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はてなキーワード: ブルセラとは

2021-02-08

anond:20210208170706

使用済みパンツってブルセラショップで1000円ぐらいでゴミみたいにして売られてるから、ここの増田の言ってるランチってたぶん学食のことだ

2021-02-01

anond:20210201094253

ブルセラテレクラ研究していた。当然批判も多かったけど、当時は淫行条例制定前だったのでお咎めなしだった

2021-01-10

anond:20210110232826

30年前のバブルは、女子大生ブランドだったんだよ。

バブルが弾けて20世紀の終わりにかけて、いわゆるルーズソックスブルセラコギャルなどから高校生シフトしていった。

2020-11-30

anond:20201130104712

あー、この頃の記憶曖昧でそういやそうだった気もする。

ジュリアナ東京トキオー!とか叫んでイケイギャルがお立ち台の上を目指して行くのを見た辺りとブルセラショップがうんたらの辺りは結構混同してるな。ありがとうおっさん

anond:20201130054727

この頃は女子高生ブルセラショップなる店で自分パンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際かに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランドしか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観蔓延していた。

事実誤認

ブルセラショップなるものの隆盛はバブル後。バブル期は性の対象にされるのは主に女子大生までで、女子高生まだ子時代を過ごすことが許されていた。

バブル崩壊後、90年代半ばになって社会が貧しくなり、親がリストラされる子供たちが続出し、援助交際とか言って売春に手を染める女子高生が増えた。これがその時代東京で過ごしていた自分が目撃した世界

アラフォーオヤジが今の時代に続くであろう当時を懐古して一人語りす (追記

今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。

最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民搾取問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。

バブル絶頂

まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。

1. 職業選択の自由アハハン

2. バイト探しが週二回

この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルート賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。

これまでは、一つの会社新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料年功序列会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしま単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種共同体として機能していた。バブルお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。

会社運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働問題視され始めた時期でもある。

まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生からテレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。

タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいアクセサリーゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。

この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニスト女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性彼氏デートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。

この頃は女子高生ブルセラショップなる店で自分パンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際かに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランドしか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。

新築マンションも棟の単位10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。

若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。

バブル崩壊

さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブル崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。

この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。

いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアル社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由謳歌していた人々」だ。

彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。

バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業お金を出すので、この頃はバイト結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。

同時に問題になったのは銀行不良債権だ。バブルときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本不良債権問題銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。

返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者お金を返せない。債務者破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義世界であれば、この辺は銀行自己責任倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本銀行は一行も残らなくなってしま可能性が高い。

銀行金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行証券会社倒産してしまった。

このとき銀行は「もうこれで銀行倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行国営化するようなものからだ。今後銀行倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。

とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。

ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブル崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。

おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。

この辺は都市伝説だが、あるときユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本アメリカ重要ものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。

就職氷河期

さて、このリストラが吹き荒れたことで企業正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用企業がひどく渋ったことによる。使い捨てバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民メンタリティ社員になってなんぼ、というのが強かった。

更にこの頃になるとIT一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるとき適当会社仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。

時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事EXCELタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。

2010年くらい

この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから日500円くらいは渋々許す(収入殆ど旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金子供習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。

この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性社会還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。

そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。

吉野家の肉なんかは露骨に減った。

デフレスパイラルに入り、企業お金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラ絶対にできないと言われているが、実はできる。

2020年

こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナ竹中平蔵に対するバッシング最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。

小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている

追記

びっくりするくらいブクマされてんのね。

よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。

はっきりいうと自分記憶と印象だけで書いている文章から、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。

