はてなキーワード: 公開処刑とは
しばらくへこんでたんだけど、ほんのちょっと落ち着いた。
どこかにはきだしたくてここにたどり着いた。
完全にチラ裏。ごめんね。
修士卒の人にはわかりきってることだけど、一応タイトルの補足。
修士では卒論発表と違って自分の論文を、指導教員のほかに二人見てもらう必要がある。
それを査読者の教授とか呼んでるだけど、発表でここからすごい質問が来る。
ある程度は覚悟してるし、つぶされて大炎上だろうなって思ってた。
でも思ってたけど、想像以上にひどかった。
「あなたの研究は意味のある研究じゃないですよね。新規性がないから」
新規性。
先行研究にも乏しい。
そしてみんなこういう質問はされてるんだと思ってる。
自分なりに考えたり、指導教官に相談して、出した答えを述べても
意味がないんだなって思った。
自分なりにこうだって思ってきた新規性は新規性じゃないらしい。
研究を耐えて耐えてつらい時もあったし体調も崩したりしたけど、
ここまでやってきて、最終的には「意味がない」って言われる。
わかるかな。
絶望だよ。
失意のどん底。
よく泣かなかった。
甘いって言われるんだろうなぁ。
ここ結構厳しいこと言ってくる人いるし。
でもさぁ、自分が時間かけて頑張ってやって成果出したと思ったら、「意味がない」で切り捨てられると、
本当絶望。
すごいね。
あの先生はさぞ意味ある、成果がきちんと述べられて新規性に富んでいる研究をされているんだろう!
修了できるかも怪しい。
あの教授が査読者にいる以上、論文を何度書き直しても受理してもらえなさそう。
つらい。
査読者変えてほしい。
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。
大学時代は研究室で朝から晩まで研究をしていた。そりゃ、大変だったさ毎日。アルバイトする時間もなくてお金もない、遊ぶ時間もない。それでも一つの目標に向かって自分で考えて実行する実験(仕事)は楽しかった。それに比べて今の仕事、銀行。くっそつまらん。
マニュアル通りの作業を求められる。営業成績にプラスになることでも自社マニュアル通りの手順を踏まなかったら夕礼で皆の前で公開処刑。住所一文字でも間違えたら訂正してもらって訂正印をもらう。高額の引き出しだと本人確認。くそみたいな投信の販売。なんだこれ、ペッパー君でもできるんじゃないかこの仕事。お局のばばあはうるさいし。学生時代の方がもっと難しい事をして楽しかったわ。
銀行員の中にはPC使えないアホがたくさんいて新卒の俺がexcelを教えたり、未だに通帳で財産管理してる奴もいて絶望した。日本でキャッシュレス化が進まないは銀行員のせいだと思う。通帳とかいらないだろ、ネットで管理しとけ。
ミリオンライブとかいう声優ゴリ押しコンテンツと化したアイマスのお荷物
とりあえずこういうタイトルにしとけばアイマス信者は釣られてくれるよね(笑)
アイドルマスターミリオンライブが誕生して5年、後継アプリである音ゲーもどきことミリシタが実装されて早一年、アイマスP(笑)の皆さま如何お過ごしでしょうか。
ミリ5th、詩花イベ、シアターブースト(笑)など、相変わらずやらかしを重ねてまともなファンは離れ、残るはアイマス信者とクソ害悪声豚ばかりとなり、同じアイマスの系譜であるデレやMのファンから名指しで批判されるまでになり、アニメ化なんて夢のまた夢、アイマスにおける不良債権としてかつてない盛り上がり(n回目)(笑)を見せるミリオンライブ。私もついこの間まで「田中琴葉担当です(キリッ」などと薄ら寒いセリフを吐き、スマホがクラッシュすればあっという間に吹き飛ぶ画像データに何十万と金をつぎ込んで「爆死芸」だの「これが担当の意地」だのというパチンカスもびっくりなクソ浪費を繰り返してきましたが、タイトルにもあるとおり私が5年もの歳月と年収数年分の金額をつぎ込んで愛してきた「田中琴葉」というキャラクターに対する運営や声豚どもの扱いを見て現実に引き戻され、すべてのアプリを消去、グッズの類も処分しました。ぺーらしい言葉を使えば「引退」ってやつです。
そして相変わらずやらかし事案を繰り返し、開き直りを続ける運営を前にようやく目が覚めたのか昨日まで「アイマス最高!ミリオンライブはこれから!」などとほざいてた友人たちも引退し、周年イベを過ぎてミリシタに飽きた声豚たちが次の餌場を求めて移動している今、ふと思ったわけです。
「ミリシタから入ったぺーはミリオンライブをアイドルをプロデュースするゲームと本気で勘違いしている人が大半なのではないか。」
それは可哀そうだ、何も知らないでこんなところにいたらあれよあれよという間に時間も金も吸い取られてしまう。
早くミリオンライブの真実を教えて上げてもっとまともなコンテンツに逃げたほうがいいと警鐘を鳴らさなければいけない。
というわけで今回はミリオンライブが如何に(色々な意味で)ひどいものであるかをミリシタから入った人間にもわかりやすい「田中琴葉の件」を通して伝えていきたいと思う。
