はてなキーワード: 児童養護施設とは
一番嫌なのはムカデで、身近さと実害を併せ持っていて最悪 父が寝てるときに刺されたという話を聞いたときはしばらく落ち着いて寝られなかった
ゲジゲジはとにかく見た目が本当にキショい 益虫らしいが、外見がゴキブリの8倍くらいキショいのでそんなこと言ってられん ホンマにキショい
スズメバチは家の外にしか出ねえが、怖さのレベルが違う 幸い刺されたことはないが、やっぱ「刺されたら死ぬ可能性がある」ような生き物がその辺をブォンブォン飛んでるのはホンマに怖いですよ
俺の田舎にいたのはスズメバチのなかでもデカい、その名もオオスズメバチで、ガチでデカい 5センチとかある 超怖い ほんで近づくと顎をカチカチならして威嚇してくる 警告してくれるだけ有情なのかもしれないが、俺は家に帰ろうとしてんだから威嚇されたって困る
毛虫とかも多い 春になると毛虫に覆われて真っ白になる超キショい木が近所にあって嫌だった
というよりは、都会の交通網が優れすぎなのか
田舎から大阪に出てビックリしたのは、隣接する都道府県に片道1000円もかけずにすぐ行けてしまうこと どっか出かけようぜ!となったときに、大阪・京都・奈良・兵庫くらいが候補に入るのはすごい 淡路島にも行ける
俺の田舎じゃ隣県まで遊びに行くなんてことは考えられなかった 時間もかかるし、なにより金がかかる
田舎云々じゃなくて地元だからかもしれないが、その辺を歩いてて謎のジジババが話しかけてくる頻度が高い
しかも何言ってるかガチでわからん 訛り+フガフガ声によって本当に理解不能な領域に突入している そんで話長い 助けて!と思いながら曖昧な返事をし続けるしかない
子供の絶対数が少ない上にヤンキーが多い 少なくとも俺のところはそうだった
特に小学校が酷くて、同級生は9人 女子がひとり、ヤンキーが7人、そして俺だった 嫌いなタイプの人間と嫌いじゃないけどヤンキーなので怖い(カジュアルに殴ってくる)タイプの人間しかいなかった
小学校時代の思い出を楽しげに語っている人をみるとちょっと悲しくなる 9人しかいないのでさすがにぼっちって感じじゃなかったけど、じゃあ「友達」がいたかというと、いなかった気がする
ほとんどのイベントは東京・大阪でやっているもので、自分には縁がない感じがしてしまう
まあ地方開催のやつだって時々はあるし、本気で行こうと思えば行けたのかもしれないけども、やっぱハードルは高いよな
でも俺これに関しては都会育ちでも行ってない気がするな そういう意味で実害は多分被ってないんだけども、それはそれとしてなにかのイベントの詳細を見るたびに東京東京大阪大阪なのは疎外感があった
ーーー
「都会のリベラルが田舎暮らしに憧れて、田舎に住んでみた!」というのが俺の家庭だった
ホンマ何してくれとんねん 殺すぞ 田舎に住むな という気持ちは正直あるが、「田舎特有の閉塞感」というものは感じなかった つか子供会とか参加した記憶がないし、多分浮いてる家だったんだろうな
いや、しかし、そもそも地縁みたいなモンがある土地柄ではなかった気がするぞ 昔からここに住んでるんですって感じの家庭は全然なかった
多分滅びすぎて地縁が消え失せた謎の地域だったのだろう そういう意味では一般的な田舎とはまた違う雰囲気だったんだろうな
でもニュータウンではないんだよなあ!タウンじゃなかったもんあれ 道沿いにしか家ないし、「山を切り拓いた道沿いに家々がへばりついた場所」って感じだった 町とか村以下の存在だった
稀有な体験だった気もするんだが、やっぱ都会で育ちたかった感じはどうしてもある
今都会に住みたいって話じゃなくて、都会で育ちたかったって話なんだよな
お前もクラスメイトが6人しかいなくて、その中の5人が児童養護施設出身、って環境で幼少期を過ごしてみろ
いきなり同じ屋根の下で暮らしている5人組の中に放り込まれてコミュニケーションをとらなければならず、しかもその5人が全員のちに軽犯罪をやりまくることになるヤンキー気質
そういう環境で育ったのか?お前は
そりゃ引っ込み思案にもなるだろう
都市部で育って、いろんな層の同世代30〜40人から気の合うやつと仲良くなればいい、っていう生ぬるいコミュニケーションで生きてきてねえんだこっちは
粗暴かつバカなやつらの中に異分子として飛び込み、なんとか仲良くしなければならない そういうところでやってきたんだよ
だから「友達と遊びに行く」みたいな概念がないんだ 行きたいと思ったことがないからな
仲良くならなくていいなら誰とも仲良くしたくねえんだ カスみたいなやつばっかりだったからな
幼少期の刷り込みってでけえんだよ
俺にコミュ力がないのはかなり仕方ないと思う
充実した子供時代を送ったであろう人間に「まずは話しかけなきゃ!」なんて言われると本当に殺意が湧きますね
お前もあの小学校で育ってみろ
それで同じことが言えるか?
