はてなキーワード: 自己評価とは
転生なのに3歳くらいで物心が付く←それは転移または憑依っていうんだよ
心の声がダダ漏れ
赤ん坊時代~幼少期に都合よく自分の理解者が必ず一人以上最初からいる
地味系なのに普通に美少女(美幼女)←要するに自己評価が低いだけ
悪役令嬢なのにハイスペック過ぎる、あと家族もハイスペック(父親は大体宰相で公爵か伯爵)
回りは良い人だらけ
乙女ゲーに飽き足らずレディコミなど自身が生前読み耽った作品世界に転生する←何故か都合よくその事(登場人物やエピソード)を忘れてる
やってる事はどこかで見たような行動
悪役令嬢に転生すると十中八九闇のあるイケメン(または作品世界における黒幕)に警戒される
モブや取り巻きに転生すると何故か本来の作品主人公や悪役令嬢に目を付けられる
序盤だけやたら面白いが中盤以降ダレる
ダレるだけなら良いがどうでもいい押し問答だけで10話以上費やす
情報の小出しが鬱陶しい。※スマホ太郎やスルト太郎のような頭空っぽにして読めるソフトタイプは殆どない
前世の知識をひけらかしておいて、いざそれが称賛される自己評価を過少化させる、誰かしらの功績を採用しただけと謙遜する
いちいち判断が遅い
男向けと大差ないけど少女漫画チックな展開が好きな人なら延々読めると思う
だけど基本的に起きる事件は毎回ショボいので面白い展開を期待すると痛い目を見るので
正直女向けなろうをどうしても読みたいという人以外にはオススメ出来ない。自己評価低い女が主人公のなろうコミックなんか読みたいか?って事です。
私は人生をまだ24年間しか生きていないけれど、恋愛を含め人間関係とはとても大事な要素だと思っています。
大事な人にほど幸せになってほしいし、大事じゃない人と付き合っても幸せになれないよね、そう考えて私は24年間恋人がいないまま過ごしてきました。
(とはいえ、恋人がいないことと私の考えに相関が無いかもしれませんが。)
一回目は、私の3歳くらいからの付き合いの友人(A)と中学生になってから、一番仲良くなった異性の友達(C)です(これが10年前)。
この時、AがCのことを好きであることは聞いてましたし、Cに確認してAに気があることを知れたため、二人の関係の一番の理解者みたいな顔をして二人の仲立ちをしました。
中学生時代の話ですし、「好き」という感情を隠すのは思春期らしいとも思うので、この時はこの時だったなぁと思えています。
時を経て今年の話の前までに、私は自分の評価(価値)というものが下層であることを自覚できるようになっていました。
顔もよくないし、性格もよくないし、何か明確な目標があるわけでもない。
慰めや周りの評価は知らないけれど、とりあえず自己肯定はできるような人間ではないのです。
さて、先週のこと、2回目です。
私はCのことが変わらず好きなので、Cを呼べるタイミングがあれば毎回連絡していました。
その中で私の中学生の時からの友人BがCのことを気になり始めたとの話です。
Cは選んで恋人を作るという側面もあり、4年間恋人がいなかったそうなのですが、C曰く「Bのことが気になる」、と。
それを聞いた私はCにBの気持ちなどを全てばらして、その上で来週、来月と3人で会う予定を作りました。
お互いよく思っているわけですし付き合うことでしょう。
で、ここからが本論になるのかな。
まぁぶっちゃけ付き合えるなら私がCと付き合いたいよね。
そういう素振りを見せたこともないし、好きだといったこともないけどさ、10年間好きなもんで。
それでも、ね、いいんですよ、Cが幸せになるのであれば。
私も24の大人にはなっているので「好き」という感情を伝えることは素晴らしいことだと思えるし、相手は伝えても恥ずかしいような人間ではないんですよね。
それでも伝えないのって、結局その先付き合ってもらえないんだろうなぁってことがなんとなく分かってるのと
私じゃあCを幸せにしてあげられないよなぁ、ってのがあるんですよね。
24年間恋人がいないような人間ですから、客観的な評価も自明ですね。
自分のせいだけど、私好きな人とは一生結ばれないんだなぁって。
で、多分一生恋人できないんだなぁって。
それに私は需要がないことも分かってるんです。
需要を見つけるためには数を打たなければならないってのは分かっていますし、その上で私は同年代の普通の人間より多く人間と接してきたつもりです。
私に興味を持つ人間がどれほどいたかってことをいうと、本当に全然いなかったんですよね。
私って誰からも大事にされないで人生終わると思うとすごく悲しいかな。
でもねそれだけ悲しい人間の私が言えることは。
私のやってることって素敵でも何でもないし、それに対して自己陶酔してるわけでもない。全然美談じゃない。理解してます。
