はてなキーワード: スリーサイズとは
離島に住む元気いっぱいなわんぱくっ子な小学生のひばりと、健康的な
ふとももが眩しい中学生のらいな。小さな頃から仲良しです。ひばりは、
島のみんなに可愛がられる小さなアイドル。らいなは、漁師兼民宿を営
む家の手伝いに勤しむがんばりやさんです。
▽名前
▽年齢
7歳(ひばり) 13歳(らいな)
ふとももむっちり(らいな)
▽職種
http://www.engan-bus.co.jp/05_moekko/01_character/moekko_character_015_raina_hibari.html
なんか燃えてるから見たけど、なんでオタク絡みって子供で性的アピールしたがるの?
デザインは上半身セーラー服下半身スク水で太もも露出してる中一と小二。
何で小学二年生キャラスリーサイズを説明したがる、しかも下半身つるつるで胸はぺったんことかロリコン用語で説明してんだよ、両方わざわざ言うまでも無く小二なら当たり前じゃん。
観光振興に町中に溶け込ませるには余りにもアウトっしょ。
何考えてんだ北海道。
私は電音部の曲を多少聞いたことがある程度で、音楽以外の知識は各地域での活動ぐらいしか知らない「にわか」だ。そのため、今までの文脈は知らない。私の感想を読んでいただければ幸いだ。
きっかけはTLに回ってきたツイートだった。どうやら誰でも見れる無料ライブで、世界観の説明などがあるそうだ。友人から度々布教されており、音楽をある程度聞いたコンテンツなのでこれは好機と思い見てみることにした。
いわゆる声優ライブのそれだ。演者は若々しい印象で、多少のたどたどしさはあったが、雰囲気は良く、見ていて楽しいものであった。
ライブパートは15分ほどで終わり、次に何が始まるのかとワクワクしていたところ、眼鏡をかけた男性が壇上に出てきた。どうやらプロデューサーのようで、軽い談笑の後、事前に集めた質問に答え始めた。ただ、演者が一人も出てこなかったため、スライドもなく、片手にスマートフォンを持ってボソボソと質問に答える時間は、何も知らない私にとっては退屈なものだった。質問の内容が聞き取れないこともあれば、「スリーサイズを教えてください」といったくだらない質問に答えていることもあった。舞台を見ると演者の座る席が準備されていたため、演者が出てくるまでの時間稼ぎであることがわかった。それにしても何を伝えたいのか分かりづらいパートであり、せめてスライドが欲しかった。
質疑応答が終わり、世界観説明が始まると、ようやく演者が登場した。一人だけ。!?!?!????!???
演者さんが四人席の一番端にちょこんと座り、プロデューサーが淡々と話し始めた。演者のリアクションはなく、ようやくリアクションしたかと思えば、スライドが見にくいという指摘だった。そう、このスライドがとても読みづらかった。配信だから仕方ないかもしれないが、文字が小さく読みづらい。私のような「にわか」には優しくないなと思いつつ、話している内容は基本的なことばかりで、おそらく会場にいるオタクたちは知っているであろうことばかりだった。誰にターゲットを置いたイベントなのか、初心者向けならもっとわかりやすくしたり、演者にもっと喋らせたりするべきだし、オタク向けならもっとディープな話をすべきだと思った。世界観説明などは必要ないだろう。また、演者が一人だけで、リアクションも少なく、話も広げづらいと感じた。まるで退屈な講義を最前列で聞いている気分になる、コンテンツに興味を持とうと思いづらい講義だった。
世界観説明が終わると、ようやく演者が4人になり、新情報公開パートが始まった。最初からこれをやらなかったのが疑問になるほど、世界観説明に比べて楽しいパートだった。大阪の心斎橋に新しいグループができる話は、大阪に住んでいる私としても嬉しいニュースだった。
以上が、電音部カンファレンスをみての感想である。「にわか」の意見として一蹴されても構わないが、新エリアも増えてコンテンツが広がっていく上で、「にわか」をファンにしていくことは大切なことだと思う。もし再び見る機会があれば、コンテンツに興味を持てるようなイベントであってほしいと思っている。
家畜人ヤプーという本を知っているだろうか。
あらすじは置いておいて、徹底的な女尊男卑な世界観の本である。家畜として人間の男(日本人)が飼われ、使われ、家具としても加工される。
YouTuberかいばしら氏のチャンネルで紹介されていたものを本日読了した。
自分には、世の中の男の9割が家畜人ヤプーに見えていたのである、ということに気付いた。
いままで自分には羞恥心という感情が薄いと思っていた。例を挙げると、男性でも女性でも、聞かれればあけすけに話すことがある。スリーサイズでも、聞かれればなんでも答える。週末も送別会が控えているが、男の多い職場で上司からのいわゆるセクハラ質問・下ネタパラダイスが待っているだろう。ニコニコして質問に答えるだけで場が保つ。男性社員と違って、なんて楽なんだろう。
でも、考えてみると特定の相手には恥じらうし、羞恥心がないわけではなかった。
この本を読んで納得した。それはただ、みんな人間に見えていないだけだった。動物相手に恥じらう人間はいない。世の中の9割の男が動物に見えているのだ。
たぶん、彼らの前で着替える必要に駆られて服を脱ぐことがあっても、自分は羞恥心を感じることはないだろう。
目の前で股をおっぴろげることになっても、恐怖は感じても羞恥は感じないだろう。
ギンギンの馬や犬相手であれば、犯される恐怖はあっても羞恥はないものだ。
小学生の時に家庭調査だよって電話でパンツの色を聞いてきたおじさんも、中学生の時に小学校裏の山で目隠しをしてスカート履かせたままパンツを脱がせた上級生のいじめっ子男子も、高校生の時に身体検査って胸を触ってきた先生も、社会人になって初めて付き合った彼氏が小学生にいたずらしたのも、酔っ払って潰れた時に介抱するふりしてブラジャーの中に手を入れてきた同僚も、全て動物の行いだったなら仕方ないと思える。
生活保護を申請するとき付いてきてもらってるというのはインタビューで本人言ってた。
本人のツイートを信じる限り本当。
③争っている相手の暇空茜氏を訴えるために住所と氏名をどうやって手に入れたの?