よく誕生日には両親に感謝。と聞きますが、私の母親とは離縁してますし、父親は自殺したため死別しています。今まで何度も別の家庭で生まれ直したかったと思ったし、正直産まないでほしかったと思っているので、両親への感謝の念は1ミリも湧いてきません。
18歳までは児童養護施設で面倒を見てもらい、今までは年の離れた兄が面倒を見てくれていました。もちろん双方へは感謝の気持ちがあります。しかし、児童養護施設は仕事だから面倒を見てくれているのだなと感じる場面が多く、むしろ嫌な思い出が多いのでもう顔を出したくないです。そして、兄は私が20歳になることをあまり喜んでいません。兄の方が両親から酷い扱いを受けた期間が長いので、生きることに前向きでないのです。そして、私には兄以外の親族がいません。
18歳から高卒公務員となり働いていましたが、社会性に問題があり、職場内での人との関わりに膨大なストレスを感じてしまって体調を崩してしまい休職中です。現在は日常生活もままならず、復帰は絶望的な状態です。
頑張って生きていこうと思って公務員になったのに、ろくに仕事もできない自分が惨めで情けないです。兄も障害者雇用での勤務のため、給料が安く、生活だけでいっぱいいっぱいです。人間関係にストレスを感じてしまうので、友人も極々少数です。他人に恋愛的好意を抱かないので恋人などもいません。
なんとなく漠然と二十歳手前まで生きてきましたが、なんのために生きているのか自信が無くなってきました。生きていくための柱がない。この先も人生が続いていくのが辛いです。不安定な兄に頼るわけにもいかず、苦しみを吐き出す先もありません。
みんなどうやって生きる希望を持っているんでしょう。将来への不安は尽きず、生きるのはこんなに難しいのに。
二十歳という節目が怖いし、その先も人生が続いていくことも怖いです。生きることに意味は要らないことは理解していますが、実際に意味無く生きていくことは辛いです。育ててくれた恩を感じる相手もいないし、生きがいもないし、未来への希望もない。たった二人でこの先もひっそり生きて死ぬだけの私たちはどうしたら前向きに生きていけるでしょうか。
今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれた屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。
私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。
小説といえば、昔に村上春樹の小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から非日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。
どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います。塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマン・タマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。
小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年はタマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年がネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。
1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えています。お金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋で立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。
その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校を卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強をしました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分は馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館の自習室に通って勉強を続けていました。
そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人になんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。
その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分が臭いのがわかって辛かったものです。
気分転換でもと思って院内を散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。
屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院の屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分が小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。
