はてなキーワード: 傍観者とは
小山田のためにお金を使いたくない人のために重要な点を要約した
良くないと思ったが怖くて止めることができず、傍観者になってしまった
〈ウンコを喰わしたりさ〉
小学校の頃、何でも落ちているものを口にしてしまう同級生がいた(蟻や枯れ葉など)
彼が下校している時に、道に落ちていた犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出して、
それをみんなで見て笑っていたという話をしたら盛って書かれた
記事を事前にチェックできなかったので後悔した
〈実際に行ったイジメ〉
段ボールの中に入れて、黒板消しの粉を振りかけてしまった(毒ガス攻撃)
ポップなイメージを持たれていたのでアングラっぽいイメージに変えたくて露悪的に語った
本当に愚かなことをしたと思う
『プロミシング・ヤング・ウーマン』観て、めっちゃもやもやする女性
似たような経験はあるし(回されたわけではないが)、
フェミ嫌いな私が歩み寄れるきっかけになるかもしらん……と思って観てきたが、
そもそもこの作品を、女性vs.男性の映画として語ること自体がよくわからん。
「女が男にひどいことをされる話」じゃなくて、「非対称な力関係によって起こされる加害と被害の話」じゃないの?
主人公が当事者ではなく「被害者の友人」であり、彼女を崇拝し、同一化しているというところに対する言及が少ないところも気にかかる。
シスターフッドなんじゃない。共倒れからの加害を連鎖て、絶対回避したいやつじゃんか。
脚本すばらしくて会話はサイコーだし、美術やファッションも女心がびんびんになってしまう可愛さだし、音楽もめっちゃクール。
しかし、この映画を取り巻く言論空間が、どうしても気持ち悪くてしょうがない。
残念ながらチンコおじさんが絶えることはない。
チンコおじさんだけではない。
加害は絶えることはない。
そして当人にその罪業を心から理解させ償わせることは、だいたいできない。
私はできなかった。父親に暴力を認めさせることも、むりやりホテルに連れ込んだ男を社会的に殺すこともできなかった。今もできる気がしない。
「男性はすべからく―傍観者含め―女性を害なす可能性があるチンコだ」
ではなく
「チンコおじさんと飲酒の場を共にしようという成人女性は、自衛手段を持って臨むべきである」
「傷を受けた者の役割は、傷の再生産を防ぐよう尽力すること、そして被害者を抱きしめることだ」
だと思う。
ヤリたくなけりゃチンコとは飲むな。
飲むなら「ホテルいこっか」のサインは3回くらいあるから見逃すな。
飲み代は男に払わせるな。
テレビってアテンション最低レベルの番組でも1%ぐらいの視聴率はあるからまあ100万人に見られてるわけで。
これだけ直接的な視聴者がいればそこから又聞きなどによる間接的な話題の波及もそれなりに期待できる。たとえば今やってるドラマを見てないけど話題のドラマは存在自体は職場とかでほとんどの人に知られてるなんてことは経験してる人も多いだろう。
それが何?ブクマ5000だから?何って感じよ。直接的な閲覧者は一万人も見込めないだろう。たった一万人が全国にちりぢりという状態では二次的な波及効果も期待できんよ。こんなんじゃ傍観者なんか意識して論破したりしようとして体裁気取るなんてこともはや妄想だよね。認知度が小さすぎてそのなかでの悪名も評判も塵に等しい。
理系文系でスタートしたんだけどまあ見事にキャラ立てに失敗したんだよ
そんなの頭悪い漫画家には表現できないうえに、ラブコメに全然生かしようがねえときた。
これ駆け出しの創作者(作者はオリジナル連載は初)がやりがちなやつで
キャラを上手く作れない時に「とりあえず理不尽な発言繰り返す発達障害的な人格にしとけばもつやろ」みたいなキャラ立てをしちゃう。
