はてなキーワード: 双極性障害とは
今流行りのADHD(注意欠陥多動性障害)を含む自閉症スペクトラム診断奴だけど、大学一年生を休学するまで診断名は「適応障害」「鬱病」「双極性障害」等で(腕をズタズタにしたりブロンをがぶ飲みする等恥ずかしいメンヘラあるある時代が走馬灯となって思い出されます)つまりたまたま病気になっちゃったけど治療すれば通学できるようになるやろ!と言われていて、自分でもそう言い聞かせてきたんですが、たまたまじゃなくて、私の生まれ持った素質が中学校や高等学校のシステムとそもそも合っていなかった話でした。あ〜あ
「他者への興味が薄い」「周囲のざわつきが聞こえるのを苦痛に感じる」って改めて質問されて、ピンときました。絶望的に時間を守れないとか。いつも生きてて辛かったし当然のことだと思っていたし、自分で自分のことを言葉で構成して伝えるのが超苦手だから、生まれて初めて医者にコレが伝わって、感動して、惨めな気持ちになりました。
自分の発達障害の内容を総合して、こんな人間を学校に通わせたら発狂して死ぬだろうとしか思えなかった。それでも好きな分野の勉強して1浪してまで有名私大に入学して200万円以上払ったんだよな〜親が。コンサータもストラテラも高いし。
現在ストラテラを120mg服用していて、絶望的な時間感覚と忘れ物にはバチバチに効いてADHDが消えたけれど、自閉症的なコミュニケーション問題等でストレスがマッハで倒れました。もう必修落としたかもしれないけどだいぶ楽になりました。暇で日記を書いています。退学ワンチャンある。払ったお金は帰ってこない、辛い。親も。
結論は「もっと早く自分の特性をわかってたら学費を無駄にしなかったし変な病気になってない」です。
私の周りにはコミュニケーション能力の高いADHD人間が多くて、問題を抱えながらも上手に他人に頼ったり、恋人を作ったり(!)して大学くらいは卒業していて、すごいなあと思います。私は人に頼る方法がわからないタイプで、友達はいないし、だから同じタイプと知り合うことがないんでしょう。自閉症スペクトラムでひどい人間でも問題なく学べる大学かそれに準ずるどこか、頼む〜。救われて〜。
思ったより人の目に触れてガイジ嬉しい!
普通科高校に入ったけど卒業できていません。全授業日数の半分くらいを遅刻と欠席が占めていて卒業が見込めなくなったので3年次に通信制高校(月イチで登校してwebテストをパスすると卒業できる)に転校して大学受験資格を得ました。不登校になっちゃったからこの方法で大学受験資格を得ようとする高校生が他にも存在するなら、個人の感想ですがやめておけと言いたい。
どことは言わないがそれなりに知名度のあるweb系企業で年収600万ほどもらっていたのだが、上司との反りが合わなくなり、気づけば双極性障害になっていた。
休職を経て退職、雇用保険の受給期間が終わろうという頃に最低限の精神状態を取り戻し、web系の下請け的な個人事業主に。
初年度の年収は150万。所得税も住民税も非課税、国民健康保険は年間で約2.5万だけ。税金等の負担が少なくて有難いものの、ひとりの日本国民として恥ずかしい気持ちも大きかった。
そういう悔しさをバネに、次年度はなんとか年収300万台まで上昇。普通以下の年収だが、税金を払えるようになれたのはなんともいい難い充実感があったのを覚えている。
しかしその翌年は年収200万台に下がってしまったが、5年付き合っていた彼女と結婚した。私の腐っていた時代も支えてくれたので、結婚に迷いは無かった。
年収200万での結婚は厳しいとわかっていたが、彼女が事務職で年収250万ほどあり、合計すれば普通の生活は成り立つと考えていたのだ。
なんとか結婚式の費用を捻出し、ささやかながら結婚式を執り行い、国内旅行だがハネムーンにも行けた。
それからしばらくし、妊活を開始。正直この世帯収入で子供を持つことに抵抗が無かったわけではないのだが、出産後も仕事を続けることを嫁が宣言してくれたので、子作りを頑張った。
その後、無事に妊娠、出産。自宅で仕事をしている個人事業主なので、育児にはかなり参加したほうだと思う。おっぱいで授乳以外のことは何でもできる。
そして一年が過ぎ、妻が復職したのだが、会社の業績が悪化したようで、程なくしてリストラの対象となってしまった。共働きを望んでいた妻だったが、実際子供が産まれてみて、仕事より育児を優先したい気持ちが強まったようで、妻としてはなんとも都合の良いリストラだったようだ。
妻は私に再就職を勧めてくる。数社の採用面接を受けてみたが、採用までは至らない。
世帯年収200万で子供を養うのはキツい。児童手当等の補助を駆使し、節約の限りを尽くせば無理ではないだろうが、貧困家庭まっしぐらだ。こんなはずじゃなかったんだけどな・・・。