まず、田中琴葉の件の概要を説明する前に声を大にして伝えておきたい。
ミリオンライブはとにもかくにも声優が命であり、声優の追っかけをしている声豚から金を搾り取るためにあると言っても過言ではない。
39プロジェクトだかなんだか知らんが、ミリオンライブに登場するアイドルはAS以外は全て声優を担ぐための神輿、いや、踏み台レベルかも知れない。
とにかく声優の都合で性格がブレブレ、キャラ崩壊など日常茶飯事、声優のためならなんとでもなる、最悪いなくてもいい存在としてしか見ていない。
あからさまな声優事務所の力関係が反映されたキャラクターの選抜、出番、セリフ、役回り、AS中心の物語を作るためのほぼ別人レベルのキャラ崩壊(可奈と志保は特に酷かった)
765の後輩という設定が完全に裏目に出ている。
そうでなくてもキャラクターの出番の格差や、キャラの作り込みの甘さ、ゲーム自体のつまらなさは同期のシンデレラガールズと比べても酷い物であり、声優ありきで作っているとしか思えない場面が多々あった。
ライブに足を運べば害悪、厄介、キチガイの声豚ばかり。誰もキャラクターに興味などなく、ペー独自の文化としてキャラグッズを身につけているが口を開けば出てくるのは声優の話ばかり。
ライブでもキャラ名ではなく声優名を呼んでクソコールやオタ芸で悦に浸る者がほとんどだ。
(アイマスPはどこにでも湧いてくる上に自分たちに都合の悪いことは隠蔽したり声高に叩く傾向にあるが「アイマス ライブ 厄介」で検索してみてほしい。某スクールアイドルのファンの方がよっぽどまともに見える行為がぼろぼろ出てくる)
そんな奴らが「田中琴葉」に何をしたか、これから話していこう。
きっかけは2016年9月1日、担当声優である種田梨沙が謎の病気により、活動休止を発表したことに始まる。
種田梨沙が参加していた他のコンテンツが次々に同氏の降板、代役の起用を発表する中、アイドルマスターは「種田梨沙の復帰を待つ。」という決断を下した。
当時私は愚かにも英断だと感じてしまった。琴葉の声を演じられるのは種田さんしかいない、いつかまた声が聞けることを信じてその日を静かに待とう、そう考えていた。
The@ter Activitiesの投票で決まっていた「普通の子」役を降板して可奈に譲ったことを皮切りに、運営は極力琴葉の話題を避けるようになった。
ラジオや各種広告ではもちろん、本家ゲームのイベントでも琴葉に対する言及が減ったどころか、カードにも登場する機会が減り始めた。
私はいささか疑問だった。声優さんの事情と琴葉は全く関係ないのに、声優さんがいなかろうが、声が変わろうがミリオンライブの世界観に全く関係ない。なぜそんな雰囲気になるのか。
漠然と疑問を持っていたが、それを口にすることはできなかった。
そして迎えた4thライブ、ミリオンスターズにおいて最大の目標であり、ひとつの終着点、武道館でのライブ、その3日目。
私は現地で参戦した。人生においてトップ3に入るレベルの胸糞悪い一日だった。
現地における名刺交換、私が名刺を差し出して「琴葉担当です」と名乗ると相手は必ず「あっ.....」と言って伏し目がちになった。
そして口々にこう言った。
「残念でしたね。」
「きっと琴葉も見てくれてますよ。」
「49人での武道館ですけど、楽しみましょう」
腸が煮えくり返るとはこのことを言うのだろう。危うく怒りで前が見えなくなりそうだった。殴り倒してやりたかった。
ふざけるな、いないのは種田梨沙であって琴葉ではない。なぜ事情も知らない、知る気もない奴にそのようなことを言われなければいけない?
比喩ではない、文字通りお通夜のような雰囲気の中上記のセリフをうわごとのようにつぶやくのみだ
担当名乗っている人間が「琴葉だってここに来てます。」「俺が連れてきてるから」「奇跡はあります」その一言すら言えないのか。
お前たちが見ているのは結局種田梨沙であって琴葉ではないじゃないか。
もう最早ライブどころではなかったが、チケットの金は払ってしまった。時間になれば武道館に入場し、会場を迎えていた。
案の定、まともに楽しむことができなかった。応援なんてとてもじゃないができない。
きっと何か、琴葉もここにいるという意思表示をパフォーマンスで示してくれるはずだ。そう信じていた。
だが、その期待は最悪の形で裏切られることになった。
初日は乙女ストーム、2日目はクレッシェンドブルーのFLOODING、圧倒的エモさを爆発させていた枠だった。
流れたのは「ジレるハートに火をつけて」琴葉がセンターを務める、灼熱少女の曲だった。
琴葉以外のメンバー4人が迫真の表情で歌う中、琴葉がいるはずのセンターはポッカリと空いていて、スポットライトだけが煌々と照らされていた。
ふざけるな、ふざけるな。
ジレハじゃなくたって他にもシメを飾る曲はいくらでもあるじゃないか。他に演出の仕方はいくらでもあるじゃないか。
なぜ敢えてそれを選んだ!?なぜそれを選んだ?