それ別に全然個性的にならずに面白くないだけ、不快なだけなんだよね。
主人公や周りが何言っても頓珍漢な悪態突くだけの奴を漫画に描いたって面白くなるわけない。
それ面白く出来るような奴は何でも面白く出来るのでキャラを無意味に発達障害にしないしな。
とにかく文系と理系はある意味で作者の創意が詰まってたけど走り出させてみたら全然ダメで。
そこで急遽三番目に出してきたのが水泳部のうるかで、これは素直なキャラだった。
わかりやすい。大人気。うるかが時間稼いでくれたおかげで持ち直せた。
理系はうどんと言う個性を与えて口数少ないけど考えてることはわかりやすいやつに。
文系は発達障害治してむしろ周りの心理を読みまくれてモノローグで常識的な察しや先回りをしまくる傍観者キャラに。
「外ではきりっとした女が家でポンコツ」という使い古されたベタテンプレ乗せた先生が人気出ちゃったの。
オリジナリティ捨ててテンプレなぞる覚悟を決めたら幾らでも出来る。
そんなのが創意工夫の文系理系水泳より人気出ちゃったのよ。圧倒的に。
そりゃそうかもしれない。
作者が自分で1から作って走りながら思考錯誤してるキャラの動きはガタガタしてたり消費の仕方がわかりにくかったりする。
みんなが知ってるベタテンプレは作者も活き活き動かせるし読者も消費の仕方知り抜いてる。
そういう安手のアドバンテージはあるけど、そんだけで1位になる時点でな。
作者の愛娘たる理系文系水泳の出来はいまいちだぞと世間から残酷な評価を突き付けられたようなもの。
作者はもう志を捨てたのか心が折れたのか知らんけど全力で先生推しになった。
あしゅみー先輩は作者が連載に慣れてこなれながら作ったいい独自キャラだったと思うけど
もうそういう消費し方を手探りで作って読者にも手探りしてもらう必要あるキャラをプッシュする気力がなかったね。
その安っぽい当然さに叛逆する気力がなかった作者の降伏宣言だったわけよ。
それにしたってうるかの扱いは悪かったなー。
人違いの放置はよくないから一応応答しておくけどぼく勉の話をここでしたのはじめてだし個人的にはあの中ならあしゅみー先輩が好きだしそんな感じでかいたつもり。
うるかについてはなんか功績の割に不遇だったねと。
途中の扱いはさておき、本編?ではうるかエンドになったし
自分アニメでしか見てないんだが、確かに文系理系は人類史上天才的才媛という風には全然見えなかったな。ただギャルゲよろしく漫画は分岐シナリオになったらしいが、それでも水泳がメインルート扱いだったのでは? 自民党の悪政 大人とは 世も末 老害 犯罪 これはひどい
ミ、ミーには分岐エンドにおいてもその試みを読者に説明するためのチュートリアルにされてるように見えた···
ていうかそのタグもしかして話題選ばず常につけてるのか、あんた政治ニュースでしか見かけなかったから気付かんかった
そのタグのまま普通にラブコメ漫画の話に参加するの気が狂ってるみたいで面白いな
それより理珠は脳神経系研究して心理やれよとか、文野は数式アレルギーなのにバリバリ数式の物理に行くより理系学問のコミュニケータとかの方がいいだろうにとかの方が気になった。
本人の意思が重要とはいえ人類最高レベルの天才が向いてない別分野を頑張るっていうのは見ててあんまり乗れなかったよね。
そこに重要なアイデアやメッセージはなく、秀才の主人公が教える立場になるためだけの深い考えのない設定だったように見えたのでなおさら。anond:20210727083948
ダイナゼノンのキャラクターソング、出ましたね。アマゾンから来たメガジャケがマジででかくでびっくりした。