誤字脱字が気になる人、どうやら俺は老眼らしいので、画数の多い漢字は正直あまり良く見えない。

本当にアラフォーか?っていう人、アラフォーって、40プラマイ5歳でいいんだよな?不安になった。

2020-11-09

そういえば高校時代制服を集めてブルセラショップで売っている同級生がいた。

テレビドラマ衣装メディアに服を売る商売会社経営しているらしい。

服の転売屋仕事キャリアwを築いててすごいよな。どうせ他にも色々売ってそうだけど。

2020-07-28

おっぱいYouTuber

おっぱいYouTuberになればアホみたいに稼げるから

女はイージーモードとか言ったたけど 

最近は犬とか猫とかを拾ってきて、テキトー動画撮ってあげりゃいいということが分かったか

お前ら今がチャンスだぞ

ブルセラをするときは、新品で安いのを買ってきて、いい匂いの洗剤使って洗濯乾燥を繰り返すといいらしいぞ

KKOがんばれ

2020-06-23

90年代痴漢女子高生は持ちつ持たれつの関係だった

痴漢側は間違いなくそう思っていた。

90年代前半は「女子高生ブランド」が最高潮になった時代で、女子高生たちは自分自身の「価値」を知り、世のオヤジたちに提供する存在だった。オヤジたちはその女子高生たちに相応の対価で応え、ギブアンドテイクの関係性が出来上がっていた。

と、オヤジたちは思っていた。

ブルセラ援助交際、ウリ、テレクラ。これらが週刊誌ドラママンガで繰り返し描かれることによって、「女子高生はそのように消費してもいい存在」「それによって金を稼ぐことを女子高生も望んでいる」「汚れた女たち」とオヤジたちは本気で思った。だからいきなり女子高生に声をかけて「3万でどう?」と言えたのだ。しかもそれで、けっこう成功した。追加で金がかかることは多かったろうが。

もちろん、そのような「価値提供」をする女子高生はそんなに多くはなかった。当たり前だ。しかし、爆発的に「そういうイメージ」が浸透した。女子高生は清純かビッチか、どちらかしかいないような錯覚が生まれた。

そして、ウリやエンコーに応えるビッチ女子高生はそのまま性的対象になった。説教しながらセックスする対象になった。

一方、「今時珍しい」清純な女子高生もまた、そのまま性的対象になった。汚れた女どもの中で、この子は違う。そうして癒しセックス対象になった。

大分アバウトだが、このようにして「女子高生」というブランドが性の匂いと不可分になっていった。もちろん、それ以前から性的対象カテゴリではあったが、一般にも決定的に浸透したのはこの時代だろう。

もはや「そういう子もいる」ではなく、「今時の女子高生はみんなやってる」と思われるほどに浸透した。痴漢オヤジたちだけではなく、世の中の一般的な人々に、そういうイメージが知れ渡ったのだ。

なので、今更かつての女子高生に「あれは本当に嫌だった」と言われても、「持ちつ持たれつだったじゃないか」「お前たちも汚れた女だったじゃないか」という意識はどこかに残っている。だから本気で「すまなかった」という声はオヤジたちからは出てこない。釈然としない気持ちが残るからだ。

だってお前ら高かったじゃん」と言いたいのだ。

「嫌だったかもしれないけど、その分こっちも懐痛めてたんだしさぁ」

「5万はらったんだし、おあいこだろ?」

「むしろお前らのほうが得してただろ?」

「俺を振ってオヤジと腰を振りやがったくせに」

そう言いたいわけだ。

もちろん、これは「女子高生を消費してもいい空気」が犯人なので、一部を除いて女子高生たちには責任はない。しかしこの「一部を除いて」と言わないといけないのがネックになる。それで金を稼いだ女子高生が確かに存在したこと問題をややこしくさせる。

オヤジどもが突くのはこの点だ。確かに金を得た女子高生はいたのだ。オヤジたちをあざ笑い、金を持って行った女子高生存在した。

それがあるから、「本当に嫌だった」を素直に聞き入れられないのだ。

今でいうパパ活とは比較にならないほど広汎に「ヤレるイメージ」がついたのがあの時代だ。一度に動く金額現代のほうが上だろうが、総額ではあの時代が圧倒的に上だろう。

ちょっと遊んでる風の女子高生には、必ず「ウリをやってる」という噂が立った。"清純"な女子高生眼鏡をやめてコンタクトにしたりしたら、「オンナになった」とかささやかれた。

