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はてなキーワード: ケアとは

2021-04-09

anond:20210409165034

貧困家庭へのケアはいいとしても、パワーカップルの方だって子供産んだら子ども手当もらえたりするし、その上でもっと育児やすしろみたいな運動してるわけで

中流以上が社会的ケア要求を「やってない」なんてことは全然ないよね

anond:20210409161942

それはその通り。「強者的な力を持っていないだけの中流以上の女性」という属性であることをもって社会的ケアする必要はまったくない。

女性に限らず生活に困るほどの貧困なら救済されるべき。

女性に限らず医学部入試点数操作をされたら差別なので是正されるべき。

女性に限らずハラスメント被害を受けたらケアされるべきだし、それ以前にハラスメント予防を組織として対策すべき。

女性に限らず夜道や満員電車犯罪被害に遭わないよう治安を向上するべき。

女性に限らず肉体に負荷の高い労働はひとそれぞれの体格や筋力の限界考慮されるべき。

女性に限らず出産育児休職や離職する人の復職支援すべき。

女性が被りやす不利益」だからといって女性向けのケア支援・同情をしたら、少数ながらそこから漏れ被害者(男性)がいる、という問題だと思ってたけど。

anond:20210409161346

そこでまた「じゃあ強者的な力を持っていないだけの中流以上の女性社会的ケアする必要なくない?」という話に戻っていく

anond:20210409145917

よくわからない。ずっと「弱者男性」の問題のつもりでいた。

貧困病気、あるいは高等教育を受けていないために、このままでは落ちていく一方の「弱者男性」や、誰かから不当な加害を受けている「弱者男性」は救済が必要だと思う。

でも、そうではない(強者的な力を持っていないだけの)男性社会的ケアする必要なくない?

そういう人たちは弱者男性じゃなくて「強者ワナビー男性」とでも呼んで、勝手に会話教室でも投資オンラインサロンでも行けばいんじゃね?

俺が弱い自慢ばっかだね

年収が5000兆円あろうが五体満足だろうが両性具有だろうが天上人だろうが

みんなそれぞれ辛さ弱さ抱えながら生きてて

それを理解されずに堪えながら生きてるのに

増田Twitterも俺の方が強い自慢ばっかで隣人に対するケアすら考えないじゃん。

車椅子なら非正規労働者配慮しなくていいのか?

独身貧乏ならヤングケアラーの辛さを多少なりも引き受けなくていいのか?

共働きの子育て中女性LGBT配慮する必要がないのか?

違うでしょ。

今の自分が辛いから、一方的に助けて欲しい!っていうのは違うでしょ。

辛くてもできる範囲で助け合う。

これでしょ。

どうしてそれができないんだ。

おかしいでしょ。

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

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弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの

経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

anond:20210408081321

弱者強者になったら弱者マウントが取れなくなるじゃないか

強い奴は弱い奴をケアしないといけないから、結局のところ弱い奴が一番強い

無敵の人が増えたら社会不安になるため一定サポートをするのも同じ理屈

無敵の人に近づくほどサポートが受けられる仕組み

減少する精子 人類の存続を脅かす、米疫学者が警告

引用内容

精子男性が主流に? 女性不妊も増加

スワン教授2017年メタ分析によれば、北米欧州オーストラリアニュージーランド男性精子数は、1973年から2011年の間に59%以上も減少していたという。このペースで行けば、2045年までにこれらの国の男性の半分が無精子となり、ほかの多くも非常に少ない精子しか持たない状況になるという。精子減少が起こるのは、プラスチック電子機器食品包装殺虫剤、パーソナルケア製品化粧品などに含まれ内分泌かく乱物質が、体内に取り込まれたためだと同教授は述べる。ビスフェノールAフタル酸エステルといった化学物質は、テストステロンエストロゲンを含む通常のホルモン機能に害を与え、たとえ少量でも成長途上の胎児に際立った危険を与えると同教授は指摘している。

  

  

  

引用サイト

https://newsphere.jp/national/20210324-1/2/

  

  

