はてなキーワード: バトルロワイヤルとは
SFの祭典「ワールドコン」が大々特集されてたのは言うまでもなく、それをちらりと眺めたあとに、例の連載「ゼロ年代の想像力」も斜め読み。
今回で四回目。今までの第一回から第三回までは「ゾンビ退治」と年譜の「まとめ」に費やされてたので、どう展開されるのか、とても興味があった。
そして読んでみると、今回は「今までの第一回から第三回」までの「まとめ」だった。衝撃的展開。
因みに、次回からは3回分かけて、ゼロ年代の「今」の社会を描くことで「ゾンビ退治」をするそうだ。
いかに現在の思想・言論が「5年遅れている」かを明らかにする必要があるらしい。
そして今回の末尾で少しだが「ゼロ年代の想像力」の正体が明らかにされた。それは東が語った「小さな成熟」ではなく「謙虚なバトルロワイヤル主義」だそうだ。
ざっと斜め読みしただけだが、はてな村的には面白いネタではないかと思う。東浩紀の文章がたくさん引用されてたよ。
ついでに、東の次号の「SIGHT」誌連載コラムは「ゼロ年代の想像力」について触れられるそうだ。なんだこのマッチポンプ。以上。
「ぼくらの」の感想をたまに見て回ったりすると、「悲しい」「暗い」という文字ばかり目にする。「ぼくらの」は全然暗くないと思っている私は、それでたまに不思議になる。「悲しい」話であることは確かだけど、それは明るい悲しさ、すっきりする悲しさだと思う。「暗いぼくらの」というのは例えば、モジのことなんてどうでもよくてすぐ忘れてしまってただ単に助かったことを喜ぶツバサとナギ、みたいな、ダイチが死んで一家離散、弟妹は悲惨な将来、みたいな感じではないか。「ぼくらの」は基本的に死に際を見せる話で、それは大体(カコを除いて)、"満足できる死"として書かれていると私は思う。彼らの死は無駄にはなっていない(地球を救うことはおいておいて)、と書かれていると思う。
なので読んでて暗くなる、とか、カタルシスがない、という感想には「??」となる。受け止め方の違いだといってしまえばそれまでだけど、チズの回なんて吹っ切れた明るさがあって私は大好きだ(故にアニメは好きではない)。
「ぼくらの」は読んだこともアニメ見たこともない。でもOPをユーチューブで見たり、あとウィキで設定見たりとかだけで鬱になって、悲しすぎて吐きそうになる。だから何となく手が出せない。アニメなり原作なり最終回を迎えて、ラストがどのように終わるのか、ってのを聞いてからならただの作品として読めるかもしれないけど途中の今の段階では一々一喜一憂しなきゃいけなくてきっとついてゆけない。人が死ぬ、っていう点ではバトルロワイヤルとかも読んだことあるんだけど、その時はそんなにショックとか受けなかった。悲劇性、って点なら、友人と観に行った「誰も知らない」だって似たようなものだろう。でもその時はラストに、可哀想って泣きじゃくってた友人を見ながらえっこれって泣く映画なの??って思ったりしていた(実際にあった事件だってのは知ってたし、惨いとは思ったけど、)
でも「ぼくらの」に関しては悲しすぎて気持ち悪くて吐きそうになる。逃げ場がない、ってのが怖いんだろうか。でもそれはバトロワも一緒だし。ラストが見えてないから怖いと思うんだろうか。これが一番の理由っぽいなぁ。はらはらどきどきしたくないというか…完結してるオマージュ元ならまだ読めそうな気がするけど。作り物なんだから怖いとか悲しいとか感じるのはおかしいはずなのに、
それでも怖すぎて気持ち悪くて見る勇気が出ない。人が死ぬのが嫌なのかなー。
追記: