はてなキーワード: 並べ替えとは
http://anond.hatelabo.jp/20111208222023 についてふろむださんより以下の指摘あったので並べ替え。
1から順番に上から今の仕事に適用していってはだめ。これを2→5→7→6→4→3→1の優先順で今の仕事に適用して見直すのがお勧め。
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、とにかく1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
こういうことは本来は誰もが理解しておくべき基本中の基本なのだと思いますが、そうはいってもその基本をわかっていない人がいた時、この基本をどう伝えるかというのは結構大事だと思います。
ネックになりそうな部分から潰して行って、「時間を区切って仕事をする」ことができる様になる状況を作る。
そうしないと、「時間を区切ってやる」と思っていても、いろんな都合でだめになってそのうちヤル気がなくなる、そういう問題を防ぐ、と。なるほどなー。
日頃から、ライフハックは役に立たないわけではないが、できない人間が実行できるようになる過程をを念頭において書かれていない点について批判的な氏ならではのご指摘といえるかと。
フロムダさんがこういうことを書いているわけではないので注意。
要するに、みんな「時間を区切ってやる」ことの重要性はわかっていても、それを実行することの困難さを十分に認識していない。
できる人なら当たり前にできるから1番手においてくるのだけれど、それができるようになるために、ステップを踏んで行こうという事だろうか。
また、業務の遂行には言うまでもなく意思決定者の存在、意向が先にたつわけで、それは本人が必ずしも自由にできるわけではない。
その部分が明確でない、伝わっていない、という問題は、双方向の問題だろう。この部分を、MBAで学んできて、マネジメントを志す人間が軽視しているというのはダメなんじゃないか。
数字や効率だけで物事を測り、働く人のことを理解せず、自分の思い通りにならないことはただ嘆くだけ、というのは頭でっかちで融通がきかなさすぎるだろう。
さしずめ、プレイヤーとしては優秀だがマネジメントができない上司の3要素、とか並べると
・理屈を論理的に説明できてもけれど、部下を納得させて動かすことができない。
・マネジメント上の問題もすべてその人のやる気や自己愛の問題に還元して自分の問題とは考えない
で、結論としては「自己愛がない」に対して「部下への愛がない」とか「自分がうまく行ってる限り現状に疑問を抱かない」=unlearnできないいう感じになるだろうか。
繰り返すけれど、↑は私が勝手に思ったのでフロムダさんはこんな事言ってないですので誤解のないよう。
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
能力の高い上司が丁寧にやり方を教えても、能力不足の自分のやり方に固執して仕事ができない部下は、自分よりも能力の高い人間の能力の高さを認識する能力がないか、プライドが高すぎて自分の能力不足を認められない人。前者だと絶望的。後者だと生き方を変える必要があるがそこまで上司の役割なのか?
元記事は伝え方がダメダメだったのと、それに対する対処を投げ出しているような印象を与えたために批判を受けただけで、考え方自体は間違ってないんだろうなぁ。
上司が部下に踏み込み過ぎるとすぐパワハラとか言って逆ギレすることが許されかねない時代に、上司にどこまで責任を持てるのかってのは考えてみると難しそう。
早川教授の問題と含めて考えたい。 もうそんだけ部下が仕事もできなかったり迷惑をかけておきながら自分の権利だけは一丁前に主張して指導を拒むのであれば、
もう面倒見切れないから全部自己責任でいいんじゃないかな、と思う上司の方がいても責められないかも。
こういう時代だと、上司が部下の期限をとってまで気持ちよく仕事をやらせるなんてのは不可能だ。
部下の側からすれば、なんとかして上司のリソースを自分から模擬取りに行く必要がある。
ならば、本当に学ぶ気概があるなら積極的に部下の側から上司にその姿勢を示し、役に立つことは受け入て実行するところを見せるべきだろう。
