はてなキーワード: 逝去とは
イチロー引退の折、一部の日本人が「イチローは韓国に対して差別的な発言をした」ということを主張した。そこにはインテリで売ってる芸能人もいた。
イチローが引退して、世間の人が注目していることはイチローの去就と輝かしい軌跡であって、他国に対する侮蔑的な感情を知りたいわけではないし教える必要もない。
新元号発表の今日も、やはり一部の日本人が典拠が実は漢籍にあったのに意図的に外したとか首相の人格批判政権批判を行っている。
新しい元号とはなんの関係もない批判である。元号に「安」の字が入っていないことで正面切った批判を行えない連中は転び公妨を狙う警官のようにアチラコチラとつまらない言いがかりを続ける始末。
彼らの共通点は「左巻き」という点で一致しており、左巻きは捻くれ者の巣窟なのだなあと納得する。
今国民がすべきことはこのひとつきで気持ちを新たにし一丸となって成長することであり、秀でた人、頭に立つ人の足を引っ張ることではないのだ。
これは予言だが、某国民的RPGの作曲家が逝去されたときも奴らは政治信条に則って個人攻撃をするだろう。死体蹴りをしてニヤニヤしている様は想像に難くない。
介護はその身にならないと難しさがわからないおじさまがたは本当におおくて、しかしおじさまがたに限らずおばさまがたにもおおくてあれは心荒んだ。
楽だった方の祖父祖母は自分たちで用立てて認知症が進む前に自分で墓まで用意して、かつそんなに長くなかったけど、実のところそれでも五千万出してったし、あれだけ払えたから楽しく頼めたのであって、あれが自分のときは絶対に出来ないなとおもった。
金がかかる限り、どこかで折り合いをつけるしかないし、それは、自分の生活を介護の終わり、つまり被介護者の逝去まで維持出来るところに置くべきだよ。
十八年もやってきたのは本当に凄いし、その程度のことなんかじゃない。いまから若い頃を取り返す、のはムリだから、むしろ今から楽しくできるように、すこしずつでも自分の人生とのバランスを取り直していいんだ。いいんだよ。
私は自称メンヘラだが、おそらくメンヘラという字面を見て皆様が想像したメンヘラとは少し違うと思う。
リストカットを図った時は人生で一度もないし(だって痛いのはいやだ)、自撮りを晒して「かわいい?」と聞きまわった時もない。
彼氏から電話がくるのは面倒くせえなと思うタイプだし(一人の時間の方が好きだ)、別れたら別れたで多分一人を満喫することもできる。
ではどのようにメンヘラかというと私はTwitterで愚痴や弱音をクソほど垂れ流すタイプのメンヘラなのだった。
恐らくこれを読んでいる皆様の中にも該当する人がぱっと思い浮かんだのではないだろうか。いやあるいは皆様がSNSメンヘラなのかもしれないけども。
仕事で疲れた時やわけもなく夜落ち込んだとき、人間関係に行き詰った時に脳内のもやもやをそのまま特にフィルター掛けするわけでもなく
みんなのTLにこんなの流したら迷惑かな……と理性で押しとどめることはなく、そのままドバっとTwitterに吐く。迷惑。
「私ってなんの為に生きてるんだろう…」「みんなに必要な存在なのカナ…」「こいつどんだけ無能なんだよ…」「取引先ご逝去遊ばさないかな…」
と言ったまぁ見るも不快な文章をなんの躊躇いもなくTLに垂れ流しである。迷惑。
愚痴用のアカウントとか作ろっかな!なんて思ったが多分私は『誰かに私は今辛いんだぞということを知らしめたい』という謎承認欲求を持っているので
フォロワーもいない愚痴垢なんかで愚痴を吐いたところで全然満たされないのだ。迷惑!
