はてなキーワード: バトルロワイヤルとは
すっっっっごいすごい
まずはじめに、俺がポケモンを真面目にやったのはリメイクじゃないオリジナルのサファイアが最後。
今回またポケモンをやろうと思ったきっかけになったのはもちろんポケモンGO。
ポケモンにモンスターボール投げてAボタン連打してたあの頃がフワッと頭のなかに舞い戻ってきたわけ。
夢中になってポケモンを集めてたんだけど、やっぱり何か足りないんだ。あの頃やったポケモンとは何かが違うんだって思ってた。
こんなわかりやすい釣り針はないってくらいギラギラ光った釣り針に、コイキング並の速度で食いついてすぐ○mazonで予約したね。
予約してから発売まではもうはねるしかできなかった。あやうくPPが切れてわるあがきするところだった。いやしてた。
そして発売日当日、いい忘れてたけど俺社会人ね。ポケモンにこんな心躍らせてるけど俺社会人ね。
で、仕事が終わったら、というか終わってなかったけど最速のルートで帰宅。
そしてパッケージに描かれた伝説のポケモンらしきライオンさん。
ネタバレは一切見ないように気をつけて公式サイトすら見てなかったから、新ポケモンで見たことあるのはこのライオンさんだけだった。
ところでクリア後に調べてみたら発売前にかなりの数のポケモンが公式サイトで公開されてたみたいだけど、あれどうなの?知らないほうが楽しくない?冒険感薄れない?まあそれはいいや。
とにかく、ひとまず心を落ち着かせて夕飯を食べる。腹が減っては徹夜はできぬ。
というわけでゲームスタート。弟に借りた3DSにソフトを挿してスイッチオン。
まず3DSのホーム画面で「ほんとに3Dだ!」と驚いたわけだけど、平静を装ってポケモンサンのアイコンをタッチ。
オープニングのムービーでやられた。なんだこれはと。ポケモンか。
ネタバレ大嫌いだから詳しくは書けないけど、以下プレイ中の驚嘆の声をお届けします。
「なんか急にアニメみたいなムービー始まったー!? ポケモンてこんなにストーリー凝ってたっけ!?」
「奥行き!奥行きがあるーーー」
「なんかこうかばつぐんとか表示されるじゃん助かる!」
「コラッタお前どうしたその顔…!」
「最初のジムどこだろ、ジムまだかな、ジム、もしかしてない?ないのか!」
「着替えできる!散財したろ!」
「Z技なにこれダサ…超つよいカッケー!」
「スイミーじゃねえかっ!」
「バトルロワイヤルまじかよ!楽しそう」
「やまおとこwwwww」
「ほしぐもちゃん〜」
もう無理疲れた、とりあえずみんなやってみて。
これまでの流れ
増田A「モテるための努力しろ!持ってるカードで勝負するしかないんだ!あーしろこーしろ!」
↓
増田B「恋人は職業とかじゃないんだ!愛すことから初めないとダメだ!人を好きになれないやつはダメだ!いずれ破綻するぞ!」
↓
元増田「まず説教屋同士でバトルロワイヤルして、勝ち残った奴だけ説教しろ 」
↓
増田C「でも、好きなる事先行のやつってストーカ臭いよな。最初から恋愛すんな」
↓
元増田「やっぱり恋愛なんてしちゃダメなんだ!結局僕はダメなんだ!」
↓
増田A「モテるための努力しろ!まずは行動だ!そうやってうじうじしてるからダメなんだよ!」
そして歴史は繰り返す
今回は少年ジャンプ+
一撃のパンチでアグニが住宅側に吹っ飛ばされて大炎上し、あっという間に阿鼻叫喚の地獄に。
これがファイアパンチという奴か……。
まあ、そのパンチがアグニではなくて、敵側のパンチによってもたらされるってのが笑えるが。
その光景を眺める時の表情が呆然といった具合で、かえってリアリティがあるかもしれないな。
ユダの諦めは、現状に元々ウンザリしていたからってのもあるのだろうけれども、大氷河の事実と、今回の積み木を土台から跡形もなく壊されたような結果がきっかけってことなんだろうかね。
タバコを捨てる描写は最初ピンとこなかったが、そういえば少し前の話で再生能力を持った祝福者の吐くタバコの煙を、周りがありたがるみたいな描写があった気がする。
要は今回のあの描写は、タバコを捨てるイコール特別な祝福者として崇められたことへの脱却という解釈でいいのかな。
正直あの部分って、そんな強調して描かれた場面じゃなかったから、ここでタバコを捨てる描写入れられてピンと来るほど印象に残っている読者ってどれだけいるのかなあ。
それとも、コミックスとかで一気に読む場合は、また印象変わってくるのだろうか。
黒霧……。
罰ゲームを食らいまくった状態の黒霧の姿には、不覚にもツボってしまったが。
私はこういうのはツボじゃなかった筈なんだけれども、どこの琴線にふれたんだろう。
