はてなキーワード: 憎悪とは
実際アレが本当に大元の元増田の肉付けだったとして、ではその肉付けをした上で増田に書いた意図を考えると、
「自分の性格」を理由に「子どもを作らない」ことは正しい判断であるっていうのを他人に肯定してもらいたい
という期待があったのでは? と考えられる
その場合、
「子ども持つかどうかは人それぞれの判断だし、今の時代子どもなしでも楽しんで生活できればそれでいい」
みたいな流れは、母親に孫の顔を見せないという復讐を正当化することにも繋がるので元増田的には一石二鳥で大歓迎となる
逆に「孫の顔見せてやれ、恩返ししてやれ」という助言に対しては、「なに的外れなこと言ってんだ」と怒りをたぎらせ、
「自分はこんなに抑圧された、こんな過程があってこそのこの結果なんだ」と切々と真意を訴えることができる
(実際にはその真意を示唆する描写があるので正面からは訴えなかったかも)
ところがここで、子ども持つか持たないかの判断の源すなわち骨の部分である恨みやトラウマにまで切り込まれてしまった
その際まるで自分の恨みや憎悪に無自覚であるかのように扱われたのが(なぜか他人である解説者らの)癪に障ったのだろう
当然だ、真意という骨に肉を巻いて意図的に皮肉に仕立てていたとしたらその憎悪と恨みに苦しんでいないはずがない
いわば傷口に塩を擦りこまれたも同然の指摘記事がついたのである
かくしてわざわざ他人のネタを懇切丁寧にネタばらす人が出現したのであった、とっぴんぱらりのぷう
解説者のいう「文章として面白みがないから肉付けを行った」という解釈はあまりよろしくない
面白いかどうかは主観の問題なので退けるとしても、肉付けを行ったことで背後に隠された「骨」が新たに展開しているかというとそうも言えない
骨すなわち真意が展開するとは、書き手の中でその恨みやトラウマがどのように昇華したのかが示されるということを指す
元記事において恨みやトラウマはまったく昇華してはいない、元増田は依然として母親の「教育」の影響下にあり、意趣返しこそ為したが何ら救われていない
「文章として」楽しむのならばそこで救いを生じさせ、感動を生むことを狙うのは定石である
この文章は定石を打っておらず、また定石を超えた独創的な結末を持っているわけでもない
よってつまらない。つたない。肯定的な評価を与えるための理由が無い。
骨である恨みつらみやトラウマをそのまま露出させれば得られたであろう「生々しさ」という面白さすらない。
例えばブコメにも「のろいがえしー」のような読みが普通に転がっているわけで、やっていることは増田記事での指摘と同じなのに、
何がどう琴線に触れてこんな大爆発に至ってしまったのかは不明。しかもその琴線の主は解説者であって元増田ではないときた。もう何が何だか。
ああ。ひまだな、自分。
バレンタインに肯定的な男であれ否定的な男であれ
・チョコもらったら同等かそれより重いお返しをしなきゃいけないし
これのどこが「貢がれ」てるんだいったい
この貰う側の立場を理解してないってことは
君は生涯でいっぺんもチョコを貰ったことがない人間かチョコを渡す側かのどっちかだろう
こんな状況下でさらに渡す方が「屈辱的に貢いでる」ような意識なら
なおさらバレンタインなんて誰も幸せじゃなかったってことじゃないの
男も女も菓子屋もだーれも困らなくなった上に
すごく健全なとこに落ち着いたじゃないの
無理筋な男女間の干渉が無くなって困るのは
ネタバレ注意です。
4人の子供たち(17歳長女・14歳長男・12歳次男・5歳次女)を中心において、父、叔母、などの続柄表記をしていきます。
http://www.ntv.co.jp/kaseifu/relation/index.html
未視聴の方はわかりにくいでしょうから、公式の相関図片手に読むことをおすすめします。
父が職場の女性と不倫して本気になり、母に離婚届を突きつけた結果、母はショックを受けて入水自殺してしまった。
そのことがきっかけで、父が元々母を愛していなかったこと、妊娠されたから仕方なく結婚したことが判明する。
父は父親になる覚悟が無い状態で次々と4人の子供を作っており、子供への愛情も感じていなかった。
