「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになる、というこの記事を読んで、ひとつ思い出したことがあった。授業の話じゃないけれど、でも、通じるところはあるので書く。
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どうして「体育の授業」のおかげでスポーツが嫌いになってしまうのだろう - YU@Kの不定期村
しかし、まともな練習はさせてもらえなかった。
某個人球技だったんだが、部員は40人いるのにコートは2面しかない。
フルに使えば4人、半面ずつ使っても8人しか一度には練習できないので、全員に公平に割り振ると、1時間のうち実質練習に使える時間は5分~10分ぐらいしかないわけですよ。
「コートが2面しかない」っちゅう物理的な限界があるのはわかるので、あんまり文句も言えなかったけど。
・素振りはフォームを作るために非常に大事な練習だ! 真面目にやれ!
・球拾いしてる間は上級生のプレーを見て試合の組み立てを学ぶんだ!
で、その場では一応「ハイ!」と素直に元気に答えて真面目にやるものの、いくらなんでも練習できる時間が短すぎると思った僕は半年ぐらいで辞めました。
それから20年ぐらいの年が過ぎたある日、その某球技の指導本をたまたま読んで驚愕した。
って書いてるんだな、これが。
理由は、初心者が素振りばっかりやると、悪いフォームを固定させる弊害のほうが大きいんだそうな。
初心者ほどボールを使って、ボールがきれいに返るのを確認しながらやらなきゃいけない、、、、だそうで。実際、ヨーロッパのトップ選手は素振りなんかやらんそうで・・・・
逆に、熟練してからだったら素振りにも意味がある、と。(ただしそれは必要に応じて個人的にやるべきもので、「全員、素振り300回」とか一律でやっても意味は無いと)
で、今思うとわかることがある。
当時の学校での部活動というのは、放課後の時間、子供の自由を奪うための口実だったんだな、ということ。
外で遊ばれて事件・事故起こされたりすると困るので、健全な身体の育成を名目に全員を部活動に参加させ、自由時間をなくしていたわけだ。
ところが実際に全員を入部させると絶対的に設備が足りない。部員は40人いるのにコートは2面。
で、どうするか。そういう状況での実に安直な解決法が、球拾いと素振りをやらせておくことだった。
そこで、
・真面目にやれ!
という、一見もっともらしい理屈をつけて新入生を黙らせてたんだな、ということ。
「素振りを真面目にやって上達した先輩」がいるのは事実だろう。
ただしそれは、何でも真面目にやる先輩が、素振りも真面目にやっていただけのことで、素振りが練習法として役に立つことは意味しない。素振りをやってる間、コートを使えていたらもっと上達していたかもしれない。っていうか普通はそうなんだよ。
ところでこの問題が深刻なのは、当時部活の顧問をしていた教師はこの
理論を真面目に信じていたってこと。本人は大まじめにそう考えていて、それが適切な指導だと信じてそう言っていたんだよ。それはわかる。しかしその結果何が起きたかといえば、練習時間の壮大な無駄だ。
だったら、コートが使えない間は他の活動するのを許可しとけばいいじゃないか。外で遊んで事件起こされるのが困るんだったら、教室で出来る文化系の部を作らせて、マルチ所属にしとけばいいでしょ。
けれど学校はそれを許さなかった。どの部も少ないリソースにおおぜいの部員を詰め込んで、実質ろくに練習できない環境に多くの生徒を縛り付けていた。
今思えばあれほど無駄なことはなかったと思う。
しかもその「無駄なこと」に疑問をもたずに真面目にやる生徒が高く評価されるわけですよ。
アホかと。