それと相まって読後感自体も悪くない。
逆に言えば、それ位しか特筆して褒めるところが見つからないってくらい、特徴がない。
な、なんといえばいいんだろう、今回のエピソード。
メインキャラのアクが強かったのもあるんだけれども、展開といいアンサーといい、理屈といい、紡がれるものが私の中にスッと入ってこない。
すごく歪に感じた。
1話と2話でバックボーンが語られたキャラが、早速バトルロワイヤルして、片方が感慨もなく死ぬというのは、作風であったりこの漫画の方向性を読者に伝える上では機能しているとはいえる。
ただ、まあそれが読者の何割が求めている展開かっていうと疑問符がつくが。
登場するキャラに愛着が湧くかっていうのは購読していく上でのモチベの一つになりやすいから、今後も愛着が湧く前にこういう展開で物語から退場するようなら、気持ちの持っていきように苦労しそうだ。
庵野の居ないエヴァという発想がまったく無かった。思いつく監督でどうなるか考えてみる。 ※追記あり
左翼のシンジ君が共産主義の理想を抱いて封建的なゲンドウに挑むが、ソ連軍の介入に遭ったことで共産主義に絶望。ジャングル等を転戦した後、饅頭を抱いて死亡。
ブランド物や最新パソコンなどを買うことに躍起になっていたシンジ君が、商品ではなく戦いの中に真の「人間の価値」を見出すようになる。ラストはエヴァで消費者金融のビルを破壊し、崩れ落ちるビルをアスカとともに眺める。
使徒との戦いに勝利するも絶望したシンジ君が、死に場所を求めて破天荒な戦いに身を投じていく。しかし全てはゲンドウ(cv.金子信雄)のシナリオであることに気がつき絶望。警察に包囲される中で拳銃自殺。
サードインパクトの中で1つになった人類、ゲンドウはユイとともにシンジに会いに行くが、年老いた両親にシンジは冷たく当たる。崩壊する碇家に同情するレイに、ゲンドウは優しい言葉をかける。
肺がんで余命半年を宣告されたゲンドウは、自らの半生を省みて、何の意味も無い人生だったことを悟る。そこで生きた証としてサードインパクトを完成させるが、その葬式で、「あれは私がやったことだ」と手柄を横取りしようと冬月が現れる。
謎の勢力に幽閉されたシンジ君が、単純作業だけをする無為な日々に絶望する。そこに来た新入りカヲルは、つまらない作業をもゲームにしてしまい、楽しみを見出してしまう。そんなカヲルをシンジは好きになるが、ある日カヲルが「ゆで卵を30個食えるか、賭けないか?」と持ちかけてくる。
・トラバのサム・メンデス版は笑った。登場人物がそれぞれの理想(=「アメリカンビューティー」/ユイに会うこと・贖罪)を抱いてもがく姿は共通。
・ブコメの宮崎駿版は考えてみたけど、駿のテーマ(①自然と人間、②労働、③物づくりのエゴ)ってのがエヴァと全然合わないのよね。①人も使徒も共に人間側だし、②シンジ君の悩みは労働で解決できていないし、③エヴァの登場人物で堀越二郎(ないし豚)みたいなエゴ持ってるやつが居ない。
実用目的、端的に言えば抜き目的で購入したエロマンガが、思いの外に凝っていた、という話をしたい
他人を意のままに操るアイテムを使って好き放題する系の話かと思ったのだが、
そして序盤はわりと期待通りの展開でうはうは、目的も達成できたのだが、
次第に雲行きが怪しくなってきた
あれよあれよと、バトルロワイヤルとかデスゲームとか称されるような、
群雄ではないけど割拠するような展開に、
たとえが適切かわからないけど、鬼作さんみたいな感じといえば伝わるだろうか
話題になっている飛影とか蔵馬とかの件はまた少し問題が異なる気がする
キヤノン先生も、あれはあれで素晴らしいけれども、また事情が少し違う感じ
教訓としては、事前の下調べは大事だということに尽きる
いちおう購入時には店頭で見本の確認をするのだが、必ずしも全部を読めるわけではないし、
そもそもあんな衆人環視とまではいかずともそれなりに他人の存在する空間でじっくりと吟味なんてできないし
だって恥ずかしいもん
スザクは正しくない方法で得られた結果はやはり正しくないと思ってる。
この溝は深い。
しかしのちにできる。そのときスザクはどうなるのか。また守るべき者を失った時スザクはどうなるのか。
自分個人の感情を言えば、国のトップにはルルーシュに立ってほしい。
なぜなら国家内には「正しい」方法や法律があっても、国家間には無いに等しい。自然状態に似た弱肉強食のバトルロワイヤル。
その中をスザクは守るべき者を守りながら戦うことができるのか。「正しい」方法と守るべき者の命の二者択一を迫られた時、どちらを選ぶのか?
