はてなキーワード: ビジネスホテルとは
もうすぐ私の誕生日が来る。いちおう両親とお洒落なレストランに食事に行く予定ではあるが、ディナーだと猛烈に高そうな店なのでランチにした。しかも誕生日当日は母の都合が悪いので、食事会は誕生日の前日である。
で、誕生日当日と翌日も休みの予定にしてある。全然予定がないので、おひとりさまOKの温泉宿でも探して泊まりに行こうかと思っていたんだけど、今年は桜の開花が早そうなので、都内の桜の名所めぐりをするのも良い気がしてきた。
普通に自宅から行ってもいいんだけど、家だと油断して寝坊しがちなので、千鳥ヶ淵に近いビジネスホテルとかに泊まって、朝一番から桜の写真を撮りに行こうかな。写真が趣味なので、とりあえずカメラとかはいっちょまえのを持っている。足順としてどう回るのが能率いいだろう。思いつく名所は千鳥ヶ淵の他に上野公園、新宿御苑、あとちょっと不便だけど砧公園かな。多摩地区は23区内よりちょっと開花が遅そうな気がするので今回は除外しようかと…。こういう過ごし方ってどう?
新宿→小田急沿線に住んでるから東京に出る=新宿に行く、大分冷めたけど写真が趣味だった時は西口のカメラ屋街をうろうろしていた。あとみんなが出てきやすいからオフ会の街だった。
渋谷→今行くならBunkamuraで何か展覧会とか見に行くくらいかな。10代の頃ライブハウス通うのにハマって道玄坂の方とかも居たしNHKホールでライブ見る事もあるし音楽の街ってイメージ。あとラブホ街があるね、幸和ってところに適当に入ってみたらたまたまヒノキ風呂の部屋で楽しかったよ。
六本木→新国立美術館のイメージしかない。それ以外にあまり縁が無いところ
せっかくだから他の街の印象も書いてくよ
上野→美術館と動物園の街、横浜に住んでた時はアプローチしにくかたっただけど上野東京ラインが出来て気分的に近くなった、しかしその後小田急沿線に引っ越したのでまたアプローチしにくくなった。
秋葉原→私にとっては自作PCの街で再開発がされる前は8時くらいには目ぼしい店もしまってすぐに暗くなる街って印象だった。その後飲食店が増えて郊外のどの場所から出てきても不公平感が無いから新宿と並んでオフ会で良く使う街になった、まあリナカフェに入り浸るtwitterユーザーだったってのもある。JRの駅にほとんどくっついた様な形でRemmって言うビジネスホテルの少し良い奴みたいなのあるけどあれのレインシャワーは好き
御茶ノ水→長い付き合いの友達が明大に通ってたから微妙に縁がある、椎名林檎が「リッケン620頂戴 19万も持ってない御茶ノ水」って歌ってたように楽器屋街でもある、あと定額音楽サービスに入ってからは足が遠のいてるけどジャニスって言う有名なレンタルCD店がある
銀座→各県の物産店が集中してる、個人的には高知県物産店と鹿児島県物産店(場所的には有楽町だけど)がお気に入り。あと高級ブランドショップの本店があったりするからそういう用事でも行くかなあ。個人的には八重洲のあたりと含めてもうちょっと開拓したい所。
日本橋→三越と高島屋の本店がある。高島屋で月初めにプレミア焼酎の懸賞をやってるからたまに応募しに行く(当った事は無い)、あとエレベーターガールが居たりするのと年季の入った建物がやっぱり本店って感じがする。
表参道→銀座と似ているのかな、高級ブランドショップ街がある。渋谷にも銀座にもApple storeはあるけどなんとなく表参道のを使う事が多い。冬の時期だと福井県物産店で水ようかん買ってく事が多い。
新大久保→まあコリアンタウンなんだけど最近はイスラム系の店が固まって出来たりその他モロモロの地域のエスニック料理屋あったりと混沌としている。路地裏の変な料理屋にふらっと入ってみるとカルチャーショックを味わえる、そして時々大当りの店が見つかる。
品川→アンミラがある、あのアンミラがある。実家住まいだった頃は京急で東京に出る事が多くてここで降りて何かすると言うよりは乗り替えのための場所。でも東京に出る=とりあえず品川に向うだったので結構印象深い場所。
書いてみると結構あれこれ上がってキリがないので山手線内だけでとりあえず打ち切る。池袋とか目黒・恵比寿も入れたかったんだけどあんまり印象が無い(あそこら辺も掘り下げると楽しいんだろうけど)
これだけ細々と上げられるのは東京都外に在住してるからかもしれない、それでも9割の用事は町田なり横浜なりに出れば済むんだけど……
やっぱり百貨店にしろ同人誌ショップにしろPCパーツ店にしろ東京の特定の街にある本店に行った方が売り場が広いし探しやすいみたいなのがあるのよ。
逆に言えば普通に生活するなら家のある駅と都心を往復してるだけで大抵の用は済むんじゃないかな、東京のどのあたりに住んでるのかは解らないけど。
気が向いたら山手線外編も書く。
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
初めてオーストラリアに来たのだが、オーストラリアの女性めっちゃかわいい。
小さくて白人なのは素晴らしい。もちろん日本に比べたらでかい人もいるけど、アメリカみたいに無駄に大きいわけではない。
泊まってたホテルの受付の人とか、めっちゃ小さくてかわいかった。3日目ぐらいのオフィスから帰ってきて、挨拶したとき、鼻の頭が赤くなってたので、どうしたん?って聞いたら、昼間ビーチ行ってきたから焼けちゃった、とかいうのも、とても可愛かった。というか、今夏だから皆薄着なのもいい。
そんなわけで、可愛いオーストラリア女性とにゃんにゃんするために、そのようなお店に行くことにした。さすがに、その辺の子を捕まえるわけにはいかない。幸いオーストラリアでは合法のお店がある。情報源はWebしかないのだが、golden appleという店を選ぶことにした。シドニーはアジア系の店が多いみたいなのだが、それは意味がない。移民の大半がアジアだということはある。
お店は、kings Crossという駅の近くにあった。めっちゃひっそりとしてるので、見落としそうになるけど、看板が出てるので探しだせた。地下が入り口になってる。中に入ると、受付のおばちゃんがいて前金制。結構店の中は小綺麗でちゃんとしてる感じ。クレジットカードも使える。amexは使えなかったけど。30分220AUD(約二万円)中に入ると女の子達がソファに座ってて、好きなとこに座る感じ。どういうシステムなん?と隣の子に聞くと、ここから女の子選ぶだけだよ、何か飲む?って聞かれる。そして代わる代わるに女の子達から挨拶される。
というか、黒人系が三人、アジア系の子がひとり…まじかオージーガールおらんやん…と一瞬戸惑った。前金制なので誰かは選ばないといけない。いや、黒人の子もアジアの子も可愛いんだけどね。
特にアジアの子は、私日本に住んでたことあるー、ってめっちゃ愛想がいいし、小さくて可愛い。ここがオーストラリアじゃなければ、間違いなくこの子を選んでる。どうしようかと、ビール飲みながらしばらく様子を見ることにした。黒人だと思ってたけど隣に座ってた子は中国人だそうで、何年オーストラリアにいるの、って聞くと15年とか…何歳だこの人。アジアのちっちゃい女の子は、私、お台場でガンダム見たことあるよーって絡んできてくれる。君よくしゃべるね(早く決めてよ)みたいなことを言われつつ、時間つぶしてると、一人の女性が戻ってきた。白人だ!さっそくどっからきたの?って聞いたら、オーストラリアだと。おぉ、これだ!と思ったのだが、めっちゃ背が高いし、腕中入れ墨だし、特に絡んでも来ないし、正直、お、おぅという感じ。正直アジアの子のが可愛いのだけど、ここまできたんだし…とオージーガールを選ぶことにした。
じゃあ準備してるから待っててね、とどこぞに消えていく。黒人の子が、運がいいね黒人ばっかりの時間も多いよ、って言われる、いや皆可愛かったから選ぶの苦労したんだよ、と言っても、ハイハイという感じに。
さて、オージーガールと個室に行くことに。感覚的にはドイツのFKKだね。ビジネスホテルみたいな部屋だった。
しかし、この子愛想が悪い。シャワーの準備できたからお風呂浴びてきて、とか、私飲み物(私の)とってくるから、と結構適当にあしらわれる。胸にもピアスがあって、あんまり触らないでね、キスもだめ、と何か少しずつ醒めていった。
自分は相手がノッテル感じじゃないと、自分も感じない人なので、正直あまり立つ気配もない。向こうはゴムつけて、とりあえずブローを始める。うーん、いけるかなこれ、って感じ。ブローしてる姿みたらキレイな子ではあるんだけど、興奮あんまりせんなぁ。じゃあ入れようか、騎乗位がいい?バック(doggy)がいい?と聞かれる。あれ、正常位って英語で何て言うんだろ。とりあえず騎乗で、というと、フニャッとしてるものを何とか入れてくれた。
