はてなキーワード: 一身上の都合とは
私はとっくの昔にSNSのまとめで私鉄嫌いを(事実上ではあるが)ほぼ全面撤回した。だから、私鉄含めて鉄道は左程嫌っていない。
しかし、最近の一般市民による日本の民営公共交通、特にいわゆる「私鉄」に対するバッシングは理解できるよ。
だいたい、私鉄なんぞ昭和の終わることにはとっくの昔に公営化できた。しかし、日本人はそれをしなかった。
何故だろうか?それは、私鉄が事実上の特権産業になっていたからだ。
東京でも郊外の片隅に行くと、私鉄地本が根強かった時代の名残が残っている。
例えを言えば都市開発。現在でも東京の都心を少し離れただけで、私鉄資本の都市開発地域が残っている。
当時は、私鉄線とその会社が同一の建物しか建っていなくて、地方よりもむしろ私鉄社会の郊外のほうが、この地域には○○資本の店がないという地域が多かった。
2000年代までは私の住んでいた地域(2014年に一身上の都合で引っ越したが、引越し距離がたったの1km強なので住んでいるでもかまわないと思うが)も身近にその風土が残っていた。
しかし、2010年代になるとその流れが止まる。理由は言うまでもなく、近頃の新設鉄道は第三セクターが主流になったからだ。
理由を考えてみたが簡単だった。公共交通は公共の財産であり、最大限その利益が公共に還元されるべきという社会意識が高まったからだ。
新自由主義が経済に浸透すると、私鉄社会の根強い郊外にも外資系やファスト風土系列の建物が進出するようになり、音を立てて私鉄と一体化した郊外の風景は崩壊していった。
最近は、よく訳のわからない事故が多くなり、東京あたりでも鉄道以外の公共交通利用などが増えているらしい。
それに、私は最近の安い有料駐車場や有料駐輪場の増加について疑問を抱いていたが、その謎が解けた。
余った土地を有効活用しようというのが一番わかりやすい回答だが、やはり最も現実的なものは、最近駐車場や駐輪場の需要が増えたかららしい。
話を聞くに、鉄道交通が(定時率の低下で)あまりにも使い物にならないために、バスの交通機関にもあふれた人間が車やバイクや自転車を使うようになったというのが多数なのだが、私はその真相を知らない。
いずれにせよ、嘗ては街の誇りでもあった私鉄社会が今では街の恥さらしとして認識されつつあることは間違いがないだろう。
ここで家庭が壊れる元ができた。
落ち着いたときには遅かった。
精神もやられてたと今になって思う。
働くことしかできなかった。
体が壊れた自覚はなかったけれど
気がついたら勤務中に3時間寝てたとか
同僚に言われて初めて気がついた。
本当にもっともだと思う。
それは今でも思う。
転職先も似たような状況だったが
ただ一つ
終わりの見えない自転車操業だったところが違ってた。
今も同じ会社で働いてるけど
ただ、その反発心のおかげでようやく人並みの生活ができている気がする。
周りからは定時ダッシュの人と思われてるらしい。
全然思い通りにならない。
心も。体も。
思いも寄らなかった。
きっと罰があたったんだろう。
今までの心のツケが回ってきたんだと思う。
でもけっして嫌なことばかりではなかった。
やりたかったことを目指し
そのためだけに頑張れた自分がいる。
つらい時期を仲間と乗り越え
今でも一緒にお酒を飲んで笑いあえている。
本当にありがたいことだし幸せなこと。
お疲れさま。よくがんばったよ。
今はただ
頑張りすぎた自分を許して。
感謝して。
ゆっくり休ませてあげたい。
幸せであればそれでいい。
ほとんどは140字以内だったか、切り詰めて140字以内にしましたが、長いままのせたかったものはtwitlongerというサービスでリンクをおきました。
一つだけRTの多かったものに入っていますが、リンクとばきゃいけないということでRT伸びにくかったようなので、その一つ以外のものをここに書いておきます。
(女 刈谷市 1987)プロフィールに目を通していただけると嬉しいです。 Thank you for your message and wink. 一身上の都合により、4月に差し掛かるまでお返事をお休みさせていただきます。 心より深くお詫び申し上げますと共に、またご縁がございましたら宜しくお願いいたします。 アクセスして下さった方、気にかけていただきまして、どうも有難う御座います。 私は2014年10月3日にこちらのサイトに登録しました。 長月(ナガツキ)兎(ウサギ)と読みます。 ニックネームは、私が卯年の9月生まれである事が由来です。 初めは携帯電話からアクセスしていたため画面が小さく全体の把握ができなかった事と、英語に苦手意識を持っているため、お返事ができるようになるまでには時間がかかりました。 ログインする度にポップアップが出るので、クイック返信機能の設定と秘密のお写真を追加したところメッセージとウインクを沢山いただく事となり、お返事が追いつかなくなってしまいました。 その為、よく質問される事などを、この場をお借りしてもう少し詳しく記述させて頂こうと思います。 男性側はお金を消費なさっていると知ったので、少しでもお互いに時間的、金銭的負担がかからないようにと思い、恥を忍んで正直に書きます。 このサイトには心に疲れを感じた時に衝動的に登録しました。 知ったのは2014年の春頃で、確かネットサーフィン中に見かけてコンセプトに衝撃を受けたので、覚えていました。 私は、18歳の時に結婚と出産をしています。 小学生の子供が1人おりますが、第二子の予定はありません。 車の免許は持っておりません。 高校生の頃は歯科助手のアルバイト、出産後には複数のライブチャットサイトを掛け持ちしてチャットレディをしていました。 今は専業主婦をしています。 出身地は、愛知県名古屋市で、現在は愛知県刈谷市に住んでいます。 友人や知人からは、夫婦仲が良いとよく羨まれますが、私は違和感を感じています。 平日の過ごし方は、主に家事やお買い物をしています。 知人から声がかかればお出掛けもします。 休日の過ごし方は、学校や会社のイベントに参加してみたり、サイクリングロードをウォーキングしたり、市民プールに行ったりします。 学生の頃に経験した習い事と部活は、硬筆・ピアノ・珠算・水泳・学習塾・英会話・茶道・華道・手芸・バドミントン・軟式テニス・バスケットボールです。 よく聴く音楽は歌詞の無い物で、自然音やオルゴール、ヒーリングミュージックやリラクゼーションミュージックです。 よく飲む物はジャスミン茶です。 お花は、薔薇と金木犀が好きです。 装いはシンプルで質素な事が多く、装飾品はつけませんし、特別な用事がなければお化粧もしません。 髪色は茶系色です。 ヘアサロンでは、色白で小顔と言われ、ネイルサロンでは桃色が似合うと言われます。 お洒落をしないので、同性からは勿体無いと言われます。 笑うと可愛いのに、あまり笑わないと言われます。 笑顔が苦手です。 外出時にはコンタクトやカラーコンタクトを用いることもありますが、お家では眼鏡をかけています。 匂いに敏感です。 お酒はご迷惑をお掛けするといけないので外出先で他所様と飲んだことがなく、好き嫌いはありませんが一回あたりの食事量は少ないです。 少人数で静かに会話が楽しめる場所が好きで、繁華街など騒々しい場所は好みません。 急いだり慌てる行動は得意ではありません。 影響を受け易いので健康や清潔を心がける方が気になります。 凝り性で依存し易いので、趣味や興味は敢えて持たない様にしています。 勉強になりますのでお話しを聴かせていただく事が好きです。 どんな事でも教えていただければ嬉しく思います。 警戒心が強いので、恐怖感を抱く作品や暗所や虫はとても苦手です。 ストレスがかかると体重が減ります。 遠出や旅行の経験は極僅かです。 私よりも、身長か体重が少ない方とは、並んで歩く自信がありません。 元々、性格は内向的で小心者です。 こういうサイトを介しての出会いなので、人間性を重視し、信頼関係を築きたいと思っています。 人見知りで慎重を期すため、まだ誰ともお会いした事がありません。 無料通話アプリの使用を検討中です。 親しくなるまでに月単位のお時間を要します。 関係の進展を急がれる方にはお応えできませんので、ご遠慮ください。 更に、稀に援助を申し出て下さる方がいらっしゃいますが、お引き取りください。 主に平日の朝9時から15時くらいまでの自由時間に、お返事しています。 目的や希望は特に持っておらず、出会った方との流れに任せたいと思っています。 私は性行為のみが目的の方や、性的な話題しかなさらない方には全く魅力を感じません。 秘密のお写真は1ヵ月毎に1枚づつ追加しますが、雰囲気が分かる程度のお写真です。 お顔を載せる事はありません。 それでも鍵の申請をなさる場合は、メッセージを下さい。 スリーサイズは最近測っておりませんので、下着E65と服XS/SS/5号と靴23.5のスリーサイズでお許し下さい。 