これを書いた増田だが、ただ殴り書いただけなのにちょっと反響があってしまって責任を感じている。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
だから今回はちゃんと俺の言いたいことが伝わるようにまとめてみたよ!
あ、タイトルは注目を集めるためにつけただけで、本気でそう思っているわけではなので悪しからず。
本気ではないが、半ばそう思っているけれど。
俺はナルシストだ。
そして品がない。
育ちも悪いしコミュ障だし、人の気持ちもわからんしデリカシーも無い。
見る度に、チックが別れた女房と息子に会いに行くシーンと、インデペンデンス号が墜落するシーンと、ハリーの自爆間際の走馬灯とで3回泣く。
俺の読書体験を要約すると、『スレイヤーズ』にハマって呪文詠唱覚えたり『星の王子さま』に感動したり『それから』を読んで代助のガキっぽさに読んでるこっちが真っ赤になったり『キノの旅』を読んで1巻目のプロローグとエピローグ暗記したり『猫の地球儀』に号泣したり『世界の中心で愛を叫ぶ』に号泣した後で本屋に平積みされてる『ジョン・レノンにだまさされるな』をワクワクしながら手にとって20ページほど読んでそっと棚に戻したり『いちご同盟』に号泣したり『バトルロワイヤル』に号泣したり『殺×愛-きるらぶ-』に号泣したり『天使の卵』に号泣したり『アルジャーノンに花束を』に号泣したり『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んでわけもわからず激怒したり『ゼロの使い魔』読んでルイズに恋に落ちたり『フルメタル・パニック!』に号泣したり『とらドラ!』に号泣したり『永遠の0』に号泣したり『生贄のジレンマ』に号泣したり、まあだいたい号泣している。
こうして振り返ってみると読んでる本に脈絡ないなと思う。
ふらっと本屋で20ページぐらい立ち読みして、面白いなと思った本を買って読むからだろう。
あとは気分で話題になってるのを読んだりする。
テレビで『風立ちぬ』やったらしいから原作読んでみようか、とか。
夏目漱石とか太宰治とか川端康成とか谷崎潤一郎とか、国語の教科書に載ってるような文豪の作品も気が向いたら読んでみたりする。
ゲーテとかシェイクスピアとかカフカとかも、読んでみたことはある。
その中で、この人の書いたものは全部読まなきゃダメだ!って思わせてくれたのは秋山瑞人だけなんだよな。
『イリヤの空、UFOの夏』を読むと、
「ぼくは笑わない」
榎本の瞳の中に、どこか臆病な光が滲む。
「なぜそう言い切れる」
何度読んでもここで泣く。
これこそが文学だと思う。
さて、自己紹介もすんだところで俺の陳腐なブンガクロンの話でもしようか。
俺がむかっ腹が立って仕方がないのは「読書を教養を蓄えるための苦行と考えている人間」これに尽きる。
読書は面白いからするのであって、苦しむためにするわけじゃない。
ミステリが好きな奴は犯人探しにうんうん頭を悩ませるのが好きなんだろ?
重厚な哲学書みたいなのが好きな奴は、難しい話を読むのが好きだから読んでるんだろ?
読書が好きな奴にとっちゃ、当たり前だよな。
まさか、スタバでMac広げるノリで、ファッション感覚で分かりもしない純文学読んでる奴なんていないよな?