やっぱりセックスって共同作業じゃないと気持ちよくないんだなと思いつつ、でも出さないわけにはいかんから、正常位に。(i"ll be on youみたいな適当なこと言った。)
もっかいブローしよか?と聞いてくれたけどいや、いけそう、と答えて何とかフィニッシュ。こんなもんか。終わるとめっちゃ愛想よくなった。
数日前の話。出張で東京のビジネスホテルに泊まったのだけど、エレベーターで部屋に上がって、宿泊階でドアが開いた瞬間の光景が意味不明だった。
狭い廊下に上半身裸の外国人がいっぱいいた。みんな白人系の男性で身の丈2mはありそう。1人はベッドの上で寝ていて、胸のあたりにコードを貼り付けている。それを3,4人が取り囲んでいて、英語でぼそぼそとしゃべりあっていた。
一体どういう状況なのか。
まずベッド。折りたたみベッドみたいなものがエレベーター出入口の真ん前に置かれていた。どこからもってきたんだろう。
コードは医療用っぽくて一瞬救急救命中かとびびったが、寝てる人も取り囲んでいる人もみんなニヤニヤしててなんかよくわからない。たぶん私のびびってる顔を見てさらにニヤニヤしている。怖い。みんなでかくて威圧感すごい。
しかも私の部屋はエレベーター出てすぐ真ん前、ベッドで塞がれていたのだった。ドアの真ん前にいるお兄さんは裸じゃなくてホテルのガウンを着ていて、洋画のワンシーンみたいだ。でも胸元のホテルチェーンのロゴが金色に光ってるのがちょっと無念。
とりあえず状況が意味不明すぎて固まった私は、そのままエレベーターのドアを閉じてフロントに戻った。フロントマンのお兄さんに話したらめっちゃ怪訝そうな顔しながらついて来てくれて、多分びびりながら得意じゃなさそうな英語で頑張って部屋に帰るよう伝えてくれた。外国人のお兄さんたちは「あと2minutesしたらどくよ」みたいなことを言ってhahaって笑った。
で、お兄さんたちの間をすり抜けて部屋に入った私。ドアの覗き穴から見ていたら、お兄さんたちはやっぱりぼそぼそ話しながら、2分も経たないうちに私の両隣の部屋に分かれて帰っていった。寝ていたお兄さんも普通に歩いていて、ベッドは畳んで部屋に転がしていった。私物だったのか。
あれから時間をおいてみたけど、やっぱり事情が飲み込めなくて筆をとっている。すごく異文化圏にやってきた気分。ちなみに夜間に両隣がうるさいとかいうことはなかった。
東京くらい人が集まる街だと、こういう事もあるのかしら?
ローソンで1年くらい稼いだ。
疲れて帰宅後何も手に付かなくなるのて割に合わなかった。
辞めてしばらくして、時間の浪費でしかなかったと強く後悔した。
先日、国内旅行の下調べでレビューを漁っていると、ビジネスホテルやファストフードに「接客」を求め、それこそ憤慨している人が多く不思議だった。
学生の貧乏旅なので、接客を期待できるほど高級なところは見ていない。
実際に函館のハンバーガー屋に行くと、たしかに愛想はなかったし時間はかかったが、ハンバーガーが美味しかったので何も不満はなかった。
もしかすると自分も、接客を求めて怒り狂う側になっていたかもしれないと思うと、コンビニ店員をやってて良かったと思えた。
アルバイトは稼ぐ手段でしかないので、愛想を振りまく義理はない。
店の売上も全く興味がない。
それこそ客が減ったほうがアルバイトは楽になる。
コンビニのレジで面と向かって怒り狂う大人を観察すると、「とにかく余裕がない」ことが感じとれる。
グラタンが熱くて落としてしまったとき、もう一つ持ってきて温めるだけの話だが、パニックに陥る客がいる。
グラタンが買えなくてもどうにかなるさ、と思えないのだ。
文章で啓発できる話ではない。
根深い。
ところで、コンビニ店員らしき学生が「誰でもできる仕事ではない!」と主張するツイートを見かけるが、つらさ自慢にしかなっていない。
覚えることがいくら多くても、判断とか理解が要らない単純作業の積み重ねである以上、専門性はなく、誰でもやればできる。
本当に自分が得意なことは何ですか。
今年の夏コミで販売されたこの本について感想を述べたいと思う。
私は今年、夏コミには行かなかった。その前週に自ジャンルのオンリーイベントに一般参加していたこと、また個人的に引越しが決まっており、夏コミが
その直後の日程であったため、関東への遠征を躊躇ったためだ。だから私はこの本を夏コミ終了後、通販で購入した。
こういった感想の類はそれを最初から最後まで全て読んでから行うべきだとは思うのだが、如何せん、私はこれを書くまでこの続きを読むことが出来そうにない。
だから読了を待たずに記述を始めしまっていることを、どうかご容赦いただきたい。
さて、本書はすでに読み終えている17ページに至るまでにも、既に様々な恋愛をする女の話が書かれており、各々に大変興味深く、その全員が愛すべき女達であると感じた。
故にそれら全てに言及するのも吝かではないのだが、そうなってはこれを書き終えるのがいつになるのか、何字を費やすか分らなくなってしまう。
それでは困る。
本書の続き、17ページ以降をいつまで経っても読めないではないか。私は続きが読みたい。
しかし、読んでいて、どうしても感想をしたためたくなってしまい、いてもたってもいられなくなった。
ひとまず「夫のちんぽが目覚めない女」について、感想を述べさせてもらいたい。
「夫のちんぽが目覚めない女」と題された本書16~17ページに書かれるのは既婚女性の28歳、初恋の相手が名古屋稚空というチンアナゴさんという方である。
この初恋相手の名前の読み方と、何の漫画に出てきたキャラクターかがすぐに分かった私は、それまでの項と同様に早速読み進めた。
チンアナゴさんにはEDの夫がいて、1年半になる結婚生活の中で一度も本番行為をしたことがないという。
私にとってはそれだけでも、大変共感できるような内容だった。
読めば読むほど、そうだよそうだよと頷ける部分が次から次へと出てきた。
私には5年8ヶ月付き合っていたが、その交際の中で一度も本番行為をしたことがない彼氏がいた。
その彼との関係と共通する内容がこれでもかというくらい多かったのだ。
彼のオタク趣味が鉄道で、自分のオタク趣味がアイドルであること。
それに何より、彼に向ける性欲。それが私のそれとぴったり一致していた。
私もチンアナゴさんと同様、挿入と射精のない性行為に達成感のなさや苛立ちを感じていたし、
今日は立つかもしれないと期待させられてだめだった時のやるせなさを幾度と感じてきたか知れない。
また、私は彼との交際中に彼以外と性行為をしようとしたことはなかったが、チンアナゴさんが
友人男性と実際に行為をして感じた、「好きな彼に挿入されたい」という気持ち。それが痛いほど分った。
痛いほど、というと月並みな比喩表現になってしまう気がして、正確に私の気持ちを伝えられない気がしてあまり使いたくないのだが、本当に心が痛くなった。
私はいくつかの行を泣きながら、時に何か呻き声をあげながら、読んだ。
特に「夫は優しくて、私には過ぎた良い人で、大好きだ」という部分は、涙が止まらなかった。
そして本稿は、「だけどこれからもずっとこの生活が続くかと思うと真っ暗になる感覚がある。」という文で締めくくられる。
そこには、どうにかしたいがどうすることもできない、という悲哀と絶望が満ちているように思った(あくまで私が感じただけだが)。
私もまた、この悲哀と絶望を知っていた。
これまで私はこの悲哀と絶望が自分だけのものであるかのように錯覚していた。
何故なら、私の知る限り、このような感情を抱いている同じような人というのが全くいなかったからだ。
普通は恋人がいて長く付き合っているのであれば、セックスしているということは、当たり前であり、普通なのである。
5年付き合っている恋人がいると話すと、それだけで、性行為を前提としてその関係を捉えられてしまう。
聞かれることに適当に頷いておき、性行為を前提とした普通のカップルであることを装った。
せめて周囲が思い描いている姿くらいは、普通の、当たり前のようにセックスを伴う恋人同士であって欲しかった。
だから私の悲哀と絶望は、誰にも打ち明けられることはなく、私だけのものとして胸の奥に仕舞い込まれていたのだ。
おそらく、ネット上であれば、例えば知恵袋的なもので同様の相談が見つかるとは思った。
しかしそれを探すことはあえてしなかった。
本気で悩んでいたからこそ、インターネットの匿名性が生む、無責任な回答を見る気にはなれなかった。
例えば、誰かがある犯罪について自分の意見を増田か何かに書けば、同時にそれに意見する様々な意見・反論が生まれる。
ネット上に生まれる意見達はそれが賛同であれ反対であれ、切っ先が鋭い物が多いように思えて、恐ろしかった。
(それでは何故今こうしてこんな増田を書いているのか?と、鋭い意見に文字通り切り刻まれてしまいそうだが、
「もう仕舞い込みたくない」というたったそれだけである。この増田の行く末を私は一切見ないつもりだ。)