まぁ迷惑なのはとってもよくわかっている。見て気持ち良いものじゃないしね。
いいねとか押していいの?って悩むし、励まさなきゃいけなかな?って思ったりする人もいるかもしれないし
そもそも悪口とか愚痴とか聞くためにSNSやってるんじゃねぇよ!って人もいるし。
でも私は逆に上司や同僚や彼氏に会話とか電話の中で愚痴言われると「いやTwitterで言えよ」って思うんですよ。
だって直接聞いたら絶対リアクションしなきゃいけないじゃん。Twitterだったら最悪見て見ぬふりできるじゃん。
話が逸れた
「あなたは必要な人だよ」とか「仕事お疲れ」とか言ってほしいわけじゃない。まぁ言われたら嬉しいけどそれは必須じゃないし。
あーこいつ疲れてんだなー。ドンマイ。くらいの意識を誰かに抱かせることができればSNSメンヘラ私としては本意気だ。
なんて控えめな承認欲求!
ってさっきまで思ってたんだけどね、twitterで「愚痴垢作った方がいいカナ…」ってかまってちゃんツイートしたら何人かからふぁぼが付いた上にそのあと
「よかった…」って呟かれたわ
悪かったな!!!!!!!!愚痴がな!!!!!!!うるさくてな!!!!!!!!!!!!!
いや「よかった……」が私に向けたツイートなのかとかは全然知らん。
そこはSNSメンヘラ特有のエアリプは全部自分に対して放たれてるって思いこむ事象でしかない。
SNSメンヘラはいとめんどくさき存在なのでそういうとこ微妙に繊細だ。
SNSでメンをヘラっている代わりに、SNSに愚痴を吐き散らかしてスッキリしたリアルの私は友人にけっこういつもにこやかに接してると思う。
約束を眠いとかゲームしたいとかいう理由でキャンセルされても、貸した金帰ってきてなくても、
「いいよ、あなたも疲れてるもんね」とかそういうセリフがいえちゃう私だ。すごいぞ!書いててちょっと腹立ってきた。
何が言いたいかというと、私のようなSNSメンヘラをTLに抱えている人は
見られながらじゃねえと痰を吐けないクソメンヘラもいるんだなと生暖かく見守ってほしい。
別に嫌ならリムーブしてくれたってかまわない。リアルで仲良くしているからってSNSでも絶対仲良くしなきゃいけないわけじゃないし。
SNSではさようならしてもあなたが私の友達であることは変わりないので、気軽にリムーブしてほしいと思っている。
どれも五年以上前に作ったものだ。それぞれに繋がりはなく、名前も違うしツイートの毛色も違う。趣味で切り分けた独立のアカウント。そしてそれぞれによく話す仲の良いフォロワーがいる。
半年前、仕事や生活上の様々な不安、小学生の頃から持っていた希死念慮がぐちゃぐちゃに混ざって、その中の一つのアカウントで死亡宣告をした。
遺族になりきって、「〇〇の親族です。〇〇は先日逝去いたしました。生前〇〇と親しくお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました」
というふうに。亡くなった芸能人のツイートを参考にしてそれっぽい文面にして、葬式など様々なドタバタを暗に臭わせるために死亡設定日より期間を開けたりなんかもして巧妙に。
ツイートした直後、後悔した。なんでこんなことしたんだろう、意味がわからない、でももう呟いてしまったから消すわけにはいかない。
でも、そのアカウントで仲良くしていたフォロワーの一人がそれを拾った途端、後悔がぞくぞくとした快感に変わっていった。
「〇〇さん!? 嘘だ......」「そんな......よく話していたのに亡くなるなんて......」
私のために悲しんでいる。リツイートが増え、私の名前を見たことがある程度の人までご冥福をお祈りしている。彼ら彼女らにとって、私は死者になったんだ。
すごく気持ちが良かった。私が死んだだけなのに、こんなに多くの人がその死を悼んでいるのだという快感。
私の冥福を祈っている人たちのツイートを見ながら、私はにやにや笑っていた。
以来、私は一定の間隔をあけながら、私自身を死なせている。何度も死なせていたら当然アカウントが足りなくなってくるから、新しくアカウントをつくってまた別の関係を構築し直す。タグをつけているツイートを探してその人の作品や趣味に共感してあげたり、まめにいいねやリツイートをしてあげたり、「おもてなし」をしてあげさえすれば、ツイッターで人と仲良くなるのは簡単だ。もちろん、悼んでくれるような人を作るまでは時間がかかるから、簡単といっても短期間ですぐに作り上げられるというわけでもないけれど。
ともかくそうやってコミュニティに参入したら、頃合いを見計らって私は死ぬ。死因は様々だ。事故死、病死。自殺はうまくやると本当に気持ち良い反応が返ってくる。
何で気づいてあげられなかったんだろうとか、そういえばあの時のツイートは、とか、まだ若いのに、とか色々好き勝手に私の自殺の要因を想像している。愉快でたまらない。そういうツイートを見ているときがたぶん私にとって一番幸せな時間なんだろうと思う。
この前もまた私は死んだ。平成が終わるまでに、あと何回死ねるか。次はどんな死因にしようか。どんな訃報の文面を作ろうか。今日もそんなことを考えてわくわくしながら、私は呟いている。
こんな日記なんて早々に流れに飲み込まれて消えると思っていたから、反応があって驚いている。賛否はともかくとして自分の書きなぐったものに反応してもらえることは、ご冥福を祈られるのとはまた違った嬉しさがあると知った。
趣味の悪いことだというのは自分でも重々理解しているのでそれは脇に置いておいて、私がアカウントを作る際に心がけていることとして、「ヘイトを溜めない」ことがある。