なぜ敢えて琴葉の不在を強調させるような曲、演出を選んだのか。
ここで私は悟った、気づいてしまった。
運営は種田梨沙の復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもりだったのだ。
今だからこそ言えるが、もうすでにこの時点でグリマスの終了、ミリシタへの移行は確定していたと見られる。
だから運営はミリオンライブの展開についていけなくなった種田梨沙をグリマスの終了に伴って琴葉ごと切り捨てようとしていたのだ。
悪夢はなおも続いた。最後の挨拶で総合プロデューサーは「ミリオンライブは一歩一歩着実に前に進んでいきます。」という旨の発言をした。
手のひら返しというか、ダブルスタンダードというか。もう呆れて言葉も出なかった。
一歩一歩着実に前に進んでいくなら種田さんが復帰するのを待って100%の状態でリリースするのが筋ではないのか?
それとも歩みについていけない者は遠慮なく切り捨てるからついていくも降りるもお前次第だとでも言いたいのだろうか。
私はサイリウムを投げ捨て、最後のThank youを聞くことなく会場を後にした。
やってられないなんてものではない。あそこで最後のThank youのあの演出を見たところで冷める一方だったと思う。
とりあえずキャラ出しとけばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。
後述するが運営の対応は全てのメッセージが後手でちぐはぐ、声優種田梨沙や自分達に火の粉がかからないためのものであり、要するに自己保身だ。
田中琴葉というキャラクターや、琴葉本人を好きで追いかけてきたPやファンの気持ちをことごとく踏みにじるものだった。
いつだったか、引退したとあるPがちょうどこのブログだったか「アイマスは宗教である。」と言っていた。
まったくもってその通りである。下手すりゃ宗教よりタチが悪い。
あんなに堂々とアイドルの存在を否定しておいて、最後にちょろっとお涙ちょうだい演出をすれば大の大人が泣き喚きながら「ありがとう」「アイマス最高」と狂ったように連呼するのである。
あの演出を持って「琴葉はいた。」「4th最高だった。」と言っているペーは田中琴葉担当ではなく種田梨沙を信仰する信者であり、所詮種田梨沙しか見ていないにわか声豚である。
少し話がそれてしまった。
あのライブの後、私はあらゆる窓口でバンナムとグリーにクレームを入れた。
あれを肯定されては琴葉があまりにも浮かばれない。可哀想なんて言葉では表しきれない程に不憫だった。
だがいずれも返答が返ってきた事はなかった。
ミリシタに琴葉の存在は確認できない、グリマス終了時も琴葉のボイスだけ追加予定はなしとされた。
「田中琴葉は合流が遅れています。」などという取ってつけたような白々しい文章が踊っていた。
グリマスの方はともかく、4thの時点で3Dモデルを用意できたのならミリシタに実装するくらいわけもないはずだ。
「種田梨沙はいなくても田中琴葉はここにいる。」と主張するのなら、たとえ無言でもミリシタに琴葉のモデルだけでも実装し、メイン画面で歩き回ったり、劇場のメンバーと会話するモーションを用意することができたはずだ。
たとえ声がつかなくてもユニット曲で歌って踊る琴葉を見ていずれ戻ってくる種田梨沙に思いを馳せることができるならまだ前述の言葉にも説得力があった。
しかし、現実は劇場で琴葉の存在を確認することはできず、琴葉がここに居るという実感は皆無、そのくせTBなど中途半端なタイミングで中途半端に顔見せするから案の定ミリシタから入ったぺーは「誰?」状態だったわけだし、それどころか「こんな実装されてないキャラに参加権認めるのか」という不要なヘイトを貯めることになったわけだ。
そして、今年二月、どうも違和感のある中途半端なタイミングでようやく琴葉がミリシタに実装された。
完全に引退していたがようやく思いが届いた、これまでのことは水に流して改めてミリオンライブを始めよう。
そう呑気に思っていた私の心はすぐに打ち砕かれることになる。
あのさあ............
琴葉はずっと劇場にいたんだからお帰りもクソもねえよ!!バカか!!
ただ、本当に怖いのはここからだった。
どういったわけか、琴葉の存在がまるで悲劇のヒロインであるかのように扱われ始めたのだ。
そして運営はここぞとばかりに琴葉のことを猛プッシュし始めた。
まるで今までの遅れを取り戻すように。
思い出して欲しい、数行前の流れを
田中琴葉の存在を種田梨沙の不在を理由に否定したのはどこのどいつだ?
お前らじゃないか!!
