を私が見ても、パスカル定理ブリアンションの定理双対性が、束の外延内包双対性が成り立つからその特殊場合として明らかに成り立つものなんだと言えるという趣旨に対して、束という遥かに抽象的な形式論理のなかで成り立ってることがあの目で見える形で定理妥当性が明らかな射影幾何双対性に一般特殊関係のなかでどうつながってくるというんだとさっぱり納得感がないわけです。

(というか双対の「原理」とかいっちゃってるけど、それはパスカル定理ブリアンションの定理が同時に真であるということ公理として幾何学が構成されてるってこと?この場合まだ2定理が真なことは図示したとき直観的に明らかだからまだいいけど双対原理に沿うように言葉を入れ替えた命題が全て視覚的にも正しいと判断できるような状況になってる保証はどこにもないよね?それをもそれを「真」と認めるものとして幾何学を構成しちゃってるってこと??)

一方普通の本でも言わずもがなのことは省略されるものです。

国語において読解力があると知られている人は、そういう言わずもがなの部分も何が省略されているか察知する力に長けているはずというか、往々にしてその力の結果が間接的にも直接的にも「読解力が高い」と人に言わしめるときの「読解力」の構成要素になっているはずなのです。

から事典記述についても私が納得できないのはその記述における「言わずもがな」の部分に想像力が及ばないからだとするなら、読解力の高い人ならこういう数学の高度な概念解説も読みこなせるのではないかと思うわけです。

そういうわけで少なくとも数学理論を学ぶという段階だけで見るならむしろ理系ぶって人間よりも読解力が高い人のほうが驚異的な力を発揮するように思えます研究の段階になるとそれがそうじゃなくなるんでしょうかね。

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