暇空氏に届いた訴状にどうやって手に入れたかご丁寧に明記してあって、暇空氏が出した中川氏宛の懲戒請求の申請人の欄で知ったと書いてあったそうな。
再調査が命じられた事すら追ってない程度に認知度が低い人からの寄付を引き出すには常に勝ってる雰囲気を出すのが大事。仲間宛てのメッセージとしては正解。
⑤スリーサイズは?
知らん。妹の仁藤萌乃のスリーサイズは検索したらトップに「83 - 58 - 85 cm」と出てきた。すごいなGoogle先生。
どうも男だと思われてるみたいで、エロ垢のDMが頻繁に来る。それも自分よりおっぱいが小さい女から。
貧乳女が必死に寄せて上げてセコセコ営業してるさまを想像すると、ちゃんちゃらおかしくて笑ってしまう。
Dカップとか誤差の範囲内だろ!ブラいらないんじゃないのお〜!?もう中学でとっくに通り過ぎたんだよそんな数値はよお〜〜〜!!笑
カップ数を書いてなくても、わざと小さいサイズのブラで撮った写真とか貼ってある。こうすると巨乳に見えるんだよねー。みんな騙されんなよ笑。肩こりヤバいしな。
「あっはい、当方Fカップですので間に合っておりまーす」とでも言ってやりたい衝動にかられる。
どうせ、ほとんどは業者なんだよなぁー。男の人がアルバイトで、グラビアアイドルのスリーサイズとか適当にコピペして作ってんだよなぁー。と必死に考えて耐えている。
でも、ニヤニヤが止まらない。
ちなみに、もちろん同じFカップからのお誘いもある。なんだか「ご苦労様です!」と勝手に戦友のような気分になってしまう。
でもGカップ以上は釣りだと思っている。実際、あまりにもデカいとリアリティラインを割るのか、滅多にこない。ゴキブリみたいでエロくないしな。
ワールドトリガーは胸のカップ数(バストサイズ)表記をやめてほしい。
A面は、ワールドトリガーの単行本カバー裏に記載されている女性オペレーターのみ胸のカップ数が表記されていることに対して、やめて欲しいと記載している文章である。
大本のページは削除されている。魚の拓本については御察しください。
A面に対するレスポンスは、A面が個人の気持ち表明だとしつつも権威化するために個人の気持ち以上のものを持ってきていることはいかがなものかという文章である。
<A面に対するレスポンス>
https://anond.hatelabo.jp/20221010163416
私が、なぜやめて欲しいかについて語る前提情報として、基本的なコンプライアンスのおさらいを挟む。
コンプライアンスという概念はアメリカで生まれ、日本に持ち込まれた。
英語表記でComplianceと書く、Comply(従う、応じる)の名詞形のことを指す。
https://www.astron-japan.co.jp/pdf/chapter_01.pdf
一方、日本における「コンプライアンス」は「法令遵守」だけではなく、「その背景にある精神や価値観、倫理観や社会規範に従うこと」の意味で使われる。
つまり、「法令」だけではなく「規範」「社会常識」「倫理」「道徳」ひいては「CSR(企業の社会的責任)」をも守る必要があるといえる。
https://www.bandai.co.jp/csrkids/whatscsr/
また、「社会常識」「倫理」「道徳」はその時代により変化していく。現代においては「ハラスメントをしてはいけないこと」も含むだろう。
「女子オペレーターのバストサイズのみ、単行本の裏表紙に記載すること」は、コンプライアンス違反に値すると思う。
現実世界でもあるだろうが、創作作品上でバストサイズを「胸の大きさを女子が気にする。大きいと男子が喜ぶ。胸の大きさという本人の努力でどうにもならない部分のある容姿をからかうネタにする」ことがある。「バストサイズネタ」と言えば、だいたいの人がどういう内容か想像できるのではないだろうか。
私は、バストサイズをネタにすることは、現実の子供たちが「バストサイズはネタにしていいことなのだ」「バストサイズは気にするものなのだ。自分のサイズはどうなのだろう」「(周りがからかってくる場合)からかわれても仕方がないことなのだ」と判断することが嫌だ。バストサイズをからかうことはセクシャルハラスメントである。それを善しとする社会になって欲しくない。
その上で、ワールドトリガーは商業誌として株式会社が出版する書籍である。広く流通するし、年齢制限がある訳ではなく、子供が主人公なこともあり、沢山の子供たちも読む。子供の教育に影響を及ぼすと考えられないだろうか。
