「人生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人生とは

2024-08-10

定年退職する瞬間になっても「何かを成し遂げた」と感じることはないだろう人生

ヤバイね。

障害者とかなら「定年退職まで働いたから偉いんだじょ!」で周りもおめでとうおめでとうめでたいなエヴァンゲリオン最終回なんだろうけど、健常者に生まれておいて何も成し遂げることな歯車サラリーマンとして使い潰されて死ぬのは辛いぜ。

ガチで嫌味でも冷笑でもなくフワちゃん炎上で悲しいとか盛り上がれる人が羨ましい

人生楽しそう

anond:20240810220123

お前は騎手になれることがどれだけの頂点なのかもわかってないバカ

なにかに挑戦するといった事をしてこなかった人生なんだろうな。

東大でて医者になるよりもずっとむつかしいんだぞ。

人生、詰みの状態より詰めろをかけられ続けられてる状態のほうが辛いんだよな 増田

anond:20240810005714

何らかの思想を持っていてそれを曲げる場合、それが自己の中で完結していたのであれば人生紆余曲折として片付けていいが、他者に対して主義主張していたのであれば何かしらの総括は必要だろう。

SF小説を売っている

増田独身。いい歳でパートナーも居らず、アラフィフに達しようとしているので結婚に関しては既に諦観している。

この歳になると友達付き合いもほぼなくなり、これといってお金の掛かる趣味もないのでそれなりに財産はある。

どうやら子供を設けるのは難しく、このままでは自分がこの世に生まれた証というか、意味を見出せないんじゃないかとある夜ひとりでお酒を嗜んでいる際にふと、そんなことを思った。

これまでの自分人生を振り替えると、他人に誇れるような趣味SFぐらいで、学生の頃からSFを熟読してきた。文字から広がり浮かび上がるセンスオブワンダーの世界に幾度となく心が躍り、退屈で平凡な日常をいつも鮮やかに彩ってくれたのはSFの名作の数々だった。

そうだ。自分に出来るのは、この素晴らしい世界をより広めることかもしれない。酔っぱらいが半ば夢想状態で考えたことは翌日にも覚えていて、だから実行することにした。

私は自分が好きだったSF小説、影響を受けたSF小説、名作であると思っているSF小説Amazonで次々に購入し、週末に近場で行われるフリーマーケットに申し込んだ。

フリーマーケットを見に行ったことは当然あるものの出店側となるのは記憶に乏しく、そのためフリーマーケットの日が近づくと私は緊張し、前日の夜などはドキドキしてなかなか眠れないほどだった。

当日は幸いにも晴天で、私はこの日のために用意したSF小説を売りに出した。

どの小説も一冊200円で、中には価値を知る人が見れば驚愕するような作品も混じっている。当然、儲けは度外視だ。そんなものはどうでもいい。私は、良いSFをただ多くの人に読んでほしい、知ってほしいと思い、出店しているのだから

初日は思いの外よく売れた。自分にとって思い入れの深い作品が売れると非常に嬉しく、小学生ほどの男の子が『幼年期の終わり』を興味を示して買っていったときには何やらとても感慨深い思いになった。あのワクワクしている表情、あれは子供の頃の自分を見ているような、そんな気がしたのかもしれない。その日の晩酌は、いつもと少し違って感じられた。気づけば自然と笑っているような。そんな心地の良い酩酊感があった。久しく忘れていた感情のような、暖かいものを感じられたんだ。

今もこの活動を続けている。

私は、これといって世に何かを遺すことは出来なかったかもしれないが、少しでもSFに恩返しをしたい。だから私は、今後もこの活動を続けていこうと思っている。

なんか嫌な事って線で存在するけど、楽しいことって点でばかり存在するような気がする。

好きなもん食ってああ美味しかった、とか。

サウナ入ってサッパリした〜とか。

映画観て面白かったなあ、とか。

そういう瞬間の背後でも、嫌な思いは常に薄っすらとでも流れ続けてる気がする。

会社行くの嫌だなあ。毎日家事面倒臭えなあ。健康に気使わんといけねえよなあ、でもかったるいよな。こんな毎日がいつまで続くんだ、それが終わった時に楽しみは残されてるんだろうか。とか。