それでもCに幸せになってほしいし、私はこれからもCの味方をするし、私の友人で好きな人ができたらまた仲立ちする。
自分のことより好きな人の幸せを考えて生きていくってことかな、自分のこと好きじゃないし。
C、四年ぶりのあなたの春が楽しい時間であることを祈っています。
結論としては?うーん?来世に期待かな?あとはCが幸せになればいいと思う。
朝早起きしちゃったからストロングゼロ3本飲んじゃって酔っぱらっちゃったからストロングゼロ飲みながら書いたよ。
自己評価は上にかいた通りなので酷評とかドンとこいって感じというか、遠慮しないでかいてほしいよね、自分の客観的評価を認識しないと改善すらできないから。
私は元いじめっ子である。保育園・小学校と特定の人物をいじめていた。ちなみに、現在30手前のおっさん。
いじめっ子といっても、いじめたことも、いじめられたことも両方ある。
私は本質的に弱い人間であり、ナメられることのほうが多かった。
私が他人をいじめたことを覚えているのも、いじめられた記憶と強く結びついているからかもしれない。
ここでは私のいじめを行った経験を振り返り、いじめっ子がどのようなことを考えているのか考察したいと思う。
当時の私は仮面ライダーが好きだったので、「ライダーキック!」と言いながらその子に飛び蹴りをしていた。
後、その子の服の中に土や虫を突っ込んだりしていた。
他にもなにかしていた気がするが、保育園ともなると記憶があいまいである。
当時の私は誰かを攻撃して泣かせることを強さだと思っており、むしろ誇りに思っていたことを覚えている。
これはたしかクラスの自分よりヤンチャないじめっ子気質の男の子が女の子にモテていたからそう考えていたんだと思う。
いじめでよくある「〇〇菌が移る!」というのをよくやっていた。
クラスの男子数人でゲーム(「いっせーのせ1!」など)をやり、負けたヤツが罰ゲームでその女子をタッチする。
タッチしたヤツ以外は「〇〇菌が移る!」といって逃げ出すのだ。
(小学校の鬼ごっこでよくある「バリア」で、その女子をさわった手だけはバリアを貫通するという謎ルールもあった。)
後はその女子が給食をよそった日は、クラスのほぼ全員が給食の中身を減らしに行ったりしていた。
当時の私はそのゲームを楽しんでいたし、その女子は本当に汚いものだと思っていた。
なによりその女子をいじめたときにだけ生まれる一体感を楽しんでいた。
中学時代はどちらかというと私のいじめられっ子としてのピークである。
(これをされるとブレザーに乾いたノリの半透明の文字が残り続け、最高にダサくなる)
一番つらかったのは当時の担任だった熱血型新任教師がクラス全員の前で、
「〇〇(私の名前)いじめらているみたいだけど、本当につらかったら私に相談しな!」と言われたことである。
そのクラスには私の好きな女子もいたのだがいじめられていることがバレてしまった。
クラスの女子には「〇〇(私の名前)キモイ」とよく言われるようになった。
当時の私は保・小と他人をいじめたことなどすっかり忘れて「いじめられっ子が実力をつけて他人を見返す漫画(タイトル忘れた)」に感情移入していた。
反省している。
社会人になった今、あのときのようなことをしてしまわないよう発言には一字一句気を使っている。
しかし、この反省には「あのときいじめを行わなければ、自分は元いじめっ子ではなかったのに」、
という自己評価、または自己ブランドを意識した反省が多分に含まれている。
我ながらクズだが、振り返った結果初めに出た思考がこれだった。
かける言葉もない。
私が過去にいじめを行ってきた人たちは間違いなくそのことを覚えているだろうし、
いじめが原因で現在の生活に支障をきたしている人もいるかもしれない。
申し訳なく思わないといえば嘘になる。
私はいじめをしてきたことは反省しているが、いじめをした相手自身には大して興味がないというのが本音だ。
いじめっ子からいじめを受けた人への謝罪がなく、またあったとしてもいじめを受けた人の心情を考慮しない一方的なものになるのもこれが原因だろう。
私もいじめをした相手に謝りに行く気もないし、「いじめを本当に反省しているなら黙ってお金を渡すべきだ」という考え方もあるが身銭を切る気もない。
仮に、私が過去にいじめをした人たちが長年積もらせた恨みを爆発させ、刃物を持って襲ってきたとしても私は全力で抵抗するだろう。
いじめを受けた人に救いがあるとすれば人の本質は変わらないということだろう(救いになるのかわからないが)。
過去にあなたをいじめた人間は、現在、部活動の仲間たちと熱い友情を築いているかもしれない、
もしくはまっとうに働いて家庭を築き、パートナーや子供たちと愛を育んでいるかもしれない。
書いてくれてありがとう。見ず知らずの人間ですが、応援してます!!!
