はてなキーワード: まだ子とは
まだ安楽死が必要なほど、あなたは苦労してないし、周りにケチばかりつけて何にも行動してないだけだよ。
ハッキリ言って甘ったれ。
産まれた時から奴隷の身分で自由に将来選べなかったわけでもない。
寝てるときに武装勢力に拉致られて、知らん男と結婚させられて、毎日レイプされる?←現代
まだ子供のうちに親に売られて、何十歳も上のじいさんの多妻の一人にさせられて
セックスで感じると声がうるさいからって、子供のうちに家族や住人に押さえつけられて女性器を麻酔無しでちょん切られた?←現代
衛生的な環境のおかげで流行り病で何万人て死ぬこともない←現代
どこにいって、何をするのも自由なの。
そりゃ色々問題はある。
でも完璧な国なんてない。
一人で車に乗るときに、一人だと悟られないために人形乗せる必要もない。
いきなり銃弾飛んでくることもまずない。
安心安全な国にいて外を知らないガキが、あれもいや、これもいやってダダこねてるだけで
恥ずかしいよ。
その前に行動しなきゃ。
自分が変わるんだよ。
腐った世の中に見える舞台が
自分次第。
自由に道が選べて
選択が出来る
田舎にいくと、車がいる?
それはあると便利なだけで
毎日何キロも歩いたり自転車で通学、通勤してる人もたくさんいるんだよ
私がまだ子供がいない頃に時々見かけて、大人が子供のものに子供より夢中なんて大人気ないと思っていた。
産んで解ったが、子供に物心がつくと子供が寝るまで子供の好きな番組以外見れない。
そして子供は好きな回や好きなシーンを繰り返し見せてきて、好きな所を熱弁し大人と感想を共有したがる。
ものすごく厄介だけど世界一大好きな布教オタクと、数年朝から晩までべったり状態で、特撮を布教されるのだ。
最近はとりあえずジョジョや進撃で馴染みがある小林靖子脚本から網羅していくかとアマプラに入り色々見ていってる。
子供がライダーより戦隊に熱いのでシンケンジャートッキュウジャーを全部見た、面白い。次は何にしよう。
子供より特撮に夢中なお母さんがたも、子供の好きな番組漬けにされて面白さに目覚めたんだろうなと勝手に仲間意識のようなものも芽生えてしまった。
人間は攻撃欲や支配欲や異質なものを排除したい気持ちを本能的に持っているものだから
いじめも差別も本能で自然のことで、何一つ悪い事をしてる訳じゃないよ!
とはならないだろうに
「そういう気持ちを持つ」だけなら別にいいんだよ。ただ、それを特定の人に向けたらそらダメだって話。
他者の人権に抵触しない限りにおいて内心の自由は最大限保障されるべきという考え方。
そもそも自分だって、食事で殺しをすることを正当化しながら生きてるだろ?
本質的に生きてるだけで他の生物の生命も他人の立ち位置も奪うもので、
人間の本質に関わる汚い部分を正当化していけないのなら、そもそも生きてるのがおかしいはず。
それに、本能的に人間には差別とかいじめとか(性欲とか)汚いものを持ってるのはもう色んな専門家が言ってる。
心理学者のフロイトが「どうすれば戦争は無くなるか」に答えた書簡が興味深いから読んでみたらいいよ。
こことか。
http://news.kodansha.co.jp/20170123_b01
最近だと脳科学者の中野信子氏が「ヒトは「いじめ」をやめられない」って本を書いてた。
「脳科学者である著者は、いじめをなくすことより、この本能をどのようにコントロールするのかという方向に、
いじめの回避策が見いだせる、と説いている。」ってことらしい。
多分、心理学や生物的にはいじめや差別の気持ちは誰しもが持っているのが普通なんだと思う。
相手の気持ちを考えるとかでその攻撃性を人様に向けないようにするのが教育という話なんじゃないか。
もちろん男の性欲についても同じな。
なんでそういう話になるのかわからんけど、これはアウトだわ。男の側が悪い。
それを直接嫌がってる誰かに直接向けない限り見て見ぬ振りをしてやれっていう話。
この例みたいに嫌がってる相手に「直接」向けたらアウト。
一方で、想像するだけとか直接の行動を起こさなければセーフだ。
どんな考え方や気持ちを持ってもいいが、それを人に向けてはいけない、なら別に両立するだろ?