そういう嫌な気分が支配的になった時、そこに太刀打ちできる連続的な喜びがあるのだとすれば、それは多分何らかの追求の中に存在するんだと思う。

理想音楽を追い求めたり、研究に勤しんで世界神秘を解き明かそうとしたり、野球が強くなろうとしたり、金持ち目指して金儲けのための挑戦を続けたり。

でもそういう継続的な営みっていくら関心があってもやっぱりかったるいし、そこに人生賭けていいのか?って迷いがあったりもする。趣味であれ生業であれ。

それよりは嫌な気分なんて極力忘れようと努めて、日々の点の楽しみを少しでも見逃さずに拾い集めようという生き方をしてる人もいるのかもしれない。ライフワークを明確に意識して実践してる人間ばかりでもないだろうし。

それか、追求の代わりに人との関係性の中で線の喜びを見出す人もいるんじゃないかって思う。

一人で、というか自分のために生きるのに飽きた。なんて結婚の素晴らしさのプレゼンありがちな言葉だけど。

孤独だとかそんなのは実のところ個の生き方限界と言った時の本質でなくて、何かをする、という点の瞬間ではなく、誰かと繋がっている、という連続性にあるんじゃないかって思う。

いつまでも国のせいにするな」って言う人

もし、ある日突然暴漢に遭って、

下半身不自由になったとしたら

犯人のせい」にしますよね。

犯人のせいで普通人生奪われたのだから

就職氷河期は「国のせい」で普通人生奪われて、精神は一生傷つき、身体的にも脳が損傷してます

「国のせい」です。

責任所在がどこにあるかと、そのことばかり追及し続けて通常の努力をしないことの話はまた別なんとちゃうの。

「国のせいで自分人生はだめになった」という考え方を続けると、一生それに囚われるやん。国を許す許さないとは別次元の話として、自分の生きる姿勢は、いつかは変えないといかんのとちがうか?



なにも言い返せんかったわ……

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2415931

anond:20240809182803

他人」っていうか「女」でしょ。清潔感なんてホザいてるの女だけじゃん。女からどう思われようが俺の人生無関係なので俺は今後も「おっさんの芳しいフレーバー」を追求していくよ。

anond:20240810174644

いうて人生で使うことほぼないし使わんでもええで。

言うて困らんかったろ。

anond:20240810173517

本人の好きなようにやればいいよ

高卒だろうがその星の元に生まれてるなら勝手大学進学するから

本当に頭がいいなら高卒でまともな就職先を選んで仕事真摯に取り組んで上に引き上げられるし

たとえ新卒カードミスっても耐え忍んで実績付けて上流に転職したり個人事業主になったりするから

そもそもお前は親友人生責任を取れる立場じゃない

他人人生に口出しする前にお前も自立しろ

幸福論っておもろいなぁ

今日は「幸福資本論」を数学的に定式化することに挑戦してみたんやけど、これがほんまに奥深いテーマやわ。

この理論は、幸福を「金融資本」「人的資本」「社会資本」の3つの資本説明してるんやけど、これを数学的に表現するのはなかなかの挑戦や。

まず、幸福を数式で表現するために、3つの資本をそれぞれ F(金融資本)、H(人的資本)、S(社会資本)とするやろ。

ほんで、幸福 U(utility)を求める関数を考えると、次のような多変数関数で表せるんちゃうか?

