「テーゼ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: テーゼとは

2019-12-24

anond:20191222185637

バーチャル引退しない、バーチャル彼氏作らない、ないし

バーチャルなら人間の汚い世界から離れられる」っていうテーゼが完全に崩壊たからってのはありそう。

結局承認欲求と金陰謀うごめく世界になってしまった。

初音ミクとかボーカロイドが強いのは群だからだよね。

ボカロP引退しても初音ミク引退しない。次の初音ミクが出てくれば存続する。

でもバーチャルは魂取り替えたら問題になるからな。

2019-12-19

anond:20191218115139

エヴァンゲリオン自体アニメ自体テーマにした作品って話があって、

たとえば、シンジ庵野ゲンドウ=ハヤオって図式で「いいから乗れ」=「いいから描け」なんじゃないかと言われてる。

増田の指摘は鋭くて、エヴァンゲリオン人類補完計画はまさしくアニメ特撮業界のそういうテーゼって結構ブキミじゃない?っていう問いかけとして描いたと捉えることができそうに思う。

2019-12-04

anond:20191204120757

鬼滅の刃の作者は女性なんだから女性ムーブメントが起きた」ってのは今までの漫画物理市場では割と考え難いくらいのインパクトなんだよな。

ハガレンだって男性ファンの方が多かったはずだし。

女性女性作者が嫌い、ってテーゼがいつの間にか否定されてるで。

2019-11-12

anond:20191111234841

釣りには全力で食いつく」がアノニマスダ宣言にも書かれている増田テーゼだが…

しろ根拠提示することもなく「釣り無視するのは当然」とするような態度が

「これが差別だというのは見れば分かるだろう」といった傲慢さにつながっているのでは?

2019-11-06

anond:20191106124745

マークフィッシャーの「精神疾患政治家せよ」テーゼですね。

加速主義10年代思想を読み解く上で最大の武器であることだなあ

2019-04-25

https://togetter.com/li/1341322

「ご恵贈頂きました」という類いの呟きに寄せた郡さんの「呟き」は、書物出版するという行為人脈作りのように扱うことへの反感をこめたものだ。その底流にあるのは、書物という存在に対する畏れ、敬意、尊重するという「しぐさ」であり、それが彼の出版人としてのスタンス根本に関わる問題であることが伺える。

一方で「その呟きを批判することが自由言論流通を阻害する」と批判する小林さんの意見は、これも書物を狭い公共圏所属物にしてしまうことへの嫌悪彼女なりの書物未来への希望に基づく批判だと考えられる。書物もっと自由で開かれたものであるべきだ、という思想もまた、彼女出版人としての根本に関わるテーゼなのだろう。


両者の意見を踏まえた上で、その対立について、それから、切り取られた「クッキーでも焼いて…」という言葉について意見を述べたい。

まず、両者の意見はまさに「意見表明すること」に対する価値観を異にしているため、おそらく折り合う点がない。郡さんは「世界に向けて意見を述べるとは、反論批判を受けて立つ覚悟に基づくべきものであり、それは神聖行為だ」と考えているのだろう。そういう覚悟のないおしゃべりによる人と人の繋がりを一段低いものと見て、Twitterなどの道具を使ってそれをすることを否定するほど狭量ではないものの、自分が心を込めて関わっているものをそんなことの道具に使う行為に対しては嫌悪感を覚える、というスタンスだ。たとえて言うなら、陶芸家が「いまプレゼントに最適なカップ特集とか見て、苦虫をかみつぶしているような感覚だろう。

一方の小林さんは、おそらくそういうスタンスもつ世代の「本」作りには未来がないと踏んでいる。彼女彼女なりに出版未来書物未来を憂えていて、むしろ前世代の人が気軽な交流の場に本を持ち出すことに苦言を呈すること自体が、書物未来を奪うものとして気に入らないのだろう。たとえて言うなら、その陶芸家の息子が、自ブランド社長として上手にブランディング戦略をして「プレゼントに最適なカップ特集に○○印のカップ掲載してもらっているようなものだ。

