はてなキーワード: 事故とは
いけず石は最高なんだよね。2〜30万する柵とかバリケードぶっ壊されるよりも断然良い。防犯カメラなきゃ泣き寝入りだもの… - Togetter [トゥギャッター]
https://togetter.com/li/2420298
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2420298
ffggmm これで困るのは、公道と私有地の区別がついていないようなドライバーだけだし、別にいいのでは。そうした運転は、人にぶつかるリスクも上がる。
tafutanisu イケズ石は理に適ってるんだから、京都弄りのネタとして消費するんじゃなくてもっと活用しても良いと思うぞ
kotetsu306 この程度で怖いだのぶつかるだの言う人は、市街地に車で入るのはもっと運転に習熟してからにしてくださいね。京都へは公共交通機関でお越しやす
ababababababababa この石にぶつける人は運転が下手なので気をつけてください。その石の代わりにうずくまった幼児やネコ等がいるかもしれません。この程度で視認性が悪い(そもそも道路じゃない)なんて言ってたら事故を起こしますよ
えっ、ブクマカのみなさん隅切りも知らんの?
隅切り(すみ切り)についてわかりやすくまとめた
https://iqrafudosan.com/channel/corner-cutting
建築基準法で、角地には「隅切り」と呼ばれる部分を設ける必要がある。ここは空き地にする必要がある。
当たり前だが車が曲がりやすくしたり視認性をよくするのが目的だ。狭い道路もあるんだし当たり前の措置だ。
これを守って石置いてるなら別にいいが、どう考えてもそうでないものがたくさんあるよな。石どころか普通に塀建ててる家も結構ある。我が家の側の家も長年そうだったが、こないだ家主が売却するに当たって業者がすり切り部分の塀を破壊して売りに出してた。違法状態では売れないからだろう。
隅切り部分に塀ではなく石を置くことが違法かどうか?具体的には各都市の条例にもよるだろうが、法律の意図を考えればどう考えてもそこには石を置くべきではない。
まあ単純な話なんだけど、駅まで歩いていくとかバスの時間調べるとかそういうのが億劫であんまり外出しなくなってた。
自転車もそんな遠くまでは行けない。
そもそも自営業で家から一歩もでなくても生活できるのでなんも困ってなかった。
でも家族とのいざこざもあって鬱っぽくなって紆余曲折あって結局別の意味で家を出た。
そんでちょっと不便な所なのでついでに普通車免許も取ることにした。
わりかし昔からぼんやりしてる性格なので免許なんか絶対取れないって思い込んでいたのもある。
でも一念発起して教習所に通ったら、意外にも1ヶ月半であっさり免許取れて、いまんとこ無事故無違反でいけてる。
最初のうちの恐怖感もすっかりなくなった。
今までめちゃくちゃ引きこもりだったのに、とにかく運転が楽しくて楽しくてなにかしら理由をつけて毎日のように外出してる。
今までも人生においてそれなりに思い通りにやってきたはずなのに、なぜかずっと無力感や人生における制約を感じてた。
それがただ単にそういう物理的な制約が一個なくなっただけのことなのに、こんなにも精神に影響するとは。
電車やバスの経路や時間を調べなくてもいい、そこまで行く手段がないからって諦めなくてもいい、誰かの都合を訊いて助手席や後部座席に座らせて頂かなくてもいい、自分の都合だけで自由にどこまでも。
こんなんで気が晴れるとはアホらしくもあり、自分の単純さに呆れつつも、おくればせながら翼を授かったことに無上の喜びを感じてるところ。
ナニコレ、真っ暗闇が続いてるんだけど?
客のこと舐めてます?
俺さー映画館で上映開始前にCMが10分ぐらい流れるのマジで嫌いなんだよね。
そのあとに出てくる安全のための案内が作品オリジナルじゃなくて映画館の汎用だとマジで萎える。
4DXとかのCMでで最初に椅子ガチャガチャ動かすのは「この辺が動きますから、上映中にガタガタなっても気にしないで下さいね。後ろの人が蹴ってるんじゃないですよ」って注意喚起として許せるんだけどさあ。
んでまあ2001年宇宙の旅?
は?