ツイッターにおける人間関係は、実社会よりはるかに作りやすいことはすでに書いたが、同時にそれはきわめて脆くもある。
ミュートやブロックという形でその人をいなかったことにできる機能があるし、訃報に触れる心持ちにしても、ネット上だけで関わりがあった人の訃報は、実際に対面したことのある人の実感的なそれより軽い。
だからこそ、人が(本当に)死んでいるというのに、その人に対してヘイトを持っていた人は、ネット上においてはその死を平気で喜べる。実生活でそんな態度を露骨に表に出す人はほとんどいないことを考えれば、この点は了解してもらえると思う。
そして、そのような反応は、私の求めているものではない。
良質な冥福は、良質なユーザーが死ぬことでしか起こりえない。私が平穏に悼まれるためには、関係に悪感情を挟んではいけない。
だから私のアカウントは平和なツイートばかりだし、センシティブな話題には触れないよう心がけている、ということを追記しておく。
消されたら嫌だから取っとく
どれも五年以上前に作ったものだ。それぞれに繋がりはなく、名前も違うしツイートの毛色も違う。趣味で切り分けた独立のアカウント。そしてそれぞれによく話す仲の良いフォロワーがいる。
半年前、仕事や生活上の様々な不安、小学生の頃から持っていた希死念慮がぐちゃぐちゃに混ざって、その中の一つのアカウントで死亡宣告をした。
遺族になりきって、「〇〇の親族です。〇〇は先日逝去いたしました。生前〇〇と親しくお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました」
というふうに。亡くなった芸能人のツイートを参考にしてそれっぽい文面にして、葬式など様々なドタバタを暗に臭わせるために死亡設定日より期間を開けたりなんかもして巧妙に。
ツイートした直後、後悔した。なんでこんなことしたんだろう、意味がわからない、でももう呟いてしまったから消すわけにはいかない。
でも、そのアカウントで仲良くしていたフォロワーの一人がそれを拾った途端、後悔がぞくぞくとした快感に変わっていった。
「〇〇さん!? 嘘だ......」「そんな......よく話していたのに亡くなるなんて......」
私のために悲しんでいる。リツイートが増え、私の名前を見たことがある程度の人までご冥福をお祈りしている。彼ら彼女らにとって、私は死者になったんだ。
すごく気持ちが良かった。私が死んだだけなのに、こんなに多くの人がその死を悼んでいるのだという快感。
私の冥福を祈っている人たちのツイートを見ながら、私はにやにや笑っていた。
以来、私は一定の間隔をあけながら、私自身を死なせている。何度も死なせていたら当然アカウントが足りなくなってくるから、新しくアカウントをつくってまた別の関係を構築し直す。タグをつけているツイートを探してその人の作品や趣味に共感してあげたり、まめにいいねやリツイートをしてあげたり、「おもてなし」をしてあげさえすれば、ツイッターで人と仲良くなるのは簡単だ。もちろん、悼んでくれるような人を作るまでは時間がかかるから、簡単といっても短期間ですぐに作り上げられるというわけでもないけれど。
ともかくそうやってコミュニティに参入したら、頃合いを見計らって私は死ぬ。死因は様々だ。事故死、病死。自殺はうまくやると本当に気持ち良い反応が返ってくる。
何で気づいてあげられなかったんだろうとか、そういえばあの時のツイートは、とか、まだ若いのに、とか色々好き勝手に私の自殺の要因を想像している。愉快でたまらない。そういうツイートを見ているときがたぶん私にとって一番幸せな時間なんだろうと思う。
この前もまた私は死んだ。平成が終わるまでに、あと何回死ねるか。次はどんな死因にしようか。どんな訃報の文面を作ろうか。今日もそんなことを考えてわくわくしながら、私は呟いている。
こんな日記なんて早々に流れに飲み込まれて消えると思っていたから、反応があって驚いている。賛否はともかくとして自分の書きなぐったものに反応してもらえることは、ご冥福を祈られるのとはまた違った嬉しさがあると知った。
趣味の悪いことだというのは自分でも重々理解しているのでそれは脇に置いておいて、私がアカウントを作る際に心がけていることとして、「ヘイトを溜めない」ことがある。
ツイッターにおける人間関係は、実社会よりはるかに作りやすいことはすでに書いたが、同時にそれはきわめて脆くもある。
ミュートやブロックという形でその人をいなかったことにできる機能があるし、訃報に触れる心持ちにしても、ネット上だけで関わりがあった人の訃報は、実際に対面したことのある人の実感的なそれより軽い。
だからこそ、人が(本当に)死んでいるというのに、その人に対してヘイトを持っていた人は、ネット上においてはその死を平気で喜べる。実生活でそんな態度を露骨に表に出す人はほとんどいないことを考えれば、この点は了解してもらえると思う。
そして、そのような反応は、私の求めているものではない。
良質な冥福は、良質なユーザーが死ぬことでしか起こりえない。私が平穏に悼まれるためには、関係に悪感情を挟んではいけない。
だから私のアカウントは平和なツイートばかりだし、センシティブな話題には触れないよう心がけている、ということを追記しておく。
初老の教官:諸悪の根源。指導方針なのか本人の教育観か知らないが、どちらにせよ人として死んでいる
見て見ぬふりも加害者と同じだけど、徹頭徹尾見て見ぬふりで陰口すら一切加担しなかったのならまあ環境的に仕方ない
バカッター特有(いやどこでもそうだけど)の描いた本人叩き。そもそも叩く所は本人じゃなくない?