性行為の幅を広げるためにストレッチを行ったり、より感度を高めたいので体型や体重の維持に努めています。 体脂肪率は15%です。 自他共に傷つける事がない様に爪の長さにも気を配っています。 性的欲求が強く1週間に1度は必ず性生活を営みます。 気持ちが高ぶり易く1人で慰めることも多いです。 結婚前は、愛人となったり複数人と4桁回数ほど身体の関係を持ちました。 私より4歳から16歳年上の方、10名とお付き合いの経験があります。 ミミズ千匹や名器と言われます。 ストレス解消方法は大人の玩具で慰めてからお昼寝する事です。 性趣向はSと言われた事が無いのでMだと思います。 前のお口だけではなく後ろのお口でも上り詰めますし、手指の愛撫では潮吹きもします。 淫楽に貪欲で、興味や好奇心が旺盛なので、性具も多数所持しています。 後背位の時に掌で叩かれる事は好みますが、鞭と針と蝋燭は苦手です。 ノーマルからアブノーマルまで幅広く様々なプレイを愉しめます。 飲精は好みますが、聖水を飲む事と黄金を食べる事は出来ません。 恥毛は剃毛により無毛、または短い状態です。 ただでさえ容姿が悪い上に、出産時の会陰切開による傷と妊娠線で女としての自信を無くしました。 一糸まとわぬ姿に、内面的そして外面的魅力を感じていただければ幸いです。 来る者拒まず去る者追わずで仕方が無いと考えていますので、お気に入りやブロックは使いません。 私ごときでよろしければお相手して下さいませ。 稚拙な文章に目を通していただきまして、どうも有難う御座いました。 宜しくお願いいたします。 ごめんくださいませ。
(女 台東区 1996)フェミニストがいい。 人付き合いの為に中身のないことを塗り固めたような方は苦手です。 どうせこのような場で出会うのですから、礼節を除いて、そのような対応をして頂く必要はありません。 また、清潔感の無い人は嫌いです。 苦手ではなく、嫌いです。 体が太くない・髪にワックスがついてる=清潔感と思われてる方も嫌いです。 ワックスなどは、ついていないほうが清潔と感じることもあります。 誰にお会いしても恥ずかしくないという点で、スーツ姿はとても好きです。 上記の意味では非常に面食いです。 その他にも記載しましたが、求めている男性は二通り。 話を紳士的に聞いてくれる方 絵のモデルになってくれる方 どちらかに属する男性のみご連絡お願い致します。 現在は両タイプの男性が身近に居ますので、特に急ぎの用では御座いません。 様々な方とお知り合いになれたら、若い内の良い経験になると思っています。 宜しくお願い致します。
(男 中央区 1967)犯されたい願望を安全に、超リアルに叶えますよ 多くの女性が密かに持つ「乱暴されて犯されたい」願望を、安全第一で超リアルに叶えます。決して「レイ◎ごっこ」ではありません。主導権はあなたにあり、途中でいつでも中止出来ますので安全です。興味のある方以外はコンタクトしないでください。 ボタンが弾け飛び、無残に引き裂かれたブラウス。 鍛え上げられた男の前では、いくら泣き叫んでも無駄だ。 乱暴に押さえ突けられ、必死に抵抗したが、ショーツは強引に剥ぎ取られ、熱く大きく硬直した塊が湿った谷間を無理やり引き裂いて来た。 脳天を突き刺すようなピストンが激しく繰り返され、やがて・・・。 ★★★女性なら誰でも一度くらい、こんな妄想したことあるんじゃないですか? ただし、相手は福山雅治で、身の安全と避妊が100%保障されて・・・と言う条件付きでね(笑) でも、ちょっとした発想の転換で、そんなプレイが超リアルに、しかもあなたの主導で可能になるとしたら・・・。 勿論本当のレ○×は犯罪ですので、私は絶対にしませんよ。 唯一残念なのは、私が福山ではないということですが・・・ね(笑) 実はレ○×願望のある女性と、どうしたら超リアルなプレイになるか色々と意見を出し合って考えついた方法なんです。 で、彼女と実際にプレイしてみたら大好評! 今までに9人の女性とプレイしました。 最後まで行った人、途中までの雰囲気で満足した人、興奮し途中からホテルへ行った人・・・。 1人だけプレイ開始直前で中止(残念~笑)となった人がいましたが、みなさん大満足の様子でした。 私からはアクセスしませんので、興味ある方のみご連絡下さいね。 事前に十分メールのやり取りをし、お互いが信頼できないと無理なプレイですので・・・。 (類似の満員電車編もありまよ~笑)
(男 港区 1940)老人好色師にて候 一途に天与の仕事のみで生きてきて好色に疎く孤高を貫くように意地張りとうし今に至る。器量容姿不問にて相愛、緩慢、穏やかに睦みあえる40歳代以上80歳だいの淑女、ご婦人との出逢いを願う。一緒にバブルバスに入ったり、青柳貝角しゃぶりなどを好む。 花鳥風月を愛で書読を嗜み響きを傾聴し、時として女院を舐め吸う妄想にしたり夢中で天与の仕事に勤しみ半世紀を過ごし、我に返れば労歳境地に居り好色に疎く孤高を貫く如くに意地張通し今に至る。器量容姿不問にて心底より相愛静寂緩慢、穏やかに睦合える40歳代から80歳代の御婦人との出逢いを願います。
(男 葛飾区 1958)太いです。お腹ではありません 女性を悦ばせるのが好き、CU○Tを舐めるのが大好き。。。 冬はコートの下は全裸、夏はnoPan・noBura・ミニで散歩する「メス」が好み。 木、金曜日の昼間がF○CK TIME、葛飾区 「淫らん」は女にとって最高の『栄誉』であり、究極の『賛辞』である hubbyで満足できないcu◎tは、別のco◎ksを漁り、貪り、堪能する権利がある c◎ntは一滴残らず搾り取るためにある ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉づきのいい太腿が、窓外の陽を受けて白く光っていた。 それをたくましい腕と両肩ががっちりとらえている。 脚をばたつかせても、男は微動だにしない。 日焼けしたたくましい背中にさえぎられて、右耳のピアスだけが見えかくれしている。 白く光る太腿の間で禿げ上った頭が上下に、左右に、そしてグリグリと円を描き、ピチャピチャ卑猥な音がしていた。 妻は、禿げ頭を押しのけようと、もがき、身をくねらせ、「お願い、やめて・・やめて下さい・・」と、あたりをはばかるようにささやいた。 種豚のアレように膨らんだ“ニンニク”の向こうで、重そうに揺れていた一物が、太さを増しながら頭をもげた。 ・・・こいつは誰なんだ・・ 飛び込んで、パンパンに膨れ上がった“ニンニク”を蹴り上げようと思った瞬間、妻への疑念が甦った。 それは小さい棘のように、常に意識を離れないものだった。 ・・・・・妻の“真実”を・・・・・ 魔が差したも同然だった。 後ろからは長さが分からない。精子を注ぎ込むにはあり余る太さだ。“すりこ木”かと見まごうばかりの偉容に息をのんだ。 被虐の感覚にも似た衝撃の予感に脳髄が痺れだした。 葛藤した。 そうあって欲しくない。 他方で、それを望む自分がいるのだ。 痺れた脳髄には正常な判断ができなかった。 “すりこ木”によって暴かれる妻の本性。その淫靡な思惑には抗せなかった。 飛び込むどころか、むしろ舌なめずりしながらその思惑にのめり込んで行ったのだ。 私はそっと身をかがめ、両手を床に這わせて亀のように首を突き出した。 “すりこ木”の先っぽが標的をなぶり焦らすかのように、上下に、そしてグルグルとまさぐっていた。 いつの間にか絨毯に滴り落ちた淫水の溜りに気づくと、私は後頭部を強打されたかのような衝撃を覚えた。 それまで平穏だった半生の暗転の始まりだった。
(女 大田区 1988)癒しを下さい↷꒰ू´•௰ू• `꒱↷ 26歳、主婦しています。 産後2ヶ月 旦那と会話もしたくないし、本当消えてほしいです。自分は自由に行動している所や、愚痴ばかりグチグチ言う所や、妊娠期から我慢ばかりしてきました。 もう視界に入れたくないくらい本当うざい。 給料少ないくせに、今週忘年会だから一万。 今月きついから少しは協力してよ、と言うと逆ギレ、あたしは小遣いも無いし、遊びにも行けねーんだよ!早く死ね!!と本気で思う毎日です。 男性から優しくされたいです。。(;_;)