ここで関わってくるのが、「CSR(企業の社会的責任)」である。
「子供を顧客層に持つ漫画等の作品を多数取り扱う会社」には「子供たちの教育に対して社会的責任がある」のではないだろうか。私は「子供たちの教育」とは、「現代社会」の「社会常識」でいくと、「ハラスメント防止」が含まれると思う。
私は、ワールドトリガーという作品が好きだ。作り込まれた世界観やランク戦のルール、読んでいてストレスの溜まらない精神年齢の高い子供たちのやりとり、キャラクター立ちしている登場人物、違法行為をしていそうなのに表向き明るい雰囲気の企業、そのどれもに魅力を感じている。
そのように好きな作品であるからこそ、私から見て「ハラスメントに繋がりそうなことを、CSRを守らずに行い続けている」、コンプライアンスに違反しているように感じるから嫌だ。また、CSRを口に出していることからもわかるかもしれないが、出版社が企業としての責任を果たすためにも(作者の同意を得たうえで)掲載しないことや年齢制限を設けることで子供への影響を減らすなどの対応がもっともだと考えている。
同人の自費出版であればバストサイズを記載していただいて何の問題もない。好きにすればいいと思う。しかし、自費出版でも一般書店に流通を持ったり、何万部も頒布したりするような大きな力があれば、企業まではいかないにしてもそれなりの責任を持つ必要があると思う。
なぜやめて欲しいかを記載したため、どのような対応を望むのかについて記載していく。
第一に、「今まで女性オペレーターだけバストサイズを載せていたけれど、考えてみたらバストサイズを載せる必要は無かったので、今後は取りやめる。過去の分は削除する」と発表したうえで、新規掲載なしかつ過去分削除することである。
第二に、何も言わず新規発行の巻や増刷分から削除していくことである。
第三に、男性オペレーターも登場させてバストサイズを記載したり、そもそも性別関係なくスリーサイズを載せることが挙げられる。
第四に、過去の名作たちの本の冒頭ページに挟まっているような「本誌は掲載当時の価値観で描かれたものであり、差別の意図はありませんでした云々」というような但し書きをつけて販売することである。
いずれも、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。作者の趣味で時代にそぐわないステレオタイプの描写があったら、編集者が変更させるべきだと思うのだ。
正直、バストサイズも嫌だが、それ以上に「オペレーターは女性、技術職員は男性」「迅悠一のセクハラ」について引っかかっている。
バストサイズ以外の描写であればコンプライアンスに違反していそうでも問題ないだろう、なんてことは勿論ない。
特にセクハラである「同意なく他人のお尻を触る」ことは「強制わいせつ罪」である。
それも、「旧ボーダー」「S級」「未来視」といった「組織にいなくては困るような重要な人物」からされたら、断れない人もいる。その上で「断れない相手を選んで行っている」ことは最悪である。
「オペレーターは女性、技術職員は男性」はしれっと削除して欲しい。
「迅悠一のセクハラ」は犯罪でありコンプライアンス(広義)ではなく(狭義)で完全にアウトなため、何も言わず削除するという選択肢はないと考える。「今まで放置していたが、欠点や親しみやすさを醸し出すためのキャラ付けとして描くには軽率な選択だった。今後真似する子供が出たり、行っても良いのだと思われたりしても困るため、削除することにした」と発表のうえ、削除して欲しい。
いずれも、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。作者の趣味で時代にそぐわないステレオタイプの描写があったら、編集者が変更させるべきだと思うのだ。
その他事項についても、作者に対応させるのではなく、企業として企業が対応する必要があると考えている。まだ刊行の続いているかつ、アニメ化をするような勢いのある作品であれば、作者の趣味で時代にそぐわない描写を編集者が変更させるべきだと思う。
私は休載後にハマった新規勢だ。ハマってすぐに迅悠一が最推しになった。
しかし、どうしてもセクハラに大して拒否反応が出てしまい嫌だと思った。セクハラさえなければ悩むことなく完璧に好きになれたのにと思ったこともある。
