はてなキーワード: ジャンルとは
掲載順の低迷ってウケの悪い新キャラとかったるい展開やってた時期が重なったせいだと思うんだけど
なんかやたらとジャンル自体のせいにしたがるアンチ目立つなと思ってたが
こういう人らに目をつけられてたのね…
主人公が強すぎてライバル視点で物語が語られる作品っていいなという気付きを得た
『ノーマーク爆牌党』の爆岡
序盤は主人公視点で物語が進んで、終盤になると打倒主人公を目指すライバル視点になる……というパターンが良きかな
pixiv百科事典に項目あった
なるほど『進撃の巨人』も言われてみるとそうか
知識を得た
嬉しいね
フリーレンとかダンジョン飯を出汁にした「真のファンタジー」論争を見てると、ファンタジーが「面白そうだけど声の大きい厄介オタクがめんどくさいから近寄りたくない」ジャンルになるのもそう遠くなさそう。そうやって厄介オタクがいくつのジャンルを潰して来たと思ってるんだ。少しは謝罪と賠償をしろ。
俺がなにかにハマるときには、すでにそのジャンルは斜陽になってきていて、人も少なくなってて、過去のものをひたすら漁ることぐらいしかできない
現在絶賛流行中のものを追いかけようには、流れが速すぎるからなのか、どうにも熱量に追いつけなくて置いてけぼり感が強くて、毎回どうもトレンドに乗り切れずにただただ疲弊してしまう
かと言って、これから来るだろうという誰もまだ目に留めていないものを発掘できるようなスキルもやる気もなく、アーリーアダプターになることもできない
ライブでしか得られないものがあるのも当然分かっているし、これがアイドルとかの話なら、推しは推せるときに推せって言葉もハゲ上がるほど納得できるし、ただでさえ今はコンテンツが溢れすぎてて記録やアーカイブに残らないものが多すぎる
俺はただ、みんなでワイワイ騒いで楽しんだ人たちが去った後の、残飯処理をひたすら繰り返しているだけのような存在なんだろうなと思うと、ときおり悲しくなる
趣味にそんなものないよ、本人が楽しければいいじゃん、ってのもその通りなんだけど、たとえば仮にこれを投資とかの話に転じると、途端にただのバカな搾取されるだけの存在でしかないことが分かる
一番熱いときに順張り出来ずに、ほぼほぼ全員が逃げ切った後に拾って、ただただその価値が下がっていくのを見ながら、自分の好きなものだからと誤魔化し続けて、沈み続けて時間というリソースを塩漬け状態にしているだけ
本来ならその拘束された時間は、次の今熱いコンテンツに注ぐべきものであって、ただそういう風に上手く波に乗ることがいつまで経ってもできない自分が悲しくて、どうすればタイミングよくそのときにホットな話題に全力で乗っかれるんだろうといつも不思議でならない
これもまた才能という言葉で片付けられてしまうのであれば、その逆もまたしかりで、何事も全力で楽しめないことだってまたその人の才能であって、そういう生き方そのものが運命なのかとも思ってしまうと情けなくなるんだ
でも、ライフステージが云々みたいな圧が大分弱まって、年相応が云々みたいな言説も昔ほどは聞かなくなって、アラフォーやアラフィフが自分の事を若者だって思い込んでいたところで何も不思議ではない時代だから勘弁な
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
どうやらガチで怒ってる人もいるらしい。
ジャンルごとバカにされてる感もあるから怒るのもわからんではないけど、「双方がネタだと分かった上で敵味方に別れて喧嘩してる風のコントをする」のを「プロレス」と言わずに何と言えばいいんだ?
プロレスマニア自身も「ベビーフェイスとヒールは本当に心の底から憎しみあっている!」とは思ってないだろうし、「プロレスの決着は選手同士が真剣に勝利を求めた結果だ!」とも思ってないだろ?
別に素人が喧嘩風コントを「プロレス」って言っても構わないだろうに、いちいち「プロレス」発言した奴に突っかかって「訂正しろ!」とか言ってくる奴が側から見てて鬱陶しい。
どう考えてもこの先、世間で喧嘩風コント=「プロレス」という図式が覆ることはなさそうだし、それより「プロレス」という単語が世間から忘れ去られる方が早そうだから、もうその辺の言い方で当たり屋みたいに因縁つけるのはやめてもらえないだろうか。
あらすじ:都市の片隅で、若き医師・加藤悠は新人として地域のクリニックに勤務していた。彼は人の心を理解することに長け、患者たちとの信頼関係を築いていた。
ある日、彼の元に、違法薬物使用の疑いで逮捕された若者、佐藤貴之が連れてこられる。佐藤は無実を主張し、自身が薬物依存症ではないことを訴えるが、警察や周囲の人々は彼を冷たく見下し、「依存症患者」というレッテルを貼ろうとする。
加藤は佐藤の訴えに耳を傾け、彼の状態を冷静に分析する。しかし、周囲の偏見や社会の二重基準によって、真実を伝えることは容易ではない。加藤は自身の信念と戦いながら、佐藤の真実を明らかにしようと奮闘する。
やがて、加藤は都市の裏社会にまで足を踏み入れ、驚くべき事実に直面する。彼が知る世界は、依存症と犯罪という二元的な概念の中で揺れ動き、自己正当化の心理が支配する闇に満ちていた。
(紹介していただいたアルバムはSpotify等で聴かせてもらいます!ありがとうございます)
(追記:たくさんありがとうございます!一つずつ検索して聴いてます。1日とかではとても無理なので、時間をかけて聴かせてもらいます!)