反論があまりにも大きくて金になると嗅ぎつけたのか、復活した途端にこの扱い
信仰というのはここまでも人間を盲目にするのかともう、哀れみともつかぬ感情だけが胸を支配していた。
そして、私は本来であれは5thにも参加することなく、さっさとアイマスから足を洗うつもりだった。
でも、どういったわけか、ミリオンライブを昔布教してしまった後輩の声豚に無理やり連れられ、5th2日目を見させられた。
正直言って、まあ酷い、白々しい演出だった。
あれはミリオン5thという名の「種田梨沙お帰りライブ」だった。
白々しいセトリ、4thでは見られなかった景色を完全再現、琴葉はここにいるでしょ?完全復活したでしょ?嬉しいでしょ?ほら泣けよ
と言わんばかりのサムイ演出
それ以外は前日に徹夜で組んだのかと思えるレベルのテキトーっぷり
そんなことをするなら島原エレナにSTANDING ALIVEを歌わせてあげたほうがよっぽどよかった。
そしてそれに泣き崩れ、泣き喚くキモオタの群れを見て吐きそうになった。
もうやめてあげてくれ 田中琴葉がただただ可愛そうだ。
何もしていないのに、声を失ったから存在を否定され、忘れられ、かと思えば声優の都合で再び表舞台に引きずり出され
そして1周年迎えたら未来ちゃを差し置いてミリオンのセンターですか。
なんの努力もしないでセンターに持ち上げられてしまう琴葉の表情はきっと散々なものだろう。
それで持ち上げられたが故に何も知らない別のキモオタに叩かれ、デレと比べられ、見下され.....
こんなボロボロのセンターを見てもあなたは脳死で「アイマス最高」「ありがとうミリオンライブ」と唱え続けるのだろうか。
さて、話が長くなってしまったが、ここまで読んでくれたということは私の話に少しでも賛同する意思がある人か、俺を論破したくて仕方ないクソ気持ち悪いマウント取りオタクのどちらかだろう。
もうもはやキモオタにつける薬などない、正直声豚は死んでも治らないからもう何も言うまい。
奴らは反省も後悔もしない、さも当たり前のようにコンテンツを食い潰し、飽きたらまた次のコンテンツに移動するだけだ。
まぁシンデレラガールズ然り、SideMしかり、どこに行っても声優の都合でキャラクターの扱いが決まり、荒れていない場所を探す方が難しい現状を見る限り、もはやアイマスというコンテンツそのものが声優ゴリ押しコンテンツになってしまった今、大多数のアイマスペー(笑)に何を言っても無駄なのかもしれない。
でも、それでも、俺はやめねえからな。
俺の想いが少しでも多くのオタクに届くまで、ミリオンライブが、ひいてはアイマスが潰れるまで何度でも、形を変えてでも言い続けるからな。この真実を。
ミリオンライブと声豚どもを呪い殺すまでやめないからな。この文章を投稿し続けることを
どうも、元アイマスPです。
グッズの類が大量に残っていますが、まぁいずれ処分するでしょう。
今回このブログを書こうと思ったのは、私のとある胸糞悪い経験を吐き出しておきたかったのと、これを見たPさん、あるいはアイドルマスターに限らず、いわゆる課金系アプリゲームをプレイしてる全ての人に表題の内容を問いかけたいからです。
課金ゲームにおける「愛」は結局課金でしか測れないのか?という事
アイマス風の言い方をすれば
という事です。
事の発端は2年前、私がサークルの先輩からアイドルマスターを勧められた事に始まります。
私はどちらかというとオタク系コンテンツはそれなりに嗜んでいたのでアイマスもすぐにはまり、のめり込んでいきました。
アニマスから入り、劇場版で気になった後輩の子達を見てミリオンライブを始め、シンデレラガールズ、SideMと次々にどハマりしていきました。
改めて説明するまでもないと思いますが、アイマスにはゲームとライブがあります。ゲーム内のガシャを回し、イベントを走って担当のSRカードをゲットする。ライブで声優さんのパフォーマンスを見て感動して「アイマス最高」と唱える(笑)まぁそんな感じで各々楽しんでると思います。
コンテンツを応援するにはいろんな方法があります。ゲームに課金する、ライブに参加する、グッズを買う、二次創作をしてみる。
楽しみ方は本来人それぞれであり、それぞれがそれぞれの形で趣味を謳歌しています。
学生のアルバイトでは月々稼げる金額はどんなに頑張ってもたかが知れています。
どんなに頑張っても、社会人が月々稼げる金額になど到底及ばない事は想像に難くないでしょう。
アイマスを含めいわゆるソーシャルゲームには「天井」が設けられていることが多いです。
ガシャなどで「この金額までつぎ込めば必ず目当てのカードが手に入りますよ。」というボーダーラインだ。
ゲームにもよるがアイマスは大体ソシャゲの方は5万くらい、音ゲーアプリの方だと10万程度だろうか。
それ以上を稼ぎ出せたりお小遣いをもらっていたりと状況は様々だがこの金額を毎月叩き出せる人は全国でもそんなにいないだろう。
さらにイベントでランキング上位に到達するためにも上記レベルの課金はある程度必須と言っていい。
