はてなキーワード: 奴隷労働とは
若いころから介護士してた叔母も、月収20万を越えでボーナスもあったのにどんどん給料下がっていって最期にはバイトと変わらない給料になって、しまいには、定年前に更年期で調子崩したのもあって退職し今では、飲食店の皿洗いのバイトと年金で細々と暮らしている。
オマエんとこだけじゃない。
どこもかしこも下流中高年。
こういう状況って一部だけじゃなかったんだな。
中沢彰吾 著
「ほんとにおまえは馬鹿だな」
「てめえみてえなじじい、いらねえから」
塩素ガスがたちこめる密室で6時間にわたって「イチゴのへた取り」、
倉庫内で1日中カッターナイフをふるう「ダンボール箱の解体」……。
いったい、これのどこが「労働者にとって有益な雇用形態」「特別なスキルを活かした熟練労働」なのか?
――「いい年して、どうして人並みのことができないんだ!?」
迷走する労働行政/元祖はドヤ街の手配師/政府・財界による労働者の流動化政策/派遣はエレベータ使用禁止/監禁労働のタコ部屋/悪意の果ての無駄/人材派遣会社のシステム/派遣労働者は保護されているか/派遣労働者使い捨ての「待機」/人材派遣会社・社員の異常な高収入/求人サイトの矜持と責任/近年稀に見る悪法/中高年が職に就けない現実/「年齢制限なし」の「裏メッセージ」/「三種の辛技」/労働基準法に刃向う労働者派遣法 ほか
極限まで単純化された派遣労働/巨大ダンボール箱と格闘した中高年の「善意」/人材派遣の定番「ピッキング」で実はトラブル続出/カゴテナーと接触して負傷/出勤確認連絡/マニュアルによる効率化は本当か/未登録でも派遣する人材派遣会社がある/現代の派遣切り「お父さん、酒臭いよ」/中高年は美術品が似合わない?/二重帳簿ならぬ二重マニュアル/人材派遣会社の女性社員が必死なワケ ほか
――「もう来るなよ。てめえみてえなじじい、いらねえから」
人材派遣が急拡大した本当のワケ/官公庁と自治体、外郭団体でも非正規労働が拡大/時給2000円が900円に/研修日当なし、交通費なし、最低賃金以下/人材派遣の安値受注が生んだトラブル/人材を集められない人材派遣会社/恐怖をふりまく正規社員たち/事件の現場は巨大モール/奴隷派遣は本当にお得なのか?/無責任体質/カタカナ肩書き乱発のハレーション/除夜の鐘が鳴る頃、てんやわんやの大騒ぎ/企業の稼ぐ力を削ぐ無責任人事 ほか
第4章 悪質な人材派遣会社を一掃せよ
――「二度と仕事紹介してもらえないよ。かわいそう」
拡大する一方の非正規労働者/週5日終夜勤務/従順な派遣労働者/人材派遣を推進する識者たち/重要な情報をネグレクト/欠けている労働者保護の視点/人材派遣と景気浮揚/欧米先進国比較 ほか
いま、真剣に
39歳になったら
40過ぎて下流だったら
この国じゃ
え、もう40 過ぎたって?