……とまとめれば分かってもらえると思うが、こんな二人の話が折れ合う地点など最初からない


私が問題だと思うのは、こんな折れ合わない二人が触れ合い対立してしまうことを、いまのTwitterの仕組みはプラスにできず(論争が深まる余地がないので)、足を引っ張り合うこと(炎上)にしか繋げられない点だ。SNSは人と人の距離をぐっと近づけたが、ブログvsブログならまだ存在した対話余地を、Twitterは残さない。そしてそれを煽るのがtogetterのようなまとめサイトで、まさに郡さんの思うような「編集」という行為恣意性や恐ろしさに気付かないまま、面白おかしく「炎上やすそうなポイント」に絞ってページ作成者対立煽り社会全体の生産性を下げている。私は、この二人はそれぞれのポジション自己お仕事に邁進していただいたい方が、なんぼか日本世界の、そして書物未来のためになると思う。


今回の対立は「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という郡さんの売り言葉に対して「性差別的な発言感情的な口調」と小林さんが受けたところから本筋を逸脱した。郡さんの文脈でこの売り言葉を読めば、それはつまり「(書物の怖さを尊重せず交流価値だけに可能性を見出すなら、書物という作るのも受け取るのも恐ろしいものに手を出さず、安全な)クッキーを焼いてフリマで売って(好きなだけ「素敵ー」とか言い合ってぬるい交流をす)ればいい」という意味であるのは明白だしブラック気味のジョークとして受け取れる範疇揶揄であったと考えるが、小林さんはその文脈を外して「(自分女性からクッキー焼け、つまり社会に出てくるなという話になるのか、つまり性差別」でありかつ「(性差別的な発言不用意に侮辱的に投げかけるほどあなたは)感情的だ」というレッテル貼りを行って、話を泥沼化させた。あとは、Twitterに住む蝿がよってたかってブンブン言わせて、事態は無事小学校の学級会へと堕していった。


郡さんのそのブラック口調が不用意だったのか、あるいは(かねてから似たような目に遭ってきたと想像される)小林さんの受け取り方がよくなかったのか、そこは今更問うまい。両者がその間の事情をそれぞれ忖度すべきだったというほど、両者に重い責任を負わせようとも思わない。ただ、いずれにせよ、両者はTwitterなどという軽い軽い場で議論じみた交流をすべきでなく、ただお互いの仕事に努めた方がずっとよい。陶芸家とその息子、ハッキリ言えば話すだけ無駄だと思う。

これまで何度も繰り返されたこういう出来事出会うべきでない二人をお節介にも出会わせて無益対立を生み、あまつさえそれを見世物にする!)をシステム上で防ぐ仕組みができない限り、いずれTwitterは信頼も人心も失っていくだろうと思う。

2019-04-22

やはり自覚のないアスペガイジが相手の主張を読まずに最初テーゼだけ連呼するのがレスバトルにおいて最強なのだろう

インターネット論客全員そんな感じだし

2019-04-06

3大OPがミスリードアニメ


機動戦士ガンダム

翔べ!ガンダム

 

怒りで闘志を燃やすこともなく、

正義の怒りをぶつける事もない。

 

 

新世紀エヴァンゲリオン

残酷な天使のテーゼ

 

熱いパトスほとしらせることもなく、

思い出を裏切ったりもせぬまま

残酷テーゼを立てることはない。

 

 

けものフレンズ

ようこそジャパリパークへ

 

ものは居てものものは居ない

本当の愛はここにある

 

 

異論を挟む余地は無いはず。

2019-03-03

anond:20190303105202

少年漫画の掲げるテーゼ風に言えば、

仲間を大事にしない奴なんかに

生きてる資格はねぇ、とか

2019-03-02

anond:20190302005004

つか別にマウントとるつもり無いけど、何歳?高校卒業した?

表現の自由意見を戦わせあう事で真理に到達できる、みたいな事言ってた表現の自由創始者ミルトン思想をどう受け取ってるんだ?

人様に口出しすべきではないという発想は表現の自由根底にある思想とは真逆で、そこにアウフヘーベン存在せずプロパガンダテーゼのみ存在が許されるとかIQが極端に低くでもないと主張は難しいのではなかろうか

2019-03-01

自殺防止が嫌い

全体主義一神教的な価値観に基づかなければ「自殺をしてはいけない」というテーゼ肯定できないはずだ。

百歩譲って国家国際機関自殺を禁じるのはいい。全体主義的な思想を完全に排除しては、それらは成り立たないからだ。

だがWHOガイドラインのように、マスコミ私企業自殺防止に貢献しろというのは道理があわない。

ましてや個人SNSなどで自殺について発信するのは、なんら妨げられるべきではない。

2019-01-15

anond:20190115111239

その証明しろというのが今のテーゼなんだが?

一つ検索ワードとそれで得たリンクを並べる。それが今増田がこなすべきタスクやで。

2018-12-21

anond:20181221113031

マジレスすると話のテーゼが初代より全然異なってる(US版はラルフ主人公扱い)ので、下手したら脚本丸っと違うとかもありえる。

2018-12-03

anond:20181203104952

キック・アスみたいな作品は「キモヲタとかブスが変身してもブスのまま」みたいなテーゼを持った作品だったと思うんだけれど、肝心の俳優イケメン美女ウォッシュされているっていうな…

2018-08-03

医師労働問題、整理する

便宜上https://anond.hatelabo.jp/20180802123936にぶらさがる

https://anond.hatelabo.jp/20180802123936ブコメで「医師の数を制限してるのがいけないんじゃね?」とかいろんな意見があがってるが、なぜ医師の数が制限されているか、という背景を理解しないと真の問題理解できない。

医師世界には有名な言葉がある。

「Cost, access, quality. Pick any twoコストアクセス医療の質。このうち,2つまでなら選んでもよい)」

クオリティ高い医療を、誰でも利用できるようにする(access)にはコストがかかる

クオリティ高い医療を、できるだけ安く提供するためには(cost)、アクセス制限される

誰でも利用できるように(access)、できるだけ安く提供しようとすると(cost)、質が保証できなくなる

日本医療問題は、この3つのうちどれを選ばないか、その選択ができないままに問題現場に押しつけてきたということにつきる。

1983年、有名な「医療亡国論」が発表されて以降、医療費総額の伸びを抑制することは絶対的テーゼと化した。

では捨てるのはクオリティか、アクセスか。

そこを全く決断できないまま、ただ「質のよい医療提供」「誰でも自由にどんな病院を選んでいいってもよい」状況が続けられ、しか予算は増えず、人は増やせず、医療の質の要求はどんどんあがり、ただ医師労働状況が悪くなっていった。

医師を増やすということは、医療費の増額を許容するということである(ここで財源が保険料税金かは議論しない)

医療費の増額を許容しないということは、医療の質か、誰でも自由に好きな病院にいける、どちらかをあきらめないといけない。

ヨーロッパの国々は早々にアクセスを捨てた。

ほとんどの国はまず地域総合診断医にかかるという地域医制になり、高度な医療へのアクセス制限されている(地域医にかかるのも予約制で時間がかかる)。

それでも国民満足度は高い。

あの一時期は「がんの手術を受けられることが決まっても待機中に死ぬ(最悪の時は待ち時間が2年を越えた)」という感じだったイギリスですら医療システムに対する評価は85%が「満足している」(大変満足しているからどちらかといえば満足をまとめた数字であるhttps://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_11/20141104.pdf

ちなみに日本は71%である医療体制評価では日本の方が上である(参考https://www.huffingtonpost.jp/mamoru-ichikawa/japanese-medical-no1_b_17327920.html日本11イギリス30位)

2018-07-26

生産性がないと言われた人間私見

俺はパンセクシャル寄りのバイで、おまけに社会不安障害を抱えていてあまり人と仲良くなれない。なので女性と満足にセックスできたためしがない。風俗店に行ったこともあるがいたずらに時間が過ぎるだけだった。

よって俺は現時点で子どもを作れないLGBTの1人である

しかしそれでいて「生産性発言非難轟々の某議員をあけすけに叩くことがどうしてもできない。

セクシャルマイノリティの内訳ではLGBTマジョリティであると俺は思う。小児性愛ケモナーよりは確実にポピュラー存在だろう、LGBTは。多様化スローガンを掲げてホモフォビア的態度を封殺しようとすれば、LGBT以外のセクシャルマイノリティにも寛容にならなければいけない。人間イマジネーションは奥が深い。俺らが思いもよらないもの行為恋愛感情性的関心を寄せる人は幾重にも存在する。

小児性愛者やケモナー、はたまた四肢切断に関心を抱く人等、これから出会うかもしれないセクシャルマイノリティの全てを受け入れろというのは個人キャパティを超えている。人にはどうしても認められない価値観があって、当人の持つテーゼからまりにかけ離れているがために今はその存在すら想像だにしていないのだ。