私は各コンテンツ(当時3つ)毎に「担当(他のコンテンツで言うところの「推し」)が複数人いた。
一人がイベントないしガシャで来たら5〜10万ぶっ飛ぶのである。
しかもそれが複数人いると言うことは数ヶ月に一回レベルでその出費、ましてやイベントが重なろうものなら倍プッシュである。
どんなにバイトを増やして掛け持ちしても追いつけるものではない。
そもそもバイトを増やしたら肝心の学業遊び就活諸々に支障が出る。
ライブなら事前に日程が設定されているのでそれに向けて貯金ができる。
ライブを通じて金銭面でも、気持ち的にも担当やコンテンツを応援できる。
そう思っていた。
だが、アイマスを布教してくれた先輩(仮にN氏としよう)は違った。
彼は社会人である。しかもどうやらそこそこ良い仕事をしていると見られる。
毎月のように一定数の金額を彼の担当のガシャやイベントに費やし、コンスタントに入賞していたところを見ると間違いない。
彼はいわゆる「ライブ勢」が大嫌いで、「声優のライブを見て何が面白いんだ」
「こいつらは声優オタとしては一流だがアイマスPとしては三流」
などと事あるごとにこき下ろしていた。
まぁ、いわゆる「在宅」というやつである。
彼はサークルのOBでオタク仲間の中の中心的な存在だったため、同期後輩もなかなか彼に意見する事は難しかった。
それを知ってか知らずか、彼はその集まりの中で二言目には「プロデューサーの流儀」を語りたがり、「コンテンツに課金できない奴は三流のにわか」という定説を偉そうに唱えていた。
私はミリオンライブが初めて触れたアイマスだったため、イベントの走り方など分からず、中途半端な課金額で爆死するということを繰り返していた。
といっても前述した通り、学生にとっての大金を定期的にぶち込めるなんて暴挙ができるわけがないので突然イベントが告知されて担当が上位報酬に来てさぁ走れと言われたって走れるわけがない。
突然の出費もある、月々のいろんな支払いがある。それを社会人と比べれば微々たるお金の中で工面してるのだ。趣味であるゲームに対する優先順位なんて、お察しである。
それでもなんとか工面したお金をつぎ込んだところで結果は散々たるものだった。それを知ったN先輩は事あるごとに
「お前の担当愛はその程度なのか?」
「中途半端な事しかできなくて担当に申し訳ないと思わないのか?」
「おい爆死野郎w」
とバカにしてきた。
自分は担当が本当に好きだったからそれなりに調べてるし、イベントも出来る限り追ってるし、二次創作を出してみたりもした。何よりライブは担当が出演すると分かれば必ずCDを積んだり、e+に殴りこんだり、最悪友達を頼ってでも必ず参加した。極力現地で。
そんな漠然とした疑問が胸の内を占めていた。
だが、所詮趣味だし、好きでやっている事だからと気に留めていなかった。
大学を卒業した私はサークルの追い出しコンパ(追いコン)に参加した。
1年生から4年生まで数十人という大規模な追いコンで、サークルで顔を合わせるけど名前は知らない後輩も数多くいた。
N先輩も参加していた。
追いコン事態は順調に進み、最後に4年生が一人ずつ挨拶をするときに事件は起きた。
自分の番になった時にN先輩が
「よっ!三流クソにわかP!」
「爆死野郎!」
と大声で叫んでいたのだ。
みんなに聞こえる声で
流石に私も堪忍袋の緒が切れた。
いくらなんでも後輩が何十人もいる前でそんなこと言わなくても良いじゃないか
その時は笑って流したが、後日、新歓のミーティングに顔を出していたN先輩に詰め寄り、あの時の発言の意味を説明し、訂正して欲しい。本気で恥ずかしかったんだからみんなの前で謝罪してほしいと訴えた。
すると、彼の隣にいた別の先輩(A先輩とする)が顔を真っ赤にして怒り、怒鳴り散らし始めたのだ。
彼の主張を要約すると以下の通りである。
・先輩に向かってその態度はなんだ。
・大勢の前で生意気な態度を取ったお前もNの事を貶めている。お前にNを断罪する資格などない。お互い様だ。
・そもそもアイマスにおいて何を持って担当とするかなんて人それぞれで明確な基準などない。お前の主義主張を押し付けるな。
私はとても惨めな気持ちになった。
私はただ、あの時の発言を取り消して欲しかっただけで、せめてみんなの前で謝って欲しかっただけなのに…
するとA先輩の怒りっぷりを見たN先輩はへらへらと笑いながらA先輩をなだめ、以下のような主張を始めた。
・酒の勢いで言っただけだ、気にするな。
・お前が○○(私の担当)をいかに愛してるのかはみんながよく知っている。
・なのにも関わらずイベントの走り方が下手くそだから私はそれをいじってるだけ
・自分は昔ライブ専門でゲームに全く金を落とさない同期に「お前はだから三流なんだ」と言われたことが本当に悔しかった。お前にそうなって欲しくないからああやって言ってあげてたんだ。
彼の口から、最後まで「後輩数十人の前で私の名誉を貶めた事に関する謝罪の言葉」はありませんでした。
これを期に私はアイマスから遠のきました。百年の恋も冷める瞬間とはこの事なのでしょう。
