「命題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 命題とは

2023-08-11

anond:20230807134943

「今の朝日社内には“女性職場環境改善しなければならない”との命題がある。ゆえに、女性記者地方転勤を命じたら、それだけでパワハラと言われかねない。社会部長としては、社内での自分立場を守るためには、男性記者女性記者、どちらに地方転勤をお願いするかとなった時、男性を選ぶしかない」(同)

 朝日新聞は3年前、「ジェンダー平等宣言」を発表している。ジェンダー格差問題を報じるなら、“私たち自身が足元を見つめ直す必要がある”との考えかららしいが、まず取り組むべきは男性記者女性記者の「地方転勤」の“平等”、ということになりそうだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a2954839f491f86acac86118b3c6847bdf6f3cf0?page=2

2023-07-25

anond:20230725124120

そもそも人間の発想はお気持ち直感ベースで、論理はその発想が正しいかどうかを検証するものしかない。

論理で勝つことが正義であることを教える必要はないし、ロジカルな推論によって唯一の『正解』が得られるという考え方は論理を過信しすぎている。ある命題に対してロジカルに得られる結論特定の側面を切り出したものしかないし、最終的な判断は様々な側面を元に人間が下すしかない。

2023-07-20

図星って言葉使うのやめない?

普段大喜利やってるくせに専門領域になるとマジコメするブクマカ

非常にダサい

誰とは言わんが


俺「あらよっと」

馬鹿大喜利見てこいつはバカだって侮ってたら

ある分野で超えられない知識量があって自分が恥ずかしくなったと見える」

俺「逆 大喜利で魅せる教養の高さが魅力だったのに、こんな場所承認欲求を出してしまうという底が見えてしまって残念だったという話」

(中略)

馬鹿「このツリーにだけ必死に返してる時点で

大喜利見てこいつはバカだって侮ってたら ある分野で超えられない知識量があって自分が恥ずかしくなったと見える』

これが図星だったんだろ」

は?頭大丈夫かこいつ

言ってることはこういうことじゃん

馬鹿「◯◯なんだろ」

おれ「逆の✕✕です」

馬鹿反論してくるってことは◯◯なんだろ!どうだ図星だろう」

会話じゃなくてレスバトルしたいだけのクズ

人の気持ちを推察して外れたら癇癪を起こすクズ

それでもって自分絶対に間違わないという謎の自信を持っているクズ

そういうクズが水掛け論でのレスバトルを始めて言い返せなくなった時になにか言い返したくて出るのが図星という言葉なんだよな

他のシチュエーション図星という言葉を使われた・使ったことある

ないでしょ

図星っていう言葉負け犬による逃げ言葉って言うことを啓蒙していきたい



ほんまそれ

Baybridge むしろマジレス欲を抑えて100%大喜利コメで通せるブクマ化の方を尊敬する。

taruhachi 「図星を使うな。」はわかる。いくら否定しても、「深層心理でそう感じてるんだよ。あなたの行動はその裏返しだ。」という反証不可能な無敵理論が使えるので。

ほんまそれなよう言ってくれた


かに……?

Bosssuke そもそもブックマーク毎に人格が違うんですよね…。

複垢持てないかブクマごとに人格発生するのもやむなしか

増田も毎回別人格発生してるし

bokmal 専門領域マジレスしてる人が大喜利に精を出してると思えばコクが出るやん?男の娘社会人としてメンズスーツ着てたら二度美味しいみたいな…違うな?

hellshake ”大喜利で魅せる教養の高さが魅力だったのに、こんな場所承認欲求を出してしまうという底が見えてしまって残念” / 公の場で大喜利してる時点で承認欲求出てるだろ。承認欲求の求め方に貴賎を求めるな。

このあたりのコメントは最初命題を優しく諭してくれてるから助かる


本日MVP

baikoku_sensei 専門の話なんてせんもん!

やっぱり売国先生なんだよな

みんなも星付けてトップブコメに押し上げてくれ

2023-07-12

anond:20230711222009

職場女性は気付いていないなら騙されているのか、気付いた上で我慢させられてるか。

どっちにしろから受け入れていると決め付けるのをやめろ。

その「トランス女性」はれっきとした男性以外の何者でもないんだからちゃん男子トイレを使うべきでしょ。

「見た目が女性人物男子トイレに入ってきたら驚く」という男様の『お気持ち』を、どうして至上の命題の如く最重要視してやらなきゃならんのか。意味が分からない。

2023-07-08

命題クラスター弾ロシア軍に反転攻勢をしかけるウクライナ軍応援できるか」

これは名命題ですよ~~~~。

その人の持つ「戦争観」が浮き彫りになりますからね。

自衛隊トップアンケート取りたいぐらいですね。

私としては「クラスター弾のものが悪いんじゃなくて民間人に当たるような場所に撃ちこむのが悪いんでしょ」というのが昔からの考えなので、今回の場合は「応援」ですかね。

これが核兵器とかだったら微妙ですね―。

軍事基地のど真ん中に打ち込もうとしても途中で撃ち落とされたらだいぶ迷惑ですからね―。

それを言い出すとクラスター弾も途中で撃ち落とされたらアウトっちゃアウトですけど、そもそも撃ち落とされたら誤爆になりやすいのは全ての弾道兵器がそうですよね。

うーん、やっぱり戦争はその国の大統領同士が直接殴り合いで決めるべきじゃないですか?