インターネット上で迅悠一のセクハラについて書いている人がいないか検索し、文章を探して読んでは大きく頷くこともあった。好きなキャラだからこそ受け入れがたかった。(勿論、読者が無理にキャラクターを受け入れる必要などない)
2022/10/12現在修正も何もないので、作者の中では現実世界のようにハラスメントは厳しく罰せられることだと社会常識が変わろうとも、迅悠一というキャラクターはセクハラを続けるのだと解釈している。それでも私は迅悠一が好きだが、罪には罰をと考えているため、企業内の就業規則等に従い、厳格な処分が正常に下されていることを願っている。
昔の人はスリーサイズ重視でしたね
男のスリーサイズも載ってるじゃん
ああアレなあ……
迅のセクハラ描写は出番のせいもあって減ってる気はするけども、
カップ数はキャラステータスとしてスリーサイズと共に淡々と設定資料として表記してたら全然気にならんし二次創作の時助かると思うくらいなんだろうけど、
あの欄って男キャラは性格や他キャラとの関係性を説明してるだけなのに、女キャラにはそれに加えて最後にカップ数を書いてるせいで、セクハラ上司による女部下への評価的なキモさが醸し出されてしまってるんだよなあ……
しかも書き方も「視線が読めないCカップ」とか「たぶん今でも麓郎とかより強そうなBカップ」とか、女性を名前じゃなくカップ数で呼んでるみたいな書き方になってて、一般商業漫画でこれ以上はなかなか出せないくらいのキモさっていうか……本編は超面白いから余計にね……
私も興味深く読んでいたのだけど、最終的な結論としては元増田に似た考えに落ち着いた。
性選択は、あまねくすべての動物で行われてる本能に基づいた自然な行為だ。
だから、美しさに惹かれる気持ちを制限すべきじゃない。多様な美の価値観を打ち出していくべき。
現状のマッチングサービスの中には男性の身長でフィルタリングできる仕組みもあるらしい。
自由恋愛、知らんの?
公的領域でのルッキズムによる選別は問題だが、私的領域では性選択の一つに過ぎない。
むかしから言うだろう、誰が誰を好きになってもいいんだよ、と。
辞書的な定義にこだわるなら確かに差別なのかも知れないが、それは言うなれば仕方のない差別とでも言うべきものだ。
本来、恋愛はたとえ差別的な基準であろうと個人の自由であるはずだ。
価値観のアップデートなどと称して、長い歴史をかけて獲得した自由恋愛の権利を手放してはいけない。
ポリコレだの何だの、問題の深くに立ち入らず表面の世間体だけ整えてクリーンさをひけらかす。
現実で女は、「ルッキズムで男性を選んだりはしないよ」と言いつつも「清潔感」を男に求める。
まさかバレてないと思ってる? 狡猾な欺瞞で言い逃れしようとしても実態は外見差別そのままだ。
そういう暗黙知の文化みたいなの、そろそろ終わりにしませんか。社会に誠実さを取り戻そうよ。
私には計画がある。
人間の本性から目を背けず、本当の自由恋愛の謳歌するための仕組みを作りたい。
あらゆるルッキズム的に禁忌とされがちなパラメータを入力させて、好みに合った異性を「何人でも」ストックしておけるような。
身長だけでなく体重、スリーサイズ、巨乳だとか貧乳だとか、猫っぽい顔とかタヌキ顔とか馬面とか、果てはペニスのサイズまで、何でも入力可能にする。
本当の意味で自由に好みの相手を選べるサービスを打ち出そう。真に多様な美しさの基準を打ち立てるために力を尽くそうと思う。過保護なポリコレを捨て、恋愛の自由さに全振りしたマッチングサービス・・・「男牧場・女牧場(仮」というのを考えています。
男性オタクから見ても「性的搾取」の存在はあると思うことが多くて、たとえば女性キャラクターだけ全員スリーサイズの表記がある(何のために?ゲーム的なスペックであれば全キャラ共通になるはず)、アニメでいえば女性キャラの描写時に妙にフェチズムを感じるアングルやカメラワークがある(このバトルシーンであえてお尻をアップにする必要があるだろうか?このシリアス寄りなシーンで女キャラの胸だけ躍動する必要あるか?)、全体的にシリアスな人間ドラマの作風だけど、女性キャラの服装デザインでなぜか胸がはだけている、など、あげだしたらキリがない。
こういうところに違和感を持たない状態こそが、何らかのバイアスがかかった状態、視点の偏り、より強い言葉を使えば差別的視点を内包している、ということになる。