で、「想像されるだけでも我慢できない」って話になるなら、多分それは男の感情を誤解してるだけだから、
下の方は例が悪かったな。付き合い出す直前ぐらいを想定してたんだが。
「男の家に泊まったのなら性行為に同意したのと同じか」って議論があったよな。
そら理屈で行ったら、それだけで同意したなんていうのはおかしいけどさ、
男からしたらそれを一晩我慢し続けるってのは拷問っていう話なんだよ。
別にどちらかが悪いとかどっちが正しいって話じゃなく、
お互いの感情を理解してトラブルになったり相手を苦しませないように
配慮できるようになりましょう、って話で、
まぁ、わざと生きにくい考え方を選んで一生男の感情と戦っていくのを選ぶなら
自由にすればいいと思うけど、すごい生きづらい考え方を選んでるように見える。
絶対になくならない人間の本能を否定して戦うとか地獄にしか思えない。
悪い言い方をすると、増田は自分(女)のことしか考えてないのよ。
どうすれば男も女も楽に生きられるか、両方の立場を考えてないわけ。
逆に性教育できてない男は、自分(男)のことしか考えてないのよ。
だから女性が怖いと思う気持ちとか女心とか生理とかが理解できなくて傷つけたりしてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190914/k10012080421000.html
みたいな記事を見ると必ず出てくる「女は専業主婦なんだから家事やるのは当たり前」って論調の人って、
身の回りに家事しかしなくていい専業主婦が沢山いるんだろうか。
少なくとも私の周りだと、他に育児とか介護を抱えている人か、同世代の男性も皆定年済みな世代の人以外はほぼ働いていて
結婚直後でまだ子供がいない&夫が転勤族とかで定職つけない人くらい?
(別に共働きでないと食えない人だらけの貧困地域って訳でもない。むしろ中の上くらいだと思う。今時は小金あっても皆働いてるよね)
アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を見て感動したので、その感想を書いてみます。(ネタバレありなので注意)
2012年に「魔法少女まどか☆マギカ」にハマってからアニメをよく見るようになりましたが、最近はほとんど見なくなってしまいました。他のことで忙しいというのも理由ですが、アニメの場合心情描写が少なく、表面的になってしまって面白いと感じることが少ないためです。
もちろん、まどマギやエヴァは例外ですが、それ以外ではやはり面白味を感じる作品は少なかったです。たまにドラマや映画を見るとその心情描写の深さに自分が人間ということを思い出させてくれるような気分でした。
そんな中での「おおかみこどもの雨と雪」でしたので、心情描写にドキドキさせられっぱなしでした。小学生の気持ち、特に高学年の淡い恋心にとても共感できました。
主人公(花)は二ホンオオカミの末裔のおおかみおとこ(名前は不明)と恋に落ちます。
姉(雪)と弟(雨)の2人の子宝に恵まれますが、雨が生まれた直後に夫は死にます。冒頭の見せ場であるはずの夫の死がほんとあっけない。。。花はおおかみの姿で川で死にゴミ収集車で処分されるところを発見します。
夫の死の理由は全く不明ですが、雪の予想では「赤ん坊のために狩をする本能がはたらいたのかもしれませんし、産後すぐの母に需要のあるものを食べさせたかったのかもしれない」とのこと。つまりは、おおかみの死に人間に非はないということ。捕まって殺されたわけでもなく、車とぶつかって事故死したわけでもなく、おそらく鳥を取ろうとして誤って川に転落して死んだということです。おおかみの死が人間と無関係に生じていることが、野生で生きるということの厳しさを物語っていると思われます。
また、その死んだおおかみを人間はあっさりとゴミとしてゴミ収集車で処分するという無機質さ。人間が動物を特別視していないということ、人間のみが尊いと考えられているというが分かります。愛する夫が目の前で死んでおり、ごみとして処分されても何もできない無残さが自然の世界を表しています。
その後は女手一つで2人の子供を育てることになりますが、2人ともおおかみの資質を持っていておおかみに変身できるため、その育て方に花は奮闘します。花の設定が、東京のはずれにある国立大学の社会学部社会学科の学生だったというのは、異文化を理解し、本などから知識を得る向学心があるということを端的に表しているためでしょう。普通の人なら異文化(おおかみおとこ)を受け入れるのは難しく、さらにはおおかみこどもを育てようとはならないでしょうから。
花は最終的に田舎に移住し、自然の多い中、子供たちに人間として生きるのがいいのか、おおかみとして生きるのがいいか、その道を考えさせるようになります。
田舎での自給自足の生活は不便で大変ですが、花は本で農業や動物について勉強したり、周りのお年寄りに支えられることを学びながら2人を育て上げます。