アイマスPは課金額で他人にマウントを取り合うような人間しかいないんだなぁ
こんなデータがクラッシュしたら吹っ飛ぶ画像にうん万円も賭けなきゃ担当名乗る資格がないのが、Pの常識なんだなと察してしまいました。
ここまでの話を聞いて
「増田が考えすぎ気にしすぎ。」と思う人が大半なのではないかと思います。
ですが、私がこの件について許せないのはそこだけではないのです。
そう、中の人である種田梨沙さんが昨年活動を休止されて、ミリシタでの実装が大幅に遅れた、あの田中琴葉です。
私は、声優さんの不在によって琴葉の存在がだんだん希薄になっていく事をずっと悩んでいました。
4th Liveでも現地で感じた「琴葉が置いていかれてるのではないかという不安」にずっと悩まされていました。(最後のThank youでそれが解消され、安心から大泣きしてしまいましたが笑)
ちょうど就職活動中だった事もあり、イベントになかなか課金ができず、どうすれば琴葉を応援できるのか、どうしたらミリシタから入ったPさんに琴葉がここにいると示すことができるのか、ずっと悩んで、苦しんで、精神をかなり病みましたがそれでも2月に琴葉がミリシタに実装されてやっとこれからなんだと思いました。
自分も就職が決まり、やっとこれから琴葉にたんまりお金を使ってあげられる、本気でプロデュースできると思っていました。
その思いを、悩み抜いた思いの全てを、N先輩はみんなの前で汚い足で踏みにじったのです。「課金額が少ない」「ゲームに投資してない」たったそれだけの理由で。
もう一度言いますが、わたしはライブを中心にお金を落としています。
でも、それ以外に一切お金をかけていないということではありません。そんなこと有り得ません。
グッズも買ってるしCDだって全て新品で揃えたし肝心のゲームにだって課金してます。
学生時代はイベント時に1,2万が限度でしたがそれでも担当が来たら必ず走って回すようにしてます。
それでも足りないのでしょうか。
担当が取れなかったらその時点でP失格なのでしょうか。
私はあの日大勢の前で3流にわかと罵られないといけなかったのでしょうか。
5thは一応参加しました、最高でした。
あんな辱めに公開処刑まで受けては大学の後輩や同期に顔向けできないからです。
いまだにガシャやイベントが来るたびにN先輩の言葉が、あの日の恥ずかしさ惨めさが胸をよぎって、まっすぐアイマスを愛することができないからです。
もうすでに周囲には引退を伝えました。
どうも、元アイマスPです。
グッズの類が大量に残っていますが、まぁいずれ処分するでしょう。
今回このブログを書こうと思ったのは、私のとある胸糞悪い経験を吐き出しておきたかったのと、これを見たPさん、あるいはアイドルマスターに限らず、いわゆる課金系アプリゲームをプレイしてる全ての人に表題の内容を問いかけたいからです。
課金ゲームにおける「愛」は結局課金でしか測れないのか?という事
アイマス風の言い方をすれば
という事です。
事の発端は2年前、私がサークルの先輩からアイドルマスターを勧められた事に始まります。
私はどちらかというとオタク系コンテンツはそれなりに嗜んでいたのでアイマスもすぐにはまり、のめり込んでいきました。
アニマスから入り、劇場版で気になった後輩の子達を見てミリオンライブを始め、シンデレラガールズ、SideMと次々にどハマりしていきました。
改めて説明するまでもないと思いますが、アイマスにはゲームとライブがあります。ゲーム内のガシャを回し、イベントを走って担当のSRカードをゲットする。ライブで声優さんのパフォーマンスを見て感動して「アイマス最高」と唱える(笑)まぁそんな感じで各々楽しんでると思います。
コンテンツを応援するにはいろんな方法があります。ゲームに課金する、ライブに参加する、グッズを買う、二次創作をしてみる。
楽しみ方は本来人それぞれであり、それぞれがそれぞれの形で趣味を謳歌しています。
学生のアルバイトでは月々稼げる金額はどんなに頑張ってもたかが知れています。
どんなに頑張っても、社会人が月々稼げる金額になど到底及ばない事は想像に難くないでしょう。
アイマスを含めいわゆるソーシャルゲームには「天井」が設けられていることが多いです。
ガシャなどで「この金額までつぎ込めば必ず目当てのカードが手に入りますよ。」というボーダーラインだ。
ゲームにもよるがアイマスは大体ソシャゲの方は5万くらい、音ゲーアプリの方だと10万程度だろうか。
それ以上を稼ぎ出せたりお小遣いをもらっていたりと状況は様々だがこの金額を毎月叩き出せる人は全国でもそんなにいないだろう。
さらにイベントでランキング上位に到達するためにも上記レベルの課金はある程度必須と言っていい。
私は各コンテンツ(当時3つ)毎に「担当(他のコンテンツで言うところの「推し」)が複数人いた。
一人がイベントないしガシャで来たら5〜10万ぶっ飛ぶのである。
しかもそれが複数人いると言うことは数ヶ月に一回レベルでその出費、ましてやイベントが重なろうものなら倍プッシュである。
