はてなキーワード: マイミクとは
自分の誕生日アピールとか、Twitterのアンケート機能とか、
◯◯RTされたら▲▲するとか、そういうのが怖くてできない。
日頃から反応とか絡みがほぼない独り言状態なのに、なぜそういうことをしようと思うのか、
勘違いしておれもおれも~やってみる~かまってかまって~~
と変な気を出してしまうのか。
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家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
ありがとう…(1)
身の程知らず。
自分から絡みに行くのが少なすぎるのか、もっと絡みに行けば絡んでもらえるのだろうか。
稀に絡んでもらえると気が向かなくて反応せずスルーしたりするのも致命的だなぁ。稀すぎて見落とす、というのもあるんだけども・・。
でも、「絡みが明後日の方向すぎて反応に困る」ということもあるんだけど・・。
「はなしかけていいのだろうか」という自信のなさ、
「めっちゃしゃべりたい」ときと「めんどくさい」ときのテンションの落差、気分のムラ、
なんだかんだ、最低でもリアル知り合いにならないとコミュニケーションのチャンネルが開かないものだなあという感じはする。
でもリアルで会ったことがある人ですら、Twitterでは反応してくれなかったりする。
リアルで会っても話が深まることがあんまりないというか。自分から話し切り出すの苦手だし。
●●募集! どうしたらいいですか? みたいなオープンなヤツに反応することはたまにあるけど、
「おまえには聞いてない(どっかいけ」と突き放されるトラウマがあって怖い。
そこまで露骨じゃなくても、「そ、そっすね・・」みたいな微妙な反応されてしまって あっ(察し)(身の程知らずで申し訳ありませんでした)ってなってしまうのがつらい。
考えすぎてしまって、内容のある話しかしちゃダメだ、みたいな意識が強いのかも知れない。
浅い、あいさつとか天気の話みたいな、pingみたいなコミュニケーションを疎かにしてるのがダメなんだろうか。
よくわからない・・。
「会話の後に脳内反省会を開き、あの発言まずかったか、ああ言っておけばよかったか」となるのは、オタクコミュ障あるあるらしく、自分もそうなんだけど、いやおまえ普通にコミュニケーション取れてるじゃん・・・。それと比べてワイなんもできとらんが。ってなる。
FavとRTはわりと遠慮ハードル低くやりまくってるけど、ごく稀にFav返しやフォローされることがある。
これも無言のコミュニケーション手段の一つとは思うんだけども、あまりコミュニケーションした気がしない。
当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。
幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単なゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。
当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。
ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆の落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。
しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。
しかし漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。
高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。
部誌に描くマンガのネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオで漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。
最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。
母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。
家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親と喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。
援助交際だった。いわく相手が未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女が家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。
いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。
もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。
結局、幸いにして(?)、事件そのものは地方紙の三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。
父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月のトップ絵は更新できなかった。
イラストサイトの方では、自分の個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人の本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙の三面に報道された事件の容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたか分からない)。
にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネットで自分を晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分のサイトを運営などできようか?
そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。
しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。
サイトを閉じた後に一人Skypeで心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトのバックアップを取らずにジオシティーズのアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。
貧困の本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家は別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。
三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネットで活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。
