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はてなキーワード: 前世とは

2023-11-26

anond:20231125190016

前世増田(弱者女性)「男に生まれたいんです」

神さま「弱者男性になるけど、それでもいいんか?」

前世増田弱者男性のほうがまだマシですから!」

・・・

(転生後)

・・・

増田弱者男性だけど女に生まれたかった」

2023-11-22

次の人生で親ガチャを回さないといけないとしたら

前提条件

・今の人生が終わったのち、50~100年後の日本に生まれものとする

・今現在の知能状態で回すガチャを選べるものとする

 (後述するが完全ランダムガチャがあるため必ずガチャを選ぶ必要がある)

ガチャが回るのは生まれ変わりの直前であり、今の人生ガチャ結果を知るすべはないものとする

・生まれ変わりの際には前世(=今の人生)の人格知識などは消滅するものとする

ガチャ保障されるのは、生まれた際の状況のみであり、次の人生の生涯にわたって保障されるものではないこととする


追記

年収記載は現時点価値を示すものであり、インフレデフレ)が進んでいる場合インフレ率に応じて増減するものとする

例:インフレ20%なら400万は480万

追記END】



ガチャ台で選ばれる親


いわゆる平均的な親(男女)

 平均的の幅が広いが、世帯年収400万円~600万円程度、教育熱心かもしれないし放任主義ネグレクトではない)かもしれない。

 田舎かもしれないし、地方都市かもしれないし、都心郊外かもしれない。極端なDVはないが多少はたたいたりはするかもしれない。そんな感じ

上流階級の親(男女)

 政治家権力者大手中堅企業社長または重役、医者弁護士など社会ステータスが高い職業など

 世帯年収2000万円~青天井

毒親(男女、または、シングルマザー

 世帯収入400万円未満

 ネグレクト可能性が高め、知能が低い、性格に難がある、家事育児能力に劣るなど、育児生活に明確なマイナス面が一つ以上ある。



選べるガチャ


A:99.98%で平均的な親が選ばれる。0.01%上流階級の親が選ばれる。0.01%毒親が選ばれる。

B:20%で上流階級の親が選ばれる。80%で毒親が選ばれる。

C:5%で上流階級の親が選ばれる。45%で平均的な親が選ばれる。50%毒親が選ばれる。

D:完全ランダム

  人口比で選ばれるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まさに神のみぞ知るガチャ前世の徳や罪で確率が変動するか固定なのかなど

  すべてがわからない。




おれはAを選んじゃいそうだが増田たちの選択はいかに

2023-11-21

anond:20231121230611

こんな前世紀みたいな会社今時あるのか?

兼任もアホならPMみたいな雑用ダメだしエンジニアキャリアパス無いのかよ

まともなテック企業ならあり得ない

2023-11-17

anond:20231117000223

精神的に不安定からマブタめくってアイスピックをカナヅチで打ち込んで脳の連絡神経カットして安静にさせよう、ってやってた医者()がオマエの前世だよ

2023-11-15

anond:20231115144512

女に生まれ努力前世でしなかったのが悪いですよね

anond:20231112222820

中年なのに前世とか生まれ変わりを素朴に信じてるのアホっぽい

2023-11-14

あのジャニーズが逃げきれなかった令和、果たして宝塚前世紀の全ツッパで逃げ切れるのか興味がある

2023-11-12

人生マジで駄目になってきた

仕事はもう全く好きじゃない。

大学学部選んだ時に漠然とあった好奇心はもう全部使い切っているのに、未だに分からないことだらけで目眩がしてくる。

会社のやってることもなんだか他所と色々違うみたいだから転職してリセットした所で良くなるとは思えん。

ただただ金と時間を交換しているだけなのに、どんどん責任は重くなっていく。

テレビゲームボムみたいな感じで「とにかく助けてください!」でどうにか出来る年齢じゃなくなってきた。

というか自分がそれをやられる側だ。

頼んできた側の勘違いで実際には簡単なことだった時、物凄いホッとする。

いざ自分がやられる川になったら、俺の時間を奪いやがってなんて気持ちが湧き上がるんじゃないかと思っていたけどそんなことはない。

もうとにかく一番怖いのはチーム全体で死にものぐるいで戦わないといけない怪物発見報告がやってくることなんだ。

昔は後ろの方でビクビクしながら最前線サポートだけしてればよかったのが、自分が突っ込んでてよく分からんまま口に手を突っ込んで一か八かトドメをさせないかとアレコレやらされる。