(男 日野市 1960)貴女は此処へ何を求めているのか? バーチャルの世界と現実の世界。 夢と現実を分けるのは時計に表わされる数字と、一着のドレス? ゆっくりと交錯する。 貴女の夢やおとぎ話の世界と私たちの甘美で柔らかな時間。 皆さんは我々男性に何を求めそしてどのような時間の流れに身を晒そうとしているのか。 触ると壊れてしまいそうなその瞳に何を見ているのか… 一時の幻なのかそれとも永久に続く終わりのない世界なのか… でもすべてはやがては醒めてゆく夢、羊は群れに紛れ消えてゆく。 柔らかで暖かなその羊毛は刈り取られ、また美しい羊が生まれゆく。 人は皆わがままで傲慢、でもそれが許されるのは貴女のみ? 貴女の夢や希望を叶えるため、男たちは奔走する。 決して報われない夢と分かっていても… 特別に何を求めているわけではありません。 何を求められているのか? 人の趣向は千差万別、なにを求められそしてどこまで叶えて差し上げられるのか。 人の欲望もまた終わりな様々。 どのようなものが欲しく、またどのようなことを望むのか。 隣にいる近親者には言えなくとも対面にいる見知らぬ誰かには聞いてほしいと! そんな願望や希望をお聞きするために私たちは此処に集っているのです。 お話やらメールやら・・・何でもお聴きしましょう、誰も貴女を苛めたりしません。 少しのわがままと沢山の吐息、そして取り戻せない時・・・
(女 瀬谷区 1980)ちょぴり怖いけど登録しちゃった 激しいH 好みのタイプは、年齢打と45~55才ぐらいで、80k以上の人、背が高くて男っぽい人、がっしりした人。大きい人。強風でも飛ばされない人がいいな。キュンキュンはアレ小さいから、大きい人・長い人はダメですからね。だって痛いから気持ちよくないだもの。理想は13~14センチで先細りしていない人が大好きです。 逆にダメなタイプは、背が低くい、痩せ型とか細マッチョ?の人はゴメンナサイ。 素敵な人と気持ちいい関係になりたいでーす。 1/21追記します。 とても沢山のお誘いのご連絡ありがとうございます。でも、希望ではない方々が多く今回興味のある方一人いましたが写真がなく、ご連絡するまではしませんでした。 少し曖昧だったかもなので、私の望む殿方は次の通りです。 ・年令50才以上の殿方 ・身長最低175cm以上の殿方 ・体重も最低85kg以上の殿方 50才までの男性に興味はありません。おじさん大好きっ子だから、低い身長もダメなんです。体重も最低の値なんです。だからお願いします希望以外の方々はご遠慮ください。私の希望に合う殿方にお願いですが、全体のイメージのわかる写真もお願い、よろしくおねがいします
(男 文京区 1983) アナキスト テロリスト 政治犯 アジテーター 孤独な芸術家 大衆に指示される事を目的としていない革命家 自分以外の全てに対するアンチテーゼ 私を表すには、どれも当てはまるが どれも正確ではない エイリアンやウイルスの発生源 または神や悪魔などが相応しいのでは無いかと思う 俺の考え方や生き方は現在では否定されるべきもので 今の世界から仲間はずれにされた疎外感や怒りが俺に強大な破壊衝動を芽生えさせた 人間達に同じ人間だと扱われなかった事が 俺に人間を超えた観点をもたらし それが俺の人間離れを加速させたのだと思う しかし何度か廻り合う人間(大衆)の仲間に入る機会を 悉く拒絶する選択をし続ける生き方を選んだ事実が 私を根源的に人間ではない事を証明している。
(男 城東区 1956)どちらかと言うとMな女性・人妻 長期で逢っている時は、恋人感覚の少しMな女性。既婚者でもOK。秘密厳守。またMac(パソコン)でのアクセスなので返事は遅れます。 1.セフレでも二人の時は恋人感覚の女性。2.顔写真要。イラスト不可。3.キスとぼくのものを舐めるのが好きな方。4..恥ずかしいことをさせられたり卑猥な言葉を言わされると興奮する女性。5.待合せは城東区諏訪の成城こうこうの正門を越えて最初の信号の辺り。変更はNGです。6.ぼくは女性が昇天する所を見るのが好きなので、まず、手・指・舌で何度も昇天して下さい。次はぼくの長いものででイ昇天する姿を何度も見せて下さい。8.最後は一緒にあなたがイクときにあなたのなかにぼくのものをいっぱい発射。9.もちろん、その後は、お口でぼくのものを綺麗に。ぼくはパイプカットしてるので妊娠の心配はありません。また、病気も持っていません。すべての番号がYesの女性は文句なしでお逢いしたい女性です。これはNGの方は、そのNGの番号を記して送信して下さい。既婚者でもOK。秘密厳守。またMac(パソコン)でのアクセスなので返事は遅れます。
(女 千種区 1963)心の癒しを求めています 若さを保つために恋愛はずっとしていたいです。 お互い高めあえるような、良い刺激を与えてくれる魅力的な男性希望。 刺激って性的なものでなく、文化的なものです。 多少の性癖がありますが、愛のない行為はいたしません。 恋愛できる人。セフレにはなりません。 プロフィールにあえて「秘密厳守」とか「大人の関係」って記載されていると、からだだけ目的って感じがしてとても印象悪いので、そういった方は遠慮させてください。 どしょっぱつのメール、ここにも1、2行のご挨拶しかしてこなかったり、いきなりタメ口の人とか多いんですね。手当たりしだいのコピペもご遠慮ください。 一般的なシモネタはしなくもないので、内容はかたくなくて大丈夫です。 でも趣味などに触れていただけると楽しいのではないかな、と思います。 デジタル機器大好きです。 けっこうおたくなので、かなりくいつきがよろしいかもです。 エンジニア系の職業を言われるだけで萌えるかもしれないです。 読書は実用書オンリーで、コンピュータ系のものが多いです。 こんなデート場所だと喜ぶかも。 映画館、カラオケボックス、こじゃれたカフェ、ゴージャスなお食事、図書館、お部屋でいちゃいちゃ。 苦手なのは、スポーツ、お酒、旅行、ドライブ。 どしょっぱつから、ドライブ行きましょうとか、飲みに行きましょうとか、絶対やめてくださいね。 貴女って呼ばれるの、かなり嫌い。 まぁ、汎用的な表現しかできない人はコピペメールで気持ちがこもってないから嫌い。
(男 港区 1973)恋と言われたら、愛に行くよ! こんにちは。 僕は、中長期的にお付き合いできる彼女を一人だけ探しています。 ネットのニュースでこのサイトを発見たので、登録してみました。本来は男である僕のほうからコンタクトすべきなんですが、あなたからの連絡をお待ちしています!。 女性の方にはがメールが山のように来て覚えていられない聞いたので・・・。 気軽にコンタクトしてくださいね 僕はこのサイトを通じて、いろんな女性とお会いしました。 独身の方、DINKSの方、子持ちの主婦の方……。 全員とは言いませんが、ほとんどの方に共通する悩みがだんだんわかってきました。 それは、 ・パートナーと長い間レスである ・パートナーとの関係に満足していない ・そもそもパートナーがいない だから、心のスキマを埋めるための相手を探している、ということでした。 僕はこの事実に衝撃を受けました。 私がお会いした方は皆きれいで性格も素敵な方でした。それなのに、満足していないなんて。これは由々しき問題です。 もしあなたが先述のような悩みをお持ちでしたら、僕はあなたの期待に応えられるかもしれません。僕はあなたに楽しんでもらうために、ここにいるからです。 「男は自分さえ満足すればいいんじゃないの」という反論があるかもしれません。 僕もそれは認めます。しかし、それは満足の定義によります。 僕の満足は、あなたに精神的にも肉体的にも気持ちよくなっていただくことです。 「床上手」は僕にとって最高の褒め言葉です。 たとえば? こんなアプローチはいかがでしょう? シャワーから出て、バスタオルを巻いたままのあなたはベッドに腰掛けている。 僕は後ろからあなたのことをそっと抱きしめる。手を握りそのままじっとしていると、お互いの心臓の鼓動が伝わってくる。 男は髪を優しくなで始める。 頃合いをみて、女をベッドに横たえ、バスタオルをゆっくりと取る。 そして、額に、まぶたに、軽くて長いキスをする。 時々、まつげを舌先で軽く触れる。 次は、耳を軽く噛む。決して歯は立てないで。 耳のなかに舌先を入れる。唾液が入るとあなたが不快になるので、そこは注意しながら。 その間、ずっとお互いの片手は強く握ったまま 男の指は鎖骨の上のくぼみに触れる あなたは、ごつごつした男の指がこんなに繊細なタッチだったのかとそのギャップに混乱する。 男は、右手で女の左腕を上に上げる。 あなたは一瞬、脇の処理大丈夫だったかな、と少し焦る(笑) そんな女の様子を見て見ぬふりをして男は二の腕の内側をさする。 男は二の腕から指をゆっくり胸のほうに向かってはわせる。 あなたは脇のあたりを撫でられて、くすぐったいかも、と身構えてしまう。 ところが、しばらく忘れていた感覚に、じわりと溢れる箇所が気になる。 そして、思わず内股になって腰をあげる。 また男はそんな動作に気づかぬふりをして胸の膨らみを周りからゆっくり円を描くように指先を中心部に向かってなぞっていく。 あなたは、乳首触られる、と少し期待しながらその瞬間を待つ。 しかし、男の指先は決してそこには触れることなく周りだけをゆっくりと触れるだけだ。 あなたは「なんで触ってくれないのー」と、思いながらも恥ずかしくて言い出せない。 そんな気持ちを察した男は、小指の先で、ほんの一瞬だけ、乳首に触れる。 あっ、と声をあげ、びくびくびくっと二回ほど身震いするあなた。 