はてなキーワード: 前頭とは
https://anond.hatelabo.jp/20180731154251
口コミを紹介しとくね
もう8年もお世話になっております。頭髪の薄さは遺伝とあきらめておりました。
今ではまぁそこそこのフサフサで本当にありがたく感謝しています。
薬の効能をよく読むと精子の量の事が書いてありまさかと思いますが2年程前から極端に精液が少ない状態になってしまいました。
これはこれでショックで悲しい現実なのです。
頭をとるか下のアッチをとるか現実はキビシイです。やりたい意欲は前と変わりませんが精液が極端に少ないこれはなさけなくツライ問題です。よくそういうリスクもわかるべきなのです。
服用して1年ほどたちました。
そうゆう時期なのかと思ってやりすごしています。
抜け毛もたいした本数ではないので
気にはしていませんが、現状維持で!
使い続けて約4年、発毛に関してはわかりませんが脱毛は抑えられている気はします。
今のところは現状維持といったところでしょうか?
脱毛は避けたいのでミノキシジルと共に使い続けて現在の髪を死守します。
つむじは改善しましたがM時はあまり変化は確認できませんでした。
「ミノキシジルとフィンペシアの併用でかなりの効果が出た」と言う友人の奨めにより自分も服用開始。2ヶ月で効果が見え始めました。今では前頭部の生え際はかなり復活。また密度もほぼ申し分ない状態です。頭頂部に関しては前頭部ほどではありませんが、以前より密度はかなり増しましたが、ぱっと見の薄さはまだ残っています。
気になる副作用ですが、足のむくみがたまに出ます。とくに塩分を多く取った時などむくみが出やすいです。また男性にとっての一番気になる精力に関してですが、やはり精力はちょっと落ちました。また射精時の精液の量もだいぶ減ったように感じます。まあ子供を生む計画はないので問題は無いですね。
🐱猫だけに猫の額でして4.5㎝くらいにゃ。冷えピタ貼ったら眉毛に重なるニャ。
😿いつも同じ分け目だからニャ!横分けすると髪型めんどくさいニャ
🐰つむじから全部前に持って行けばいいよ!
おでこの広さは何cmを越えたら薄毛?30代が最も厳しい判定結果に
https://www.mag2.com/p/news/366020
今回の調査では、「前頭部の薄毛」に注目し、「おでこ(眉山から髪の生え際を直線で結んだ距離)の広さが何センチ以上になると、薄毛だと思いますか?」と質問しました。その結果、男性の20代と30代が薄毛に厳しく「6cm以上」が薄毛であると回答した人数が最も多い結果になりました。同様の調査は2014年にも実施しており、当時の20代と30代の回答は、「7cm以上」が最も多かったのですが、4年間の歳月を経て約1cm薄毛に対して厳しくなりました。
誰も人身売買なんて言ってないでしょう。増田さんが糖質みたいに勝手に人身売買言い出してるだけですよ(微笑)
あなたが結婚する相手が精子バンクから生まれた人だったら、あなたは差別するんでしょうか?差別主義者ですね。
生まれてくる子供さんたちは、生まれてくるべくして生まれてくるんだと思います。
お金がなければ産まないって事?お金のために産む人たちは、精子バンクの提供者より志が高いのでしょうか。
子供が欲しいけれどパートナーに巡り合えなかったので、産めるうちに精子バンクでも利用する気持ちがわからないのでしょうか。
お前頭悪すぎでしょ。
で、無策ですか。
なんか陰謀論みたいなの考えてるのかな?特定の個人に思うところあるなら語学力やその論理的思考を駆使してご本人に突撃したらいかがですか?
表にしゃしゃり出てきて健常者にあーだこーだ要求するなら話は別。
私はLGBT違うけど、子供を産まないヘテロや、独身者いるのに、LGBTだけを生産性がないというのはおかしいよ。
逆にお子を産めば産むほど特典があるようにしてあげたらいいのではないでしょうか。
「生殖」という根源的かつヒトの尊厳にかかわるものを、カネで買収してドヤってるのか?