私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。
落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。
その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。
病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。
私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこと自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。
視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。
その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。
そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。
それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学に合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。
20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫の学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます。奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。
でも、いつからか、自分で自分の人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます。
何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院で出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります。普段は忘れていて、そのとき見たものや匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます。
ただ、思い出したときに何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事なものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。
「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそいつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」
あとは家賃・学費・公共料金の滞納、医療ネグレクト、暴力の発見は即停止
日本はそもそも尋常じゃなく親権が強くまず絶対に停止にならないが
平成 25 年度において全国の児童相談所長が行った親権停止の審判の申立ての実績は 16 自治体で 23 事例であった。
事例1
<申立ての背景>
<申立て後の状況>
事例2
<申立ての背景>
- 父母のネグレクトのために施設入所中の児童。
- 児童は腎機能が悪化し透析が必要となり、腎臓移植に向けて臓器移植ネットワークへ登録を行った。
- 保護者が臓器移植ネットワークへ登録末梢手続きの連絡をしたことが発覚したため親権停止を申し立てた。
<申立て後の状況>
事例3
<申立ての背景>
<申立て後の状況>
事例4
<申立ての背景>
- 同居男性からの性的加害のために児童は保護を求めてきた。
- 他のきょうだいも同居男性からの暴力暴言が怖いと訴えて保護された。
- 実母は同居男性との同居継続を望み、児童らの引き取りを訴えた。
- 実母が同居男性との同居を望んでいる以上、児童らへの影響を免れないため親権停止を申し立てた。
<申立後の状況>
事例 5
<申立の背景>
- 児童は中学生時に保護者とのトラブルのために一時保護された。児童は家に 帰りたくないと訴え、父母も関係修復の意思がなかったため児童養護施設に入所した。
- その後、保護者が入所の同意を撤回したため、児童福祉法 28 条を申し立て 審判が確定した。
- 高校卒業に当たり、児童が就職して自立した生活が営めるように、児童相談 所から保護者に協力を求めた。しかし保護者の養育姿勢は施設入所時と変わらず、児童の成長に理解を示すことなく、保護者は本児との交流を拒否し続けた。
<申立後の状況>
こういう人は、電気ガス水道がとめられたことはあるのだろうか。
小さくて穴の空いた一足しかない靴をずっと履き続けるという経験はしたのだろうか。
親がご飯を作ったり洗濯したりアイロンかけたりしてくれず小学校低学年のうちからそんなことに毎日毎日時間を取られる状況を知っているのだろうか。
家事をしながら高校に行って、バイトして学費を自分で払ってさらには家にお金までいれないといけない子の存在は?
一体どれほどの努力をしたというの?
与えられたものが学校の教科書のみ、与えられる食事は給食ともやしと卵と塩のみ、与えられる時間はバイトから帰ってご飯や風呂の時間も入れて2時間だとして、どのレベルの大学に行けた?
勉強できる環境も、勉強できる時間も、どう勉強すれば大学にいけるのかという情報も、タダじゃない。
みなが与えられてるわけじゃない。