pixiv に登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。
大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。
もうおしまいだと思った。
創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。
あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。
きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。
創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。
しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。
幸福な人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃんと意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃんと存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。
自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事をきっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者の意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。
次は待ち合わせにおばさん連れてきそう。
自称モデルのマイミクさんが(本当に綺麗な人です)、それにハマってしまったらしく。
「彼女は****って新興宗教ですよ!勧誘されて怖い目にあいました、
会いたい言われてあったら、待ち合わせに知らないおばさん連れてきて、
入信勧められました。****って過激な処ですよ。
もし彼女に会いたい言われたら二人きりで会わないで下さい、勧誘されますよ!」
そのあと、彼女とマイミクになったきっかけの、共通のマイミクさんに、そのメッセ転送しました。
その方は実害がないからなのか、交流ないのか、まだマイミクみたいです。
綺麗な方でした。
ちょっと上の年代のバンドの知り合いもあるみたいで、そういう話もしてくれて、
上京したら会いましょうね💝と案の定言われてて、怖かったですよ。
本気て上京したら連絡してお茶して貰えるかなって思ってたのにバカだったなぁ。
宗教じゃないといいですね。
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家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
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「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。
今恥ずかしがっても何も変わんないのはわかってるけど
片付けしててハルヒの小説(分裂までそろってる)みつけて友達とハルヒSSやりとりしてダサイクルしてたこととか
キノの旅10巻ちょいまで集めてたの見つけて、mixiにSS書いたらマイミクにいた学校の先生がわざわざ解説つけてくれたりとか
学園キノも見つけてクソだったなあとか
今みたいにネットで気軽にAV見れない時代には、本屋でサンプル動画がたくさん入ったDVD、CDつきの本が売られてたんだけど、それを中学生とか高校生のときにどきどきしながら買ったんだけど、そのディスクとか
あわわわわってなるものばっかりだわ
あーひゃばいやばいやはくしょぶんしなきゃ
高校を卒業した2006年、大学へ進学した友人の招待でmixiの会員になった俺は、
予備校から帰宅すると、彼らの楽しそうなキャンパスライフが語られた日記を読んでいた。
何か月か前まで、時にはオナニーした日まで報告し合う、常に一緒だった馬鹿な友人たちとの仲も、
こうして立場が変わり、歳を重ねるごとに疎遠になってしまうのだろうか
という漠然とした不安を払拭してくれた、画期的なツールだったように思う。
そして、SNSの主流はFacebookやInstagramに変わった。
会って接する時と違う一面を文章で見せられたり、
招待されて仲の良い友人たちと、こそこそネット上でつながったりすることが
楽しかったのだと思う。
FacebookやInstagramのようなSNSの存在を否定するつもりはないが、
・こそこそ感
これなんじゃないかと思う。
今見てきた、63人いる俺のマイミクの中で1日以内にアクセスしていたマイミクは2人だった。
ミクシィは、モンスターストライクが柱で株価も昔より良いから、
オワコンなmixiなんて放置しとくかってことかもしれないし、63人中61人が非アクティブという、
こんなものを取り入れたら、また、画期的なmixiが復活するのではないだろうか。
新システム移行のため、mixiへの関心がないユーザーを排除。
招待制を復活させると共に、3,4人といった複数人から招待されないと会員になれないシステムを導入。
これによって、知人ではなく、「仲の良い人とだけつながるSNS」というスタンスを構築。
mixiでも他のSNSでも、友人の更新のお知らせをタイムラインで確認できてしまう、
この便利さを、最大3人までの「とびきり仲の良い人枠」に制限。
基本は、「その人の近況を知りたいならお前が自分で見に行けよ」というスタイルで、あえて不便にする。
こうすることで、自分にとって興味のある人とのつながりを促進。
必ずしも興味のあるという想いが双方で確立しているとは限らないので、
SNSで問題になっている、そこまで仲良いわけじゃないんだけど、もしくは、会社の上司で
仕方なく友人として登録してしまったがために、発言や写真に気を使うことも増え、
“お互い”が登録当初は1か月、3か月、6か月…最長1年という具合で無アクセスの場合、運営側のシステムでマイミク関係を自動解消。
結果、仲の良い友人だけと、こそこそとしたつながりを実現。
オタク仲間が欲しくてmixi に復帰して、ようやく少しオタク仲間ができた。
その中で一人、わりと頻繁にコメントやりとりとかしてて、私の中では相手の印象も凄く良かったし、
こまめにコミュニケーション取ってたから仲がいいほうだと思ってる人が居た。
同性で年も近い。話もとても合う(と思っていた)
もう二つ返事でOK。
オタク全開のコラボカフェに行って、自分は楽しく過ごしていたつもりでいた。
次回は○○に行きましょう。と話してその日は別れた。
で、2週間くらいしてその○○に誘ってみたら、「都合が悪い」というざっくりしたお断りが来た。
この時点で、ああもうこの人は私と会う気が無いなというのはなんとなく悟っていた。
そのお断りが来た後、しばらく姿が見えず、その1ヶ月後くらいにマイミクを外された。
マイミク切られたものはもうしょうがないんだけど、一体何がそんなに不愉快だったのか、
考えても考えても出てこない。
出かける前にちゃんとお風呂入って歯も磨いたよ?笑顔を心がけたよ?