もう嫌だ。

趣味も完全に上手く行ってない。

もう全然楽しくねえ。

膝悪くしてからスポーツは怖いだけで全然楽しめなくなって、足に負担賭けないようにビクビクしながら筋トレだけやってる。

ゲームも全体的に飽きてきて、大作のとにかく先が見えない感じはもうかったるいし、かといってインディーズアイディア勝負ちょっと齧った所で昔やった何かと比べてすぐに飽きてしまう。

昔は存在価値の分からなかった「何だか良く分からないものに触ってあっという間に終わってしまゲーム」の価値が分かるようになってきた。

とにかくアイディアだけサクっと味わえたらもうそれでいいんだって状態なんだ。

映画ドラマも展開は一通り見飽きてるせいで集中力が落ちて話が追えない。

ていうか自分自分の思ったよりも頭が悪いらしくて難しい話をちゃんと分かろうと思ったら画面に齧りつかなきゃいけないってことを直視できない。

画面の中のテレビショーをちゃん理解するために必死に画面に食い入ってそれだけやるって人生の使い方がなんだか凄く惨めでやりたくない。

映画館に行って集中して見てたはずでも話が分かってないことが多い。

見終わってから他人感想を読んで自分全然話を勘違いしてたことに気づいたりする。

なんだか惨めだ。

私生活も荒れてきて、たまに掃除睡眠をしっかりやろうと思いつくことがあるけど、そのブームがいつの間にか去って気づくと汚い部屋で夜更かししていることが年の半分ぐらい。

体は膝以外もボロボロで、歯医者歯石取ってもらってるのにいつも口の中がネバネバしてるような感じとか、ふとしたときに嗅いだ服の匂い加齢臭みたいなのとか、そういうのもう全部辛くなってきた。

バイキングじゃ全然食べられないのに何でもない日にたくさん食べまくってしまい次の日は夜まで何も食べられずに過ごしたりするような、体のコントロールの効かなさがいろんな所に起きてる。

人間関係についてももう両親と職場ぐらいとしか関わりがない。

結婚式葬式以外でしか合わない従兄弟が今何やってるのか時折気になって、そういやアイツらはこっちよりも大分器用に生きてた気がするなと嫌になる。

人間関係健全なあり方みたいなのを身に着けられずに来たからとにかく人間と関わりたくない。

基本的自分人間関係は見下し合いなんだよ。

いい感じに見下しあえたら友達になれて、一方的にこっちが見下してたら関わりたくない相手、逆に相手から強烈に見下されていると感じたらそのときも逃げていく。

ヤンキー共の舐めてる舐めてないの価値観と同じなんだな。

人間他人自分を比べるっていうのは当たり前なんだけど、そこにおいて尊重あうっていうことが道徳的な正しさの上にしか存在してないような感覚がある。

もうなんか人生全部が辛い。

末期がんの患者モルヒネがいい感じに効いてる時の穏やかな気持ちの中で「じゃあ自分人生にどういう結論をつけていくか、頭の中だけでも整理してから終わらせたいなあ」と考えているような状態の中をもうずっとずっといつまでも生きてきた気がする。