これが原因で男女逆になり始めている?と思った

2021-04-07

男女の幸福度格差の正体と、それを解消する方法

俺はもっと家事をしたい。家事労働はヒトを幸せにする。掃除洗濯や修繕や調理を通じて、また、傾聴や会話やスキンシップを通じて、妻や子どもに尽くしたい。それこそがヒト(俺に限らない)の幸せに直結することだからだ。

幸福は「与えた」愛情で決まる

ヒトは群れで生活する動物だ。他の構成員ケアし、食べ物を分け合って一緒に食べることに幸せを感じる。これは本能だ。また、ヒトは子育てする動物だ。同じ性質を持った他の生物と同様、子育てに喜びを感じるようにあらかじめプログラムされている。

ベンジャミン・フランクリン効果(助けた相手のことを好きになるという認知的不協和)も無視できない。手がかかる子ほどかわいい、という結果は、手をかけたという事実が生むものだ。家族に尽くせばつくするほど、家族への愛着は深まる。

幸せというのは、受け取った愛情で決まるのではなく、与えた愛情で決まる。愛されているか幸福なのではなく、愛しているから、愛を表現しているか幸福なのだ。実際に手をかけて、家事をし、話をし、食卓を囲むことで、そのように愛情を行動に移した者の幸福度が上がる。家事はその担い手幸福にする。

男性家事育児事実上の制限を受けている

しか現実、俺の家事負担は小さい。週にわずか6回、土曜の昼食から月曜の朝食の調理(買い出しと後片付けを含む)を担当しているのと、家や家財や車や自転車などの修繕全般担当しているほかはすべて手伝い程度で、家事らしい家事は何も担当できていない。俺が長時間の賃労働に縛り付けられているためだ。

家事だけではない。育児限定的だ。子どもの世話をしたり、子どもとともに食卓を囲んだり、さまざまな話をしたり、勉強料理スポーツを教えたり、宿題を手伝ったりといった、育児にかかわる時間の大半を賃労働に奪われている。これもまた、俺のヒトとしての幸福を大いに損なっている。

本邦の男女には世界一幸福格差女性幸福度が高く男性のそれは低い)がある。これを男性視点説明するなら、賃労働負担の大きさと、家事参加の少なさという両面が原因だ。とりわけ家事の少なさは重大だ。我が国男性世界一家事をしない。多くの男性幸せを賃労働に奪われているのだ。

男性が恒久的に時短勤務やパート勤務をする道は狭い

我が家結婚当初は、夫婦両方がフルタイムで働きつつ、平等家事を分担し、夫婦の両方が幸福を感じていた。だが子どもができて夫婦で話し合った結果、俺がフルタイム労働さら残業を増やして家計を支える中心となり、妻はパートタイム労働兼業主婦になることにした。

俺がパート主夫になる案も真剣検討したものの、却下せざるを得なかった。理由は、当時30代前半だった俺が昼間にパートまたは時短で働けて、家から近い職場がないことだった。ジェンダー平等を実感したのはこのときだ。オッサン兼業主夫になるのは非常に難しい。

結果、俺は大半の家事を妻に任せ、ごく一部しか担当できなくなってしまった。うちの場合家事全般について妻より俺のほうが得意であるあくま自己評価だが)にもかかわらず、だ。逆に、賃労働能力は俺よりも妻の方が高い(と俺は思う)にもかかわらず、彼女フルタイム労働を失った。

俺は、この国のジェンダー平等を恨んでいる。俺を賃労働に縛り付け、家事子育て(つまり俺の幸福)を奪ったからだ。

また、ほどよく分担できていれば、家事労働はそれをする者を幸福にする。だが、過分に割り当てられてしまえばそうも言えない。俺の妻はそれほど家事全般が得意でないにもかかわらず大半の家事負担しており、せっかくの家事労働の多くが単なる面倒なタスクになりがちだ。これは幸せなことではない。

ジェンダーギャップ労働問題に過ぎない

ジェンダーギャップ幸福格差不公平家事負担、結果としての男女の賃金格差などはすべて、要するに労働問題だ。男女で賃労働家事を公平に担当しにくい現行制度に原因がある。なので以下のようなことを強力に推進すれば、諸問題はすべて(少なくとも我が家が抱えているものはすべて)解決する。