それだったら、最初からそういう人たちに税金を出して産んでもらったほうがよい。
お前頭悪すぎでしょ。
ヘテロカップルは二人で子供作れるじゃん。どこがフリーライド?
意味不明。
むしろ、親が育てられなくて手放すことには、何もおっしゃらないの?
複雑な色んな状況があるとは思いますよ。
いろんな状況があるからこそ、生みの親に出資して育てられるようにするべき。
横からおいしいとこだけ持ってこうと目論むLGBTなんかじゃなくてな。
「手を貸す」ならば構わないが、
子供が作れない組み合わせの癖に「子供が欲しい」という我欲で他人の子供をかすめ取るLGBTは許されない
文句ばっかり言ってるだけでしょ。
誰にでも喧嘩吹っ掛けるんですね。
それはLGBT。
表にしゃしゃり出てきて健常者にあーだこーだ要求するなら話は別。
家族と喧嘩して衝動的に自分の頭を柱にぶつけまくったりお腹を殴りまくったりしてしまった。
また。
せっかく薄くなっていたあざがまた濃くなりそう
頭は鏡でぱっと見てわかるくらいでかいたんこぶができてしまった
後頭部をぶつけると手先と足先がぴりっとしびれるような感じがして、ここはぶつけたらやばいとこだなという感じがした
前頭部はぶつけた瞬間視界が白くなった
食欲が全然ない
早く片付けをして首を吊らないといけない
全部オレが悪い
悪くないと責任逃れしようとするプライドにいつまでしがみついているんだ
お前が悪い
さっさと死んだほうが周りを煩わせることもなくなるんだよ
そんなことないよという励ましを期待してるのか?
とことん腐ってるなお前
そんなことあるんだよ
自分に向き合う強さもない逃げることしかできない人間とか生きる価値ねーよ
今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。
でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題がないとたかをくくっていたんだ。
ゴールはまだ見えない。
あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。
一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全力を出し切った、その瞬間に都合良く存在が消えてなくなったりもしない。
疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気とか希望とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。
けして止まらない。
そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。
ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからはもっと大変な毎日が続くだろう。
でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もう駄目だと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけ頑張ってほしい。
小さな頃に見ていたものは、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることができるずっとそこにある変わらないものだった。
僕は気がつくのが遅すぎた。
でも、こんな僕でもまだ全てを失ったわけではなかった。
時間が過ぎて、僕のことは忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。
追伸。今までありがとう。
出来ることならば、誰も憎まないで生きて下さい。
女子をストーカー男が監禁して結婚の約束をする話題の漫画を読んだ。
もうちょっと書く。
この作品が叩かれてるのは言うまでもなく「朝霞の誘拐事件で被害者叩きしてた連中の言い分をそのままなぞっているから」で、
擁護派の言い分は大きく二つ。
(擁護派同士で殴りあえばいいのに。結局関係あるのかないのか)
関係してないわけねーだろ。事件のあとにあの設定でニュース見てないわけねーーだろ。
百万歩譲ってニュースもツイッターも2chも見てないで、朝霞の事件のこと全く知らずにあの漫画書いたとして(発表ツイッターだけど)、
漫画の発表の数ヵ月前に酷似した事件が起きてると知ってノーリアクションなのおかしいだろ。
フィクションでーす、って言い張ればなんでも許されると図々しく思ってるからしれっと描き続けてるんだろうが。
で、後者について。
