「「紅」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「紅」とは

2024-03-26

俺の名前「こうじ」って言うんだけど、

道行く人に「あ!小林製薬!」って言われないか不安

そもそも、俺の名字「紅」じゃないわけで、風評被害甚だしいよ

そういえば、紅さやかさんって人いなかったっけ?と思ったら🍒?みたい…

埼玉紅さそり隊って人もいるみたい…

くれないって読むとカッコイイよね、紅三四郎とか…

命くれない?とか…

俺の命、おまえに預けるぜ!とか胸熱展開だよな…

2023-08-04

anond:20230804133218

「紅」という歌詞意味は?

「紅」は「死」「血」「孤独」「絶望」「後悔」などの総称と考えて良いでしょう。

血に染まった自分、つまり、すでに死んでいる自分を慰めてくれる人はもはや誰もいません。

来世から一人孤独に現世を見つめる自分の切ない気持ち表現された1行です。

2022-11-22

まり意識されていないが、桜も「紅」葉樹だ

桜並木のとこだと、晩秋は黄変から朱くなったり焦げ茶になったりと色々まざっててキレイやで~

(o´・ω・`o)

2019-01-28

ポテトサラダりんご」はりんご自体に罪はない

ポテトサラダが大好きだ。

ポテトサラダ自分で作ると案外めんどくさい。

  1. じゃがいもを茹でる
  2. それをマッシュする
  3. さらにいろいろな具材と和える

という手順を踏むわけだが、自分で作ると

  1. じゃがいもを茹でる(次工程突破成功率:2割 茹でた状態で皮向いて塩かけて食うと上手いのでここで料理としての作業が終わる事が8割 2割はステーキの付け合せとして作っているという鋼の意志を持った状態突破可能とする。)
  2. それをマッシュする(次工程突破成功率:0割 マッシュした状態で既に美味しいのでマッシュしてそれに肉汁たっぷりソースをかけて食うとどうでもよくなる10割ここで止まる 鋼の意志といったが、鋼は柔軟だからこそ耐久力があるのである。)
  3. さらにいろいろな具材と和える(未だ到達できていない 未開の地)

となり、ポテトサラダを作ることが絶望的なのでスーパー惣菜で買う。

 

さて、本題の「ポテトサラダりんご問題だが、自分ポテトサラダりんごは断固として拒否する派である

だが、ポテトサラダ好きということをしった彼女焼肉の付け合せにポテトサラダを作ってくれることになった。

ポテトサラダに何が入っていると嬉しいかを聞かれたので「カニカマきゅうりレタス」が三種の神器であることを伝えて、買い物に一緒に行く。

そして、彼女が手にとったりんごに一抹の不安を覚えて帰宅するのであった。

 

帰宅すると、早速じゃがいもを茹でる彼女

「手伝おうか?」というと、「いつもコウちゃん料理してくれてるから今日ぐらいは私にさせて。ホットプレートとかの準備をお願い。」という彼女

どうしても彼女が手にとったりんごが気になる。

いや、ちがう。「カニカマきゅうりレタス」が三種の神器という話はしたはず。りんご焼肉を食べたあとにきっとお口直しに食べるだけだ。

カニカマきゅうりレタス」が三種の神器と言った。この3種のポテトサラダこそがポテトサラダの王であるとまではいっていないが、伝わっているはずである

 

そしていざ、焼肉パーティー開始である

早速、ポテトサラダ盛り付けてくれる彼女

 

わかる。

入っている。

りんごが入っている。

赤色が見える。

皮付きの薄切りで。(薄切りサイドの人間だったのかとここで知る)

赤色といえばかにかま赤色だがカニカマ赤色とは明らかに違う「紅」だ。

 

ここで、毅然とした態度で「ポテトサラダりんご邪道であり、断固として拒否する。三種の神器を侵すことは君だとしても許せない。」ということはできる。

子供らしく、りんごを避けることもできる。

俺がとった行動は「食べる」ことだった。

 

子供だった頃、母親が作ってくれたポテトサラダりんごはいってる確率はおおよそ3割だった。

ポテトサラダテンションがあがり、口に含んだ瞬間、「シャリッ」とりんごが主張してくるのが嫌いだった。

ポテトサラダはホクホクだから美味しいはず。自分マッシュするタイプポテトサラダ居酒屋で出てきて嬉しいのはそのホクホク具合を自分ごのみに設定できるからであって、「シャリッ」という食感は完全に邪道であった。

だけど、母親が「コウちゃんが大好きなポテトサラダだよ」といって作ってくれたポテトサラダを嫌いということが出来ず、我慢して「おいしいよ」といって食べた。

自分が対面しているポテトサラダもまた「コウちゃんが大好きなポテトサラダだよ」といって作ってくれたポテトサラダなのだ。俺には「おいしいよ」と言うしかない。

 

「おいしいよ。」

「よかった。どう?薄切りのコンポートにするとシャリッとした食感がないか大丈夫でしょ?」

 