山本直樹マンガBlue」の時代だ。そういう空気感だった。

男子はそういう環境で育ち、大人になり、今中年になっている。

なので、「当時の遊んでる女子高生像」がどうしても頭から離れない。

90年代前半の女子高生下劣オヤジとギブアンドテイクの関係だった、と、オヤジたちは思っていたから、女子高生の消費が止まらなかったということは言えるだろう。

ただ電車に乗っているだけで痴漢あい、服を切り裂かれ、日常の中で脅威にさらされた女子高生たちは大変気の毒な時代だった。

なぜそのような目にあったかと言えば、「世間女子高生をそのように扱ったから」としか言えないような気がする。

自身も、当時付き合っていた彼女エンコーしていた事実があった。今でいえば脳が破壊されるというやつだ。

そういう経験もあって、正直なところ、心のどこかでかつての女子高生に同情ができない気持ちがある。申し訳ない。

ともあれ、まぁ、「あの時代」はこんなもんだったんじゃねーかなということを書いてみた。

2020-05-20

最近ブルセラショップ」という言葉とその意味を知って慄いてる

どう考えたって、これ日本の闇だろ…

2020-05-05

anond:20200505070455

だってパンツ!ただのパンツ

午前中に運動してブルセラ

午後買ったのを夜馬場パパかつで売る

これで10万はぼろい商売だよ。

なんにも辛い重いしとない

奨学金の返済ってくそ楽じゃね?

ブルセラしてます

10万円くらい稼げてるんだけど。

したくないなら

別の副業すればいいじゃん。

2020-03-26

anond:20200326204129

ブルセラってまだあるの?

そういうお店って一回見てみたいわ

2020-01-21

アニペダ香水

弱虫ペダルオタクです。

アニペダ香水イベントモヤモヤしています

会場で香水をつけたワイシャツを嗅ぐの、悪ノリし過ぎっていうかやりすぎじゃないですか?

この香水同人グッツだったらこの売り方で全然OKだし考えた人天才かwって思ったと思う。

推し匂いワイシャツなんて嗅ぎたいに決まってる(なぜならオタクなので)。

私は腐女子なので推しCPキャラ香水を両方使って攻め(もしくは受け)の香り

移った受け(もしくは攻め)のワイシャツを作るもの萌えるなーって思う。

女子の方はオーバーサイズシャツにつけて「彼シャツ」やベッドリネンにつけて

「彼のベッド」を楽しむのもいいんじゃないかなー。

キモいタイプオタクすみません

でもさ、それは家でやるよ。家でやろうよ。

「お前がエロい目で見てるから変に感じるんだろ?」とも思うんだけどさ、

男子高校生キャラワイシャツってさ、制服イメージするじゃん。

それを公式の場で色んな人が嗅ぐのアウトじゃね?痴漢プレイかよ。


自分が女だからかもしれないけど、

キャラクター達が女の子だったらって考えるとこのモヤモヤ嫌悪感なんだろうなと思う。

スポーツ(じゃなくても良いけど)に打ち込む女子高校生達の漫画があって、

そのキャラクター達をイメージした香水販売される(ここまでは全然OK)。

でもその香りを確かめるのに売り場で制服連想させるような

セーラー服ブラウスを嗅ぐのヤバくない?私は嫌だ。

でさ、香水シャツと一緒にキャラクターの全身絵とプロフィールが飾られてるんだよ?

