はてなキーワード: 自己暗示とは
仕事が楽しくてやっているのならまだいいが、そうではなく仕事にも不満しかないような状態らしい。
一時期はこちらも自分を大事にしろ、仕事の手を抜いてでも休息しろと小姑のように言っていたけど、それで事態は改善しなかったし、効果がないのに説教してもお互い嫌な気分になるだけだからやめた。
転職を考えてはと勧めたこともあるが、友人はすでに何度か転職していて、これでも今までの中では残業代や福利厚生の面でそこそこ条件が良いところらしい(そのかわり仕事のやりがいは低め)。
年齢的にも転職回数的にも、次が決まるかどうか分からないのでおいそれと辞められないし、こちらもそれを強く進めることはできない。
いい仕事の口でも紹介してあげられれば良いのだが、自分と友人は仕事の畑が違い過ぎてそれもできない。
あと自分に理論上可能なことと言えば、ルームシェアして相手を養うことくらいだが、そこまでする気はないし相手もそんなの嫌だろう。
要は、こちらに出来ることは何もないのだ。相手の近況を聞くたびに、「大変だね」「もっと良くなるといいね」という空しい定型句を繰り返すばかり。
それでも無いよりはマシだと自分に言い聞かせて続けてきたけれど、そろそろそんな自己暗示も信じられなくなってきた。
友人のことは好きだが、この憂鬱な状態が辛くて最近はあまり会話が楽しめなくて、もういっそ交流を絶ってしまいたい衝動に駆られる。
自分の気持ち優先の勝手な願望で、相手には何の落ち度もないことだから、申し訳なくてまだ実行できずにいるが、この調子だと時間の問題かもしれない。
月収16万円 40代アルバイトが餓死 生活保護申請通らず 市役所「知らん。俺は悪くない」 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲板
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肉屋を煽てる豚は
自らが豚ではないと、いや豚になることはないと
例えば
ガンになったら?
車に轢かれて障害者になったら?
通り魔に襲われて半身不随になったら?
サリンガスによってまともに話せなくなったら?
火事で全てを失ったら?
生活保護を叩くことで得られるのはなんだ?
増田に告ぐ
明日もしも失職し全財産を奪われ家族が全員大病を患い自身が障害者になったら?
明後日を生きることはできるか?
自己責任の名の元に国民はだれもお前を助けなくていいとされている
それが、日本だ
家族のため犯罪に手を染めることすらいとわない人間らしい人間に
人生をうばわれるかもしれない
セーフティネットは誰が為にあるのか
情けは人の為ならず巡り巡って人のため
何やら物騒なエントリですまないが、わら人形と五寸釘は使わない。とにかく呪いの話をしよう。
私は今、親友を呪っている。
書くだけでも恐ろしい響きを放っているが、まず私は、私の家系は、ひいばあちゃんから4世代ほど続いている某宗教の信者でいて、4世ともなると私の信仰心は全く無く、それどころかオウムだのイスラム国だののイメージのせいで宗教団体=テロも辞さない超ヤバイ奴らの集まりという認識でいて、母らが熱心に信仰するそれもとてつもなくヤバい何かを内包する凄く不気味で気持ち悪いものとして幼い頃から拒否反応を示しているのだが、そもそも宗教っていうのは心の中の悩んだり嫌な思いを考え方や行いで少しでも軽減するものであって、祈ったり念じたりする事が非常に強い力を持っていて、それで救われたり救われなかったりするんだっていう概念は、宗教キライだけどなんとなく分かって生きてきたつもり。
ま、宗教の話をしたいわけではなくて(私は嫌いだし)呪文を唱えたり、黒魔術の紋様を描いたりするのは全て雰囲気作りでしかなく、強く念じる事がキーだということ。引き寄せの法則とか自己暗示とかもそうで、要するに自分の気持ちが本心からどこに向いているか。呪いも恋のおまじないも紙一重だ。おまじないって変換するとお呪いだし。
Aには息子が大病するように。
Bには持病が悪化し一生不幸でいるように。
どちらが叶ったでしようか。
