2019-05-27

好きな人と友人の仲立ちをした話(10年ぶり2回目)

私は人生をまだ24年間しか生きていないけれど、恋愛を含め人間関係とはとても大事な要素だと思っています

大事な人にほど幸せになってほしいし、大事じゃない人と付き合っても幸せになれないよね、そう考えて私は24年間恋人がいないまま過ごしてきました。

(とはいえ恋人がいないことと私の考えに相関が無いかもしれませんが。)

一回目は、私の3歳くらいからの付き合いの友人(A)と中学生になってから、一番仲良くなった異性の友達(C)です(これが10年前)。

この時、AがCのことを好きであることは聞いてましたし、Cに確認してAに気があることを知れたため、二人の関係の一番の理解者みたいな顔をして二人の仲立ちをしました。

中学生時代の話ですし、「好き」という感情を隠すのは思春期らしいとも思うので、この時はこの時だったなぁと思えています

時を経て今年の話の前までに、私は自分評価(価値)というものが下層であることを自覚できるようになっていました。

顔もよくないし、性格もよくないし、何か明確な目標があるわけでもない。

慰めや周りの評価は知らないけれど、とりあえず自己肯定はできるような人間ではないのです。

さて、先週のこと、2回目です。

私はCのことが変わらず好きなので、Cを呼べるタイミングがあれば毎回連絡していました。

その中で私の中学生の時からの友人BがCのことを気になり始めたとの話です。

Cは選んで恋人を作るという側面もあり、4年間恋人がいなかったそうなのですが、C曰く「Bのことが気になる」、と。

それを聞いた私はCにBの気持ちなどを全てばらして、その上で来週、来月と3人で会う予定を作りました

お互いよく思っているわけですし付き合うことでしょう。

で、ここからが本論になるのかな。

まぁぶっちゃけ付き合えるなら私がCと付き合いたいよね。

そういう素振りを見せたこともないし、好きだといったこともないけどさ、10年間好きなもんで。

それでも、ね、いいんですよ、Cが幸せになるのであれば。

私も24大人にはなっているので「好き」という感情を伝えることは素晴らしいことだと思えるし、相手は伝えても恥ずかしいような人間ではないんですよね。

それでも伝えないのって、結局その先付き合ってもらえないんだろうなぁってことがなんとなく分かってるのと

私じゃあCを幸せにしてあげられないよなぁ、ってのがあるんですよね。

結局自分がどんな程度の人間かなんて分かってるし、

24年間恋人がいないような人間ですから客観的評価自明ですね。

自分のせいだけど、私好きな人とは一生結ばれないんだなぁって。

で、多分一生恋人できないんだなぁって。

それに私は需要がないことも分かってるんです。

需要を見つけるためには数を打たなければならないってのは分かっていますし、その上で私は同年代普通人間より多く人間と接してきたつもりです。

私に興味を持つ人間がどれほどいたかってことをいうと、本当に全然いなかったんですよね。

私って誰から大事にされないで人生終わると思うとすごく悲しいかな。

でもねそれだけ悲しい人間の私が言えることは。

私のやってることって素敵でも何でもないし、それに対して自己陶酔してるわけでもない。全然美談じゃない。理解してます

それでもCに幸せになってほしいし、私はこれからもCの味方をするし、私の友人で好きな人ができたらまた仲立ちする。

自分のことより好きな人幸せを考えて生きていくってことかな、自分のこと好きじゃないし。

C、四年ぶりのあなたの春が楽しい時間であることを祈っています



結論としては?うーん?来世に期待かな?あとはCが幸せになればいいと思う。


早起きしちゃったかストロングゼロ3本飲んじゃって酔っぱらっちゃったかストロングゼロ飲みながら書いたよ。

自己評価は上にかいた通りなので酷評とかドンとこいって感じというか、遠慮しないでかいてほしいよね、自分客観的評価認識しないと改善すらできないから。

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