意識アップデートでは男女平等は実現しない

俺は「意識アップデート」だの「意識改革」だのというものには期待していない。そんなものに期待していたら、ジェンダーギャップ永遠に解消しない。なぜならジェンダーギャップは、制度的な介入をせずに放置していれば自然に拡大していく性質を持っているからだ。

これは良い悪いの話ではない。生物としての自然本能と、適応の結果に過ぎない。

まず女性上昇婚志向がある。これは世界中のどんな社会にもあるものだそうなので、生物としての本能と言える。より多くの資源を獲得する能力を持つオスに魅力を感じることは、生物としてまったく自然だ。そして、ヒトのオスがそれに適応しようとするのもまた本能であり、生物としてまったく自然なことだ。

ただし社会全体でこの本能適応すればするほど、ジェンダーギャップは拡大する。女性上昇婚志向適応した男性たちは、すべての資源男性たちだけで独占し、資源へのアクセス権を女性から剥奪する。前世紀まで、まさにそのような社会世界中で構築された。

このようにヒトの本能ジェンダーギャップを拡大し固定化する方向に作用するため、ジェンダー平等自然に実現することはない。相手無意識下の本能だ。意識改革では解決できない。制度改革しか実現できないものだ。

クオータ制による解決

現実的な解は、強制的なクオータ制の導入だ。繰り返すが、意識本能は変えられない。だから制度を変えるのだ。クオータ制は、結果平等観点で厳格なものであればあるほどよい。

政治家企業役員はもちろん、あらゆる職種で男女比が1:1なるように枠を設け、罰則付きで厳格に運用する。外科医も、看護師も、消防士も、保育士も、研究者も、レジ係も、漁師も、助産師も、土木作業員も、歯科衛生士も、自衛官も、すべて男女同数にする。当然、仕事内容も拘束時間賃金男女平等にする。

当初は各職業における職能水準の低下が問題になるだろう。しかしそんなものは、ほんの20年か30年もすれば解消される。学齢期や新卒時を見ればわかるとおり、平均的な女性能力は平均的な男性のそれを上回っている。クオータ制の導入で一時的に起きる職能水準の低下の問題は、ほどなく時間解決するだろう。

労働家事労働も、男女がどちらか一方に押しつけることなく、平等負担し合う。夫婦のそれぞれが週に20〜30時間ほどずつ賃労働負担し、あとの時間生物として家族としての幸せを追求できる世の中になるのが理想だ。

夫は兼業主夫、妻も兼業主婦だ。

こうなるともはや、主婦主夫)という概念崩壊だ。だがそんな概念産業革命以降にでっち上げられたもので、男性を賃労働で使い倒すための便利な、そして非人道的ジェンダー・ロールだ。こんなものは徹底的に破壊し、すべてのヒトがヒトとしての幸福を追求できる社会を目指したい。

男女がともに幸福を追求できる世界を望む

最後にもう一度強調しておく。家事労働制限されることは、幸福制限されているに等しい。より多くの賃労働負担している者は、幸福度において劣後する。

しかし、現行の制度の中で各家庭が個別部分最適化を進めれば、多くの家庭では、夫は賃労働奴隷、妻は兼業主婦、という形をとることになる。これは不幸なことであり、制度のものを改めるべきである。そして、ここまで述べてきた制度改革の過半は、すでにアイスランドなど北欧諸国において実施されている。

で、こういう男女平等を目指す社会運動ってある? あったら参加したいんだけど。

anond:20210407033436

男性はある程度モテてはじめて優しく出来るんだよな。累積的抑圧経験内面化しながらリアルではケアできてしまう事が多い女性とは違う

anond:20210407184654

中学受験って周りが遊び呆けてる中で勉強しなくちゃいけないし、合格に対するプレッシャーだってかかる。小学生の身には結構ストレスなんだよ。

中学受験生の世話は勉強を見ることじゃない。メンタルケア弁当作り、体調の管理など、所謂「名も無い家事」で溢れてる。

増田弱者男性こそ本当の弱者だが、まったく社会から顧みられていない!」

障害者女性を指して「弱者マウントを取ってる」と揶揄する馬鹿どもは昔からいたけど、そこにさらマウントを取って「俺たちの方が真の弱者!」とかやり始めてっけどさ

お前らドン引きされて嘲笑されてるの理解できないわけ?