最初はBが健康診断で引っかかったと騒いでいるから精密検査すすめたら癌だったんだって。めっちゃビックリした。そして恐ろしくなった。
Aも本当に息子が入院してざまあと思ったんだけど、Aも欠勤するので私の仕事も倍になってしまった。
呪いって自分に返ってくるっていうでしょ?スッゴイ怖い。Aは仕事量で済んだかもしれないけどBの分が。。とりあえず恐ろしいから禊をする予定(チキン)
ここで「私、呪い、かけれる!」と思った私は友人にも呪いをかけることにした。
友人には何をされたっていうといろいろ嫌な思いしてるんだけども、とても大事な友人だから死なれちゃ困る。路頭に迷ってボロボロになっても困る。呪いをかけるとしても力加減には注意したい。可愛さ余って憎さ百倍というか…嫉妬だとか愛憎とか一言で表せない複雑な感情の矛先を呪いということで一旦消化したい。と、身勝手に思った。
彼女には一回不幸を味わってほしい。
呪いの内容は書かないでおくが、怖いかな。呪い殺すわけじゃないから地獄には落ちないよね。地獄、信じてないですけど。
呪いをかけつつもきっと私は笑顔で接するでしょう。同僚にしたように。
人間って怖いなあ。腹ん中で親友すら呪ってるんだもんな。ここで私が誰かを恨んでるということは、私もまた誰かから恨みを買い呪われるくらい強く怨まれてるってことだ。くわばらくわばら。
ちなみに親友への呪いが完了したら穢れを落とすつもりで冷水でもかぶる気ではいるんだけど、今度は陽な気持ちで幸せになーれという念でもおくりたいですね。バランスとって。禊のつもりで。
手順は全て書き出してから作業にあたっているというのに、予期していなかった事態やミスが無くならない。
ミスの生じるところは「ここまでだったら大丈夫」というような境界が明確でなく、作業者の勘に依存するするところが大きい箇所であることが多い。そして自分にはその勘が備わっていないことはこれまで何度も思い知らされてきた。本当にただ「気をつける」くらいしか解決策が無いのが辛い。気をつける対象は明確に決まっているわけではない。そして失敗による工程の遅れを取り戻すために更に急いだ結果、これまでだったら問題なく進めていたところまで失敗するようになってしまった。
また、意図的かどうかに関わらず横槍が入ることもいつもの事のようになってしまっている。
昔からそういう体質なのか、所属する組織における面倒事の解決に当たらざるを得なくなることが多かった。その度に問題に対して真っ向から勝負を挑み、精神をすり減らしてきた。
それらを解決したからといって特別なスキルが身についたわけではない。日々の生活や立場を維持するために、多大な労力を支払ってきただけだ。他のことでもそうだが、そうすることでしか道は拓けないという脅迫観念が染み付いてしまっているのだ。やれるかやれないかではなく、やれたかやれなかったか。やれなかったらそこでおしまいという焦燥感が頭から離れない。それでもここまで何とかしてきた自分に自信を持つべきなのだろうが、次も何とかできるとは限らないという思いが心を支配している。
失敗や面倒事に巻き込まれる度に襲ってくる焦り、悲しみ、絶望感といった余計な感情を自己暗示と薬で何とか抑えこみ、心を鎮めて目の前の仕事に集中する。そんな毎日を繰り返している。いつも期限に追われており、仕事を追うということが出来ていない。
気がつけば日付が変わってから帰宅するのが当たり前になってしまった。
それでも、諦めたくない。諦められない。諦めたら今よりも更に辛く、苦しく、惨めな生活が待っているから。
諦めたくない。諦められない。
早く楽になりたい。
この憂鬱な気分を少しでも吐き出したいと考えてここに書き込んだ。
後になってからこれを見て「そういやこんな時期もあったなぁ」と思える日が来ることを祈る。
またやりませんでした。
その他
リハビリとして。 辛くはない。下腹部ではなく真ん中あたりの腹筋が痛かった。
結構な引きこもりで、ネガティブな考えになってたけど、何とかしなきゃいけないと思い、自己催眠の本を図書館で借りてみた。
本に書いてあるやり方じゃないけど「何も怖くない」と頭の中で言い続けていたらいくらかポジティブになれた。
