はてなキーワード: 通りすがりとは
本来店の中で写真を取るのってマナー違反だと思うんだけど、最近それを知らないらしくいひとにあってびっくりした。
いやいやいやいやきみねぇ、本屋で本の内容写メしたりしたら犯罪でしょ?他の品物だって同じだよ。食べ物屋が例外的に寛容なだけで、本来自分のものではないものを撮るときは一言断りを入れるものだろ。最近は肖像権とかだってうるさいんだから、通りすがりの人にレンズ向けちゃだめでしょ。
ということを一から十まで行ってそれでも暖簾に腕押しな返事が帰ってきた上に貸したレンズを服の裾で拭かれたりしたのでもう会いたくない。
一体何なんだあれは、宇宙人か。
しかも美術館でも写真撮りたいとか言っててもうなんというかダメダコリャってかんじ。
それ以外にも熱が出てるのに「お世話になった人が来てるから!」と特攻したり(それうつしたらどうすんだよ恩知らずめ)、
人んちに飯食いに来るのに全く材料費を負担せずにしかも手土産を持って来なかったり(かねだせとは言わないがせめてペットボトルの一本でいいから持って来いと思う…)、
病み上がりだというのにほぼ毎日飲み会に行ったり(死にたいなら一人でどうぞ)、
恋人相手にもひたすら受け身で相手がくれないからとかいってメールを一週間せずにキレてたり(だったら自分からおくれよ)、
旅行の計画を立てると全て開いての言いなりの割に行程ずっと上の空な感じで(ツマランならそう言ってくれたほうがなんぼかましだし、もしつまらんならお前も意見出せよと思う)、
挙句の果てに人のオーディオプレイヤーの中身勝手に見たりプライベートのブログを見せろと迫ってきたり勝手に人の写真撮って壁紙にしてたりなんつーかあんたストーカなんすか?
自分の快さと楽さしか追求してないんだろうなぁ。相手がどう思うかとかどういう労力が払われてるのかとか考えてないんだろうなぁ。ドン引きですよ。
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。
http://anond.hatelabo.jp/20120123165652
まず、私が誰と会話しているのか、誰に対して言葉を発しているのか確認してから読むクセをつけようね。バカに見えるよ。
通りすがりで状況を理解できていないのに、よく考えずに口を出すというのは非常に無駄な行為なので、そういうのがやりたいならテレビでも見ているといい。
私は「適当な考えで、適当に動かそうとする」人にふざけんなって言ってるだけ。
むしろ真面目に動かそうとする気がないやつは、動かそうとするべきじゃないと言っている。
もちろん、「動かなくてもいいじゃん」といっても、動かそうとする人はいる。そしていつか動く。
そして、動かなかった人は、動かした人のルールに従うハメになる。それもひとつの選択だ。好きにすればいい。
動かしたくないなら、動かすのは動かしたい人に任せていればいい。
ただし、動いた後で「無理に動かそうとシなければ」とかいうのはなしだ。
動かすべきじゃないというなら、それはそれでちゃんと根拠を持って主張できなきゃダメだ。
そういう準備ができてないなら、余計な口を挟むべきじゃないな。
「自分のやったこと」?
