はてなキーワード: ながら見とは
気を使って何も言わなかったのにイケメンがそれを褒めて良い雰囲気が漂う
気を使って何も言わなかったことに後悔するが
自分が言ってもただのセクハラにしかならず嫌な顔をされたことが何度もあるのでそれを思い出す
結局、言っても言わなくても手詰まりなのだが、こちらの気分は悪くなる
ため息をつく
これ、昔は気にしてなかったけど最近殊更に強くなってきた
喜ばれるかキモがられるかって
・そういうのを言っていいキャラクター性
・容姿
・言い方
などで総合的に決まると思うんだけど
人によって8割のシーンで喜ばれる人と、8割のシーンでキモがられる人がいる
8割で成功する人は次もやっぱり言うし、8割のシーンでキモがられる人は次も言わない
言わないことで「普段そういう事言わない人」となり、成功率は下がる
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多分性別なしにしても成立する
自尊心がひたすら傷つく、顔には出ないけど
顔に出しても言葉に出しても一個も良いこと無いし我慢する以外選択肢ないよね
表層に出した瞬間にクソダサいしね
でも心の中はしんどい感じ
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選り好んで褒めてもイジっても喜ばれるしチヤホヤされるイケメンが居るのよ
美人に褒められたりイジられたりしてデレデレしてる男みたいな感じ?
自分の想い人もデレデレしてるのとか、それなりの年でデレデレしてるの見るとちょっとキツイよねっていう
___
何でこんな盛り上がったんだろ?
ここで言ってる一般化した話のイケメンって厳密にルッキズムだけじゃなくて「キャラクター性(コミュ力)」も含んだつもりだった
って言っても具体的事例であるその人は周りから「イケメン」って言われてるからやっぱりグロさは残るけどね
「◯◯さんはそういう所気づいてくれるから良いよね」
ってチヤホヤ&デレデレするのを見る度に
自分も参考にしてそういう風に行動するべきなんだろうか?と思うんだけど、いやいや待てよ、と上記で書いたような考えをするわけだ
危ない危ない、危うく真似して火傷するところだったと
たまーに火傷するしね
彼と俺では、例えるなら貴族と一般市民のように、別の生き物なんだと言い聞かせている
人によってやっていい行動の権限が違うんだと
自分だけがそれを許可されていないという自体になるから、頭がバグる
例えば長い時間を共に過ごしている同僚が、何かおしゃれをしてきた時に、すごく褒めたくなるんだけど触れると嫌そうに「ありがとうございます」と言って話を広げないというのを何回か経験すると
もう褒めるのを我慢するようになる
他人から褒められて喜んでるのを横目に見て、彼・彼女らと自分は別の存在なのだと言い聞かせて無言を貫く
そこへイケメンが颯爽と「今日の服かわいいね」で話が盛り上がる
「それ自分も思ってた」「けど言わなかった」「自分の行動は間違ってなかったのか?」
それを貫いた結果「この人は褒めない人」「無口でノリが悪い人」という感じになる
それで余計に言えなくなる
なんか生きるって難しいね
運良く良い場所で働けるようになったと思ったら、スペックが高い人(貴族たち)が多くてなんか難しいわ、悪い面だけじゃないし、彼ら彼女らは皆善人なんだけどね
たぶん周りの貴族率は自分と合致してないと多分しんどい、というか難しい
そういえばTikTokで、海外のイケメンが突然通行人にキスして喜ばれるみたいな企画があるんだけど
極端に言えばああいうのも似てるんじゃないかな、やらせかもしれないけど
そもそもで言えば他人がどう思おうが自分が褒めたいから褒める、が生き物として正しい気がするんだけど、社会的には間違いだよね
共感性が強いとできないし