こうやって判断の難しいレアケースにどうやって対処するのかと言うことを唱えると「小児への性的接触や獣姦判断能力が低く意思表示が難しい者を弄ぶ暴力行為であり、そういった行為に走る可能性がある人間容認することはできない」というような反論が聞こえてくるだろう。しかしそれは僕からすると間違いで、性的欲求暴走させ周囲を傷つける判断能力の欠落とセクシャルマイノリティであるかどうかは何の因果もないと思う。同世代対象としたヘテロセクシャルLGBTにもレイパー存在するわけで、猥褻事件の要因をセクシャリティに絡めてはいけない。

リベラリスト立場LGBT権利拡大賛同する人のどれだけが、明示化されるかもしれないレアケースに向き合う覚悟があるんだろうと、どうしても俺は冷ややかな態度になってしまう。突き詰めていけばみんな結局自分信心に従った勝手のいい「倫理」を持ち出して、自分嫌悪するものを「例外」として門前払いしようとし始めるのではないのかと考えてしまう。結局僕らは女性蔑視の酷いイスラム原理主義者中絶を認めないカトリック信者のように、自分の持つテーゼ一方的に盲信しているだけかもしれない。

生産性のない者に施しはいらない」という言葉をもってして考慮すると騒動セクシャリティに限った話ではない。

カルト教団統合失調症患者アルコール麻薬依存症医療大麻支持者、ニート生活保護受給者パチンコ店経営者ブラックワンマン社長ゴシップ誌記者うなぎ養殖業者、原子力発電業者世間から存在意義を問われ時には社会を卑しめる悪とすら呼ばれる人たちは枚挙にいとまがない。彼ら全てを肯定しようといえば、どこからともなくそれは違うという人が現れて、彼らの短所を挙げ尤もらしく彼らの排除を訴える。世界は単純ではなく、何にだ短所はあるというのに。

俺は別に認められないものがあってもいいと思うんだよ。神じゃないんだから個人的にNGってもの絶対あるし、逆にこれは守りたいってものもあっていい。でもそれを「社会多様化」だとか大義名分掲げて、さも公益のため人の尊厳のために滅茶苦茶正しいことやってるですよって正当化していくの、なんか卑怯だなって思っちゃう時があるんだよ。結局根っこは私信だと思うのね。「ゲイオープンリーになったらなんか良さげじゃん」みたいな気持ちに色々肉付けして説得力あげようとしてるだけなんじゃないのかなってたまに思ってしまう。

みんなが「ゲイが虐められてるの見ると気分悪いかホモフォビア嫌いです」ぐらいの意思表示にとどめたほうが、かえって問題がわかりやすくなるんじゃないかなとか考えちゃう

それから今回の炎上でやるべきなのは議員自民党を叩いて潰そうとすることじゃなくて、カウンターになりうるLGBT理解ある議員応援だと思った。気に入らないものを潰せというのではなくて、自分意見を反映してくれる人を送り込むというアプローチのほうが社会多様性という点では好ましいんじゃないかな。

まとまりがなく幼稚な内容かもしれないけど、あの議員に迷いなく憤りをぶつけることがどうしてもできなくて、その理由を探るために書き記しておきます

2018-05-27

特定のAさんがBさんを虐げたとかいう話じゃなしに、個人選択の自由恋愛自由という現代社会テーゼのものがインセルを生み出してしまっているんだから現代社会スキームの中では解決できないんだよ

アポリアというやつだね

2018-05-11

anond:20180511144406

影響の大きさが違うじゃんw

エヴァはそれこそ、一般人残酷テーゼを歌えるくらいまで認知されたのに

マドカはそこまで広まってない印象あるし。

2018-03-23

anond:20180323101904

じゃあ2000年前と現代で、「人間」がどれくらい「変化」したのか言ってみろよ。

理屈じゃねーんだ。何が「浮気」か、っていうのは人間の「感情」の問題で、これはちょっとやそっとの社会の変化で変わるもんじゃねえ。たとえば一夫多妻制が認められた社会パートナーが他の人と過ごしているとき「まあ一夫多妻制だから普通だわ」って平然としてられると思うか? そんなわけねーんだよ。「源氏物語」や「蜻蛉日記」くらい高校で読んだだろ?