こぐまさんへ
あなた達にアドバイスしても無駄だと何百回と経験してきました。
あなたを本気で説得できるとは思っていません。
詳細は省きます。
経営者。元フリーターの元引きこもりでオタクで学生時代は暗黒期の非リアです。
祖母と叔母達と従姉妹と妹と奥さんと大学の友人があなたと一部~かなり似たような状態でした。多かれ少なかれ現代女性は生き方について悩んでいます。
半分は助けれました。半分は助ける事ができませんでした。
女性の人生については誰よりも深く考え抜いて彼女たちと一緒に生きてきました。
だからもしあなたが幸せになりたいのなら確信を持って断言できる事があります。
【女として生きなさい】
①自立するのをやめなさい
イケダハヤトさんやブログで稼ぐ系の人達は詐欺師(新興宗教の教祖)です。弱者を騙し薄く広く搾取するビジネスモデルです。彼らを目指すのは止めておきなさい。こぐまさんが目指している「ブログで飯を食う」は信者商法です。情報商材やマルチ商法の2016年版です。宗教とは価値観であり、神の存在を信じる事ではありません。1つの価値観「ブログで飯を食う」を信じさせ、そのためにお金を取るのであればそれは新興宗教なのです。宗教と認識しにくいだけです。
アドセンスやアフィだけでは自立して生きていくには稼ぎが少ないです。商品単価の大きい有料商材が必要になります。月数万の収入を目指すなら非効率なのでやめておきなさい。他の方法はいくらでもあります。
イケハヤさんの商売人としての才覚は認めています。しかしあなたは私達商売人のように欲深く狡猾ではないと感じます。だからこぐまさんにはブログで他人を騙して生計を立てていくのは無理です。やめておきなさい。勝負とは負けたら死ぬものなのです。あなたは今死にそうになっているように見えます。もうこれ以上、自尊心を傷つけるのはやめた方がいいです。
②結婚しなさい。
資本主義社会は弱肉強食。生存競争の社会です。あなたは凡庸で戦いには不向きな精神です。さらに女の体は戦いには向いていません。つまり心も体も戦いに向いていません。しかも28歳です。残り少ない女としての時間を女の体で男として男社会で自立するために戦うのはやめなさい。負けるのは目に見えています。女性は自立しなくてもいいのです。自立すると男性と対立して不幸になります。男女平等は幻想です。いいことのように聞こえますが大きな間違いです。男女が憎しみ合うようになります。得をするのはお金持ちだけです。学校教育は奴隷労働者を育てる教育です。女性は奴隷労働には向きません。女性が産まなければ人間は滅んでしまします。今までの奴隷になるための勉強に費やした時間が無駄で間違っていたことを認め、今から女として母になる道を0からスタートさせなさい。あなたは悪くありません。あなたのとった戦略が間違っていただけです。日本の99%の人達は物事の判断がつかない年齢から半強制的に学校に通います。私もそうでした。まさか今生きている人達のほぼ全員が間違っているなんて思わないでしょう。だからあなたは悪くありません。間違いを認めたうえでどうか自分を大切にしてください。まだ間に合います。女性には一緒に生きて感情を共感してくれる親しい家族が何よりも大事なのです。自己実現も社会貢献もその後にしましょう。そのためには優しく強い男性を見つける事が最優先事項です。そこに全生命力を使う事を強くおすすめします。不利な状況ですがそこにしか活路はありません。
③子供をたくさん産みなさい
少子化の進む日本社会のためではありません。あなた自身と生まれてくる子供達の幸せのために産みなさい。そして強い信頼関係を築きなさい。早期教育はしてはいけません。長時間保育園に預けるのもよくありません。塾に行かせるのも良くありません。ただただ可愛がって保育しなさい。どうしても大学に行かせたいのならアメリカの理系の大学に行かせなさい。教育は父親の役目です。学校や母親の役目ではありません。サラリーマンを目指してはいけません。家族と一緒に過ごす時間を何よりたくさんとりなさい。子供たちが成人した時に本当に信頼し合える家族がいれば、どんな社会になっていても幸せに生きていけます。知性とは学歴の事ではありません。正確性と記憶力で人間はコンピューターに勝てません。柔軟な思考、創造性、自発性、コミュニケーション能力、リーダー性がこれからの未来に求められる知性です。