えっとさ、、、なんかちょっと悪趣味じゃない??ブルセラ

なんかさキャラクター達が公式の場で辱められてるみたいで嫌だよー。

モブおじプレイは家でやろうよ。

公式の売り場ではあくま香水化粧品)として売って欲しいんだよ。

エログッツみたいにしないで欲しい(買う側はエロいことを考えていたとしても)。

エログッツ=悪いものっていう意味じゃないよ。

今回の商品エロ目的商品じゃないならそういう売り方は相応しくないんじゃない?ってこと。

その上で買った人がどう使おうが基本的には自由だと思う。

ワイシャツにかけて嗅ごうが、パンツにかけて嗅ごうが、フィギュアやぬいにかけて嗅ごうが自由だよ。

ワイシャツじゃなくてさハンカチとかタオルだったらここまでモヤっとしなかったかも。

坂道くんはキャラものハンカチ今泉くんはアイロンがしっかりあてられたブランドハンカチ

鳴子くんのは真っ赤で派手なんだけどちょっとくしゃっとしてるとかさ・・・

(小鞠ちゃんは手を拭くふわふわタオルが良いよね)。

でもまあそれも家でやるから、ムエットだけで十分かな

(それだとイベントにならないか)。

あとキャラクターが少年誌作品未成年なのもモヤっとするポイントかも。

原作アダルト作品だったり、成人でセクシーキャラ冴羽獠とか峰不二子とか?例えが古い)

ならワイシャツ(あるいは下着でも)私はそんなに嫌じゃない(ゾーニング必要)。

この辺の線引きは個人によってだいぶ違うと思う。自分自身でも数年後は違う考えをしている可能性が高い。

自分大人になって、大人未成年恋愛するお話とかも単純に楽しめなくなってきたのとも関係ありそう。

架空キャラクターと実際の未成年混同したモンスタークレームなのかなこれ。

自分でもわからない。

でもさ、オレたちオタク架空物語架空キャラクターを愛してるじゃん?

公式商品の売り場は作品キャラクターに愛とリスペクトが欲しいんだよ。

キャラワイシャツ公式場所で嗅ぐのは愛はあるかもしれないけどリスペクトに欠けるように思う。

私はそう感じるよ。

あの展示をを考えて作って下さった方たちは、もちろん作品キャラクターを貶めるつもりなんてなくて、

ファンに喜んでもらいたくて作って下さっていると思う。

オタクなのかオタク心を分かった人たちなんだと思う。

(実際、推しシャツは嗅ぎたいもんな)

批判的なことを書いておいてあれだけど白状するとワイシャツサイズわかるの嬉しかった。

きっと「腐女子のつづ井さん」のつづ井さんと友人たちみたいに

楽しく真剣ワイシャツサイズ検討して下さったんじゃないかな。

でも私はやっぱり、つづ井さん達みたいにそーゆーのは家でやろうって結論なっちゃう。

最初に書いた通り私は腐女子なので推しエロい同人誌をしこたま持ってる

冴羽獠を例に出すくらいだ、もちろん成人済みだ)。

自分だってキャラエロを楽しんでおいて、公式エロフェティッシュ?寄りなことをすることで

こんな風に拒否反応が出るのは自分でもよくわからない。

これは自分に都合よく考えているダブルスタンダードなんだろうか?