もうこの時点で、あなたは頭が白くなりかけていたが、腰の下のあたりがひんやりとしたのに気づく。 腰を少し上げ、片手で腰の下に何気ないふりをして手を当てると、シーツがえらいことになっている。 ---悔しい、とあなたは思う まだ、肝心なところにはどこにも触れられていないのに、こんなになっちゃうなんて。 何とか、この状況を打開しなければ、どうなってしまうのかわからない。 あなたは勇気を出して言う 「もう限界。助けて」 男は、「じゃ、入れるね」と言うと、あなたはこっくりと頷いた。 あなたは少し、そして、ますます悔しくなった だって、肝心な部分に触れられてさえいないのに、もう入れられる状態になるなんて。 あなたは、ぼんやりと考えながら、男の物を受け入れる準備をした。 すると、男は親指と人差指であなたの顎を持ち、ぐっと下に下げた。 そして、あなたの顔のあたりに腰を移動させ、ちいさな口にカチカチの物体をねじこんだ。 予想外の展開に、あなたの頭は完全に真っ白になった to be continued とはいえ、なかなか女性の方から「女性を気持よくさせるのが好き」という男性にコンタクトするのは、抵抗があるかもしれません。その気持はよくわかります。 でも、ちょっとだけ勇気を出して僕に一声かけていただければ、十二単を一枚、一枚丁寧にはがすようにあなたをエスコートします。 あるいは、こんなこと言う人間は、もしかするとヤバイ仕事している男なのでは、と警戒されるかもしれません。 大丈夫です。まともな仕事をしています。 申し遅れましたが、こんな男です、という自己紹介をします。 僕は都内で会社を経営しています。 もしかすると、あなたも僕の会社の商品をお使いになったことがあるかもしれません。 そんな仕事をしていますので、僕にもリスクがあります。 だから、秘密厳守です。 秘密を守れる方法、場所をよく知っています。 通勤は毎日クルマですので、フットワークは軽いです。 時間は割と自由になりますので、昼間も大丈夫です。 外見は、身長172センチ、体重66キロ。 今のところ白髪もハゲもありません。 顔は好みがあるかと思いますので、後にお送りする写真でご判断ください。 性格は、冗談や笑い話が好きです。 また、諦めがよく、粘着質なところはありません。 人には丁寧に接するよう心がけています。 もし、もっと自分を開放したい、女性として満足したいという想いがいっぱいになったら、僕にコンタクトしてください。 きっとあなたの期待に応えます。 なお、僕はお気に入りに登録することはありますが、僕からはウィンクもメールも最初には送りません。 あなたに選んでいただきたいからです。 ウィンクでも、秘密写真のリクエストでも、どんな方法でも結構ですので、ご連絡ください。 プロフィールが書かれていて、雰囲気のわかる写真をご登録の方でしたら、必ず返信します。 なお、このサイトでは顔がはっきりとわかるプライベート写真は公開していません。 メアドを交換して、ある程度お話して、「じゃお会いしてみましょうか」という段階になった時点でお送りします。 気軽にコンタクトしてくださいね。お待ちしています。 よろしくお願いします! P.S. あのー、お願いですから、いわゆる「割り切り」を要求する方のコンタクトはやめてください。ここのところ「2枚」とか「3枚」を要求して、「西日暮里で会いたい」というコンタクトを複数もらっています。そういうの全く興味ありませんので、あしからずご了承ください。
(男 世田谷区 1977)酢豚にパイナップルは苦手派です 虫さされにはムヒよりウナ、居酒屋では焼き鳥より唐揚げ派、風邪っぽいときは葛根湯よりジキニン、並んでいる自販機できっちりお釣りを目論んで余計に10円玉とかを投入するのを見るとイラッとくる派、熱っぽいときは冷えピタよりは熱さまシート派で、「世界」と聞くと国際情勢より山ちゃんが思い浮かぶ庶民派でもあります。ですが、春の訪れを桜よりはヤマザキのパンまつり、夏はサザンの新曲よりもサライの合唱で感じる今風なとこもあります。 最近落ち込んだことは、浴室の掃除をしようとカビキラーを手にしたら、その容器にカビが生えていたことと、「訓読み」自体が音読みだとしったことです。気まずかったことは、美容室での洗髪中に顔にかけたタオルがずれて、片目だけ視線が美容師と合ったことです。ミルフィーユを素手を使わずに食べられる人や、カールを咀嚼する前に歯にくっつくことをためらわず食べられる人はリスペクトできます。系統は、草食系でもアキバ系でもありませんが、自宅のトイレはブルーレット置くだけにしています。
女性に対して酷いとか企業の甘えだみたいなのがブコメでもあって強い違和感がある。
資生堂は、世の中の2歩も3歩も先に行ってて、だからこその今回の報道なんだけど、それが判ってないコメントが多いと思う。
(資生堂ショックとは、資生堂が美容部員の時短勤務者に土日や夕方以降のシフト入れを促す施策の事)
資生堂は離職率を公表しており、2013年度の国内資生堂グループ(管理・総合職)で3.2%だ。2014年度4.2%。
しかし、結婚・出産・育児理由は、0.03%にすぎない。2014年度は、ついに0.00%になった。
美容職で、離職率2013年度 3.1%(結婚出産育児理由0.80%), 2014年度 3.7%(結婚出産育児理由1.00%)。
他にも、育児期間中の転勤への配慮、配偶者の転勤に伴う異動考慮、等など。
「企業内保育所設置!」に「そこは資生堂が12年前に通った道だ……」とかやってほしい。
あえて書かないが、ググれば復職率・定着率の高さにたぶんビビると思う。(ヒント、9割は超えてる)
化粧品業界の最前線に立つ一万人以上の女性の集団をコントロールして、離職率をここまで抑えているのは驚異的だと思う。
「守る対象から戦力へ」と言い出したのが、この資生堂だというのは念頭に置く必要がある。
こう言う時、オトコは、とか書くと炎上するのだろうが、一般的な目線で見ても「企業は人を採れば良い」となりがちだ。
美容部員(想像し辛い人は、化粧品売り場で働く、相手に化粧を施して売り込む店員だと思えば良い。男性も少数だが居る)対象だから女性だ、というのは実は本質ではなくて、
これは、男性であっても女性であっても、育児短時間勤務が今後一般的になってきた時に、必ず起こる問題になる。
なぜなら
この場合、「男性社員を雇えば良い」とはならない。男性は育児をしないと企業が宣言しているのも同義だからだ。
また「育児休暇を取らない社員を雇えば良い。出産育児は権利であって義務でないので、使わない人間も居るだろう」というのは退化だ。
採用面接で「女性は寿退社or出産or育児で働かなくなるからリスクがある」と言うサラリーマンは、残念なことに未だに一定数居る。
こうすると、
2番が実際に根付いた資生堂は、日本企業としてはかなり進んでいるだろう。(実際、常に10%程度が短時間勤務者)
そして、ついに3番に手を付けた、というのが今回の「資生堂ショック」の話になる。
これは、ほぼ女性のみの美容部員だから生まれた問題ではあるものの、何れ日本社会全体にこの問題が来る、と信じたい。
(実際には、介護の話が避けがたく先に来るので、そちらから整備されていくのだろうけども……)
念の為補足しておくと、美容部員の短時間勤務者のために、夕方以降の店頭活動を代替する「カンガルースタッフ」という派遣社員が1600名ほど在籍している。
ただ、このカンガルースタッフの育児を犠牲にすれば良いかというと違うので、結局またその店頭活動サポートのサポートが必要になり……と根本的な解決にはならない。
(実態はバイトだしキャリア蓄積という意味でも難しい。わりとこのカンガルースタッフは常時募集しているので、はてなでもやってた人がいるかもしれない)
基本的に、上記の二択だった。(下手すると時短勤務を取れず育児専任女性)
当たり前の話だけど、こうするとキャリアを積むのは、育児を犠牲にした人か、(育児もキャリアも積み上げた)超人だけになる。
(働きたい人だけが働けば良いというのは、キャリアを積みたいなら育児は犠牲にしろと言ってるのと同義なので意味が無い)
この内、1番の「キャリア重視なら育児が犠牲になるのはやむを得ないよね」というのにハッキリ「ノー」と言ったのが資生堂になる。
育児は当然の権利なのでそれは尊重した上で、キャリアを積み重ねるのは、この方法だという方針を打ち出したと言って良い。
「私はキャリアを積み重ねるルートから外れた」と時短勤務者本人や周りに思わせないよう宣言した、とも言える。
キャリアを積み重ねて欲しいと言って採ったのならば、その道筋を引くのが企業の責務だろう。
理念だけでは回らない現場に寄り添ったガス抜き施策じゃないかな、と思う。
露悪的に言えば、婚期を逃したお局様みたいなBC(ビューティーコンサルタント)は、キャリア的には実績もあるしバリバリ働く。