でもそれだとプーチン有利すぎますね。

毒の入ったコップを用意して、それを沢山飲んだ国の勝ちみたいにします?

とりあえず大統領同士の殺し合いだけで蹴りつけたいですよね。

2023-07-02

anond:20230702155636

お前、高校数学まともに勉強しなかったのか? ある命題が真だからといって、必ずしもその逆が真になるわけじゃない

2023-06-27

anond:20230627102905

「真面目じゃないけど貧困じゃない」は命題じゃないか対偶は取れないぞ

「真面目じゃないならば貧困じゃない」なら対偶取ってもいいけど

論理学勉強した方が良い

anond:20230626183201

>俺は真面目じゃないけど貧困じゃないぞw

>だから真面目にやってる人間貧困にならないんだよ

????????

この論理が全く分からないんだが……

増田の状況を基準にすると、

(命題)真面目じゃないけど貧困じゃない

(逆)貧困じゃないけど真面目じゃない

(裏)真面目だけど貧困

(対偶)貧困だけど真面目

となって、寧ろ真面目に生きていても貧困になる事を証明しているんだが?

2023-06-22

anond:20230622110624

与えられた命題は「未婚ならばまともではない」なので、「既婚だがまともではない」増田は反例にならないぞ。

2023-06-21

anond:20230621214646

誰も否定できない命題は考えても意味ないものということだぞ。反証可能性でググっとけ(ChatGPTに聞くのでもいいよ)。

2023-06-11

論破王系エキストリーム極論野郎への対処

anond:20230611130551

論破王系は議論誘導うまい

論破王もよく使ってるんだけど、自分が有利な命題誘導しつつ、相手側に説明責任を発生させるのがうまいんだよね。今回で言えば『水着撮影会に害があるかどうか説明してみろよ』と言っておくことで相手側に説明責任を発生させている。またこれによってそれ以外の観点への反論に対しては「害があるかどうかの説明になってない」で返せる。

ここで冷静に考えてほしいんですけど、『水着撮影会に害があるかどうかを説明する』のってめちゃくちゃ難しいですよね。学術的に証明するためには莫大なコストが掛かるのはおいておくにしても、『害がある』という状態定義されていないのでいくらでもゴールポストを動かせるし、仮にそれが説明できたとしても『でもこういったメリットもあるからそれを上回る害であることを説明してください』で相手説明責任をおかわりできる。建設的な議論をする気がない、相手に勝つためだけの議論なんですよね。

論破王系への対処

議論しない

なんとでも取れる命題証明責任をふっかけてくる時点でまともな議論をすべき相手ではないです。無視しましょう

異なる角度から議論を試みる

基本は無視がいいのですが、どうしても相手をする必要がある場合相手土俵に上がらないようにしましょう。おそらく俺が議論したいのはそこではないとゴネてきますが、テメーの出した命題十分条件かもしれんが必要条件ではねえよと根気強く主張しましょう。相手は極論をぶつけるだけで知識がないので、可能であれば学術的な領域に引き釣り込みましょう。わかってくれるオーディエンスは、あなたの味方になってくれるはずです。

論破王系エキストリーム極論野郎への対処法(再追記しました)

anond:20230611130551

論破王系は議論誘導うまい

論破王もよく使ってるんだけど、自分が有利な命題誘導しつつ、相手側に説明責任を発生させるのがうまいんだよね。今回で言えば『水着撮影会に害があるかどうか説明してみろよ』と言っておくことで相手側に説明責任を発生させている。またこれによってそれ以外の観点への反論に対しては「害があるかどうかの説明になってない」で返せる。

ここで冷静に考えてほしいんですけど、『水着撮影会に害があるかどうかを説明する』のってめちゃくちゃ難しいですよね。学術的に証明するためには莫大なコストが掛かるのはおいておくにしても、『害がある』という状態定義されていないのでいくらでもゴールポストを動かせるし、仮にそれが説明できたとしても『でもこういったメリットもあるからそれを上回る害であることを説明してください』で相手説明責任をおかわりできる。建設的な議論をする気がない、相手に勝つためだけの議論なんですよね。