彼女はわかっていた。

俺がポテトサラダりんごはいってる事を嫌う事を。

から、克服するチャンスをくれたのだ。俺はなぜか感涙していた。

 

思うに、りんごはいったポテトサラダの何が嫌いだったか

それは善意100%素直に受け取ることができない自分が嫌いだったのだ。

心の中で違うと思いつつ「おいしいよ」と心がこもってない言葉を発する自分が嫌いだったのだ。

 

「うん、思えば、別に味とかじゃなくてそのポテトとおもってりんごを食べた時の食感が苦手だったのかも。ありがとう。」

 

そう言いながら、食べるポテトサラダ焼肉よりもメインディッシュであり、デザートであり、やはりサラダであった。

2018-08-21

となりのトトロ』はどんな話か

トトロってどんな話なの?

https://anond.hatelabo.jp/20180820185203

となりのトトロ

トトロの下敷きになった話はビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』というスペイン映画で、ストーリーほとんどこれをなぞっているだけ(妖精が見える少女迷子になってしまい、みんなが探し回る話)。

「何が目的で話が進められてんのか分からん。」というのはある意味真っ当で、その原因はトトロにおいてはこの映画思想的な側面がすっぽ抜けているからだ。

これがどういうことかってことを書く。

ミツバチのささやき』は、スペイン内戦前後スペイン国民の欺瞞に満ちた状況を、一つの家族の中に落とし込むことによって戦後スペインのあり方を批判的に論じた作品だ。

たとえば、お父さんは弾圧を怖れて何も表現できないインテリになっているし、お母さんは過去を懐かしむだけの人間となり、お姉ちゃんスペインサツキ)は暴力的フランコ独裁政権に順応的な少女となっている。

この作品は当時の政治体制批判的な内容でありながら、当時行われていた検閲を潜り抜けるために、非常に難解なつくりになっている。

難解ではあるが、田舎牧歌的風景の中で2人の美少女サツキとメイのモデル)が走り回っている姿は観ていて居心地が良く、宮崎駿イマジネーションを大いに刺激したらしい。

宮崎駿の作った『となりのトトロ』のテーマは「子どものように偏見のない無垢視点物事を見ることが大事」という点にあり、これは『ミツバチのささやき』と共通する。

だが、国民欺瞞に満ちた状況を一家族に落とし込むというアイデアはここでは慎重に取り除かれている。

その結果、『となりのトトロ』は印象的なシーンは多いものの、テーマ性が弱まり、「何が目的で話が進められてんのか分からん。」ということになった。

紅の豚

紅の豚』は『風立ちぬ』と同様、宮崎駿自身を描いた作品だ。

このことはタイトルから明らかで、『紅の豚』の「紅」は、アカ、つまり共産主義者のことだ。「豚」は、宮崎駿がよく自画像を豚として描くことから分かる通り宮崎駿自身を指す。これをつなげると『紅の豚』とは「共産主義者宮崎駿自身」ということになる。(このことは宮崎駿の著書にも書かれている)

内容としても、飛行機好きの主人公がかっこ良く活躍するが、自分を慕う女性蔑ろにしてしまう(が、女性の方はそれを許容する)、というもので、宮崎駿生活をそのまま(?)なぞっている。

この構図は『風立ちぬ』でもほぼそのまま踏襲されている(結核の妻の隣でタバコを吸う!)ので比較して観ると面白いだろう。

2018-08-03

高畑充希って

せっかく歌上手いのに、CMで雑に使われすぎである

いまどきアカペラフルボイスの「紅」なんて歌われても、

いたたまれなくなるだけで、ネガキャンしかならない。

企画したディレクターがクソダサいことを重々承知の上で言うんだけど、

お願いだからもうちょっと仕事選んでほしい。かわいいから

 

ついでにいうと、渡辺謙の怒鳴る老眼鏡のCMもびっくりする。

あのくらい声を張らないと聞こえない年代の方がターゲットから

仕方ない面もあるんだろうけど。

それにしたって気合い入り過ぎである

ほぼ戦じゃん。

2017-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20170201224703

漫画少女漫画チックなのに(タッチではない)

アニメ戦闘描写を重視して売れるように再構成したせいで

原作勘違いギャグパートおざなりになったりしてるんだよなあ

正直「紅」よりもアニメ漫画の谷は深い気がするあとなんでまつ毛黒やねん

2010-05-28

謝肉*ラウンジ

破滅*ラウンジは終わった。

再生」という単語にこれだけの機能不全性を感じたのはいつ頃ぶりだろう。骨から離れてしまった血肉は再生のしようがない。真っ暗でなにも見えない。俺は虚ろな意識と視界の中、少しずつ思いだした。