このドラマはミタや子供たちの活躍により、ただの無責任な一人の男が父性を獲得していくストーリーになっている。
大恋愛の末結ばれたはずの隣の夫婦も、夫が不倫しており、疑心暗鬼になった妻がストレスを5歳の息子にぶつけている状態だった。
妻が思いつめて心中騒ぎを起こしたことで離婚になり、息子の親権も夫に奪われ、希望を無くした状態で家から追い出される。
そんな長女を、部活の先輩が相談に乗るふりをしながら口説き落とし、呼び出して繰り返しセックスした後、
長女からの依存が面倒になってくると、今度は別の後輩を口説きはじめた。
裏切られたことを知った長女は先輩に別れを告げるが、はたから見れば"身体目当てのヤリチンにヤリ捨てられた"でしかない。
苛立ちをバスケ部の後輩たちにぶつけ、キャプテンとしての人望は失墜。ユニフォームをゴミ箱に捨てて非行に走り出す。
そして更につのった苛立ちを、ミタにヤらせてと命令してぶつける。
ミタの脱衣の途中で現場を長女に見つかり、強く非難される。
"父"との不倫が職場でバレてしまい、四面楚歌の状態で出勤する女性を、
父のライバル的な存在の同僚が弱みにつけこんで口説き落とし、肉体関係に持ち込む。
その同僚は出世のため常務の娘との縁談をまとめており、その女性の相手をまともにする気など全く無かった。
要するに"父"への当て付けのために抱いてみただけであった。
女性は会社を辞め、有名企業の社員からビラ配りのバイトに落ちぶれる。
娘、義理の息子、孫など、相手を問わずすぐに怒鳴り散らして威圧し、嫌われている祖父。
死んだ母の妹にあたる叔母のことも絶えず怒鳴り散らしていたため、
叔母はいつでも笑顔だが、常に人の様子伺いをして媚びまわり、ネガティブな感情を一切発露できない人間に育ってしまった。
ミタの母と義父(ミタ実母の再婚相手)との間に出来た種違いの弟はミタに執着していた。
弟だけでなく、義父からも肉欲を抱かれていた。
ミタは愛する男性と結婚して息子をもうけ、幸せな暮らしをしていたが、弟から執拗に肉体関係を迫られるようになる。
それを拒絶したことで弟は逆上し、家に火をつけてミタの夫と息子を焼き殺し、自殺してしまう。
ミタの両親とミタの夫の両親は息子を失って嘆き悲しみ、全てはミタが悪いのだと責める。
ミタの笑顔が男を誘うから不幸を招くのだと刷り込まれ、ミタは感情を失った。
散りばめられた男の弱さと肉欲、そして「汚い汚い汚い!!」と断罪する女子高生の長女が印象的だった。
長女は父の不倫によって母を自殺で失い、心の支えにしていた先輩からもヤリ捨てられた被害者だ。
ミタも義父や弟に情欲を抱かれ、その責任がミタの笑顔にあると転化されて苦しめられた。
「欲情させる女が悪い」の理屈だ。そこから生まれた憎悪によってミタは夫と息子を焼き殺され、自分の存在に対する罪悪感を抱えながら生きることになった。
ひたすら高濃度のミサンドリーを感じる家族モノのドラマだった。
物語が進むことで改善された男(父や祖父など)も居るが、「汚い」まま物語からフェードアウトした男もいた。
これが視聴率40%か。
「成功は、他力によるものこそ羨ましい!」という女の心性をひとまず心にとどめておいてください。
(エビちゃんシアターの)話は方便であって、エビちゃんの可愛さとシチュエーション別着回しがあり、イケメンに求愛されつつ、本命と結ばれれば良い。
求愛役となる「間男」にこそイケメンは配置される。そして誠実で優しいが言葉しかよこさない男より、間男(イケメンで金持ちでティファニーをプレゼントしてくれる)のほうが重要、という間男のテーゼが繰り返される。
意識的と言うよりは、作り手と読者の願望そのものが、幾度もコピーされるのである。
しかし、話がどうでもいいからには、むき出しの構造と身も蓋もない本質が現れる。
何の本質か?エビちゃんに自己投影したい女の、ファンタジーの好みである。
本田透は、女が忌み嫌うオタクのアニメやゲームの多くが、女好みのドラマと全く同じであることを見抜いている。
たとえばパソコンゲーム「君が望む永遠」は韓流ドラマ「天国の階段」。
やってることは同じだろ!恋愛!交通事故!記憶喪失!三角関係!嫉妬!妹!