俺は小学校中学年から高学年くらいまで、寝る前に布団の中でその日した悪いことを振り返り「ごめんなさいごめんなさい」と頭の中で言っていた。
小3の頃行ったYMCAのスキー合宿中に聞いた「この話を聞いてしまった人は夜中にお化けに殺されるかもしれない・・・」系の話にビビり、「腰を低くすれば狙われないだろう」と思ってやり続けたことだ。
今考えたらバカみたいな話だけど、当時は必死だったし、下手すりゃこれが自己暗示になってネガティブになったんじゃないかって、たまに思う。
帰りの新幹線で怖い話をしたあの引率の20代の男、絶対に許さない。呪う。
明日は行けたら市営ジムに行こうと思う。スクワットの正しいフォームを聞けたら聞こう。 その結果次第で30日スクワットの方はやめるかもしれない。
その前に家族会議だ。ちゃんとしよう。
今回の大阪都構想。
今後の若者の未来を左右することなのに、その若者が投票にすら行かないのは言語道断かもしれない。
でも、俺の周囲にいるやつらで、投票に行かない若者は一定数いた。
『自分の未来を左右するかもしれない』というのを分かっていたのに、だ。
理由は単純。バイトがあった、とか、遊びの予定が入った、とか、そもそも投票がめんどくさいとか様々だ。
多分、このことを本気で未来を憂い変化を望んだ人たちが聞いたらぶん殴りたくなるとも思う。
でも彼らの根底にあるのは、『今が良ければそれでいい』という安易な気持ちであり、
それは図らずも現状維持を望む老人たちと似ているようにも思える。
たたでさえ老人優遇の社会なんだから、現状がイヤで社会が変わってほしいと強く望む若者なら、行動に映してるはず。
でも、彼らにとっての『今』が崩される危機が訪れない限りは、彼らの多くは行動しないと思う。
逆に言えば、今回の選挙率の低さは、『若者はまだ大丈夫ですよ』って意思を表してるとも言えるかも。
選挙に行くことなんかより、よくわかんない未来より、今楽しいことに夢中なんですよ。ってことだ。
もちろんそれは薄気味悪い自己暗示のようにも見える。
だから、若者を変えるには、危機を感じさせるか、危機感をもった若者が先導を切るしかないと思う。
本気でヤバイって感じてネットで騒いでる人たちがネット内だけじゃなくて実際に行動に起こしてくれってことだ。
後回しって、後回しにしてするんじゃなくてしたくないんじゃない?
いざ必要ってときになったらするっていうのは後回しにしたものを回収するためにするんじゃなくて、そのタイミングが「行動が必要なタイミング」だからするんじゃない?
とどのつまり、後回し/後でするといっておいてその場は回避して「しない」、あとになって「必要なタイミングだからする」のであって「先のものを回収するためにする」のではなくない?
あとで回収する予定なのだったら、予定調和で計画的だよね。しなくていいときにしないだけで必要となったらする、オンデマンドの最たるかたちかもしんない。
私、言ってることはだいたいわかってるとおもうので、そういう意味でもないしそういう答えがほしいわけでもないんじゃないかなとわかってるけど、とりあえずね。
行動が必要と指示されたことはしたくないけど、しなくてはいけないと自覚したことはする、やらされるのは好きだけど「ヤレ」といわれて能動的に行動するのは好きじゃないって感じじゃない?
それは治らないと思うんだけど。人に言われてすぐ行動するのって好きじゃないって人いるじゃん、なにかしら無意味な行動をひとつはさんででも、すぐにはそれをしたくないって人。
そういう性格ってのも生物学的にもあるんじゃない?まあワンクッションおくことでなにかしら統制がとれることもあるのかもしんない。
その生物学的に自分の体がいうこと聞かないのを無理して他人の形とおなじようにみたまま真似たいというのは、性別にしろ体型にしろ才能にしろ運気にしろ、性格だってちょっと無理かもしんない。
じゃあその無理なものを科学の力で強制的に捻じ曲げて理想の形にするって手もありかもしんないけど、そこまで予算と人生かける価値をつぎ込むのはどうかってかんがえたら、逆にその性格を満足いく形におさめる文化的方法って手もあるんじゃない?