論破王系への対処

議論しない

なんとでも取れる命題証明責任をふっかけてくる時点でまともな議論をすべき相手ではないです。無視しましょう

異なる角度から議論を試みる

基本は無視がいいのですが、どうしても相手をする必要がある場合相手土俵に上がらないようにしましょう。おそらく俺が議論したいのはそこではないとゴネてきますが、テメーの出した命題十分条件かもしれんが必要条件ではねえよと根気強く主張しましょう。相手は極論をぶつけるだけで知識がないので、可能であれば学術的な領域に引き釣り込みましょう。わかってくれるオーディエンスは、あなたの味方になってくれるはずです。

追記

朝で時間も無いので一度簡単に書きます

規制理由必要ない」と読んだ人が多いようですが、そういった話はしていません。世の中の問題と言われているものは多くの論点内包していることが多く、それらを個別評価したうえで最終的な判断を下す必要がありますしか論破王系の論者は特定論点のみが重要であり相手の主張の必要条件であるかのように強調し、困難な証明を迫るのが得意なので相手にしない方が良い、と言う話です。

追記

https://twitter.com/oonomotohiro/status/1667878107750219777

埼玉県知事の短い連ツイの説明だけでも、今回の件は以下の要素を含んでいます

これらの問題は「水着撮影会のものに害があるか」という一点のみで議論できるのでしょうか。条件に違反していない業者川越水上公園で開催予定だった業者への対処や中止を求めた経緯は私も問題があると思いますが、開催許可条件に違反した業者についても同様に議論可能なのでしょうか。また県営である以上、県や地域住民意向が利用条件に反映されることについては一定の理があると思います。今回の件では私営プールを借りて実施することについては問題とされていないと思いますが、そういった数々の前提条件を無視して「水着撮影会のものの害」の証明を求めることは今回の議論のごく狭い一部分にスポットライトを当てているに過ぎずません。

一方で増田は「水着撮影会のものの害」が証明されることのみが重要であるように命題すり替え、そこから外れた議論拒否する姿勢を取っています。適切な前提条件に基づかない議論本質的無意味であり、当然に相手をする意味もないと考えます

またブコメでは害の有無を聞いているのに説明できないことが問題、という趣旨コメントが目立ちます上記の通りこの命題のもの元増田によって歪められてしまったものですし、極論によって命題すり替えて回答できない相手を追い詰める、ということこそが論破王系の典型的手法でありその手に乗るきはないと回答させてください。あと書いてないことを勝手に読み取ってブコメしてくる人は悪意があるのか、あるいはシンプルに頭悪いんでしょうか?

2023-06-10

anond:20230610161546

職業に貴賤はない。ならすべての職業は賎しくもないという事実は正しいというのが命題です。

ですが転売ヤーという小売業に対して、多くの人間は賎しいと判断しています

なら嘘だよねって言ってんだけど、日本語理解できる?

チョムスキーによるポストモダン評(1995年

 提唱された「脱構築」については (この当論でも話題になりましたが)、コメントのしようがありません。なぜなら、そのほとんどは、わたしには、ちんぷんかんぷんみえからです。しかしもし、これもまた深遠さを認識する能力わたしに欠如していることを示す表れのひとつに過ぎないのだとしたら、次の指針ははっきりします: その結果をわたしにも理解できるふつう言葉表現し直してください。そして、それがなぜ他の人々が以前から長らくやってきてし続けていることと異なっているのか、より良いのかを示してください。三音節用語や、支離滅裂文章や、誇張したレトリックなんかは(少なくともわたしにとっては)大部分無意味なのですから。そうしたら、わたしの欠陥も治ることでしょう──もっとも、それが治るものならば。

 世の中には、わたし理解していないことも、たくさんあります──たとえば、ニュートリノには質量があるか否かという最新の議論だとか、フェルマーの最終定理最近 (おそらく) 正しいと証明された方法だとか。しかし、この五十年間のゲームからわたしは二つのことを学びました: (1)その分野で仕事をしている友人に訊いて、わたし理解できるレベル説明してもらうことができる。そして彼らも、それほどの困難もなくそれができる。(2)もし自分に興味があるなら、もっと学習を進めて、理解できるようになることができる。さて、デリダラカン、リオタール、クリステヴァら──フーコーでさえ。彼のことは知っているし好きで、他の人々とはちょっと違ったけれど──は、わたしにも理解できないことを書きますしかし、(1)も(2) もできなかったのです。自分理解しているという誰ひとりとしてわたし説明することができず、分からなかったところを克服して勉強を続ける糸口もつかめませんでした。

 とにかくデリダを取り上げましょう、大御所のひとりです。わたしは、少なくとも彼の『グラマトロジー』を理解できるはずだと考えました、そして、読んでみました。少しは分かりました。たとえば、わたし自身よく知っていて何年も前にそれについて書いたことのある古典的文献の批判分析なんかは。哀れな誤読に基づいた、酷い学識だと判りました。そして彼の議論は、以前と変わらず、わたし子どもだった頃から慣れ親しんできたような水準にも及ばないままでした。そうですね、わたしが何かを見落としているのかも知れません: あり得ることです、しかし疑いは残ります。既に書いたように。繰り返しになりますが、証拠抜きのコメント申し訳ありません。でも問われたので、応えているのです。