どんなファンタジーも無茶苦茶も「だってその方が性癖が刺激されるじゃん」で作者と読者が同意すればオッケーになる。
男向け漫画の場合はそれがエロ漫画の世界に限定されていて、エロ漫画の世界になると突然なんでもありでIQが低くなる。
男は辻褄が合う合わないに対してやたらこだわってしまう部分があって、だからこそエロ漫画は荒唐無稽を極めることで「これは辻褄が合わなくてもいいんですよ」というお題目を示しそれによって話の不合理に対してつじつまを合わせようとさえしているわけだ。
そんな自分を男は合理的だと思っているが、実際には「この世界は理屈どおりに動いている。たとえ物語の中でも」というファンタジーの中に生きているわけだ。
対して女向けの場合は一般向けのどんな漫画であっても無茶なファンタジーを平気でねじ込んでくる。
その癖してエロ漫画で意味不明にIQが下がることもそこまではない(たまにアナルで生け花したりはする)。
これは結局のところ女の方がよっぽど合理的で「どうせ作り話なんだから屁理屈とかいらなくないか?面白ければどうでもいいだろ。つーかはよイケメン出せ」と考えているわけだ。
だから男の作った漫画みたいにわやくちゃになって見せることで「この漫画はカオス!ナンセンス!なんでもありだよ!」とアピールする必要性もないわけだな。
この違いが分かってない男女が「ジャンプの漫画は読みにくい」「ちゃおの漫画は意味が分からない」みたいなことを言い出すわけだよ。
漫画なんぞに対していちいち小理屈を並べて筋が通っているかのように見せかけたがるのが男漫画で、イケメンやスカっとジャパンをするための舞台装置でしかないと割り切って整合性をしょっちゅう度外視にするのが女漫画なわけだな。
漫画を読む時は今目の前にあるのがどっちなのかを把握しておく必要がある。
最初に大きな嘘を一発かました後はおおむね理屈が通っているわけだからただ淡々と読めば良い。
女漫画の方はエモが優先なので、話としての筋が通ってない部分がチラホラとあることに対して意識をそらす技術が必要になってくるが、慣れている人間でも漫画のジャンルを間違えて読み始めるとコレに失敗する。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
○○学を勝手にブチ挙げてジャンルの既得権を得てやろう、というムーブ
正義執行による社会的承認が第一義であり、事実を突き止めることは目的でない、というムーブ
源流が理系科学不審を隠さないフェミニズム/ジェンダー学であるため、客観性よりも主観を第一とし、ソーカル事件の反省とかは全く考えないムーブ
そして、たぶん一番重要なことは、こんなクソな男性学を専門にしよう思うなんて奴は、アカデミズム世界の中でも基本的に無能寄りだよ。
言ってることを真に受けない方がよい。
YouTubeを見ていたらギョッとする動画をレコメンドされた。
若くて綺麗な女性が微笑みながら街中で自撮りしているサムネイル。
それ自体はありがちなサムネだが、ひとつだけおかしいところがある。
それは乳首がくっきりと透けていること。
ここはYouTubeだぞ?胸を強調するサムネくらいならもはや珍しくもないが、乳首はアウトじゃないのか?と思いながらタップすると年齢確認されることもなく普通に再生された。
京都の観光地を自撮りしながら歩く、何の変哲もない女性の動画。いや変哲はあるか、ノーブラだし。
再生数数万、チャンネル登録も数万、特段バズってるわけでもない。
チャンネルページに飛んで動画一覧を見るとソフトなエロを売りにしてる女性らしい。ほかにもノーブラ街ブラ動画をあげていた。
インスタのリンクもあったので見てみると、やはりそこには透け乳首があった。そしてなんと他のインフルエンサーとノーブラコラボしてる写真もあった。
そうか、これはそういうジャンルなんだ。
ありなんだ、YouTubeって透け乳首ありなんだ、と認識を新たにするとともに恐ろしいことに気づいた。
現在日本の法律ではノーブラで出歩くのは合法だ。透け乳首も合法だ。(違法なら男性の9割はとっくに逮捕されている)