昔、私は子供だった。
その頃はまだ愚母が生きていた。
複雑な家庭環境にも関わらず、腹違いの愚兄や竿違いの愚弟も平等に愛してくれた。
愚母は働きに出ていたが、愚息たちにはひもじい思いをさせまいと毎日のようにおにぎりを作ってくれた。
愚息を飽きさせることが無いように、いつも違う種類のおにぎりを用意していた。
定番のおかかや昆布から、わさびや辛子などの変わり種まで、かなりのレパートリーだったと思う。
中でも私が好きだったのは黒飴だ。
愚母はたまに黒飴をもらって帰ってきた。
ただ与えるのでは無く、おにぎりに入れて。
私はたまに出てくるその黒飴のおにぎりがとても好きだった。
楽しさと美味しさ、そして愛情が絶妙にマッチした最高のおにぎりだった。
逝ってしまってもまだ忘れられない。
一緒に買い物に行っても、飴は見ないという暗黙の了解のようなものがあった。
予定するのではなく突然出すことで、驚かせようと愚母なりに、気を使っていたのだろう。
拙文を書きている間に、一度だけ愚母を裏切ったことがあるのを思い出した。
すやすやと眠りについている愚母のカバンから黒飴を1つ盗んだ。布団に横たわる愚母の横で黒飴を舐めていると、次第に涙が溢れてきた。強い自責の念に駆られた。
明くる日、当時貴重だったお金を使って黒飴を買った。その晩、眠りについている愚母のカバンに返した。
その件について言葉を交わすことはなく、私は子供ながらにずっと焦っていた。
数日後、いつも通り黒飴のおにぎりが出てきた。
私は今大人になった。
かつて愚夫に黒飴のおにぎりを出したことがあったが、酷評されてしまいそれ以来出していない。
自分でおにぎりを作ることはあるが、愚母のおにぎりにはどうしても勝つことができない。
愚母は黒飴に魔法をかけていたのかもしれない。
もしも願いが叶うなら、魔法のおにぎりをもう一度食べたい。
ぐぼって変換できんわ
iOSのアップデートだっ!