被虐待児として、精神科医が書いた被虐待児のその後の本など今まで読んだものを思い出して思ったことですが、増田さんが書いた "自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思い" というのは、虐待を受けたことと関係があって、今後なくなる可能性もあるものなんではと思いました。
ある時、自分の乖離的な(投げやりとも言う)人生が、幼少期の出来事に関係があって、向き合わないと解決しないと思うようになり、カウンセラーさん探しのためにいろんな窓口に問い合わせて沢山人と話すことを短期集中的にやっていたら、ふとなくなっていました。
何が言いたいのか… えっと、「自分がだめな人間だから」なんて、思わなくていいんじゃないかな、増田さんがダメなわけじゃないんじゃないかな(0歳から同じ環境に別の人を突っ込んでも同じ精神状態になる人沢山いそうじゃないですか)、私はそうは思わないかなあ、ということを言いたくて書いてみました。
うちの場合は、礼儀やマナーなど躾があったわけでなく、ただ親の感情の暴発だったので、そもそも増田さんの家と結構違う感じですが。(増田さんほど、家族を好きという気持ちと、暴力が嫌だったという気持ちの、ダブルバインドは強くないかもしれません。)
先ずはこの書き込みで多くの方を不快にさせましたこと、お詫び致します。また暴力を受けずに真っ当なご家庭で幸福に育って来られた何の非もない方々をわざと煽るような発言をした事も重ねてお詫び致します。
レス、ブコメ、全て目を通させていただきました。当然ともいうべき厳しい意見から私の境遇を慮って下さった方までおられ、有難く思います。
私はたぶん、親と、かつて受けた暴力などが未だにトラウマになっています。そのせいかは分かりませんが、アラサーになった今でも自分の長所がわからず、自分の意見や気持ちをうまく主張できず言葉の強い人に同調してしまい、否定を恐れて常に人の顔色を伺い誰かに同意をもらえないと満足に自己表現すらできず、また自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思いから(事実ですが)自分を信じる事ができないクズのままで社会人してます。言い訳がましくて申し訳ありません。
どなたか書いておられますが、大人にもなってマナーや一般教養でしかいきがれないなんておかしいですよね。そんなのは努力でどうにでもなり、誰もが出来る事なのに。どんなに若くたって社会人ともなれば何か秀でるものはあるはずで、そんな当たり前の事しか評価する要素がない時点でゴミでしかないと思われているに決まってるのに。
だけど、こんな私にも少しは、ほんの少しだけは礼節や教養云々といったつまらない誇りでなく、自分の努力の成果として心に残っている事柄はいくつかあります。しかし私が何を努力しても、「親の教育が」という言葉は付いて回り、私が努力をすればするほど親の評価が上がって私の受けた教育は正当化されていきます。親戚たちも皆そうです。みな口を揃えて、親に感謝しなさい、親のお陰だ、そればかりです。我慢で食いしばった唇が切れて血が出るまで私を殴ってくれてどうもありがとうと、そう思わなければいけないのでしょうか。よく分かりません。
発達障害も精神疾患も現れる事なく一応人並みに社会に出られてしまった今、私は親の教育を否定する事ができません。また私自身、自分の人生を全否定するのが怖く、あれは虐待だったのでは?と考える前に思考を止めてしまいます。
悪い事をしなければ食事は出ましたし、夕食を抜かれた時でさえ申し訳ありませんと言えばご飯をくれましたし、楽しい思い出も数えきれないほどたくさんある普通の家族でした。そしてこれだけは自信を持って言える事ですが、親はこんな私なんかを確かに愛してくれていました。だからこそ、殴ったり蹴られたりされていたとしても本心から感謝すべき事も多くて、やはり親が好きで、自分のされた事は虐待ではなく躾だったと受け入れたい気持ちが勝ってしまいます。
それが、新聞に載る児童虐待のニュースにあれこれ論議している姿を見る度に「あなただって私をぶったり蹴ったり、言い分を聞かずにへりくつだとねじ伏せて暴力で言う事を聞かせてきたじゃないか」と泣きたいのか腹が立つのかよく分からない感情になってしまうとしても、私は自分とその親を「虐待がありました」と言えないのです。
今回の投稿は、それを誰かに否定して欲しくてわざと親を称賛し肯定し尊敬しているかのように振る舞い、親の行為を虐待だと批判させる事で救われたく、浅はかな私の足りない頭で精一杯考えた結果のものです。
半分騙すような形になってしまったことは申し訳ないですし、想定以上に反響があったことにも申し訳なさを感じますが、「殴られなくても普通の大人になれる」という今まで認めたくなくて親からの暴力を愛情だと全肯定する事で25年間も目を逸らし逃げ続けてきた当たり前の事実を、こうして突き付けて下さった事に何よりも感謝しています。
自分の人格の歪みや自信のなさは結局のところ全て私の至らなさ、力不足、自己責任ですので、努力して直していくしかありませんが、少なくとも自分は親から暴力を受けていた事は悲しかったと言っていいのだと、あれは不当なものだったと主張しても良いのだと背中を押して下さったことに感謝しています。
そしてもう一つお詫びする事がございます。
私には2歳の娘はおろか、結婚すらしておりません。時間が限られている、今すぐに連鎖を断ち切らなければならない、そう思ってくださる心優しい方の目に留まるよう混ぜた嘘です。
私みたいなクズ1人ならば何の価値もない社会のゴミ屑が一丁前に慰め待ちか…と気にも留めて頂けなくても、罪のない子供が登場したならば注目せざるを得ない、そんな方々の良心を利用するような真似をし申し訳ないと思っています。ですが私みたいなクズが母親なんて可哀想ですから私が子供を持つ事は未来永劫ないと思うので、その点はどうかご安心頂ければと思います。
親がくれた身体だけは人並み以上に丈夫でしたので、この25年間特に病む事もなく、また自殺する事もなく無事大人にはなれましたが、自分の人生を自分で否定する事ができない私の弱さと「そんなの躾の範囲内」「叱られることする奴が悪い」で済まされてきた私の十何年分の「痛かった」「悲しかった」をどうしたらいいか分からなかった私を至極真っ当な言葉で解放してくれてありがとうございました。
やっぱり家族が大好きだから、憎んだり間違ってると声をあげたりできなかった弱い私の代わりに、私と、私の親を叩いてくれてありがとうございました。
正直、ここ2年程の新参なので担当のアイドルは既にシンデレラガールになっていた。
なのでこのタイミングで書くべきではないかなと自粛していたのだけれど、発表前日になってついに耐え切れなくなったので乱文承知で書かせて欲しい。匿名だし。
新規であるが故に総選挙に当てられる熱意がはじめからあまりない人間の意見として軽く捉えるくらいで大丈夫です。
夢見りあむを好きになれた。夢見りあむにシンデレラガールになって欲しい。
ビジュアルが好みであったのも確かだけれど、公式からの供給を得るうちに彼女の毒とも言える魅力に見事にやられてしまった。
アイドルへの憧れ、あと1年で成人になってしまうと色々考え不安になる時期(これに関しては様々だと思う)、勉学への諦念、自己評価の低さに反比例する承認欲求…他にもりあむの持つステータスに一つも当てはまらない人というのはあまりいないんじゃなかろうか。
いたらりあむの事嫌いそうだしそれは誇って良い。
話がずれたけれどもこれで言いたいのは、りあむを応援しシンデレラガールになったのであれば自分の人生の中で成し得なかった事、諦めてきた事がちょっとは報われるかもしれない、と自分が感じてしまったから。この手の自己投影型アイドルは親しみやすい反面、自分が勇気を持てなかった為に消えていった夢未満の願いを叶えてもらおうというエゴを彼女に背負わせてしまう。甘ったれにも程がある。
そんなりあむの優しい毒のおかげで好きになれたし、熟成されたジャンルの中で新たな刺激として楽しんでいる。
前置きで述べたが自分がデレマスに触れた時にはもう担当にしたキャラがシンデレラガールになっていたので、これから同じ時間を過ごせるキャラとして、言い方はどうかと思うけども丁度良かったのかもしれない。
夢見りあむにはシンデレラガールになって欲しい。1位になって、オタクちょろい!と笑っているのを見て、ガハハと一緒に笑っていたい。
けれど、なるのは今ではない。
一部にはりあむには何もないと言う人もいるが、それは怠慢だと思う。
今まで積み上げてきた物語を盾にりあむについて考えようともしていないように見えてしまう。現に人々の創作意欲を刺激しまくって作品が溢れかえっている題材や魅力を彼女は持っている。それがインスタントなものであるとしても。
担当に盲目的になるのは良いが、仮にも中間3位で上位を争おうという相手にぽっと出だからなにもないと決めつけて下げる。
難しい事はよくわからないけど、こうやって相手を決めつけて見下して蹴落として、という事を何年も続けて来たんだね。そんな気持ちになった。(関係ないけどアンチが多い理由が新規にも容易に分かってしまうのは問題じゃない?)