 この手のカルト(わたしにはそう見えます)の人々のなかには、会ったことのある人もいます: たとえばフーコー (数時間議論もして、出版されています。多くの時間は楽しく対話しました。現実の諸問題について、きちんと理解可能言葉で──彼はフランス語で、わたし英語で)、ラカン(彼には何度か会って、おどけて完全に自覚的ペテン師だと思いました。カルト以前の初期の仕事意味のあるもので、それについては出版したものの中で論じたことがあります)、クリステヴァ(彼女が熱烈な毛沢東主義者だった頃に、少しだけ会ったことがありました)、などです。会ったことのない人もたくさんいます。なぜなら、そういったサークルからとても疎遠なところにいますから。選ぶとしたら、まったく異なる、幅広いところを好みますから──そういったところで、講演に行ったり、インタビューを受けたり、活動に参加したり、毎週のように十通以上長文の手紙を書いたりしていますわたしは、好奇心から、彼らの著作を手に取りました。しかし既に述べた理由から、それほど深入りしませんでした: 大仰に虚勢をはりながら、検証してみれば、大部分は単に無知なだけだと判りました。わたしのよく知っている(なかには、わたしが論じたこともある)文献を異様な誤読して、議論はいつも初歩的な自己反省の欠落したひどいもので、主張の多くは(複雑な饒舌で装飾されていても)当り前か間違っているもので、かなりの部分はまったくちんぷんかんぷんものでした。他の分野で自分理解できなかったところでするように続けると、上に挙げた(1)と(2)に係わるような問題にぶつかります。ですからデリダわたしの言う人々のひとりで、これが深入りしない理由です。

 フーコーの具体的な例のいくつかは (たとえば、18世紀刑罰手法など) は興味深く思います、そして、その正確さを調査するだけの価値がありますしかし、その「理論」というのは、他の多くの人々が何か深遠なものが絡むと装ったりせずシンプル表現したことを、異様に複雑にして膨張させたものしかありません。

 そして事実、どれも分かりきったことばかりです。こういった自明なことが興味深いのは、透けて見えるその原理ではなく、人々にとって重要な具体的な事例でそれ自体がどのように機能するかを示すことです: 介入や攻撃搾取テロ、「自由市場」の詐称、など。こういったことはフーコー著作にはみられません。わたし理解できる文章を書き「理論家」として知識人界に属していないような人々の著作には、たくさんあるのですが。

 そのシンプルで慣れ親しんだ考えから 複雑で思わせぶりなレトリックを剥ぎ取ったら「理論的構築物」という程のものは何もないということです。

 【https://rootless.org/chomsky/postmodern_cults】より

 ついでにチョムスキーによるジジェクラカン

たとえば科学であるとか、何であれまじめにやっている分野でなじみがあるような理論なんてのはジジェク仕事のどこを探したってありはしないのです。こころみに、ジジェクのすべての仕事のなかから結論の引き出せるような原則や、12の子どもに5分で説明できるレベルを超えるような経験的に例証可能命題を見つけ出してごらんなさい。あるいは、けばけばしい言い回しを言い換えることができるかどうか。私にはできません。だから、そういうはったりには興味がないし、ジジェクはそういうはったりの顕著な例だと思います。で、ジャック・ラカンについてですが、彼とはじっさいに知己があったんですよ。彼のことは好きでしたし、ときおり会いもしていました。ただ、率直に言って、彼はまったくのペテン師だったと思いますね。ラカンがしていたことと言えば、テレビカメラの前でポーズを決めることだけ、ですよ。パリ知識人の多くがやっているようにね。それで、なぜこういうはったりが影響力を持つのか。私にはその理由がまったく分かりません。そこには影響力を持ってしかるべき要素はぜんぜんないわけですし。それで、色んな人がそういう「理論」の重要性について私に説明するのですが、やっぱり理解できませんね。まあ、そういう次第なので、ほんとうは理論なんてないのにあるふりをする空疎なはったりには興味はないわけです。

 【http://hblo.blog.shinobi.jp/Entry/2544/】より

2023-06-04

anond:20230604211526

から食事制限ダイエットというのは無理なんだよ。

痩せるのは、あくま過程であって終着駅ではない。

 

とはいえ実際のところは、週に一回くらい爆食いしたところで他の日に節制していれば太ることはない。

そういうダイエット法もある。いわゆる解禁日を設けてストレスをためこまない方法

でも、結局その週に一回とか年に数回がきっかけになって元の食生活に戻るというのが人の理なんだ。

なんせ、食うことは本能に根ざしているからな。

酒やシャブタバコをやめることとは意味が違う。

 

から、だからこそ運動しろ、って話になるんだよ。

運動は確かに始めるには苦労するが習慣化さえ達成してしまえば、あとは惰性で続けることも不可能ではない。

痩せるためには、食事制限運動、あるいはその組み合わせ、のどれが効率がいいのか?