書き出したら思ったより長くなっちゃったな。

こんなまとまりの無い文章を読んでくれた方がもしいるならありがとうございました。

これはあくまで私個人意見です。よかったら他の方の意見も聞きたいです。

最後に、あのイベントを楽しんでいたのに楽しい気持ちに水を差された方すみません

2019-11-20

女子高生制服が好き」という自分を認める

初めて投稿する。

かに読んでいただくことを意識しながら書こうとすると、どうもちぐはぐな文章になってしまう。

そこで、いつもの紙の日記に書くかのように、独り言を発するかのように、書いていくこととする。

いきなり自分本位宣言で、誠に恐縮である

***

私は女子高生制服が好きだ。

そんな自分を受け入れるのに、10年掛かった。

いや、今もまだ、受け入れ度合いは7割くらいで、

残り3割くらいは、「制服好きなんてキモい」「人に言えない趣味」「むっつりスケベ」なんて思ってしまう。

女子高生制服が好きであることを、受け入れるのは良い。

しかし、もしも将来、自分が娘を授かったら、これは懸念ではないか

まさか我が娘に対して、いやらしい目線を向けてしまうのではないか

まだ結婚もしていないというのに、杞憂に終わるかもしれないことを、気にしている自分がいる。



何を言いたいのかというと、

女子高生制服が好き」という性質のために、

私はごく自然人生を送ることを難しく感じるときがあるのである



好き好んで、女子高生制服が好きになったのではない。

これって結構、生きづらい人生である

外に出れば、制服を着た女子高生はたくさんいる。

私には、それが現実エロ動画に見えてしまう。

そんな目線を向けたくもないのだが、どうやら私の脳は、

女子高生制服が、性的興奮の起動スイッチになっているようなのだ

この10年の間に、ありとあらゆる角度から自分のこの性質について、

悩み、苦しみ、分析し、考察した。

私は、女子高生制服のもの性的興奮を覚える、ということが分かった。

から私服姿や体操着姿、ジャージ姿の女子高生では、あまり反応しない。

しろ高校制服を着た女子大生には興奮するし、

実は中身が男でも、高校女子制服を着ていれば、ドキドキする気持ちがあることを確認した。

でも、だからといって、イメクラに行くとか、ブルセラ買うとか、メルカリで注文するとか、

そういうことはしない。

そういう人生には、したくないのだ。

いそいそと夜中に、女子高生とかjkとかを検索ワードに入れて、

エッチ動画を見て楽しむことはしているのだが、

女子高生制服が好き」という自分を認められていないと、虚無感に襲われる。

エッチ動画といっても、

ハメ撮りやパンチラという直接的なエロも好きだが、

いわゆる街撮りという、女子高生制服のものに焦点を当てた画像サイトも好きだ。

ただ、盗撮系は好きではない。むしろ嫌いだ。

不覚にも見てしまうと同じく興奮するのは悔しいのだが、

もし実際に駅のエスカレーターなどで盗撮しようとしている輩を発見した時には、

発狂たかのようにその輩を取っちめる。



この性質はいったい、どこから来たのか。

私には大きく2つのフェチがあって、

女子高生制服フェチと、脚フェチ(靴フェチ、においフェチ含む)である

女子高生制服フェチは、おそらく私の生い立ちが関係している。

中高一貫男子校出身

兄弟女子がいない

大学予備校に通っていない

文化系部活動で過ごした

とにかく、青春時代に、同世代との女子との接点が無かった。

接点を作る努力を怠った、とも言えるが、

中高を共学で過ごした人は、女子との接点を作る努力など、そもそもする必要がない。

その事実に、私は大学時代、ものすごく苦しんだ。

なぜ私は、一度きりの人生の中で、共学高校生活を経験すらさせてもらえなかったのか、と。

もう1つ、脚フェチについて。

これは、「生まれつき」かな、という結論に達した。

脚は、幼稚園ときから、どうやら興味があったようだ。

女子の素足のにおいを嗅ぐのが好きだった。机の下に入って、女子の脚を見るのが好きだった。

小学校に上がってからも、女子ちょっと汚れた感じの上履きが好きだった。

ここに、女子高生制服フェチが重なると、紺ソとローファーに強烈な性的興奮を覚えるのは頷ける。

ユニクロで、紺ソを買って、ハルタローファーを買って、

紺ソ、ローファースタイルスーツを着て、普通に仕事をしているときもあった。

不思議と、そんな自分が好きになる時があった。



時間が来てしまったので、今日はここまでにする。

女子高生制服が好き」ということを、

ふざけ半分ではなく、真面目に捉えて、悩んでいる男性は、

おそらく一定数いるんじゃないか、と思った次第である

私の、10年間の考察結果を、この日記で(これ、増田って言うんですね!)、