ただ、オタクコンテンツと女が女のために無意識で作ってしまうコンテンツの間には、たった一点、違いがある。
古来、ドラマというものは苦労人の方に感情移入するように作られてきた。シンデレラを思えばいい。
それが女性誌型のドラマだと、「苦労知らず」の方が一人勝ちするのである。
それは本来はドラマにはならない。「冬のソナタ」野本ネタとも言われる日本の漫画「キャンディキャンディ」になぞらえれば、
いじめっ子の金持ち娘イライザが美人で性格もよくもちろん金持ちで男全員にモテモテ!みたいな話なのである。
それが、女の人生ファンタジー。何だろうこれ、妄想というのさえ疲れてきたが・・・。これが女がオタクを近親憎悪する理由なのだろうか。
エビちゃんが演じさせられることの、あり得なさがやたらにリアルなのである。背後にいる女たちの夢の在り得なさ、そのもののようで。
エビちゃんの演じさせられるOLは、手持ちの服と旬のアイテムをいかに効果的に組み合わせ自己プレゼンするか。そしてお話能力と関係調整能力だけ、
すなわちほとんど見た目とその個人の愛される質だけにたよった仕事であるとしか読めないようにできている。
エビちゃんが演じるOLの内実がどう描かれているのかをよく見ると、作り手が彼女に託したい夢の自画像のようなものが見えてきて、胸が苦しくなってくる。
それは、男女雇用機会均等法が決して果たさなかった約束であり、これからも果たすことがないと定款ないし絶望している女たちの夢のようである。
要するに、韓流ドラマっていうのは今で言うと豚向けアニメってことだな。
女は男がブヒィィ言うはるかに前から韓流ドラマでブヒブヒしてたわけだ。
女のほうがはるかに欲望に忠実で、それを早くから、しかも現実の人間を使ってドラマに仕立てあげてたわけだ。恐るべし。
で、オタクどもはそれの後追いにすぎない。
オタクって、偉そうなこと言ってるけど、想像力や執念においてそんじょそこらのブヒ女にはるかに劣る。まだまだ常識に囚われてる奴が多いってことがわかるね。
ついつい「これはやり過ぎなんじゃないか?」とかブレーキが掛かっちゃうんだろうね。
エロ方向だけは際限なく好奇心旺盛だけれど、もっと本質的な所で欲を持てない。弱い弱い。
もっとシャルとか牧瀬紅莉栖みたいなキャラをどんどん創り上げて、エロ方向よりもっとえげつない所で欲望を満たしていけばいいのに。
憎悪を燃やしているんだなw
http://anond.hatelabo.jp/20111231182558
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111231182558
2012年になってしまったけど、わだかまりが残ってると気持ち悪いから追記しておく。
crowserpent こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…。
crowserpent 私自身が当の「はてなの非モテ論者」だから、「慰撫を期待して裏切られた」という文句には私のことも入ってるのかもしれない。まぁ「慰撫を期待されても困る」と言えばそれまでなんだけど。
crowserpent ただ、この人に考えて欲しいのは、そうやって「男性の内面を断罪」している(ように見える)人たちが、この人と同じように、いじめや侮辱や偏見に晒されてきたかも知れないってことなのね。
crowserpent 「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。
<こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…>
繋がりません。
crowserpent氏がこの回路を用いてミソジニーを形成しただけで、自分にはミソジニーは無い。
ミソジニーが形成されるには、イジメで傷ついた自己の弱さを、マチョイズムによる強さの誇示によって補填するために、女性への支配欲や蔑視を強化する回路を用いる必要があるけども、自分は傷ついた弱さを弱さそのものとして受容して欲しいと願う感情が優位だったから、マチョイズムの対極にあって、ミソジニーは形成されなかった。あと、元増田記事にも書いたが、俺は巨大な散弾銃で属性を撃ちぬく行為が嫌いだ。憎悪を抱くなら憎悪の対象を流れ弾が無いように限定して撃ち抜きたい。
<「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。>
これは、「あなたは自らを被害者だと思いつつも、一方では女性に対しては支配欲の発露や性的モノ扱いを行う加害者でありミソジニストである…その事に気づいてみたらどうでしょう」といった『当て付け』を意味するコメントだろ。
イジメでの傷を受容してくれるなら、男性でも構わなかったし、直接的な人間同士の関わりよりは遥かに代償的になるけども『社会的メッセージ』でも構わなかったと明記している。つまり、実際の所、自分の内面にあった欲求は、誰か、あるいは社会的に弱さを受容して貰うことで、傷ついた尊厳の回復することであって、それは女性に対する支配欲の達成では回復されないものだった。
それに『この人を見て、この人と同じように』などと指摘されるまでもなく、自分と同じような立場にある人が女性に限らずいることは理解している。