ガウマ隊のキャラソンは言わずもがなほんとマジ最高で、特に夢芽のキャラソンは既に擦り切れるほど聴いているし、涙腺がガチで緩む。この前なんか「ユメエッしあわぜになっでなぁ!!!」と口走り後輩に「頭大丈夫ですか?」と心配された。大丈夫大丈夫と目元を拭いながらまた泣いた。ヤバい人である。
しかし今回話題にしたいのは怪獣優生思想の方のキャラクターソングである。
爽やかで明るいナンバーとなっているが、タイムラインではこの曲の解釈の仕方に納得できない声も多かった。
というのも製作側の話を伺う限り怪獣優生思想は一枚岩ではなく絆もガウマ隊ほどではないのだという。
「それを絆だなんちゃら歌うのは流石に原作を見てないんじゃないか?」
と原作重視のファンからしてみれば不満な気持ちはあるだろう。実際そういう声も多かった。
自分もこれを聞いた時待て待てどうしてこうなった?急にアイドルグループみたいになったぞ!と思いしばらくネタにしていた。
ところでダイナゼノンは素晴らしい作品だったと思う。みんな知ってるよね。
俺はもうなんか最終回では涙がボロボロになって画面見えなくなってよもゆめぇ!ちせえ!暦就職したんか!ガウマさんを姫とあわせてやれよ!とかそんな言葉を嗚咽と共に吐き出したことを覚えている。目が冴えて全然眠れず気づけば朝だった。
よくある倒される敵集団という感じである。ジュウガの告白をネタにしたくらいであとはムジナのグッズたくさん出るといいなあ、くらいの気待ちしかなかった。
怪獣優生思想も被害者だ!という意見が流れてくることもあったがまあなんだかんだであいつら好きにやったし良かったんでない?という感じであまり気にしてはなかった。
怪獣優生思想のファンも、俺たちとおなじように嗚咽と共によもゆめぇ、したかったのではないだろうか?
いや本当によもゆめぇ!なわけではない、俺たちにとっては怪獣優生思想はわりとどうでもいい存在だ。しかしファンにとっては違う。
怪獣優生思想は救いを求めていないかもしれないが、ファンには救いが必要なのだ。
男女比率3対1。
ムジナが圧倒的人気を誇っているとは言えポジションとしては前作の新世紀中学生に近いだろう。つまり怪獣優生思想はどちらかといえば女性向けのキャラクター集団だ。
最終回当時のあの展開はわりと怪獣優生思想ファンをやっていたお姉様方にとっちゃショッキングな出来事だったようでだいぶタイムラインが荒れていたことも覚えている。回ってくるツイートをマジで女って怖えな…と思いながら目を細めて眺めていた。
しかし女性特有の閉鎖感のあるファンコミュニティで、顔しか見ていないメンヘラというレッテルを貼られるとなればどうだろうか?
だがそのキャラ設定を今更覆すわけにはいかない。彼らは犯罪者だし、大量殺戮をしているのだから、そこは受け入れるしかない。
そこでつけ入る余地となったのが絆だろう。
犯罪者同士の間にも絆は生まれるし、そういったキャラがウケやすいことも経験上よくわかる。
言っちゃなんだが怪獣優生思想に悪役としての魅力はあんまりない。
イモータンジョーのように目的意識はなくジョーカーのようなカリスマ性もない、レクター博士のようにぶっ飛んでもいない。流されるままというキャラの特徴は魅力からはかけ離れている。
しかし絆は別だ。
目的意識がなくとも、カリスマ性がなくとも、絆はそれに拮抗しうるくらいに強い属性になりうる。
六アカのクソデカ百合感情という奴だ。さらに絆は売れる。六アカがどれほど売り上げに貢献してきただろうか?
女性界隈では布教という文化がある。詳しくは知らないが布教と言うからにはそれにもある程度の説得力がなければ困るのではなかろうか?
男性向けの同人誌が実用第一の一方女性向けの同人誌が関係性を描くと言われていることはよく知っているが、そうなるとないないづくしの彼ら彼女らを布教するにあたっては絆のようなものがないとかなり難しくなるのではないだろうか?