「時間が経過していたらいいのか」
「関係者が没していればいいのか」
たとえば東京大空襲や原爆を粗雑に描かれたら、やっぱり怒るだろう。
と、考えると、やはり問題はあの作品がむちゃくちゃ薄っぺらくてつまらないことに尽きるのではないか。
つまらないというのは、つまり、物語に厚みがなく熟慮されていないということだ。
誘拐によるストックホルム症候群であっても、
ストーカーにならざるを得なかった男と少女の共依存であっても、
たとえ「正しくない」内容であっても面白いはずだ。
「正しくない」人間を描いても魅力的なはずだ。
描く対象に、真摯に向かい合った作品ならば、正しくなくても面白い。
そして、そこに至るまで考え抜かれたストーリーは、
クソしかいない世界で、比較的クソではない誘拐犯と少女が微笑み合う。
そこになんの真摯さも感じられない。
感じられるのは「だからこの誘拐犯は悪くないんだよ~」という言い訳がましさばかりだ。
と、書くと、「それはお前の主観だろうが!」「面白い面白くないは誰が決めるんですかー!」と言いにくる奴はいるだろうけど
そしてこれは優れていない作品だ。
それはもう断言して構わないだろう。
つまり、「中学生くらいの女子をうっとりさせる」という点においては
それは理解できる。
「面白さ」とは別ベクトルで、金を出させるに値する価値だと思う。
砂糖をぶちこめば甘くなり、甘いものを食べたい人にとっては価値がある
みたいなことで、
それは軽薄な単なる「消費」ではあるが、サブカルチャーとして正しい姿勢でもある。
だが。
しかし、この作品に限っては、前述の「朝霞の事件に関係していないわけがない」からこそ、
その軽薄な「消費」に巻き込んではいけない。
ごく真剣に、誘拐犯と少女のことを考えに考え抜いた「面白い」作品ならば、
それを考える間に、実在少女の心情に、家族に思いが至るだろう。
その上で苦渋の取捨選択をした上でストーリーが組み立てられるだろう。
そこに真摯さがあれば、いたずらに誰かを傷つける作品にはならず
仮に誰かの傷に触れたとしても、その批判を作品として真正面から受け止めるだろう。
しかし実際にはこの作品は単なる萌え要素をぶちこんだ消費でしかないから、
つまらないし、フィクションだと言い張って逃げるし、批判を正面から受け止めることができない。
人を傷つけてまでやることか。これが。
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
今日は右膝を思いっきり蹴られてアザができ、足の甲にも傷ができた。歩く事も辛い。
夫いわく「本気で蹴ってない!本気でやったらお前死んでるわ!」と、よく分からない『俺は強い』自慢をされた。
たまに5歳の娘に対しても暴力を振るう。過去に娘は蹴飛ばされた事がある。
投げ飛ばされた先に四角い棚があり、耳を強打して内出血した事もあった。
夫は、大手外資系コンサルファーム勤務で、コンサルの仕事をしている。
警察に訴えても、私が負けるような理由を作るのなんて簡単にできるだろう。
コンサルの得意分野だ。
夫はADHDの気もあり、話が通じない、人の気持ちが分からない。
夫と言い争いになると、私を見下した物言いで、コンサル業務にありがちな専門用語や、まるで一つの案件をまとめているような話し方で攻撃されている。
私はどうしたらいいんだろう。
だれか助けて。
追記
2018/01/21日曜日
大阪河内地域出身の夫が、子供達の喧嘩に対して汚い方言で怒鳴り散らしている。特に5歳の娘に対しては、壁を思いっきり叩きながら威圧している。キレるといつもこう。
ちなみに、過去に上の子を蹴飛ばして、子供が吹っ飛んで負傷した時に止めに入った私へ言った言葉は「手加減したけど、飛んでいっただけ。」だ。
夫は虚言癖と記憶の改ざんが多く、事実を自分の都合の良いように記憶がすり替わっている。一種の脳障害。だから、事実に対しての話し合いが困難。
追記2
2018/01/21日曜日 夜
ドラマで関西人のチンピラが巻き舌で相手を脅す喋り方…夫がキレた時がまさにそれ。
私、明日生きてるのかな。脚動くかな。攻撃されてから時間経過した今脚見たら、立派にアザが濃くなっていた。
もし夫が通う極真の支部長に夫から受けた暴力を相談しても、信じてくれなさそう。夫は普段、温厚な人だから。。。
疲れた。。。
追記3
2018/01/21日曜日 夜
話しかける夫を無視していたら「いちいち一つの事にこだわって無視して感情的に怒ってるって、お前はおかしい。これはこれ。もう済んだ事引きずってんなよ。これだからバカなんや。」と、暴言が続いた。
身体も心も傷つけられて、何事もなかったように明るく夫の相手ができない私はバカなのか?