客を舐めてる。
ようやく映画が始まったぜよっこいせとなった観客に3分間「それでは映画館の音響をお楽しみください」ってなんやねん。
こんなん本番でやられたら機材の故障を疑ってスタッフ呼びに行くわ。
実際、少し前に映画館行った時に機材故障で声が出ないシーンが5分ぐらい続いてさ、最初はみんなそういう演出かと思ってたんだけど流石にコレは違うなとなって段々劇場の空気がザワついてさ、そんで誰かがスタッフを呼びに行って少ししたらスタッフがやってきて「故障ですので10分ぐらい巻き戻します」だとよ。
面白くもない溜めのシーンを2回も見せられて退屈で寝そうになったわ。
始まったばかりの映画が3分間何も見せないってのはそういうレベルの事故なのよ。
マジで舐めてる。
こんなんホメてる奴ら、全員バカです。
これはデカいと思うんだよな
Unityとか、Unrealとか、物理エンジンもBox2DとかBulletとか、当然昔はなかったので、みんな自前で書いてたはず
例えば、スーパーマリオの物理挙動とか衝突判定は当たり前だけど自前で書いてたはず
でも、今はブロック崩しさえUnityとかUnrealに含まれてる物理エンジンで剛体力学使って書けちゃう
なんかそういうの無駄な計算力だよなと思うけど、まあ書けちゃう、動いちゃう
昔はゲーム作るときって、リードプログラマーが1人いて、他も数人で、少人数で職人芸的に作ってたわけだよ
全て自前でやらなければいけないから、簡易的なものを作るにしても、一応大学でやった物理を再度勉強したりするわけだ
剛体力学とか、流体力学とか、材料力学とか、そのための数学とか勉強し直したりした
あと、ゲーム業界がバブル?だった頃は、海外なんかでは物理とか数学で博士号取ったような奴までゲーム産業に入って来た
彼らはゲーム業界に進まなければ、銀行とか保険会社、証券会社とかもある、もっと高給な仕事がいっぱいあるはずなのに、薄給のゲーム産業に飛び込んできた
彼らが高度な知識で色々な試みをしてくれたおかげで、今のゲーム産業があると言っても過言ではないと思う
だって、日本のゲームってどれも枯れた技術の水平思考ばっかりなんだもん
悪く言えば、保守的、必ず作り上げるという意思から石橋を叩きすぎたようなものを作る
例えば、初代のバイオハザードだったか、カメラ固定だったじゃん
今どきアローン・イン・ザダークかよwって思ったよなw
あの頃、自分はPCでDOSとかで普通にFPSやってたから、あくまで技術的にだけど、アホじゃないかと思ったんだよな
でも、周囲のプログラムとかIT業界に関係のない知人とかは喜んで遊んでる
日本のバイオが固定視点なのに対して、海外勢はFPSとか三人称視点ちゃんと作ってたよな
日本でFPSっぽいの初代PSでちゃんとやってたの、攻殻機動隊だと思うんだよね
今に至るまで、最も原作の意味をくみ取ってたアニメだったし、石野卓球なりの曲も良かった
時は流れて、今の日本のゲームもみんなUnityとかUnrealになった
Godot選択する人もいるかもしれないけど、あれ、良さそうだと思ったけど、情報少なすぎるよね
ソースは公開されてるんだから、ソースを読め的な感じもしたし、今どき?