あっちで短時間、こっちで短時間、結局土日や遅番は子供の居ない連中で回すんかいという不満が現場に蓄積される。
「キャリア指向」だけではなく「育児もキャリアも」でやりくりして土日に出ている「育児女性」にも不満が出る。
産後2ヶ月後には私は働いていた!半年も休んだ上に短時間とは軟弱だ!とソコココにそういう空気が流れる。
結果、「出産育児理由では無いんですが」と「職場で働き辛い(一身上の都合)」と、辞めていったりする。
(キャリアを積む道筋が無ければ、育児重視で行きたいと思った女性は「バリバリ働きたい人の雰囲気には馴染めず」となりがち)
そういう不満に対して「制度にべったりではなく、出来る範囲で努力はしてもらう。そういう内容で啓蒙もしてる」と証拠を見せるのが大きな目的の一つだとは思う。
(繰り返しになるが、たぶんそこらの企業よりよほど産後復帰しやすい環境を整えておいて、なお、同じ職場の女性に不満が溜まりがち、という事)
短時間勤務者は、「育児期間中の保護対象社員(特別な扱い)」から「一般社員(ただし育児時間中)」になった。
これでもし、「短時間勤務者にしわ寄せが向かう」のであれば、それは「短時間勤務者だけが育児を担っていた」事になる。
「資生堂ショック」とは、資生堂で働く女性短時間勤務社員に対してではなく、その伴侶であったり、周辺の環境に対しての事だと思う。
この報道で「男性の育児休暇推進に向かえよ他の企業は」というコメントで盛り上がらないのは、ちょっとどうかと思う。
30代、既婚女性。
主な理由は
とはいえ、昇進は事前に打診されて考えた上で受けたわけだし、
それを理由に辞めるのもなぁ、と思っている。
でも、今すぐ専業主婦になる気もなくてもっと緩く働ける仕事探そうと思ってる。
いやー、甘く見過ぎてた管理職。
そんな大きい会社でもないから、教育体制とかもちゃんとしてないんだけど
今環境でみんなよくやってるなぁって思うわ。
チームのメンバーともあんまりうまくいってる感じしないんだよね。
とは言え別にパワハラも受けてないし、嫌がらせもされてないし、
新米管理職としては甘く見てもらってるとは思うから、環境的には恵まれてるんだと思うけどね。
でも、ほらなんとなくあるじゃないですか。、嫌な空気。
旦那もちゃんと働いてるし、一時的に退職するって行ったらそのへんは許してくれると思うんだ。
いや、こんな理由で辞めたいって言ってるのは甘えだと思うけどさ、
昇進がなかったとしても会社の方向性とか業績に不安は感じてたんだけどね。
こういう時って一体なんて言って会社辞めたらいいんだろうね。
一身上の都合で押し通せなくはないけど、さすがにそれもちょっとなぁ、ってゆうね。
そりゃ高学歴or優秀orイケメン美女ならいい企業にすんなり入れるんだろうけども、俺みたいなさえない男はブラック企業っていうババを掴まされる可能性大なんですよ。
ブラック企業のタチの悪い所は入社してしばらく経たないと実態が見えてこないわけですよ。面接の時は社長やら人事の御偉いさんが会社の汚いところを一切見せないわけで、たった数十分の面接でブラックかどうかを見極めるのは困難。
そこで俺はブラック企業を確実に見極めるたった一つの方法を発見したってわけ。
それがこちら。
ブラック企業に務める馬鹿共は、まず間違いなく新入社員の歓迎会で酔っぱらって店を出た瞬間に歩道を塞ぎます。
もちろん「あー塞いじゃってるよ」って気付く社員も中にはいるんだけど、上司が塞いじゃってる場合はブラック企業だから注意なんて出来ないわけ。「課長、邪魔になってますよ」なんて言おうもんならフルボッコですよ。
ブラック企業の馬鹿共は歓迎会終わったら歩道を塞ぎよるという真理に気付いた俺はもうブラック企業に怯える心配はなくなりました。だって俺の歓迎会で歩道塞ぐ馬鹿上司がいたらその瞬間にそこで辞表出しますから。「一身上の都合により」なんて書きませんよ俺は。ハッキリと書いてやります。「上司が歩道塞ぐので」って。
みんな安酒で酔っぱらってるわけだし、退職の理由も(馬鹿共からすれば)意味不明だし、なにより歓迎会終わった瞬間に退職されるとか経験が無いみたいで、みんな狐につままれたような顔してキョトンと佇んでんの。キョトンとした顔で安居酒屋の前の歩道塞いでる集団がいたら、どこかの増田がブラック企業を初日で退職したんだなって察してやってください。
そこに新しい上司が赴任してきたのだが、その上司が異常に細かい人だった。
例えば何か仕事をして上司に提出すると、「こことこことここを明日までに直しなさい」と言われる。
そして上司は定時に帰宅し、私はそれを深夜まで残業して直した。
そして翌日もう一度提出すると、今度はまた新しいところを直すようにいわれる。
時には一度直したところをもう一度直すように言われたこともあった。
そんなことで、毎日深夜まで残業し、月に一度は徹夜で残業して仕事をしたにもかかわらず、
仕事は一向に進まず、しびれを切らした取引先からは取引停止をちらつかされる。
上司が帰った後に、こっそり上司の机の引き出しから決裁の印鑑を出して押してやろうかと何度思ったことか。
しかもその上司のもとで以前働き、同時に異動してきた職員が、異動してわずか3か月で、うつ病を発症して休職することになった。
それでもその上司はおかまいなしに、自分のスタイルを変えようとしない。
そうやってさんざんブロックしたあげく、仕事が納期に間に合わず、信頼を失ったから、責任を取れと言われた。
責任をとると言われてすることは…あれです。
でも、犯罪を犯したとか出ない限り、クビにはできないので、表向きは一身上の都合による退職。
しかし、退職したところで、事務職の経験しかない33歳(当時)男性で、
しかも勤めていれば一生安泰と思われる職場を退職したような人間を雇おうという会社はなく、
結局たどりついたのは、時給3ケタのアルバイト。同じ事務職ではあったが、
就職してから1人暮らしをしていたので、フルタイムで働いても、この給料ではとても食べていけない。
背に腹は代えられないので、恥を忍んで親に現状を報告し、援助をしてもらうように頼んだ。
(これをカミングアウトする心の準備に2年かかった)
父もすでに定年を迎え、本来なら働かなくてもいいところ、私に送金をしないといけないからか、
通勤に片道2時間かかる職場に毎日通い、フルタイムで働いている。
私もそんな父の負担を少しでも軽くしたいと思っているが、具体的に何をすればいいのか分からない。
今更何か復讐できることもないけど、
ふと、市役所の窓口部署にいた頃を思い出したので、そのときのことをちらほら書いてみたいと思う。
辞める直前にいたのは税務担当で、庁内の中では生保担当・農林水産担当と並んでキツいと言われていたところだった。
その中で自分は国民健康保険税の担当と住民税の担当を何年かずつやってきた。
1月の給与支払報告書(源泉徴収票みたいなもん)提出時期から2月と3月の確定申告シーズン、4月と5月の課税準備、7月までの賦課が終わるまで突っ走る感じ。ほぼ毎日残業あり。
まあ日付が変わる前に帰れるんだから民間よりはましだと言い聞かせてたけど、情けない話昔から体がそこまでつよくなかったから正直しんどかった。
でも申告のデータを黙々と整理しているだけならまだ楽だと思った。
高齢化で市民もお年寄りばかりだから、話してもよくわからんと言われることもある。
「こういう理由の、こういう制度だから」と説明しても逆上されたりした。
「公務員のくせに」とか「税金で食べてるんだから」とかほんとよく言われた。
あと、明らかに頭おかしい感じの市民も来る。酩酊状態だったり、半分脳細胞死滅してそうな人も。
今まで普通に(一方的に)話していたのに、急に激昂する人とか。
ほんと情けない話だけどノイローゼになるかと思った。
で、急に大声を上げたり、机を叩いて大きい音を上げるのって他の来庁者にも迷惑じゃん。
体の具合が悪い人や子連れだっているわけじゃん。そういう人達への配慮ってなかったなと。
一応市の例規集調べたらそういう迷惑な客への対応みたいな条文載ってるんだけど、活かされているところみたことなかった。
別室に通すとか、課長が出るとか(まあ課長も実務全然ダメなんだけど)、今日はもうお引き取りいただくとか、最悪公務執行妨害で通報するとかあったんじゃないのと思った。
そういえば、上の人達って全然窓口とか電話とか出てくれなかった。客の対応をするのは若い衆。
別にいいと思うんだこれも経験だし。たださっき言ったみたいな困った客も一人で相手するのはしんどい。
上司の助け船が欲しかったんだけど、そういうときに限ってタバコ吸いに出てたりするんだよな。
そんなことを思い返してました。どんとはらい。
この記事(http://logmi.jp/17622)読んで同じ現実かよってびっくりした。
あと解雇されたのは俺じゃない。