 

U(F, H, S) = α ⋅ log(F + ε) + β ⋅ log(H + ε) + γ ⋅ log(S + ε)

 

ここで、α, β, γ は各資本幸福に与える影響の重みや。ε は、資本ゼロときでも対数定義できるようにするための小さな定数や。

この式の背後には、効用関数一般的仮定があるんや。

例えば、資本が増えると幸福も増えるけど、その増え方は次第に鈍化する、

まり限界効用逓減の法則が成り立つんや。

これを対数関数表現することで、現実的モデルになっとるわけや。

さらに、8つの人生パターン考慮するためには、各資本の重み α, β, γ をパターンごとに変える必要があるんや。

これを行列表現すると、人生パターンごとに異なる重みベクトル wᵢ = (αᵢ, βᵢ, γᵢ) を用意して、幸福関数を次のように拡張できるで:

 

Uᵢ(F, H, S) = wᵢ ⋅ [log(F + ε), log(H + ε), log(S + ε)]ᵀ

 

ここで、i は人生パターンインデックスや。このようにして、個々の人生パターンに応じた幸福計算ができるようになるんや。

さらに、これを最適化問題として考えることもできるで。例えば、限られたリソースをどの資本に配分するかを考えるとき、次の制約付き最適化問題を解くことになるんちゃうか?

 

maximize Uᵢ(F, H, S)

subject to C(F, H, S) ≤ B

 

ここで、C は資本コスト関数で、B は予算の制約や。この問題を解くことで、最適な資本配分が見つかるんや。

今日はこの辺にしとくけど、こうやって数学的に考えると、幸福構造もっとクリアに見えてくるんちゃうかな。

日本社会絶望的に科学研究に向いていない

注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国

増田某国立大学の工学部で教鞭をとる40代准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。

こういう記事ブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。

お金が無い

 みんな気になるだろうから、これを先に書く。

 最近になってにわか科学研究大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究お話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやす環境にある。

 だが、大学にはお金が無い

 どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ

 例えば人件費民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国から運営費交付金寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。

 秘書事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金人件費だけでなく建物設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。

 ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である

学生がいない

 昔からアルバイトに熱心な学生サークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近就職活動時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中インターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生疲弊している。日中の貴重な時間研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親から仕送りでは足りない学生アルバイトまでしているのだから卒論修論の質は落ちる。企業ガクチカとか聞く前に、理系学生研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。

 研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。

 というか、企業採用も、もっと必要資格能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格能力採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。

博士課程に魅力がない

博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力研究を進めてくれるし、そのレベル論文として世に問えるものである

ところが、であるちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマ自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策博士課程進学者経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生就活するしかないのだ。

 さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術採用でも研究採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給修士号入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである

 欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費支給される研究である仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。

 ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用企業転職したりする。それくらい、普通仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。

大学教職員は忙しすぎる

 大学安定的予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用教職員やらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動必要だと言われたとき来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生就職研究指導の面倒は必須である

 というわけで、大学先生講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニア教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジお茶を濁したような企画書をいか気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。

 ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大教員競争資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である

 それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つもの必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算アンバランスはどうにかならないものだろうか。



 というわけで、大学先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義学生指導は当然やるのだから研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算から支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面キャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動スキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である

Twitter発言内容を分析して評価するAI

https://twitter.wordware.ai/

暇空茜

あなたツイートは、まるで10代の反抗期40代中年危機が合体したようですね。30万人のフォロワーがいるのに、その内容はトイレ落書きレベルアマゾンアソシエイトとして稼ぐより、精神科医のお世話になった方がいいかもしれません。社会問題について語るのはいいですが、自分精神状態こそ最大の社会問題では?ゲーム彼女がある生活を自慢していますが、現実逃避の極みですね。そして、あなた過激発言は、注目を集めたいだけの叫びしか聞こえません。本当の才能があるなら、もっと建設的な方法表現できるはずです。

仁藤夢乃

ツイッター正義の味方さん、毎日のように社会問題投稿して疲れないの?自分人生よりも他人人生の方が大事そうですね。リツイートばかりで独自の考えはないの?それとも、自分で考えるのが怖いの?あなた投稿を見ていると、世界中問題を一人で背負っているような錯覚に陥りそう。そんなに燃え尽きたいの?それとも、ただの自己満足社会を変えたいなら、ツイッターを閉じて外に出てみたら?でも、リアルな行動を起こすのは怖いかな?