これから必要だとされることを提示されたとき、すぐにそれに取り掛からない、必要となったとき切羽詰ると手を付けるというのなら、いきなり切羽詰るといいんじゃない?
レポートを今週中といわれたら週末に取り掛かるとかなんでしょ?それを提出しなかったら今月末にはとか。今月のレポート落とすと単位落ちますよとか。
運が良くてか、その限界ぎりぎりで乗り切れているので危機の自覚次第でその場の乗り切ってるみたいな。
毎回いきなり明日でとかいうオーダーを出してくれという言い方にしてもらうとか、そのぎりぎり限界まで無自覚でいるという手もありかと思うけど、ほかの人たちとの平等感からもそういう特別扱いでいられることは少ないかもしんない。
となると自覚として期限を明日までと自己暗示かけて常にせっぱつまってことをなすというのがいいかとおもうんだけどそんな自己暗示かけれるくらいならすでにかかってやる気いっぱいで充実した毎日を過ごしてるよね。
そこで考え付くのが、締切の具体化なんだけど、具体的に明日が締切とつくったところで自覚しきれない、自分でつくったルールの締切なんて絵に描いた餅。それは締切って無機物が無生物なところにあるんじゃないかな。
じゃあ締切を有機物で生物的なものにするとどうだろう。口うるさい彼氏彼女が「それ締切明日までだからね。」と勝手な理由で「物理的な締切」と化したらどうかな。
理想的かもしんないけど、彼氏彼女をつくるというハードルの高さに加えて自分の欲求をさらに満たしてくれるナチュラルボーンな理想異性とか無理だよねきっと。
となると、そういうサービスを始めてみたらどうかな。後回し癖の人に「物理的な締切の具現」となるようなサービス。人派かWebかアプリかわかんないけどそういう交流をもつ介護サービスに近いものを。
ちゃんと宿題しないとアプリの彼氏彼女の好感度があがらないとか、期日までに要件をすませるとアイドルの好感度がアップするとか、人を派遣して工程表を作るとか、みたいなさ。
そういう評価制度を取り入れた会社なり学校なりをつくったらいいんじゃない?
まあ、それはいけてる、それためしてみよう、と思ってもらえたとしても、後回しになるんだと思うけど。
現実的には、オーダーに対して保留している間ワンコイン貯金箱に入れてくという習慣をためしてみるくらいかもしんないし、いいと思ってもらえても思ってもらえなくても、結局行動してもらえないんだから、どうでもいいんだけどね。
きっかけは『冷たい熱帯魚』という映画をこの女と一緒に見たことです。
その映画では子供がグレてるので「自分の子供があんなのになったら俺、無理だわ」って言ったことで子供の話になりました。
俺の最悪だった少年時代の記憶から、大きなトラブルを起こさずに子供時代を乗り切ることなんて奇跡みたいなものだという認識で話してます。
俺「子供の世界は常に戦いだから対応する自信ないわー」 女「え?なにと戦ってるの?」 俺「なにとって、攻撃してくる奴と」 女「攻撃してくる奴なんているの?」 俺「いるよ。俺の子供時代はどの時点でも常に敵がいたよ」 女「変なのー」 俺「変ってw おまえには敵がいなかったのかよ?」 女「いないよー。みんな仲良しだったよ」 俺「うそ?一度も?」 女「うん。たぶん私の妹も敵なんていなかったよ」
そんな馬鹿なと思いましたが、
や
男女差が影響してるのかも?
とか
でも少なくとも妹には、彼女には敵が居ただろう
などと、この時点では考えていました。
女「どうして敵になるの?」
どうしてだろう?