やってることは障害者手帳2級を健常者にだして「この手帳が目に入らぬ〜〜〜!!ここにおわすは弱者男性様である!!!」とかやってるようなもんよ?

そもそも弱者男性の言う「俺たちこそ真の弱者!」って理屈は、そこから社会構造的な問題に切り込まず、それを改善していこうって話じゃなくって、

結局「俺の方が弱者なんだから、女は俺を慰めるため、ケアするために奴隷になれ」としか喚いてないじゃん

そんで普段憎みあってるフェミと健常者の増田が手を取り合って

「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞコラタコ、お前チテショか?」って袋叩きにあってるのを

何で仲が悪い奴らが手を組んで弱者男性を叩くんだ、きっと俺を憎む個人がやってるに違いないみたいな糖質こじらせたように発狂してるわけで

アンタら何がやりたいわけ?

やりたいことがわからいからこそ病気なんだろうけどさ

弱者男性欲望社会的に構築されてるとかい物言いは何なんだ

 ツイッターには、男が女に説教したがるのには生物学的基盤があるからかもしれないと主張しただけで発狂して否定にかかるフェミニストがいるらしい。生物的基盤があるからこれは仕方がないとか許容されるべきとかは一切言っていないにも関わらず。

 フェミニストはいつも、議論社会的に構築された有害な男らしさを持ち出す。結婚したいと思うのも、競争して自分地位を得たいと思うのも、有害な男らしさを社会から押し付けられたせいであり、降りれば楽になる。降りずに不幸になるのは馬鹿からで、自己責任。降りるべきだと。いつだって悪いのは男なのだと。

 一方でフェミニストは、女が出産キャリアアップを両立できないのは制度が悪い!改善せよ!と叫ぶ。これは矛盾した態度ではないのか。

 出産キャリアアップも、べつに誰も誰にも強要していない。個人社会的押し付けられた偏見から来る欲望であって、それを無反省に受け入れているのは女であっても同じだろう。出産キャリアアップもやめようと思えばやめられるし、なくても幸せになれるのだから、片方だけにせよ両立したいにせよ、やろうと思ってしまうのは自己責任であり、欲望を捨てられないお前が悪いと言うべきじゃないのか。降りて幸せになるべきじゃないのか。

 フェミニズム自分仏教徒やストア主義者であることを自覚すべきだ。人間の全ての活動はどこかから押し付けられた人工的な欲望であると考える限り、人工的ならば解体されるべきだという考えに必然的に陥る。役割規範に限らず欲望に拘束されるのが不幸を導くのならば全て捨てるべきであり、何もせずとも精神的に充足した状態である解脱アクラシアやアタラクシアを目指すぺきだと言うべきだ。反出生主義にも賛同すべきだ。子供を持ちたいなどと欲望を持つから不幸になるのだ。何もこの世でなせなかった自分の代品として人間ペットを作り出し、搾取ダメだけど自分の子供はより低い立場である保育士に預け自分ホワイトカラー労働さらなるキャリアアップを目指し、多様性大事だけど自分の子供は塾に入れて私立上流階級上品空間で育て、生産性差別ダメだけど自分の子供は社会で貢献できる素晴らしい人材になってほしいと考えるような、そんな思考は今すぐ捨てるべきだ。やめるべきだ。さっさと全ての欲望から自由になれ。捨てられるんだろ?降りられるんだろ?降りないのは有害な男らしさにとらわれてるからなんだろ?嫌だとは言わせないぞ。