決めつけないでもらいたいね。子供作る気なんかさらさらないよ。
子供を作れば子供を作った責任を執拗に・無限に問われ、子供の犯した罪や子供の不始末を全て負うことになるんだ。
あまりにもやってられないよ。誰が作るもんか。
そして子供の罪や不始末が「育て方」のせいなのか「先天的・器質的障害」によるものなのか、世の99%の人間は精査しない。
子供によって不愉快な思いをしたらとりあえず親を叩く、残虐なまでに執拗に追い詰めて批判する。
親ってのはあまりに悲惨なポジションだね。奴隷だよ、奴隷。通りすがりの不特定多数に汚物を吐き捨てられる痰壺みたいなもんだ。
仲間外れにされてる学校で必死に呼吸をとめてやり過ごして、家に帰ってきてインターネットにつながってようやく息ができる、みたいな、そういう感じだったんだ。そうやってインターネット見てるの、気持ち悪い、って知ってた。インターネットの人たちはみんなそれ知ってたよ。自分たちが気持ち悪いことくらい。あの頃はインターネットなら気持ち悪いのがお互いさまだった。そういう優しさはあった。誰でもうまくやれるわけじゃないのに、うまくやれるのが普通みたいなのはつらいよ、って、本当に私もそう思う。
空気を読めないレスをする人間相手にそこからでていけじゃなくて黙って見ていろと言った彼らのやさしさを思う。あと、ヤバイ人は本当にヤバかった。ヤバさのグラデーションのなかでスリルを楽しむものだったくらいだ。あの頃の2ちゃんねるでブラクラを踏まないようにしつつ面白いものを探すのは楽しかった。バーボンハウスが懐かしい。
こう思うのは私が常にただの通りすがりでしかなかったからで、ホンモノの人たちは今日もどこかでインターネットなのだと思う。あの頃ならグーグル検索の1ページ目に出てきていたものが、今は遠く深く沈んでしまうようになっただけだ。それだけで私は、もうインターネットを見つけることができない。それは私の問題だ。辛い現実から逃げる場所だと思っていたところには、ほとんど現実と変わらない世界が広がっている。というか、そこは現実と地続きで、だから逃げ場にならなくなってしまって、つまらないなーって思っても、結局は自分の怠慢のせいだ。でもあの頃は面倒くさがりの私でも手の届くところに、見たくて聞きたい言葉があった。それで、そういう言葉を発する人がいることに救われてた。そういう言葉を非難したりする人がまだいなかったインターネット。
きちんとコミュニケーションをとり、人の意を汲み、良いアイデアを生み、それを行動に移すのが正しいってことくらい、ずっと知ってる。それができる人たちが正義で、できない自分がダメだってわかってる。でもできなくて辛かった。そういうのできなくても、おもしろいことあるよ、ってインターネットが教えてくれた。それをネタにするユーモアがそこにあった。なんかインターネット変わっちゃって寂しいな、って思うから、真性引き篭もりの人の文章はとても暖かかったし、G.A.W.の人の文章もありがたかった。インターネット、私の妄想じゃなかった。本当にちゃんとあったんだって。ふたりのような人がいるから、インターネットを好きになったんだ。
これから土俵という言葉を使ってネットでの会話を考えたいと思う。
会話をバトルに例えると、自分の土俵で戦うか、相手の土俵で戦うか、どちらを選択するかが大事になると思う。
一般に、自分の土俵で戦う場合は、自分は経験値が高く、アイテムもたくさんある。相手より有利で安心して戦える。
一方、相手の土俵で戦う場合は、自分は経験値が低く、アイテムもない。不利な状況から頭を働かせて互角に持っていく必要がある。
常に有利な自分の土俵で戦えればもちろんいいのだけれど、
相手もバカではないので最初から最初まで自分が有利な土俵にこだわって引きこもるなら、そもそも勝負をしてもらえなくなるケースが多い。
飛んで火にいる夏の虫を相手にする場合以外において、
しんどくても最初は相手の土俵に合わせ、そこからいかに自分の土俵に引きずり込むか、という勝負になる。
さて、ネットの会話においては、実名匿名という問題があるが、これは基本的に土俵の選択権に関わる。
実名の強さは、相手の土俵で戦う際でも自分の名前やステータスといった道具を持ち込めることにある。聞き手もある程度勝手が通じる人である場合が多い。
匿名は、基本的には相手の土俵で戦うしかない。匿名の人間が自分の土俵で戦おうとしても、誰も相手にはしてもらえない。
というかそもそも自分の土俵の存在を認識してもらえない。自分の土俵で戦いたければ、まずその都度作っていかなければいけない。
非常に面倒くさい。実にめんどくさい。本当に面倒くさい。
いうなれば、匿名はシレンジャーであり、実名はチョコボの不思議なダンジョンになるだろうか。
アイテムを持っていなければ、あるいはアイテムを持っていても持ち込まないなら、実名で有ることのメリットは何も無い。
せいぜい普通の人であれば阿呆なことは言わないだろうと期待してもらえる程度なのだから。
もしそこに価値があると思っているのであれば
「俺はチョコボのダンジョンでもアイテムやレベルを常に初期状態のままで挑んでるんだぜ」と自慢している阿呆である。
それならシレンをプレイすればいいだけの話だ。そうでなくとも、「で、あなたは初期レベルでどこまでがんばれるの?」と聞かれるだけである。
それで大した実力がないということになれば、匿名でまともに会話できるようになってから出なおしておいで、と言われておしまいである。
・・・とまぁ、匿名で、知らない人相手に伝わる話を書こうとすると、本題に入る前にいちいちこういう説明をしないといけないわけです。
説明が長くて相手に飽きられたらソレでおしまいだし、説明がピンぼけだったらさんざんに叩かれます。
自信のある記事が見向きもされなかったり、たまたま通りすがりの人間がクズで実にひどいコメントしかもらえないなんてザラです。
めんどくさい割に実入りが少ないです。(だからどうしても読んで欲しい時はタイトルとかも考えます。この記事はそれほどでもないかな)
だから、基本的に相手を批判したり喧嘩を売ったりする時など、相手のフィードバックがしんどいなーって思う場合を除き、匿名っておすすめできないと思います。
あと私みたいにgdgdと前提部分から語りたい暇人なら匿名もありだと思うけど、まぁ一般にはオススメしない。
どうでもいいけどG.A.Wの人とmedtoolzの人とNBONLINEのオダジマンは僕ら増田民のあこがれだと思う。あのくらいカラーを持てたらなぁ・・・。
で、土俵の話。烏賀陽というひとはどんなことがあっても自分の土俵から出てこないタイプみたいですな。