その後2人とも成長し小学生になりますが、雪は自分がおおかみであることを隠すようになり、人間としての生活を選ぶようになります。一方、雨は小学校に行っても馴染めず、「先生」と呼ぶアカギツネに師事し、おおかみとしての生活を選びたいと思うようになります。
まあ、花がバイトで自然観察指導員として雨を仕事場に連れていかなければ、他の動物と会うこともなく、雨が山でおおかみとして生きることを選ぶことはなかったかもしれないですが、それもまた人生ですよね。
最終的には、雪はクラスメートで恋心を抱く同級生の藤井草平に自分がおおかみであることを明かしますが、人間としての生活を選び全寮制の中学に進学します。一方で、雨は10歳のときに先生の死後役割を引き継ぐために山に入り、おおかみとしての生活を選ぶようになります。人間での10歳はまだまだ子供ですが、おおかみとしての10歳はかなりの大人なのでそのような選択ができたのでしょう。
以上の通り、2人は全く正反対の生活を選びますが、これは花が子供に好きな道を選んでほしいと考えたためです。花は決してどちらの方がいいと強制したわけではありません。雨に「山に行ってはいけない」と止めていたのは台風の中山に行くことは危険というためでおおかみの生活を選んではいけないということではなかったわけです。
誰かに何かを教えるときは自分の理想の姿になってほしいと考えてしまっていましたが、どのような姿になるかは人ぞれぞれであり、その人の気持ちや適性から自分で判断するのがよいと考えるようになりました。
2人の名前の雨と雪はそれぞれ生まれた日が雨の日・雪の日だったためですが、同じ水でも全く違う方向になるということのメタファーなのでしょう。このタイトルの深さが分かったときは本当に考えさせられましたよ。
ということで、いろいろと感じることが多い作品でした。みなさんも見てみていろいろ感想を感じてください。細田作品で特におすすめの作品となりました!!
家事と育児に真剣に向き合わずそれら放棄したいという、子供にとっては悪魔のような思想だよな。
こんな言葉を賛美しているクズ女の旦那が気の毒で仕方ない。そしてそんな母親をもってしまった子供も。
「母ちゃんの夏休みはいつなんだろう」という言葉を掲げたり賛美したりする行動の裏にあるのは「子供和の世話なんてもうこりごりで逃げだしたいぐらいだわ」という子供とのつながり、絆を全否定する吐き気がする思想。
そういう親に育てられたらそういった子供は親を刺し殺すようにもなりかねない。親の心情というのは子供にどうしても伝わってしまうものだ。
職場にさー、最近パートで入ってきたシングルマザーの人がいるんだけど、まだ子供が小さいから熱出たとかでちょいちょい休むのよ。まあ、熱出たんならしょうがないしさー、そういうのは社会的にみんなで協力して周りが穴埋めしてやらにゃならんのだろうけど、正直クッッソだるいし、早くやめて欲しい。
パートだからと思って舐めてるのか知らんけど、全然仕事しないし、自分がキツくなったらすぐ顔に出るし、まじでクソ。
指摘しろよという意見もあるかもしれんが、30超えてる人間って指摘したところでもう変わらなくない?今までそんな人間しか見てこなかったんだけど。シングルマザーとかいう弱者だから下手に言うとこっちが悪者になるのは目に見えてるしさぁ。。
一人抜けるとめちゃくちゃ困るような職種にそういう人こないで欲しいんだよなぁ。そいつがいるせいで20代前半の若い子とかを入れれないと思うとどんどんイライラが加速していく。
管理者に言ってどうにかなるもんでもないので、ここで悪口を言いました。
ファーーーック
寝てるとき以外は世の中の全てにイライラしているような感じに見える。
この前俺の運転で一緒に近所のスーパーへ行ったとき、駐車場が満車で入れないとわかるやいなや警備員のおっさんに対して助手席から大激怒説教をずーっとかましてた。
身内の俺はそんな妹のことを狂人やモンスターだなんて思ってなかった。アニメや漫画なんかでたまにいる激情型のヒロインになぞらえて、あくまで1つのキャラの形に過ぎないという認識でいた。
こういう性格でも同性の友達はやたら多いタイプで彼女たちと電話してるときだけは例外的にいつもの不機嫌は完全に鳴りを潜めていかにも女の子らしかった。
仲間がいて、恋愛できていて、社会生活を順調に遅れているから、妹の性格も数ある個性の一種として捉えていた。ずーっと。
だが、そういう楽観的認識は俺が就職したことを契機に完全に変わってしまった。妹の性格を深刻視するようになったのだ。
俺が配属された部署に妹と全く同じタイプの激情型の中年女性がいたのだ。彼女も常に怒りまくっていた。相手が新人でも、上司でも、同性でも、取引先の社員でもお構いなし。男性社員は彼女を疎み、女性社員はよく彼女からの異常な叱責で泣いていた。
