はてなキーワード: 聖人とは
似た感じを少し前に経験したから言ってることすごくよくわかる。
途中でgdgdになったらごめん。
もしかするとブコメや他増田で同じこと言われてるかもしれないけど、同じ部署か他部署でも仲良くなれそうな人に声かけて、ごはんでもお酒でも行ってみるといいと思う。そうして仲良くなっていくと、徐々に「お育ちの良い部分」じゃないところも見えてきて、キラキラしてこの人たち住む世界が違う…って絶望感からは少し解放されるよ。あ、同じ人間なんだ、と思える。そうなってくると「知らないほうがただ羨ましがってるだけで済んでよかったな〜」って思うことも出てくるから注意は必要だけど。
もちろん、それでも増田とは元々の育った環境の差みたいなものはあるし個人差もあるから、実はドロドロな人もいる一方で本当に聖人君子みたいな人もいて、そういう人に当たっちゃった場合はあまり突破口にならないかもだけどw
それからドリルだけど、私も実は買ったことがあって、10マス計算ドリルから始めた。しかも10マス計算だけやって満足して、中学の数学ドリルも一緒に買ったのにそっちはずっとやらないままの体たらく。
ただたぶん勉強しろってブコメの人が言ってるのはそういうんじゃなく、仕事についての勉強だと思うのね。でも増田が派遣としてどの程度仕事を任されてるのかわからないから、誰にも具体的なアドバイスができないんだよね。事務かなと思うけど事務じゃない場合もあるし、事務だったとしても経理事務なのか営業事務なのかでも全然違う。
だから今言えることとしては、勉強じゃないけど例えば誰かに資料探しを頼まれたとして、その仕事の後に手書きの書類提出がいつもあったとしたら、その書類の出力も一緒にしておきますか?って声かけたり、少しだけ先回りして+αの仕事することを心がけていると「増田さんは仕事するとき気を遣ってくれる」って仕事上の信頼関係を築けるようになるってこと。そうして信頼関係を築いた上できっちり仕事ができるようになってくると、学歴やら育った環境での劣等感って薄れてくるんだよ。自己実現なのか承認欲求が満たされたからなのかはわからないけど、自分がちゃんとやれてることで他のことがあまり気にならなくなるというか。
綺麗さっぱりなくなることはないし、時折ジリジリしちゃうこともあるし、特にその会社で好きな人ができちゃったりするとこれまたその劣等感で苦しんだりしちゃうけど、それでも今よりは劣等感の薄れた状態で働くことができると思う。
でもドリルも意外に面白かったりするから、仕事とは別に趣味でドリルやるのもいいと思うよ。
私も「旅行ならカンクンおススメ!1週間の滞在なのに50万くらいで済むよ!」って言われて旅行で50万とかどういうことなの…ていうかそれ以前にカンクンってどこだよ国名なのか都市名なのかさえわからないよと戸惑ったりしたけど、今は劣等感からは結構解放されて仕事できてる。その理由を考えると、やっぱり人となりが見えて「私と同じ人間だ」と思えたことと、仕事していく中で信頼されて仕事任されることが増えたからじゃないかなと思うんだ。だから増田も同じように感じることができたら、劣等感から少しは解放されるかなと思って書き込んでみた。増田に書き込むの久々すぎて「どっからどうすんだっけ…?」というところからのスタートだったけど、なんとか書き込めそうなので安心した。
メリークリスマスをハッピーホリディに替えられる屈辱を、多分日本人は理解できない。
ポリコレという新しい宗教が、キリスト教の言葉を「お前は不道徳だ。公共の場にでてくるな。差別だ」と、勝手に差別認定されてしまったことに等しい。
これを日本人が理解できないのはキリスト教徒の屈辱を味わってないからだろう。
日本に例えると、おせち料理は宗教用語で他の宗教に配慮して正月料理に名前を変えろとか、年越しそばは宗教行事で他の宗教に配慮してないから今年からパスタにしましょう、みたいな馬鹿げた話だった。
で、本来「くだらねえこというんじゃねーばーか」で終わるはずのこれらの誰も喜ばない配慮が、時代の流行でまかり通ってしまった。
各企業のサンタクロースもキリスト教の聖人のくせに、あっさりハッピーホリディの軍門に下りやがった。裏切り者である。
ゲゲゲの鬼太郎がアメリカにあったら、クリスマスにちなんだ妖怪が「ハッピーホリディだと? 馬鹿にするなああああああああ」と激怒して暴れだす程度には屈辱である。
という問いにどう答えるべきだろうか?
例えば、映画1回観るのを我慢してNGOに寄付したなら、アフリカの子供何人分に予防接種をすることができて病気で死んでいたかもしれない貧しい人々の命を救うことができることを自分は既に知っている。
映画に金を出すという選択をすることは、何人かの子供の命を危険に晒す選択をしたことと同じだ。
自分の映画を観る楽しみを子供の命よりも優先するというなら、少なくとも、私は人間の命を平等だと信じているとは言えないだろう。
突き詰めると、人間の平等を信じる者は、衣食住に最低限必要な支出を除いて、あらゆる娯楽を諦めて、全ての財産を貧者に与え続ける生き方をしなければならない。
実際に自分の財産と能力と時間、人生の全てを貧者の救済に捧げている聖人のような人もいる。「言行一致の平等主義者」と言える。この聖人には表題の問いはできない。
しかし、聖人ほどストイックではなく、いくらか寄付はしてるし、ボランティア活動もしているけど、貧者の救済に貢献しない娯楽にも金を使って私生活を楽しんでいる、その金を寄付すれば他人の命を救えることは理解しているにも関わらず、だけど僕は人間は平等だと信じてるよ、
と言う「妥協した平等主義者」は表題の問いにどう答えるべきだろうか?
「僕は人間の平等は信じていない。娯楽の楽しみを他人の命よりも優先する実際の行動がそれを示している」という結論は避けたいのだが……
hagexへの批判もせずに増田だけ批判してる奴らは増田やhagex以上に気持ち悪いね
lotiontissueも超気持ち悪いよ
kotetsu306 もちろん増田の家族が暴かれることも覚悟の上でやってるんだよな? この内容だと発信者情報開示請求食らってもおかしくないんだが。事実であっても名誉毀損は成立するし
もちろんhagxもhagexの家族が暴かれることも覚悟の上でやってたんだよな? Hagex-day infoの内容だと発信者情報開示請求食らってもおかしくないんだが。事実であっても名誉毀損は成立するし。
本人が元気なうちに今あるような批判がされるべきだったんだが、死んで逃げちゃったからね、で何か死人ボーナスで聖人化されちゃったしね、卑怯だね。
hagexもネットであんなゲスサイトやらなければこんなことには。(´・ω・`)
araikacang 亡くなった方がどんな行動をしていたとしても、遺族は関係無いのでは。
Exactly.(そのとおりでございます)
それはワシも思った
わかる(わかる)
suzunya hageにウォッチされてた対象はウォッチャーじゃないし、その周辺の人達もウォッチャーじゃなかったけどウォッチされてたよね。そりゃウォッチされても仕方ないと思うよ。俺はそんなヒマじゃないんでしないけど
ワシも貧乏ヒマなしじゃよ
いやんばか~ん
hellshake
ペドフィリアでもいい。
これを書くにあたってエフェボフィリアという言葉を知ったけど、一般的ではないので使わない。
異性愛者が同性を性的対象にしないように、ゲイが女性を性的対象にしないように、レズビアンが男性を性的対象にしないように、私は成人が性的対象でない。
ところがある人によると、まともな倫理観のある社会では子供を性的対象にするのはおかしいらしい。
私には犯罪歴は無いし、逮捕歴も無い。自転車の盗難届の提出と運転免許証の更新以外で警察のお世話になったことは無い。
ちょっと前まではLGBTが似たような扱いだったなと思うが、LGBTとロリコン/ペドフィリアでは、1つ、大きな違いがある。
ロリコン/ペドフィリアにはパートナーが現れることが「絶対に」無い。
日本国の法律では、13歳未満との性行為は、同意の上でも犯罪となる。
そのため35歳を過ぎても性行為の経験がないし、一生変わることはないだろう。
定期的に妄想とイラストをタネにマスターベーションで発散している。
話題になったラブドールを見たが、なるほど、買いたくなる気持ちはよく分かった。
しかし、まともな倫理観の社会では、私が性欲を発散するような対象は許されないらしい。
子供への性犯罪を防ぐために必要だ、という意見もあるが、人は性欲が溜まったからといって誰彼構わず襲うようなことはしない。
要はQOLだ。
自分の趣向に合った対象で性欲を発散できないのは、想像以上のストレスになる。
別に認めてくれとは言わない。LGBTのように性的マイノリティとして取り上げろとも言わない。
ましてや「治してほしい」などとは思ってすらいない。
ただ、放っておいてくれ。
一時、孔子とか老子とか莊子とかそこら辺を読み漁っていたときに出会った言葉。