随分前、俺は地元の教員採用試験受けてそのまま採用されていた。
今思うと馬鹿なことをしたと本気で思っている。
俺の地元だけかもしれないけど新採用の教師はほぼクソ田舎の学校に飛ばされる。
若者が少ない地域だからちやほやされる反面面倒くさい仕事は全部「若いうちに苦労しておけ」で回ってくる。
生徒はかわいいけど酒飲みとパチンコしかすることのない生活は辛かった。
はやく懲役期間が終わって転勤したいと思っていた時、新しい新採用の女の子がやってきた。
彼女は天然でちょっとどんくさいところはあったけど結構かわいかったし仕事もできないわけではなかった。
顔は石原さとみをさっぱりしたような感じ。
残念ながら俺とは何もなかったけどな。
赴任後まずおばさん連中が目をつけて何かと仲間外れにしたりちょっとしたミスをきつく叱ってた。
おばさん連中より偉い先生に相談しても「若いからw」みたいな感じだったらしい。
更に「若いから苦労したほうがいい」みたいな理由で部活を3つ掛け持ちさせられていた。
人数が少ない学校ではよくあることだけど明らかに新人には無理なポジションだった。
俺も随分話は聞いてやったけどただでさえトロいのに常人以上の仕事を持たされていた。
しかも田舎だから若い女性は「嫁候補」としてしか見てない連中もいてセクハラもひどかったみたいだ。
(大学卒業してすぐ結婚しないと行き遅れるよとか今日もぴちぴちで若い子は匂いが違うねとか平気で言ってた)
もちろんそんな状態だから夏休み前から体の調子がおかしくなって、夏の部活動地獄でついに倒れた。
「体調が悪い」と説明されていたから仲のいい先生と見舞いに行ったりもしたけどどうみても鬱病だった。
出来ないのは自分が悪い、もう無理と泣いていた。
嫌かもしれないけど診療内科にかかるようにとしかアドバイスできなかった。
結局心療内科に行ってドクターストップになったんだけど、学校は一貫して「体調不良のため」休職と説明していた。
しかも上の方の人は大体事情を知っている下っ端の俺たちまで「喋ったらどうなるかわかってるだろうな」と遠まわしに脅してきた。
どうすることもできなくて俺は部活に逃げた。
心因性ということは一切触れずに「一身上の都合」と説明されていた。
何もしてやれずに落ち込んでいたら、彼女と仲の良かった先生が怒っていた。
どうにも納得がいかずに乗り込んでいったら「彼女がミスをするのは発達障害だからだ。教員がそれでは生徒に示しがつかない」と言われたらしい。
確かにうっかりしているところはあったけれど本人と周囲の努力次第でカバーはできたはずだ。
あまりにも納得がいかなくて同期に愚痴ったら同期も似たような人を知っているらしい。
何でもわざわざ病院に連れて行かれて「発達障害者は教育者として相応しくない」って言われたとか。
それでいろいろ嫌になって俺は教員を辞めた。
もともと向いていなかったし余所の学校も似たようなものらしいと聞いて絶望しかなかった。
ただ彼女とか仲の良かった先生はたまに連絡を取っていて、彼女はあの田舎から離れて快復して来年結婚するらしい。
もっと出来ることはあったはずだと当時の俺を責めるときはある。
でもあの田舎で彼女を庇うほど地位も権力も金もコネもなかった。
マジで他人の気持ちがわからなかったり、ひとつ作業している間に次のことを忘れていたりする。
予定と少しでも日程が変わると発狂する勢いで文句つける奴もいた。
そんなアスぺ野郎でも親がどっかの校長だとかそういうのは放っておかれる。
そのくせ若い教員はいびって鬱病だの発達障害だの理由をつけてやめさせようとする。
nao0990
設定が十分に練られていないから、一浪で大学入学して大学二年生修了後さらに二年休学の時点で22歳、なんていう基礎的な矛盾が起きるのだ。
普通に凡ミスでした、すみません。その時点で23歳ですね。他にもおかしい点があるかもしれませんが、記憶違いや身バレを恐れての改変が混ざったためと思って下さい。
nekora
一応事実として書いているので、言語だけで見るとショボい経歴ですがそのまま書いています。VB6 については弁護出来ないレベルの古さなので、格好悪いと言われるとその通りですが、それも含めて仕事をしようと思えればできる、と捉えて頂ければ幸いです。もちろん、古い言語の悪い部分に甘んじて低い技術レベルのままで仕事をしてもよいと言っているわけではありません。
htnmiki
語りたい病ですね
augsUK
今が勝ち組なのかよくわからんとか設定が杜撰だとかいろいろあるけど、想定Q&A作ってまで語りたいんだなあということはわかった。もう少し勝ち組設定の方が良かったと思う。
語り寄りになってしまってすいません。事実ベースで書くことにこだわり過ぎました。
大学中退やその他のハンデがあったとしても、場所/労働条件(給与、福利厚生)/企業のブランドなどへのこだわりを必要以上に持たずに捨てて視野を広げ、自分が必要とされるであろう企業に絞ってエントリーすれば数十社もエントリーしなくても内定はもらえます。なので頑張りどころを間違えずに頑張ってほしいです。
以下はこの一言に対する補足説明となる、背景や就職活動の指針についてです。
Twitter / s_suneco: これリクナビのトップだけど、これ私がおかしいというよりは周り ...
https://twitter.com/s_suneco/status/448665586222899201
高校に上がったくらいから就職ということを少しずつ意識するようになり、上記のような何十件もエントリーしなければならない熾烈な就職活動があるという話を聞いて、まだぺーぺーの学生でありながらもそんなのはおかしいと思っていた。学歴は確かに一定の修学を積んだという証明になるかもしれないけれど、企業はそれだけではなく採用希望者の人となりもきちんと見て、共に働くものとして十分な経験、知識、学習意欲などを持ち合わせているものをきちんと採用してくれればいいのにと思っていた。(働いてから採用する側になって、その難しさもまた分かったのだけれど。)
自分の能力は客観的に見て高いのか低いのかは分からないけれども、少なくとも学歴に関しては大学中退という傷物でありピカピカの新卒に比べると人材としての価値は低かったと考えている。そんな自分の足跡をここに記して、一般的な人材像とされている新卒でなくとも、その他諸々の身分であったとしても、落ち着いて丁寧に就職活動をし、こうして就職が出来ているということを知って就職活動の励みとしてもらえればと思う。
結局の所、労働者として働きたい僕らはお金が欲しいというのが企業と同様に前提条件なのであって、そこから
という流れが導き出せると考えています。
自分が学生であった当時もそうですが、そういった流れがあるとこまでは分かっても各点の具体的なイメージは出来ず、企業がどうやって稼いでいるか、従業員はどういった業務を行って給与を得ているかなどを適宜調べたり、諸先輩方に会う時などに質問するなどして一つ一つを自分なりに具体的にしていきました。そうして自分なりの芯となる考えを持っておく事で、無鉄砲に企業に当たるのではなく少しずつ焦点を絞りながら就職活動をし、数社のエントリーのみで内定を頂く事ができたのではないかなと考えています。
うまくまとめられたかは分かりませんが、ここに記した自分の経歴や考え方を見て何かしら参考にしてもらえれば幸いです。
経歴にも書いていますが自分の場合は理系→プログラミングという分野で活動していますので、別の分野(業界、業種、業態)では参考にならないということもあるかもしれません(分野によっては数十社へのエントリーを行った方が確率が上がる、など)。逆に言えば、踏み込む分野によって適切な就職活動の方法というのはあると思うので、それぞれの分野の現職やその周辺の方々の情報をうまく集めて、適切な方法で活動していってもらえれば自分が望む方向に近い所へ向かって行けるのではないでしょうか。
就職活動中の皆さんが無理をせずに向かいたい方向へ努力して向かい、その努力が報われる事を祈りつつ。
横解説増田だけど
これが何を言っているのか。ということを説明していくよ。
「消防」については調べたことを述べているので、必要ないかと思いますが、念のため。
ウィキより。
消防の歴史は、コンクリートやレンガではなく木造家屋が主だった時代に、火災は周囲の家屋まで燃え広がるため重大な損害を与える災害であった。住人がグループを組み、巡回したり消化したり、けが人の救助、住人らがお金を出し合って損壊した家屋を修理する損害保険など、江戸時代の『火消し』をはじめ、役割的に現代の消防署・消防団へと総合的に繋がって発展してきたとされています。
ですがここでは一身上の都合により、
慣れない田舎に引越してきて町内会、自治会の消防団に入ったばかりの人間を皮肉った表現です。
おわかり、いただけただろうか?