どんなにバイトを増やして掛け持ちしても追いつけるものではない。
そもそもバイトを増やしたら肝心の学業遊び就活諸々に支障が出る。
ライブなら事前に日程が設定されているのでそれに向けて貯金ができる。
ライブを通じて金銭面でも、気持ち的にも担当やコンテンツを応援できる。
そう思っていた。
だが、アイマスを布教してくれた先輩(仮にN氏としよう)は違った。
彼は社会人である。しかもどうやらそこそこ良い仕事をしていると見られる。
毎月のように一定数の金額を彼の担当のガシャやイベントに費やし、コンスタントに入賞していたところを見ると間違いない。
彼はいわゆる「ライブ勢」が大嫌いで、「声優のライブを見て何が面白いんだ」
「こいつらは声優オタとしては一流だがアイマスPとしては三流」
などと事あるごとにこき下ろしていた。
まぁ、いわゆる「在宅」というやつである。
彼はサークルのOBでオタク仲間の中の中心的な存在だったため、同期後輩もなかなか彼に意見する事は難しかった。
それを知ってか知らずか、彼はその集まりの中で二言目には「プロデューサーの流儀」を語りたがり、「コンテンツに課金できない奴は三流のにわか」という定説を偉そうに唱えていた。
私はミリオンライブが初めて触れたアイマスだったため、イベントの走り方など分からず、中途半端な課金額で爆死するということを繰り返していた。
といっても前述した通り、学生にとっての大金を定期的にぶち込めるなんて暴挙ができるわけがないので突然イベントが告知されて担当が上位報酬に来てさぁ走れと言われたって走れるわけがない。
突然の出費もある、月々のいろんな支払いがある。それを社会人と比べれば微々たるお金の中で工面してるのだ。趣味であるゲームに対する優先順位なんて、お察しである。
それでもなんとか工面したお金をつぎ込んだところで結果は散々たるものだった。それを知ったN先輩は事あるごとに
「お前の担当愛はその程度なのか?」
「中途半端な事しかできなくて担当に申し訳ないと思わないのか?」
「おい爆死野郎w」
とバカにしてきた。
自分は担当が本当に好きだったからそれなりに調べてるし、イベントも出来る限り追ってるし、二次創作を出してみたりもした。何よりライブは担当が出演すると分かれば必ずCDを積んだり、e+に殴りこんだり、最悪友達を頼ってでも必ず参加した。極力現地で。
そんな漠然とした疑問が胸の内を占めていた。
だが、所詮趣味だし、好きでやっている事だからと気に留めていなかった。
大学を卒業した私はサークルの追い出しコンパ(追いコン)に参加した。
1年生から4年生まで数十人という大規模な追いコンで、サークルで顔を合わせるけど名前は知らない後輩も数多くいた。
N先輩も参加していた。
追いコン事態は順調に進み、最後に4年生が一人ずつ挨拶をするときに事件は起きた。
自分の番になった時にN先輩が
「よっ!三流クソにわかP!」
「爆死野郎!」
と大声で叫んでいたのだ。
みんなに聞こえる声で
流石に私も堪忍袋の緒が切れた。
いくらなんでも後輩が何十人もいる前でそんなこと言わなくても良いじゃないか
その時は笑って流したが、後日、新歓のミーティングに顔を出していたN先輩に詰め寄り、あの時の発言の意味を説明し、訂正して欲しい。本気で恥ずかしかったんだからみんなの前で謝罪してほしいと訴えた。
すると、彼の隣にいた別の先輩(A先輩とする)が顔を真っ赤にして怒り、怒鳴り散らし始めたのだ。
彼の主張を要約すると以下の通りである。
・先輩に向かってその態度はなんだ。
・大勢の前で生意気な態度を取ったお前もNの事を貶めている。お前にNを断罪する資格などない。お互い様だ。
・そもそもアイマスにおいて何を持って担当とするかなんて人それぞれで明確な基準などない。お前の主義主張を押し付けるな。
私はとても惨めな気持ちになった。
私はただ、あの時の発言を取り消して欲しかっただけで、せめてみんなの前で謝って欲しかっただけなのに…
するとA先輩の怒りっぷりを見たN先輩はへらへらと笑いながらA先輩をなだめ、以下のような主張を始めた。
・酒の勢いで言っただけだ、気にするな。
・お前が○○(私の担当)をいかに愛してるのかはみんながよく知っている。
・なのにも関わらずイベントの走り方が下手くそだから私はそれをいじってるだけ
・自分は昔ライブ専門でゲームに全く金を落とさない同期に「お前はだから三流なんだ」と言われたことが本当に悔しかった。お前にそうなって欲しくないからああやって言ってあげてたんだ。
彼の口から、最後まで「後輩数十人の前で私の名誉を貶めた事に関する謝罪の言葉」はありませんでした。
これを期に私はアイマスから遠のきました。百年の恋も冷める瞬間とはこの事なのでしょう。
アイマスPは課金額で他人にマウントを取り合うような人間しかいないんだなぁ
こんなデータがクラッシュしたら吹っ飛ぶ画像にうん万円も賭けなきゃ担当名乗る資格がないのが、Pの常識なんだなと察してしまいました。
ここまでの話を聞いて
「増田が考えすぎ気にしすぎ。」と思う人が大半なのではないかと思います。