私は「じゃあ身内が殺されたら、事件後あなたは犯人と普通に話せるの?」と聞くと、「それは話を飛躍しすぎだろ」って。
例え話も通じない。
追記4
何事もなかったかのように、夫が話しかけてくる。そして私に「長女が不安定になっているんやけど?」と、さも私に原因があるように言い放ってきた。
夫が昨日、5歳の長女に対して暴言暴力ふるった事は無かった事になっている。
もし警察に届け出たとしても、この虚言がつきまとうので、解決しないかもしれない。
人の事を散々傷つけた夫の中で、昨日の傷害沙汰は「もう済んだ事。はい、終わり。」なのだ。
いつもそう。
追記5
夫と喧嘩になった時、私が家を飛び出そうとしても、力づくで引っ張られて叩き落とされるため、脱出できません。
空手をやっているだけあり、圧倒的に力が強すぎて喧嘩中は外部に逃げられない。
とりあえず、昨日負傷した脚を写真に撮っておく。変色してるわ、見事に。
追記6
夫に黙って、整形外科に行った。
問診票に症状や痛い箇所を記入した。
そして診察時、担当医に「夫に蹴られました。」と言った。
問診後に衣類の上から簡単な触診があったので、次にアザや傷の確認があると思っていたが、医師が私の蹴られた箇所を目で直接見て確認する事はなかった。脚を出した方がいいか医師に聞くと、「いや、いい。レントゲン撮るから。」とだけ言った。
レントゲンの結果、ヒビや骨折は無かった。医師から「打撲だね。湿布と痛み止めの飲み薬出しておきます。はい、終わり。」と言われ、病院を後にした。
夫に蹴られて痛みがある事を伝えても、アザの状態なんて、いちいち確認しないものなのか。
妻が夫に蹴られて打撲する事なんて、普通なのかな。
結局、問診とレントゲンだけで診察は終わった。
次は調剤薬局。
処方してもらい、薬剤師から「転んだんですか?」と聞かれたので、「家族に蹴られました。」と答えた。薬剤師は、「はははは、そうですかー。」と言って、薬の説明を始めた。
医師も薬剤師も、私のこの脚を見たら、どう思うだろう。この何度も蹴られた、色濃く散らばるアザを見ても、何とも思わないままなのだろうか。骨にヒビや骨折、脚が全く動かない限り、大したことないものとされるのか。
身内に蹴られた打撲って、こんな軽い扱いになるんだ。知らなかった。
警察やDV相談窓口に連絡したとしても、「ただの夫婦喧嘩」扱いとなり、相手にされないだろう。
きっと1日に何十件もDV被害の相談はあるだろう。私が夫に攻撃される事なんて、緊急性の低い面倒な案件扱いにされそうで連絡できない。してはいけない。
子供との無理心中を悩む親の気持ち、大切な家族を守る為に加害者である身内を殺めるしかないと思った人の気持ちって、今の私みたいに頭がおかしくなる位に苦しんだんだろうな。
そして夜。
夫は何事もないように、普通に私へ接してくる。
夫から暴力を受けた私も、何事もなかったように夫に接しなければいけない。
子供達に見せたくない。
私は、なんで生きてるんだろう。
子供達へ。産んでごめんね。
義両親へ。あなた達の息子が、まさか嫁や孫に暴力を振るっているなんて事実、言っても信じないでしょう。あなた達の前では、優しくて優秀な一千万プレーヤーの自慢できる息子だから。
整形外科の先生へ。お忙しい中、打撲程度で診察をお願いしてしまい、申し訳ございませんでした。空手をしている人間からの蹴りなので、脚が大丈夫なのか不安でした。先生が直接脚を見ない診察に対し、蹴られたぐらいで病院へ行くべきではなかったと反省しております。
涙が止まらない。
脚が痛い。
追記7
朝から夫が大声をあげて私を威嚇してくる。
子供達の前だったけど、私は涙が止まらず、激しい動悸と手の震えが止まらなくなった。子供たちが不安に「大丈夫?」と、声をかけてくれる。
夫の威嚇と汚い言葉は、数分後に全て無かったことにされた。そして怒鳴る原因は全て私のせいらしい。
以前から何度も、夫の攻撃で頭が回らなくなり、自傷行為をした事がある。夫の目の前で。その度に夫から「お前頭おかしいわ!」と、言われ続けた。
あくまで、私の自傷行為の原因が夫にらある事にしたくないらしい。単に私がバカで心が弱いから、『私自身に原因があり、勝手に自傷行為をしているだけ。』という扱いだ。
夫が原因で私が自殺する事は、絶対避けたいようだ。法的に不利になる事だけは避けたい人間だ。
誰にも助けが求められず、生きることが辛いなら、自分が消えるしか道がない。選択肢がないのだから。
人の気持ちが分からない夫は、なぜ私が思い詰めるのか全く理解できないでいる。
本人いわく「僕は論理的思考だから、相手の感情なんていちいち見ない。そんなもの見ていたら先に進まない。」。
私の夫は、そういう人です。
お前頭悪すぎるんで、どーでもいい。
やれビール瓶だの、アイスピックなどその場の状況も発言者によっててんでばらばらだし
その中で、一つキーポイントになるのが診断書だが、こういった診断書を書くことの多い市中末端の脳外科医がどういう経緯だったか予想してみる。
まず、書かれた病院は済生会福岡総合病院。ここは博多のど真ん中にある大きな病院で救急もやっている。全く怪しい病院でもない。
鳥取で行われた暴行について後日いってるんだから貴乃花親方としては、きっちり証拠を取ってやる、ぐらいのつもりで貴ノ岩を連れて行ったんだろう。
書いた医者は宮城知也先生。直接面識は無いが、科研費とか論文見る限りでは頭部外傷を専門にされているベテランの先生のようで
求められるがままにへんてこな診断書を書いたり、ということは多分無いように思える。
こういう外傷の患者さん、特に暴行とかで証拠が必要、となるとやはり精密な検査をすることになる。こういった有名人とか社会的な問題に成りそうなときは
さらにその傾向が強いだろう。
したがって、電話、もしくは紹介で現役幕内力士が横綱に暴行を受けたということで受診になるというとペーペーではなくその日の一番立場が上(できれば部長)の
外来にまわされ、XP、CT、MRIとできる限りの検査をしたうえで診断書を書くという話になる。
で、内容。
「脳振盪(しんとう)、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い」
脳震盪はよい。おそらく頭部を打撲した後ふらふらしているという自覚症状に基づいて書いている。そして脳実質についてはそれ以外の言及は無いのでおそらく
職業上T2スター(出血に鋭敏なとり方)で多少出血があっても陳旧性かどうかわからず因果関係が判断できないので危なくて書かないだろう。
で、左前頭部裂傷、右外耳道炎もよい。これは視診で判断できるし、右耳から出血もあったんだろう。耳鏡で見て血腫もあって、でも鼓膜は破損してなかったということで
この書き方になる。右側に張り手を受けたんだろうなぁという感じ。
問題は右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑いである。画像上骨折がもしあったら、「疑い」はつけずに断言する。なのでわかるような骨折は無かったのだろう。
じゃあなんでこんなことを書いたのかというとおそらく、受傷後しばらく鼻水か耳漏が止まらなかったという訴えがあったのではないだろうか。
頭蓋底というのは一般的にイメージされる頭の周りを囲む硬い厚い骨ではなく脳実質と鼻や耳をしきるとても薄い骨で、ある程度の衝撃で骨折してしまう。
で、頭蓋底が骨折すると、そこから髄液がもれる。もれた髄液は鼻水もしくは耳漏として出てくることが多い。
リアルタイムで出ていればそれをテステープなどで検査して(鼻水は無糖、髄液は糖が含まれているのですぐに判断できる)髄液漏は判断できる。
でも疑いということは受診時はもう鼻水もしくは耳漏が止まっていて証明できなかった、
でも来る前は鼻水か耳漏が止まらなかった=髄液漏の可能性があった=微細な頭蓋底骨折があったのではないかという考えで