あとはもう、顔がキモいとか服がダサいとかそういう理由くらいしか思いつかない。
前にもオフ会に参加した時、最初は女性陣が固まって会話してたのに、突然数名が「あっち行こう」と言って離れてしまった事があったりしたので、
私は女で相手は男だ。私には今年で三年の付き合いになる彼氏がいるし、相手には半年近く続いている彼女がいる。
相手は東京在住で、私は地方都市在住だ。相手の住所を知っているし、相手も私の住所を知っている。それくらいの間柄だ。
趣味の友達を探そうと登録したミクシーで出会ったのがそいつで、私とそいつはすぐに仲良くなった。四年ほど登録していたミクシーでいちばん仲良くなった人だ。
そいつは冗談をよくいう人で「結婚したい」とか「いつか一緒に住みたい」なんてことをよくチャットで送っていた。
よく女遊びをしているというし、ちょっとした冗談なのだろうと流していたけど、
「もし30くらいになってお互い相手がいなかったら一緒に住もう」これだけは、なんとなく信じていた。
「だから、お互い生きるのがつらくても生きていけたらいいね」そんな些細な言葉が希望になった。
もちろん、この感情は恋愛感情ではない。もし恋愛感情だと自覚してもそいつと付き合うつもりはないし、そいつとは友達として付き合いつづけたい。
性質が似ているからうまくいかないだろう。それに太った人を恋愛対象として見れないし。
私は女で相手は男だ。私には今年で三年の付き合いになる彼氏がいるし、相手には半年近く続いている彼女がいる。
「君に一度会ってみたい」はじめに言い出したのはそいつだった。
自転車が趣味のそいつは東京から名古屋あたりまでなら走れるらしいのだが、残念ながら私の住んでいる場所は東京から新幹線で片道二万弱の場所にある。そう簡単に会える距離ではなかった。
お互いに経済的な余裕はなかったし、お互い旅行より趣味を優先させていたから、ずっと「会いたいね」と口にはしても計画すら立てることはなかった。
その間にもそいつは何人の女と付き合って別れてを繰り返した。確か五人くらいはいたはずだ。
中には私がそいつと仲良くしていたせいで別れてしまった子もいた。ネットでいうメンヘラな子が多いのだ。
まともな子でも「あんたの金銭感覚が理解できない」なんて理由で振られていたし、別れた元カノのことを憎んでいたようだ。
現在の彼女はこれまでの彼女とは違うようで、そいつと仲良くできているようだ。一昨日話した時にははぐらかされたのだが、どうしてはぐらかされたのだろう。
そう、私は現在の彼の近況を知らないのだ。ひと月前ほどまえにミクシーを退会したからだ。ツイッターで手一杯だったのもあるが、趣味を前ほど熱心に取り組んでいないので趣味のマイミクと話せなくなってしまったからだ。
そいつはミクシーしかしていないので(ツイッターだと余計なことをつぶやいて炎上しそうで怖いと言っていた)わざわざスカイプで話しかける必要がある。
もう四年も続いているのだし、ミクシーをやめて縁が切れる関係でもないだろう、と思っていた。
去年「今年こそ東京に行くよ」と宣言していたのがかなわず、今年やっと上京のめどが立った。チケットの予約もした。
一昨日、「東京行くから会わない?」とチャットで送った。すぐに会うことが決定した。
「俺でいいの? 東京にいる友達たくさんいるんじゃないの?」と聞かれたが、おまえに会うため上京するんだから他の人はどうでもいい、だなんて口が裂けてもいえない。
どうしてだろうか、ここで会っておかなければ一生会えないような気がしたのだ。ネットで出会った人はちゃんとリアルで会っておかなければ、簡単に関係が途絶えてしまう。
昨日バイトが終わって、ふとスマホのメッセージを見ていたらそいつからメッセが届いていた。
私は「そうか、わかった」と送信した。しかし、心臓はばくばくしていた。「東京で誰と会おうか」「もう東京行くのやめようかな」なんて漠然と考えていた。
あいつは何を期待していたのだろう、と思った。間違いがあるとでも思ったのか、私にだって彼氏はいるんだ。なのに裏切るようだからっておかしいだろう。
リアルの女の子と頻繁に飲みに行くくせに、どうして私じゃだめなんだ。
義理チョコのお礼をしてくれると言ったじゃないか、奢ってくれると言ったじゃないか。
裏切るようだと思うなら、別に成田にまで迎えに来てくれなくていいのに。秋葉の二郎でラーメンを食べるだけでよかったのに。
それとも、私なんてただのネット住民にすぎなかったのだろうか。あれだけチャットや通話を重ねて、悩みを聞いてもただのネット住民でしかないのか。
怖かったのだ。私の存在があいつから消えてしまうような気がしたのだ。実際に、私はあいつの中から消えてしまったのだろう。
「君のことを一日でも忘れたことはなかったよ」こんな冗談もほんとうに冗談でしかなかったのだろう。