共有していきたいと思っている。

2019-11-19

anond:20191119081715

ブルセラも同じであって、女子高生使用済み下着を持ってくるのと、主婦使用済み下着を持ってくるので買値も売値も変わるはず

どうせ誰が着てたかなんて買う方は分からないんだから変わらないだろうし

そもそも馬鹿正直に自主的に売りに来る客から買い取りなんてしてないだろ

ブルセラショップ流行ってた時代主婦に着用させて汚れつけたパンツ若い美人写真つけて

「この女が着ていたもの」と言って売る商売やってる、ってのテレビで見たがそんなもんだろう

そうやって大量生産した方が早いし、着て汚れつけるバイトももっと良い働き口ある若い女をわざわざ使う必要もないし

2019-10-29

https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の続き

アファーマティブ・アクションとその後の世界

ところで、議論を混乱させるもう一つの問題として、アファーマティブ・アクションの話と、男女同権が達成されたその後の世界の話を混ぜて話している人がいるように見受けられる。たとえば、「必然性なく女性のみをアイキャッチ的に使うべからず」というのは、過渡期における一種アファーマティブ・アクションとしては、一定妥当性を持つと考える。一方で、真に差別解決した世界では、そのような配慮は逆に不要になるかもしれない。たとえば、「必然性なくA型の人のみをアイキャッチ的に使うべからず」というガイドラインは、馬鹿げている。そもそも血液型など誰も気にしていないからだ。性別問題も、真に男女差別がなくなった世界では、最終的にはそこに行き着くのかもしれない。類似の例として、アメリカなどでは、商品パッケージ人物複数掲載する場合人種の割り振りに対して神経質になるところがある。これは、特定人種のみをアイキャッチに使う場合人種差別助長しているとみなされる可能性があるからだ。現在ガイドラインとして策定されているこのようなルールが、既存の不平等是正するための措置であるという事実無視して議論を展開することは、好ましい姿勢とは言えない。また、このようなガイドラインを「女性アイキャッチに使うべからず」と極端な方向に誤読したり、「男性アイキャッチ的に使用するのはいいのか」と、誤読を元にしたミラーリングを行うことは避けなければならない。

このようなアファーマティブ・アクションそれ自体不公平あるいは不正義であり、そもそも認めない、という姿勢はあり得るかもしれない。また、単純に過度な配慮不要であるという意見もあり得る。例えば、過去に発生したNHKにおけるキズナアイ騒動人工知能学会誌の議論では、性的役割の固定に対する議論が行われたが、性的役割是正を求める批判派(アファーマティブ・アクション派といえるだろう)、とそこまでの配慮必要ない、あるいは(その後の世界では)むしろそのような配慮こそが差別である、とする擁護派の間で、意見対立が見られた。個人的には、この2つの個別の事例に対しては、過度の配慮であると考えている。一方で、批判派の言いたいことも理解できるので、批判自体には問題がないと考えているし、耳を傾けるべき指摘であろう。なお、特にキズナアイ騒動については異なる論点もあったようだが、その点についてはここでは議論しない。

件のポスター性的、あるいは過度に性的なのかどうか

議論の多くは、おそらく件のポスター性的、あるいは過度に性的かどうかに帰着するように思われる。そして、この点について、両陣営合意は、ほぼ得られていない。

擁護派の多くは、件のポスター性的ではない、あるいは性的な要素はあるとしても、問題になるほどには過度に性的ではないと考えている。一方で、批判派の多くは、乳袋や表情を理由として、ポスターは過度に性的であると見なしている。ポスターが過度に性的であると認められた場合女性差別につながる表現であり、セクハラにもなるかもしれない。一方で、そもそも性的でないのであれば、セクハラにも女性差別にもならないだろう。

巨乳はいけないのか。ポスター批判派は巨乳自体攻撃しているのではないか

巨乳それ自体がいけないわけがない。また、ごく一部の過激派を除いて、大多数のポスター批判派も巨乳自体への攻撃はしていないように見受けられる。この点を議論するのはあまり意味がないし、ごく一部の過激派意見のみを根拠に、相手陣営全体に対して「差別主義者」といったラベル付けを行うのは、誠実な姿勢とは言えないだろう。

擁護派はオタク表現に親しみすぎて、性的表現無自覚になっているのではないか

これは全員にとって非常にクリティカルな指摘である。正直なところ、私自身も自分認識社会の平均と合致しているかどうかの自信がない。ポスター擁護派のうち、オタクを自認する人たちの意見が気になるところである