これも厳しい状況ですが、がんばってください。
大学院を中退する人のブログを読んだ。ブログ作者は新しい場所で良い人生が送れると良いと思う。
私は運よく大学院を修了できることになって、数日後に博士の学位を授与される予定である。
件のブログの人に比べたらはるかに温い環境だったので、修了できたのだと思うが、それであっても学位審査はこれまでの人生で一番つらかった。博士の審査とは、ストレス耐性の審査だと感じた。
大学院生とは、この現代日本において、年間54万も払って奴隷労働しに行く種類の人間である。まあこれは分野によって違うが、私は分子生物学分野だったので日々単純労働を長時間続ける毎日を送った。どれだけ長時間実験をしても、良い結果が出るかどうかは運に依る部分が大きい。テーマが良くなかったら、優秀な人でも結果は出せない。テーマの問題で結果が出なくても、責められるのはテーマを設定したボスではなくて、結果を出せない大学院生である。そのテーマが無理だとボスに理解させるために、ネガティブデータを出し続けるような状況になると疲弊が加速する。良い結果が出てれば心が落ち着くかというとそうでもない。いい結果が出たら、次の結果を早急に出すように求められる。結果が出れば出るほどプレッシャーはきつくなる。結果が遅かったり、途中で壁にぶつかったりしたらまた叱責である。自身が大きな業績を上げたような教授はかなりの割合で、某居酒屋チェーン創業者と同じメンタルである。自分が出来たことなのだから、自分の下にいる人も出来ると思っているし、出来なかったら出来ないやつが悪いのである。
研究だけなら、自分が好きでやっていることなので、それでもまだ納得できるかもしれない。しかし、大学教員は「教育の一環」という言葉を使えば、どのような仕事も大学院生に割り振ることができる。私の分野では生き物や共通試薬の維持・管理に始まり、共同研究の実験、大学のイベント(オープンキャンパスなど)、セミナー・シンポジウムの数合わせ、セミナー・シンポジウムの運営手伝いなどである。このうちのイベント・セミナー系は休日に行われることが多い。職員は休日に出勤すれば代休が取れるが、大学院生は「自主的に」参加させていただいている身分なので代休は無いし、もちろん給料も発生しない。時間のかかる実験をやる場合、このような仕事で時間を分断されると、思うように実験が進まない。そしてまた結果が出ていないと叱責される。
そんなに叱るようなボスのところを離れて別のラボに移れば良い、というアドバイスも見かけるが、そう簡単な話ではない。早めに見きれればいいが、博士後期課程の途中でラボを移るのは、それはそれで賭けである。件のブログの人の場合、あと一年という状況だったということなので、そこでラボを移るのは難しいだろう。良い環境に移れば、時間をかければ学位は取れる。だがそれは、奨学金の貸与を打ち切られた上で学費と生活費を払える程度にお金を持っている人に限られる。
研究室にいると精神が疲弊する。研究室のドアをくぐった瞬間、体が重くなるというのは複数のラボの人間から聞いた。私もそういう感覚を覚えるときがある。疲れて家に帰って、ネットで愚痴を書くこともあるだろう。そうしたら、研究の世界はやりがい搾取だとわかっているのだから進学した人の自己責任だの、休みがとれない程度のことで愚痴をいう人は研究者に向いてないからやめろだの言われる。コメント数の少ない記事だと、はてブでも厳しいことを言われていることが多いように感じる。将来の不安について語ったら、それが「ボンボンの甘えにしか見えない理由」などをリストアップされる。作家や芸能人と同じ枠だと主張する人に出会う。
ネットに疲れて実家に帰ったらば、家にやってくる親戚から穀潰しだと思われる。実際、何をやってるか知らない人が見たら、借金までして毎年54万も博打に使ってるだけなので仕方ない。そしてその結果得る博士号は、日本では足の裏の米粒である。これは取っても食えないという意味であるが、それに加えて、周りの人から何も思われないということでもある。私が今年学位をとることなど誰も気にしない。
そして、このような状況で日本は「科学技術創造立国」を目指しているそうである。どこかで日本人研究者が華々しい結果を出したら、政府関係者や多くの国民はそれを褒め称えるだろう。その裏には何人もの大学院生やポスドクの屍が転がってるかもしれないが、そんなところ誰も見てはいない。
保育士資格が難関なのに教師以上の奴隷労働なのに給与は手取り15万程度だから保育士が減って認可保育園が減って保育園に落ちるシステムになってる。
だから非認可ならすぐに入れるよ、ってことだけど非認可は保育士ではなくてバイトなので子どもを無理矢理寝かしつけたり酷い扱いなので非認可は怪しい。
ちゃんと対価に見合った報酬を国が力を入れてやれば良いんだけど、高齢者社会に向けて社会保障重視にしているので財源は社会保障じゃなくて地方自治体からの地方交付金等から出るので非常に少ない。
フィンランドは飛ばしらしいけど、支給額は同様に11万円とする。
1.働かない人が増える
月11万円あれば持ち家ならギリギリ働かなくてもいい。2人以上ならもっと働かなくていい。
結果、労働に励むのは家賃の支払いが必要な人か、「働きたい」という意欲のある人だけとなる。
BIがあると奴隷労働をしなくていいという説があるが、逆だ。
「そんな事にはならない」なんて事はない、絶対に。
経団連から「法人税上げてBIの財源(の一部)にしてもいいよ、その代わり最低賃金制度廃止してね。BIがあるんだもん生活には困らないよね?」って話が出る。
そして働く人は、家賃の支払いなどで11万では暮らせない「生活のため」派か、働くのが趣味の「崇高な目的のある人」派になる。
後者の目的は金ではない上に意識も高いので、企業にとってはいい奴隷だ。
困るのはこういう自ら奴隷となった人と張り合わなければならない前者の人間だ。
社会保障が廃止されるなら、持ち家でも病気になったら11万円では暮らせないだろう。
というか事故に遭ったり大病になったら詰みだ。安楽死も一緒に導入して欲しい。
働かない人が増える→働き手が不足する→移民が居ないと間に合わないね!
1)安い基本給のまま移民を雇う
→日本国民と移民の貧富の格差が増大し、暴動を起こされる可能性がかなり高い。
なお「BI無い人手当て」等を支給して移民の実質給料アップを図るくらいなら、企業は日本人を雇ったほうが安上がりだ。
仮にそうなると、今度は「日本人より外人のほうが給料いいなんてー!」と不満が出る。働いていない人からも出る。
なので多くの場合2)が選択される。
2)少ない人手でなんとかする
「人手が足りないから給料を上げて労働者を集めよう」…ってなるから大丈夫?
ふーん、今人手が足りない職場でそうなってるなら信じてもいいんじゃない?
4.高齢者関連
久しぶりに祖父母に会いに行ったら知らない外国人が住んでた!
…なんていう事態がたぶん起きる。
医療費がかかるから病院にいかない(むしろ早死にラッキー)→家で死亡したので隠すのが容易→戸籍上生き続ける
の流れ完璧。
導入さえ決まってしまえば、最初は「月15万配ります」とか言っておいて、5年後くらいに「10万円に切り下げます」って言う可能性は十分ありえるので
その一本が細くなったり折れたら終わりだよって注意する必要があると思うんだけど
フィンランドの件を賛成している人が多くて怖いです。
BIに賛成している人は何がそんなに良いと思っているのか本気で謎。
アニメーターのあまりにも薄給な奴隷労働が話題になり、このままでは人材が育たないと危機感のある叫びも見られ、そこまで切り詰めているのに大ヒットを出せないアニメスタジオは潰れ、対象はどんどんオタクに特化されて行き、日本アニメは何だか未来のない閉塞感に満ちている。
最近海外のアニメを見ることが多いが、日本より遥かにクオリティが高い。
カンフーパンダやカーズやペンギンズやトイ・ストーリーなどの3D映画をTVシリーズにしたものを見ると、日本のアニメの劇場番クオリティより3Dアニメの劇場番クオリティの方が遥かに美しいと感じる。