自分は夢見りあむを好きになれた。幸運な事だと思っているし、シンデレラガールにもなってほしい。
でもそれは今ではなくて、今回で声が付いたとして、運が良くて年に1〜2回くらい追加コミュがあって、SSRも追加されて、彼女の「物語」がある程度出来たあと。
2年後くらいかな、それまで特定キャラご贔屓コンテンツが続いてるかは謎だけど、それくらいになって初めてガラスの靴を履いて欲しい。
今年しか1位になれないぞ、というのもわかる、分かるけど、それでもそれくらいの時間が欲しい。
コミュ症な人って矢部浩之や南原清隆みたいなつまらない芸人が嫌いっていう人が多いじゃないかな
岡村はまだしも矢部にはなんの芸もない、岡村にくっついて適当な相槌打ってるだけなのになんであんなに人気なんだって。
けど他人に対してのつまらないはダイレクトに自分に跳ね返ってくる。まして矢部はプロの芸人。彼がつまらなければコミュ症の自分はミジンコ以下ということになってしまう
根が真面目だから他人にも自分にも厳しい目を向け自己評価が限界まで下がった結果
つまんない反応しかできない自分の為に時間を割いてもらうのは悪いと考えるようになり、人との接触を避けるようになる。もしくは自責の念に耐えられず世の中つまんねぇ奴ばっかだと周りを責めるようになるか
そんな自分を追い詰める自動思考を変えるために、まずは矢部浩之や他の嫌いな芸人でもいいけど好きになってみることから初めてはどうか?
つまらなくてもいい。
相槌うってるだけでも全然いいし、誰かが気になる事をしていたら「〇〇さんなにしてはるんですか?」とか適当に言っとけばいい。気分がいいときは南原のように要領を得ないボケを試してみるのもいいだろう。
面白くしなきゃ人に見捨てられる!なんて思い込みだ。だって超面白い奴しか生きられないはずの芸能界で矢部さんや南原さんがトップを走ってるんだから。それもタレントや俳優じゃなく芸人という括りで。だから大丈夫。
https://anond.hatelabo.jp/20190427150421
35歳での平均年収は430万円程度だ、500万貰ってるのは16パーセントしかいないんだぞ、つまり普通より頑張ってる人といってもいいくらいだ
はてな名物の発達障害のガイジや毒親家庭育ちのメンヘラが妄想で喚いている自己平均を真に受けてるからそうなるんだ、コメ欄を見てみろ
こんな親の教育の程度が知れる意識高い系の頭の悪そうなこといってるバカ共が、外資やフリーランスで800万だ1000万だなんて稼げていると思うか?自分が金出して発注する側で考えた場合、こんな反社に依頼するのと同レベルのデンジャラスな奴らに高い金払おうと思うか?