世の中には少しはそんな奴いるんだろうけど、こんな所でまで文学にあーだこーだ言う物好きの中には居ないだろう。
だからこの文章を読んでる人は、俺の嫌いな人間じゃないはずなんだ。
で、なんで読書が苦行と結びつくかと言うと、いわゆる「タメになる名作」って奴が歴史の洗礼を受けて生き残った、古い小説になることが多いからだ。
古い小説には、現代に生きてる人間にとって見慣れない表現が多く使われている。
当時の人にとって「ぐいぐい読ませる美しい名文」の集まりが、読書経験の少ない人には、まるでお経かなんかみたいに見えてしまっているわけだ。
だから「教養の無い人間にとっての、教養のための読書」は苦行になる。
そして、少し本を読んでるってくらいの俺にとっても、やっぱり明治の文豪の書いた文章は、血の通ったものには見えないんだ。
俺の思考、心、俺自身を構成する言葉の一部とは思えないんだよね。
なぜならライトノベルは、俺の心を作っている言葉、そのもので書かれた物語だからだ。
俺の体の中にある思考や心を、本という形で取り出した物だからだ。
文学かじってるような奴らは、『不朽の名作』なんて小っ恥ずかしい妄想を本気で信じてやがる。
断言してやるが、そんなもんはこの世に1作品足りとも存在していない。
全て名作は朽ちていくんだよ。
それは、作品に込められたメッセージが古くなるのではなくて、俺達が読めなくなるんだよ。
俺達には手が届かない。
だからどんな名作だって、その名作の本当の味を味わうことはできないんだ。
ショパンがその手で響かせていたピアノの音色を、俺達が耳にすることはできないように。
失われてもはや取り戻せない。
だけど、俺達はその片鱗だけでも、味わうことができる。
きっと完全ではないが、味わえる。
だって、人の心には百年でも千年でも、最も深い所に変化はないからだ。
そう信じるに足る何かがある。
眩いだろう。
なんか胸がときめくだろう。
ナルシスティックな気分になるだろう。
何十年かしたら、今読まれているラノベは苦労なしに読めない物語になっていくのだろう。
教養のための本になっていくのだろう。
それでいいんだよ。
そしたらまた別の何かが読まれるさ。
そうして俺達は滅びていく。
俺達の感動は、俺達の号泣は、俺達のナルシスティックな情動は、受験生を一喜一憂させる国語の試験の点数に押しつぶされて消える。
俺達が滅びた後で、意識高い系のインテリ気取りが20世紀末から21世紀初頭にかけての文学として、読み解くのに苦労するものとして、ラノベを語るのだろう。
それがちっとむかつくってだけだ。
ありていに言えばバトルロワイヤルの夢なんだけど、試合開始直前までの夢を見た。(33歳無職)
大きな大学の講堂のような場所で、100人ほどが座っていた。何が始まるのかよく分からないなという感じ。
で、バトルロワイアルをやるということが発表された。100人中3人生き残るらしい。30人中1人よりかはましかな?とは思った。
その瞬間から、いろいろなことを考えた。どうやって生き残るのか?ケータイとipadの充電を忘れてしまったがどうするべきか?
とりあえず、その場のリア充っぽい数人を観察、彼らは充電を始めたので、俺も充電させてくれと充電をさせてもらった。
100人中3人というのは、30人中1人よりグループ的な戦い方が求められると思った。
最初に考えたのは、「電子機器はかなり重要な初手だろう」「今俺は小さなナイフを持っているが、これを使って試合前から脅したり優位を保てたりしないか?」「試合前に死ぬってことがあるか?」
生き残るためには、試合開始からがんばるのではなく、試合開始前のこういう準備というかドーピングが大事だと思った。試合開始直後の初手をミスって死んだら努力しようがないと思った。
とりあえず、リア充っぽいがキョロっぽいやせた2人に声をかけて、適当に友好的にしておいた。彼ら二人は普段と変わらないようなノリっぽい感じだったけど、どうなんだろう。
次に、真性リア充っぽい、本田、遠野という2人のサッカーでもやってそうな奴らに話しかけた。ナイフを持っていることや自分の体格の良さをチラチラと見せて、相手も友好的にしたほうがいいと気づいたのか空気を読んだのか友達っぽくなる。
その他周りにいる奴ら数人ともつるんで、試合で手を組んだ方が良い、相手は100人だから、仲間を作った方が良いんだということはうすうす回りも気づいているのか、8人ぐらいのグループになったが、本田と遠野と自分が中心で他は金魚の糞っぽい感じ。
で、そのグループで俺がリーダーっぽくなった。試合開始前から小さいナイフを持っていたってのもでかかったと思う。
本田、遠野、俺、そしてもう一人、チャラい感じのリア充が乗った。
チャラっぽいやつは一人狼みたいなやつで、そいつとも軽く談笑した。
タクシーの中で、財布を回収された。この時点で、何気なく乗ったタクシーでもこんな感じなのかと1つ1つの選択の慎重さをもっと高めないとなと考えた。
がしかし主催者側でも、試合以外でのこういう事情は気にしたくないだろうから余りこんなところで体力使ってもしょうがないなとも思った。
試合場に入る前の建物についた。そこにはパソコンが100台並んでいて、そこで登録を行うらしい。
自分の席に座る前に、本田に、「100人中3人生き残るという話らしい、俺たちが生き残ったら、絶対本田を生かすようにするから」と耳打ちする。その気もサラサラないのだが、本田がリア充的友情を重く見る奴ならほだすことが出来るし、仮に俺を利用できると思えば試合後もきっちりグループは動くだろうな、という意識があった。
しかし、以上に怖かった。このパソコン登録はミスできない。画面を見ても、どこに何を入力できるか分からないし、クリックできるリンクっぽいのも多い。
これは本当に現実なのか?