ですが、私がこの件について許せないのはそこだけではないのです。
そう、中の人である種田梨沙さんが昨年活動を休止されて、ミリシタでの実装が大幅に遅れた、あの田中琴葉です。
私は、声優さんの不在によって琴葉の存在がだんだん希薄になっていく事をずっと悩んでいました。
4th Liveでも現地で感じた「琴葉が置いていかれてるのではないかという不安」にずっと悩まされていました。(最後のThank youでそれが解消され、安心から大泣きしてしまいましたが笑)
ちょうど就職活動中だった事もあり、イベントになかなか課金ができず、どうすれば琴葉を応援できるのか、どうしたらミリシタから入ったPさんに琴葉がここにいると示すことができるのか、ずっと悩んで、苦しんで、精神をかなり病みましたがそれでも2月に琴葉がミリシタに実装されてやっとこれからなんだと思いました。
自分も就職が決まり、やっとこれから琴葉にたんまりお金を使ってあげられる、本気でプロデュースできると思っていました。
その思いを、悩み抜いた思いの全てを、N先輩はみんなの前で汚い足で踏みにじったのです。「課金額が少ない」「ゲームに投資してない」たったそれだけの理由で。
もう一度言いますが、わたしはライブを中心にお金を落としています。
でも、それ以外に一切お金をかけていないということではありません。そんなこと有り得ません。
グッズも買ってるしCDだって全て新品で揃えたし肝心のゲームにだって課金してます。
学生時代はイベント時に1,2万が限度でしたがそれでも担当が来たら必ず走って回すようにしてます。
それでも足りないのでしょうか。
担当が取れなかったらその時点でP失格なのでしょうか。
私はあの日大勢の前で3流にわかと罵られないといけなかったのでしょうか。
5thは一応参加しました、最高でした。
あんな辱めに公開処刑まで受けては大学の後輩や同期に顔向けできないからです。
いまだにガシャやイベントが来るたびにN先輩の言葉が、あの日の恥ずかしさ惨めさが胸をよぎって、まっすぐアイマスを愛することができないからです。
もうすでに周囲には引退を伝えました。
甲子園で優勝した大阪桐蔭のことがほとんど無視されていて、13-2で公開処刑された金足農高ばかりが注目されているのはおかしくないだろうか。
はっきり言って、金足農高の野球部は「田舎の村社会」の悪いところを煮詰めて抽出したような組織だ。
部員は全員が地元出身の子供たちで閉鎖的(公立高校だから仕方が無いにしても)。
今回の金足農高は、吉田がたまたまプロ並みだったから決勝に勝ち進んだ面が大きく、吉田一人に依存する親方日の丸の体質。
それに対しての大阪桐蔭は、金足農高の全ての要素に対して正反対の性格を持っている。
部員は全国各地から実力を持った子供たちを集めてきている。このことが批判の対象になるみたいだけど、そもそも悪いことなのだろうか。
地元の子供しか受け入れない金足と比べると、大阪桐蔭は出生地や身分で差別せず、実力さえあれば誰でも受け入れているではないか。
だからこそ9人野球という無謀で突っ走ってきた金足と比べて、大阪桐蔭は層の厚いメンバーを用意でき、これが勝因にもなっている。
東日本大震災直後の2011年3月に開催された春の選抜高校野球の第一試合の東北高校(宮城)VS大垣日大(岐阜)を思い出した。
震災直後の東北復興を背負った東北高校であったが、結果は7-0でボロ負けして終わった。
当時は「夢も希望もないのか」と大垣日大は叩かれていたが、私元増田は逆に試合結果について大笑いしていた。
大震災の後の試合ということもあり、世間の雰囲気・空気としては「何としても東北高校に勝ってもらって、被災地を元気にしてほしい」というものであった。
試合前の大垣日大高校には、試合にわざと負けろという電話がかかってきたとのこと。
監督や先生たちは生徒達に世間の空気をわからせないようにするものであるが、多感な高校生たちはやはり雰囲気・空気を感じ取ってしまうもの。
その雰囲気・空気に反発した大垣日大の選手たちは、日本中が注目している中で東北高校を完膚なきまで叩きのめしてやろうという気持ちになったのだろう。
終盤の6点差で盗塁するとか、明らかに世間に対する反発心の現れだったよね。
そのことを踏まえて、昨日の甲子園決勝の大阪桐蔭-金足農高の13-2の試合のことを考えてみたい。
決勝試合前から、新聞やテレビなどのメディアは金足農高一色であった。
「東北史上初の優勝なるか」「優勝旗が白河の関を越えるか」「全員地元の金足農高と、全国から有力選手を集めてきた大阪桐蔭」・・・。
大阪桐蔭の選手達からすれば、自分たちこそ優勝候補で注目されて当然だと思っていたのに、ポッと出の金足農高ばかり注目されている。
当然面白くないよね。
大阪人から見れば、東北の秋田なんて東京の植民地みたいな場所だから、怒りも数段上がることになる。
大阪人は東京自体には反発はしないが、東京の威を借る東北や甲信越の腰巾着に対しては本気で怒っているフシがある。