と考えて説明しようとしました。
俺「だって子供の世界は大人以上に階級社会じゃん。スクールカーストじゃん」 女「え〜、そんなことないよー」 俺「ないことないって。ラノベとかのテーマになってるぐらい共通認識じゃん?あるあるー、って感じの」 女「ほとんどないから小説になってるんでしょ?」 俺「いやいや、そもそも俺の子供時代はずっとスクールカーストを意識してたよ」 女「えー、それってあんたがおかしいんじゃないの?」 俺「そんな事ないって。誰が強いか、偉いか、みたいなことは誰だって認識してるでしょ」 女「そんなことないよー」 俺「女の子はそうなのか? いや、でも女だってブランド物とかスペックの良い彼氏が欲しいのはカーストを登りたいからでしょ?」 女「わたしはブランド物なんて欲しくないもん」
こんな感じで、まったく話がかみ合いません。
敵までいかなくても、殺伐とした空気になったことぐらいはあるだろうと思って、話を戻しました。
俺「じゃあ子供時代に友達同士で修羅場というか、何か悔しかったり嫌だったことは無いの?」 女「う〜ん」 俺「ない?」 女「あ!そう言えば友達と3人ぐらいで公園に行った時に池にボートがあって、初めてだったから乗りたいって言ったんだけど あんたが漕いだらひっくり返りそうだから嫌だって言われて乗れなかったのが嫌だった」 俺「あ〜、それは理不尽だねー」 女「理不尽?何が?」 俺「いや、だっておまえが漕いだらひっくり返るって決めつけられたら理不尽じゃん」 女「え〜、そうなのかなー。わたしドン臭いからひっくり返りそうだよ」 俺「え?じゃあ何が嫌だったの?」 女「だから、せっかくボートがあったのに乗れなかったから」
一生懸命思い出した嫌な思い出がこれとは!
しかし、そんな事があるだろうか?
この話だって、例えばこの子のカーストが低いせいで、せっかくボートで遊びたいって提案したのに、
この件以外にも常にそういう扱いだっただろうと想像できて、
読むだけで嫌な気分になる人もいるレベルじゃないだろうか?
この時点で「もしかしてこの女はカーストを認識できてない?」と思い至りました。
俺「会話の細かいニュアンスで、こいつはこいつより上とか下、みたいな事を感じることはない?」 女「え〜、そんなこと一度も考えたことないよ。なんでわざわざそんな事を考えるの?」 俺「いや、考えなくてもわかるじゃん。動物にはそういう能力がみんなあると思うよ」 女「そうかなー。よくわかんないや」
こいつ変だ!と思いました。
でも同時に、ひょっとして変なのは俺の方なのか?
とも思いました。
増田で聞いてみようと思った次第です。俺と彼女どっちが変でしょうか?どっちも変でしょうか?
この時点でふと、もしかして俺の少年時代が殺伐としてたのは、環境のせいじゃなくて俺のせいなのかも、
と考えるようになりました。ここからは俺の話です。
俺は傷害で少年院に入った事があります。いじめっこの首をナイフで刺しました。親兄弟には多大な迷惑をかけました。
でもそれは俺が悪いんじゃなくて、あの状況では仕方が無かったと思っていました。
俺は常にスクールカーストの最底辺に居ました。クラスで下から2〜3番目が俺の定位置でした。
頭も顔も悪くて、恐怖心が強く性格も弱い、運動もできない、というタイプです。
それなのに常にカースト上位の人間と同じ扱いを受けないと、ものすごい怒りを感じるタイプでした。
例えば小学校の掃除の時間に、奇麗なホウキを取り合いになる場面で常に上位の人間と競り合っていました。
恐怖を押し殺しながら。
でも絶対に従いません。カツアゲされても絶対にお金を渡しません。
でも学校を休むのは負け犬だと思い、そんな状態でも皆勤賞です。
ある時、給食の中にうんことおしっこを入れてみんなに食べさせたのがバレて地元に居られなくなり、
転校しても状況は変わりませんでした。
最初は頑張ったのですが、すぐにカーストの最底辺にポジショニングされ、また怒りと恐怖で気が狂う。
この頃から頻繁にカッターナイフや小型ワイフを携帯するようになりました。
でもいじめられても相手を刺す勇気が出ません。親にこれ以上迷惑をかけるのが嫌だったし、捕まるのも怖かったのです。