この文章を打つ手だって震えている。四年も続いた関係がこんな簡単に切れてしまうなんて思わなかったんだ。
涙さえでないけど、胸が締め付けられて苦しい。寂しいとか悲しいを久々に感じて戸惑っている。
この感情をあいつに伝えることはできないし、伝えるにしても冒頭に「もう死にたい」とか書いて平常心じゃないことを装わなきゃいけないだろう。もう伝えることすらできないけど。
だいたい「この感情」と書いてはいるが、この感情が一体なんなのか、私にすらわからない。たぶん、みっともなくて汚い感情なのだろうが。
5年くらいtwitterで付き合いのある人をblockした。
いろいろあったが、現時点での理由を述べていきたい。
まず私は、小中高大を通して、性的で下品な単語に対しては一度も発声したことがありません。世の中にはそういうひともいるのです。
そしてその人も同じような人であった。あまりうまく言えないが、私よりも年上だが私よりも遅れていると思う。
私がかつて彼に興味を示していたのは、そういう部分での観測もしたかったからだと思う。
そして私は彼と私の家で一度会いました。
その後の私の気持ちとしては、もう直接は会いたくなくて、ネット上だけの関係でいたいし、性的欲求があるのであれば妄想の中で処理をしてほしいという態度でいます。
けれども彼は、DM等でたびたび性的欲求に私を利用しようとしてきます。
まぁ私が悪かった。
また私は最近(はじめは)マイミクのマイミクまでの公開でmixi日記を更新しました。
(宗教上mixiを全く見ない主義の人に需要があったので増田にコピペをした経緯があります)
「昔の私は無鉄砲さがあって、それで迷惑をかけた人もいると思っているし、
今の私はできなくなったことが増えて、できなくなったことで迷惑をかけた人もいると思う。ごめんね。」
という文があるのですが、これはマイミクにいる大学の同級生等を想定して書いたものでした。
けれどもマイミクでもない彼から、「これは僕のことか?」とメールが来まして、
(アドレスがマイミクの人に似ていたので勘違いしそうだったのだけども)全く想定もしていなかったことで、びっくりして、びっくりしました。
彼がそう思えたことがもう人間として恐怖しかなくて、これはDM等における彼の自意識過剰活動と同じものでありました。(なので一例としての紹介になります。)
また最近のDMでも、あなた昨日私をfollowしたの???違うでしょ????という気持ちにさせて、人間というものを舐め切ってるような態度で接してこられて、なんで私はいつもいつも我慢しなければいけないのだろうかという状態だったので彼のためにもblockすることに致しました。
人間の会話というものは、相手の認識と自分の認識との信頼関係であります。
彼の表現行為は、期待というレベルを超えていて、自意識過剰であり、今後も彼の自己正当化のために彼は活動するでしょうし、彼は前例もいくつか起こしております。
私も全く知らない世界になりますが、私とは異なる性的奴隷を見つけて、金銭的に解決でもすればいいのでは?と思います。(風俗にでも行ってくれ)
(※ミクシィの日記に書いたネタをなんとなく落としたくなったので落とす)
そんなわけでふたなり系同人誌オンリーイベント「ふたけっと 10.5」の感想です
今回ふたけっと開催時に台風が接近していたため
会場周辺も微妙に強めの雨の降るあいにくの天気で、一般参加者が前回より流石に少し減っていた感じです
ただ、実際開場すると人気サークルのスペース前には三桁単位の行列がすぐできて、
その後も会場にはコンスタントに参加者がいて、時限コピー誌配布時に結構な長蛇の列ができる等のにぎわいもあったりして
雨に負けないふたけっとになっていたなというマインドです
人気サークルはAskRayさん、泥沼兄弟さん、サムライ忍者GREENTEAさん、アルセノテリスさん等
ふたけっとはイベントの性格上同人誌のジャンルはオリジナルが主流なのですが
版権系同人だと人気はやはり今回も艦これ、あとはセーラームーンやプリキュアなどが人気でした
あと僕、知識だけでしか知らないジャンルなんですが、ダーティペアの新刊同人誌出してたサークルさんがいて
まあ…そう…まあ…そうねぇ…
それと、SAOのアスナにチ○ポが生えてキリトを犯すネタもそこそこ見ました
「アスナチ○ポでキリトのアナル処女喪失」!そういうのもあるのか
※ていうか、前回見た「艦これの天龍チ○ポで提督のアナル処女喪失本」とか考えても、この「ヒロイン下克上ファック」ネタって地味に手堅い需要があるのかもしれないと思った
あと目立ったのが「島風くん」ですね
マイミクさんの性質上「島風(艦隊これくしょんに出てくる人気キャラ)」はご存知だと思うんですけど
「その、島風のコスしたオリジナルの男の娘がアレされたりアレしたり的な本」
これがかなり猛威を振るってた感じです
「艦これ」の世界観とは直接関係ない、島風コスプレの男の娘本って体裁がほとんどで
局地的には「島風」って(聖剣伝説のリースみたいに)「艦これの1キャラ」を超えて
「島風というジャンルそのもの」になってきたなというマインドなのでした
また、前回から厳密に数を数えてるわけじゃないんで印象論なんですが
「玉付きふたなり」
これがふたなり界隈でだんだんシェアを増大しつつある雰囲気を感じました
(個人的には玉付きふたなりって、ストライクフリーダム的過剰記号感があって好きくないんですけど…)
この背景には、去年冬以降のエロ修正強化の流れにあって、修正基準の中で少しでもエロいアプローチを試行錯誤した結果こうなっているのかなと思います
原則的に、去年11月以降、同人界隈では「竿」に墨塗りを要求される風潮があるのですが
なので、エロ記号の一つとしてふたなりに「玉」をつける流れがここに来て加速しているという部分もあるのかなと思いました
ふたなり界隈だと女の子の身長よりでかいチ○ポとか珍しくないじゃないですか
その超巨大チ○ポに、ご時世だからしょうがないとはいえべっとり塗られる墨…
サークルの作家さんが精魂込めて描いたふたなりチ○ポに墨塗って台無しにするこの不毛さに思いを馳せると、本当に胸が張り裂けそうなほど哀しい思いに苛まれます
まぁそんな感じですね…
ふたけっとは、最近の首都圏の同人イベントの中でも会場の熱気はかなり高くなるタイプのイベントなんで
参加するのは楽しいんですけど
やっぱ新刊持っていかないと、わざわざサークルスペースまで来ていただいた皆様に対してホント申し訳ない気持ちになるんで
次回参加時にこそは、なんとか新刊持って行きたいと思います…
最初に、kurahito(現在凍結中)=otiharuk(絶賛凍結中)=kurahito2の過去アカウントによるブックマークは強制プライベートモード執行中であるからして、コメントを引用不可能である。
両者はもともと小競り合いはしていたようだが、今回この件のそもそもの発端は、その賛否について激論を巻き起こしたことも記憶に新しい自撮りアイコンでお馴染み、齊藤貴義のブログエントリへのブックマークコメントからである。
『ゲイの男性とデートしたけど自分は偽善者だと思った - はてな村定点観測所』http://www.open.sh/entry/20140513/1399913720
houyhnhm
別に迫られてもないし、すげー紳士的に向こう対応してるし。/別に友達になるのは指向関係ないし。マイミクってヤリオフ仲間登録する所なの?
houyhnhm
セクマイ理解者を気取って軽い気持ちでゲイと会ったら自宅に来られそうになったという齊藤の苦い体験記にhouyhnhm(京都大学大学院卒)がこういうコメントをしていたわけだ。
そしたら過去の増田記事へのブックマークコメントも掘り返された上で突っ込まれたわけだ。
『「セックスしないならいいよ」っていったんだけどな~ 』http://anond.hatelabo.jp/20130311155911
houyhnhm
「説得した積りだけど頑として応じようとしない」という風に相手は見ているだろうね。互いに意志を曲げる気がなさそうなので別れるのも致し方なしと思う(どっちが悪いとかは知らん)。
「ボーイフレンドと『セックスしないなら行ってもいいけど、するなら嫌だ』と宣言した上で婚前旅行したのに強姦されかけた」という増田(筆者はこれ埼玉のおっさんだと思うが)に上記のようなブックマークコメントと、こんな長文をはてなハイクに投稿している。
http://h.hatena.ne.jp/houyhnhm/243596120615237620
増田のエントリは、正直な所見解の相違があると思うんだけど、見解の相違があった場合に、それなりに何とか合わせられるなら男女の仲は続くだろうし、見解を主張して対立するなら、男女の仲程度では終わるよなあ(別の人を探すだろうし)。
それはともかくとして。
増田が完全に善かつ発言が全て良として捉えられているかという所から疑っているのだけど、
(契約なら紙ちゃんと作りましょう)
「旅行行きたいってうるせーからセックス禁止で一緒に旅行にいく」という風に扱われたら、普通は結構凹むと思う。怒るとも思う。
増田記事と併せて素直に読めば、houyhnhmは「セックスはしたくない」と面と向かって宣言した相手に怒張した男性器を押し当てられても、旅行先で同室に泊まった時点で“見解の相違”があったにすぎない、と言っているようだ。
これを防ぐには契約書にサインさせるのが効果的とのことである。
otiharukのブックマークコメントが引用できないので、具体的にどう突っ込まれていたのかはご覧頂くことができないが、ともかくhouyhnhmはこういうとき凹んだり怒ったりするそうなのである。