独自スクリプト勉強するのもなんだな、と思って、ちょっと使う以上に使う気になれなかったんだよな
調べてもらわなくても、まあ、分かるだろうけど、UnityとかUnrealの開発者、日本人とかもいる、はかなり著名なゲームを開発した人も含まれてるよね
彼らは、当たり前だけどUnityとかUnrealがない時代は、当然自分たちで全てを書いてきた人たちだ
リードプログラマーが一人といったけど、かなりの分量をリードが書くはず
ほとんど一人開発と言ってもいい
あと、そういうリードプログラマーは職人みたいなものなので、自分で書いた数学ライブラリとか、物理エンジンとか、持ち歩いて会社を転々としてる人もいたはず
厳密には権利の問題もあるかもしれないけど、そういう優れた人材は引っ張りだこなので、会社を転々として、
その場その場で、自分で1行目から書いた、自分しか持ってない自前のvecmathライブラリとか、物理とか、ノウハウを財産として持って移動しまくってた
で、そうやって業界をサバイバルしてきた人たちのトップランナーが、今はUnityとかUnrealで開発とか営業とかやってる
多分だけど、もうコアな部分を書くことなんてなくなっているだろう
Unity、Unreal以前は、行く場所行く場所で、ゲームエンジンレベルからゼロから書いていた
でも、Unity、Unrealはそれを当たり前だけど共通化するわけで、そしたら一度書けば、それはずっと使われるコードになる、当たり前のこと言ってるけど
で、困っちゃうのは、そんなトップランナーになれなかったゲーム開発者だ
ゲームエンジンを開発するための、数学や物理、コードに関する能力、特にCやC++が多いだろうけど、そういう能力はある
自分は凡人以下だろうけど、かなり凄い人もいるんだろうけど、そういう人も含めて、ゲームエンジンレベルから作る職人芸は無意味、無価値になった
もちろん、まったく無駄にはならない
結局、Unity、Unrealを使うときに、単に使うだけでも中の挙動を勉強しなければいけない
でもね…
もう、ゲーム開発がコードをガリガリ書く仕事というより、コンテンツを作る作業にほぼなっちゃってないか?
3DCGのモデリング、シェーダー、ゲーム本体も含めて、箱と箱を線で繋ぐような作業でゲームができるようになってる、とっくになってる
そうすると、もうC、C++でガリガリゼロから書いていた人とか、
それこそ、PS2の開発はよく知らんが、悪評が高い、あれはOSレベルから書かされたりしていたように聞いてるし、
そういう人たちもゲーム開発の現場でそういった知識が活かされることはもうない
逆に、北欧で生活保護もらったりしてただろうNotchのマインクラフトとかの方が成功しちゃったりしてるよね
あれはゲームエンジン?と言っていいのか分からんけど、あの独特のボクセルの世界はゼロからJavaで書いたものだ
彼は時間制限でゲームを開発するイベントに数多く参加していて、いつもJavaでサクッとゲームを作っていた
だって、プロのゲームプログラマーっぽくはない、Javaでしか書いてないとか、それこそJavaの方が生産性が高いみたいに言ったら、日本のゲーム業界だったら鼻で笑われてただろう
彼はマインクラフトの前に、ゲーム会社に所属していたし、そこで開発していたのは、世界をすべて緻密に構築するようなゲームだったらしいけど、
自分の予想だけど、そんなの全地球シミュレーターの簡易版みたいなもので、無謀な試みというか、かなり複雑な仕組みになっていたはずだ、自分が聞いてたら、実現できるかさえ怪しい、と思っただろう
彼は世界を緻密なボクセルやポリゴンではなくて、大きなボクセルで実現することにした、まずそこが出発点であることは間違いないだろう
そこからセルオートマトンで川とか水を実現できるんじゃないかみたいに発想が膨らむよね、プログラマーなら
話をまとめると、ITがつまらなくなった話はゲーム開発にも置き換えることができる気がしている
昔のゲーム開発に少しでも携わっていた自分のような人たちは、今の時代では老害だということは重々承知しているし、
多分、今、ゲーム開発に興味がある子供とかがゲームに望んでいること、ゲーム開発でやりたいと思っていること、と自分たちの世代のゲーム開発者がやりたいと思ってたこと、やってきたことは、もう全然乖離してるんだと思う
考えてることが乖離してるんだから、話が通じないのはおかしくない
違う世界を生きてる人、偏差値がいくつ違えば会話が成立しないなんて話もあるように、今の子供たちと会話が成立しないのはおかしくない
そして、当たり前だが、現状を正しく認識しているのは、今の子供の方の可能性が高い
基本的にはCやC++で膨大なコードを短期間に書くことが要求される仕事だった
それが今の子供たち、というか、今の時代の環境に慣れた人たちにできる仕事とは到底思えない
そういうトッププレイヤーは、今はAIなり何か、最先端のものをそういった企業のコアの部署で、コアなものを開発しているはずだ
でも、そうなれなかった人たちはどうなる?
高度な彫り物とかするような職人が、NC工作機器とかで彫り物をするようになったら、職人は必要なくならないか?