例えば、「ビキニアーマー」は恐らく今となっては性的表現のように思われる。肌に密着した黒タイツはどうだろうか。乳袋も本当にセーフなのだろうか。境界線自分の中でもあやふやである。セーフな気もするし、性的な気もする。あるいら性的な要素はあると認めたとしても、過度に性的かどうかと言われると、過度ではなさそうか。みなさんはどうだろうか。

今後社会は(緩くなっていく|厳しくなっていく)

何を性的と見なすか、あるいは、何を過度に性的と見なすか、は個人どころか社会においてもあやふやであり、時代の変化にしたがって変化してく。

ポスター批判派は、(仮に今現在は認められていたとしても)今後このような表現社会的に許されなくなり、状況は是正されていくべきだと考えている。これは、過去には普通に存在していた、水着女性が(無意味に)アイキャッチとして使われていたビールポスターが、近年ではほぼ絶滅した経緯と相似形である

一方で、私は別の未来想像している。それは、このような表現が、むしろ緩く認められる社会になるのではないかということだ。近年すでに指摘されている通り、「オタク自体一般化しているらしい。それに伴って、乳袋のような表現に過度の性的な要素を見出す層が減っていく可能性がある。言うなれば乳袋ネイティブ世代誕生である。こうなった場合乳袋は広く認められた表現になる可能性がある。

ナミとセーラームーンが許されるのはおかしいのではないか

宇崎ちゃん性的であるが、ワンピースのナミやセーラームーン性的でない、という意見が見受けられる。これはポスター批判からも出ている意見で、ナミは性的ではないという意見が見受けられた。

ポスター擁護派は、ナミも宇崎ちゃんもどちらもが乳袋表現として用いていることから、仮に宇崎ちゃん性的なのであれば、ナミも同じく性的であり、ナミを公共の場で用いることは認めら得るべきではないと考えている。同じくして、ナミを認めるのであれば、宇崎ちゃんも認められないと一貫性が失われると指摘する。

ここで興味深いのが、ポスター批判派の中でも、この点については意見が別れているということだ。これは、ポスター批判派が用いている「性的表現無自覚になっている」人々というのが、ポスター批判派の中にも存在するという事を意味しているように思われる。ワンピースは非常に歴史がある作品であり、オタクだけでなく、社会的にある程度の知名度を持って受け入れられている。好きな漫画といえばワンピースという人も多い。そのため、本来は過度に性的表現を持ち合わせているはずのナミも、ワンピースという作品と共に社会に受け入れられてしまっている。ポスターに対して批判であるが、ナミについては認められるという人は、乳袋ネイティブ世代に染まりつつあるといえる。私自身は、もし宇崎ちゃんポスターが「乳袋女性性的に消費する表現である」として認められないのであれば、たとえナミであろうと、乳袋は許されないという姿勢を維持するべきであると考えている。ここで一貫性が崩れてしまうと、「(過度に)性的表現」の定義が非常に困難になってしまうため、合意が得られにくい。「ナミは(見慣れているから|みんな好きだから|明るいから|強い女性から)セーフ」という話になってしまった場合個人の「お気持ち」と揶揄されるのは避けられないだろう。

セーラームーンについてはどうだろうか。すでに指摘されている通り、セーラームーンも公開当初はブルセラを想起させるであるとか、露出が多いであるとか、性的表現についての批判女性からもあったようだ。現在では市民権を獲得しているため、このような批判が行われることはまず見かけないが、たしかに絵面だけ見た場合、肌の露出は大きい。セーラームーン使用した表現が公の場で許されるとしたら、なにが理由だろうか。

ポスター批判からは、男性からの人気を得るために胸が強調された(宇崎ちゃん|ナミ)に対して、女性が良いと思う服装女性に着せただけのセーラームーンは、性的消費には当たらないという説が挙げられている。これは、一理あるように思われる。セーラームーンは単に綺麗だったりかわいい格好をしているだけで、それを性的と見なすのは、見る方に問題がある、という考え方になる。韋駄天の例では、靴下を脱いだだけなのに、勝手にそれを性的と見なす男性陣によって問題が発生していたが、セーラームーンも同型だと言えるだろう。人には好きな格好をする権利があるのだから女性がどのような格好をしても、他人にどうこう言われるのは好ましくない、というのは理解できる。

