俺はパンセクシャル寄りのバイで、おまけに社会不安障害を抱えていてあまり人と仲良くなれない。なので女性と満足にセックスできたためしがない。風俗店に行ったこともあるがいたずらに時間が過ぎるだけだった。
しかしそれでいて「生産性」発言で非難轟々の某議員をあけすけに叩くことがどうしてもできない。
セクシャルマイノリティの内訳ではLGBTはマジョリティであると俺は思う。小児性愛やケモナーよりは確実にポピュラーな存在だろう、LGBTは。多様化のスローガンを掲げてホモフォビア的態度を封殺しようとすれば、LGBT以外のセクシャルマイノリティにも寛容にならなければいけない。人間のイマジネーションは奥が深い。俺らが思いもよらないものや行為に恋愛感情や性的関心を寄せる人は幾重にも存在する。
小児性愛者やケモナー、はたまた四肢切断に関心を抱く人等、これから出会うかもしれないセクシャルマイノリティの全てを受け入れろというのは個人のキャパシティを超えている。人にはどうしても認められない価値観があって、当人の持つテーゼからあまりにかけ離れているがために今はその存在すら想像だにしていないのだ。
こうやって判断の難しいレアケースにどうやって対処するのかと言うことを唱えると「小児への性的接触や獣姦は判断能力が低く意思表示が難しい者を弄ぶ暴力行為であり、そういった行為に走る可能性がある人間を容認することはできない」というような反論が聞こえてくるだろう。しかしそれは僕からすると間違いで、性的欲求を暴走させ周囲を傷つける判断能力の欠落とセクシャルマイノリティであるかどうかは何の因果もないと思う。同世代を対象としたヘテロセクシャルやLGBTにもレイパーは存在するわけで、猥褻な事件の要因をセクシャリティに絡めてはいけない。
リベラリストの立場でLGBTの権利拡大に賛同する人のどれだけが、明示化されるかもしれないレアケースに向き合う覚悟があるんだろうと、どうしても俺は冷ややかな態度になってしまう。突き詰めていけばみんな結局自分の信心に従った勝手のいい「倫理」を持ち出して、自分が嫌悪するものを「例外」として門前払いしようとし始めるのではないのかと考えてしまう。結局僕らは女性蔑視の酷いイスラム原理主義者や中絶を認めないカトリック信者のように、自分の持つテーゼを一方的に盲信しているだけかもしれない。
「生産性のない者に施しはいらない」という言葉をもってして考慮すると騒動はセクシャリティに限った話ではない。
カルト教団や統合失調症患者、アルコールや麻薬依存症、医療大麻支持者、ニート、生活保護受給者、パチンコ店経営者、ブラックワンマン社長、ゴシップ誌記者、うなぎ養殖業者、原子力発電業者…世間から存在意義を問われ時には社会を卑しめる悪とすら呼ばれる人たちは枚挙にいとまがない。彼ら全てを肯定しようといえば、どこからともなくそれは違うという人が現れて、彼らの短所を挙げ尤もらしく彼らの排除を訴える。世界は単純ではなく、何にだ短所はあるというのに。
俺は別に認められないものがあってもいいと思うんだよ。神じゃないんだから個人的にNGってものは絶対あるし、逆にこれは守りたいってものもあっていい。でもそれを「社会の多様化」だとか大義名分掲げて、さも公益のため人の尊厳のために滅茶苦茶正しいことやってるですよって正当化していくの、なんか卑怯だなって思っちゃう時があるんだよ。結局根っこは私信だと思うのね。「ゲイがオープンリーになったらなんか良さげじゃん」みたいな気持ちに色々肉付けして説得力あげようとしてるだけなんじゃないのかなってたまに思ってしまう。
みんなが「ゲイが虐められてるの見ると気分悪いからホモフォビア嫌いです」ぐらいの意思表示にとどめたほうが、かえって問題がわかりやすくなるんじゃないかなとか考えちゃう。
それから今回の炎上でやるべきなのは議員や自民党を叩いて潰そうとすることじゃなくて、カウンターになりうるLGBTに理解ある議員の応援だと思った。気に入らないものを潰せというのではなくて、自分の意見を反映してくれる人を送り込むというアプローチのほうが社会の多様性という点では好ましいんじゃないかな。
まとまりがなく幼稚な内容かもしれないけど、あの議員に迷いなく憤りをぶつけることがどうしてもできなくて、その理由を探るために書き記しておきます。