というより、男/女に限らず居るだろ。小学生時代に『キモイ』とイジメられた、その後思春期に入り性別異和を抱いた、でも自分キモイという意識があって性的な自己表現が困難で生きるのが苦しい、だとか、そういった更に拗れてる人間も、おそらく存在するはずだ。『キモイ』とイジメられると、自らを恋愛などに繋がるセクシャリティの自己表現をすることが許されない、『性的無価値者』と規定してしまう意識が生まれる。ジェンダー規範に従えば、性的無価値を金銭などで補填し女性に対する支配欲で解決できる喪男より、価値を男性に見出してもらう事が必要な喪女のが苦しいだろうことは理解できるし、ジェンダー規範に自らの性的価値で立ち向かっていかなければならない『LGBTのT』は更に圧倒的に深刻だと推測できる。
性別異和とまでは至らずとも、肉体的性別と精神的性別の配分は別物だし、そのような個人の持つ絶妙さを全て一蹴して黒く塗り潰すのが『キモイ』という言葉であって、どや顔で『女性にも居るんですよ?』だとか、どれだけ下らない指摘をしているんだと思う。
従って、この全く的はずれな『当て付け』は、私の内面を精査して構成されたというよりも、むしろ、単純な恋愛社会とジェンダー規範に沿って構成されたと見える。
あるいは、crowserpent氏が、元増田記事を鏡としてcrowserpent氏の内面を発見してしまったわけですね。
他者の内面を断罪したがる人は、自分の内面を他者に見出してるだけだ。
だいたい、『ただ、この人に考えて欲しいのは…』この文面は『私も以前こう考えていましたが…』と書き連ねても、同じ意図は表明できたはず。
自分の元増田記事の主な意図のひとつは『勝手に人の内面に過失を見出すのはやめてくれ』という内容だった。『散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達がいた』と書いたけども、その記事へのコメントで、まさに直接に内面を断罪する銃で撃たれたのは酷い。さすがはてなだと思った。
crowserpent氏のようにはてなの論者は、自省の形式を取ることで自らを無敵化しつつ、『自省』を『他者』に押し付けて、内面の悪を『発見させる』論法を用いるから、極めて邪悪だ。
若い地方公務員は大変だろうねぇ。
元々公務員ってのは「正社員」の中ではあまり高給な方ではないし、一昔前なら比較的バカでも公務員になれたから相応以上の給料もあっただろうけど、今だと競争率高すぎて結構学歴的に高い奴じゃないと入れないからかなり割に合わない仕事だと思う。年配の公務員は年功序列と共済年金でウハウハなんだろうけどね。
てかむしろ君なんで公務員になんてなろうと思ったのw
他でも書いたけど公務員人件費の問題って公務員が「さぼっている」のではなくて、公務員が馬車馬のように働かされてるのに不毛な制度が多すぎるというのが問題で、ここで公務員という人間を叩き出すと話がおかしくなるんだよね。
制度を整頓して簡略化して公務員の仕事を減らして最終的に公務員を減らそうというのが本来正しい道筋であるはずが、話が公務員に対する憎悪にすり替わっているせいで「制度を整頓して簡略化して公務員の仕事を減らし……」→「は?公務員に楽させろとかあり得ん。もっと働かせろ」みたいなバカな議論になって不毛な制度を増やしつつ人は逆に減らして公共サービスの品質が更に低下するというスパイラル。
誰が悪いかって公務員という人間が悪いわけじゃない。肥大化した制度が悪いんだ。で、何故制度が肥大化したのかって言ったら、みんなで選んだ政治家の皆さんが場当たり的に制度をどんどん増やして複雑化させるバカだったからに他ならない。
就活がより厳しくなり、圧迫面接なんかも出てくるのって、社会人による大学生への嫉妬にも原因があると思う。
自分の大学時代が楽しくて充実していて、社会人になった今が辛く苦しいから、つい最近まで楽しく大学生やってた連中をボコボコにしてやりたくなる。
老いが忍び寄ってきた自分に対して、就活生はまだ若くて毎日が楽しそうなのも妬ましい。
「おれがこんなに大変な思いしておっさん社会人やってるのに、お前らは若くて楽しそうで許せない」みたいな。
就活デモって若者の悲惨さをアピールして同情を勝ち取り、有利に進めることだったと思うのだけど、
ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。
まあ無理もない話だ。
他国の王族を侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような
放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。
明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、
と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。
このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、
それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。
そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫びが
結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。
それを痛いほど理解した上で。
一歩引いて考えてみる。