破滅再生ラウンジの最終日、開始17時や18時頃はまだ平和だった、各々が好きにネットを、ゲームを、音を、絵を、工作を、プログラミングを、好きにやった。いつもどおりに。一見したらカオスなこの空間は秩序で保たれていた。ゴミと見まがう紛うばかりの作品達黒瀬、浅子の手によって厳密に調整、配置され、終始鳴り響いている数箇所からの騒音も定期的にキュレーターの手によって均一に混ざり合うように調整されていた。しかし最終日、破滅メンツの合唱する「紅」によって覚醒状態になった人間達は調整の抑制を受けず、終了の時間とともに黒瀬、嘘、梅沢らを中央のPCでできたジャンクタワーに投げつけた。ジャンクタワーには似非原やパターサンの書き殴ったドローイング同人誌、血、精液などがへばりついていたが、同時に包丁や割れたガラス片なども装飾されていた。そこに生身のキュレイターやアーティストが投げつけられたらどうなるか、想像に難くない。一触即発の緊張感で保たれていた会場の空気カオス側の中心人物三人の内臓の吐露によって破滅した。作家も、鑑賞者も、ギークも、関係ない。ナンヅカ存在する人間はすべてジャンクタワーに叩きつけられ、同時に刻まれ、死亡した。逃げ惑う人間はすべて糸柳に捕まり、叩きつけられ、刻まれ、死亡した。地下に作られたこの空間は窓がなく、入り口も二つだけだった。一つは山本悠の巨大な作品と脚立によって鉄で溶接され、完全に塞がれていた。山本悠自身がよかれと思ってやったこの創作も、彼自身の死を呼ぶだけだった、愛する者の名を言いながら彼は死んだ。もう一つの出口は「受付」の奥側に搬入口として位置していたが、赤い奇妙な形をした立体的な椅子に大量に積まれた作品と書類と死体に阻まれて、ろくに通れる状態ではなかった。血と精液にまみれたそれらをかきわけても(同人誌自慰する者と数少ない女子ライトレイプする者で溢れ、会場内は白濁液でまみれていた。)、かきわけている間に正気を失ったギーク達に捕まり、ジャンクタワーに叩きつけられ、刻まれ、死亡した。「バトルロワイヤル」「バイオレンスジャック」「ベルセルク」「GANTZ」、なんでもいい、そういった虚構の物語で起きていた残虐な出来事が、延々と目の前で繰り広げられていた。唯一ギークの中で正気を失わなかったyuisekiは人を殺すことをせずに、左手右手を失いながらも満面の笑みを浮かべながらインターネットに興じていた。最初から狂っていたのかもしれない。

大量のアニソンやらブレイクコアに混じって人の叫び声が聞こえ続けた。笑い声も聞こえ続けた。junkMAが音が発生する元となるジャックを次々と死体の内臓に突き刺すので、やがて音楽は消滅した。生きる者が次々と破滅する中で、生き残った者も自害し始めた。そして俺の意識は途絶えた。

目が覚めた時、俺は叩きつけられたまま意識を失ってたことに気づいた。先に叩きつけられた肉の上に叩きつけられたおかげで、致命傷に至らなかったらしい。しかしこ空間で血を流しながら数時間に続けることは自殺に等しい。十数年前のPCに付着した菌が培養され、確実に腐食しているのだ。少しずつ、死が近づいていることを知った。

暗闇に目が慣れ始めてきた。大量に積み重なる死体が、まだかすかに生きているPCの光に照らされて、見える。時たま、誰かの携帯電話が軽快なアニメゲームメロディを鳴らし、今は亡き主人を呼ぶが、答えることはなかった。見知った作家が幾人か死んでいるのを確認する。なぜこんなことになったのか、わからない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。「どうしてこうなった」というネットジャーゴンがふと頭をよぎり、ふふっと笑ってしまった。模造紙オフ搬入、搬出の時などに、どうしてこうなったって言って笑いあっていたなと思い出した。そういう言葉アートギークも関係なく通じたし、一緒に笑い合えた。twitterをやり始めたのはいつだったっけな。なんだか最初のほうから始めている糸柳やyusekiって奴がいて、こいつらといつか面白いことができたらいいなって考えていたんだな、そういえば。理想的な形で一緒にできたとは思っていたんだが、まさか殺されるとはな。笑えねえよ。擁護した東浩紀村上隆はなんて言うんだろうな…それが聞けなかったのが本当に残念だ。

死ぬ間際に幻影が見えた。再生ラウンジを取り壊し、破滅ラウンジを再構成して記録を撮ろうとしているカオスと破滅のやつらが見える。観客は誰もいない。それなのに、いつもどおり楽しそうに音楽をかけ、ゲームをし、ネットをしているあいつらがいた。それは、俺が体験したどの瞬間の破滅ラウンジよりも居心地がよく、満ち足りた空間だった。再構成の記録が終わり、電気が付いて明るくなった空間で彼らは誰かを祝っていた。一人女がいて、涙を流しながら喜んでいた。糸柳は用意されたケーキ包丁で丁寧に切り分けていた。包丁自体の重みでケーキ自体が歪まぬよう、慎重に分けていた。その包丁で女を殺すことも、犯すこともしなかった。それは幻影だった。

 
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