ツイッターかどこかで見かけた闘病マンガをAmazonでチェックしたら、おおむね好評なレビューの中に際立って辛辣な低評価レビューがあった
絵が下手とか構成が悪いといったマンガの技術の話から、マンガ内で描かれている作者の生活態度や家族の看病体制までこき下ろしていてちょっと面白くなってくるレベル
気になるAmazonレビューを見つけたらそのレビュアーの個人ページに行って全て読むという趣味があるので、ウキウキしながら見に行ったらもう壮観
その人、病気だの毒親だのモラハラだのに関するノンフィクションマンガばっかり読んで、技術的なことから作家個人の姿勢まで、厳しいレビューばっかり書いてんの
俺には言われたくないだろうけどな
引っ越しした部屋になぜか、台所だけしぬほどだっせぇ照明器具が最初からついていた。
カバーの真ん中に、銀色のボタンがついている丸いシーリングライト。
スイッチオンすると、ぴかぴかぴかって点滅しながらつく。ついたあとは、生活感がこれでもかと浮かび上がる青白い光。
こんなの、LEDにしてやれとカバーを外してみると、いろんな機械とコードがくっついていて、いったいどうやって外せばいいのか分からない。
蛍光灯をそういえば替えたことがないのだった。蛍光灯を割ると確か大変なことになった気がする…と思い、ネットで検索した。
レオパレスの交換の仕方動画が出てきたので見てみたら、動画のクセして静止画のズームというどこまでもレオパレスなクソ動画だった。
他のホームページを見て知ったことは、蛍光灯は蛍光灯にしか交換できないこと、LED照明器具に交換するには何やら複雑な工程が必要らしいということだった。
とりあえずこの照明は取り外してしまおうと、スマホのライトを当てながら見てみると、壁にネジ2本で留まっているだけっぽかったので、
ドライバーでネジを外してみた。
とれない。
蛍光灯が載ってるお皿は、ねじではない何か別の方法で天井とくっついているらしい。
カバー中心の銀色のボタン(ねじ)と繋がっていた金属のブリッジに指をひっかけ、思い切って真下に力をかけると、ばりっと天井からはがれた。粘着テープみたいなので固定してあったようだ。天井に穴があいていて、そこから電気のコードが1本出ている。穴の周りの壁紙は雑にはがれていた。アパートの施工って結構仕事が雑な気がする。前の部屋なんて、エアコンから出ているチューブの所に、部品らしきパッキンがぶら下がっていた。余ったのか?つけるの忘れちゃったのか?床のワックスも真ん中に塗り残しがあって、光に当たると雑巾で拭き残された部分が浮かび上がっていた。余談。
蛍光灯のお皿には白と黒の電気のコードがあり、白い方を指でつまんで引っ張ると簡単に抜けた。ホームページではこんな簡単に抜けないはずだが…
黒い方はうんともすんともいわないので、マイナスドライバーで外すと、蛍光灯と分離することができた。
蛍光灯を葬ったあと、天井から電気コードが垂れ下がっている姿をみて、このコードを引掛シーリングに接続するだけなのでは、と思い、引っ掛けシーリング角形(73円)を購入し、コードを差し、ネジで天井に固定した。
必要な知識は、白いコードは接地面、最初のネジの位置を結んだ線上に新しいネジを打ち込むこと。元の穴を見ると、何か補強されているように見えた。私の施工は重い照明器具はムリだろう。
さて、照明器具を何にするかだが、リモコンで動く照明にする必要があった。なぜなら、家具がちょうど壁のスイッチとぶつかっていて、押しにくいことがストレスだったからだ。
アイリスオーヤマの人感センサーで動く照明器具を見つけた。リモコンより楽そうだし、400gと軽量だったので、購入。本体を設置してスイッチオンすると付いた。とても簡単だった。
あれっと思った。色が青白い。パッケージをよく見ると「昼光色」とある。間違えた。電球色がよかったのに…結局蛍光灯色の台所になった。もう交換したい…誰かにあげようかな。実家のトイレとか廊下とか風呂につけてあげようかな。うん、そうしよう。そして私は買いなおそう…。
コロナ禍での巣篭もりが2年目に突入して、一年目は見ないでいれたけど流石に家で暇をつぶすものがなくなってきたのでYouTubeに手を出し始めた。
話題っぽいVtuberとか人気のYoutuberとかカップルでやってるやつとかを適当に見てたけど、最近ずっと見てるのはジャニーズJrのチャンネル。
ユニットごとに曜日で配信担当が決まっていて、毎日どこかしらのグループがあげてくれる。
ジャニーズってデビューするまでは細々とアイドルたちのバックで踊るだけだと思ってたから、デビュー前からユニットとかあるって知らなかった。
あと未成年だけの若い子達がジュニアなんだと思ってた。普通に大学卒業している人たちもいっぱいいた。
もちろん面白くないのもある。そういうのは再生回数もあんまり振るってなかったり、まぁこれはファンが顔を見るためだけのものなんだろうなぁみたいなグダグダの内容だったりするやつ、そういうのは冒頭だけみてすぐ飛ばしたりする。
でも中には普通に面白いのもあるので、だらだら見てるうちに最近はどのユニットに誰がいるのかとか、ユニットによってはメンバーのカラーもわかるようになってきた。(会社がやってるだけあって編集がそこそこ本格的なので、テロップがついているのだがそれがメンバーカラーごとに色分けしてくれてたりする)
ボドゲやゲーム配信をするときもあるし、本業っぽく歌やダンス動画をあげていたりするのでわりと暇をつぶせて楽しい。
流石に芸能事務所で会社がしっかりしているからか、いまのところYouTubeの内容で炎上している様子もないし、コメント欄は見てないのでファンの小競り合いとかもあるかもしれないけど動画自体は安心して見ていられる。
最近はテレビで出てたらあ、あの子達だとわかるようになってきた。
テレビでがんばって爪あとを残そうとしている彼らを見かけると、ファンというのもおこがましいくらいの、年一出会うか会わないか位の親戚のおばちゃんのような気持ちで勝手に応援している。
言い方が悪いけど、ぶっちゃけ最初はそのへんの素人を見るよりはまぁ天下のジャニーズだしイケメンでも見るかって感覚で見てたけど、だんだん面白いというか、がんばっている子達を見て、がんばれー!と思うようになった。
最近ジャニーズの子達の脱退とか退所とかのニュースばかり見るようになってたけど、その分これからジュニアの子達が出てくるようになるんだろうなぁ。素人目線でジャニーさんが亡くなって落ち目になってるとか勝手に思ってたけど、単純にいろいろ変わっていくそういう時期なのかもね。すみません、がんばってる子達に失礼でした。反省しました。
がんばっている子達が、このまま実を結んでいけたらいいね。
なんか画面の暗い重い感じがあまり見る気を起こさせなかったんだけど、サヨナラショーのセットリストに入ってるから。ついでに琥珀色も今さらながら見た。軽快な歌もあるんだなあ、唐突でびっくりするけど、クロードとルイは気が合ったんだねえ、てのが伝わって楽しいよ彩凪さん。ちょっとミーマイ?ていう印象も持った。1984年なあ。
ドン・ジュアン。彩さんやっぱ演技上手だなあ、歌は少し物足りないけど思ってたほど気にはならなくて、上手くなるようにというよりももう少し気持ちの込め方、表現の仕方を身につければ娘役としては充分じゃないか、という気がした。デュエット、デュエットのハモりは、これが真彩さんよりも綺麗にハマるんだよなー。今日勉強したワード、かすみ草、って思った。礼さんもかすみ草うまいんだよなあ。礼真彩のデュエットでは真彩さんが薔薇で礼さんがかすみ草だったわけだけど。うーん、太いかすみ草?たくさんのかすみ草?
文字通りなので嘔吐恐怖症の方、コワすぎ!未視聴の方は読まない方がいいです。
嘔吐恐怖症とは、自分がゲロを吐くことに死ぬほど恐怖を覚え、他人のゲロでも死ぬほど恐怖を覚える厄介な恐怖症だ。私はまだ症状が軽いので、文字を見るくらいなら平気である。他人のゲロは怖い。
ご存知の方はご存知だと思うが、コワすぎ!を含めた白石監督の作品とゲロは切っても切り離せないらしい。
以前に同監督の「カルト」を見た時は泣きそうになったことを覚えている。カワイイ犬が死ぬのもそれはそれで嫌だが、それ以上に当たり前のようにゲロ吐くなという感情が強すぎる。カルトはホラー作品の中でも怖くない部類に入るらしいが、今まで見たホラーの中で一番具合が悪くなった。ホラー好きの私の最大の弱点は白石監督であると判明。幽霊よりいつゲロを吐くか分からない人間の方が100億倍怖い。これ以上誰もゲロ吐くなと祈りながら見るホラー映画は、本当に苦行。ネオ様でもゲロを吐く人間は止められないため。
そんな私がニコ生のコワすぎ!一挙放送を視聴した。コワすぎ!ファンの方はこいつ馬鹿だなと思うかもしれない。馬鹿である。でも、私はどうしても見たかった。こんなにカルト的人気を集めるホラー作品を見ずして何を見るのだ。そんな気持ちだった。
最初に誰かがゲロ吐いた瞬間、一瞬見て目を逸らして飛ばした上に、恐怖で内容が全く頭に入ってこなくなった。口裂け女とはなんだ、その変な髪の呪物はなんだ。なぜこの女はゲロを吐いている。頭の中はそれでいっぱいになる。猛烈に白石作品が向いていないのだ。あのコワすぎ!がほんとにコワすぎ!なのである。多分そんな日本人は私含めて五人ぐらいしかいないと思う。チープな作りも逆に怖い。ゲロはもっと怖い。
深夜に一人で「誰もゲロを吐くな」と祈りながら見るコワすぎ! 本当に恐怖で仕方がなかった。ホラーが苦手な人間がホラーを見る気持ちが理解できるようだった。このような恐怖を味わいつつ見ているのだと考えると、少し感慨深いものがある。
白石監督は多分ゲロの次に内臓が好きなので、内臓が映る度に「頼む!!!!!! 誰もゲロ吐くな!!!!!!」と願うことしか出来ない。ゲロを吐きそうなのはこっちである。でも案外誰も内臓を見てゲロ吐いたりしないので全く予測できない。気が遠くなりそうになる。
しかし三回目ぐらいから段々と白石ゲロのパターンが予測できてくるので、「あ! こいつ吐きそう!」のムーブが分かる。その時は目を伏せてなかったことにしようとしているが、恐怖のためそれまでの記憶が全部なくなる。つまり私は(旧)コワすぎ!の記憶が一時間程度しかない。人間の本能がその恐怖を忘れようとするのか、一体何を見ていたのか思い出せないのである。人間がゲロを吐くタイミングだけは覚えているので、肝心なところだけ忘れられていないのである。
ちなみに、コワすぎ!で一番好きな回は花子回である。内臓は飛び散るが誰もゲロを吐かないため。ストーリーも面白かった。一番最悪なのが最終章である。パンツ食ってゲロ吐くとか頭がイカれてるとしか言えない。そこまでしてゲロ吐きたいか? そのゲロの描写は本当に必要か? 白石監督に小一時間問い詰めたい。そのゲロに何の意味がある。有識者がいたら教えて欲しい。
しかも、最終章だけはタイムシフト視聴で間に合わず、わざわざニコニコポイントを買ってまで見たのである。五百円払って田代くんの嘔吐ボイスを聞かされる私の身になってほしい。しかも三回もゲロを吐いている。本当に何を見させられているのか分からなかった。でもストーリーは最高に面白かったので、白石監督は天才だと思う。ゲロを差し引いても面白いと思えるためだ。
旧(という表記が合っているのか不明だが)コワすぎ!を全て視聴したが、メインキャストの工藤はなぜかゲロ吐かない。でも市川はゲロ吐いた。田代くんは論外。
ゲストも含めて女と本人はゲロ吐く傾向にあるので、もしかすると白石監督の趣味かもしれない。
超コワすぎ!は未視聴のため分からないが、やっぱり誰かがゲロ吐くのだろうか? ネタバレでも構わないのでゲロ吐くか吐かないかだけ教えて欲しい。機会があればまた地獄の恐怖に耐えつつ見たいと思う。
もしも嘔吐恐怖症持ちでコワすぎ!を視聴して具合が悪くなった同士がいればぜひ教えて欲しい。自分だけの苦しみではないと感じて安心したいので。
増田初心者だし酔っ払って書いたような文章なので「こいつゲロゲロうるせーなカエルかよ」とか言われると思ったら割と温かいコメントもらって嬉しくなった。同じ嘔吐恐怖症の民は気をつけて見て欲しいと思う。生活に支障でないぐらいの恐怖症なら我慢して見てみる価値は絶対にある。
ゲーム実況YouTuberは、多くの広告収入を得るが、生殺与奪の権はYouTubeに握られている、
芸能人のような、はたまた不安定なギャンブラーのような、別世界の人間たち。
そんな不安定な世界にに身を置く人々を遠い目で見ながら過ごしていた。
スマホには知らんYouTuberが売春で逮捕されたとニュースが流れていく。
それなりに忙しく中間管理職をしている、安定した会社員である自分とは、縁のない生き方だと画面越しに楽しんでいた。
しかし、ある日突然その心は打ち砕かれた。
とあるタイトルの実況を見てるうちに、フルコンというゲーム実況者を見つけた。
操作がうまく、落ち着いたトークが心地よい。登録者15万人くらいの中堅クラスの配信者ところだろうか。
いい実況者を見つけたな、とテキトーに動画を再生しているうちに偶然知ってしまった。
彼は、SEだったのだ。
フリーランスのSEで、仕事をしながらYouTuberをやっていたのだ。
自分が「配信者は収入も生活も不安定だからな、スキルを身に着けて会社員やってる自分のほうが安牌だ」なんて浸ってたら
安定もスキルも武器にしたまま、YouTuberで活躍している存在を発見してしまった。
たとえ今後ゲーム実況がうまくいかなくなっても、彼はきっと普通に生活していくのだろう、
安定を手にしたまま、ゲーム実況者という不安定の海をぐんぐん泳いでいたのだ。
急に喉の奥が詰まる感覚がした。知るのが怖いのに、彼について知りたくなった。検索が止まらない。
彼には、嫁さんと子供がいた。とても仲良さそうな家族の動画がリストの下に並んでいた。
自分が「仕事が忙しいから」と言い訳しながら遠ざけていた、恋愛や家族すらも手に入れていた。
彼は、バンドもやっていた。そこそこ人気らしく、アニメの主題歌も手掛けたり、全国ツアーを回ったりしていた。
ギターやボーカルみたいな目立つポジションじゃない、堅実な屋台骨であるドラム担当。
自分も学生時代にベースをやっていたのに、結局うまく声をかけられなくてバンドも組めず、ひとり延々と練習していた。
彼は、友達もたくさんいて、いつも楽しそうにみんなでゲームしていて、ゲームがうまいから芸能人ともコラボしていた。
楽しそうに、いろんなものを手に入れていた。
泣いてしまった。一人の部屋で声を上げながら泣いた。
自分が誇示していた「安定」とはいったい何だったんだろう、何のために生きていたんだろう。
本当は、何かになりたかったのではないのか。ゲーム実況だって、本当は自分がやりたかったんだろ?
そんな生き方が、実はうらやましかったんだろ?「不安定」というレッテルを貼って、見て見ぬ振りしてただけだろ?
いつも「忙しいから」で言い訳して、いつも何も挑戦しなかった。失敗するのが怖かった。ゲーム実況も、恋愛も、友人関係を広げることも、何もかも。
新卒で入った会社でSEとして偶然そこそこ認められただけで、それだけに必死につかまってプライドを守っていた。
すべてを、自分のほしかったすべてを持った存在を見つけてしまった。
もう少し落ち込んだら、次こそは、次こそは行動に移したい。安定にしがみつきながら、不安定に挑戦したい。
二、活版所
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅すみの桜さくらの木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜からすうりを取りに行く相談らしかったのです。
けれどもジョバンニは手を大きく振ふってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝えだにあかりをつけたりいろいろ仕度したくをしているのでした。
家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴くつをぬいで上りますと、突つき当りの大きな扉とをあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いて居おりました。
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子テーブルに座すわった人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚たなをさがしてから、
「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡わたしました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函はこをとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁かべの隅の所へしゃがみ込こむと小さなピンセットでまるで粟粒あわつぶぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。
ジョバンニは何べんも眼を拭ぬぐいながら活字をだんだんひろいました。
六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱はこをもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙だまってそれを受け取って微かすかにうなずきました。
ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジョバンニは俄にわかに顔いろがよくなって威勢いせいよくおじぎをすると台の下に置いた鞄かばんをもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく口笛くちぶえを吹ふきながらパン屋へ寄ってパンの塊かたまりを一つと角砂糖を一袋ふくろ買いますと一目散いちもくさんに走りだしました。
三、家
ジョバンニが勢いきおいよく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫むらさきいろのケールやアスパラガスが植えてあって小さな二つの窓には日覆ひおおいが下りたままになっていました。
「お母っかさん。いま帰ったよ。工合ぐあい悪くなかったの。」ジョバンニは靴をぬぎながら云いました。
「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼すずしくてね。わたしはずうっと工合がいいよ。」
ジョバンニは玄関げんかんを上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室へやに白い巾きれを被かぶって寝やすんでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。
「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」
「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」
「来なかったろうかねえ。」
「ぼく行ってとって来よう。」
「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」
「ではぼくたべよう。」
ジョバンニは窓のところからトマトの皿さらをとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」
「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」
「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄かんごくへ入るようなそんな悪いことをした筈はずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈きぞうした巨おおきな蟹かにの甲こうらだのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
「おまえに悪口を云うの。」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ。」
「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中とちゅうたびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐かまがすっかり煤すすけたよ。」
「そうかねえ。」
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしているからな。」
「早いからねえ。」
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒ほうきのようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜からすうりのあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」
「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」
「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒いっしょなら心配はないから。」
「ああきっと一緒だよ。お母さん、窓をしめて置こうか。」
ジョバンニは立って窓をしめお皿やパンの袋を片附かたづけると勢よく靴をはいて
「では一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い戸口を出ました。
俺自身は、本にせよ映像作品にせよ、一度目こそ一番感動すると思っている。
だから、一度目に読んだり見たりするときは、一言一句漏らすまいとできるだけ集中する。
ゲームなんかも同じで、好きなゲームを「記憶を消してもう一度やりたい」と思うタイプだ。
二度目以降は集中するときもあればながら見、流し読みということもある。
それに対して、俺の知人は真逆らしい。
それで流れを把握して、好みなものだったら集中して繰り返すんだそうで。
例えば本なら読むスピードが上がるというメリットもあってそこは良いなと思う。
俺は上に書いたような姿勢で読むから、文庫本一冊読むにも三日がかりだったりする。
増田たちはどうしてる?
去年の今頃海外ドラマにハマり出演者から辿って色々観て行ったりするうちにあるBLカップリングにドハマりしたのだが、マイナーすぎてpixivには一件もない
AO3というサイトがあって、主に英語の(たまにロシア語や中国語もあるらしい)二次創作小説が読める。英語圏では日本でいう腐女子(ただしblに限らない)がshipperと呼ばれることが多く、世界中のshipperが集まるのがこのサイトだ。
pixivの検索結果0件の推しCPはao3では約130件。多い方では無いが十分だ。(もう一つハマったCPがあって、それはpixivでも30件ぐらいあるのだがao3だと800件ある)
もちろん全て英語なので初めはキャラが何をしているか追うのもやっとで、特に海外やおいは「受け」「攻め」の概念が日本よりも薄いので「これは今どっちに挿れてるんだ??」となることもしばしばだった。もともと高校時代英語はセンターで言うと8割くらい。一応文法はしっかりきっちり勉強していて受験英語は苦手ではなかったが、英語で一面びっしりうまった画面を見ればげんなりするし、とっかかりがみつからないこともしばしば。
長くてストーリーがドラマチックなものは何をしているかわからなくてつまらないのでなるべく短くてスケベなやつからチャレンジし、夜な夜な寝る前の30分くらいをそれに費やした。
毎日見ていた訳ではないがそれでもかなり継続して読み続けた。10個読んだ頃には時間をかければ話の内容がかなりわかるようになった。ベッドシーンのあるものばかり読んでいるので語彙の偏りはあるだろうけども。
Androidのことは知らないが、iPhoneは画面を長押し(長くタップ?)すると単語を一瞬で検索できる。わからない単語は調べつつ、ときに熟語やスラングはググりながら半年も経てばかなりスムーズに読めるようになっていた。
並行して、推し俳優のインタビュー動画をYouTubeで見たり、日本未公開の映画やドラマのdvdをAmazon等で買って字幕と照らし合わせながら見たりも時々していた。推しcpの原作であるドラマも全てではないが好きな場面は英語字幕で見直したりしていたため正確にはやおい小説を読んでいただけという訳ではない。しかしまあ、すべて萌えのためだ。オタクという原動力はすごいとしみじみ思う。
話が少し変わるが、英語の勉強のために英語字幕/字幕なしで映画やドラマを見るみたいなやつがあるが、あれは私はあまりお勧めしない。好きで何度もみた映画やドラマを英語字幕に切り替えるみたいなやり方なら楽しみながら勉強にもなるだろうけど、映画なら2時間、初見の映像を英語で見るというのは楽しみを犠牲にしなきゃキツい。私は楽しみたいので初見の映画とかドラマは基本日本語字幕で見てた。(字幕派)たまにきいてて気になった表現をメモしたりはしていたけど。
私のおすすめはYouTubeだ。好きな(英語圏の、あるいは韓国とかでも英語字幕ついてたりするらしいが)俳優や監督がいるなら「〇〇 interview」とかで検索すれば、ジミーファロンとかジェームズコーデンのトークショーに出てたり、あと例えばネトフリオリジナル作品だとキャストがゲームしたりしゃべったりしてる動画があったりする。大抵ひとつ長くても10分とか20分とかだから集中力が続くし、新しい動画なら字幕も出せるものが多い。自動字幕でも結構使える。
なにより、映画やドラマは日本語に切り替えられるのでその誘惑に屈してしまうことがあるが、YouTubeの動画なら(しかもそれがどうしても見たければ)翻訳は基本ないので自力で見るしかない。結局英語力問わず能力を上げるには、「やるしかない」という状況を作ることだと思う。
SNLもといSaturday Night Liveのスキットもおすすめだ。10分ぐらいでわかりやすいコメディなので手軽でちょうど良い。好きな俳優がいて、その人がSNLにでてたらラッキーである。(〇〇 SNLでYouTubeで検索してみよう)たいてい字幕(手作業でついてるやつ)がついてる。
他言語のギャグを掴むのは初めけっこう苦労するが、そのうち背景の文化がわかってきておもしろい。身についた笑いのセンス(?)は他のドラマや映画にも使えるし、私は日本から出たことがなく海外の人と話す機会もないがコミュニケーションにも役立つんじゃないかと思う。
とはなしがかなり脱線してしまったが、とにかく私は英語のスケベなやおい小説を読み続けてTOEIC初受験で900スコアを取った。リーディングとリスニングだけというテスト形式もオタクとして必要な能力と合致していて点が取りやすかったのであって私の能力を正確に示すものではないかもしれないが、そして仕事に使えるような能力が身に付いている自信はないが、ともかく高校の時英語力にそう自信がなかったことを思えば多少は自慢できるのではないかと思う。
「シン・エヴァンゲリオン見に行こうかなあ。」と言ったら、「Q見たの?」と妻が聞いた。「見てない。序、破も見てない。」と言うと、「えっ、エヴァンゲリオンの映画ってそんなにあるの?」と妻は驚いた。Qは知っていたのに。何を知っていて何を知らないのか。
私もエヴァンゲリオンのことはぼんやりとしか知らないが、序、破、Qの続きがシン・エヴァンゲリオンだと認識している。妻は「そのジョ、ハ、Qだけ見ればシン・エヴァンゲリオン見られるの?だったらジョ、ハ、Q見る。」と言った。
一緒にアマプラで序、破、Qを見た。見て、いろいろ疑問は浮かぶのだが、その疑問に答えはないような気がする。エヴァはそういうイメージだ。妻も「これ何で?」と聞いてくるが「さあ。」と答える。見終わって、妻に「テレビ版を見よう。」と提案した。妻は「えー。」と渋る。私は昔、テレビ版を見たことがある。リアルタイムで終わってしばらくして、一挙放送の特番があったときだ。最終回付近で「こりゃ確かに意味不明だわー。」と思った。それがなかったのである。序、破、Qだけ見ても。序、破、Qも謎は多いが、サラーッと流れていってしまった気がする。テレビ版の「何じゃこりゃ。」感がない。それを妻に味わって欲しかった。
土日、Netflixでテレビ版を見た。妻はそこまで興味がなく、鬼滅の刃の塗り絵をしながら見ていた。23話で時間切れ。今日か明日にも残りを見ようと思う。