「免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。
冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。
結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。
なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか。
もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、
テレビ局はNHKと民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。
(故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。
絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業も不祥事を必ず起こす。
大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。
では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。
「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。
これであればニュースや地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、
売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。
そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。
分かりやすいことは大切だ。
BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、
それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。
提供した料理で食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、
評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。
けれど更正するチャンスは与えられている。
番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。
けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモや不買運動をしたいわけでもない。
同じ結果を生むなら、社会的なルールとしてスマートに解決されればいい。
衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。
放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。
テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。
それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。
私たちはCMがないことで、テレビ局の不祥事が罰せられていることを知り、
溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。
眠れないので、誰にも話したことのない話をする。それは僕の人生についての話だ。
僕の一番古い記憶は、二歳のときのものである。祖父に手を引かれた幼い自分が、夏の祭ばやしの中でぼうっと立っている。そんなはっきりとしない風景のような記憶。
その夏祭りと同じ年、祖父はまだ50代という若さで死んだ。大の酒飲みでもあった祖父が居酒屋からの帰り道に道路のど真ん中で泥酔して寝ていたところ、通りかかった車にひき逃げされたのだそうだ。犯人は結局見つからず、警察の役人的な処理の仕方に家族は憤りを感じたらしい。そういうこともあり、僕の一番古い記憶は、僕がもっている祖父に関する唯一の記憶でもある。
ただ、この祖父との夏祭りの記憶はおそらく後から作られた記憶なんじゃないかと、僕自身は思っている。なぜなら、祖父に手をひかれている記憶のなかの「幼い僕」は、記憶の観察者である「僕」のほうを見ているからである。ふつう自分自身の記憶であれば、自分の顔がその記憶の風景の中にあるはずがない。僕が一番古い記憶だと思っているその祖父との思い出は、一人称の記憶ではなく、三人称の写真的な風景なのだ。多分、祖父が死んでずっと後、僕が物心ついた頃に祖父との夏祭りの写真をみせられたか、もしくは親類が思い出を語ってくれたことで自分の中で作られた記憶なのではないかと思っている。
祖父に関するもう一つ記憶に残っている話がある。それは僕の父が語ってくれた父の記憶だ。祖父がひき逃げされた数ヵ月後、御巣鷹山の日航機墜落事故がおきた。日本中の人々の関心を呼んだその事故の報道を見ながら僕の父は一人の目撃者や証言者もなく数ヶ月で忘れさられてしまった祖父の事故を思い、命の価値は同じはずなのにどこか不公平だと感じたそうだ。その話を父から聞いたのは僕が中学生くらいのときだったと思う。多くの人の命が失われた大きな事件なのだからそんな田舎のひき逃げ事件より注目を集めるのは当たり前じゃないかと、思ったのを覚えている。