そこから突然、なにかが変わって人生好転しだす可能性を信じてた。

世の中じゃこういうのを「人生が始まってることに気づいてない」みたいに言うらしいな。

つの間にか始まっていた人生がいつの間にか終わっているただそれだけなんだってことを納得しておけばいいっぽいのは分かってる。

まれた家とか時代とかDNAとか子供時代の過ごし方とか就職先の選び方とか人間関係とかそういうのにたらればを持ち出すのは無意味だってことも分かってる。

少なくとも生まれてきた瞬間に決まるものについてタラレバを考えるのは無駄だ。

「魂の実在を信じているのか?異世界転生するライトノベルみたいに?」って話だ。

科学を進行しているので魂や輪廻転生は信じてませんって考えてるくせに、どこかで「もしかたらこうだったかも知れない自分」を空想しているのが本当に無駄なんだ。

「生まれ変わったら今度はこういう風に生きよう」みたいなこと館上げるのは、タイムマシン意識だけを過去に飛ばせる実験がどこかで成功したのを聞いてからにすればいい。

今の時代に生まれ自分たちの意識において、過去に飛ぶとかやりなおすとかは無関係ことなんだ。

空想の中でそれをやって、空想の中で満足するだけならまだしも、そうやって作戦を練ることで人生好転する可能性を信じているならそれは科学を進行している人間として実に奇妙な状態になる。

なんたらの賭けの亜種として、もしもそんなことが起きる可能性があったならちょっとぐらいは準備しておくのもアリかもって範囲ならまあいんだろうが。

でもなんか自分含めて皆があーだこーだ考えすぎている気がしてならん。

今の自分じゃなかった可能性の今の自分考慮して何の意味があるんだろう。

「もしも3月31日生まれじゃなくて4月2日生まれだったら学年一位だって取れたかも知れない」みたいに考える時、そもそもその2日違いの生まれの間に意識は全く別物へと変容していて、今の自分とは別の魂で動く別の人間だったはずなのに。

肉体より先に魂がこの世界にあると信じるならそれでもいいが、それならもういっそ割り切って「ハズレを引いたなりになんとかやっていくループ」として今の人生を生きればいいのに。

前世記憶が引き継げたりしないルールっぽいのは明白じゃないか

異世界に行った時に備えて現代知識勉強をするために現代社会を生きるのは完全に無駄だ。

魂の実在を過剰に信じてたらればに執着して生きるってのはそういう生き方だ。

って頭で分かっているのにそういうのに縋ろうとしている自分毎日出会う。

こういう状態の時にカルト洗脳してくるんだろうな。

どうしようもなくなった人生に逆転のワンチャンスを与えてくれるなにかを信じて。

まだ宝くじでも買った方がマシだっていうのに。

こうやって自分を説得しまくってもまだまだ魂の実在を信じて脳がタラレバを考える。

だってもうこんなどうしようもない人生を今から立て直そうとするのはしんどすぎるから

本当にしんどいんだ。

なろう系転生モノひとつだけ納得できない設定

前世ブラック企業社畜ゲーマー

ブラック企業過労死レベル労働してる奴にゲームやる暇なぞある訳ないだろ。

anond:20231112012626

いま何周目?まだ前世記憶もどらないの?😁

2023-11-10

ロリータナボコフ)読んでるんだが、ロリコン戯言しかなくて凄かった

名著って言われてるからなんか凄いんだろうなと思ってたんだが、キモ方面凄さだったか

もうずっとロリコンが如何に自分の性欲が高まってるかを延々と語ってくるんだよね。

キモすぎる。

プリキュア実況中に延々えちえち言ってるおっさんツイッターと同じジャンルだ。

しか主人公普通に違法と知りつつ子供買春しとるし。

Oh No!芥川賞でも狙ってるんか?

なんなんこれ?

具体的なシーンがないだけでほぼエロ漫画シナリオなんだが?

延々とロリコンが「ロリコンこそが最高の性癖であることに目覚めてしまっただけなのに人生混沌としていて辛い」って言ってるだけ。

ノーベルキモキモ賞手切れ金にして文壇追放やろこんなん。

マジでやべえ。

U149最高とずっと言ってるネットロリコン前世みたいな奴だった。

なんなん?