正直、相手にする価値がないというか、相手にして欲しくても相手にしてくれないんだからほうっておくしかない人だ。
ネットでは、自分の土俵から一歩もでてこない人間というのは会話する意味が全くない。
にも関わらず、katsuta66という人は、相手が土俵の外から一歩も出てこない引きこもりであることにすぐ気づいておきながら
それでも相手の土俵で戦おうとするのだろうか。それがパンク・ロックというものなのだろうか。
リアルが充実している人間は、ネットでもリアルの流儀を貫こうというのか。
それはネットという土俵を理解しないで、自分の土俵で戦おうとしているという意味で烏賀陽という人とあんまり変わらないと思う。
っていうか根本的な話をすると、先にちょっかい出したのはこのkatsuta66という人でしょう。撤退戦略取らずにケンカ売るのは30歳までにしろよ。
Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチの翻訳ありがとうございます。
ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話。NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが、10 年先なんて未来のことはわからないです。
江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。
そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社でデスマに参加していたのかもしれませんが、大学で海外旅行に目覚めた私は、リアルな世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイトと旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。
海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本で既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって、米ドル換算のお金では日本人ははるかに金持ちでしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがりの旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。
とはいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学の勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系の学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです。面接では僕は燃えてます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えてますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。
二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います。
すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究をリードしていた院生が Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームは NEC のパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。
そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分の Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派です。ThinkPad のトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。Apple が Magic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。
Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです。海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。
また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長は Mac の好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メインの仕事は海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。
それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac 系情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団で Apple Japan の求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。
面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple の面接を担当された方々は全員 T シャツ、しかも Apple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています。別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。
振り返ってみれば、真面目に大学で勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望の研究室に全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーなテーマをやることになったおかげで Mac と出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います。
私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.