社会に出てふと思い出したときにあまりにもその通りで鳥肌が立った。
ただ、その原典を探しているのだけどどうしても見つけられない。
その本の中でも、急にその言葉だけ異質だったのを覚えてる。
内容は、敵国を完全に支配するにはどうしたらいいかというもの。
誰かに尋ねられて答えるみたいな構図だったような気がする。
力で押さえつけるとか、指導者を演じるとか、マインドコントロールするとかそういう類を想像していたけど書いてあることは予想とは全然違っていた。
例を挙げると以下のような感じだ。
・食料などの安定した供給を行う。
・娯楽など生きる喜びを提供する。
ここまでは聖人君子すげぇって感じに読んでたんだけど、その次に続く言葉を読んでぞっとした。
「相手にとってその生活が当然な状況になれば、生きることに対してこちらに完全に依存していると同然だ。後は与えるものをコントロールするだけで相手を好き勝手に操るができる。」
、、、
こわいこわいこわい!
こわいけどめっちゃある!
そういえばいつも定期的にうまいものごちそうしてくれたりゲーム貸してくれる友人Aになんだか振り回されてるけど断れないのもこれだよ!
その後社会にでて見て、本当にそうやって人の人生を好き勝手操っているひとの多いこと。
おかげさまでここまで出世できましたよ!
一見好意にに見せかけて、完全に支配しに来てる場合があるから注意してくださいね。
ダメだよ一方的な施し。受けちゃダメ。得したと思ってると根こそぎ持っていかれるよ。
もし原典をご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。
現代美術を理解してることと頭の良さは関係ないんだけど、なんでこういう人が多いんだろうね。
>一般人は印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。
言ってることがよくわからない。理解っていうのは神話とかの寓意性のことかな?それとも絵画史の流れや歴史的な背景とかかな?研究者でもなければ解説で補えばいいんじゃないかな。
>それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。
さらによくわからない。コンセプチュアルアートやミニマルアートが派生してきたことについて言っているのかな。現代美術はどちらかというと、大衆的な美意識を取り込んできた歴史だと思うんだけどな。
>だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。
>だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないから一般人が何を騒いでるのかわからない。
もっとわからない…。歴史的に見ても、新しい表現表現がでてきて反発するのはまず芸術家というか、君の言う「藝術理解者」そのものなんだよね。
>一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタク=アート論もその変奏)、全く質の違うもの。
>工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなもの。クリエイティブじゃない。
>日本のエリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東の田舎者だから、クリエイティブを理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分に理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだもの。あんな教科書的なものですら。
うーん、話がごちゃごちゃだね。工芸品も現代アートになるよ。オタク=アート論は関係ないよ。工芸ももちろんクリエイティブだし、掃除とは関係ないよ。
ただ、役所的なところで工芸というかテクニック重視のものが持ち上げられるのは仕方ないね、わかりやすいし理解も得られやすいからね。
佐藤可士和デザインは受け入れられていると言えるでしょう。個人的に残念だったのはザハかな。
>とにかくアジアって文化後進国なのね。トップの日本ですらこうなのだから。東京"国立"博物館がデュシャンと日本美術を脈絡なく展示してホルホルしてるレベルだもの。
アジアを文化後進国と見なすような西洋中心的な視点から脱却しよう、というのがまさに今の現代美術のメイントピックの一つだと思うんだけど、大丈夫?