自殺するか相手を殺すか、そんな事をずっと考えるのが日常でした。もちろん学校は皆勤賞です。
ナイフを持ってない時にカツアゲされたら、相手の目をつぶせば良いと思っていました。
その場合も人差し指では失明させられないから親指を突っ込もうと考え、相手の頭を掴んで親指を目に突っ込む練習をしていました。
でも実行できません。
実行できない自分を情けなく思い、毎日「自分は気違いで人を殺したくてしょうがない」のだと自己暗示をかけていました。
ある日、高校に可愛い女の子が転校して来ました。俺の隣の席になり、いろいろ教えたりしている内に好きになっていました。
でも俺の顔は自律神経がおかしくなったのかニキビだらけで、元々不細工な顔が更に醜悪になっていました。
それに成績も最低で運動神経も鈍いし、ずっといじめられている人間です。
絶対に自分が好かれることは無いのだから関わってはいけないと、できるだけそっけなく対応していました。
でも授業中などについチラチラ見てしまうんです。
それをカースト最高位の不良に見つかりました。
そいつのグループとは絶対に関わってはいけないと思い、距離を取っていたせいか、
それまではほとんど交流が無かったのですが、これをきっかけにいじめられるようになりました。
その頃の俺は日課みたいに毎日4時間目の休み時間にトイレに行っていました。
1時間目からひどい下痢に襲われ、4時間目まで我慢するのですが、耐えきれずに油汗を流しながらフラフラとトイレに行くのです。
学校でうんこをしてはいけない、という鉄の掟をなぜか高校生にもなって継続していたので、
お昼ご飯を食べれば不思議と腹痛が治まるのもあって、なんとか耐えようとした結果、そういうルーチンになっていました。
そこを狙われました。
あまりの事に固まってしまい「え?え?」とか言ってる内にズボンのチャックに手をかけられました。
ちゃんと殺すつもりで頸動脈を狙ったのですが、断続的に出てくるうんこが気になって狙いが外れ、そいつは死にませんでした。
女子は泣き叫ぶし、そいつは血まみれで呻いているし、うんこで臭いし、
こんなカオスな現場もそう無いよなー、などと考えながら大に入り鍵をしめて続きをした冷静な自分がおかしかったです。
あそこまで行くと人間って開き直ってしまい、恐怖も何もなく、むしろ謎の達成感がありました。
「おい開けろ!!」とか怒鳴りながらドアに体当たりしてくる先生に
「開けてやるからジャージ持って来い」とか偉そうに命令してました。
もちろんそれまではそんなキャラじゃなかったです。
ちょっと本題からズレ過ぎたので、俺の黒歴史はこのへんにしときます。
俺の中では「俺だけがこうなんじゃなくて、みんなこういう苦しみをかかえながら、
なんとか生きている。この世こそが地獄なんだ」という認識でした。
たまたま俺は運が悪くて向こう側に行ってしまったけど、みんなギリギリのラインを生きているんだと思っていました。
でもそうじゃない可能性に思い至りました。
俺の問題は、
だと思います。
そのせいで無駄な反抗をしてしまい、本来はそこまで悪質じゃない人を煽っていたのです。
これを回避するのは簡単です。相手を煽らないようにすれば良いだけなんです。
それを可能にする為には、理不尽な扱いを表面上受け入れても、そこから逃げても、それは負けじゃないんだ、という事を理解すれば良かったのです。
戦略的撤退ということを学べば良いんです。
「自分はゴミだから何をされても良いんだ」などと自暴自棄になることさえ避けられれば、
人間は弱いものだから、悪い気持ちを抑えられないものなんです。
攻撃対象になったからと言って、自分だけが弱いわけでは無いし、ゴミだなんて事はあり得ないんです。
みんな弱いからしょうがないんだと理解して、頭を使って、なんとかその場からだけでも逃げられればそれで良いんです。
カッコ悪くても良いんです。そもそもいじめてる人の方がもっとカッコ悪いんです。
たとえ相手の方が力が強かったり、勉強ができたり、ルックスが良かったり、金持ちだったりしても劣等感は不要です。
なぜなら、恵まれているのに、いじめという低俗なことをしてしまうんですから。