という命題があるが、ただ単に痩せるだけの問題であればもっと効率がいいものを選べばいい。

しかし、痩せている状態を維持するためには、結局両方の組み合わせを併用するしかないのだ。

2023-06-01

人に「センスない」って言っているやつが一番センスない

https://qiita.com/saetegaljewp/items/60a3580d8f08a53679c6


センスのあるなしではなく、

誤って語っていることを、誤りだと指摘されているだけです。


存在措定が問題になるのは「会話の含意」「伝統的論理学」の文脈においてであって、

現代論理学、数理論理学においては、存在措定は問題になりません。

なぜなら、現代論理学存在措定してないからです。


伝統的論理学は「存在措定」しているから、問題になります


伝統的論理学三段論法説明します。(以下の例は存在措定してる例)

1.すべてのSはMである

2.すべてのPはSである

3.あるPはMである

このとき、Pであるような何かが存在しない限り、1と2から3を導くことができません。

したがって伝統的論理学は隠れた前提として「存在措定」が成されている、と指摘されているわけです。


現代論理学はそのような存在措定をしていません。

からこそ、空集合を前提しても、命題が真であることを帰結できるのです。

そして、ここでセンス云々問われている問題が前提している論理の体系は、現代論理学であって、伝統的論理学ではありません。


なので、存在措定の話はしないでください。

それは伝統的論理学文脈の話であって、もともとの話が前提してる数理論理学とは直接的関係を持たない話題です。


しかし、命題にはP(x)に対する前提が隠蔽されており、この「P(x)なもの存在する」という隠れた前提(これを存在措定と言います)を勝手に補って読んでいるのです。

存在措定してるのは、「前件が空集合ならfalseが返されるべきだ」と主張してる側であることを理解してください。

なぜなら、「存在していないもの命題Pを適用できないはずだ」という主張は、まさに、「集合に対する存在の措定」を前提しているからです。

trueを返すべきと主張する側は、そのような「集合に対する存在措定」を前提していないからこそ、trueが返るべきだという話をしています

前者が伝統的論理学であり、後者が数理論理学立場です。


また、プログラミングにおいては、論理の体系を自然言語に近づけるべきだとは、(私は)考えません。

しろ自然言語あいまいさを排除されるべきだと考えます

そして、自然言語あいまいさを排除すれば、「AならばB」という文の意味論理包含となります

まり、前件が偽であれば、命題は真となります


実装仕様がどうあるべきかという議論は、まず、この前提に立ったうえで行われるべきです。

2023-05-26

anond:20230526103221

すべての女はかわいいという命題をもってるから、ブスは女ではないという対偶が成立して、結果ブスは無視されるんだよ。おわかり?

anond:20230525170842

知性的と思われてる人が多数ポリコレを支持しているからと言って、ポリコレ=知性という命題が成立するわけじゃないぞ

キョロキョロしてるだけの無能が、ポリコレに盲従しているだけかもしれない

2023-05-21

anond:20230521122903

結局それは三次元球面で起こることの二次元平面上でのモデリングでそうなった時点で三次元球面と数学的には区別がつかないんじゃなかったか

物体が球面として実在するのか平面として実在するのかは物理学としては意味をなさな命題だ。ただループするという挙動が起こればそれは代表的には球面と同相ってことだろう

2023-05-16

2.5次元作品舞台若手俳優多数出演舞台での高額転売本人確認対応

チケット名義と実際に入場・着席した人物が一致しているか劇場スタッフ確認し、着席の可否がその場で判定されることを本人確認と呼ぶ。

本人確認所謂、高額転売にへの対策の一つでチケット申込みの際に『本人確認をする場合がある』と注意書きされる場合、または公演日が近づいた時点で公式実施すると言えば、入場者は容易に拒否出来るものではない。

そもそも、なぜ観客は入場チケットの入手経路の如何を問われなければならないのか。

偽造したチケットでは無ければ、

高額転売だろうが定価以下で購入したチケットだろうが一枚のチケットを買っている事には変わらない。

しかも昨今のチケット販売形態の多くが座る席を選ぶことが出来ず、抽選によりランダム座席が決定される。

最前列のど真ん中だろうが、一席隣は見切れ席だろうが、2階席だろうが同じ金額販売されることは少なくない。

価値が同じわけがないだろう。

末席でも最前列でも同じだというなら、積極的に後ろに行ってくれ。なんなら当日末席の人間に声を掛けて『私はどこでもいいのでこの最前に座ってください』と声を掛ければ二つ返事で席を変わってくれる人間は必ずいる。