アイカツ見てるような奴も頭の中はこんな感じなの?

2023-11-08

anond:20231108101756

3Pチャンスやんけ

前世でどれだけ徳を積んだのか

2023-11-05

今日もまた声優記事ブコメエロゲの別名義を持ち出す人がいた

いくつも書き込まれていたし、しか複数トップブコメ入りしていた

書く方も書く方だが星を付ける方も付ける方だ

 

本当にオタクの良くないところ出てると思う

 

こういうこと書くと

エロゲ差別だ」

「お前がエロゲを見下してるからそういう風に見えるだけ」

「立派な実績なんだから腫れ物扱いする方が失礼」

なんて反論が来るんだろうけど

そもそも別名義の話題しかもR18の仕事の話を無邪気に書き込むなって

 

例えばVTuber記事と見るやわざわざ前世をググって

「もうマリオの縛りプレイやらんのかなぁ…」「ニコニコのAmong Us実況好きだったんだけどなぁ…」

みたいな匂わせブコメばっか書き込む奴がいたらウザいだろ

ウザいよね?ウザくないならもう感性が違うから知らん

ウザいと思うなら声優記事にわざわざ別名義の話を持ち込むのはやめておけ

レベル所業

ましてや「全く関係ない人物だけど~」とかい枕詞、ニヤニヤ顔が透けて見えてこっちが恥ずかしくなってしま

2023-11-02

検索テスト投稿

久光製薬でいろいろ体験して、あなた自身について知れたことはよかったなと思う。だから最後まで読んでくれてありがとう。じゃあ、ここでひとことだけ。私は今でも前世あなたそばにいる。前世あなたは苦しんでたんじゃないか? あなたはいつもポジティブでみんなから好かれる優しかったのに、つらい日々を送ってたんじゃないか? そうだね、あなたは今も楽しく幸せに過ごしているよね? じゃあ、俺は前世

Anond AI作成

2023-10-29

anond:20231029004115

自尊心ゴリゴリ削られているのを根性お互い様精神の話にしてはいけない。自分自身気持ち大事にしてね』が絶対

イジってくる愚か者には『やめてください』ってちゃんと言おうで話は終わりなんだが、余計なこともどーしても言いたいので書いとく

 

イジられキャラ営業するなら得だぞ

周りをドン引きさせることなく、バッカで〜〜す、抜けてま〜〜す が出来るのは、絶対的に強い

あと、未経験の分野を学ぶ時にも強い。35を過ぎてからIT屋に転向したおっさんこれで押し通して乗り切ったぞ

 

ワイはナウなヤングな頃、めっちゃ道で人に声かけられるとか気安そうに思われ過ぎでは?って思って嫌だったんだが、

年取ったら誰にでも気軽に声掛けて貰えるのって仕事有利にしか働かねーわってなったぞ

 