だからいじめられてる人はダサくも無いしカッコ悪くもないんです。お互いに弱い部分がある、という、それだけの事なんです。
さて、成人してから迷惑をかけた彼女に謝罪しようと思い、色々調べたところ、その子は実家のある関東に戻っていました。
彼女にはショックだったようで、あれから高校に通えなくなっていました。
「その話は私じゃなくて妹にして。あの子はショックで高校に行けなくなったんだからちゃんと謝ってね」
と言いました。そこに彼女は居ませんでした。
俺はこの女を一生守ると誓います。
身バレが怖いので少し脚色したつもりですが、少しじゃなくなってしまったのは謝ります。
たくさんブックマークがついてて驚きました。コメントありがとうございます。コメントを読んで書き漏らしがあった事に気がついたので修正しました。
そのせいで長い文章が更に長くなってしまいました。すみません。
それと、俺は変に反抗的だったので、一番ひどい扱いを受けていましたが、俺以外では最底辺よりも、中間層から上ぐらいの人間の方が、ひどいいじめを受けていたように思います。ひどいと言っても、みんなの前でオナニーとかでは無くて、殴られたりとか集団で無視されたり、レベルですが。
てこれ何かとても違和感を感じる。
本気で
実現する気あるの?とやや怒り気味のブログだったが、
外から見てもやる気ねえだろ。とふと思った。
今からなるのか既になっているのかていうところだと
Facebookか。
本気でそんなこと実現したいやつがいるとは思えない。
それはそこのトップだとしてもだ。
何かどうしても、後ろめたいことをしているように思えてしょうがないんだよな。
いや、違って欲しいとは思っている。
何か、就活生は、自己暗示というか、何か、自分騙して受かってそうな会社だな。
でも、それも社会なんだな。
それも現実なんだな。と感じる。
大きな声でこんな事書けないしな。
でも本当にそういうの得意で才能あるなら役者でも目指せばいいのに。
と思ってしまう。
だけど、嘘ついて、嘘ついて、いったい何になるんだろうな?
金になりそうだな。
嘘でも、金になればいいよね。
本当。
企業が掲げる理念とかビジョンとかミッションとか、俺本当は必要なのか?
とたまに疑問におもうところがある。
全員一致とかありえなくないか?
そういうのなかったりするんだよ。
どうしてなんだろうな?
ビジョンは一人一人にあって良いとおもうんだよ。
ミッションも一人一人にあっていいと思うんだよ。
でも、会社に合わせないと受からないんじゃねえか。て思うんだよ。
真の自己実現をしたかったら、自分には正直じゃないと無理なように思うんだよ。
て思うんだよ。
これ俺の勘違いで在って欲しいよ。
経営者は孤独、てよく言うが、その道を選んだのは自分自身だろ?
ておもう事がある。何か後悔しているのかね?ておもうじゃん?
結局長続きしないのかもしれない。
やりたいことがわからない。ていう人たーくさんいる。
本当にわからないのか?と疑問に思う。
本当にしたいことがないのか?
嘘ばっかりで、軸の定まらないこと言われると
迷うんだよ。
惑わされるんだよ。
それが迷惑だよ。
心理カウンセラー・コーチ・セラピストの類の職の人が増えているように思う。
成長分野になって欲しくないようにも思うんだが。
それだけ需要があるんだろう。
依存しないように気をつけて
相談してみるといいかもしれない。
方向性がある程度ある人が多いんだろうな。
何か根性腐っているような人には成りたくないもんだ。
ライブではお馴染みの赤えんぴつというバンドのコント?があるのだけれど、
この「笑顔でさらば」という言葉、なんだか凄い力があるなあ、と感じている。
なんていうか、ピンチというか、辛くて逃げたくなるときに凄く力が沸いてくる。
今まで自分の中で、逃げたいときや負けそうだなあ、と思ったときに、
ついついオーバードーズをしたり、自傷行為をしていたのだけれど、
こういう「強い言葉」を思い出すと、そういう痛々しい行為をしなくても、元気が沸いてくるようになった。
まだ、完全にオーバードーズや自傷行為とお別れできたわけじゃないけど、少しずつ辞められるようになってきた。