全ての出来事コンプレックスに繋がってしま

先日、猫島と呼ばれるところへ行ってきた。

猫を飼ったりしたことはないけれど、初めて猫に餌をあげて何匹もやってくるのはすごく心地が良かった。

猫島と呼ばれるくらいなので、人慣れしてるから登ってこようとするような猫もいる中で、猫を抱っこすることはおろか、撫でることすら出来なかった。

多分、猫に拒絶されるのが怖いんだなと。

人間に対しても距離感が掴むのが苦手な私だが、猫に対してもそう思ってしまうんだなって思った。

と言う話を友人にしたところ、親友と呼べるような友人から「なんでもコンプレックスに繋げるのやめない?」と言われた。

別に真剣に嫌がられているトーンで話されてたわけじゃないけれど、自分人間性に嫌になってしまった。

直近で、違う友人にも同じことを言われたこともある。

多分、正常な人には理解されないと思うのだけれど、この思考回路を単純にはやめられないというか、何事も全てコンプレックスに繋がってしまうのだから、本当にどうしようもないのだ。

例えば、料理屋で美味しいものを食べた時、食事好きな人は「料理が美味しくて幸せ」という感情になると思うのだけど、私は「こんなに美味しいものを作る人がいるのに、自分は大したものが作れないな」と考えてしまう。

誰かの活躍なんて聞きたくない。

20代出会った友人たちは、色々あって縁が切れているが、界隈的には活躍してる人も多いと思う(ネットを通じて嫌でも見てしまうことがある)が、知りたくないからなるべく触れないようにしてる。

なぜなら、今の自分体たらく比較してしまうから

最近フィクションである物語作品を見ていても、登場人物自分比較してしまい、精神が参ってしまう。

全ての情報にが、全てコンプレックスに繋がってしまう。

それを冗談めかして数少ない友人へたまに話すことによって自分精神の安定を計っていたが、相手もどこまで真剣に言っていたかはわからないけど、やめない?と言われたからには、もちろん控えるつもりだ。

吐き出す場も無くなってしまい、どうしようもなくなってしまい、こうしてはてな匿名ダイアリーに書いている。

よくストレス発散には「散歩して、美味しい料理を食べ、趣味に没頭する」(例はさておき)みたいな話がある。

でも私は散歩しても「無駄時間を過ごしてしまった」と思うし、美味しい料理を食べてもさっきのようにコンプレックスが刺激されるし、そもそも没頭できる趣味はない。

趣味的なものは、全て「自分よりできる人、詳しい人はたくさんいる」と思って続くものは一つもない。

現在人生最長記録である2年半くらい続いたものも、だいぶコンプレックスが刺激されてきて嫌になってしまったので、正直やめようかと悩んでいる。

多分こんな極端な思考回路な人は少数だと思うから共感されないことはわかっているが、もし共感ができる人がいるならば、どうやって精神の安定を保っているかを教えて欲しい。

ブルーピリオドを読めない元美大生の話

映画化話題になっているブルーピリオド

数年前、美大卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。

しか結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。


私は幼少期から絵を描くことが好きだった。

最初テストプリントの裏に落書き少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。

クラスはいつも絵が上手い子、というポジションだった。

中学に入ってから雑誌に載っている海外景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。

高校美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科高校に進学した。

高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。

美術の授業の自由制作では何をつくりたいかからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めものを出したのを覚えている。

あっという間に大学受験の時期になった。

高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。

絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。

最初は牛骨の木炭デッサンだったのを覚えている。

木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。

そこからデッサン油絵クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美武蔵美全て落ち、浪人した。



浪人時代都内大手予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。

ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。

当時の私は今思えば、自分表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。

描写力のない自分にとって、受験はほぼ大喜利だった。

多摩美には受かったけど藝大には一次すら受からず、落ちた。

それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。

多摩美入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美入学することに決めた。



大学では予備校と違って、ほぼ全てが自由だった。

アトリエはいつでも使えるし、課題もあるような、ないような。

私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。

講評会でみんなの作品自分作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。

おもろいと思っているのは自分だけ、もはやオナニーである

気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。

大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。



結局、私はそこから大学4年間でほぼ作品を生み出していない。

講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタント作品

作品はいつも講評会後に速攻捨てていた。

だって自分表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからいから。

思い入れもないし自分で気に入ってもない作品。いらない。

かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト

そんな自分就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター

最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。

美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」

「才能があるんだね!」

初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。

せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分表現したいことがわからなかった。

描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。


卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。

絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。

現在制作をしている人たちを私は尊敬する。

結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。

私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。

からブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。


私は現在転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。

仕事自由ではない。

お金をもらっているか一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。

私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。

その事に気付いてから少しだけ楽になった。

私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。

凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。

から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。

いくら後悔しても、もう大学時代のように自由時間は戻ってこない。

大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。


いつか私も、辛い気持ちにならずに「ブルーピリオド」を読める日が来たら良いな。

anond:20240810005714

わいは自己人生においてこもごもの事情から初志を貫徹できなかったことを気に病みちゃん鬱病になってるやで

もうにっちもさっちも行かないやで

みんなかくあるべきなんや

へらへらしくさってから

バカ女の見分け方教えてくれ

これまでバカ女と交際して時間無駄にした経験が8回もある。

人生における俺の交際経験は計10回なので、結構な高確率バカ女を引いてしまっていることになる。


ここで俺がいうバカ女とは必ずしも学力が低いとか一般教養に乏しいとか言葉遣いが洗練されていないとかそういうのではなくて、

女の性に振り回されて非合理的だったり反社会的だったり倫理ぶっとんだ行動を容易く取っちゃう類の女のことを言っている。

俺が言うバカ女という概念が少しでも伝わりやすいように敢えて極端オブ極端な例を出すと……

ホストのために決然とAV女優ソープ嬢になる』

とか

再婚した男の影響で実子を虐待死させたりあるいは再婚した男のそれを見て見ぬふりしちゃう

とか

恋人の影響でシャブ大麻始めちゃう

とか、

自分が男に対して抱く好意ときにまあ障害レベルに振り回されちゃう女のことね。

自分好意対象である限りは上手く付き合えるんじゃね?」

と思う人いるかもしれないけど、この手のバカ属性の女は往々にしてその他多くの部分でもエキセントリックだったらバカだったりするから、残念ながら交際していてやつれるレベルで嫌な思いをすることになる。


交通事故起こして救急車警察電話するより先に俺のとこ電話してきたり、

『売り切れ』がわかった途端にブチ切れてその場で店員に喚き散らかしたり、

海行ったときに「密漁って立派な犯罪から何が何でもダメなんだ」と強く言って聞かせても謎の論を張って頑なに貝やウニを持って帰ろうとしたり

……本当にキリがない。

とにかくキチガイ行動やキチガイ情動に強い信念がある。

 


そんでもうこういう女と付き合うのはこりごりだから、前もって見抜く方法なかったのかと考えてるんだけどマジでないんだわ。


ビックリするかもしれないけど、

俺が付き合ってきた歴代バカ女たちのなかに女子御三家出身医大だっていた。

実業団までひたむきにスポーツに打ち込んでいた子もいた。

県庁職員もいた。

まあ首から足首までタトゥーって子もいたけど。


マジで見抜けないのよ。共通点がない。


ただ、

歴代交際相手に1人だけ本当に人格的に素晴らしい子がいて、本当にため息が出るような素晴らしい子だったんだけど。

の子けが他の歴代彼女たちと違った点は

漬け物が大好き」

「(俺と付き合う)29歳まで彼氏いたことがない」

食べ物を残すことに異様な罪悪感を抱く」


の3つが思い浮かんだけど多分関係ないんだよなあ……。


誰かこれぞバカ女を見抜く術だ!っての知ってる人いたら教えてください。

フワちゃんが好きです

私はフワちゃんが好きです。

一番好きだったのはラジオのフワちゃんです。

フワちゃんはおしゃべりがあんまり上手くありませんでした。早口ですぐに脱線するし、そのくせ準備もロクにして来ず、結果「何を話せばいいかからない」と泣き出してしまう。