伝統工芸だの、人間国宝だの、そうやって手で作ったものの方が温かみがあるみたいなオカルトに守られて生きられる人間がどれだけいるだろうか?
その、人間国宝レベルの人たちがUnityやUnrealのような企業に吸収されていく
あとは過去に開発したゲームのネームバリューを活かして講師職になるとか、そういう感じだろう
そうなれた人間がどれだけいるだろうか?
優れたリードプログラマーに触発され、職人になるべく数学や物理、プログラミングの知識習得を重ね、朝から晩までひたすらコードを書いていたのに、
今の生成AIは大したことないと自分も思うが、驚き屋wwwとか馬鹿にしてる奴らは、いつかうっかりAIに職を失われないか、よく普段から考えた方がいい
あと、AIに職を奪われたくないから、プログラミング頑張る、みたいな奴は、俺的には間違った頑張り方だと思うw
そのプログラミング自体がなくなるかもしれない、って言ってるんだって
技術習得とか、自分の技術でマウンティングし合ったりする暇があるなら、別業種のことでも勉強した方がいい
そういえば、優れたアニメーターだった人が、作画として年齢的に限界にあるし、親族にもアニメーター辞めるように言われてたらしいけど、
ある日バイク事故にあって、アニメーターを続けられなくなって、その人は年齢的にギリギリで清掃車運転する仕事についてたはず
立派な公務員になれて、空いた時間で絵を描いては、市役所などで販売してたはずだ
何が人生として幸運かなんて分からないけど、必ずしもアニメーターが庵野とか宮崎駿を目指すのが幸せなのだろうか?
どこかで自分の仕事を辞めて、それを趣味にして、安定した仕事に就いた方が、心の平安が得られるのではないだろうか?
というか、富野アニメなんか、やたら名誉を優先して失敗する人が出てくるよね
長い人生生きてきた老害には、ああいうのなんかよくわかるんだよね…😟
みんなが驚き屋って読んでる人たちは、基本的にPythonとかも書けないし、計算機科学とか数値計算の知識とか曖昧というか、まったくないような輩がいるし、
元の文章である「ITがつまらなくなった」だったかの文章にもあったように、ビジネスのアイディアだけある胡散臭い素人が乱入してきた感があるわけだけど、
でも、老害って若い世代とか新しいものを疑ったり反発しがちなんだよな、自分も含めて
だから、たしかに驚き屋の連中のかなりは胡散臭い、詐欺師みたいな、出まかせで大金持ちになったスティーブジョブズの極小コピーみたいな連中ばかりではあるけど、
でも、生成AIとか、これから汎用AIとかもどうなるのか分からんけど、どんどん素人に有利になってくと思うんだよな
だって、UnityとかUnrealで作ってる世代はガリガリC++書くのなんて馬鹿げてると思ってるだろうし、
プログラミン技術がもっと怪しいのはWebアプリ界隈も同じだと思うんだよな
RailsやPHPで書いてる連中と、C++で書いてる連中の世界は、見えてる世界がかなり違うんだよ
そもそも、そういう輩はLinuxとかWindows上で書いてるわけで、いわゆる家庭用ゲーム機とかでコード書いたことないだろ?
でも、Xbox発売時にビルゲイツが言ったように、(なんかSEGAだかソニーだか知らんけど)所詮ゲーム機なんて機能が制限されたパソコンだよね、
nVIDIAとかGPUカードどんどん作るんだし、パソコンの方が最先端のグラフィックスが体験できるよね、
みたいに言いつつ、Xbox発売したわけだけど、自分もそう思ったけど、あの預言は的中したよね
情弱と信者だけ任天堂Switchとか使ってるんであって、ビルゲイツが言ったように、ゲーム機の中身は機能が制限されたパソコンだよ
昔、TRONというプロジェクトがあって、あれを孫正義がクソミソに言ったという話があったと思うんだけど、
日本だけで閉じたプロジェクトを出発させても、アメリカの豊富な資金で、カネと資源という暴力で作られるオープンな世界に絶対負ける、ようなことを言ってて、
当然、そのあとIntelなりWindowsに日本は負けるし、半導体としては台湾に90年代で既に負け始めてたわけで、
家庭用ゲーム機も同じで、家庭用ゲーム機の新しいバージョンが出るまでのスパン、機能は固定されるから安定して確実に動作するゲームが販売できるとか、
色々利点はあるんだろうけど、でも、その間に日進月歩で、それこそnVIDIAみたいな企業がどんどん進んでいくわけで、
グラフィクスシンセサイザーwとか名前はカッコいいけどさ、名前に準じてたら、今頃ソニーNVIDIAに勝ってない?違うでしょ?