そもそも働けてるかどうかも怪しいような連中の言うことなんて真に受けんなよ
自分に欲しいものはなんなのかよく考えてみればいい、35歳で500万円も稼げるほど勤勉なら、女欲しいならその勤勉さでナンパの勉強でもして趣味とすればいいさ
スポーツやったり、学会とか入って好きなこと研究してもいい、漫画書いて渋に投稿したりして活動することだってできるだろ
30台なんてまだまだガキのうちだろ、夢ならそこらへんに好きなだけ転がってるだろう
技術立国なんて諸外国からの評価ではないでしょう。スーパー301など、状況に応じて対応策は取られるが、それは国としての脅威ではなくあくまで案件個別の対応であって。
アイデンティティが揺らぎそうな時、自己評価を高めて必死に冷静を装ったんだ。そんなことせずとも、顔を真っ赤にして必死に立て直しに奔走する方がよっぽど貴いというのに。
増田とブコメを読んでしばらく考えてしまったが落ち着いたから書く
こっちが誘ったときは遠慮なく断られる!おかしい!ってやつちきりんが書いたときは
は?断るしw当然の権利wそんな義務感のどこか友情?がツイッターの主流なご意見で
えぇうそぉと思ったんだけど
今度は「増田が誘ったら断るなんてそれは対等な友人ではない(キリッ」
が当たり前に受け入れられてて、なんだみんなむかつくやつがむかつく言い方したから反発しただけかよと思った(蛇足)
ナンパ避けを自負する相手にすら結局「進展」を求められててかわいそうすぎるとおもった
いまいる同性の「一緒にいると楽だなあ」と感じる友人に向かって
「お前とはそういう気はないから」といちいち切り出す?
それなら先に言ってくれよと思われてたら逆に引かない?
「こいつは性的なこといってこなくてうれしいな」と毎回意識なんかする…?
進展てなに…???
純粋な友情ならそれ以上として「親友と呼べるくらいになりたい」と思うこともあるかもだが
そういうことを想像するときって、自分も相手の支えになりたいと強烈に思うはずだ
でもあの増田は「利用された」になるんだよな
私なら友達の役に立てるのは嬉しい
めちゃくちゃモテる異性の友達がいて、その人固有の悩み解消のために頼られるなら、嬉しい
素敵な人と友達だという事実、その人の良さがわかる自分への自信
「こいつだけは違う」と思われ続け、誘われ続けることが誇りになる
そういうごくふつうの友情を異性にもてる人間はごろごろいると思うんだけどなあ
出かける前「絡まれたらだるいな それに今日女友達だしな あんま可愛くないのにしておこう」「でも着たい服着たいしなあ」と
悩むことはあるんだろうか、きっとないと思う
そういう憂鬱を片方の性別だけ抱えてないのを純粋にずるいと思う
このずるさを解消するには男が男を取り締まる責任感をもってほしいというか
面倒くさくても同性内で注意しあってちょうどいいと思うんだけど
なぜか男は「俺じゃない、性別でくくるな」派の人が多いように思う
自分が属している性別に偏っている迷惑行為について絶対に責任をとりたがらないし恥を感じない
それどころか憤慨してしまう
これがとても不思議だ
次見かけたら殺してやる、と痴漢に殺意を向けているのはいつも女だった
男が男にその感情を当たり前にもってくれれば女性車両はなくなると思うんだがな
娘を持ってその子が人生台無しにされるまではやっぱりわからないのかなあ
何かを正直に伝える勇気(下心があるから満たされないならしんどい、恋人にして欲しい)がないやつが
何も伝えないまま被害妄想をし
モヤモヤしていたなにかを憎悪に固形化させた流れを見させられただけなのでは?ってなった
たいていの人間関係の恨みは「察してくれてもいいのに」で行き詰まってる気がする
もっと「とりあえず正直に打ち明ける」の訓練していこうよ
こんな俺を誘うなんて何か裏があるに違いない…と思ってしまうのかな
仕事では部下が100人くらいいるプロジェクトのマネージャーをやっていた。
後任への引き継ぎもほぼ完了して、自分の仕事はあまりない状態で出社している。
自分に次のプロジェクトが用意されているのなら、こんな気持ちにはならないだろう。
復帰しても今と同じ仕事ができるとは思えない。
まずは生活のリズムを整えるところからで、それからどんな仕事ができるか考えよう、といったところだ。
上司は結婚して子供ももいるので、理解はあると思うし、言っていることは正しいと思う。
しかし、自分のキャリアの目指す場所がわからなくなってしまったし、次の道が見つからなくなってしまった。
チームで練習を積んで、技術やら何やらを積み上げていくような趣味なので
今後は今のようなペースでは続けていけないからだ。
何もやめなくても…とは言われるが
今と同じペースで練習できないことにフラストレーションがたまってしまい
逆に続けることが逆にストレスになりそうなため、今はきっぱりとやめる決断をした。
今まで、仕事と趣味で自分のアイデンティティを保てていたんだな、と痛感した。
仕事も趣味も、自分が頑張ればそれなりに評価されたり、達成感を得たり、自尊心を満たすことができた。
仕事の次の予定がない。
趣味の次の予定がない。
私には何もない。
ひとりで完結するような、新しい趣味を初めた。
そこに楽しさはある。
だけど、まだ自分の技術が低くて、ぽっかり空いた隙間を埋められるようなレベルにはなってない。
よし、じゃあこれから技術を磨くぞ!となるころには子供が産まれているのだろうから
そんなことはできないよなぁ、と思うとどうにも入れ込めない。
出産が近くにつれて、色々身辺整理をしていたら自分には何も残らず虚無感を感じている。
自分が他者になにかを与えることに対して喜びややり甲斐を見出せないことは自分が一番よくわかっているし
そもそも子供が好きではないので、そこに自己評価を見いだすのは自分にとっても子供にとってもマイナスにしかならないと思うのでやめたい。
これは,夢見りあむアドベントカレンダー7日目の記事です.