それは、ただ単に時間が解決してくれただけかもしれないけれど、
無職で暇で何もすることがないから見ていたDVDやゲームが力になっているのかも知れないなあ、とも感じた。
と思って、色々今までの人生で感じた『強い言葉』をiPhoneのメモ帳にリストアップした。
・「ピンチのときほど、ふてぶてしく笑うものよ。」(逆転シリーズを通して色々な人が言う台詞)
・「エル・プサイ・コングルゥよ。特に意味はないけど、唱えたらなんとなく落ち着く。そう自己暗示をかけてみて。」(ロボティクスノーツの牧瀬紅莉栖の書き込み)
こういう、自分の中の強い言葉を集めていけば、いつか自分自身も強くなれるんじゃないかなあ。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/41760706.html
少子化の話だったけど、要は、「みんな自分のことが好き」だから、色々難癖つけて子供産まないみたいな。
私は、少子化がどうの、女性が働きやすい云々はどうでもよい。「自分大好き」な潮流?が、超同意。そして我が事のように感じた。
私も自分が大好きな、ナルシスト。新しい服を試着しては鏡を凝視し、眼鏡を試着しては鏡を凝視する。
ビルの鏡に自分が映ればつい目を向ける。「よし、いけてる」「なんか変だ」。自分自分。
恋愛においても、まず自分。自分がその関係の中でいかに主導的であるか。かっこよく振舞えているか。相手は好きだが、私自身より好きではない。読書もそう。なんだかんだ理由をつけながら、結局最後に出てくるのは、「出来る自分」「知的でかっこいい自分」を実現させたいがため。
うつで苦しんだ。「自分なんか最悪だ。消えたい」と思った。自殺未遂した。原因は様々な要因がある。しかし今考えると、うつを「こじらせていた」のは、自分自身が良しとする状態・理想の自分と現在の自分の彼岸の差を見て絶望し続けたことだと思う。自分が好きだ。だけど、「自分が好きな自分」じゃない。理想をなんとか打ち消すか、妥協するか、埋めるか。私は「理想を消そう」という方針でいながらも、理想のかっこいい自分を捨てきれない。少し良くなってからは、理想との距離を埋めれるところから少しづつ埋めている。同時に、目標である理想も、所々で得た自分に都合の良い知識で修正(自己暗示)している。
全ては自分に至るのだ。
こういう書き方をすると、まるで「そんなナルシストな自分ってなんだ…orz」みたいに見えるかもしれないけれど(若干あるけど)、否定的には思ってない。ものすごく素敵な言い方をすれば「自己実現」の亜種か一種なんだろうし、その模索の途上ともいえなくもない。
言い方次第。
長谷川氏の言っていることが広く日本人に当てはまるかどうかはわからない。レッテルだ。だけど私は自らはナルシストだと思う。そして、レッテルだと言う前提で、日本人男女は自分大好き多いと思う。なんか違う。「自分が一番大切」か。いいことだ。素直に受け入れていい。というか、今さら、子供大好き、とか、なれない。パートナーが第一とか、なれない。素敵だけど、そんなに簡単に変われない。
可愛い子がいる。いっぱい。
でも頭が悪い。
気が利かなければ金もない、
文句を言いながら喧嘩しながら一緒にいる。
それによって、なんかしら甘い蜜があるんだろうけど
金持ちの変なおじさんは、可愛くてバカな子が大好きなんだけど、
なのか?
どうも、あの女たちは、本当に彼のなにかが好きなんじゃなくて、
これこれこー言う風に、自分に都合がいいから、だよね、だよね?うん、そうだよ
と、自分自身を無理やり納得させながら一緒にいるようにしか見えない。
金があるないとかに価値があるって話じゃない
つまり相手が好きってことでなく、自分に良いポイントを考えてる時点で妥協だ
それは相手の男も一緒なのかもしれないけど。
だから乗り換えれば、ケロっとしてる。
その割にしっかり新しい彼の良いところを箇条書きみたいに話す
すごく不気味な様子だ
べつに人を一生懸命好きじゃないのがきもいよって言ってるんじゃない
一緒にいる理由もたくさんあるだろう
でもなんとゆーか、、
な、んか、、
買ってきたものをすぐ捨てるみたいな不気味さがある、、