客観性に欠けるとかそんなの読み手は織り込み済。読み手が客観視するだけの話だから。それで警察に迷惑が掛かるって?
本人を叩く人と警察全体を一緒くたに叩く人は同じレベルのバイアス馬鹿だから、それは結局鏡に向かって言ってるのと同じなんだよ。安心して自分の頭を心配しろ
自分はナー、腕力に物を言わせて魂を刈り取りたいとまでは思ってないけど
ああいう加害者には、生涯孤独で貧しい生活を送って欲しいし社会的な意味でご逝去してくれるといいな
子供がいる場合はその子供が将来引きこもりになって学歴職歴なしで親本人が死ぬまで脛の骨まで齧っててくれたらいいなってくらい
初老の警官の最後の演出とかあいつと全く同じことをしてるから、見えない根っこで繋がってるんじゃないか?SFホラー?とぞっとした
社会は弱肉強食ではなく適者生存なのに、アレを正当化する頭の人間がいて市井の正義気取りとかおぞましい冗談にもほどがある
国会で野次飛ばす議員とかと同じで、極端に社会から乖離しててああいう人間が生まれる
書くの飽きた
気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。
私は30代で乳がんにかかってしまい、現在は休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。
がん治療中の身としては、正直逝去のニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビやスマホで見たくなくても目に入ってしまう。
ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。
きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。
詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである。
そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。
病院でちゃんと治療をすることが必要だ」といったコメントが散見された。
私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、
がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的な感想になるのかもしれない。
ただ、がんを患う身となってから勉強・体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。
がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍が局所にしかみられないステージ0~3のケースにおいては、
がんを根治することを目的に病院は手術や抗がん剤、放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。
ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。
寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。
患者としては、ステージ0~3の場合は抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。
私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。
最近はいい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、
白血球の数が大分減り細菌・ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。
抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。
薬によっては手足がしびれてペンや包丁を持ったりすることができなくなる。
肝臓や腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。
私が使っている抗がん剤の副作用は上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。
また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。
「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるものの病院に行き、
我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ちは理解できる。
副作用自体が仕事や価値観として耐えられないこともあるだろうし、
頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。
ステージ4は、がんの腫瘍が局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。
このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命とQOL向上を目的とした治療方針をとる。
現代医学の限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。
樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。