 大体、昨今の生産性がなくてもいい!みたいな議論にも無理がある。社会の中で何の役割も果たせなかったら無力感で強い苦痛を感じるに決まっている。生産性とは社会の中で役割を果たすことに他ならないのだから。そんな人たちに居場所を与えない社会が悪いと言うかもしれない。だが、そんな居場所でやるべきことが何もできないからこそ弱者なのだと言うこと、誰かがその負担を引き受ける必要があるということを忘れている。生産性がなくても肯定されるべきというのは、あなたバリバリ働く横でとなりのおっさんがもたもたもたもた、機械は苦手、ミスも多発で全体にダメージ、それでもその男会社必要存在として同じ給料で受け入れることを意味する。精神的に受け入れるなんて絵空事で、カネがなければ生きていけない以上カネを払わないなら受け入れないのと同じことだからだ。同じ給料なのは競争志向有害な男らしさである以上それを促進する効果を持つ社会制度撤廃されるべきだからだ。能力に応じた地位配分であるメリトクラシ―は撤廃すべきだ。そもそも能力なんて、生まれと育ちに大部分決定されたものである以上、個人にその果実を与えるのはおかしいのだ。もしこれを拒否するなら、フェミニストはこれを利用して、自分たちはフェミニズムという学問を修めた以上それにふさわしい支配階級としての地位を求めるに決まっている。他の人に競争させたくないのは、自分達こそが高い地位を独占してカネを手にし支配力と欲望を思うままに発揮しホストを侍らせ酒池肉林をやりたいからではないのか。そうでないなら、全ての人は全ての欲望を捨てろと言うべきで、男は有害だとばかり言わず女にもカレシ作るな、競争志向やめろ、そんなものはいらないはずだと主張しゆるやかな社会の滅亡を目指すべきではないのか。女の欲望はこれまで優先されてこなかったのだから優先して叶えられるべきだなんて差別論理で女が全肯定されるとでも思っているのか。女批判は全部ミソジニ―でマンスプレイニングだと言えば聞く必要がなくなるのか。男批判も女批判平等ツイッターで叫ばないのはなぜか。生産性がなくてもいいなら、出産労働への欲望だけ特別地位を与える必要はあるのか。わきまえていないのは社会に対してでなく、自分の叶いもしない無際限の欲望に対してではないのか。

 フェミニズム生産性拒否した果てに、相互承認相互ケア社会を夢見ているのかもしれない。そんなものは無理に決まっている。誰が、何日も風呂に入っていないホームレス人間を受け入れ、肯定し、ひいては抱き締めるようなことができるのか。フェミニストはそれを積極的にやれているのか?誰も何の役割も求められない社会で、承認を得る手段として家族労働拒否するなら、相互ケアしか道がない。なら、キモくてカネのないおっさんおばさんクソガキ不良反社不潔人間障害者病人外国人ケアする能力を持たない不幸な孤独者を誰がケアするのか?女にだけ求められていると誤読される恐れがあるからフェミニストも、男も、LGBTも、社会の全ての構成員が全ての構成員ケアする義務を持つ社会と化す、と強調する。解決策としてケア役割職業にしようとするならば、結局自分フェミニズムという上流学問を修めた以上上流階級がふさわしくそんな下品で誰もやりたくない仕事フェミニストはやらなくていいはずだという傲慢ではないのか。社会から疎外された弱者がその役目を負うことになることに目を向けるべきだ。相互ケアなんてできるわけないのだ。誰もがケアされる側になりたいに決まっていて、他人ケアなんてまっぴらごめん、誰かに押し付けたいに決まっているからだ。念のため言うがカレシカノジョパートナーを作って承認を得るなんて可能性があるはずはない。好みの顔面や肉体による他者選別なんて、誰も配慮する必要のない社会的に構築された欲望しかいからだ。欲望する存在としての人間は全て否定されるのだ。

 以上見たように、「社会的に構築された欲望理論からは、全ての人間は全ての役割規範欲望放棄し、全ての承認の根源を失い、静かに死んでいき社会を滅亡させるのが善だという結論以外はあり得ない。東京スカイツリー展望から、一人一人丁寧に飛び降りるのだ。環境問題少子化問題解決され、最高の未来約束されている。死は救済だ。

女の人の生活実態がよくわからない

男とはずいぶん違うのだろうと想像する。

化粧や肌ケアなんかは比較的目に見えやすいけど、目に見えないところではこんなところが違うみたい。

  • 朝と夜だけじゃなくて昼にも歯を磨く。
    • それ以外にも、とにかく何かを喫食した後は歯を磨く。
    • 徹底的に口臭を避ける努力をしている。
  • おしっこのあと外性器を拭く。
  • 月経を記録している。
    • 女性の方が男性よりしっかりしているのは、こういう習慣があるからなんじゃないか
    • 日記や文筆は女性の方が書き慣れている人が多い印象がある。書き留めるということに慣れているからではないだろうか
  • 生理の時は胸が張って痛いらしい。