話を戻すと、どんどん素人が参入してきて、その素人が頓珍漢なことを言ってるのが不愉快だ、許せない、驚き屋氏ね、みたいな気持ちは分かるけど、
素人が参入できるようになった、というのは、世の中の流れが変わったわけで、そういう若い世代をただバカにするというのは、老害しぐさだよね
気持ちは分かるけど、ドラえもんのように生暖かく見守るとともに、老害も新しい技術とか、素人が驚いていることをちゃんと咀嚼して、吸収していく必要があるんじゃないの?
ちゃんと大学、大学院で計算機科学、情報科学をやってきったわけだし、あやふやな知識でイキってる若者に対して老人が取るべき態度ってそういうもんじゃないの?
例えば、子供が初めて何かを見て驚く、それを大人が見て、そんなのはありふれてる、驚き屋wwwと思うだろうか?
子供は素人だから初めて体験したわけで、なぜ子供がそれを見て驚いたのか?とか、子供の目線でちゃんと考えられる人は、教える人に向いてる人だと思う
他人に教えることがうまい人は、自分の経験、能力も整理することがうまい
夢に俺が出てきて、ずっと「お母さんお母さん」て呼んでたから何かあったんじゃないかと思ってとの事。でもまあ別に大病したわけでも事故にあったわけでもなく順調というか普通に暮らしてる。
こういう何か嫌な予感がしたから電話したら事故にあってたとか大病してたとわかったとかたまに聞く奇跡エピソードってあるけどそういう事をする人間が沢山いればその中にたまたま病気とか事故のタイミングと重なる事例はそりゃあるよねってだけの話なんだよね。要するに偶然。
でもそういう大半の「外れ」はいずれ忘れてしまうし注目されるのは「当たり」だけだから、それだけ観てしまうと人間には不思議な力があるみたいに思う人が出てくるんだろうな。
明治初めの1873年に、庄屋一家殺しをしたりして、鉱山を買い集めた二三郎一派などの鉱業家がいた
マサチューセッツに学んだ鉱山事業家の団らが設立した東京銀座の井三生命の資金が、暗殺妻の送り込みに使われた
ところが、暗殺妻の子の一人が、事故の策謀に気づき(整形外科が治療を拒否したからである)、2008年にネットで弁護士に公開相談
すると井三Gは、自賠責の日同あい保険を買収し、さらに子イジメを画策
井三生命は名称を変えさせねばと、本日生命に売却し樹大生命という社名にした(2019年)
暗殺妻の子は裁判所からも冷遇されているが、すんでのところで敗訴は逃れた
暗殺妻の子にとっての悪は、日同あい保険を持つADMSホールディングスか、井三生命を買い取った本日生命かと言えば、前者であろうし、また200万円で井三に買収された整形外科医や、裁判資料を横領した弁護士、ひき逃げ事件を区検へ送致して略式裁判で終わらせた東京地検も、暗殺妻を保護している老人施設も、夫院内事故死事件を受理しない警察も、いわば悪である
さて悪はどう滅ぶかである
バンパーとかガワを外してからひん曲がったフレームをバキバキ言いながら伸ばすの気持ちよすぎだろ! 欲しいかと言われたら絶対買いたくないけど。こうして私達の食卓に届けられる
翻訳 https://econ101.jp/notes-on-progress-an-environmentalist/
「環境に良いとされている生活習慣(ビニール・プラスチック消費、地産地消)は実際には環境に良くないことが多い」
原文
https://www.worksinprogress.news/p/notes-on-progress-an-environmentalist
An environmentalist gets lunch-Why being an effective environmentalist can often feel like being a bad one
環境活動家の飯の種ーどうして論理的には環境に良い行動が環境に悪く思えるのか
ここでいう環境は、オゾン層の破壊とかCO2排出とかの科学的な数字はビニール袋の方がコットンのトートバックよりすごく小さいみたいな話をしているのだが、