ただでさえ犯罪者を推しているとならば自分の人格まで疑われる可能性があるのだ。
ちょうどルックバックが公開されてそう思った。
アニメーション会社が襲撃されたという点もあって統合失調症の殺人鬼に対する当たりは強い。もちろん犯罪はあってはならないことだがあの一件で犯罪者というものがよりオタク界隈でリアルな敵となったように思う。
昨今女性の自立が叫ばれる空気感の中、そう言った人格上の弱点と疑われるようなことがあっては、そのコミュニティで不利になるのではないだろうか?
本当に倫理観のある人間ならそんなキャラは好きにならないはずだ、と侮られるかもしれない。
言い過ぎかと思うのならばダイナゼノン本編を見て欲しい。イジられキャラであった夢芽の姉は、平気そうに見えただろうか?
これはおそらく怪獣優生思想のファンである人間達に向けたせめてもの慰めなのだと思う。
怪獣優生思想に絆がないにせよサイコパス集団であるにせよ、それが示されたのは終盤も終盤で、それまで彼ら彼女らを追っかけてきた層に取っては彼らは人間的であって欲しいし、絆があって欲しいし、周りの人間にも彼ら自身を尊重してもらいたい。
キャラを、アイドルを推している自分たちに対し、でも犯罪者じゃん、でも大して仲良くないじゃん、などという冷めたマジレスを送ってほしくはないのだろう。
「それは現実逃避だろ…女ってそんなんばっかかよ…」と思われる向きはよくわかる。
既に怪獣優生思想はグッズも多数出ている。製作側としては人気がでないよか人気が出た方が助かるという気持ちはあるだろう。在庫の山を抱えたままでは次回作を作ることもままならない。
キャラソンという媒体を買う人は少ない。ただの歌である。リーズナブルな値段とは言え本編のファンでもない限り、サントラでもあるまいし手を出す人間は多くはない。
ゆえに少なくともキャラに入れ込んでない層はキャラクターソングの複数購入などしないだろうし、待ちきれなくて配信で買うなんて真似もしない。
大抵の人はガウマ隊のグッズに手は出すが、という感じだろう。それでは商売上困るのだ。搾り取れるだけ搾り取らなければ社員を食わせていけない。次回作の質も上がらない。
とは言え傷の舐め合いには限界がある。
そしてそれに対して彼らは実はこうなんだよね、と外野が口出しするのも悪手だ。
対岸の火事に対して講釈垂れてるオッサンのレッテルを貼られてしまう。ファンたちは現在進行形で辛いのだ。
そしてそのファンたちの心を救う上で大事なのは、やはり公式からの言及だろう。
今回のキャラソンはそう言った視聴者に対するいわば手当て、治療薬、心の包帯のような面もあるのではないだろうか。
そんな奴はさっさとファンを辞めろ!という意見もあるにはあるだろう。俺だって一部の強いファンによって公式が歪められるのは本意ではない。
この曲の絆の部分のオーダーがトリガー側から来たのかそれとも作曲者側がそう言った視聴者側、というかファン心理を汲み取ったのかはわからないが、下手に解釈を深めるよりいい結果になったのではないかと思う。
字面通りにコンテンツを受け取りがちでそのコンテンツの受け取り方はディープな層からの受け売りであることが多い。
多数の意見に流されがちな無垢な視聴者は「良い」と言われたものにはそう言ったバイアスをかけがちだし、逆も然りだ。
実際検索をかける限り厳しめな意見が多かった怪獣優生思想へのツイートはキャラソンの発売によって曲自体の評価とその歌詞の明るさから好意的な方にスライドしたように思う。
こういう誤謬が広がることによって少しでもファンをとどまらせる目的もあったのではないか?