だからこそ、この「夫のちんぽが目覚めない女」に胸を打たれたのだ。
同じような気持ちを感じている、私とそう年も変わらず、同じオタクでもある彼女に共感せずにはいられなかった。
私は気付いた。
私の胸の内が完全に晴れなくとも、私と似たような経験をしている誰かが存在しているという事実、それがあるだけで、私は救われたような気持ちになれた。
誰かに相談すること、質問すること、それに対して意見をもらうこと、そして解決されること、そのどれもが絶対に必要なものではなかったのだ。
ネット上の掲示板や増田のように投書に対して必ず反論や意見を伴うという媒体ではなく、一つ一つ、一人一人のエピソードを紹介する形式のものだ。
それが、私を救った。感謝した。
きっとこの2000字程度の文章にこのエピソードがまとめられるまでに、チンアナゴさんは多大なエネルギーを要したのではないか。
「だけどこれからもずっとこの生活が続くかと思うと真っ暗になる感覚がある。」という最後の一文からも分るように、彼女の悲哀と絶望はまだ終わっていないのである。
過ぎ去った過去のことを思い出したり、自分の中で決着が着いたことを書くのであれば、そこまで負担は大きくない。
しかし、現在進行形の内容であれば、その主体である自分自身をある程度客観的に眺める必要がある。
それが、現在進行形であればあるほど、難しく、エネルギーが必要なはずだ。
自分主体の勝手な謝辞になって申し訳ないのだが、一先ず、そう言わせてもらいたい。
最後に私の話を少しだけする。
私がチンアナゴさんと決定的に違う点を挙げる。
それは、私がもう彼とは交際していない、という点だ。
先ほど書いた通り、「私には5年8ヶ月付き合っていたが、その交際の中で一度も本番行為をしたことがない彼氏がいた。」のだ。
今まで散々、共感できる、と言い続け、なのにオマエは別れとるんかい!と、自分でも思うし、少し後ろめたいがもう少し続ける。
別れは彼から告げられた。
彼の誕生日にビジネスホテルで1泊し、相変わらず本番行為もなく、プレゼントを渡した後、関東に戻る彼を
見送った後、ラインがきた。
ラインには、
私との付き合いに限界を感じていて、もうそろそろ手放して欲しい、私のことは好きだし
話をするのも楽しい、尊敬もしているが、付き合うという感じではなくなってしまった、
という旨のことが書いてあった。
そこには彼の、その誠実な人柄が表れていて、私はそれを読んで一人、部屋で号泣した。
ラインで良かったと思った。直接言われたり電話なんかだったら、きっと泣いて泣いて、何も言えなかっただろうから。
泣きながらでも、今までありがとう、元気でね、と返事が打てて本当に良かったと思う。
それがちょうど6日前の話だ。もう6日も経ったのかとも、まだ1週間も経っていないのかとも思う。
何はともあれ、彼にとって私は「付き合うという感じではなくなって」しまっていたのだ。
ものすごく平たく言ってしまうと、話すのは楽しいけどセックスは出来なくなってしまった、ということだった。
「付き合う」という言葉に唯一当てはまらなかったのはセックスをしなかったというその一点だけだったので、そう解釈して間違いはないだろう。
付き合っている間にそれを本人に確かめたわけではないが、もしEDであったなら、「付き合うという感じではなくなった」という表現にはならないはずだ。
だから「私が彼にとってセックスをする相手として選ばれなかった」というのが真実だったのだ。
事実、最初の2~3年くらいまでは彼が私に向ける性欲を感じていたし、私を前に立たせているのを何度も見たことがある。
しかし、お互い童貞と処女同士で何となく本番が上手くいかず、時間が経つにつれて、いつしか欲望を抱くのは私だけになっていた。
私は「この悲哀と絶望が自分だけのものであるかのように錯覚していた」と前述したように、それを自分の胸の内だけに押し込めてきた。
彼にそれをぶつけたことはなかった。
ぶつけてしまったら最後、誠実な彼はきっと私に真実を告げるだろうと、私達は一緒にいられなくなってしまうだろうと、そんな予感があったからだと思う。
だから私は性行為について、最後まで彼に自分の気持ちを述べたこともなければ、彼の気持ちを確かめたこともなかった。
もし、この本を夏コミの会場で手にしていたらどうだっただろう。
まだ彼と別れる前の自分が読んでいたら。
