2014-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20140710084837

もちろん全員が例外なく喜んでいた場合、誰も気づかない。そこに差別があるのかどうか、ってのは哲学的問題なっちゃうね。例えば家畜人ヤプー世界は俺らの常識から見たらグロテスクだけど、あれがあの世界で完結している場合に、介入すべきなのかどうか。

でも、被差別者のうち少数が「これっておかしいんじゃね? 支配者もおれらも同じ人間なんだから俺らは自分自分のことを決める権利があるはずだよな」って気づき始めたら問題ははっきりする。差別者からの抑圧だけじゃなくて、多数の被差別者の「おれら下層の人間だし」っていう常識/諦めも大きな壁になる。

どこに線を引くかに絶対的な基準があるわけじゃないんだよな。慣習の違う文化に接した時に、外から見たらそれって差別じゃね、と思えるようなことでも、一方的な判断で強制的に変えるべきなのか。当事者の声を細かく聞いてみるしかないだろうね。

記事への反応 -
  • 僕はある地域で起こっている人権侵害と戦っている。 被害者の言い分はこうだ。 「私は素直な感想を言っただけだ。私の発言がどんなに批判を受けようと構わないが、中傷され、発言...

    • 話があいまいすぎてよくわからないんだけど、基本的に差別っていうのは理屈じゃなくて感情からくる嫌悪感が原因じゃないの? 加害者が論理的な解決をしようとしても無駄な気がする...

      • 社会的な差別の問題なら、感情ではなく、あくまで不公正が生じているかだけに着目する。 どんな感情を持つかは個人の自由だ。そこに制限をかけることなんてできない。 個人的に「...

        • すごく分かりやすくて納得できたんだけど、一つだけ質問。 感情の問題にしちゃうと、差別者が善意から差別を行い、被差別者もそのことを当然と受け入れている、という場合が扱え...

          • もちろん全員が例外なく喜んでいた場合、誰も気づかない。そこに差別があるのかどうか、ってのは哲学的な問題になっちゃうね。例えば家畜人ヤプーの世界は俺らの常識から見たらグ...

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