この販売形態は十分に高額転売が発生する要因になっている。

そもそも観客の大半は金額に見合った席を選んで購入しているわけではないのだ。

公式金額に納得できる席を選んで買わせてくれないとなれば、個人取引により席の価値に見合う売買の市場が生まれしまうのも必然ではないだろうか。

高額転売というと昨今、2.5次元作品舞台若手俳優多数出演舞台ではやたらと目の敵にされやすい。

そもそもの売り方がアコギから、観客同士が価値を決め取引をする市場が発生しているというのに、何故か客が客を目の敵にする事態も多く見られる。

席により価値が異なることを理解し、資本主義に則り価値に見合う金額取引をしようという客がいる一方で、兎にも角にも『公式プレイガイドでの購入・定価(+手数料)』に強く拘る客というのもまた存在しているのだ。

そしてこの定価に拘る客というのは何故か高額で取引されていることを強く非難する。自分がその取引市場を利用し、不利益を被るわけでもないのにだ。

この層が信仰している説の一つが『転売ヤーが購入しなければ自分が買えていたはず』という説だ。

これは全く論理的ではなく、根拠もない説なのだが根強い支持を受けている。

自分落選・購入出来なかった事と別の人間当選・購入出来ることは別だ。

チケット当選・購入を果たした人間がその後  チケットをどうするかは当選落選とは更に全く別問題であるはずだ。

しかしなぜか、『転売ヤーが当選するから自分たちが購入出来なかった。高額転売する者からチケットを購入するものも悪である』と飛躍した論理価値に見合った個人取引を行おうとする者たちを激しくバッシングする。

参加しないのであれば無関係を決め込み、関わらなければ良いだけなのに。

ここで掲題の『本人確認』に戻る。

個人取引によりプレイガイドから購入した人間とその人間から購入した人間存在することで『実際に入場する人間購入者ではない』という事態になる。

これを問題としていない(というか、問題にはおもっていても特に手を打っていない)2.5次元作品舞台若手俳優多数出演舞台は多く、チケットもぎりの際にその名義を確認しない作品の方が主流だろう。

当然だ。

チケット正規のものである以上、入場を拒む理由本来は無いだろう。

チケットの高額転売自体は裁かれるべき罪であるしかし、『それは罪だ』と司法の場に出して始めてお裁きとなるのだ。

チケットもぎりをしているのは裁判所ではない。

興行チケットを入場時に提示することが出来れば、入場させた方がスムーズだ、興行に変なストレスが発生することもない。

入場時に本人確認を行うとなれば、本来は1秒で終わる入場の為のチケットもぎりにじっくり時間をかけますということになる。当然、開場から開演までにそのような時間を十分に取るのは現実的にほぼ不可能だ。

本人確認に十分な時間はとれなかったとしてもチケットを持っている観客は『チケットを持っている』ので入場の権利及び開演時間までに着席する権利がある。

その権利を脅かすことはチケット代金の価値を削ることになり、不利益と与えたとされる可能性をとしてはリスクが高いだろう。

そんな要らぬリスクを負いたがる運営の方が珍しいのは必然である

しかし全員は無理でもランダムに人数を絞って行うということは可能だろう。

そしてたまたた該当の『購入者と入場者が異なる』観客を排除することに成功すれば、見せしめとしての効果も高い。

これをやたらと喜ぶのは前述の『転売ヤーが購入しなければ自分が買えていたはず』論者に多い。

よくぞやってくれた!と運営を褒め称える。

劇場からは離れた場所から

全く解せない。

なぜ入手経路の如何により公式販売した『正規チケット』を提示しているのに入場を拒否されなければならないのか。

本人確認という命題のもと、個人情報を見ず知らずの他人に見せなければならないのか。

転売ヤー許すまじという正義感を満たす以上の何を為しているというのか証明をして貰いたい。

悪を断罪しているというなら入場を拒否したチケット保持者を裁判所へしょっ引くだけの責任果たしているのか?何も為していないなら、その幼稚で雑な行為は改めて貰いたい。

入場時の本人確認による入場拒否は高額転売を無くすことはできない。

チケット価値が適正でない以上、売る者は売り、必要な者は買う。

高額転売において劇場キャパティ需要の不一致による入手困難による転売価格の高騰もまた問題ではあるが、これも結局のところ必要としている者と購入者が異なり、チケット代金以上の価値が生まれしまうという点では同じなので割愛する