「事実」がハッキリと分かる前だったら、今よりももっと共感していたかもしれない。
しかしいずれにしても、「夫のちんぽが目覚めない女」は私を救ってくれた。
5年8ヶ月付き合った彼と別れた直後で、まだそれを全然受け止めきれず、整理のついていない私の心を救ってくれたのだ。
だからもう一度言う。
ドミトリー(相部屋)の安宿に泊まっていたんだけどトイレも共有なんだよ。
それで大する時にスマホが落ちそうだからちょっと置いて用を済ましたらそのまま置き忘れた。
受付の兄ちゃんが笑顔で「お前スマホ置いてったろ」ってスマホ返してくれた。
(日本語表示でわかったんだろうと思われる。)
1とは違う安いビジネスホテルみたいなところに泊まったんだけど中国のホテルはデポジット取るんだよ。
そこは100元(1600円ぐらい)。
でチェックアウトする時に取り忘れた。(※)
一週間後に行ったら受付の姉ちゃんが
「お前、デポジット忘れた奴やん」って声かけられて返してくれた。
俺のデポジット100元はメモと一緒にご丁寧に保管してあった。
※
受付でチェックアウトしたら、係員に部屋チェックさせて備え付けの飲み物とか使ってなければ
全額返してくれる制度になっていたんだけど、俺がデポジットすっかり忘れてて
ホテルチェックアウト時に『部屋をきれいにして出る』っていうのはやめましょう。
使ったものは「使いました」と分かる状態にしておいてください。
https://togetter.com/li/1140645
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上記棘で「パッ見で未使用なら交換しないの?」とか「ベッドメイクをしないのか!」という意見が散見された為、
とりあえず『現場ではこうやっているよ』というのを書いてみます。
現在はフロント業務に従事していますが、研修段階で数ヵ月間のハウス業務を経験し、
現在でも人手が足らない時や繁忙期には客室清掃を行っています。
自チェーン内でのみ観測範囲ですが、弱小チェーンで以下の対応なので、大手や有名どころシティホテル関係はコレ以下って事はないと思います。
インスペクションという清掃チェックを持ち回りで必ず行います。
なので、インスペ時の手直しが多くなりがちな人はハウスさんの間でものすごく嫌われます……。
(チェックを行っているにも関わらず、ミスが残ってしまう事もあります。
人がやっているからというのは言い訳でしかないですが、逆に意図的に手を抜いた訳ではないのです……申し訳ございません)
それなのに「パッと見キレイだからここ省こう!」とかやったら当然お叱りは通常時の何倍になるか……。
おそろしい おそろしい
そもそも、そういう杜撰な個人物差しで清掃している方は他の部分でもっとヤバいミスをやらかしてると思います。
お客様からのお叱りを受けた場合は必ず担当清掃者とチェック者に指導を行います。
上記のように、もし手抜きが常態化してるなら必ずお叱りが通常の倍以上来てるはずです。
何度も指導されている職員や業者は当然ですがその内解雇されますよ。(そんな酷い人には出会った事ないですが)
やりません! というのも、タオルもタダじゃないんです……。
清掃に使って汚れや匂いが落ちなかったら、その分のタオルは廃棄するしかありません。
もちろん、清掃個所によって使い分けを行います。(トイレを掃除した布でガラスを拭いたりは絶対しません)
袋状のもので、明らかに開封されていないのものはそのままお部屋に設置しています。
袋がよれよれ、水に濡れてしまった、などがあれば中身に関わらず撤去します。
タオル、バスローブに関しては使用、未使用に関わらず取り替えます。
それに未使用を回収しないホテルが仮にあったとしても、ホテル規定のたたみ方と違っていたり、設置方法が間違っていたりしたら気づくと思います。
(ロゴが見えるようにする、折った山側を手前に置くなど細かな規定があります)
私は、畳まれたタオル回収時に中から下着がポロッと出てきた経験があります……。
個人に判断させると、人によってボーダーラインが変わる上にお叱りを受けるリスクが高まるためすべて取り替えると研修中に聞かされました。
余談ですが、清掃で大変な事で『髪の毛を残さない事』はよく言われますが、
同じくらい現場で気を使っているのが『水滴を残さない事』です。
カードキー式の客室だと部屋を出ると電源供給がストップしてしまうので、