対して日本の3Dアニメは不自然な動きや不自然な手の形ぎこちない表情かわいくないキャラ見苦しくても3Dだから仕方ないと甘えているようにすら見える、これはもう勝ち目がないのではないか。
では3Dじゃないアニメはどうかと言うと、こちらもセンスやクオリティで遥かに劣っている。
トムとジェリーやミッキーマウス!やフィニアストファーブや怪奇ゾーンなどを見ていると、背景とキャラがとけこみどのシーンを切り取っても絵になるし話も楽しい。
夫婦関係は円満。夫婦仲は良い。だけど、一つ、いや二つだけ問題がある。
一つ目の問題は、家事分担と収入のバランスが崩壊していること。
夫は大手ブラック勤務。通勤含む労働拘束時間は100時間/週程度。
当然帰宅するのは深夜になるので、家事なんか何にもできやしない。
「妻が前夜にゴミ袋にまとめて口を縛って玄関口に置いているゴミを、出勤のついでに集積所へ運ぶ」
というただそれだけのお手伝いを「俺も家事やってる」の功績にカウントされることが腹立たしい上、
そうでなくても度々集積日を忘れて小バエがたかって不潔だし、早々にやめてもらった。
夫と妻の労働条件にこれほど差があるので、余裕のある妻側が家事をするのは当然と思う。
ただ、納得行かないのは、労働収入の面でも妻が大きく夫を上回っていること。
これがもし、夫の年収が700万で、妻が300万、といったように、夫のほうが収入が相当大きければ
収入の少ない妻側が家事を負担することもやぶさかでないんだけど。
実際、ブラック勤務の夫の収入はとても少なく、いわゆるワープアを地で行く待遇で、ほとんど奴隷労働に近い。
逆に、妻の方は、中小でもホワイトなので500万/年近い収入がある。
こうなると、当然妻は夫に対して「稼ぎも少ないくせに家事すらやらない、なんで私ばっかり」と感じる。
そんな状況下で、二つ目の問題は、夫がセックスに対して全くやる気がないこと。
夫はセックスがもともとそれほど好きではない。体力もないし、時間もない。
自慰はしているけど、セックスとなると、付き合い10年目になる妻の体にいい加減飽きている。
今は2週間に1回ほど、妻がせがんで夫が応じる形でセックスをする。
仕方ないなあって、何だろう?
妻がせがむから仕方なく、イヤイヤ応じている、そんな意図を察してしまう。
夫のセックスに前戯はない。妻を脱がせて、夫が少し自分でしごいて立たせ、のしかかってくるだけ。
稼ぎも悪いし、家事も全然しないし、極めつけにセックスもド下手糞のこの夫。
せめてセックスのときだけは、損得なんて何もわからなくなるほどの忘我の絶頂があれば
全ては円満にいくはずなんじゃないかと。
すごい事に気がついてしまった。
フェミニストが男は女を下に見ているとか、なんの事だろうと思っていた。
今どき、女だからって理由で人を見くびる奴なんて居るわけないよなと。
女の平均賃金が低くなるのは、女性の性としての役割上、男みたいに使い潰すことができないからで、
死ぬぎりぎりまで奴隷労働させられる男と比べて、商品価値が低いのが理由だし。
その辺の理屈が分かっている人なら、男でも女でもフェミニストみたいなヒステリックな論調にならない。
だけど、フェミニストはギャーギャー五月蠅い。
その理由が分かった。
すると、本来別種の男達がひとまとめになって面白いことが起こる。
便宜的に3種類の男性を考える。
弱者男性 収入も体力もない、ダーウィン主義的に言って淘汰されるべき存在
DQN男性 収入は弱者男性よりないが、体力はあって女性経験は多い
どれにも属さない、「普通の男」の方が多いだろうが、フェミニストのレベルに合わせてこれくらいの複雑さで考えよう。
強者男性 よりどりみどり。知的な女性との付き合いも多く偏見はないが、結局家庭的な女性を結婚する
DQN男性 女なんてヤリ捨てしてなんぼだと思っている。どんなに知的だろうが収入あろうが、服を脱がせば女は全部女
さて、この3者が全員同じ『男』として語られる。
『男』 > 女性
の方程式が成り立っているのだ!