私は夢見りあむが大好きです.
私は,デレステのリリースと同時に初めてシンデレラガールズというコンテンツに触れました.始めた当初は別の作品に夢中だったため,デレステは音ゲーとしか認識していませんでしたし,もちろん総選挙の投票券を集めたこともありませんでした.
そんな私をデレマスに惹き込んだのは,姫川友紀を始めとするPaアイドルたちでした.卒業論文の追い込みや数か月に渡る長期のインターンシップで疲弊した私を,姫川のソロ曲「気持ちいいよね 一等賞!」はじんわりと癒してくれました.通勤中の耳元で叫ばれる彼女たちの応援は,間違いなく私の足を前に進めていました.
Paアイドルの何が良いのか.私のように彼女たちの底抜けな明るさが好きなPもいれば,その突拍子もない行動が好きなPもいるでしょう.一癖も二癖もある彼女たちは,様々な方法で私を楽しませてくれています.そして彼女たちの魅力を語る上で欠かせないのが,時折見せる不安定な部分です.もっとも話題になったのは本田未央のアイドル辞める宣言でしょうか.普段の明るい姿とのギャップがより彼女たちに厚みを持たせ,人間らしく,身近な存在にしてくれるのです.
そんな中,新アイドル夢見りあむがPaとして発表されました.その衝撃たるや.他のPも分かってくれることでしょう.前に発表された辻野あかりや砂塚あきらのキャラクター性からも並の個性を持ったアイドルがくるとは思っていませんでしたが,彼女は想像以上に歪なアイドルでした.
調子はずれと感じるほどに明るいセリフ,透けて見える承認欲求,あからさまな構ってちゃん...強烈な個性です.もしPに見つけられなかったら,アイドルにならなかったら,彼女はどうなっていたのでしょう.私には,描写されている彼女の姿が軽度の躁状態に見えて仕方がないのです.
人間は,よく虚勢を張る生き物です.描写されている彼女の姿が,家の中の彼女の姿と一致するとは限りません.無表情で無感情にスマホを眺めている方がしっくりときます.家の外と内で行動が違うのは当然かもしれませんが,それが心となると話は変わります.社交性がある人は明るく見えるかもしれませんが,明るく見える人は社交性がある人ではありません.ドイツの詩人であるゲーテは「光が強ければ影もまた濃い」という言葉を遺していますが,彼女の影には何が隠れているのでしょうか.
また,炎上してでも目立ちたいと豪語する彼女の自己評価の低さは極限です.「コミュニケーションだよね?触りたいだけじゃないよね?」という,怒る前に相手の顔色を窺うセリフからも,自己評価の低さが分かります.アイドルが不安になる状況を,我々Pが許していいのでしょうか.いや,良い理由がない.アイドルを輝かせるのがPの仕事です.
そんな彼女がアイドルデビューしなかった姿を想像した時,現代人のステレオタイプに一致します.生活に疲れ,惰性で生きる日々.生きる理由もなく,死ぬ理由もない.積極的に自殺を選べる人は稀ですが,消極的に自死を選んでいる人はこの世界に何人いるでしょう.好きなことがあれば生きていけるという人もいるかもしれません.彼女にはドルオタという趣味があり,それ故に生きていけると.私もつい先日までそう思っていました.
日の目を見ることができた彼女の先には,そういう人々がその人のままに成功する可能性のある未来が映っています.もちろん彼女にはお調子者の気質があり,煽りや失言を頻繁にするという欠点もあります.しかし,多少の欠点がなんでしょう.彼女は新人なのです.それくらいの欠点を愛でることができなくてどうします.どれだけ彼女のアンチが湧こうとも,彼女が輝かしい可能性を秘めたアイドルの一員であることに違いはありません.