まるで憎しみや怒りが服を着て歩いているかのような人だった。
毎日近くにいるのにもかかわらず、俺は彼女の笑顔を見たことがない。
年齢の割にスタイルも良く綺麗で「昔は美人だったんだろうなあ」と思わせるだけの見てくれではあった。それなのに彼女に対して俺が抱くイメージは『バケモノ』。
細身で足が長く色気が漂う美熟女で、課長代理にまで昇進していて、夫と子供がいて、ベイエリアに住んでいて……それでも『バケモノ』としか思えない。
理由は年齢だ。
涼宮ハルヒや俺妹の桐乃があの性格と攻撃性で40歳だったら一発アウトだろう。
つまり、性格が悪くても人間として受け入れてもらえるのは若さゆえの特権なんだと思う。
妹はあの性格を治さないと確実にキチガイとしか見なされなくなる。大学の女友達や歴代彼氏達のような、そんな妹のことも肯定して付き合ってくれた少なくない数の仲間は消え失せてしまうだろう。
会社に中年女性の仲間はいない。もしも彼女が辞めたら職場のみんなは本気で感動するはず。
結婚もセーフティネットにならない気がする。近所付き合い、父母会などなど家庭外の人間関係はどうしても発生する。そのとき、激情型でクレーマー気質の妹が受け入れてもらえるとは思えない。
実際、俺がまだ子供だったころそういう性格の同級生母は親たちのあいだで『変な人』として軽蔑され、距離を置かれていた。俺の母親も渋い顔をして、たまにその人の協調性のなさをやんわりと愚痴るのを耳にしたことがある。
旦那が社会的信用のある人間だとか、本人がキャリアウーマンで美人だとかは周りの人間に心を開かせる材料にはなりえない。
兄として妹の幸福を願っている。
そうなるために妹は変わるしかない。
あの性格のままだとあと何年で妹は孤独になるのだろう。あと何年で禍々しいヤバい人としか見なされなくなるのだろう。
もし幼少期からのあの性格を変えるとしたら一体どれくらいの歳月が必要となるのだろう。
妹の将来がとにかく心配だ。
「現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。
美大出身者の学閥やお友だちごっこ。権威と名声にしか興味のない自意識過剰な学芸員や美術評論家。公立美術館は新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーターが自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポー」であることに酔っている変わった人々と自分には見えた。
学生の頃、一生懸命アートの歴史を勉強していたが、大人になり、現実のアート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。
元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存の権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値を見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSでアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないから体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティストに簡単になれる時代なのだなと思う。
(=自分が大学で勉強するか、大学で勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学の先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。
「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本のアート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。
洗濯物を取り込もうとして窓を開けたら、ベランダの隅に恐竜がいた。
恐竜を見るのは初めてだったが、第一印象はそんなに怖いものでもなかった。薄明かりの中で鱗がキラキラと光っていて、まるで黒いガラス玉を全身に撒いたようだと思った。
恐竜の方も私に怯えているような様子はなく、少し首を傾げてこちらを見ていた。まだ子供なのだろうか。
ちょうど冷蔵庫に鶏の胸肉があったのを思い出したので、「ちょっと待ってて」とジェスチャーで合図して(伝わるわけないが)、冷蔵庫から胸肉を持ってきた。恐竜の前に差し出すと、パクッと器用に歯で挟んでそのまま見る間に一呑みしてしまった。
食べっぷりといい、呑み込む時に見えた綺麗に並んだ鋭い歯といい、やはり肉食なのだなと思った。