ここで、1つの考えが浮かんだ。女子はどうするのだろうか?考えが浮かんだと言うより、最初にバトルロワイヤルの話を聞いたときからチラチラ浮かんでいた考えだ。
どうやら、20人くらいは女子がいるようだ。
女子は単体では生き残れないし、戦闘には微妙だしで、どうするんだろう。
1つ不安だったのが、「女子を使わないと生き残れないルールなんじゃないか?」というのがあった。それは最初に女子を見た時から思ったことだった。
女子を1人は確保しなければいけないのでは?という疑問があった。
何か会話のきっかけをつかまないとなあと思い。
俺 「なあ、これ、夢じゃ無いんだよね?」
女子 「夢じゃ無いよ」
その女子は見覚えがあった。不細工ではないが整っていない顔を しており、成績はかなりよかったはずだ。その女が妖艶な目をして覚悟を決めたように言ったその言葉だった。
俺は質問しながら、かなり恐れていた。こんな恐ろしい事に巻き込まれないように生きてきたはずだったのだと思っていた。そして、この女の目を見たとき、この女は覚悟を決めている、誰かの庇護に入れるなら入ろうとするだろう、女として生きるすべをしっていると直感した。是非仲間に欲しいと思った。生かすことは難しいけど役に立つなと思った。
と、そんなとき、軽そうでチャラっぽいが髪は黒な、なんというか幼さを残した風味ファッションの男に話しかけられた。
そいつは、肩に手をかけてきた。そいつの顔を見た瞬間、体が嫌な予感を感じた。
とっさに気づいたのだが、そいつは俺のパソコンの前のマウスのあたりに今手が伸びているはずである。
瞬間理解した。
登録画面の登録をミスなくやるために、俺のパソコンでためそうとしてるんだ。
気づいて思考したのは0.1秒とかで、顔を見た瞬間に俺の手はそいつの手があるだろう空間をつかんだ。うまく手をつかめて、マウスに触らせなかったが、指はマウスに触れていたらしい、カチカチとクリックされた。
幼い風「あ~これもダメかあ」
悪びれも無く言いやがった。俺は、小さなナイフを出そうと思ったが、試合前はまずいかとそれもやめた。
ここで、先ほど女に質問した「これ夢じゃ無いよね?」がリフレインした。
そうだよ、夢じゃなかったらなんでこんなことになってるんだ?
だがしかし、夢のようではなかった。現実以外にあり得ない風景だった。
精神を落ち着かせようとしたとき、音楽がなった。目覚まし時計だ。
俺は、目が覚めた。
夢でよかったと、1時間ほど放心していた。
先週「はだしのゲン」を巡る大きな騒動があり、ここはてな界隈でも話題となったことは記憶に新しいと思われます。
また、教育委員会自体は否定しているものの、右翼系団体からの圧力があったという話があったことも話をさらに大きくさせました。
この辺の話は極東ブログさんが事実関係及び時系列を客観的にまとめた記事があるので、そちらを読んだ方が手っ取り早いと思われます。
さて、ここでブックマークを拾いながら「はだしのゲン」を閉架処理にしてしまうことがいけない理由を見てみたいと思います。なお、これは私がチェックした時点(8月22日深夜0時)においてスターを多く集めている順に書いていることをあらかじめここに記しておきます。
まずは一番目に挙げた記事から見ていきましょう。
調べてみたら在特会が噛んでいた事案だった http://www.nicovideo.jp/watch/sm17718509
ケロイドまみれの人とかヒロポン中毒者とか、発達期の子供が読むとトラウマになる描写ばっかだからいいんじゃん。おかげで子供ながらに戦争・原爆とか絶対ダメだこれって思えたよ。
絵が嫌いで読まなかったけど、それを選ぶのは子ども自身であり、閉架扱いにしたら選択の機会が事実上殆どなくなる。閉架は隠すことと同じだろ。
わからんでもないんだけど、これって「なんか聞かれても答えられる自信がありません」っていう教育委員会の敗北ではないのかな。
不謹慎な言い方かもしれないけど「はだしのゲン」はホラー漫画であり、仁義なき戦いであり、人間の虚飾を引っぺがしつつ、人間賛歌でもあるという極上のエンターテインメントだよ。ぜひ小さいうちに読むべし!