からこれは、人間本質に関する哲学的省察と膨大な時の流れや文化を超えた試行によってテストされ磨かれたテーゼに拠るくらいしか説得力のある回答なんざ出来ねぇ問題なのよ。過去の知恵を学ぶときってのは、こういうときだよ。

2018-01-31

ヴィーガニズムは正しい。正しいがゆえにそれは人類社会の敵である

フェミニスト乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。

https://togetter.com/li/1194767

http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209

http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800

はじめに言っておくと、わたしヴィーガニズムアニマルライツには明白に反対であるしかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ

ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間動物は違う! 白人黒人男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強いことを男性優越していることにしたい性差別主義者は、古今東西どこにでもいる。人間動物と違うのは社会常識だ! アメリカ南部奴隷主たちも、同じことを思っていただろう。

10年ほど前、はてなで「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というフレーズ話題になった。まったくその通りだ。「同じ人間差別してはいけない」にも理由はない。理由はないが、道徳律とはそういうものだ。差別はいけない、なぜならそれは差別からだ、という主張は空虚だが、しかしその正しさを疑う人はいないだろう。差別は正しくない、これは自明です。

ところで、「同じ動物差別してはいけない」という主張は、「同じ人間差別してはいけない」と論理的に同型である空虚である空虚であるが、ではそれゆえに正しくないと主張することは可能だろうか?

人類平等への闘いは、「同じ○○」の範囲を広げてゆくことだった。「同じキリスト教徒差別してはいけない」という議論に対して異教徒が声を上げることは必要だった。「同じ成人男性差別してはいけない」という主張では、無産階級男性のことは救えても婦人参政権は実現できなかった。ようやく今、人種差別性差別が「同じ人間差別してはいけない」として斥けられる時代になったのだ。

しかし牛や豚からすれば、その「人間平等」は、「白人のなかでの平等」や「男性あいだでの平等」と寸毫変わらぬであろう。

それがヴィーガンアニマルライツの訴えの核心である。これを安易に「人間動物は違うんです。以上」で切り捨てることは、安易に「だって男と女は違うじゃん」と切り捨てることと、いったいどこが違うというのだろうか? このふたつの主張をまったく別物だと切り分けること、それ自体が彼らの批判する種差別なのだ

何でフェミニストにばかりそういう要求や追及がなされるのか? と疑問を呈する人もいる。断言するが、それは最悪の戦略である

第一に、ヴィーガン界隈を見ればわかるが、彼らは一般人に対しても肉を食ってさえいれば無差別にマサカリを投げつけている。それが今回たまたま件のフェミニスト氏に向けられただけであり、構図としてはセクシー萌えキャラの出てくるポスターフェミニストから批判されたオタクが「何でオタクばっかり叩くんだ?」と過去女性運動の蓄積も知らずに愚痴っているのと寸分違わない。やめておいたほうがいい。

第二に、差別に反対する運動の中で別の差別が行われていたとき、それを厳しく追及してきたのはフェミニストたちだったではないか人種差別に反対する運動の中で性差別が起きたとき人種差別だけでなく性差別にも反対すべきだ、そうでなければ真の反差別はいえない、という主張はそれなりの説得力をもって受容されてきたように記憶している。であるとすれば、性差別だけではなく種差別にも、という主張が向けられることは自然な話であろう。

まり既存反差別運動の側は、迂闊にヴィーガニズム揶揄しているとブーメランが帰ってくるわけだ。反差別、正確には、反人種差別および反性差別を支持する者として、味方がブーメランに撃ち抜かれて斃れていくのを見るのはやるせない。

ではどうするか? わたしはまず、敵対関係認識すべきだと主張したい。

フェミニスト男性優位社会の敵である奴隷解放論者は南部社会の敵であり公民権運動の闘士は白人中心主義社会の敵である。それと同様に、ヴィーガン人類社会の敵である

このことは、現在ヴィーガニズムの支持者が全員人類であることと何ら矛盾しない.家父長制と闘う人びとの中には男もいた。奴隷を逃がしたり黒人とともに座り込みに参加した白人もいた。そして彼らは、男でありながら男性中心主義の敵であり、白人でありながら白人至上主義の敵だった。ゆえにヴィーガンが、人類でありながら人類社会敵対するのは何ら矛盾ではない。

わたしたちにはふたつの選択肢がある。ひとつめの選択肢は、敵が提示する平等テーゼを受け入れることであり、つまりジャイナ教徒のように虫の一匹も殺さぬようマスクをし箒で道を掃きながら歩く生活を選び取ることだ。もうひとつが、平等敵対することである。種差別何が悪い人間動物とは違うんだ、人間の都合で動物搾取することは当然だ、と傲然と言い放つことである

最悪なのは、この敵対性に対して目を瞑ることだ。敵を「なんか頭のおかしい人たち」として片付けることだ。そうではない。彼らは正しいのだ。彼らは正当な抗議者として、つまりはわれわれの敵として扱われるべきなのだ

この敵対性を隠蔽してしまったら、他の敵対性が隠蔽されることに抗えなくなる。それは平等への闘いの自滅だ。敵対性がそこにあることを明るみに出すことは、常に闘いの出発点なのであるから

なのでわたし宣言する。うめぇこれはヴィーガニズム提示する平等への敵対だ。朕はたらふく食ってるぞ、汝畜生食われてろ。数百年後、あの世代は動物差別動物虐殺を何とも思っていなかった民度の低い連中だ、人類進歩を阻害してきた、と糾弾されるかもしれない。それでもわたしは、種差別を正しいと信じる。人間動物とは違っており、この差別は当然だと主張する。未来の子供は、わたしのこの言明を醜悪なスピーシストの声明として読むかもしれない。ユダヤ人は劣等だと言い放ったちょび髭の指導者や、女は男よりも劣った生き物なのだ公言してきた家父長たちが扱われるように、動物を殺して恥じなかった我々現代人も扱われるかもしれない。ひょっとすると数十年後に革命が起きて、人道に対する罪で訴追されるかもしれない。自己批判強要されるかもしれない。それでもわたしヴィーガニズム敵対する。この差別は正しい差別からだ。

さあ、みんなもそう叫ぼうじゃないか。種差別必要だ! 種差別は正しい! 今ここで種差別を! 明日も種差別を! 永遠に差別を!

2017-11-21

https://mobile.twitter.com/kikumaco/status/932471176084865024

民主主義多数決ではない」というテーゼが俺には何を示しているのかよくわからないのだけど、少数派の尊重なるもの意思決定において実際に制度化されてるわけでなく、表現の自由等で消極的に認められているものだとしたら、少数派には妥協するインセンティブはないよね。

どうせ意思決定に反映されるんじゃなかったら、思想一貫性を重視したほうがいいんじゃない

少数派は妥協しないか無視されるのだ!としたら、多数派妥協するのかどうかが問われるわけだけど、そこんところもよくわからんし。

多数派妥協しないとしたら少数派云々の言明自体意味を持たないわけで。

2017-10-19

論のお作法議員候補演説

昔、家庭教師として小論文指導していたことがある。

小論文の基本は、弁証法構成にある(と思う)。

その構成を具体的に示すと次のようになる。

導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。

そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。

続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。

最後ジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。

以上だ。

テーゼテーゼの美点、アンチテーゼジンテーゼ

具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。

裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。

さて、ここまでは前置きとしてのヘーゲル弁証法の紹介だ。

ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。

経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。

しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。

そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマン痕跡があるだけだ。

はいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル弁証法的な構成手続きを踏むのは現実的ではない。

議論目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。

さて、翻って政治議員の話である

議員とは、主権者幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政司法コントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。

果たして現実議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。

すなわち、

■ 1. 正しい目的意識

= 主権者幸福度の維持・向上

■ 2. 適切な統治能力

= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し行政司法を最適解に向かうよう制御できる能力

■ 3. 適切な議論能力

= 議会での議論を適切に行える能力

だ。

ここで問題としたいのは3番目の、適切な議論能力である

選挙演説討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員対立する意見政策)の美点」の提示継承を欠いている。

自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会対立意見を持つ別の議員たちと健全議論を繰り広げられるのだろうか。

これは別に右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。

しろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ

自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。

立憲や共産党社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかし格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。

希望の党について言うならば、いや、希望の党そもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい

ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼ提示する不断努力を見せて欲しい。

そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。

こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子ども政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサ彼女はできないし、ネトウヨ財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ

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