2.5次元作品若手俳優多数出演舞作品において、今後中売りという行為が先に主流になるか、本人確認リスクを負うことを運営現状維持となるか今後が楽しみではある。



本人確認炎上する舞台作品は稀にあるが、

果たしてその炎上に見合うだけの作品なのだろうか、甚だ疑問である

これは個人の主張であるが、座席ごとチケット価格販売方法を設定して欲しい。

先ずは納得できる商品を納得して買うという当たり前のことを整備して欲しい。

その上で入場者が『納得して購入した人間であることを確認して欲しい。

また別の問題ではあるが、入場を拒否されてもチケット代が2、3,000円ならまだ溜飲が下がるかもしれない。

しかし実際は10,000円以上する作品が多い。

この一億総貧困社会で、一万円はシンプルに大きな金額だ。火を灯して灯りにするには勿体ないというのが一般的価値観だろう。

しかし入場を果たせないチケットゴミだ、燃やすしかない。

更に、そもそも果たして本当にその作品に一万円以上の価値はあるだろうか。

価値を見出す、という意味では観客本人の満足度である程度はチケット代金分をペイすることが出来るだろう。

しかし、パフォーマンスレベルだけで推し量った時、この世に数多溢れるようになった2.5次元舞台はそのいくつが一万円の価値がある作品だろうか。

パフォーマンスレベルが水準を満たさな場合ほど、推しに少しでも近い席や見やすい席、ここに座って推しを見たいという拘りが生まれチケット定価では量ることが出来ない『価値』は生まれしまうのだ。そこでやっとペイすることが出来るのだ。

2023-05-14

クソゲー叩きクソアニメ叩きってもしかしてハラスメントだったのか?

カスハララインがよく分からない。

不味い料理を不味いと口にするのは許されると思う。

それは感想しかいから。

だけどそれを「こんなの出してる味覚障害に金払う必要があるとか飲食業って本当簡単だよなぁ?」と言いながら会計して出ていったらカスハラになるかも知れない。

どうなんだろうまだ大丈夫かな?

たとえば店の前で「この店は超まずいですよ~~~」と大声で叫んだら流石に業務妨害も通るんじゃないのか?

いわゆる「ハラスメント」ってのは窃盗罪万引きに言い換えるようなものなのでは?

まり、「お前はそれがヤンチャで済むと思ってるのか?そろそろ弁護士呼んで蹴りつけるから震えて眠れ」を意味しているのでは?

じゃあ俺たちがやってきたクソゲー叩きってどうだったんだろう。

多分きっと間違いなく恐らく絶対メイビーで「この会社作品がこれ以上世に出回らないように、売上を下げなければ」という使命感があったはずだ。

それはクソゲーを掴まされたことに対しての正義の怒りであり、言うなれば詐欺にあった被害者の訴えとして存在していたんだと思う。

まりそこには業務妨害をしようという明確な意志があり、それが詐欺被害者という立場から来る特例によって許されると信じていたんだ。

食べログに騙されて不味い料理を食わされた客が、それを詐欺だと感じて相手詐欺師ならこっちもある程度は強気に出てもいいだろうと暴言を吐いて回るのと同じ思考回路で。

でもそれは単に今まで訴えられてなかっただけで、いつ訴えられてもおかしくなかったこと、要するに「ハラスメント」だったんじゃねーのかと。

インターネットを通じて気軽にレビューが出来るようになった直後、気に食わないものコテンパンに叩くのを当たり前だと人類が考えた時代があった。

それが一段落したあとに今度はそうやって自分趣味嗜好で人様の作ったものをボロカスに言う事の是非が問われるようになった。

トドのつまり、どっちも流行りに乗っかって手当たり次第に言葉暴力合法的に振り回したかった人達による叩いていい認定ブームだった気はしないでもないのだが。

そして今、「クズに対してクズというのは正当なレビュー」という人類が長年守ってきた文化に対して「ハラスメント」という概念から疑問符が投げかけられている。

ツイッターにおける誹謗中傷に対して弁護士が出てくることも増えた。

この時代価値観で振り返ってみると、クソゲーから何を言ってもいいし晒し上げにしてお祭り化してもいいという考えはかなりアウトに思える。

上辺で「愛がなければ出来ない」というくだらん言い訳をした所で、それは学校イジメにおける「弄りを通してクラスに馴染んで欲しかった」と同じようなもんじゃないのかと。

KOTY文化が滅びるのが間に合ってよかった……。

もしもあと5年も続けていれば、いよいよどこかの会社がブチ切れて殴り込んできたんじゃないだろうか?