そこで直近半年の成果が評価されて、給料とかボーナスとかが決まるんだけど、そこに自己評価欄がある。
これがとても嫌いだ。
お遊びの面談じゃなくて、自分のお給料に直結するから、当たり前だけどみんなモリモリに盛って書く。
「自分は〇〇の仕事を完遂しました」とか「なんとかの業務を効率化してどれだけ成果を上げました。」とか文章で書くのはまだいい。
学校の成績表みたいに、「コミュニケーション能力 ○」「専門性: ◎」とか書かされるんだけど、表の中には当然自分の苦手な項目もあるわけだ。
僕の場合で言えば「コミュニケーション能力」とかだし、平社員なのに「リーダーシップはありますか?」とか聞かれても、
「人の上に立ったことがないのでわからないです」としか言いようがない。
でも、わからないからとか、自信がないからといって△とか×とかつけようものなら、それをいいことに、「〇〇くんは、確かにコミュニケーション能力は低いかもしれないね。でもこれから伸ばしていけばいいよ。」
と言われ給料を下げられるし、背伸びして◎とか書くと、「僕の目から見ると君にはまだまだコミュニケーション能力が足りないと思うな」
念の為言っておくと、この評価は社員同士の相対評価なので、当たり前だけど、全員を100点にする訳にはいかない。
だからみんな自己アピールに必死になるし、上司は上司で、だれの評価を下げるか決めなきゃいけなくなる
端的に言って、評価面談は地獄だ。「私はこれだけできました!!私は完璧な人間です」
とアピールする部下(もちろん本人はそんなこと思っていない)を、
まじできつい。
というか自己評価なんてしなくても評価できるやろ。わざわざ部下に就活の面接のマネごとみたいなことやらせんなや
自分でもだめだと思ってるところをネチネチ言われるのきついんだよほんと
具合悪い。だって内蔵の内側が剥がれ続けるんだよ。つらいよ。いたいよ。ねむたいよ。そしてものすごく陰気。生理前〜排卵日にかけて、実に二週間くらい……つまり一ヶ月の半分……ってことは一年の半分は具合が悪いので、それはマジですごく人生に不利なのではと自己評価が下がる。でも負けたくない。情報を集める。「昔の女性はひっきりなしに子どもを産み続けたので、産まない女性に比べ生涯の生理の回数がとても少なかったのです」みたいな話が出てくる。あ〜、そういえば与謝野晶子、十二人生んでるわ。
彼氏とファミレスで食事をしてたときに、理由は分からないが、隣の席に座ってた人達が、こちらを見て嘲笑したと私は認識した。
多分気のせいだと思う。別に変な会話をしていたわけではないし、変な服装をしていたわけでもないから。
ただ、なぜか私は「笑われた」と思い、途端に何故だかわからないが恥ずかしくなり、食事も美味しくなくなってしまった。
帰路で、偶然の他人の好意をネガティブに受け取ってしまった理由を考えた。
つまり、「疲れていない」「注意散漫ではない」「自信がある」状態ならば、他人の行動を誤認することなく、彼氏との食事を楽しめるということだ。
解決策が分かったところで、行動に移そうと思う。
まず疲労については、規則的な生活をおくることを心がけることとしよう。
注意散漫は疲労に一因がありそうなので、そちらが改善したら別のアプローチを考えることとする。
自信をつけるための方法は、自分にとってネガティブな印象を持ちすぎないようにすることだ。
具体的に言えば、「自己評価について再度振り返る」ことや「自己評価が低い軸について、改善をする」ことだろう。
自己評価の振り返りについては、他者を交えて認知のゆがみを取りながらやる必要があるので、それは別途時間を設けることにした。
評価の低い軸を改善することについては、今回は心当たりがあったので、そこから手を付けて行こうと思う。
具体的に言うと、見目である。
同世代の中でもこのあたりについての関心が薄く、はっきり言って下手である。
普段はそこに重点を置いていないが、しかしどこかで、自分の見目について劣等感が有った可能性がある。
それが今回表出したのだと断定し、変える方法を考えた。
髪型、服装、化粧、体型の整え方について、私は軽く学んだ程度であり、殆ど知らない。
やることを決めたので、気分が晴れた。
隣の席にいた人、良く分からないタイミングで笑ってくれてありがとう。
お陰さまで、良いきっかけを得ることができた。