進駐軍によるレイプシーンの事かな。私はあれでレイプの酷さを知った。小学生高学年以上なら大丈夫だと思うけど。/戦争の汚くそして酷い面を覆い隠して、何がしたいんだろう。
こうして見ると、はだしのゲンを戦争の悲惨さを刻み付けるために読ませるべきだという意見は三人ほどおり、またそれに賛同の意を示すかたが意外と多いという事実が分かります。(ちなみに、私はスターを入れていませんが、id:panamolyfumizouさんや、id:IGA-OSさんの意見に共感しました。)
二番目に挙げたブックマークでは某レイシスト集団、ひいては歴史修正主義者に対するコメントばかりなので、「はだしのゲン」という作品そのものに関するコメントは、人気ブックマークに現れていませんでした。もちろん、そういったコメントもあることにありましたが、人気のブックマークの一覧にはありませんでした。当該まとめが取り上げている事案が事案なので仕方がないでしょう。
とは言え、他の「はだしのゲン」を取り上げた記事においては、必ず一つは人気ブックマークにおいて「はだしのゲン」でトラウマが、「はだしのゲン」の描写によって戦争反対が云々、などと言及されているものがあります。また、子供の頃トラウマになった作品挙げていけなどといったしょうもないまとめ系記事でも必ず挙がり、ここでも戦争が云々などと必ず触れられます。統計的なデータは取っていませんが、ネット界隈を見渡す限り、このあたりは共通認識であると言っても構わないでしょう。まあ、統計云々以前に、少なくとも、「はだしのゲン」を読んで性的欲求を満たされただとか、積極的に首ちょんぱしたり戦争を行うべきだという思想を獲得したなどという感想はないことは言えるでしょう。
さて、長くなりましたが、ここからが本題、即ち表題に書いてることについてです。
表現規制賛成派がどういう理由でもって表現規制に賛成しているかはみなさんもよくご存知の通り、漫画やアニメにおける描写が現実の性犯罪を引き起こす恐れがあるということからです(もちろん、他にも理由はありますが、ここではこの理由に絞ります)。
つまり、例えば漫画やアニメの中で小学生あるいは中学生にしか見えない見た目の登場人物が、和姦であれ強姦であれ触手であれ蟲であれ、何らかの性的行為を行っている描写を読者が見て、現実世界でも実行しようという誘引が働くという訳です。米国で問題になったレイプレイの議論も参考になります。また、他の暴力描写が含まれる作品、例えばバトルロワイヤルなどを巡る議論も同様です。フィクションにおける描写が、現実世界においても同様の事例を発生せしめる可能性があるという科学的根拠のない意見でもって、規制をなそうという暴論がまかりとおっているのです。
ところで、上記に述べた「はだしのゲン」を小中学生に見せようという意見を見てみましょう。彼彼女らは、「はだしのゲン」を読むことによって子供達に何らかのトラウマを与えて、また戦争の悲惨さを教え、更にはレイプやシャブの非道さを教えられるというのです。
今度はポルノ表現を見てみましょう。ポルノ規制反対派は、猥褻描写が行われている漫画あるいはアニメを見ることによって、例えばレイプされても感じるのだからレイプしようだとか、現実の児童にも手を出そうとか、そんなことを読者が考えるとみなしているわけです。
この論理構造、本質的には一緒じゃないですか?即ち、何らかの視覚的表現が何らかの影響を読者に与えるというのです。私は、この点でもって、「はだしのゲン」は戦争の悲惨さを云々だという論理には危うさを覚えています。しつこく繰り返しますが、描写が凄惨な漫画を読んで反戦争を唱えると、レイプ漫画でレイプされている人が感じるということを"知って"実際にレイプするとは、本質的に同じ論理構造です。
私自身は、今回の閉架処分には反対です。理由は実に簡単で、漫画の表現なんて現実世界に何の影響も及ぼさないし、そもそも現代においては「はだしのゲン」なんか可愛く見えるくらいグロテスクな表現を使ったブツが大量にあるからです。そんな中で「はだしのゲン」だけを閉架処分にするだなんて無知きわまりないです。また、表現の自由という観点からもありえない決定です。ましてや、「はだしのゲン」が特定個人を誹謗中傷している作品ならまだしも、少なくとも史実にしたがって描かれた作品なのです。やはり、今回の松江市の決定は悪しき前例以外の何物にもならないでしょう。
