漫画やアニメの作り手を目指す人に対して富野由悠季など様々なクリエイターがそう言っている。自分は最近、この発言にやや共感するようになった。しかし世間を見て見るとこの発言はそこまで正しいものではなかったようだ。もっとも、クリエイター達がどんな意味合いでこの手の発言をしたかはそのクリエイターによるが。
自分は最近までこの手の発言に共感していなかった。この手の発言はオタクコンテンツに携わっているクリエイター達のコンプレックスによる「オレはお前たちキモオタとは違う!」アピールだと考えていた。この手の発言からは「漫画やアニメを作るためには、その源泉にするために漫画やアニメ以外の世界に触れなければいけない」という意味が読み取れる。自分はこれに疑問があった。
「源泉にするために触れる別の世界」は演劇や小説などの「創作物」とスポーツや歴史などの「創作物以外」に分けられる。作り手に回るためには漫画やアニメを封印し、それらの「別の世界」を見なければならないとクリエイター達は言う。昔の自分はこれに共感していなかった。「創作物」の方に触れなければならないのは、「アニメ漫画以外の創作物の方が良質だから、そこから技法を盗め」ということだろう。だが、アニメや漫画は創作の技術において他の創作物より劣っている作品ばかりだとは思えない。面白い演劇や小説には盗むべき技術が沢山あるだろう。しかし、アニメや漫画は封印すべきほど無価値だとは考えられない。それに演劇や小説は源泉にすべき価値がある作品ばかりだとも思えない。内輪ウケ狙いの寒い舞台も多い。古典文学は価値のあるものだとされているが、全部が全部そうは見えない。価値のある古典作品を知っていたとしても、それを模倣することが目的となってしまっている作家はファンからオナニーだと叩かれる。これは正しいと思う。そのオナニーはまさに「オタクコンテンツに携わっているクリエイター達のコンプレックスによる『オレはお前たちキモオタとは違う!』アピール」だ。
「創作物以外」に触れなければならないのは「アニメや漫画の話のタネにするために他にも詳しいものを持っていた方がいい」のと「アニメや漫画等のオタクコンテンツだけにいると凝り固まったキモオタになるから」だろう。「アニメや漫画の話のタネにするために他にも詳しいものを持っていた方がいい」のは確かにそれに越したことはない。しかし興味が持てないのならアニメや漫画でその題材を描きたい時、その都調べればいいだろう。無理してイヤイヤ好きになろうとしては逆効果だ。
「アニメや漫画等のオタクコンテンツだけにいると凝り固まったキモオタになるから」の方を見ていく。凝り固まったキモオタの悪さは「コミニュケーション能力の低さ」と「趣向性ばかりを反映した独りよがりな作品を作ってしまう」ことにある。「コミニュケーション能力の低さ」だが、インターネットを見ていると凝り固まったキモオタ的な人間でもコミニュケーションを要領よくこなしている例は少なくない。それにクリエイターの場合、コミニュケーション能力が低くても才能がある場合は正義である。才能がないなら論外だが。「趣向性ばかりを反映した独りよがりな作品」の方も近年はSNSの発展により、その手の作品でもクオリティが高い場合、一定の支持者がつく。これもクオリティが低い場合は論外である。
このように昔はクリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」発言に自分は昔は疑問を感じていた。しかし最近はそれを正しいと思うようになった。「創作物のあるあるネタ」を題材にした作品があまりに増えたからである。なろう系の異世界、ファンタジーに出てくる女騎士、幼馴染、負けヒロイン等の「創作物にこんな展開、こんなキャラってよくいるよね」を出発点にした作品があまりにも増えた。自分はそれがあまり好きではない。クリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」は正しかったんじゃないか。こんな作品が生まれるのはアニメや漫画だけを創作の源泉にしているからではないのだろうか。
もっとも世間では「創作物にこんな展開、こんなキャラってよくいるよね」を出発点にした作品はウケている。その手の作品をカテゴライズして批判する声もない。だから世間的にはクリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」発言はあまり正しくはなかったのだろう。
過去の人たち自身も映画からのオマージュとかやってるからオマージュ元を視聴者が知らないだけじゃね?って気もするわ
それに「オマージュ」=「必ず面白くなる」ってわけでもないしね
等身大の生身の人間を描いた作品はウケてないし儲かってもないじゃん オタクの願望世界のような作品の方が人気
Twitter文化が全部悪だな
Twitterは色々なものを捻じ曲げていった気がする Twitter文化いつか廃れないかね