そういうのを漠然と表現すると、素直さが必要だ、って話になるんだろう。
ただし、部下側が上から見たら「素直な」態度を心がけるのは「自分が生き残るために必要だから」だろう。生存戦略だ。
生きるための必要に応じて自己変革するのであって、それは性格の問題ではないと思う。選択の問題ですらない。これができないやつは生存本能が壊れているとすら言えるかもしれない。そのくらい言い切っても良いのではないかと思う。
きちんと現実を示して危機感を持ってもらった上で、態度は心構え次第で変えられるし、ヤル気のある部下には上司も応えるよって姿勢を示す必要がありそうだ。
って偉そうなことを書いてはみたけれど、難しいなー。私も役職持ちではないけれど、後輩の指導でよく悩むのと、昨日「灼熱の小早川さん」読んで色々思う所があったのでだらだらと書いてしまいました。
聴く音楽を選ぶときに重要視していることがある。それは曲のストーリー。
歌詞のある曲ならその歌詞がストーリーを形作るし、サントラなら映画なりゲームなりのストーリーがある。
ストーリーの善し悪しがその曲をリピートする回数に繋がることに最近気付き、自分の好きな曲について書かずにはいられなくなったので、増田でオナニーすることにした。結論もなければ考察もない、ただただ好きな曲の好きなストーリーを書き綴るだけの自己満足。これが書けて、しかも不特定多数の人に見てもらえるのが増田のいいところですね。
公園のベンチでうとうとしていたら 母ちゃんに首を絞められる夢を見た 母ちゃんはいつも「いい加減大人になりなさい」と僕に言うけど 安心して下さい 僕はもう彼らの輝きを直視できない ださい大人になれましたよ
今はもう解散してしまった野弧禅という二人組の「少年花火」という曲。野弧禅の曲(のストーリー)の基本プロットは「ろくでもねえ俺だけど頑張ろうと思う、でも頑張れなかったりする。でも頑張るから、、、頑張るから、、、」という感じ。決意表明して、終わり。みたいなダメな野郎の話。「彼ら」とは少年時代の自分たちであったり、暴走族だったりする。「彼ら」のまぶしさを語り、「彼ら」のまぶしさを直視できない自分を語り、
何よりも激しい光で 何よりも激しい爆発音で 何よりも激しいスピードで 何よりも激しく刻み込まれるその一瞬に 少年花火 夏の夜に咲く 少年花火 夏の夜に散る
と続き、曲は終わる。
松本人志が「認められていない才能」として自身の映画に抜擢したのは野弧禅のボーカル。こんな歌詞をかける人間が認められていないのが不思議でもあり、こんな歌詞を書いてしまう人間が認められないのも当たり前か、とも思う。
ここはきっとゴミ箱かな
素人の、あるいは、素人みたいなプロの作った歌詞は一様に陳腐で、よく使われる言葉を並べ替えているものばかりのように思う。母親に感謝しまくりのジャパニーズラップや何かを探しすぎなジャパニーズポップス(洋楽は知らないのでジャパニーズと限定しておく)などが素人みたいなプロの歌詞の代表例。ニコ動であげられている楽曲のほとんどはこれと似た水準で、はいはいよかったね、としか思えないことが多い。よく「歌詞に号泣した」とかの評判のボカロ曲を聴くが、泣いたことはなかった。この泣き虫な俺でも、一度も泣いたことはなかった。
初音ミクの消失も同様で、相当ハードルがあがった状態で聞くことになった。そしていつもの通り陳腐な歌詞が続く。早口で歌わせるのは結構面白いなと思いつつ、まぁいつもの誰でも書ける歌詞だな、と思っていた。
謝らなければなりません。ここはきっとゴミ箱かなという歌詞が、この曲を陳腐でありふれた曲とは明らかに別次元に連れて行っている。不幸にも(?)人格を持ったデータが捨てられていく悲哀をこれほどうまく表現できるのは、作詞者に無二の才能がある証拠だと思う。
僕は夢を描いて 破り捨てては描いて
スガシカオが好きなんだ、というと「歌詞がいいよね」と言われる。もうこれはテンプレみたいにそう言われる。多くの人は「夜空の向こう」を頭に浮かべて、そう言うのだと思う。確かに夜空の向こうは素晴らしい歌詞(ストーリー)を持った名曲だと思う。ただ、スガシカオの紡ぐ優れたストーリーはそれだけではない。彼の楽曲の多くにおいて、優れたストーリーが存在している。
聞いていい? 僕は今 うまくやれていますか?