僕の話に戻ろう。祖父との夏祭りの記憶の次に覚えているのは、幼稚園の庭のすみで幼なじみの男の子と二人、もくもくと遊んでいる僕の姿だ。これも記憶というより、印象といったほうがちかいかもしれない。幼稚園では他にも友だちがいたはずなのだが、僕はいつもその幼なじみとばかり遊んでいた。他のこどもたちは幼稚園の庭の真ん中でみんなで仲良く遊んでいる。ただ、僕とその幼なじみだけが庭のすみっこで別のことをして過ごしている。そういう記憶だ。
僕は自分がマイノリティであるという漠然とした自意識をもっている。そういう自意識はおそらくこの幼稚園時代からもっていたのではないかと、特に理由もないのだが、なんとなくそう思う。はっきりとは覚えていないのだが、そんな幼稚園時代を過ごしたという印象だけ残っている。
その後僕は幼なじみと同じ小学校にあがった。幼なじみをKと呼ぼう。小学生になった僕はKのほかに、新しくJという友達ができた。Jは別の幼稚園に通っていたのだが、帰り道がKと僕と同じなので自然と仲良くなったのだと思う。なにをして遊んでいたのかはあまり具体的に記憶にないが、学校の帰り道やお互いの家、近所の公園などで過ごしていた記憶がある。たぶん、他のこどもたちも同じように過ごしていたんじゃないだろうか。幼稚園のころよりかは幾分交友関係が広り、幾分マイノリティでもなくなった。
だが、マジョリティではなかった事だけは確かだ。小学生だったことがある人はわかるかと思うが、子供のなかでは子供なりのカースト的な階層があるものだ。上位階層に所属しているのはもちろんスポーツが得意な子供達である。野球やサッカーではエースで、なおかつ顔がカッコイイというWという同級生がそのカーストの頂点で君臨していた。僕は早生まれということもあってか運動がまるきりダメで、そのためカーストの中では下位に位置している存在だったが、意識して階層の外にいるように、つまり上位のやつらやその友人たちとはあまり接触しないように過ごしていた。交友関係が広がったとはいえ、マジョリティだとは言えない存在だった。要するに僕の自意識はマイノリティのままだったのである。
スポーツがまるでダメと書いたが、そのおかげでマジョリティになれなかった僕はスポーツというものに対してどこかしら卑屈な感情をもっている。マジョリティへの嫉妬が、スポーツができないという事に転嫁され、それがスポーツそのものへの憎悪に近い感情になり、その結果スポーツは僕にとって禁忌になった。自分がどこからしら劣っているのはスポーツができないからであり、その元凶であるスポーツには近寄ってもいけないという発想である。運動ができない子供はみな同じような感情を抱くものなのだろうか? スポーツが僕の中で禁忌であるというこは特に誰にも話したことはないので、他の似たような子供はどう感じているのか正直よくわかない。
これは成人した後、それも社会人になってからの話だが、会社の同僚と学生時代の部活の話をしているとき、僕はおどけた調子で「運動したら負けだと思っている」と当時ネット上で流行していた言葉をもじってスポーツに対しての卑屈な感情を冗談めかして言ってみたことがある。だが、その時話をしていた元サッカー部という同僚がそれを素直に受け取ってしまい、おそらく彼には僕と同じようなスポーツに対してのコンプレックスがないのであろう、結果、彼の気分を害してしまった。その人自身は運動会系というより文化系の人間だったので、僕の原体験を共有できるものと勝手に思ってしまった自分が悪いのである。スポーツに対して当たり前のようにコンプレックスをもたない人間を目の前にし、自分はやはりマイノリティなのだと再認識をした。
僕達の育った町は自然あふれる田舎でもなく、かといってビルが屹立する都会でもなく、よそから引っ越してきた人達がつくったマイホームが国道や鉄道沿いに立ち並ぶ、いわゆる郊外と呼ばれる場所だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でもその風景は変わっていない。駅の前には商店街や、小さな個人書店や、同級生の親がやっている歯医者。国道沿いにはファミリーレストランや大きめのおもちゃやさん、そして西洋の城を中途半端に模したラブホテル。この国のどこででも見られるような平凡な風景だが、誰にでもそうであるように子供の頃の僕にとってはそこは唯一の場所であった。
他の小学校のことはよくわからないが、僕の通っていた小学校には他の町に遊びに行ってはいけないという「きまりごと」があった。僕の家は隣町との堺がちかく、同じ町の友達の家に遊びに行くのにも隣の町を一部横切っていったほうが近いといったようなところに僕は住んでいた。「きまりごと」はまもらないといけないと素朴に信じていた小学生の僕は、友達の家に行く途中隣町をちょこっと横切るだけでも、ちょっとした罪悪感を感じていたものだ。まして電車にのって別の町まで買い物に行くなどどいうのは親同伴でなければ許されない事だと、そう固く信じこんでいた。
(断章)
各作品については置いといて
元々「貧乳コンプ萌え」とか「低身長コンプ萌え」みたいな、残念要素を本人が気にしている様子に萌えている連中に対しては
スパイクで股間を踏みつけて回り、一人残らず不能にしてやりたいとかねがね思っていたんだけど、
が主張なんだよな?