生活保護や、児童養護施設という福祉までたどり着けない子供はたくさんいるのよ。
正直、もうこの増田書いてだいぶ経つし、大量のブコメやトラバきてるし、そもそも、今の増田には、全部読む時間つくるのは大変だと思う。
私も子育て中の身だからわかるーつらいよねーとかって無責任な慰めは、もう今の増田には、いらないよな。
だから、私がこの増田を読んで思ったことを私がスッキリするためだけに、とりあえず書き置きしておくよ。
他の優秀な発達障害者の話って、どうしても耳にするよな。この増田についた言及だけでも、学者になったとか、IT関係につとめれるとか、色々書かれてる。
平均からこぼれ落ちたら、特別な能力一点突破に夢を見て、希望持ちたくなるものだから、もしも、増田が我が子に特別な能力開発(例えば音楽とか絵とか)で一点突破教育を望んでいるのなら、それはそれで参考になるところもあるかもしれん。けど、元増田の文章読んだら、今の増田の子育ての余裕度では、正直、仮に我が子にギフテッド寄りな才能が潜んでいたとしても、引き出してやれん。下手すれば、お互いにつぶれてしまう。てか、現に限界こえてるわけで。
療育受けさせてるのは、すごく立派だと思う。世の中には、我が子の障害をかたくなに認めれん人間もおるから。
増田が我が子に望んでる普通って、要するに、流行りの生き方の型のひとつや。
それができないってことで絶望するのは、増田が母親としての役割とか、娘としての役割とか、妻としての役割といった、役割に縛られてるからやと思う。そんで、自分で自分の期待値上げまくってるんや。だから失望する。
でな、ひとつ訂正させてくれ。
あなたの息子さんは、誰の役にも立たない息子さんではないで。むしろ、生きてるだけで、めちゃくちゃ周りの人らの役に立ってる人間やねん。
税金つかう理由引っ張ってきて、財務省が刷りまくった銀行券をつかう理由つくってる。税金つかって申し訳無いなんて思うな。むしろ、税金は、使ってナンボや。
生きてるだけで、飯食って、服着てるわけやん。それだけでも農家やスーパーは食料品売れて金もらえて飯の種なってるし、子供服メーカーや子供服売り場の人間は仕事できてご飯食べれる。それだけやないで。療育に通ってるということは、療育関係の先生やってる、発達障害専門家の医者やったり、作業療法士だったり、言語療法士だったり、いろんな人間の仕事つくってて、飯食わせてるねん。
仕事なかったら、みんなヒマや、仕事がないから金もない、今日明日の食い扶持どないしよーっていうて、困るんやで。
それを君の息子の困ったところを助けることで、お金もらってて、仕事もできて、張り合いのある毎日送りながら飯食えてるねん。
母親の役割投げる方法自体は、他のコメントにもあるよな。離婚して夫に親権渡すとか、児童相談所に相談するとか、児童養護施設に預ける手続きとって、施設に預けてしまうとか、親に預けてしまうとか、増田が働きに出るとか。色々言われてるけど、ここの人間は、読んだ内容踏まえた上で、言うしかできないで。基本的に、話聞いたから助けてぇので息子さん預かりたいんですーとか思っても行動できん。だから、無責任な言葉になるのは、どれも一緒や。
この増田かけるだけの環境はあるのだから、とりあえずアフィリエイトブログ書いたり、noteやって有料記事出してみてもええと思う。そしたら、ちょっとお金増えるし、書いてる間は、ちょっと落ち着くのかもしれんから。
なんでもええから、母親の役割を投げ出して、他人に預ける勇気を持ってほしい。
そんで、ゆっくり寝て休もう。
ひとりで抱え込まずに、開き直って、他人に預けまくるんや。
そしたら、息子さんも成長しやすくなるし、お母さんやってる増田も余裕ができる。
余裕がでて、はじめて、療育も効果出るし、なんか才能あった場合は伸びていけるわけだから。
何も才能なかったとしても、それで当たり前やねん。なんも才能もないわ、リスクも取れないわで、バイトでしのぎながら、家庭も持てずにウロウロしてるだけの人間だらけやねんから。もちろん障害持ってない人間がやで。
そんでな、今どきな、就職はまぁとにかく、結婚できるとか子供できるとかは普通じゃないねん。めちゃくちゃ優秀な人らやねん。
君ができたから普通やと思ってるかもしれんけど、周りの人も結婚したり子供できてる人間でかたまってるのかもしれんけど、今は少子化言うてるくらいで、結婚する相手もいないし、もちろん子供もいないし産む予定もない世界の方が数多くて普通やで。
サラリーマンはムリでも、会社の社長ならなんとかできる人も中にはいてて、増田の息子さんがそういう人かもしれんから。
頭の片隅には置いてほしくて書いたけど。
で、たとえ、息子さんが、障害年金で暮らす未来だったとしても、その障害年金使って周りの人を養ってる一面もあって、ちゃんとみんなの役に立ってる人間なんやでってことは覚えといてほしい。
キレイゴトに聞こえるかもしれんけどさ。
もうさ、生きてるだけですげぇじゃんレベルまで、期待値下げな。
そしたら、怒りもわいてこなくなってくる。
夫や親が頼らせてくれそうなら、頼ろう。
頼れない人間だらけのリアルだろうけど、そんときは、その不満バンバン書いたらええねん。増田で書いただけでも、こんなにたくさんの人間反応してるやん。匿名だから、なんもできないけどさ、もしもSNSとかで、マネタイズできそうなところだったら、なんかやりたい助けてぇ共感から、なんか送ってくれる人間だったり、実際に凸って息子さん預かります!みたいな人間も出てくるかもしれん。
それで、見ず知らずの人間の好意からの手を、今の増田は、じゃあお願いしますっつって、息子投げれるんか?