先日、3年半ほど勤め上げた会社を辞めた。
辞めた理由は外面は家庭の事情による一身上の都合ということになってるけど、本音は職場での意識の低さに辟易したところが大きい。
中堅SIerでにわかSEみたいなことをやってたわけだが、とにかく内情がひどかった。
プライドとかプロ意識とか呼ばれている類の者は全く存在しなかった。
ある先輩社員は仕事をしながら机にiPhoneを置いて堂々とモバマスをやっていた。
そしてそれを注意する社員もいなかった。
当然のごとく、仕事はほとんど進んでいなかった。後から聞いた話だと納期がかなり緩いプロジェクトだったようだが。
忙しいふりをしてだらだら仕事をするのはよくあることだとは思うけど、ここまで来るともうなんというか開いた口がふさがらないぐらい呆れる。
ある上司の下で仕事していたときに、お客さんに急ぎでメールを送らなければいけないときがあり、資料探して10分で文面書いて上司に送信をお願いした。お客さんとの連絡と調整は全部上司がやっていたからだ。
で、私が文面書いて送ったメールがbccで自分のところに届いたのはそれから3時間後。メール送信時間は受信時間と同じだった。
それでいてわざわざよくわからない言い回しに変えて送信する始末。
結局、送って10分後ぐらいにお客さんから電話があって上司共々怒られる羽目に。
またある上司に業務改善を提案したときには「それめんどくさいね」「問題が起きたら全責任君がとれるの?」「やるんだったら1から10まで全部君がやってよ」と言われる始末。
それでもなんとか説き伏せ「じゃ資料作って」と言われて資料作ったものの、「やっぱりめんどくさいね。今のままでいいじゃん」と門前払い。
結局その上司、とあるプロジェクトでExcel方眼紙直すために3徹ぐらいしてた。見ていて若干気の毒だったが。
別チームの社員はというと、お客さんから言われるがままに仕事をしていた。
そこから聞こえてくるのは、お客さんに対する愚痴と、つじつま合わせの言い分けの打ち合わせとため息ばかりだった。
そんな状況になってしまったのは提案に大失敗したから、とかそんな話のようだったが、それでも何も言わないのでは哀れな傀儡のようだ。
会社としてはお客さんから金をもらえるからそれでいいのかもしれないが。
高い金かけて以前と何ら変わらないシステム作るぐらいなら、その金でそれまでのシステムが動いていたハードをなんとかして調達すればいいんじゃないの、とか思う。
ハード屋さんは大変かもしれないけど。
とにかくこんな職場に嫌気がさし、実家のごたごたも重なったところで衝動的に仕事を辞めた。
前々から違和感は感じてたからあまり衝動的ではないかもしれないけど。手取りも少なかったし。
再就職とか起業も考えたけど、結果的にぬるま湯に浸かりすぎてしまったせいでどこに行ってもダメだろうし、実家戻ってゆっくり考えようか。
実家もわりと大変だし、実家から近いところで非IT系の仕事でも探した方がいいのかもしれない。
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。
「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。
エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。
朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。
エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。
本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達の日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。
出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。
するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。
はたからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。
バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスのナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。
バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末でコロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手で携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真を仮想世界上の日記として書き上げた。
当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかのカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。
食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。
エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。
電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいつものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記を作成した。
日記を作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末を操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。
会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。
会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合で退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。
プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベートな日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。
ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。
タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から「喫煙室なう」と仮想日記に書き込んだ。
書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。
エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーション用アカウントにログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。
「いいね!」ボタンの操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。
カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要なライフワークとなっている。プリンのカウントは89だ。日記のタイトルにカウント数を入れて、写真を撮って日記を作成した。
先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。
この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事である。しかも読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。
「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。
食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。
画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事は存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。
日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンをたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分の日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。
エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。
帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車やバスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチの薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。
時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。
Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。
webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。
どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106
この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました。医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいものです。
森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師に研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材や医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。
直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……
あとは、勉強用に。
本吉町国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月:本吉町国民健康保険病院)
本吉町国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷町国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。
翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。
昭和30年3月の町村合併により本吉町国民健康保険病院となり、この年に新病棟が建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。
昭和34年当時の診療科目は、内科、外科、小児科、産婦人科を標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。
しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。
その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科を標榜する現在の病院の規模となった。
昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。
その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。
本吉町内には、かつては数軒の医科医院が開業されていたが、医師の高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。
国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。
特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。
現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師を派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・
本吉町国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科を標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。
外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。
外来、入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。
本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関にはなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。
また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園・保育所、小学校、中学校の校医も受託している。
さらに、町内企業の産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催の健康相談への協力も行っている。
以上のように、本吉病院が地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要な医療施設となっている。
本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。
医師については、本吉病院の患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。
宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師や派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。
押し寄せた津波に入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影(CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した。
3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。
現在の医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊「TMAT」が担う。入院患者は岩手県立千厩病院(一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。