なお、反戦に関しては、個人的にはたかが漫画を使うのではなく具体的なデータ及び記述でもって丁寧に教えた方がよっぽど良いと思います。情緒に反戦を訴えても意味がありません。それは、より強い思想によって塗り替えられるだけです。確固たる客観的記述を知ることの方が、歴史修正主義者たちの出す捏造された資料を読んで騙されることがなくなるためはるかに有用です。個人的に、ネトウヨがこうもうじゃうじゃいる理由はここにあると考えています。教育関係者には自省を促したいところです。
昨日もあったけど、実際高校野球もやったこと無い様な奴等が適当なこと言うなよ。
炎天下で野球の試合を行うこと自体はそれ程危険なことじゃない。
水分も充分取れるし、2、3時間の試合時間でベンチに居る時間もあるし、よっぽど異常な猛暑の日で無い限り熱中症にもならない。
それをバカみたいに「苦しみ抜いている姿に共感」とか言ってる奴も居るが、
スポーツで人を感動させるのは、死ぬかどうか、怪我するかどうかの所ではなく、
必死で頑張って戦ってる姿であって、主張が馬鹿すぎる。それなら高校生にバトルロワイヤルでもさせたらいいだろう。
今、野球界で問題にしてるのは投手の問題。これは夏の甲子園だけでなく、春も同様。
気温の問題もあるが、打者の仕上がりが春より夏のが良いのと、やはり最後だから、と言うことで(2年生投手でも3年生の最後の試合になるから)
無理をしてしまうことがある。
春なら夏を考えて、というところでも、監督としても夏は無理をさせてしまうところもある。
その結果、その後全く使い物にならなくなってしまう人が本当に多くいる。
勿論、高校で野球を辞めるからそれでも良い、という人も居るだろう。
だが、一人でも無理するような事が出来るなら、他の人も無理をしてしまう。
だから、ルール作りをして、球数制限をしたり、できれば試合間隔をもっと空ける様にする(これは結構難しいお思うが)しかない。
破滅*ラウンジは終わった。
「再生」という単語にこれだけの機能不全性を感じたのはいつ頃ぶりだろう。骨から離れてしまった血肉は再生のしようがない。真っ暗でなにも見えない。俺は虚ろな意識と視界の中、少しずつ思いだした。
破滅再生ラウンジの最終日、開始17時や18時頃はまだ平和だった、各々が好きにネットを、ゲームを、音を、絵を、工作を、プログラミングを、好きにやった。いつもどおりに。一見したらカオスなこの空間は秩序で保たれていた。ゴミと見まがう紛うばかりの作品達は黒瀬、浅子の手によって厳密に調整、配置され、終始鳴り響いている数箇所からの騒音も定期的にキュレーターの手によって均一に混ざり合うように調整されていた。しかし最終日、破滅メンツの合唱する「紅」によって覚醒状態になった人間達は調整の抑制を受けず、終了の時間とともに黒瀬、嘘、梅沢らを中央のPCでできたジャンクタワーに投げつけた。ジャンクタワーには似非原やパターサンの書き殴ったドローイング、同人誌、血、精液などがへばりついていたが、同時に包丁や割れたガラス片なども装飾されていた。そこに生身のキュレイターやアーティストが投げつけられたらどうなるか、想像に難くない。一触即発の緊張感で保たれていた会場の空気はカオス側の中心人物三人の内臓の吐露によって破滅した。作家も、鑑賞者も、ギークも、関係ない。ナンヅカに存在する人間はすべてジャンクタワーに叩きつけられ、同時に刻まれ、死亡した。逃げ惑う人間はすべて糸柳に捕まり、叩きつけられ、刻まれ、死亡した。地下に作られたこの空間は窓がなく、入り口も二つだけだった。一つは山本悠の巨大な作品と脚立によって鉄で溶接され、完全に塞がれていた。山本悠自身がよかれと思ってやったこの創作も、彼自身の死を呼ぶだけだった、愛する者の名を言いながら彼は死んだ。