>まず日本に生まれた時点で、現代アートを理解するには圧倒的に不利。
それはそのとおりなんだけど、「アメリカに生まれた時点で萌えアニメを理解するのは圧倒的に不利」と言ってるのと同じなんだよね。それはそうでしょう。
? 例えば聖人の像なんかは大衆啓蒙用だよね。想定してる歴史の範囲が狭すぎるのかな。
>民主主義の恩恵で、一般人も美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。
>そしてあれは、将来のお客さんとアーティストの入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材がいるかもしれないと信じて。
そんなこと考えてる人いないと思うなあ。
>金持ちにもアーティストにもなれない一般人はまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてインスタグラムでもやればいいんだと思うよ。
好きなフォロワーをミュートしている。タイトルは間違っていない。ちなみにこのフォロワー=父とかいうことではない。
私は比較的マイナージャンルのオタク兼腐女子で、二次創作を細々としている。
上に記したように小さいジャンルなので人口も少ない。そんな中、私が二次創作を始めた割と初期の方からフォローしてくれている方がいる。私もフォロバしている。
まず初めに断っておきたいのは、フォロワー(長いのでAとする)は決して誹謗中傷その他道徳に反する行為は行なっていない。これはあくまで私の感情の話だということは言っておきたい。つまりAは悪くないということだ。
Aは私の作品が出るたびにコメントをくれた。とても嬉しかった。どうでもいいツイートにも反応してくれた。はたから見ればきっと、普通の相互フォローの関係だと思う。
ただ、私はAが苦手だった。いや、現在進行形で苦手だ。
私の推しているカプは、とある分野の専門知識と深く関わっている(これはただの喩えだが、「はた○く細胞」において二次創作をしようと思ったらほぼ必然的に生物学的・医療学的知識が関わってくるというような感じである。)。
Aはその分野にとても詳しく、頻繁にその知識を教えてくれた。
本来ならば推しカプへの解釈やらなんやらが広がって嬉しく思うべきところなのだろうが、私はなぜか苦痛しか感じなかった。
ただただAが善意で教えてくれるその知識が苦痛で、自分でも理由もわからず先日からミュートしていた。
そしてふと、その理由に気づいた。
私は父が嫌いなのだ。
私の父は決して虐待などの違法行為などは行なっておらず、家にも金を入れる、はたから見れば一般的な父親だ。
だが裏を返すと、「巧妙に人を傷つける・苛立たせるのがうまい」ということだった。
Aの場合、「巧妙に人を傷つける」は当てはまらないが、「苛立たせるのがうまい」というのは一致していた(もちろん「私を」の話だ)。
父はよく「俺の買った〜は使ってるか?便利だろ」といった発言をする。確かに買ったものは便利なのだが、「俺の買った」というところに苛立って仕方ない。この製品の性能とお前が買ったのはなんの関連もねえだろ。一ミリも開発になんか関わってねえのにどうしてお前の功績みたいになる。しかも誰も頼んでねえのになんで反応(=見返り)を欲しがって、それがないと当たり散らす?
Aもそう言った発言をするのがうまかった。
「あのシーンの〜、私も行ったなあ、〜〜なんだよね」とか「〜〜のところはほんと難しいから、〇〇(キャラ)が苦しんでるのも本当わかる」のような。
多分、普通の人なら「へ〜」で済む内容だと思う。多少イラっときても、まあそういうこともあるか、くらいじゃないんだろうか。
私はダメだった。Aと父が重なって仕方ない。父はクズなのだ。Aはクズじゃない。Aはそれに反応しなくたって文句言ったことなんてないし、決して奢っているわけでもない。加えて、仕事やなんや色々頑張っているのを知っている。全くの別人で、SNS上でくらい自分の話をしたい、そういう心理もとてもわかる。すごくわかる。わかるのに、見ていて苛立つ。
Aをミュートしてから、ちょっと人生が楽になった。そういえば父に関しても数年前にとんでもない暴言を吐かれ、「一生許さないし嫌いでいる」と思い始めてから、随分人生が楽になった。無理はするもんじゃない。
結局私はいい人であろうとしながら実際には無意識に嫌いな人と共通点を見つければ弾きだすんだなあ、なんて思いつつ、でも聖人君子じゃないからやっぱミュートのままでいいやって思いながら楽しくTLを追っている。特にこの文章に結論はない。
私はとあるジャンルのAというキャラが好きだった。好きなキャラを受けにする腐女子だったので、Aが受けならどんなカプでも喜んで見れた。そんな私だけど、特にA受けでBA,CA,DAが好きだった。
BはAの初めて仲間になったキャラで、Bは物凄くAに頼られるとついとい甘やかしちゃうようなやつで(本編でも他キャラに指摘されてた)そういうBのAに対する圧倒的片思いなところがBAは好きだった。
Cの他キャラよりもAのことを気にかけ、何かある度にAに大丈夫か?とか気遣い、そんなCに構われてるAというところがCAは好きだった。
Dは元々Aに対していい思いはしておらず、でもAのひたむきな姿にだんだん心を開いていき、最終的にDはAの兄貴みたいな存在になった。そういう関係性があってDAは好きだった。
上記三つのカプは結構公式でも平等に要素は感じられる(自分の贔屓目もあるかもしれないが)所はあって、それもあってBAやDAはだんだん増えていった。
ただ、CAは増えなかった。
なぜか、私の想像でしかないけど、それはCBというカプがすごく人気だからだと思う。Bはそのジャンルで一番人気なキャラで、BとCは最初出会った時喧嘩した。それもあってケンカップルみたいな感じで直ぐに人気が出た。さらに、Bが好きな人はだいたいBAまたはCBに行き、Cが好きな人はCBに行く人が多かった。その結果、CAは見るけど別に…とか、興味ない人ばかりで、公式でCとAに要素があっても(俺はお前を好きになれそうだとか出会い頭に行ったりするしお前を死なせない!とか言った)全然周りは反応してくれなかった。
BAやDAはたくさん作品があるし、好きな人たくさんいたから私と話したり、絵に反応してくれる人がいた。だから結構満足しているんだけど、CAは全然そんなのなかった。全然人がいなかった。私は3つのカプが平等にすきだから、CAももっと増えて欲しくて、絵を沢山書いたけど、無言でいいねはもらえても書いてくれる人とかは全然増えなかった。
みんな、つまむ程度にはCAを見てくれるけど、作品を書いたりCAの妄想?とかは全然してくれなかった。それが私一人だけしか好きな人いないみたいで辛すぎて嫌だったので、もっと絵を書いたり呟いたりしてみたけど、あまり効果はなかった。そりゃそうだよね。みんな自分の推しカプしか見ないよな。私だってそうだし。
ぶっちゃけBAやDAより気持ち贔屓目に絵を書いて、呟いて、CAに興味持ってもらおうと頑張ってみたけど、増える気配はない。もう疲れてしまった。これはただの愚痴だ。結構呟いてたんだけど、ダメだった。自分には力がなかった。ごめんCA。私にはダメだったよ。たとえ反応は貰えても、推しカプが増えてくれなきゃ、自分は何もみれない。あるのは自分の作品だけ。そんなの辛い。やだよ。私だって話し相手欲しいし、推しカプメインにしてる人のつぶやきみたいよ。私は聖人じゃないから絵を見てくれるだけで満足とか思わない。仲間が欲しい。私の絵好きって言ってくれた時は嬉しかったけど、好きで終わりなのはつらい。そっからアクションを起こさせるような絵描きになりたかった。でもなれなかった。私は見世物の絵描きだけじゃやだ。私は二次創作が好きだから、一緒に好きなジャンルの好きなカプの二次創作を話せる人が欲しい。見られていいねって反応貰うだけで満足できない。沢山書いてれば1人くらい……と淡い期待を半年以上描き続けたけどダメだった。ごめんCA。私には力がなかった………………。もう疲れたから、書くの辞めます。さようなら。書いてくれる人、今後現れるといいね………。
これ見てる人に言いたいけど、マイナーCPでこっそり好きな物あったら、ぜひ呟いてほしい。出来ることなら、好きだということをアピールして欲しい、妄想とか呟いてほしい、出来ることなら、絵とか小説とか書くなら、書いて欲しい。でも二次創作って大変だから最後のは厳しいかもしれないけど………。
安月給なのは昔からなのに今になって保育士不足が悪化してるのはモンペが増えてますます労働環境悪化してるからだし
人が足りないから問題がある人もクビに出来なくなるし、そうなるとますます人が減るの悪循環だし
出産に順番があるのも人が足りない&年度途中で担任が妊娠すると親が園を叩くから妊娠予定の人は予め担任外すとかの対策しなきゃならないからだし
ってのを無視して「いじめがあるのは女社会だから」「ブラックなのは園長やお局が悪い」とか言ってるモンペだらけなのも
http://otsune.hatenablog.com/entry/2018/07/03/030608
「細かく把握してなかった」って、"ゲス野郎がキチガイを煽ったら返り討ちにされて殺されちゃいました(笑)"でもう大体の認識は把握できるんじゃないの?