2000年頃のインターネット価値観世間一般価値観においてはまだそういった行為は単なるお遊びで済んでいた。

でも今の時代価値観で見るとそれはかなり危険行為になっている。

時代の変化によりモラルラインが変動しているということだ。

昭和時代他人をぶん殴るというのは割りと一般的なことで、ちょっとした口論から派生して手が出るのはそんなに珍しいことではなかった。

それは「殴る」という行為が持つ意味、重さが今とは違ったからだ。

今の時代において「殴る」というのは最終手段としての面が強い。

論理を飛び越えて物理的に相手言動排除しようと試みることは、社会における通常の枠組みの外に位置しているのだ。

たとえばこれが原始時代であれば、暴力によって気に食わないもの排除するのは一般的だった。

気に食わないもの排除してから死人に口がないのを良いことに好き放題に自分に都合がいい理論暴力を振るったあとに語るのは通常の営みであった。

それは実際に「決闘」というシステムとして社会に組み込まれていた。

だがいつしか決闘禁止され、現代においても決闘を挑んだ時点で6か月以上2年以下の懲役が課せられるように法律で決まっている。

暴力を通して自分意見を通すことは、原始社会においては許されていたが、現代社会においては禁じ手なのだ

これは実に明確な「時代によるモラルの変動」の例だと言える。

同じように現代においては「相手罵声を浴びせる」ということにより相手心理的に追い詰めることも禁止されつつある。

現代社会において人類論理的に振る舞うことを目指している部分が強く、都合の悪い他者社会から葬り去ろうにもそこには論理的な手段が求められる。

たとえばそれは権力構造であったり金銭の流れであったり法律であったりだ。

そういったものを通すことなく「相手精神的な負荷をかける」ことによって自分の都合を通すことは、現代的でないものとして次々に禁止されてきている。

気に食わない商品に対してマイナスイメージを広めることで市場から追放することは、果たして論理的に正当な手段を用いているのだろうか?

ここからは完全に私個人価値観によるものだ。

クソゲーを掴まされた時に辛辣レビューを通して次に購入しようとした人に警鐘を鳴らすのはセーフなのか」を命題とする。

この場合、「一個人レビュー範疇に収まるか」によってその是非決定されると私は考えている。

それは以下の5つの条件を満たしているかによって決まる。

レビュー手段として正当な方法

②一個人が語る文量/回数として決して多すぎない範囲

あくまゲームの内容に対しての批判

脅迫を伴わない

他者扇動しようとする意図がない

それぞれの反例をあげてみる

①’販売店舗にて「クソゲー絶対買ってはいけません!」と言うテロップ勝手に貼る

②’複数アカウント作成してレビューサイトに何度も批判を書き込む

③’製作者の人格や経歴についての批判ゲームレビューに持ち込む

④’「次回作はこうしないと会社を爆破します」

⑤’「本当にクソゲーですよね。皆さんの意見を集めて投書したいと思います

こういったことをね、本当にやっていた人がいたんですよね……インターネット歴史の中では……マジで……

このレベルのことをしていないなら、今の価値観でも大丈夫だと思う。

でも最後の⑤が結構難しい。

反例として挙げたのは明確にアウトな行為だと思うが、そこより下のラインでどこからアウトになっているのかがよく見えない。

「このクソゲー酷すぎwww」と書き込んだ時点でそこには「皆も一緒に叩こうぜ!」という意思はあるんじゃないだろうか?

だったらそれはレビューサイトにてあらゆる批判をすること自体ある意味扇動意思があることになってしまう。

まあ実際にそれは事実で、あと50年もしたらレビューなんてものが完全に禁止されるのかも知れないわけだが。

現状においてのセーフラインはどこかにあるはずだ。

でもそれは会社によっても、製作者によっても、その時の空気によっても、そして刻一刻と変わっていってるわけで。

そこが見えないんだよな。

いね

公式発表がないままストライクゾーンが変わっていくようなもんだよ。

アプデ告知のないオンラインゲームみたいなもんだ。

おい運営どうなってんだよ。

マジでクソゲーすぎませんか?

皆さんどう思います

2023-05-11

anond:20230511153624

別にblueboyを批判するわけではないが、やはりよくないいいようであったように思う。

 

自分のせいでこうなったと思う』ならば『身が引き締まる』

という命題対偶は、

『身が引き締まっていない』ならば『自分のせいでこうなったと思っていない』

になる。

文脈からblueboyは『身が引き締まっていないかマック創作活動してる』と感じているのが明らかなので、そのブコメは、

自分が原因だと思ってないの?」

という意味になる。

 

子供発達障害などについて、「自分が原因かもしれない」と思ってる人に「自分が原因だと思ってないの?」という問いかけはよくない。

自閉症の原因は父親だけではないので、母親に対して、

自分のせいでこうなったと思えば、夫の趣味に対しても寛容になれるだろ」

と言えてしまう。

 

また、育児仕事趣味の、いわゆるワークライフバランス問題について『本人の心の持ち方の話』とするのは、いかにも古典的精神論だ。

仕事があるだけでもありがたいと思えば、残業できる」→「残業できないのは、仕事があることをありがたく思っていないのか?」

と同じ構造である

もちろん、心の持ちようによって解決する問題もあるが、それは当人自己暗示として唱えるものであると思う。

第三者が「こういう自己暗示をしなよ」というのは、マインドコントロールじみていて好きではない。

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