はてなキーワード: 右翼的とは
ネットで匿名で右翼的発言を主張する人たちを表す名称としてネトウヨという言葉がしばらく使われていた。
WCの日韓共同開催で嫌韓から日本への愛国心に目覚めたネット世代の人たちが発端と思っていた。
自分も、WCのときは韓国に対する意識がかなり悪化したので、気持ちは分かると思っていた。
その後俺たちの麻生を経て安倍晋三のネット応援団となった様子を見ていて、面白くて強そうなのに乗っかるポピュリズムだなあぁと思っていた。
モリカケサクラで公文書廃棄や改竄疑いすらも擁護する論調に、ネトウヨにとっての愛国って何なんだ?と疑問が沸いてきた。
DAPPIのように商売でも、統一教会信者のように洗脳済みでもないなら、なぜ彼らは擁護するのか?
自分が信じてきたもの(安倍晋三)の正当性と矛盾する事柄を認めることが出来ないのかと思っている。
それは、統一教会の洗脳結果でもある、信じさえすれば悩まなくていい、自分の頭で考えなくていい状態とほぼ同じ。
そんな彼らに言いたい。そこに愛はあるんかい!
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4000612484
某宗教団体のメディアのヴォルデモート対応の理由を考えたとき、この事件が思い浮かんだので読んでみた。
実際の本人に取材できなかった対象は仮名にしていて分かりにくかったり(アルファベット表記で巻末に一覧説明入れてもらえると有難かった)、冒頭事件を小説仕立てにしているのがかえってわかりにくいなど、本としての評価は個人的には微妙。
が、事件発生から定年後まで、半生をかけて誠実に取材をつづけた結果の集大成であることは伝わった。
肝心の内容だが、警察の捜査線上に上がった人物・団体、関係事件への取材をまとめたものを読んでいくと、いや、これかなりの確率で犯人は統一教会以外考えられないのではと思えてしまう。
もちろん本では否定している。
"繰返して述べてきたように、赤報隊による一連の事件と統一教会を結びつける証拠はない。計八通の犯行声明文、脅迫状に統一教会の思想・宗教的信条を匂わせる文言はない。頻繁に登場した「反日分子」という文言が無機質で、日本の右翼の心情に合わないとの意見を述べた右翼活動家もいたが、それが統一教会に特有の文言というわけではない。散弾銃や次元爆破装置などが使われた一連の犯行形態も、統一教会に直接結びつくものではない。統一教会は各地で鉄砲店や射撃場を展開していた。(略)それを根拠に赤報隊の招待を統一教会に結びつけることは出来ない"
だが、一方、赤報隊の犯人像は犯行の証拠から以下のような条件が浮かんでくる。
④一連の襲撃事件を警察に捕まらずに次々実行できる全国規模の組織力
①と②はほぼ同じと考えることもできるが、テロ行為を実行までするほど追い込まれていた組織はどこかと考えると、他の右翼団体は、南京大虐殺の有無をめぐって朝日と喧嘩していたが、収益源である霊感商法を朝日新聞の記事で潰されそうになっていた統一教会の切実さがダントツだろう。
③と④は、本の中で、当時統一教会が特殊部隊を内部に編成させ韓国軍や自衛隊の演習に参加させて武器のあつかいの訓練をさせていたという複数の証言を載せている
以下は文中印象的だった箇所の引用。
「何年も渡って犯行を続け、操作も完全に行き詰った。こうした事件は、やわな右翼では起こせない。統一教会ではないのか。(韓国系の宗教団体なのに靖国参拝を求める脅迫状を出したのは)本心のキーワードを書くし、右翼を装っているのだ。テロ事件を繰り返すには強固な秘密組織が必要だ。右翼には秘密組織など作れない」
「連中の持っている宗教は恐ろしい。人間をすっかり変えてしまう。彼らの心は天皇陛下ではなく教祖に向かっている。親や兄弟を犠牲にしてでも教祖に付き従う。朝日新聞襲撃も勝共連合の可能性があると私は思う。資金源や縄張りの争奪をめぐってやくざは命を懸けて抗争する。勝共連合にとっても、朝日の霊感商法批判キャンペーンは、経済的に死活問題だ。命を懸けて守ろうとしても何ら不思議はない」