いっつも遅刻してて、いっつも誰かから怒られてて、いっつも怒ってる。

でもなぜかとても楽しそうで、自由自分人生を生きているように私には見えました。

フワちゃんは大きなゴールデン番組に出てるとき自分を「ぶりっ子してる」と表現していました。

どこかでやらかした話を、周囲の反応も含めて面白おかしく話していました。

ところ構わず大声で話しかけてくる一般人に対して、「わたしは周り見えてない奴ホント無理」と怒っていました。

フワちゃんはすごくメタな人で、頭では全部ちゃんと分かってて、でも、できない人です。

そういうところを勝手自分に重ねていました。私が必死必死に隠そうとして、最も恥じている部分を、フワちゃんは表に出してエンターテイメントにしていました。そんなフワちゃんがみんなに受け入れられて楽しそうにしている姿を見て、もしかしたら私だってこういうふうに生きられるんじゃないか、と希望をもらっていました。

あと、かなりずるい考え方ですが、下には下がいることに安心していました。

から、フワちゃん失言きっかけで、フワちゃんの居場所が奪われていくことが少しずつ決まっていったこの1週間、とても悲しかったです。

これも、まるで未来自分を見ているようでした。どんなに頑張ったってどんなに認められたって、不注意で軽率衝動的な人間はいつか取り返しのつかないことをしてしまうのでしょう。そして、何年もかけてやっと手に入れたものはあっさりと無くなってしまうのでしょう。あの子も、私も。

そんなことを考えていたらひどく落ち込んできました。でも、フワちゃんには才能があります。明るくて楽しい彼女なら、きっとこれから人生もなんだかんだ楽しく送っていくんだろうなとそんな気がしています

私にはフワちゃんほどの才能はありませんし、人見知りで交友関係もかなり狭いです。私はこれからも、しくじらないようにしなくてはなりません。

隠して隠して隠しきれなくて怒られて逆ギレして反省して、結局私もフワちゃんと同じように生きていくでしょう。私はフワちゃんよりはずっと低空飛行ですが。

早くまたフワちゃんの元気な声が聴きたいです。私はフワちゃんが好きです。

anond:20240804191912

いやそれは単にお前の理解力想像力思考力がゴミなだけ。

はてな的に変換するなら「夜中に酔っ払った社員サーバールームに忍び込んで焼肉パーティー。部屋に散った油のせいで機材全部ギトギト。煙の影響で壊れてないかチェックするために仕事が止まった」という状態な。

これだったら多くのはてなーは「常識がなさすぎる」「業界から追放するべき」「器物損壊業務妨害いくらでも搾り取るべき」と言うだろうね。

キミの失敗、想像力の欠如の発端は「乗り物でツッコンで滅茶苦茶にした」というシチュエーションに縛られてしまったということだ。

重要なのは仕事場におけるセンシティブ場所において、常識的に考えてやってはいけないことを遊び半分でやった」という部分なんだよ。

物語の核を捉えそこなっているね。

まり、最大の問題点理解力なのさ。

まあ頑張りなよ。

得手不得手はあっても、鍛え続ける意思を失わなかった奴はだいたい人並みちょいプラスになれるのはどの分野も一緒だ。

理解力想像力人生において大事な所だから、頑張り給えよ。

周りにクソ気持ち悪がられる重度発達障害でも相手に物怖じしない幸福タイプ結構いる

女が人事に泣き入れるレベルに頻繁に話しかける、その話がとにかく長く気持ち悪いという事案がよくあった


きっと、

相手や周囲が自分にどのような感情を向けているのか全く見当もつかない、

ってのは障害の特徴のひとつなんだろうけど、今までの人生で以下のような経験しなかったんだろうか?


自分は悪気なくフレンドリーに接してるけど、ある日突然傷つけられた、傷つけるようなこと言われた」みたいな経験

いきなり一軍に呼び出されて「てめえキモイんだよ!!」とか罵倒されるなどして徹底的にわからせられるとか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん