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はてなキーワード: 投書欄とは

2017-05-25

二次創作小説研究目的引用することは研究倫理に反するか

結論:場合による

https://togetter.com/li/1113766

https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601

この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)

分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから

たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかい単語容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。

文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフ研究では、英語版ロシア語版を照らし合わせて登場人物名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。

それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。

現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは

という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。

しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかねふつうそういう研究なら、「○○新聞データベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリング情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……

pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。

一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイト自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。

しかし、ここで問題になってくるのは

ということだ。

それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。

※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します

たとえそれが個人的談話であっても、社会学文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。

だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学文化人類学研究なら普通は発言者をボカす社会運動指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。

仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会激おこだった)。

これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞投書欄分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。

ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。

インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿分析発言者特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象著名人であるとかなら別だけど(twitter右寄り発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。

それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。

=何が言いたいかというと、確かにあの論文研究倫理に反するけど、それは同人小説研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。

追記

何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表プロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答ボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会判断とかで弾こうぜ。

あとこれ多分M1の学生研究助教准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。

さらに追記

社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。

http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758

マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?

  • リンク先で言われている「社会調査」の例
  • 今回の調査は「ネット上に公開された小説分析
    • なので仮にあてはめるとするなら「図書館に行ってLGBT団体の機関誌を調べてどんな人がどんなことを書いているか分析する」に相当する
      • 普通、そういう調査をするに際して、当該団体の許可は要りません(その団体の会員にしか配られなかったので、その団体が所有する図書館でしか読めません、というなら別だけど)。当たり前だよ、侵襲性がないんだもん。今回のは、その文献調査で知り得た情報をどのように扱うべきだったかという話でしょ。何度も言うけど発表された二次創作を無断で分析するのは原理的にはやっていいんですよ
  • なのでこれは、医学や文化人類学社会学フィールドワークとは根本的には違う話です
    • それらの学問では、患者さんや調査対象の人たちに時間を割いてもらって、必要とあらば彼らの社会に住み込むことによって、個人情報も含めたデータ提供してもらいます。侵襲性が高いというのはそういうことです。それらの学問では調査すること自体が彼らに迷惑をかけてしまうことになるんです。だからちゃんと事前に許可を取ったりしないといけない。でも、インターネットで公開された文章を検索したり、図書館雑誌を探したりするだけなら、調査対象に迷惑はかかりません。だから調査対象にいちいち許可を取る必要なんてありません。ただ、それによってセンシティヴな情報が得られることもあるし、それは研究発表のときに注意しないといけない、という話

もいっちょ追記

いちおう言っておくと、

  • 法的に問題があるか
  • 研究倫理として問題があるか
  • 研究として優れているか
  • ムカつくか

ってこれ全部別の話だからね。

正直、腐女子研究者研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。

ぶこめに応答

id:p_papua

研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。

文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。

これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。

いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。

id:catsnail

こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。

ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。

医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。

こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。

でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館雑誌バックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。

id:nt46

医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん

カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。

id:drunkghost

会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?

少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!

(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)

研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。

id:ajtpyomkptm

二次創作研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。

前例はあります

今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究もっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。

まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。

あとこれ言うと揚げ足取りなっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします明治文学研究とかルール違反百貨店や~。

追記

これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。

2017-05-23

今日多々良川

晴れ

水位中ぐらい

亀が10甲羅干ししてた

甲羅干ししてた場所は、川岸打ちっぱなしコンクリートの上(水位高かったからね

左端の亀が2匹、やたら首をのばして前後に動かしてる・・・

と思ってよーくみたら亀じゃなくて鳥だった

甲羅干ししてる亀と並んで、はしっこに鳥が2羽いた!

カモっぽい水鳥

くちばしは黄色くない

色は灰色っぽいハトっぽい地味な配色

ハトかな?とも思ったけどハトほどくちばしちいさくなかったから確実に違う

自転車止めてよくみればよかったんだろうけどそこまではしないから正体は不明のまま

サギはいなかった

でも今朝の朝日新聞投書欄写真がサギのこどもたちが戯れてる写真だったから、久しぶりにサギ分を補給できた

2017-04-26

今朝の朝日新聞投書欄で、若い人がキレる老人が多いとか、待合室でだべる老人に対して苦言を呈していた投書に対しての、

老人側の返答投書があったけど、どれもひどいものだったわ

昔苦労したから多めに見てとかさびいからとかそんなんばっか

ほんとすくいようがねえわ

2017-01-10

新聞の読者投書欄

2chやらツイッターには創作実話がたくさん転がっているが、新聞の読者投書欄ネタ師がいるんだろうか。

2016-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20161219192650

朝日投書欄には、いつの間にか「無断転載を禁じます」ってのが入るようになってたな

新幹線での三景こぴぺの影響かなwww

2016-12-07

貧困男性にむかって「下駄を履いてるのに無能」というフェミニスト

最近こういうのを平気で言ったり、新聞投書欄に載せてるのを見かけるたびに貧困で苦しんでる人は協調関係にはないんだろうなと思う。男性社会いかキャリアがアップするか、出世するかが重要なのだろう。そこについて行く人は一体誰なんですかね。

2016-11-07

今朝の朝日新聞投書欄で57のおっさんが、盛り土問題ドキュメントとか議事録作った若者公務員も知ってたはず!声を上げなかったのがけしからん採用基準不正を許さないってのを入れろ!って言ってた

開いた口が塞がらないとはこのことだ

典型的老害

2016-09-28

大食いダメなら相撲ダメなんじゃないか

新聞投書欄大食い番組が叩かれていた。

そんな無駄に食う分があったらアフリカの子供に……という、いつもの理屈である

なんでも、終わった後は吐いてるらしいから、確かに食べ物無駄と言われてもしょうがない。

投書では触れられていなかったが、危険というのももちろんある。

しかし、よくよく考えてみると、食い物を無駄に消費するという点では、他のスポーツも同じだ。

例えば相撲力士体重別ではないため、基本的には太るほど有利なルールになっている。

から、彼らは毎日のように、稽古をしては大量に食って寝る。太るのも仕事のうちだという。

小兵で活躍すればもてはやされるが、それはレアケースだからで、やっていくのは厳しいのだろう。

まり力士でいる限り、不必要に食うことがほぼ必要とされている。

みんなそんなことはわかっていて、でもまあしょうがないよね相撲から、とごまかしているのだ。

けしからんからテレビ中継なんかやめてしまえ、という年寄りの話なんか聞いたこともない。

大食いとの差はただひとつ。その光景テレビで直接見ずに済んでいるだけだ。

からあの体を見ても何とも思わないのだろう。

もっと言うなら、相撲だけの話でもない。

野球がなければ、高校球児が丼飯を3杯も食う必要だってないが、誰もそのことは非難しないのである

2016-09-21

大手新聞社の朝刊とってるけど、昔に比べたら広告増えすぎ+健康食品広告がしつこすぎてうざい+情弱の老人ねらった電化製品広告もうざい

若者が読まないとか言ってるけどうそういう紙面づくりしてんのはてめーらじゃねえかっていうね

投書欄若者のものがメインで載るコーナーもめっちゃ縮小されたし

2016-08-28

朝日新聞といえば今朝の投書欄でクソババアが猫のなりきりで投稿しててクソきもかった

野良もがんばって生きてるんだから糞害多少見逃してくれとかバカかアホか死ねマジで

老害はおとなしく老人ホームでお遊戯でもしとけ

2016-04-17

そろそろ新聞にドバーンって地震ニュースとか写真が幅トルのうざいと思ってきた

もう秋田からやめてくんないかな

いやでも目に入る

これだから新聞は使えないんだよ

いつまでもいつまでもてめーらの見せたいもんばっかでこっちが見たいもんを見せてくれない

愛して愛して!とばかり言ってくるメンヘラと同じだわ

自分からは愛そうとしない傲慢

そりゃ新聞も廃れるわ

投書欄でいつまでたっても「新聞はやっぱりいい」だとか「新聞しか得られないものがある」とか、自画自賛するような投書ばっかり掲載して読者を洗脳しようとしてるのもばからしい

新聞代払ってるのに広告も載せてるし

つーか昔より広告ページも増えすぎで目障りなことこの上ないし

チラシだけでいいんだよ新聞なんて

2016-03-25

田中メカオカン新聞に投書

中日新聞投書欄眺めてたら「次女が漫画家上京して18年。15年ほど前の連載が春からドラマ化で嬉しい」みたいな内容の投稿

漫画家名前作品タイトルは書いてない

誰だろ?と2016年4月スタートドラマを調べてみる。

田中メカの『お迎えです。』か。

出身愛知

オカン苗字田中。

連載時期が1999年3月から2002年3月号。

なんかほっこりはてな用法でなく本来意味で)した。

原作紹介|お迎えデス。|日本テレビ

http://www.ntv.co.jp/omukaedesu/original/index.html

https://twitter.com/tanakameca

2016-03-11

赤旗投書欄

日本は「一億総活躍社会」ではなかったのか?

昨日、保育園抽選に落ちた。これでは子持ちが社会活躍する道が経たれる。

子供を産んで積極的に働いて納税しているのに日本は何が不満なんだろう。

何が「少子化」だ。

子供を産んだが保育所に預ける事が出来ないなら、誰が子供を産もうとするのだろう

か?

政治家不倫収賄もおおいに結構だがとにかく保育所を造って欲しい。

オリンピック公費無駄に費やすなら保育所造って欲しい。

これで子供が出来たら退職を余儀なくされる。

いいかげんにして貰いたい。

本当に保育所増やせないのなら児童手当20万にして欲しい。

僅かな児童手当に保育所の数も増やせないで子供を増やせなど虫の良い話でしかない。国が少子化の後押ししているようなものだ。不祥事起こした議員などの議員を半分に減らせば財源など造れよう。本当にいいかげんにして貰いたいものだ。

2016-01-09

ゲスベッキー不倫報道のあと、ネットでちらほら「芸能人恋愛とかどうでもいい」「くだらないゴシップで騒ぐな」といった意見をみかけた

気持ちわからんでもないが、それをブコメツイッターで表明してしまったら、そのくだらない報道を利することになるのでは?と気になった

ブクマが増えればトップに載る期間が延びて記事PVも増えるだろうし、固有名詞を入れてつぶやけば「ツイッターでも注目を集めた」という構図に貢献してしま

じゃあそういうイライラがあった場合、どこに吐き出せば敵を利することにならないのか?と考えていったら、最終的には文春やテレビ局クレームを入れるか、なんか「ゴシップ報道に呆れ」みたいなタイトル新聞投書欄にお手紙を出すか、というところに行き着いてしまい、不自由なもんだなぁと思いましたまる

2015-11-30

最近文章を書く能力の低下が著しい。

読む量は増えたが書く量が減ったことに起因するのではないかと思ったが、英語に関して言えば読むどころか聞く量すら激減していることに気づく。これで翻訳生業にする夢を諦めきれていないというのだから驚きである高校大学と授業や試験英語を扱ったときも「自分中学英語の知識だけで問題を解いているなあ」と思っていたふしがあるが、まさかここに至るまでその意識を捨てきれていないというのはいかがなものか。むしろ劣化しているとさえ感じる。

この現状を打破するためにも積極的英語に触れていこうと思うまではよいのだが、いざ自由時間ができたところで訳しかけの『緋色研究』に手を付けた試しがない。翻訳趣味と言っていた自分は何だったのか。ただの就活用のアピール項目に過ぎなかったのか。お前の情熱とはその程度のものなのか。社会人になったら新聞投書欄投稿したいと言っていたのではなかったか

と、ここまで考えたところで、なぜここまで翻訳業に固執するのかと思い直したところ、「自分のしたことが目に見えて分かる」ことに喜びを感じる自分というものに気づく。大企業にいるとそのようなことはそう起こるものではないし、それゆえに半ば業務に対する情熱を(半年も携わっていないのに!)失いかけているのだろう。さらに欲を丸出しにしてしまえば褒められたいのだろう。贅沢である。褒められなくとも自分が何かを創りだし、それに満足のいくことのできるような仕事がしたい、というのが恐らく本音だ。だがそのような職に就ける人間果たしてどれほどいるというのか、と夢物語一言で片付けてしまえばそれでお終いであるのに、いかんせん身近にそういう人がいるものからどうにも未練がましくなってしまっているらしい。

なんだお前は、つまるところ物を書いて飯を食う人間になりたかったのか。

likeとcanは動詞助動詞レイヤすら違う話なのに。昔から文章にすることでストレスを発散してきたというだけで、どうしてそこまで思い上がれるのだろう。少しばかり英語の成績がよいというだけの、ただのいち理系学生だった自分が、中学生から抱く翻訳作家という夢を未だ捨てきれず、性懲りもなくくすぶらせ続けている。なんと往生際の悪い。だが文字通り今が往生際になるとすれば、きっとそのことを後悔するのだろうと思うと苦笑せざるを得ない。

我が家インターネットという近代通信網が導入されてからしばらく経ち、国語の授業で作文をするというとき、どうにもネットスラングを入れてしまいそうになる自分にふと気が付き「ああ自分はこんな文章しか書けなくなってしまったのだな」とショックを受けたことを思い出す。恐らくそれ以来、自分なりに人一倍言葉遣いに用心するようになったのだと記憶するが、それも言うなれば自己満足しかなく、「言葉遣いが正しい」ことは「いい文章である」ことの十分条件ではないのである

もっと言えば「いい文章である」かどうかは読み手判断するものであり、いくら自分で「いい文章が書けた」と思ってもそれが万人にそう思わせるものであるとは限らない。「いい文章だ」と感じる読者がなるべく増えるようにするためにできる最低限の努力なのだ。そんな自己満足世界生計を立てられるほどの能力などあるはずもないのに、こうして毎日夢を見ているのは、まだ「お前には到底無理だ」という現実をはっきりと突き付けられていないからであり、それはある意味幸福ことなのかもしれない。

そんなしあわせな夢を、帰路の電車に揺られながら、手にした本の世界から誘われながら、また今日も見るのである

2015-08-20





はてなダイアリーで、時事ニュースネットで話題になった事件について、ずっと言及している人がいたんだけど、っていうとそういう人は別にいっぱいいそうだが、当人生活趣味の話はほぼなく、とにかくダイアリーニュースなどをずっと批判しているだけだったのが印象的だったのだ。もぐもぐさんが言うような「ずっと怒っている人」である毎日自分が怒りたくなるようなニュースを探しているみたいだけど、疲れないのだろうか…?と疑問に思っていたのだが、ある時疲れたのか、プライベートモードになった。と思ったら、その後、はてなハイクで似たようなことをやっていた。調べたら、東日本大震災のあと、しばらく続けていたが、震災から半年ぐらいでやめていた。Twitterも併行してやっていたが、そちらもやめたらしい。現在はそういうネット活動に飽きたのか、それともTwitterなどサービスを変えて同じようなことをやっているか…。それはわからない。浅羽通明氏が、湾岸戦争の時の新聞投稿欄を元に「新聞投書に見る『発言したい欲望』という記事を書いているのだが、昔ならこういう人は新聞投書をしたのかも知れない。ブログという没のない新聞投書欄を得て、「ずっと怒っている人」は可視化される。

虐殺の文法とは

2015-07-23

世界プロが多すぎる

何を勉強するにしても何を目指すにしても、上を見たらキリがないってのをつくづく実感する。

高校の頃は偏差値がどんどん伸びていくのを見るのが嬉しくて、努力が報われている感覚が心地よかった。一応そこそこの大学に入れたんだし、いっちょ研究者一流企業官僚にでもなってエリート街道を歩んでやるぜと意気込んでたんだけど、本当自分ゴミのように甘い考えを持っていることを思い知らされた。

グループワークではキレッキレな質問を投げかけて延々わけのわからん現代思想の話を教授と楽しそうに会話してるやつがいたり、大学の成績がほとんどSの奴がいたり(なんで第2外国語をそんなに頑張れるんだ?なんであんな面白く無い上に漠然としたテーマで優秀なレポートが書けるんだ?)昨今話題意識高い系ではなくて、本気で日本を変えたい世界を変えたいと思って行動してる奴とかが山のようにいる。

法科大学院に進むのにSの数が7割強必要とか理解範疇を超えてる

院に進んだら少なくとも定職につくまでには27歳くらいになってるんだろ?しかも職も保証されてない文系の院なのにどうしてそんなに勉強したいんだ

そこまで勉強して勉強してそんな一流の職を勝ち得た一握りのエリート達が不夜城呼び名の高い省庁や研究機関で、その優秀極まりない頭を捻りに捻っても現代の諸問題は一向に片付かないし、一向に改善してない。

じゃあ俺みたいな人間ができることってなんなんだ

少し前に新聞投書欄に、院生日本若者の現状を嘆く内容が掲載されて話題になっていた。生活に困って犯罪に走る人間を何人が毎日のように報道されている。病院に行けば親族の死を迎えたであろう家族が涙を流してる。そんな中ゴミみたいな日々を送ってる自分がつくづく嫌になる。

何とかしたいと思っていても、うえを見れば俺以上のモチベーションで俺よりはるかに高い能力をもってして解決に取り組んでいる人たちが大勢いる。

そんな人達を見た目で自分を見ると、そこにはTOEIC(笑)で点数を取ることしか脳のないただの名ばかり高学歴ゴミしかいなくて絶望する。

適当果物でも売って、できるだけ寄付して年金ちょっとだけ多く収めて、さっさと老後を迎えて迷惑かけないように死んでいこうな!

2015-06-21

新聞投書欄を見ていると、お年寄り職業はたいてい『無職』か『主婦』なのに、『元教諭』っていうのがときおり混じってる。

あれなんなんだろ。『元サラリーマン』とか『元銀行員』とか『元とび職』とか『元コック』とかは見かけないのに。

教師やってた人は退職したら、『元教諭』っていう職業になるの?

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531111233

支援したくないから晒してる、と文章読んで思わなかったわ。

女性が一人では支援できない理由と誰がどう助けるべきか、を書いてたじゃん。

そういう文章は今後支援を広げていくために必要

新聞投書欄みたいなもんだろ。

2014-09-24

挨拶強要する客

小売店お客様の声ってあるじゃん掲示板に張り出すようなの。

あそこ見ると「こういうの求めるクズっているんだなー」って思う(そして自分がそうじゃないことに安堵する(そしてそういう職場にいなくてよかったとも思う))

たとえば、

「いらっしゃいませの「い」の字もねえよ。どうなってんだよ。」

かいう声が寄せられて、

「よく教育します」

とか返事書いてるわけ。

キモーって思わない?客もキモいけど、そんなことで教育しますとか回答しちゃう店もキモいって思っちゃう

そしてそういう形で最適化されていく店そのものキモいって思えちゃう

ちなみに「挨拶がなくたっていいじゃないですか。商品がなくたっていいじゃないですか。そういう時だってありますよ」的な内容を書いた俺の投書は1年経っても掲示されない。

もうこういう投書欄レベルからして「クレームをいかにもらわないようにするか」が徹底されてるんだろうね。ここからクレームつける奴は筆跡からわかるから、そういうやつを不機嫌にさせないために他のお客様の声検閲しようってなってる。

2013-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20130624161601

ジジイの主張自体には同意しないと断った上で、

投稿者が本当にJR東海サービス改善を願うのなら、中日新聞に言うより先に

JR東海に申し立てるべきだろう。

これは無いだろ。

直接文句をいうよりなんらかのメディア拡散して炎上させた方が良いと言うのはわかりきってる。

JR東海電話メールで苦情申し立てたって「苦情の1案件」にしかならない。

下手すりゃ電話の係りが「クレーマージジイ乙」で消去して終わりだ。


しかし、こうした投稿は載せるべきではない。

第一にクレームまがいの投稿は、何も解決しないし、それに対して反論したり建設的な

意見の表明も出来ないからだ。

新聞投書欄にはクレーム受けた会社からの反論も受け付けられてる。

いまどきはもっと簡単にJR東海サイトなりtwitterなりで見解を出すことも可能だ。

1ジジイ巨大企業であり、ジジイが大メディアを利用してもアンフェアでは無い。

第二に読者が不愉快な気分になる。とってつけたようにDJポリスを取り上げても

恨みつらみからは何も生み出さない。

これが本題なんだろうけど、

いや、それは君の感性感情の問題だろう…。


俺も多分その投書を読んだら「クレーマージジイ乙」って方向の感想になると思う。

しかし、「だからこのジジイは投書をしてはいけなかった」とまでは言わない。俺様ですら。

お前一体何様なんだよ。

自分感情や好みの価値を極大化する癖は幼児期までに捨てるもんだ。

こうした投稿ときどきでてくるが、新聞の質の低下というべきか2ch化というべきか、

中日新聞の読者だから起きえる事態なのか、何れにせよいろいろと

考えさせられる投稿だった。

新聞投書欄なんて大昔からそのような苦情や意見が寄せられてる。


まとめると、

俺は感性ものの好みとしてはお前と近い。

お前のジジイへの悪感情は共有できる。

けどそんなもんをあんまり甘やかすもんじゃない。

お前の進退だって必ず誰かに不快な思いを与えてる。


ジジイたかだか新聞に投書しただけだ。

お前はジジイの投書権を奪ってまで自分感情ときを慰撫すべきじゃない。

新聞投書欄投稿内容

この間から悶々としている。

中日新聞に載っていた読者投稿についてである

内容は

新幹線に孫と乗っていた

京都を過ぎたあたりで孫がうるさいと乗務員に注意された

別にうるさくしていたわけではないのに心外

DJポリスのように注意の仕方を考えろ

という投稿である

いつものクレーマー投稿と一笑に付してもいいと思うのだが、

読んで以後、いろいろと考えさせられた。

・この投稿者は何を思って投稿したのか。

中日新聞は何を思ってこの投稿を取り上げたのか。

・この投稿を読んだ人はどう思ったのか。

この投稿者は乗務員に注意されたのでよっぽど悔しかったのだろう。

投稿では決して周囲に迷惑はかけていなかったというが、

一方的な主張であり、その乗務員の主張、周囲の客の主張が

からないのではなんとも言いようがない。

腹に据え兼ねた投稿者はJR東海に直接クレームをつけたのだろうか。

なぜ多くの人が目にする新聞紙面に載せようと考えたのだろうか。

投稿者が本当にJR東海サービス改善を願うのなら、中日新聞に言うより先に

JR東海に申し立てるべきだろう。

また中日新聞は何を思ってこの投稿を載せたのか。

大企業の怠慢、社会的弱者への視点の欠如、そうした意見の表明とも読み取れる

今回の投稿を取り上げることによってマスコミの使命を果たしたつもりなのか。

しかし、こうした投稿は載せるべきではない。

第一にクレームまがいの投稿は、何も解決しないし、それに対して反論したり建設的な

意見の表明も出来ないからだ。

第二に読者が不愉快な気分になる。とってつけたようにDJポリスを取り上げても

恨みつらみからは何も生み出さない。

こうした投稿ときどきでてくるが、新聞の質の低下というべきか2ch化というべきか、

中日新聞の読者だから起きえる事態なのか、何れにせよいろいろと

考えさせられる投稿だった。

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