他もまだありそうだが、よくわからない。

高校あたりで一度、男性には女性の平均的な生活を、女性には男性の平均的な生活を3日ほど体験させて欲しい。

我々はお互いのことをよく知らないまま雰囲気で過ごしている。

寄り添うにはまずお互いのことを理解せねばならない。

人間たちは集団生活を旨とする種であるくせに、こんな基本的なことですら体験しようとしてこなかった。

そのツケがやってきたのだ。

anond:20210407115752

そこを弱者男性がうまく説明できてない

あと、強者たちも馬鹿じゃないのでそういうところも論理的にはケアされてることが多いんだよな

たとえば、親が貧乏教育受けられなかった人には奨学金があるでしょ?とか

[]2021年4月6日火曜日増田

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2021-04-06

弱者男性感動ポルノにして遊ぶな

弱者男性を救うのはお前だ中島

anond:20210406135342

どうして弱者男性問題自助互助レベル矮小化するのですか?

そんなに弱者男性存在を認めたくないのですか?

政治問題化して公助によって救われたっていいじゃないですか?

個人的なことは政治的なこと」ではないのですか?

きもくてお金のないおっさんに都合よく親身な友人がいると思うのですか?

「女をあてがえ」と「ケアする友人をあてがえ」ではどう違うのですか?

どうしてはてなブックマーカーは何も考えないでブコメするのですか?

弱者男性のことを政治問題として考えないで済むモデル提供してくれた感動ポルノ気持ちよくなっちゃったんですか?

今までの対立構造を崩す存在が出てくると厳しい

anond:20210404165353

トランスジェンダーの話になってくると、中間層みたいなのが出てくる 

TERFのみなさんは被害者的な側面ももってるので、一概にカスとは切り捨てづらい

リベラルのみなさんの中でもバトルが生じたりする

トランスジェンダー・・・

ポリティカル-コレクトネス-リベラリズム運動家にも、本音ではトランスジェンダー問題言及したくない人は多い。

弱者男性とかならそんなの弱者じゃねーと一蹴できるけど、本当の弱者が関わってくる問題でも運動家が苦手な分野がある。

かに大きな被害を受けている弱者だが、その人達被害を強調すればするほど、従来の運動絶対的犠牲者として定義してきた別の弱者に飛び火する危険が出てくる。

そのような複雑すぎる問題に深入りしてパンドラの箱を開けたくない・・・

絶対的犠牲者が実は常に犠牲者となるばかりではありませんでした。加害者になることもありました。それを公認してしまえばいろいろな前提が崩れ、つけ入られる。

アジア系アメリカ人のことをどうすればよいかも本当に苦慮してる。

従来は黒人白人至上主義攻撃される絶対的犠牲者として定義してきたのに、アジア系に注目したら黒人加害者側になる暴行事件まで扱わなきゃいけなくなる。

白人から差別されているのに白人よりも地位が高い有色人種というのも意味が分からない。

黒人権利擁護する時のロジック転用できない。

パレスチナ人についても苦慮してる。

EUユダヤ人絶対的犠牲者と扱ってきたし、反ユダヤ主義者を絶対悪として排除したい。

だのにユダヤ人建国したイスラエルパレスチナ空爆するせいで、パレスチナ人やそれに共感するイスラム系の人が反ユダヤ運動に加わってしまうことがある。

かに空爆被害者ではあるけど反ユダヤは止めさせなきゃいけない。

板挟みだよ。

ヤングケアラー権利もどう守るのが正解か分からない。

長く続く家族介護ヤングケアラーの子時代や進路が犠牲になることはあるけど、あまりにもその介護苦痛の根源として強調しすぎると、要介護者の介護が悪いもののように認識されてしまう。

優生思想否定しなければならないのに、ヤングケアラーに肩入れするあまり介護者のことを厄介者のように扱って、逆に優生思想助長されたら困る。

介護者の中には子供介護してもらうことを宣言していた元「毒親」もいて、余計にややこしくなる。

anond:20210406210124

おう、言われなくても諦めてるぞ

なんかインセル的な人たちのケア的なことをやらされてた

詳しく

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