このような診断書となったのだろう。いずれにせよ、血腫もないし挫傷もないし手術するものもないし安静しかないよね、っていう結論だけど安静入院、っていう結末を予想する。
推測するに、できるだけ客観的に丁寧に診断書を書いた結果、こんな大事になったことで宮城先生も困惑されているだろう。
少しでも軽い怪我として内輪でなあなあですませたい相撲協会とかから圧力もかかっていて、とっても大変だと思われるが、あまりこのようなことに巻き込まれず
追記(11/19):ご指摘ありがとうございます。貴の岩を貴ノ岩に表記変更しました。予想という日本語の使い方については、申し訳ありません、今後気をつけます・・・
追記(11/20):元増田です。(この言い方でいいのかな?)反応が大きくてとてもびっくりしてますが、やはり皆さん興味があるところだからなのではないかと思います。思いもよらず放射線科の先生からコメントまでいただいて恐縮です。
ところで、あまり深く調べずに元のエントリーを書いてしまい、改めてみなさまの反応をいただいてから記事をしっかり読んでみました。
右中頭蓋底骨折については、患部をCTスキャンしたところ、骨折線とも考えられる線が確認された。ただ、もともと存在する縫合線である可能性が高く、過去の衝撃等が原因で生じた骨折線の可能性もあり、日馬富士の暴行との因果関係も分からないものの、念のため右中頭蓋底骨折の疑いとしたという。
また髄液漏れについては、右の空洞部分の一部に水がたまっている所見があり、単に右外耳炎による炎症が原因のものとも考えられたが、右中頭蓋底骨折による髄液漏れの可能性も全くないとは言い切れないため、髄液漏れの疑いとした。ただ、実際に髄液が漏れたという事実はないという。
その上で、受傷から日数が経過したことを考えれば、髄液漏れが今後生じる可能性、つまり右中頭蓋底骨折が生じていた可能性は「極めてまれである」とした。
というものを見つけました。そして外耳道損傷ではなく外耳炎であること、頭蓋底骨折ではなく中頭蓋底骨折であるということに改めて気づきましたので、いくつか訂正させていただきたいと思います。(みなさんの興味を引くのかわかりませんが・・・)
まず外耳道損傷と書かなかったことについてですが、もしかしたらこれは直視下で外耳を確認できなかったのではないかと思います。つまり耳が聞こえづらいという訴えで耳鏡でのぞいてみたところ血と耳漏で観察ができなかったのではないか。なので外耳道炎とした、ということです。
この言葉の使い方で、右外耳の異常が外傷と因果関係があるかどうかわからない、という担保をつくることができます。事後コメントの「単に外耳炎による炎症」という言い方もなんとなくその方向なのではないかと予想できます。
また、これはうっかりしていたのですが中頭蓋底骨折の疑いだったのですね。一般的に鼻漏は前頭蓋底骨折、耳漏は中頭蓋底骨折で生じますので、鼻漏は存在せず、耳漏のみ存在が疑われる状況であったということを指し示します。
右の空洞部に水がたまるという表現からは、画像上(CT,MRI上)中耳、もしくは外耳に液性成分が認められたことが考えられます。
したがって結論としては
「CTとってみたら骨折線はまぁわかんない(多分縫合)。だけど外耳に水たまってるし受傷直後だし、髄液漏かもしんないし中頭蓋底骨折もあったんじゃないか?」という推測の元かかれた診断書なんじゃないかと予想します。
同業者の方は理解していただけるかと思うのですが、暴行とか事故の被害者、というふれこみで診察、診断書となるとやはり被害者を目の前にしていることもあって、お気の毒に思って考えうる状態の中でいささか大げさな方に判断しがちなところがあります。
宮城先生ももしかしたら、そういう心持で書いちゃった診断書が今一人歩きして大変になってて困ってらっしゃるのかなーと思い、だとしたらお気の毒で、自分も反省しつつ、この騒動が早く収まることを祈らせていただきます。
でもお前頭にすら毛がねえじゃん