自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合は代替医療をやってみる選択肢を否定できないな、と思うようになった。
病院で治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、
患者として副作用てんこもりの抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。
ステージ4の場合は原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。
治らないとわかっている延命治療にお金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。
こんな風に代替医療を選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。
もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、
それを提供するクリニックや団体自体は問題だと思うが、患者の判断が問題といった物言いはできない。
代替医療を選択したいと思う気持ちをフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。
がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院の外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。
医者や看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくまで自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。
代替医療に科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。
だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから。
がんが発覚してから、ステージ4まで進行したら、と考えない日はない。
自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。
もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。
そんな時、「あなたの選択肢はおかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。
増田と似たようなことを長年言っていた友達が昨年の春、10年以上同棲していた彼女と突然入籍しました。
「なんでまた今更?」ってみんなが首を傾げる中「いや~なんとなくね~」としか答えてくれなかったんですが、先日飲みに言った時にぽろっと教えてくれました。
友人の両親は揉めに揉めた挙句離婚をしており、それを見ていた友人と、友人のお姉さんも結婚には懐疑的でした。なのでお姉さんも彼氏と長年同棲していました。もう殆ど夫婦みたいな感じだったそうです。
ところが、お姉さんの彼氏が帰省先で急性心不全になってしまって、そのまま逝去。お姉さんが彼の死を知ったのはお通夜が終わった後のことでした。
同棲相手の死に目に会えず、お通夜にも出れず、お葬式にも「ただの友人の1人」としてしか参列できない。お骨も拾えない。
更に、お葬式のときに彼の両親から「あなたと同棲していたせいで、私達は孫に会うことも叶わなかった」と責められたらしく、家に上がらせて貰えず。お仏壇に手を合わせることも未だできていないそうです。
そんなお姉さんの様子を見て、即、結婚を決意したと友人は話していました。
心身ともに健康で、金銭、時間に余裕があるとき、人は他人の生き方に寛容になれるし何か起きてもどうとでもなります。
しかし時間や金銭的に余裕のない状態で、万が一のことが起きた時、人は他人の心まで思いやることはできなくなるし、トラブルを防ぐために杓子定規な対応しかできなくなってしまうと思います。
法律というのは「最悪の中の最悪」を回避するためのセーフティネットであり、杓子定規の最たるものです。
増田が、それが無くてもなんの問題もなく、心を壊すことなく生きていけると確信できるか、ちょっと考えてみてもいいかもしれません。
ちなみに法律婚をしても心が壊れることは沢山あります。でも時間が味方してくれことが多いし、基本的に「配偶者」として、第三者から意思表示を認めて貰えます。
これってとても大きいことですよ。
「サッカーはTシャツと短パンでできる競技。野球の方が厳しい」
「サッカー負けたぞ」
「この五輪で一番注目されているのは、サッカーじゃなく野球。あとは単体(個人種目)で北島やヤワラちゃんがいるくらいでしょう。それに応えていかなくてはいけない」
「今日サッカーはアメリカに負けましたけど野球はアメリカに勝ちますので、皆さん楽しみにしててください。」
また、楽天監督時代、ベガルタの震災復興支援を報道しないよう、各メディアに圧力をかけていたのも記憶に新しい。星野のせいでベガルタは震災復興に際して何もやっていないことになり、震災から1か月間何もしなかった楽天が復興の象徴となった。
ガンプラバトルなのでガンダムパイロットに含めていいのか分からない
回数は多いがメインキャラではないゲームでの出演ばかり。Another出演以降は1回