韓国の俳優(韓流スターってやつ)が来日した時に空港で出迎えるファンや実際のイベントでの客の姿を放送するテレビ番組を見ると、ババアばっかり。
これってテレビなのでほんの一部しか撮しておらず、実際は若者のファンもいると思っていた。
まじでババアばっか!!
ふと思ったのだが、ババアが韓流スターならこれに替わるオッサン版はなんだろうと・・・・・・
オッサンがAKB48?、いや違うな、いないとは言えないが、熱狂的なオッサンは韓流ファン並にいるとは思えない。
オッサンがKARA?、ん~ん、日本人→韓国人と言う構図は合っているが、どうもしっくりこない。
いろいろ考えたけど、このオッサン版は存在しないんだな、きっと。
それに世間一般ではロリコンとして冷たい目で見られるパターンだ。
不思議・・・・・・
願望が入ってるわけないだろ、オレはそういうことができない方なんだから。
そういう奴がもててくれない世の中の方が望み。
いくらかでも可能性があるのは、こうなんだよ。
いやー100%同意できないわ。君の願望入ってるでしょ。
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃ
原発止まってまじちょっと大変っすよねー。原発って大丈夫なんですかー?
だいじょーぶだろぉー。問題か?問題ないだろー
やっぱそうっすよねー。俺東電のことマジリスペクトしてるっす、とうでーん!とうでーん!
(スッ)
ぽぽぽぽーん!かっけー!原発で暮らしたいなんてかっこよすぎるっすよー!
「潰れそう」
地元で一番強そうな東電、東電ならマジで日本の経済とか潰せるんじゃないかな。
しかたねぇなー。
やっべーんだけどマジでこれやっべー。べーわまじべーわ。
逃げてくりゃよかった。っべぇなあ、逃げてるとここいつにばれたら東電の威厳がやっべーよなー。
くっそ気づいてねえ内にさっと自衛隊に任せるかー。
いや、やっべぇなあ。変な動きをして気がつかれたらそれこそやべえ。失望されるにきまってるー。
慰謝料も催促されるに決まってる。うわ~どんどん上がってくる~。
こんなんじゃ原発で暮らせねえよ。安全な西日本で暮らすはめになっちまうよー。
っべー!こんなんそのうちばれる、なんとかしねえと。
あれしかねえ。あれなら国民にも気づかれづに温度を下げられる。
あ!だめだわ。電気止まったわ。もうこうなったらどうしょうもねぇわ。冷却装置で取り戻せるもんじゃねぇわ。
壊れたわ。海に置いていく形になったわ。
通りすがりに壁を破壊してく人だわ。通りすがりに壁を破壊してく人にかかればこの通りだわ。
(俺を誰だと思ってるんだー)
っべー、こうなったらこいつが気づかないことを願うしかねえ。
ばれたら終わりだ。
頼む!ばれないでくれ、頼む!頼む国民、気がつかないでくれ、頼むぞ!
ばれた!?
……
えーマジっすか!マジありえねぇんすけど、原発放っとくとかまじありえねぇんすけどーーーーー
ふっ、でも国が保証してくれるしこいつらちょろいわ
統一見解っつったって、増田の相手がそれと反対だったら意味なかろ?
これから何十年も一緒に生きていこうと決心するほどの相手なのに、
プロポーズするくらい好きなのに読めないのもどうかと思う。
「エンゲージリングとマリッジリングだけは別」という人もいるけど。
ウィンドウショッピングでエンゲージリングとか眺めつつ
「そういえば指輪しないけど、つけるの嫌いなの?」と聞いたりとかさ。
自分は手につけるもの(指輪とかブレスとかネイルとか)はほとんどダメ。
日常的につけなくても、ちょっとよそゆきのお出かけのときにつけたりとかしたい。
でも、ほとんどアクセサリーを持ってない親がたまの冠婚葬祭でつけてたりすると
やっぱりいいなぁと思ったよ。