問題は、実はそこやねん。
迷惑かけられてもええでって人間が出てきても、増田が預けてもええかって気にならなかったら、救われるもんも救われねーの。
だから、今の増田にとって、必要なのは、母親を休んだり、母親を辞める勇気な。
預けて休みなよ。
最後まで読む時間つくってくれて、ありがとうございます。
100億回目の投稿ですがよろしければ参考にしてください
「児童養護施設」に預ける
しばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
下記は武蔵野市ですがほとんどの自治体は似たようなことやっています
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
第一条
この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。
第二条
1 学校は、国(国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二条第一項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項に規定する公立大学法人(以下「公立大学法人」という。)を含む。次項及び第百二十七条において同じ。)及び私立学校法(昭和二十四年法律第二百七十号)第三条に規定する学校法人(以下「学校法人」という。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
第二条第1項では「国」「地方公共団体」「学校法人」という3つの用語が新たに定義されている。
同第2項では「国立学校」「公立学校」「私立学校」が定義されているが、この時点で既に前の定義が使われている。単体ではこの条文は読めず、ここまでの4つの定義を持ってこなければならない。
VBで言うところのDim a = ~。JSで言うところのvar a = ~。
法律によっては第二条あたりに、以降で使う全ての用語を定義しまくるものすごく長い定義セクションがあったりする(例:所得税法)。初っ端にDimが何十行も続くコードのよう。
第二条
一 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)に規定する救護施設、更生施設その他生計困難者を無料又は低額な料金で入所させて生活の扶助を行うことを目的とする施設を経営する事業及び生計困難者に対して助葬を行う事業
二 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)に規定する乳児院、母子生活支援施設、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設又は児童自立支援施設を経営する事業
三 老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム又は軽費老人ホームを経営する事業
四 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)に規定する障害者支援施設を経営する事業
五 削除
ほとんど既に制定されている法律を引用しただけで、第一種社会福祉事業の定義を構成している。
Cで言うところの#include。Pythonで言うところのimport。require派でもusing派でもなんでもどうぞ。
第四条
1 次の各号のいずれかに該当する者は、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。
四 国際的な規模で開催される政令で定める運動競技会のけん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技に参加する選手又はその候補者として適当であるとして政令で定める者から推薦された者で、当該けん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技の用途に供するため、けん銃又は空気けん銃を所持しようとするもの
1 法第四条第一項第四号の政令で定める運動競技会は、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
二 アジア競技大会
2 法第四条第一項第四号の政令で定める者は、公益財団法人日本スポーツ協会(昭和二年八月八日に財団法人大日本体育協会という名称で設立された法人をいう。以下「日本スポーツ協会」という。)とする。
銃刀法では、銃砲刀剣を持つ許可をする相手を「政令で定める」とぼかしておいて、許可を与える仕組みだけを制定している。
つまり、枠を作ってあとからそれに当てはめるコードを書いているわけだ。
法律に定めるべき具体的な内容は、時代や情勢によっていくらでも変わっていくものだが、法律の改正は国会でいちいち可決しなければならないから手間がかかる。
それに対して政令であれば内閣が制定できるし、さらに下位の省令となれば省庁だけで完結できる。より偉い法律の立場からより小回りの利く政省令に委任することによってコードの柔軟性を保っている。
これは大規模開発にて分担してコーディングすることにずいぶんと似ている。
第八十九条
第九十四条
先に定義された条を、後に書かれた条が覆すことができるし、なんなら後から制定された全く別の法律が、急に他の法律を覆しにくることもよくある。
これはプログラミングにおいて、変数の値や状態を後から書き換えられることに似ている。あるいは、クラスのオーバーライド。
法令解釈では、ある条文を読むとき、その条文に書かれている全ての定義を参照先まで確認しに行き、他の条文に委任されている事項も全て調べ、その上、他の条文で覆されていないかも調べる。
プログラマーがデバッグしている時の動きに一致しているといっても過言ではないだろう。
酒税法(昭和二十八年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十条第一号中「若しくは第二号の」を「から第三号までの」に改め、同条第二号中「若しくは第二号」を「から第三号まで」に、「ついては、」を「ついては」に改める。
第十四条の見出し中「取消」を「取消し」に改め、同条中「左の各号の一」を「次の各号のいずれか」に改め、同条第三号を同条第四号とし、同条第二号の次に次の一号を加える。
法律は基本的に「~を改正する法律」を施行することで、このように改正を繰り返している。
単体の「新法」が新たに発生するのではなく、元の法律と差分を組み合わせて結果的に新法になるという仕組みだ。
「児童養護施設」に預ける
しばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
下記は武蔵野市ですがほとんどの自治体は似たようなことやっています
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
そのままそう伝えたらおそらくそうなるかと思います(思いたい)
救える虐待が救えなかったと騒がれたので
しばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
下記は武蔵野市ですがほとんどの自治体以外は似たようなことやっています
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
「児童養護施設」に預ける
ガチでしばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
これは武蔵野だけどよほど金のない自治体以外は似たようなことやってるはずだよ
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
東京都杉並児童相談所 (リンク) 新しいウィンドウで開きます
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html