まさかとは思うけどおっつねさんもしかして岡本hagexの事を遺族に「インターネッツを使って愛と正義のために悪を裁いた偉大なる聖人」であるかのように吹き込んだりしてないよな?
正しくは「他人のゴシップのためならおよそ関係のない人間を巻き込んでまで中傷を行い続けた真性のゲスでありいつ殺害されてもおかしくなかったチキンレーサー(自爆)」だろうが
https://anond.hatelabo.jp/20180625202047
https://anond.hatelabo.jp/20180626014530
おっつねさん、顕一郎の遺族に上の記事読ませてちゃんと「真実」を伝えてあげてくださいね。
嘘はいけませんよ、嘘は。
あ、顕一郎はドラッグや銃器を買えるサイトの使い方に関しても事詳しく紹介からそういう面も忘れないで伝えてあげてね♪
相対主義を言い訳にして「注意を喚起したかっただけでしゅううう~~~~~」って周りの連中はアクロバティック擁護すると思うけど
「未来のミライ」と「若おかみは小学生!」、両方を観てきた(ネタバレあり)
どちらも面白かったよ。
観ながら自分のこどもが小さかった頃を懐かしく思い出しました。
ガキはぎゃあぎゃあ言うのが普通だしそれを親が手に余すのもよくあること。
それをつかまえて「主人公うるさいムカつく」「親の愛情が感じられない」とかいう感想がネット上には多い感じ。
(TV版と違って)映画では「両親の喪失」にフォーカスするストーリー。
物語の後半、両親を失うこととなる「事故」を起こした当事者が出てきて、そのひとは家族で幸せな感じなわけです。
当然おっこはそれを知ることとなるわけですが、許すんですよね、おっこ。自分の親を(ある意味)殺した相手を。
聖人レベルの赦しを発動できる小学生おかみより、親の気を惹きたくて、寂しくて、プラレールで赤子をぽかする四歳児のほうが僕は断然好きなんですよ。人間味があって。
共和国の豊かな生活や食事や文化を楽しませて着飾らせて可愛がってさ
帝国での過酷な訓練と戦いに塗りつぶされた灰色の人生観を塗り替えさせた後にさ
「ところで殺せと言う例の話ですけど。」って切り出したいよね。
「落ち着いてきたので、どうしてもというなら残念だけど意志に沿いたいと思います。」って。
「出来たら考えを変えてくれてたらとても嬉しいんですけど」って。
女騎士は内心ではもうかなり死に疑問と躊躇いが生まれてるんだけど
まだ残ってる騎士のモラルとか一旦大見得切った立場とかのせいで今更「生きたいです」なんて恥ずかしくて言えなくて煩悶してるとこに
「あなたが死んじゃうと捕虜になってるあなたの部下達の境遇にもいいことないんですよ?」とか助け舟を出したいよね。
それで女騎士も勿論その話が助け話だと気づいて、
それでもその助け舟に乗っちゃって顔真っ赤にしながら「部下の為にも死ねないし生きたいです」みたいな答弁を小声でしちゃうところを見守りたいよね。
当然「殺せ」の撤回と命乞いを聞いたらちゃんと快適な待遇と生活を供与しちゃうんだよ。
帝国と共和国が停戦した後も立場を保って母国と行き来出来るような体裁も整えてあげるの。
女騎士は人生の楽しみを知ったことで自分が変わっちゃったことに気づいていて
部下を言い訳にした命乞いまでしちゃったことを自覚してるからふと思い出すたび悶絶して無意味な奇声を上げそうになるけど
そこで自決するような誇り高さがもう自分にないことも理解するわけ。
そんで段々とふにゃふにゃした人間になってきて
共和国との和平を実現したうえに熱心に求婚してきてた共和国の男と結婚して
殆どの人には「和平の象徴」とか「戦争の英雄にして遺恨を捨てて平和を到来させた聖人」とか言われて
そういうのが読みてえな。
すごい陵辱でしょ。