本人の気持ちと背景情報

ここで、本人が望む格好は、どこまでなら許容されるべきであろうか、という議論がある。仮に、ある女性自分にとっては裸がもっと自然であると考えた場合、その女性を公の場に掲示されるポスター使用することは妥当であろうか。そして、その裸のポスターを過度に性的であると誰かが見なす場合、それは見る側の問題であろうか。これは、冗談ではなくて、例えばヌーディストビーチ議論においては、既に似たような議論が起こっている。現在日本において、恐らく多くの人は、裸の女性写真を公の場に掲示することは、本人の意志はどうであれ、過度に性的であると見なすであろう。裸は極端としても、例えば胸の谷間が強調された服装はどうだろうか。このような服装自発的に好む女性存在するが、公共の場ポスター使用することは適当であろうか。もし、そのような服装適当でないと考える場合、あるポスター評価する上で、本人の意思は、具体的な表現に劣後すると言えるのではないだろうか。つまり、本人が望んでいようとも、性的もの性的であると見なされるということである

ところで、海外の識者に宇崎ちゃんポスターを見せたところ、ネガティブな反応があった、という情報がある。ここで、気になるのが、同じ人物にナミやセーラームーンポスターを見せた場合、どのような反応があるか、である。宇崎ちゃんに対して否定的な反応がある場合、ナミやセーラームーンに対しても、これらの作品を知らない人からは同様の反応が帰ってくる可能性が、それなりに高いのではないだろうか。セーラームーンも、背景情報がなければ、過度に肌の露出が多い若い女性をアイキャッチに使っているだけのポスターに見える可能性がある。漫画アニメに馴染みのない人たちにとっては、ナミも宇崎ちゃんセーラームーンどんぐりの背比べに映るのではないだろうか。そのような人にとって、セーラームーンを許容するあなたは「性的表現無自覚であると見なされるかもしれない。

こういった観点を踏まえた場合、本人の気持ちや、背景情報といったものは、表現性的であるかどうかを判断する上では、必ずしも重要な要素ではない、と考えることは可能である。「勝手性的に見ている」という見方もできるが、多かれ少なかれ、だれもが自分の中の基準をもとに、ある表現性的かどうかを判断している。そのため、「勝手性的に見ている」こと自体を悪とする言説は、筋が悪いであろう。これは何も男女間にだけ発生するわけではなくて、世代間や宗教間にも発生する。そうであるならば、性的表現基準を考える上では、本人の意志や背景の文脈考慮するよりも、物理的な要素(肌の露出度など)を用いるのが妥当である、という見方もできる。

長すぎて自分もびっくりしたわ。まだ続くよ。

https://anond.hatelabo.jp/20191029132908

2019-10-28

ブルセラショップ流行ったよね

製造工場があるとか記事出て夢を壊してくれるなとキレてた10代の頃

2019-10-16

anond:20191016150214

セーラームーン女性の為とかww

セーラー服ってコンセプト自体ブルセラ需要高まるなか男性編集者意見で生まれたわけであいつら誰がどう見ても男の性欲を満たす格好してるだろ

案の定アニメは男にバカ受けして娘を持つ母親たちが眉をひそめた作品に何言ってるんだ

昔の嫌われてたクレしんと並んで親が子供に見せたくないアニメだったんだぞ

それこそ「宇崎と同じ」だよ

まだ緩かった当時の地上波ではエロいアニメだとさんざん紹介されて世間もそういう認識だった

お父さんは子供の面倒見るふりして一緒にセーラームーン見とけばエロいもん見れますよって

あなたの言う通りならそういう環境で育った女性価値観が歪むんだよね

セラムン好きのおばさんにあなた間違ってますよって言ってあげなよ

あなたのせいで女性性的消費が増えてるんですって

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