①反共主義②戦後体制否定・戦前回帰③反米主義④靖国公式参拝⑤教科書問題⑥日教組攻撃⑦領土問題⑧皇室護持⑨北朝鮮拉致問題⑩アジア主義
「①~⑤については赤報隊も犯行声明文や脅迫状の文面で触れている。(略)⑥~⑩のテーマにはほとんど触れていない。とりわけ⑧の「皇室護持」について触れていないのは、右翼の存在証明とも言えるテーマだけにどうしても気になる」
同封された使用済み散弾銃の銃弾容器は、犯行に使われたものと同じレミントン・ピータース7.5号弾。
この情報は当時まだ報道されておらず犯人しか知りえない情報だった。消印は渋谷郵便局で、当時統一教会本部は渋谷区の住宅街にあった。
事件の3か月前、1987/2/26川崎郵便局の消印で差出人統一教会で送られた脅迫状。
「ソ連のスパイ朝日社員どもに告ぐ。俺たちはきさまらのガキを車でひき殺すことにした。朝日の経営権を三日以内におれたちにゆずれ。さもないとてめえらの社員のガキを車でひき殺す。俺達には岸元首相や福田元首相が付いている。警察は俺たちの操り人形だ。俺たちが何をしても罪にはならない。おまけに俺たちが殺すのは共産サタンで人間ではない。てめえらばい菌だ、サタンだ。俺はこの世に(教祖実名)様のため共産サタンを殺すために生まれてきた。共産サタンを殺すことが俺の生きがいだ。俺はM16ライフルを持っている。韓国で軍事訓練を受けてきた。今にてめえら共産サタンを皆殺しにしてやる。だがその前にてめえらサタンのガキをひき殺してやる。三日だけ待つ。関東の社員のガキとは限らない。全国の朝日のサタンのガキを狙ってひき殺す。俺の仲間も大賛成だ。警察に行っても無駄だぞ。警察はおれたちの味方だ。おれたちが岸元首相に言えば警察署長の首が飛ぶ。いいか、これは脅しではない。三日以内に社員のガキが交通事故で死んでもほえずらかくな。なんだったら社会部の記者のガキからやってやるぞ。てめえらのようなアカサタンを殺すのが俺たちの教祖様から与えられた神聖な使命だ。必ず殺してやる。サタン皆殺しだ」
1987年3月半ば、大阪西中島ビルで霊感商法店舗で働く信者100人が集められたときの統一教会のある幹部の発言
「警察の上の方の人は、私たちのことを理解している。しかし、下の方は事情を知らず、単なる正義感、常識、法律で私たちを攻撃している。彼らは何もわかっていない。(略)」
安倍元首相が亡くなって、右翼側が結束を強めるのはわかる。自民党安倍派の動きを見ていても、影響力を維持するのに必死な様子だ。
例えば、今、極左から過去の発言を掘り返されるなどして執拗に叩かれている東浩紀氏や三浦瑠麗氏なんて、安倍元首相の国粋主義的な思想については批判する立場で、思想的にも完全に左派。なんなら、彼らは立憲に投票したと公言していたりもする。
彼らは共産主義者ではないし、昨今の左派の振る舞いに問題提起をしている立場でもあって、およそ中道左派くらいの立ち位置だとは思われるが、なんでこのタイミングで共産主義者などの極左が中道左派を叩いているのか、ここが完全に意味不明。
国家観が右翼的な安倍元首相という重しがなくなったことで、極左の叩く先が左にブレたのかなとも思うけれど、こんな程度のことで最も味方につけやすい陣営をこけにして敵を増やすのが極左のやり方なのだろうか。こんなところで内ゲバをしているようでは政権奪取なんて夢のまた夢ではないかな。
なんだか右翼に比べた場合の左翼の精神的未熟さ、つまり「目的達成のために清濁合わせ飲みながら仕事を遂行する」という、多様な意見のある社会の中で意見を取りまとめるための折衷力のなさが、あまりにも見すぼらしく顕在化しているような状況な気がするんだよなぁ。
中道左派政党であるところの立憲が極左から少しずつ距離をとり始めたところだけは、ほんの少しだけこの国にとって希望だと思う。
本質を表しておらず、歴史上のとある議会の座席位置を参照する名称だ。コードレビューでこんな変数名でてきたとしたら修正されるだろ。
だって今、右翼が韓国発宗教が国家中枢に絡みついてるのを有耶無耶にしてて、左翼が激しく糾弾してんだぞ。意味わからんだろ。
ちょっと前まで右翼が「韓国とかありえん」って怒って、左翼が「韓国を差別するな」って怒ってなかったか?