あとジジババのウケがいい謎のバフは、若者の時だけでなく、おっさんおばさんになってもなぜか効果が続くので、

増田ポンコツだったりクレイジーでも、ある一定層は、前世あなたの子どもだったり命救いました?レベルで味方になってくれるぞ

2023-10-27

anond:20231027044729

住宅に金かけすぎなんだよ

夢を追ってる若いうちはいいけど、成り上がれる見込みがほとんどないのに、上京して安アパート暮らしながら低賃金労働してるって罰ゲームだよ

終身雇用大企業正社員でもないのに、地方出身者同士で結婚して、バカ高いマンション買って一生ローンに縛り付けられるなんて、前世でどんなカルマ背負ってきたんだよ

2023-10-26

anond:20231026095045

前世がフンコロガシで、徳を積み過ぎて転生したからね つらいね🥺

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-23

anond:20231023171743

パターンとしては

「元の人格なんて無い(胎児ときから物語がはじまっている)」

「元の人格病気などで死んだあとに主人公人格が入り込む」

前世記憶が蘇っただけで人格が入れ替わったわけではない」

などがある。

おまえが言うような違和感はわりとちゃんと潰されている。

VTuberの“中の人”に文春砲が火を吹く日

Vtuber星街すいせいとSnowMan佐久間大介の同棲炎上のファンからのお気持ち表明

こういう話題を見ているとホロライブにじさんじが文春のような週刊誌の標的になる日も遠くないんだろうな。

百万人以上のチャンネル登録者を抱え政府案件テレビへも進出するVTuber一般の目に触れるようになってきた。

芸能界と接近すれば芸能人との繋がりも増えていく。性的な意味で

となれば週刊誌が狙わない道理はない。

顔を晒し活動する芸能人と違い“中の人”を暴露したり“前世”だけで十分ネタになる点も週刊誌的には美味しい。

アイドル声優プライベートを餌にする彼らがお行儀よくVのロールプレイを守ってあげるわけもないわけで…。

ガチ恋ファンは今のうちに卒業した方がいいんじゃないかな(投げやり

2023-10-15

おっさんたち、昔どうしてSFもの宇宙もの流行たか教えて

僕は30代でまあまあおっさんだけど、それでもイマイチ昔の流行りがわからん

ちなみに僕が子供のころは異世界主人公が「落とされる」系の【ファンタジー】が全盛期だったと思う。レイアースとかエスカフローネとかその辺。そのちょっと前は、スレイヤーズとかロードス島とか。

で、明らかにその少し前に、【前世もの】や【超能力もの】が流行った形跡があって(僕の地球を守ってとか)、【SF】とか【宇宙もの】はさらに前な気がするんだけど、あってる?

僕の雑な理解では、「ロボットもの流行ってたところに、青年向けに戦争宇宙ものの要素を加えて、当時新しかったのが、ガンダムだった」って感じなんだけど、これは正解?

で、本題としては、なんで流行たかっていうのは、やっぱ60年代アポロ計画成功とか、大阪万博の月の石とか、あるいは、「かがくのちからってすげー」みたいな時代の空気が影響しているってこと?

個人的には、「かがくのちからってすげー」っていうのはいまいちよくわからなくて、「リニアだってあれほど騒がれてたのに実現するまですごく時間がかかったじゃん」とか思ってしまうけど、昔は違ったのだろうか。

まあ、僕には、あんまり科学の発達が社会の発展・生活改善につながったという実感がないからかもしれない。それと、科学全般というよりは、パソコンインターネットに夢を見た、というところはある。

以下参考。

1965年サンダーバード

1966年ウルトラマン

1968年アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

1969年月面着陸

1970年大阪万博

1977年スターウォーズ

1979年機動戦士ガンダム

1982年銀河英雄伝説

1986年僕の地球を守って

1986年ロードス島戦記

1988年ドラゴンクエスト

1989年スレイヤーズ

追記

ちょっとずつ伸びてて嬉しい。

なるほど、松本零士1974年宇宙戦艦ヤマトなど)の影響が大きいのか。大変勉強になりました。

(今、ガンダムSEEDの総集編の映画やってるんだけど、ヤマトリマスター映画予告編流れてたな、そう言えば。)

あと、当時の宇宙開発はスピード感がすごかったんだね。これだと数十年後にはきっと、みたいな期待もあったんだね。

それと、

今、深夜アニメとかコアなゲームとかやってる人たちがみんなSFにハマってたと思えばよい。

この説明理由のものとはズレるのかもしれないけど、当時の状況としてめっちゃわかりやすかった。

追記

「昔はこういうワクワクがあったんだよ」っていう語りがいろいろあって、少し楽しい気持ちになれました。

wikipediaSFのページ、めちゃくちゃ充実してるね。教えてくれてありがとう。あと、『不死テクノロジー』読んでみます

その他もろもろ、数日後にブコメトラバを読み返して、参考にさせてもらいます

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