生分解性の話は環境負荷として計算に入っていない。原発についても同様で、原発の直接の死者がとても少なくて、原発より石炭火力の煤煙で呼吸器疾患になり死ぬ人の方が多い、みたいな話をしている。福島の事故は例外中に例外で確率とか数字でいうと誤差、みたいな論理の組み立てなのた。
ここでリッチー先生が言いたいのはたぶん、ビニール袋が環境に良いという話ではなくて、必ずしも科学的でない環境活動家の主張が支持されるのはなぜか、みたいなことについてのエッセイなのだ。
実際、アニメとかでありがちな「飛び出した奴を助けて轢かれて死亡」ってパターンだけど、現実だとどうなるか気になるよな。
まず、車の運転手は道路交通法的に「ちゃんと安全に運転しろよ」って義務があるから、基本的に事故起こしたら責任問われるし、罰金とか最悪懲役とか行く可能性もある。でも、飛び出した側が悪い場合もあるんだわ。
たとえば、明らかに赤信号無視とか、横断歩道でもないところから急に飛び出したりしたら、そいつにも過失が認められる場合がある。罰金とか反則金が取られる可能性もゼロじゃない。
で、事故が起きた場合、よく「過失割合」ってのが出てくるんだけど、これは運転手と歩行者がどんだけ悪かったかを%で割り振るやつ。たとえば、飛び出した奴が明らかにヤバい行動してたら、そいつの過失割合が高くなって、運転手の責任はちょっと軽くなる。でも、完全に運転手が無罪放免ってわけじゃなくて、運転手側にも一定の注意義務があるから、責任はゼロにはならんのよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/Mayday-study
このエントリのブコメ見て初めてはっきり認識したんだけど、自分って航空機事故遺族なんだよなあ
なんか、あ、そうだったなって
今初めて腑に落ちた感じになってる
当時小学校低学年だったからはっきり覚えてなくてすべてが大人の伝聞で、事故の連絡が来てからの大人たちの慌ただしさと情報のなさと、夜中にきょうだいと二人で家で待ちながら不安になったことと、「重体」ってだってまだ生きてるってことだから助かる可能性あるんでしょ?って一人だけ勘違いしてて楽観的で場違いなことを言っちゃったことと、たびたび、ついこの間もかっこいい車でマックに連れて行ってくれた人が死ぬのかもしれないという不思議さとどこか詰め所に移動してからやっぱりきょうだいと身を寄せ合って読んだ「燃える!お兄さん」がこんなときでも面白くて二人で同じとこで噴き出しちゃって気まずくなったこととか、そんなことだけ覚えている
結局亡くなったあとのお葬式で、その人のお母さんがほら目を開けた!開けた!って棺の中の人に縋りついて泣いててお葬式って本当にこうなんだなって思った
しかしこれらの記憶ももう正確かどうかわからないくらいの時間が経った
自分は喪主になった人の家族でその苦しんだ人も突然の病で数年前に看取って、あのときのことを話したり泣いたりはっきり覚えている人もだんだんこの世に少なくなってきた
遺族同士で連絡を取り合うでもない、誰かに実は自分の家族は…と積極的に話したいことでもない
みんな多分意識的に黙っていたのだ
しかし航空事故なので詳細な事故調報告も裁判記録も今でもネット上にはっきりこと細かに残っている
数年前初めて意識して検索してそれを見つけたとき、やっとなにがあったのか初めてわかった気がした
本当に大変な事故だったんだよな、その後のことも
その後あの人もあの人もあの人も自分も本当によく生きてきたものだ
こんなの大人になってからしかわからないよ本当には、そして大人だって決して体験したくなかったに違いない、という類の重たいもので自分の体験は意識的に上書きされた
かつての実際上の体験としては風化しているものがテキストではつまびらかに入ってきてあのときより生々しく感じられた
それでも自分が遺族って気分じゃなかったけど、なんか昨日なぜかストンと納得した
嫌だなあという気持ちも悲しいなという気持ちもない、他人ごとではないけど、ただそうなんだったなって把握があった
あくまで自分にとってはだけど、こういう体験ってごく個人的なものになってしまっているということだろう