もう一つの出口は「受付」の奥側に搬入口として位置していたが、赤い奇妙な形をした立体的な椅子に大量に積まれた作品と書類と死体に阻まれて、ろくに通れる状態ではなかった。血と精液にまみれたそれらをかきわけても(同人誌で自慰する者と数少ない女子をライト・レイプする者で溢れ、会場内は白濁液でまみれていた。)、かきわけている間に正気を失ったギーク達に捕まり、ジャンクタワーに叩きつけられ、刻まれ、死亡した。「バトルロワイヤル」「バイオレンス・ジャック」「ベルセルク」「GANTZ」、なんでもいい、そういった虚構の物語で起きていた残虐な出来事が、延々と目の前で繰り広げられていた。唯一ギークの中で正気を失わなかったyuisekiは人を殺すことをせずに、左手と右手を失いながらも満面の笑みを浮かべながらインターネットに興じていた。最初から狂っていたのかもしれない。
大量のアニソンやらブレイクコアに混じって人の叫び声が聞こえ続けた。笑い声も聞こえ続けた。junkMAが音が発生する元となるジャックを次々と死体の内臓に突き刺すので、やがて音楽は消滅した。生きる者が次々と破滅する中で、生き残った者も自害し始めた。そして俺の意識は途絶えた。
目が覚めた時、俺は叩きつけられたまま意識を失ってたことに気づいた。先に叩きつけられた肉の上に叩きつけられたおかげで、致命傷に至らなかったらしい。しかしこの空間で血を流しながら数時間に続けることは自殺に等しい。十数年前のPCに付着した菌が培養され、確実に腐食しているのだ。少しずつ、死が近づいていることを知った。
暗闇に目が慣れ始めてきた。大量に積み重なる死体が、まだかすかに生きているPCの光に照らされて、見える。時たま、誰かの携帯電話が軽快なアニメやゲームのメロディを鳴らし、今は亡き主人を呼ぶが、答えることはなかった。見知った作家が幾人か死んでいるのを確認する。なぜこんなことになったのか、わからない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。「どうしてこうなった」というネットのジャーゴンがふと頭をよぎり、ふふっと笑ってしまった。模造紙オフや搬入、搬出の時などに、どうしてこうなったって言って笑いあっていたなと思い出した。そういう言葉はアートもギークも関係なく通じたし、一緒に笑い合えた。twitterをやり始めたのはいつだったっけな。なんだか最初のほうから始めている糸柳やyusekiって奴がいて、こいつらといつか面白いことができたらいいなって考えていたんだな、そういえば。理想的な形で一緒にできたとは思っていたんだが、まさか殺されるとはな。笑えねえよ。擁護した東浩紀と村上隆はなんて言うんだろうな…それが聞けなかったのが本当に残念だ。
死ぬ間際に幻影が見えた。再生ラウンジを取り壊し、破滅ラウンジを再構成して記録を撮ろうとしているカオスと破滅のやつらが見える。観客は誰もいない。それなのに、いつもどおり楽しそうに音楽をかけ、ゲームをし、ネットをしているあいつらがいた。それは、俺が体験したどの瞬間の破滅ラウンジよりも居心地がよく、満ち足りた空間だった。再構成の記録が終わり、電気が付いて明るくなった空間で彼らは誰かを祝っていた。一人女がいて、涙を流しながら喜んでいた。糸柳は用意されたケーキを包丁で丁寧に切り分けていた。包丁自体の重みでケーキ自体が歪まぬよう、慎重に分けていた。その包丁で女を殺すことも、犯すこともしなかった。それは幻影だった。
これはkanoseさんがちょっと最初に勘違いしてるんじゃないかね。
omiyuさんは「女子力」っていう表現に疑問を持ってるだけで、女子力を高めること自体には全然反発を感じてないと思うんだ。反発は感じてない、というか、少なくとも仕方がないものだとは思っている。
だからomiyuさん自身が発言中で女子力発揮するのは全然矛盾してない。
女子間のシビアな生存競争として女子力競争してるところを外野からメタに批評されるのが嫌なんだと思うよ。
そんな競争しなくても普通に生きていけるってだけで特権的な位置にあるわけだからさあ。