やはり政治的なポジションってのは表で示されるべきだな。列名が「賛成、反対」で行に各政治的トピックが並んでるやつ。
それをもとにクラスタリングしたら右翼的な固まりだったりはあるんだろうけど。
ただ、クラスタリングする意味は薄いと思う。自分は右派だというアイデンティティや帰属意識を持ってしまうと、元々持ってた論理が破綻したり、意見の多様性が失われたりしそうだから良くないね。
昭和48年(1973).6.11〔国士舘生が朝鮮学校生襲うなど大暴れ〕
東京都新宿区の新宿駅ホームで、ラッシュ時の人混みの中、国士舘高校生20人と朝鮮中高級学校生20人が乱闘となり、
喫茶店のガラスが割られ、突き飛ばされた老女(70)が階段から転げ落ちて2週間のケガを負った。
翌12日、高田馬場駅で国士舘大学生20人が「朝鮮人をぶっ殺してやる」と朝鮮中高級学校生を木刀で襲い、電車のガラスを割って3人逮捕。
5.12に国士舘大学生2人が和光高校生数人を襲い重傷を負わせ、
5.22に国士舘高校1年生(15)が他校生に暴行を加えて木につかまってミンミンゼミのマネをさせ、
6.2には国士舘大学1年生2人(18,19)が小田急線電車内で東京芸大講師(32)にからんで重傷を負わせ、
6.5には国士館大学1年生3人が小田急線電車内の吊革14本をナイフで切断して逮捕されるなど事件が続いており、
国士舘の右翼的教育方針に原因があるのではないかと国会でも取り上げられ大問題となった。
川崎市中原区小杉町の国鉄・東横線武蔵小杉駅前広場で、地元高校生三人が国士舘高校生ら二人に千円を脅し取られた事件を
調べている川崎中原署は19日までに横浜市港北区、国士舘高校1年A(15)を恐喝と暴行の疑いで補導、書類送検した。
5月22日午後4時ころ、同駅バスターミナルで地元高校生十人がバスを待っていたところ、
二人が来て「お前たち態度が大きい。おれたちは国士舘だ。金を出せ」と脅し、
近くでこれを見たC君(16)が注意したところ、二人は「生意気だ」とC君の顔を殴り、腹や背中を蹴るなど乱暴した。
さらにこれを見たD君(16)が止めに入ったところ、「やる気か、国士舘をナメるな。ミンミンゼミをやれば許してやる」と言われた。
「ミンミンゼミ」とは木などにつかまりセミの鳴きまねをするもので、同署の調べでは国士舘内部で上級生が下級生のシゴキに行っているもの。
不思議に思うことがある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kanaloco.jp/news/government/article-881257.html
左翼界隈はいまだに安部元首相が首相だと思っている。もしくはこの人を愛憎しているというしかないことがある。
右翼的にも、とくの昔に飽きられた人で、私や世間の感覚でいうと二代前の首相など記憶に薄れてくるころ合いなのだが、
左翼というかはてサの間ではまだあくる日の英雄譚を語るように、延々と二代前の首相を述べている。
おそらく来週首相が変わり、三大前の首相になろうと安倍元首相のことを語り続け、
前評判が芳しくないのを知りつつ見てきた。ゲタゲタ笑った。半分くらいは失笑だったとはいえ、隣の人に迷惑だったかもしれないほど笑ったさ。劇場を出て気づいた。これは嘲笑の笑いだと。
私は世代的には氷河期世代の下でゆとり世代の上、「プレッシャー世代」とか言うらしいがその名で呼ばれたことはほとんどない。氷河期後の束の間の春を謳歌することを許された世代だ。ネットでは上の世代が藁と言い、下の世代が草という中、山程の芝を生やして笑っていた世代だ。ネットで必死な右翼の書き込みを、カバオくんのAAにして笑ってきた世代だ。つまり嘲笑するのが大好きだった世代だ。
この映画のメインの部分は「今の政府はマヌケだから本気にせず適当に笑っておけ。(帯刀アラタの形をした)イデオロギーさえ信じていれば、眼前の問題はそのうち都合のいい神がなんとかしてくれる。」に尽きる。「シン・ゴジラ」が右翼的な感性に近く、「あとしまつ」は左翼的な感性に近い。私が笑えたのは私の中のそういう部分をくすぐってくれたからだろう。脚本の三木聡はバブル世代の人間であり、感性が合ってしまうのはそういうことなんだろうさ。
一方で、かつての左翼の象徴だった立憲は相変わらず不調続き、ネットが芝を使うのをやめたように、我々の世代も上や下の世代の苦しみと付き合ううちに、この手の感性を悪いことだと認識するようになって来ている。その結果が「あとしまつ」への大酷評であるのもよく分かる。