スガシカオの曲は野弧禅の曲と似たストーリーではあるが、もう少し前向き。後悔もなければ、決意表明もない、ただただ自分が頑張る理由を見つけた、と。夢を描き、それに向かって走っている最中は常に不安と共にある。夢破れても、それでも頑張る理由がある。だから頑張る。そんな曲。
古くからの彼女のファンには残念な現状はさておき、鬼束ちひろも心に残る歌詞を書くことで(僕の中では)定評がある。中でも、わたしとワルツを、は絶対に彼女以外にでは紡げないストーリーではないかと思うくらい、暗く、悲しく、優しい歌だ。
誰にも傷がつかないようにと 一人でなんて踊らないで どうか私とワルツを・・・
この(おそらく)男性は優しいのではないのは明らかだ。少なくとも僕の中で映像化されている「あなた」は優しくない。人に迷惑をかけてしまうかもしれない、という思考から抜け出せない、自信がなく、臆病なだけの男。「わたし」は「あなた」の臆病なところをわかっていて、その弱さに気を遣いつつ、二人でワルツを踊ろうと提案する女性。「わたし」が「あなた」のことを異性として好きなのかどうかはわからないが、好意の有無にかかわらず、「あなた」の弱さに気を遣いつつ、「あなた」の希望を叶えてあげようとする「わたし」の優しさに感動する曲が、「わたしとワルツを」なんだと思う。
書けないよね、この歌詞。
スピッツの歌詞と言えば抽象的なモノが多く、聞き手が勝手なストーリーをこさえる余地を残してくれている。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもある。
この「夏の魔物」が何なのかは諸説あるが、「子供を養うことができない未成年の男女が子供を作ってしまい、中絶しようかとも思ったが、結局生むことにした。でも、流産してしまった」というストーリーにおける「流産してしまった子供」説が最有力。僕もこの説を支持していて、そんなストーリーを想いながら聞くと、泣けてしまう。
会いたかった、が3連呼されている曲は他にもあるが、その奥にある感情の起伏や辛すぎる現実を想起させるこの歌詞は、間違いなく心に残る。
他にも優れた歌詞(ストーリー)をもつ曲はたくさんある。だが今まで聞いてきた曲の数を考えると、やはり希少であることは間違いない。とりあえず、満足したので投稿する。こんな糞文章を読んでくれてありがとうございました。
この間、ネットで俺(喫煙者)と非喫煙者でマナーについて話した。
で、その考えるマナーに大きな隔たりを感じたので、増田でアンケートを取ってみます。
答える際は、喫煙者、非喫煙者を明記してもらえれば嬉しいです。
また、喫煙を嫌悪する何か特別な理由(喘息、たばこの煙にアレルギー、大嫌いな人が喫煙者など)があればそれも明記してもらえれば嬉しいです。
質問 喫煙者がタバコを吸っても良いとあなたの考えるラインを教えてください。
以下の項目をあなたの「許せる」順番に並べ替え、煙草を吸うのはマナー違反であると考えるラインを引いてください。
項目が足りなければ追加しても構いません。
ただ、どうしてもケースバイケースなものなので、追加する場合でもあまり細かな状況は設定しないようにしてください。
以下は俺の例です。
喫煙の許可・不許可が明確でない屋外(路上、観光地など)で吸う
自宅の敷地内で屋外(ベランダや庭)で吸う
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーマナー違反のライン
喫煙が許可されているが、仕切りがない屋外(公園などの喫煙所)で吸う
喫煙が許可されているが、分煙が完全でない屋内(禁煙席がないor禁煙席との間に仕切りがない)で吸う
自宅の換気扇の下で吸う
喫煙が許可されていて、仕切りのある屋外(駅などの喫煙ルーム)で吸う
喫煙が許可されていて、分煙が完全な屋内(禁煙席との間に仕切りがある)で吸う
自宅の部屋の中で吸う
で、俺としては「その場で喫煙が明確に許可されているかどうか」が重要だと考えるのですが、
討論した相手は「非喫煙者が不快に思うかどうか」が重要だと考えているようでした。
彼or彼女の理論は、喫煙がその場の責任者によって許可されていても、不快に思う非喫煙者が一人でもいれば吸うべきではないというもので、上のラインで言えば、
自宅の換気扇の下で吸う
ーーーーーーーーーーーーーーー彼or彼女のライン
喫煙が~仕切りのある屋外で吸う
というものです。
正直なところ、喫煙が許可されているが仕切りの完全でない場所で吸うのをマナー違反だと言われると、吸える場所が大きく減るので嫌なのですが、他の人はどう思っているのでしょう?