でもこれが何を問題にしているのか分らないんだけど…。
「萌え」に対してフェティズムとか持ち込むなって事?
桐乃のキモオタっぷりや、黒猫の痛さウザさなどの残念要素が「萌え」に取り込まれたことに反吐が出る。
はがないで、友達が居ないという残念さが「萌え」に取り込まれてしまったことにも虫唾が走る。
「残念かわいい」とかいって残念要素を愛玩している豚ども一人ひとりの顔面にガソリンを塗って火をつけて回りたい。
元々「貧乳コンプ萌え」とか「低身長コンプ萌え」みたいな、残念要素を本人が気にしている様子に萌えている連中に対しては
スパイクで股間を踏みつけて回り、一人残らず不能にしてやりたいとかねがね思っていたんだけど、
その憎悪が「残念系美少女」というジャンルの誕生で火を噴いた感じ。
キモい。そして憎い。顔の皮膚をおろしがねですりおろしてそこに塩とタバスコを塗り込みたい。
なにを二次元で残念な現実を取り入れようとしてんの。二次元なんて100%現実逃避の塊だろうがよ。
おとなしく完璧美少女にブヒブヒ言ってりゃいいものを、なに「顔は完璧だが、リアリティある残念要素を持っている」なんていう
半端に現実取り入れんじゃねーよきめーんだよ死ねよクソどもが。四肢壊死しろマジで。
顔が可愛けりゃ残念要素も愛玩要素になる?きっしょ。マジきっっっしょ。溶鉱炉に落ちて死ね。下水で溺れて死ね。焼け死ね。速やかに死ね。
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
26歳の男が110歳の老女をレイプするギネス記録級事件が発生
http://news.2chblog.jp/archives/51662340.html
79:名無しさん@涙目です。(家):2011/12/19(月) 21:43:36.34 ID:msKl1+mW0
昔何かの本でババアレイパーのコメント読んだが、そいつによると、目的が気持ちがいいとかじゃなくて
「110年分の思い出を台無しにしてやりたい」という思いが、26歳男を勃起させた。
110歳の身体には生殖能力など無いのに。全く持って不合理なのに。
「お前を台無しにしてやる」という思いが不合理な性的反応を生んだ。
老女レイプは今まで築き上げてきたものを台無しにする行為だが、幼女レイプは未来を台無しにする行為だ。
初潮前の幼女には性的能力が無く欲情するには不合理な相手だが、
昔からずっと。
男尊女卑の世の中では、強者男性>弱者男性>強者女性>弱者女性という構造になる。
強者女性にとって、弱者にも関わらず男性だからという理由で自分より上に置かれていた弱者男性こそが最も憎悪の対象になりやすい。
原始のフェミが望んでいたのは強者男女>弱者男女という構造だったのでは。
しかしそうなったとき、味方につけられるのは強者女性だけになってしまう。
それでは人数が少なすぎて心もとないし、弱者女性にはメリットが無いので反発を呼ぶ可能性もある。
だから結果として、強者女性と弱者女性がタッグを組んで支離滅裂な弱者男性叩きをする、ということになってしまったのではないか。
それにしても強者男性の安定っぷりは異常。彼らは下々の争いをせせら笑っているだけだろうね。
bogus-simotukare
agricora
高い形態模写の技量も観察力も要らないし、知識や文章力も要らない。
誰がやっても「あの人の真似だね」とわかってもらえるおいしいネタ。
こういう教材をきちんと真似し切ることから模写の道は始まる。
y_arim
今は亡きはてなアイドル。
y_arim自身がはてサの真似をしてはてサを演じてただけなので
それを更に真似することで真のシュールを体現できるかもしれない。
激烈な言葉で怒りを表明しながらもよく見ると本気の情動が全然ないあの感じ、
分類1のような薄っぺらくも全身で憎悪している怒りとは似て非なる偽りの怒りを
微妙なニュアンスで演じ分けられるようになったら形態模写者としては目録の腕前。
人の擬態を解剖しつつ更に真似ることは模写道の思索を深める効果も期待できる。