輸出入は一旦置いとくね。価格ってのは買う方と売る方が双方納得した点で落ち着くんだから、売る方が「無理しないとこれ以下にはできない」という価格が、買う方の「これ以上では買えない」という価格より高けりゃ市場は成立しない。つまりそれは作る人がいなくて入手できない。それでどうしても困る人がいたら、その人はもっと高い値段で買いますよというだろう。それが売り方の「これなら採算取れる」という価格を上回ったらまた売買が成立する。全員がこれ以上高かったら買わないというなら、それはわざわざ無理して作るほどに必要とされてなかったってことだ。
で、海外との競争も大きく見れば、買う人もいりゃ売る人もいるわけで、国内で作るよりも安いものを外から買ってくるんなら、それで浮いた労働力で国外で買ってもらえるものを作らないとならないんじゃね? だって何も生産してないんならどんなに安くたってそもそも国外から買う元手が無くなるだろ。本来成立しない市場を持たせようとして無理するより、必要とされてるところに労働力を回そうぜ、ってわけ。
とはいえ、例えば海外のライバルが奴隷労働使ってダンピングしてきたら真っ当には戦えないわけで、その場合は政治的解決が必要になる。産業構造を移行したり、労働力が移転するのにもある程度時間がかかる。釣り合ってる平衡状態が理想だとしても現実は常にどっかでバランスが崩れてる非平衡状態にあって、色々歪みがあるわけだけど、平衡状態へ向かおうとする本来の流れを無理やり食い止めようとしても、歪みが大きくなって破綻するだけじゃないかなあ。
端的に言うと、日本の女性は家庭内で奴隷労働するべきだと、自分達で思い込んでおり、
米国の女性はふざけんな、私達は自分の力で生きていくのだ、と戦う姿勢を見せている様子がよく分かる。
それは、挿入歌である"Let it go"の原文と和訳の違いに如実に現れている。
まず、私は和訳版を先に見て、言い知れぬ違和感を感じた。
なんでコイツは、そんな
女々しく
ひ弱で
自信満々で挑戦的な表情
で歌ってんだ?と。
思春期の子供が自分がここにいていい理由を見つけて、おめでとうと言われてるみたいな感じ。
ははん、さては翻訳の段階で何かあったなと思って原文をチェックすると、案の定。
原文の方は、徹底的に環境に虐げられ、自分を殺して公務についていたが、
もうそんなの知るか!私は私なんだ!それを認めさせてやる!立ちふさがる敵は叩き潰してやる!
特に、
The cold never bothered me anyway
風よ吹け 少しも寒くないわ
って、翻訳ふんわりしすぎだろ。
ここは、
争いよ吹き荒れろ 望むところだ蹴散らしてやる
ぐらいの感覚で言っている。
その証拠に、この言葉を言うのと同時にまとっていたマント(過去へのしがらみ)を、
まるでゴミでも捨てるかのような目で見て脱ぎ捨てている。
他にも、
Here I stand and here I'll stay
私がここに居るって言ったら 誰にも動かせないのよ
が翻訳されてなかったりする。
全体の印象として、原文が"自分の環境"という"敵"に対して、大胆不敵にも宣戦布告しているという歌なのに、
和文は問題を内包しているのは自分自身で、自分の気の持ちようを変えるだけで周囲はそれを暖かく迎え入れてくれるかのような印象を抱かせる。
確かに、日本の女性が、自分の権利のために敵と戦う、などと力強く歌いあげたら誰も共感しないであろう。
そして女性は男性に与えられる範囲の自由と権利で満足して、それ以上求めることはない。
これが今現在、日本で普通に受け入れられている文化であり伝統である。
その文化的背景にあわせて、原文の好戦的な歌詞が書き換えられたのだろうことは、容易に想像がつく。
一方米国では女性は自分で戦って、自分の立場を守るために誰かを殺す覚悟を持って、自由を勝ち取っている。
返り血に手を真っ赤にしながら、それでも自分自身の独立のために戦うのをよしとするのだ。
アメリカ人の女は、世界で最悪の妻になるというジョークがあるのも頷ける。
このように、ディズニー映画という子供達へのメッセージ性の強いメディアにおいて、
どのようなメッセージが刷り込まれていくのか、日米に違いがあるのは非常に興味深いことである。
個人的にはアメリカに生まれなくてよかったなぁと、しみじみ思うものである。