千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。
病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。
TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。
看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。
職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)
◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市立本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)
入院患者19人全員を岩手県の病院に移し、人心地ついた朝だった。
3月20日。気仙沼市立本吉病院。
男性院長(59)の姿が消えた。
震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部の医療団の応援を受けている。4月上旬。
「おばあちゃん、眠れていますか」
2階の一室で外来の患者に話し掛ける。そばで派遣医師が心音を聴いている。
院長は地元が兵庫県で阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
津波で1階が水没した。医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
入院患者の足元で雑魚寝し、患者のタオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
外来患者は1日200人前後。震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
「病院が地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」
4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師も現場復帰した。
家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい。
医療団はいずれ去る。
「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
心の中でわが子に言い聞かす。
もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)
東日本大震災の津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】
3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器をモニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯で看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長の鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員がほとんど休まずに勤務を続ける。
4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した。
応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです」
宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
1階天井近くまで達した津波は白衣も医療機器も流した。人口1万1千人の本吉地区から市中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した。
応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師が休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した」
応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元の主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)
批判する人はどこにでもいるので、批判されているから悪なんてしたら世の中どうにもならないよ。
この問題は署名を拒否した事でも、署名したことでもなく 政治的に問責を待つ身で糾弾も答弁もすることなく、議員としての任期切れという
(民間人でも大臣にはなれるので)大臣の職務とは何の関係もない『一身上の都合』で署名をする時期を決定したと見られていること。
考慮した上で署名するのも、考慮した上で拒否するのもそれは、大臣なんだから責任持って考えてやればいいと思うが
自分の大臣としてではなく、議員としての任期切れという個人の都合にあわせて署名の可否を決められたらたまらない。
一身上の都合により、いわゆる同人二次創作を見る機会が最近増えた
驚くのは、あんなにも多数の書き手がいながら、多くが驚くほど似通っていること
いわゆるテンプレストーリー。 男性向けエロなどの多くがこれに当たる
グリム童話のキャラクターを、漫画のキャラクターに置き換える遊びと似通っている気がする
すべて「恋情からくるものである」という仮定の下に読みかえる。
原作内でおきるすべての事件、行動、感情の動きの根底には恋慕があり
キャラクターのほぼすべてを、恋愛の文脈につながるものとして読み解く
少女漫画とかなり近しい気がする
尊敬、友情、憎悪その他原作内で描かれる感情を「性愛」とシームレスにつなげ、その発露部分を描く
尊敬の表現として、友情の表現として、戦闘の代わりとしてのセックスが描かれる
(2)との差異は「恋愛感情」がメインではなく添え物、キャラに「恋愛」という意識がない点
(3)は、基本的には憎悪なら憎悪のまま性的接触をする(恋愛に似た感情の発露はある)
いわゆるパラレルで(1)にあてはまらないもの、
PCに疎い家族に対して説明しようとする、またどんな話でも、何か話してみようとすると、
どうしても自分はイメージを言葉にあてはめて表現するとき、次の言葉が思いつかなくなってしまう。
一度問い詰められてしまえば、頭が真っ白になってしまって、それがどんな穴のある内容でも、
自分はそれに自分の意見で反論できるまでに、一度落ち着かないといけない。
別に役者・声優のような声質を望んだわけでもないけど、声が他の人に比べてどうも悪い。
自分は話すのが苦手。
自分ってそうだよな、と何度も思いながら、その度にすぐに辞めてしまった前職のことを思い出す。
正しくは辞めさせられたのだけど、会社側の文書が「一身上の都合で」だというのだから
会社としてはそういうことにしたいのだろう。ここで憂さ晴らしにその昔話をしてみる。
見苦しくてごめんなさい。
前職の内容はインターネット接続についてのコールセンターのオペレーターだった。
行き場を失っていたときに、「PCに造詣があるから」と、自分のオタク的な側面をありがちな視点から見ていたからだろう、
親からの勧めだった。僕はその話に無謀にも迷わず飛びついた。
知識についてのもの覚えは、まあ慣れてるから、良かったほうだと思う。
だけど、ひとたび実践的に喋ってみれば、舌の行き届いて無く、張りの無い声に軽く絶望した。
時には迂闊な言動に自覚不足を一喝され、自分の不甲斐なさに人の前で見苦しくも自然に出てくるベソを垂れてみたり
研修で実践的に電話を1、2本取ってみたところで、人事部長から正式にクビを通告され、オフィスに出入りする権利が剥奪、数日後に郵送で退社届の文書が届いた。
理由は「言葉に詰まってしまうことが多いから」らしい。自分は無理な理由までは直接聞かなかったのだけど。
周りからは「会社が悪い」と慰められたけど
面接のときに「喋るのには才能が要る」と散々釘を刺されてこのザマだったことが悔しくて、
自分の救いようの無さに二日は枕に向かって泣いた。
中学生の頃、僕は一部の行がうまく喋れないほど滑舌が悪かった。
若干頭も弱かったらしいので、相手にとってそれが面白かったらしく、部活でそのことを弄られ続けた。
よくよく聞いてみれば他な子たちもあまり人のことは言えなさそうだったが、自分に比べればそうでもないのだろうと思っていた。
友人とはよく喋ってたけど、好きな話になると声がとたんに大きくなって、それ以外だと、とたんに口をつぐんで小声になってしまう極端な自分が嫌いだった。
高校生の頃、面白いボケもツッコミもできず、中学の延長で弄られ続けた自分は、
一人の友達を作ることも放棄して、ただ弄られ続けることを選んで、それから人と喋る機会はどんどん少なくなっていった。
人と喋らなかったのだから、喋ることは下手で当然なのは自覚してる。
いつ上手になれるのか、その機会を伺っていたのだけど、今はもうその伸びしろすら失った、絶たれた、またはそもそも無かったように思える。
それは自分が挑戦してきた何に対しても、その思いを持っているんだけど。
そういえば、大学に行かなかったのも、大学を「お友達を作って楽しむ場所」としか見てなかったから・・・
でも本当は、それは合理化という嘘で、本当は勉強ができなかったしやらなかっただけで、つまり努力が嫌いだからだよね。
努力をとことん放棄し続けたからこそのこの身の上か。
そんなことを思いながら、あれからこうして僕は今も何もせずに自分の部屋に引きこもる。
http://anond.hatelabo.jp/20080901083917 の続き
その時の怒りはいつものほにゃりふにゃりしている私からは想像もつかなかったものらしい。
ひとしきり怒りをぶつけると心配する友人もほったらかしその「世界」から「ログアウト」した。
涙が止まらなかった。悔し涙って言うやつだと思う。
なんで謝らせてくれないんだ?何で会わせてくれないんだ?何であんたがそれを言うんだ?関係ないだろう?
そんな感じで泣きながら夜を明かし、次の日の仕事は仕事にならなかった。
その夜、「お姉ちゃん」はやってきた。私に会ってくれた。私の謝罪を受け入れてくれた。
「あいつはちょっと私のことになるとすごくなるときがあるんだよね」と彼女は笑いながら言った。
ちょっと…すごくなるとき…そんなレベルじゃなかったぞ、あれは。
それからしばらくはいつもの通りだった。バカやって楽しんで…を続けることができた。
でも、異質なものは消えなかった。たまにやってくる「別の中の人」。このゲームに興味が湧いたのか「お姉ちゃん」ではない別の器を持って現れるときもあった。
「お姉ちゃん」と同時に存在できるようになった「別の中の人」、でもやっぱり私はその人が嫌いで居て欲しくなかった。
それからまた数ヶ月が経ち、「世界」が大きく変わるという予告がされた。
面積は二倍強、上位職が導入されダンジョンもアイテムの増えるらしい。
その時は、ただ純粋に嬉しかった。
どんな世界になるのだろう、と夢想していたあったある日、「別の中の人」に呼び出しを喰らった。
前例が前例なので恐る恐る指定された都会の片隅のあんまり人が来ない建物にに向う事にした。
そこには「お姉ちゃん」が居た。でも中身は「別の中の人」。最悪だ…。
少しトゲを持ちつつ何の用ですか、と訪ねる。
「実は引退することになりました」
あぁ、貴方が。どうぞ消えてください。貴方なんか大っ嫌いですから…なんて言えるはずもなく。そうなんですか…と相づちを打つ。
「(お姉ちゃんの名前)がお世話になりました」
…え?
え、「お姉ちゃん」が辞めるの?
びっくりして聞き返す。どうやら間違えないらしい。理由はよく覚えて無いけど一身上の都合とかそんなのだったと思う。
え、じゃあせめて「お姉ちゃん」に挨拶させてください。だめ?なんで?
おい、こら!消えるな!!
…
そんな感じで「お姉ちゃん」は私の前から居なくなった。
次の日も、その次の日も「お姉ちゃん」は現れなかった。今度こそ、居なくなってしまった。大切なものを失ったような感じがした
この日位を境に集まりに行くことは少なくなった。
釘バット片手にぼんやり世界を散歩していたら集まりのリーダーから呼び出しを受けた。待ち合わせ場所は北の地方都市。
珍しいことなので二つ返事で現地に向かった。
「実は(お姉ちゃんの名前)とゲーム内結婚することになりました」
一応ヒーラー@聖職者である私に結婚式の神父役をやって欲しいと依頼された。
…は?
そのカップリングは意表を突かれました…じゃなくて、「お姉ちゃん」引退したって聞きましたけど?
「…誰がそんな事言ったんですか?いつもいますよ?」
訳が分からなかった。
「訳が分からない!」
を叫んでいた。叫びたいのはこっちの方だ。
「お姉ちゃん」と頼んでその日は終わりにし、後日リーダーに呼び出されてたまり場に行くと…居た。
…泣いた。
私は神父役という大役を仰せつかりながらとあるミスで結婚式を台無しにしてしまった。
実は結婚式の際にちょっとした悪戯を用意していた。集まり一の悪知恵に定評のある商人が考案したこの悪戯、見事に進めばとても面白い物になり
これは良いだろう、と全会一致で採択された。ただ、これは複数人の連携が物を言う代物で練習無しのぶっつけ本番だった。
失敗しないだろうと思っていたけど、些細な所でミスをしてしまった。しかも致命的な所で。
失敗をした私は逃げだし隠れて泣いた。
暫くしてゲーム内旦那に付き添われ式場に戻ってきた。混乱などあったものの事態は何とか収束していた。
いつもおどけているゲーム内旦那がシリアスに事態を収拾に勤めていたのがとても印象的だった。
「お姉ちゃん」を探したけどもう「ログアウト」した後らしく見つからなかった。
「とりあえず、暫く拗ねて寝たから」と言っていた。
これを意味することは当時分からなく「そうか、謝れなくて残念です」みたいな事言っていたと思う。
暫く「別の中の人」のお説教を聞かされその日はお開き、となった。
後日、規模は縮小されたけど結婚式を再度行い私は無難に神父役をこなしたことを追記しておく。
その年の夏、予告通り「世界」は変わった。
今までの二倍強に面積は増え、上位職が導入され、ボス狩りができるようになった。レアアイテムも出てきて、高難易度のダンジョンも現れ、さらには攻城戦なんて物も現れた。
別に戦闘能力それなりにあればいいや、の世界から戦闘能力の高さが物を言う世界になった。
世界は急にセカセカし始めた。のんびりだった世界は急に戦いがメインに、ギスギスとした世界になりつつあった。
我が集まりのメンバーも徐々に上位職が増えつつあった。一日やってこない人も出始めた。
何だか急に世界が変わりすぎ、私は取り残されそうになった。ゲーム内旦那のおかげでギリギリの線は保てたけどそれでも一日のうちの幾ばくかは戦いにつぎ込まなければならなくなった。
世界が急につまらなくなった瞬間だった。
私は程なくして集まりから抜け旦那と二人で世界を回るようになった。
二人でも楽しいことはあったけどあの時のような強烈な感動のような物は味わうことはなかった。
集まりは北の地方都市の拠点を移し攻城戦をメインに活動するようになった。「ゲーム内で有名になる」という目標は何処に行ってしまったのだろうか?
偶に拠点に行っても狩りで居なかったり攻城戦やボス狩りの話であんまりついて行けなかった。
「お姉ちゃん」とは二度三度会ったきりでその後会っていない。
それから二度三度「世界」は拡張され、ゲームとしては面白くなったのかもしれない。