D_Amon
tikani_nemuru_M
まあこの分類はいっぱい居る。
1,2よりちょっと真似が面倒な理由は、ピン物真似で再現しにくい為。
特定の仲間との馴れ合いや追従のシーンに特徴が出てくるタイプなので
一人で真似するのは困難であり上手く出来てもあんまり面白くない。
観察力やセンスよりも根気の勝負になるので、
好きな女性に便利に使われてしまう。キャバ嬢に入れあげて貢いでしまう。
声優に入れあげてグッズの購入やブログの監視に明け暮れ、時間と金を浪費してしまう。
思うように女性が手に入らないことに苦しみ、憎悪に悶えている。
一切の性欲を持たない状態。
「自己愛」のみで性処理ができる状態。
男性作家が生み出した小説・漫画・イラストのみをオカズにする。
女性作家による作品や、女性声優に声を吹き込まれたキャラなど、
男性作家や女性作家がかいた小説や漫画、イラストなどをオカズにする。
「実在女性の声」や「実在女性の容姿」など、実在女性のみが生まれ持った魅力は性的対象としない。
風俗利用。即時破門。
女性への復讐が目的ではないので、「ゲイになる」「男の娘に走る」はズレています。
このような道に進んでも、イケメンなり、一番可愛い男の娘なりに振り回されるのは変わりません。
魅力がある者がない者を振り回し、搾取する構造は変わりません。
http://anond.hatelabo.jp/20111202005410
私は、どう接されても満たされない、心に欠陥をもってる。
勉強しろと干渉されたらやはり文句を言ってたと思う。
多分そうなんだとは思います。
ただ、
完全に逆恨みだ。
冷静に考えればどう考えたって理想の親だ。
ここの部分は納得しかねる。冷静かどうかはわからないけれど、他人ごととして客観的に見ても理想的だとは全く思わない。
仮に理想的だったとしても、それによって自分がどう思ったかを「コミュ障」だからと否定して良いものではないと思う。
そう考えたほうが楽なのかもしれないけれど、私はそれを認めるつもりはない。
そうやって全部自分が抱え込んで、親を切り離すところまでは今の時点では無理です。
親の影響は確かにあったし、それは私に良くない影響を及ぼした。
それをひっくるめての自分を受け止めたいと思う。
なんだかその考えは、自分の内面から親をえぐりとって捨てているような気がする。
私は、あなたに私なんかよりもはるかに強い親への憎悪を感じるくらいだ。(もちろん私が感じただけで押し付けるつもりはないです)
貴方のお陰で、逆に私は親のことを何だかんだいって憎み切れない、
まだどこか親に期待したり、すがったりしている部分があるような気になっている。
だから、あなたのいうことは参考にさせてもらいたい。でも、途中からはあなたと違う道筋を選んでいきたいと思う。
橋下府知事に突然の「逆風」 新潮、文春で「暴露」系記事が相次ぐ (1/2) : J-CASTニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2011/10/27111462.html
logic_master 橋下が人間のクズであることと、本人の出自はまったく関係ない。最低の個人攻撃。でたらめな「実績」とやらを冷静に批判するとか出来ないのか? 2011/10/29
↓
asahi.com(朝日新聞社):維新の会の橋下氏・松井氏が当選確実 大阪ダブル選 - 政治
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/politics/update/1127/OSK201111270024.html
logic_master rebirthen 何パーセントだろうが愚民は愚民だ。自分の利益にならない選択をするものは愚かとしか評しようがない。/guldeen あいつは自分の出自に復讐したいだけ。彼の中には憎悪がいっぱい詰まっている。2011/11/27
この1ヶ月の間に何があったんだ…
それとも、本人の中では整合性とれてるのか。