もちろん個別のその事故を面白おかしく扱われれば腹も立ったり困惑したりもするのだろうけど
なんていうか、遺族って結構そこらじゅうにいて珍しくない人たちだと思う
不謹慎かそうでないか論戦もきっと茫洋としながら黙って見ているだけだ
なんとなくそのことだけわかっていてはほしいとは思った
ごめん、あまり詳しくは書けない
書きたかったことは最後の何行かの部分で事故の詳細そのものじゃないから
かなりぼんやりさせたつもりだけど、このお葬式や詰め所の書き方でもその場にいた人や自分のきょうだいが覚えていればあああの事故だな、書いたのはあの子かなってわかってしまうと思う
(自分にとっては書いておく必要があった)個人の雑感だとしてもこうして書き残すことを快く思わない関係者の人もいるだろうし、そういう人たちに悲しい思いをさせたいわけじゃない
なら書くなって話だけどさ……
こんな義兄としっかり縁切りできる理由で来たと思って書面にして縁を切ればいいのではないかと思う。将来何があってもかかわらないってことも含めて。なんせ世の中は入院も手術も事故も警察も「身内」は必要だから。書面は義兄もそうだけど義親にも「かかわらせない」をはっきり書面で約束しておく。
もし義親が保証してくれるなら1年後に義兄負担で結婚記念パーティすればいいとおもうけどおそらく義兄ださないから義親に出してもらうといいと思う。
夫がこっそりださないようにだけ注意だな
会社ではそこそこのベテランとして頼られてて、現場と営業をつなぐ代えがたい人材みたいな扱いを受けていたはずだった。
でもある日、治らない病気持ちになった。
普通に通勤してたらガチれるのは1日4時間ぐらいで、あとの時間は体のケアに費やされていると言っていい。
テレワークさせて貰えるようにはなったけど、会社の業態がテレワークと噛み合ってないせいで昔みたいには出来ない。
一番痛いのはなんとなく皆の話が耳に入っていたのが全く聞こえなくなったこと。
噂好きのサボり魔が社内チャットで色々うわさ話をしてくるけど、あくまでそういうタイプの人間が面白おかしく話してるレベルでしかないので信用すると痛い目を見る。
でも今はもう無理だ。
当然のように待遇は大きく変わった。
俺用の特別な給与体系を作るわけにもいかず、俺は独立させられてフリーランスとして雇われている。
ただでさえ色々と振りになっているのに、給料も大幅に下げられた。
でも文句は言えない。
闘病にかかる費用を考えると貯金がギリギリ減らないラインを維持するので精一杯だ。
何が一番辛いって、俺抜きでも職場は回っているということだ。
俺が抜けたことで仕事のやり方は結構変わったらしく、「今まで通り仕事を続けていくにあたって代えがたい人材」だったのは間違いないらしい。
だけどそれは職場のやり方を変えるという一手間を惜しむことが出来るぐらいの意味しかなかったわけだ。
虚しい。
給料はそこらのリーマンなんかよりずっと貰っていて、公務員になった知り合いと飲みに行ったりした時は「アホだなー俺なんてこんな貰ってるぜwww」とマウントも取れていた。
でも今は逆にマウントを取られる側。
それも男女ひっくるめた日本人の中央年収っていうパートタイムや派遣がウジャウジャ入ってくるような物からマウントを取られている。
これから就職活動をするなら病気の人間としてなんだろうけど、障害者雇用をさせて貰えるってわけじゃない。
つうか、もし出来たとしても障害者レベルの給料しか貰えないなんてこっちから願い下げだ。
ちょっと同じ会社で長く務めてただけで大して能力があるわけでもない人間なんだってことが今ならよく分かる。
会社が上手く行ってただけで俺が凄かったわけじゃないんだ。
虚しいわ。
社会的に成功するのってこんなにも簡単に崩れるようなものなんだな。
貯金はある。
でも今後増えることはないだろうな。
投資で上手く増やそうなんて夢みたいな話を考える余裕なんてない。
何が一番辛いって、俺の職業人としての能力が、全然替えがきくってことが証明されたことだ。
とにかくこれが辛い。
俺は、何も掴んじゃいなかったんだなあ。