俺としては、そういった場所には近づかない(公園の喫煙所なら喫煙所から離れた場所に移動する、店なら離れた席に移動するかそもそも店に入らない)という方法で自衛していただきたいのですが、これは要求し過ぎなのでしょうか。
アンケートよろしくお願いします。
一身上の都合により、いわゆる同人二次創作を見る機会が最近増えた
驚くのは、あんなにも多数の書き手がいながら、多くが驚くほど似通っていること
いわゆるテンプレストーリー。 男性向けエロなどの多くがこれに当たる
グリム童話のキャラクターを、漫画のキャラクターに置き換える遊びと似通っている気がする
すべて「恋情からくるものである」という仮定の下に読みかえる。
原作内でおきるすべての事件、行動、感情の動きの根底には恋慕があり
キャラクターのほぼすべてを、恋愛の文脈につながるものとして読み解く
少女漫画とかなり近しい気がする
尊敬、友情、憎悪その他原作内で描かれる感情を「性愛」とシームレスにつなげ、その発露部分を描く
尊敬の表現として、友情の表現として、戦闘の代わりとしてのセックスが描かれる
(2)との差異は「恋愛感情」がメインではなく添え物、キャラに「恋愛」という意識がない点
(3)は、基本的には憎悪なら憎悪のまま性的接触をする(恋愛に似た感情の発露はある)
いわゆるパラレルで(1)にあてはまらないもの、
未読リストを並び替えるにはどうすればよいですか? - Google リーダー ヘルプ
http://www.google.com/support/reader/bin/answer.py?hl=ja&answer=69980
すべてのアイテムを表示する場合は、[自動並べ替え] を使用します。
この機能では、アイテム数の少ない登録フィードが優先されます。
そのため、この設定では、例えば月 1 回しか更新されない友だちのブログが上位にくるため、頻繁に更新される大手サイトのフィードの中に埋もれることがありません。
この文章の「自動並び替え」がおすすめの順に並び替え」のことかな。
アイテム数順に並び替えだったのか。
(2/9更新 LunaticRave2 ImternetRankingより大犬関係のランキングデータが消去?されたため内容修正)
ルナティックなんとか2(以下LR2)プレイヤーが
他のシリウス曲はIR登録されていても、二桁は行きません。約100名が登録していたのは何故でしょうか・・・
http://www.lr2.sakura.ne.jp/manual.html
■IRに登録できない曲がある
1分以上の長さのwavが含まれる曲は登録できません。
このような曲の多くは、俗に「一本wavキー音無し」や「物故」等と呼ばれるカテゴリーに属する、違法なbmsです。
これらのbmsはLR2ではプレイすることを認めておらず、疑わしい曲はすべてIRへの登録を規制しています。
cranky氏の「Julia」や、一部の海外作者の曲等がとばっちりを受けて登録不可になりますが、これは仕様とさせて下さい。
BOF2009で言うならば「天国と地獄の結婚」がこの対策に引っかかり、LR2IR登録不可になっています。
俗に言う「解析」には100秒前後の長い音声ファイルが含まれています。(製作の手間を考えるなら音を切らないほうが簡単で、処理落ちやリズムずれの検証もでき、家庭用のトレーニングモードでフェードインさせながら再生させることも可能です)
つまり普通なら登録できません。ニコニコで配布されているような一本WAVも、もちろん登録できません。
じゃあ何故コレだけの人数が登録していたのか・・・
もしかしたら、「長い音声ファイルが含まれていない」からでは?