恐竜はまだ私の方を見ていたが、私が「もう無いよ」と言うと、手すりに脚をかけてそのまま下の駐車場にジャンプして、トットットッと軽い足取りでどこかへ行ってしまった。街灯に照らされた姿は誰がどう見ても恐竜だったが、幸い自分以外に見た人はいないようだった。
次の夜も恐竜は来た。
私が居間でテレビを見ていると、窓をコツンコツンと硬いもので叩く音がしたので、もしやと思って見ると昨夜の恐竜だった。
そしてまた同じように首をかしげるので、私は昼間のうちに用意しておいた豚バラ肉を一枚一枚恐竜に与えた。恐竜はそれをまた美味しそうに食べた。そして食べ終わるとまたどこかへ行ってしまった。
それからは毎晩、恐竜に肉をあげるのが日課のようになった。恐竜は私の用意した肉を平らげ、またどこかへ帰っていった。そして、いつのまにかその後ろ姿は着実に大きくなっているように見えた。
この恐竜はどこまで大きくなるのだろうか。夜のうちはまだ暗いから大丈夫かもしれないが、昼間はその大きくなっていく体をどうやって隠しているのだろうか。
神社の境内の裏手やビルの屋上の隅に、その大きな身体を蹲ってじっとしている。褐色の身体の中で、目だけが細く開いている。そんな姿を想像せずにいられなかった。
恐竜が最初に来てから1月ほど経った夜、私がいつものように肉を持ってベランダへ出ると、そこに恐竜はいなかった。30分待っても来なかった。そして次の夜も恐竜は来なかった。それからの晩、恐竜が来ることはなくなってしまった。
私は冷蔵庫にある肉類を見つめて呆然としていた。なぜ彼は来なくなったのだろう。
きっと、恐竜は自分で食べ物を調達できるくらいの大人になったのだと思った。そして私の助けを必要としなくなったのだろう。
つまりは巣立ちをしたのだ。
おそらく自分がもう巣立ちできるくらい大きくなったことがわかった恐竜は、昼間は隠れて夜に食べ物をもらう生活を止めたのだろう。きっとこの街を捨ててどっかへ旅に出たのではないかと思う。
ベランダから外を見ながら、私は日本のどこかの山奥の森で、誰の目にも気にせずに過ごす恐竜を想像した。きっとのびのびと暮らしているのではないかと思う。
もし、山の中で恐竜の足跡を見つけたり鳴き声を聞いたり、もしかしたら恐竜と出会った時は、誰にも言わずにそっとしておいて、できれば知らせてほしいです。
また会いたいので。
ドラゴンクエスト5は小学生時代に何度もやり毎回フローラを選んでいた。
好きな仲間モンスターはグレイトドラゴン。 (ヘルバトラーは一度も仲間にできなかった)
今回知り合い、はてなで話題になっていたので映画館で鑑賞してきた。
以下感想箇条書き。
・30歳 子供産んだ。人によるだろうけどホルモンの関係か体調がすごくよくなる。冷え性が治り、つねにぽかぽかしてて動きやすい。生理も軽くなった。子供のお世話でなんだかんだと寝不足でもすぐに持ち直せる体力があった。でも肌は下り坂だなーって思った。若い頃の艶はない。
・35歳 子育ても一段落してパートに戻った。そしたら自分がめっちゃおばさん扱いされてるのに気付いた。そりゃ、退職した27歳くらいの頃とはもう違うもんね。
社員さんは若い子にあれこれ話しかけてからかってあだ名つけてキャッキャしようとしてるけど、私にはすごく丁寧に接してくるw
「あーそうかあの頃とは違うもんな」と気付かされた。
もう結婚して子供いたら「飲み会行くー!?」「行くー!」なんてノリは無理だもんね。
肌質はなんかザラザラしてきたw シミやイボがぽつぽつ出てくる。徹夜はもうできない。
・40歳
このころぐらいから、周囲の同級生の「自分は何になったのか」っていう答えみたいなものが見えてくる。
ひたすら仕事に生きる人。離婚した人。結婚して家建てた人。早めの介護に入った人。
いわゆる「アラフォー」って世代に突入して結婚した人は、みなお相手の男性は一回り年上になっている。
「子供産めなくても容認してくれる」のが、もう、一回り年上の男性になるからなんだろうね。
アラフォー男性だったら、まだ子供が欲しい願望から、同じ年代の女性は選ばない。
シミやイボはほんとにひどくなってきた。最近水虫になったw あと治癒能力が衰えてきた。かさぶたが長く残ってるよなんだこれ。
私は何になったんだろうなー。分からない。ただのおばさん?お母さんかな。
【追記】
そうなんだよね。結局、女は出産と年齢が関係するから「何者になるのか」ってのが男よりは早く見えてくるんだと思う。
若いうちは自覚して「自分は何者になるのか」ては思わないけど、女性だったら、ずっと若い気分のままでいたらだめだ。
とくに、30までには「何」になるのかを意識して行動しないとただのおばさんになる。気を付けて。
なんでこんなこと言ってるかというと、アラフォーになっても独り身の女性の友人が周囲に多いんだよ…。
結婚しても離婚したり、子供ができなかったりとかいろいろある。
「独り身が悪いのか」つったらそういうわけじゃないけどさ、