次から次へとコンテンツが現れるこの時代、都合が悪いことが起こったらやーめよ、と他のコンテンツを楽しめてしまうのがこの世界だ。
そしてその数はSNS上で見るよりも遥かに多い。アカウントを取得したとしても実際に積極的に発言する層はそこまで多くはないし、そもそもツイッターをやらずにアニメだけ見る人間も多い。そんな人間でもキャラグッズを買うのは珍しいことではないらしい。
自分の立ち位置を意識し、攻撃されないように流されるまま生きる。
そしてそれに向き合った夢芽は傷つき追い込まれ、だんだんおかしくなっていった。
そんな彼女を傍観者だった蓬が救う世界を、ダイナゼノンは描いた。
キャラクターのファンの心を救い、作品も汚さない。そう言った狙いがキャラクターソングには託されたのではないのだろうか?
もちろんただの製作側の一発ネタが良いように動いたという可能性も否定できなくはない。
けれど少なくとも作曲者側は売れるように書かないと次の依頼も望めないわけで、視聴者目線については意識するであろう。
どんな曲を顧客は求めているのか、そしてどんな曲ならば視聴者が受け入れ、話題にしてもらえるだろうか。プロである以上そこら辺は当然意識する。この解釈は受け入れられるだろうか?という問題も考慮しないはずはない。
その結果生み出されたのがこの曲ならば、それにも意味があるはずだ。
作曲家が魂を込めたこの歌を軽んじたくはないと推しの子を読んで思った。GOAさんがんばれ。
もう次回作にはマジでマジで期待している。前作の期待を遥かに上回るダイナゼノンがお出しされた今ハードルは上がるばかりである。
しかし市場至上主義の荒波にいる中、純粋に作品を愛しているファンだけに接してはいられないだろう。今回獲得した新規客層がお金を落としてくれるよう、そして次回作がより良いクオリティになるようにその客層の目線に立って考えなければいけない。
そのためにも俺たちにはいくらかそういった媚びをゆるす鷹揚さが必要なのだと思う。
それは間違いなのだと断罪するのではなく、たとえ嘘や誤謬でも受け入れる鷹揚さが。それくらいでダイナゼノンという作品の輝きは消えはしない。
監督は人気のために作品を歪めるほど、作品に対して真摯さを欠いていないはずだ。
六アカを出せなくてもやってやると言ってくれた監督だからこそ、そしてこの素晴らしい物語を作り上げてくれた監督だからこそ、信用できる。
怪獣優生思想のファンが離れず、次のグリッドマンユニバースを楽しんでくれるよう、そのためにアニメーターを応援してくれる気持ちが萎えないように祈るばかりである。
あのグループの一員だ。
ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
それも結構笑いながら。
他人事とは思えなかった。
盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。
小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。
だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。
いじめっ子は本当に謝るのか?
ドキドキしてきた。
対談してもらおう!
最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。
しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。
以下、この対談の準備から失敗までを報告する。
いじめ対談のことを話す。
――まず、いじめられっ子を探すことにする。
「昔、いじめっ子だったんですよね」
という訳にもいくまい。
とりあえず『月刊ブラシ』を手渡す。
「ミニコミ作ってるんで読んでください」
「あ、ありがとう」
この間、約二秒。
ちなみに僕は普段いつも自分のミニコミを持ち歩いている訳ではなく、
この日持ってたのは本当に偶然だった。
「学年を超えて有名」だったとか。
対談依頼の手紙を書く。
住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、
この時の気分はうまく説明できない。
よくよく西河原さんと話してみると、
(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」
とのこと。
じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?