youtubeで配布している馬鹿がいたので中身を見てみました。(タイトルは非日本語)
中身のファイルをサイズ順に並べ替えると、一番大きいファイルはmpgファイルの16MB。
その次に大きいのは007I.wavの480KB。この音声ファイルの長さは約3秒。
オートプレイさせて見ると、普通に曲として成り立つことから、実際のシリウスも長い音声ファイルが含まれていない可能性が出てきました。
(このファイルは検証後すぐに削除致しました。)
解析を所持しているプレイヤーがLR2IRに接続
↓
大犬のなんとかをプレイ
↓
普通の解析に入っている長い音声ファイルが無いため、LR2IR登録された
解析しか持っていないなら、殆どがIR登録できないから、IR接続する必要は無いですよね。
合法なオリジナルのbmsのスコアを登録するためには、IR接続する必要があります。
つまり彼らは、解析とオリジナルの両方をごちゃ混ぜにしてプレイしていたのです。
オリジナル物を楽しんでる人たちに迷惑がかかるのは避けたいですね。 以上。
▲ 何をすればいいのか分からないときは以下のようにせよ
1/印刷用紙の裏紙(A4サイズ)とボールペン1本を持ち書き物机へ移動します(物が置いてなく十分なスペースがある机がオススメ)
2/提出物が最低限の品質を満たしているといえる条件を列挙します
3/最低限の品質を満たすためにやらなければならないことを思いつくままに列挙します
4/列挙した作業を残り時間と今いる場所、今使える道具・資源を勘案して、最短時間で効率良く成し遂げられる順番に並べ替えます(できるかぎり頭を使わない作業から始めるのがコツ)
6/顔を洗いにいきます。必要に応じて髪を整えます
7/「がんばれ、がんばれ、私!!」と自分を応援して
8/おもむろに作業リストの一番上から思考を停止して、片付けていきます
9/作業が終わったら、作業リスト上の完了作業を色ペンでぬりつぶしてやります
10/作業リストが終わるまで、これを続けます。
参考:
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。
ここでいうスタートメニューはWindows95/NT4.0の頃からのクラシックな奴な。
Vistaで変わったやつは便利な使い方ができない
http://anond.hatelabo.jp/20090404002957
たまにあるWindowsのデスクトップについての話で、クイックランチの話があんまり出てこないのは何故だろう。
あれはランチャとして十分に使える、と思ってるのは自分だけだろうか。
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・スタートメニューにファイルをドロップすれば自動的にショートカットを作ってくれる
・ドライブアイコンをドロップすると変になるが、一旦ドライブへのショートカットをデスクトップに作ってそれをスタートメニューにドロップすればOKである。
・スタートメニューのアイコンの並べ替えはIE4.0/Win98以降で出来るようになった。
・クイックランチよりスタートメニューの方が圧倒的に便利なところとしては、キーボードで操作できるところと、階層化できるところ。ショートカットの名前を数字から始まるようにしておけば、Windowsキー→数字キーで、そのプログラムを起動できる。
たまにあるWindowsのデスクトップについての話で、クイックランチの話があんまり出てこないのは何故だろう。
あれはランチャとして十分に使える、と思ってるのは自分だけだろうか。
自分はタスクバーから分離して大きいアイコン表示にしてデスクトップの下端にくっつけて(タスクバーは上)
「常に手前に表示」と「自動的に隠す」にチェックを付けて使ってるんだけど
「自動的に隠す」のチェックをオフにしてドラッグ&ドロップすれば自動的にショートカットを作ってくれるし
アイコンの並べ替えも簡単にできる。ドライブを登録すれば「取り出し」等そのドライブ特有のコマンドも出る。
ということで他のランチャやドックについては殆んど使ったことが無いのでよく分からないけど機能的に見て
そんなに劣ってると言う事も無いのではと思います。メモリもそんなに食わないんじゃないかと思うし。