とのこと。
事前に手紙は送っているが、反応はよくない。
当たり前か。
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追記:はてなブログにも同じものを投稿しました。こちらのほうが読みやすいかもしれません。
https://bibokj.hatenablog.com/
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インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。
五年間顔を合わせたことのない隣人、
今は閃いたことを全部やるようにしている。
インタビューをしてると、
関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか
そんなエピソードも大好きだ。
そんな僕にとって、"いじめ"って、昔から凄く気になる世界だった。
例えば
この会は新聞を発行していた。
確かに彼の髪は油っぽかった。
誰かが彼の髪にライターで点火した。
といった話を聞くと、
とか思ってドキドキする。
だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。
僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。
ぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。
「ディティール賞」って感じだ。
どうせいじめはなくならないんだし。
「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、
嘘臭くて吐き気がした。
いじめられた側の人がその後どうやって
いじめを切り抜けて生き残ったのか、
昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン』の小山田圭吾インタビューを
思い出した。
コーネリアスの件で問題とされているクイックジャパンが発行されていた当時は、「電波系」の根本敬や村崎百郎、「完全自殺マニュアル」鶴見済が活躍していた時代で、サブカルチャー(カウンターカルチャー)として悪趣味な世界観が消費される時代だった。
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
私は傍観者でしたが、「自分も壊れているし、君も壊れているし、社会(世界)も壊れているんだよ」というメッセージなのかなと思いました。
https://twitter.com/ak_tch/status/1417418603620491271
いま批判している人は、この時代を知らない若い人か、知っていたがそういうものを忌避していた人か、知っていてあえて無視しているのだと思う。
当時の自分もクイックジャパンを読んでいたのだが、twitterで紙面のキャプチャを一通り読んで感じたのは、あのときの空気感だった。
小山田圭吾に関しては「あー言ってるな」と。
時代の空気をキャッチアップして、わざと露悪的な表現で悪趣味を前面に押し出しているなと感じてた。
これはそういう時代性の発露であって、本当に起きたことなのかは定かではない。
個人的にはフィクション、もしくは一部が本当でも誇張されたものだと受け取っていた。
当時の表現がそうだったというだけ。
「誰も助けてくれなかった」っていう怨嗟の声
二曹はたちかぜ艦内にエアガン・ガスガンなどを不法に持ち込み、
レーダーやコンピューター機器など重要な精密機械があり立ち入り制限地区の「CIC室」(戦闘指揮所)でサバイバルゲームに興じていたことが後の裁判で発覚する
クラスのほとんどが自らの意思でいじめをやってるんなら、少数の傍観者に止められるわけないしそれで責められるのは気の毒だと思うけど、そんなパターン少ないでしょ
だいたいは一部の集団が勝手にターゲット決めてやってるんだから、その他大勢の傍観者がターゲットを除け者にしない、いじめとかダサくね?(笑)という雰囲気を作るなどすれば、いじめを止められるかどうかはわからんけど状況は変わるし、何より被害者の心が救われる
いじめる側よりいじめられる側の方が数が多いなんてこと基本的にはないわけだから、世の中の人間3分の1くらいはいじめ加害経験者だと思うよ
傍観者も含めたら大半になるんじゃない
そんな状況で「いじめ加害者は罪を償って生きるべき」とか「更生プログラムを受けさせるべき」と言ったってまぁ無理があるよな
実際、いじめ加害者のほとんどは何事も無かったかのようにその後の人生を生きてる
いじめ被害者からしたら全然納得できないけど、復讐が是とされているわけでもなし、加害者たちが普通の人生を送るのを黙って見てるしかないんだろうなと思ってるよ
https://twitter.com/decinormal1/status/1417082065032335363?s=21
私が考えたシチュでは、元ツイとは違い、見てるだけの傍観者も存在する。
これを見てて思ったのだが、見て見ぬふりをする人は犯罪者という理屈を使えば、進学校に行こうとするために、大人しく傍観に徹した学生を絶望させることができると思った。今まで努力してきたとしても、クラス全体の名前を公開して、それがさらに拡散したら進学先は入れたくなくなる。だけど、残念ながら傍観者は加害者だという理屈は強い。自分のために無視をしたことは事実ではあるのだ。ひきこもり、もしくはレベルが低いところに行って後悔することしかできない。最高や。エロい。