ごめんなさい、このサイトを使うのが初めてなのもあって先程間違えて書きかけのままトラックバックしてしまったのですが、もう一度頭から投稿させて下さい。
エントリを読んで、自分とすごく似た大学生活だと感じました。私も、1年間の休学を挟んで4月から3回目の1年生をしています。
双極性障害(躁うつ病)も精神科の診断でついたもののひとつで、連絡を放棄して家にこもりひたすら寝ていたこと、死ぬことばかり考えてしまったこと、その中で夕焼けがとてもとても綺麗だと強く感じたこと、新学期に教務で挫けてしまったこと、家にいて怠惰な暮らしをしているのに、出席できているときよりずっと苦しいこと、その他もまさに自分が体験して来た気持ちが書かれてあり驚いています。
まず、4月の出席率が9割を越したということ、本当におめでとうございます。
今まで一番にしなければならないと分かっていても、どうしてもできなかったことを踏ん張ってひと月目を終えられたのはとても凄い。あなたの中でも、そのことに関して自分で自分を認めてられているようでそれが何だか嬉しいです。
似た状況が沢山ありながらも、あなたは私よりずっとずっと頑張り屋で前に進もうとする意志を感じます。
合わない医師にかかり通院をやめた経験は私にもありますが、その後あなたのように自力で細かな自己分析はできませんでした。そのあと大学の心療サポート機関に自力で頼ることも。
あなたがとても眩しく映るし尊敬します。エントリにどうしてもコメントめいたものを残したかったのは、私自身が今まで、大学生活や病状に限らず似た状況や感情を持つ人の存在に励まされてきたからです。
そして、このエントリでまた明日から学校へ行くための後押しが増えました。あなたがいるから私ももう少し頑張れそうです。
読んでくれた人がいるなら嬉しいと言っていたあなたは、もしかしたらその文章で救われた人がいることも喜んでくれるんじゃないかと思ったのです。
この記事が届かないなら、それはそれでいいかなとも思っていますが。
私はあなたが生きていてくれて、エントリを書いてくれてとても嬉しい。ありがとうございます。
勝ち。
私も4月から挫けそうになるとそう思うようにしていました。家事もお化粧も、他の何一つ出来なくっても、今日授業に出さえ出来れば私の勝ち。
今週もお互い勝ちましょう。きっと大丈夫です。
去年著しく心身の健康を損ない、寝ると泣く以外には何も出来ない日々を過ごしたあと、以前よりもっと出来ることが減っている自分に気付きました。精神はある程度回復しているのに、必要最低限以上外に出たり、人と関わる体力がないし、こう工夫したらもっと生きやすくなるとか、前進するためになにをすればいいかが分かっていたとしてもそれを始めたり成し遂げるイメージが持てない。
勇気をもらう
上から物を言ってしまったような事に今更気づいて,反省しています.
セカンドオピニオンも難しい状況とのこと,教えてくれてありがとうございます.
今の病院に行きづらいとおっしゃっていたと思うのですが,多分,勇気がいるとは
思うのですが,何とか電話を掛けて,元増田に書いていたことをそのまま言えば,
あとはうまくいくと思いますよ.
いきなり動けなくなるって我々の病気にはあるあるだし,実はお医者さんが一番
よく分かってくれていますよ(少なくともわたしの大変ドライな主治医はそう)
でも,無理はしないでね
助言ありがとうございます。
双極性うつ病に抗うつ薬を使ってもよいのかどうかは、専門家のあいだでも議論が続いていて、決着がついていない問題のようです。私の主治医は最初抗うつ薬を出すのをかなり渋っていましたが、1ヶ月近くお風呂に入れない、歯も磨けない、外出もできない状態が続いたとき、「本当は出したくないけど…」と言いつつ、ごく少量の抗うつ薬を出してくださいました。そのおかげで少なくとも1年くらいはまともに動けていました。
私が知っている限りでは、抗うつ薬を最も避けるべきなのは双極I型障害の方で(私は双極II型障害です)、三環系抗うつ薬は特に避けるべきであり、抗うつ薬単剤での使用は勧められない、抗うつ薬を用いる場合は必ず抗精神病薬か気分安定薬と併用する、というものです(「臨床精神医学」46巻3号より)。
また、SSRIの躁転リスクは非常に低いというデータもあります(日本うつ病学会「双極性障害治療ガイドライン」より)。
私は現在エビリファイをベースにSSRIをごく少量服用している状態で、SSRI服用開始後に特に軽躁とうつの波が大きくなったということはないと感じています。
精神疾患のほかに内科疾患を抱えているので、どうしても総合病院精神科にかかる必要があり、セカンドオピニオンも難しい状況です。
そういった事情もあり、なんとか今の病院に再度受診できるように頑張りたいと思います。
ブックマークでコメントをくださった方もありがとうございます。
わたしは専門家ではないが,双極性障害の人間はうつ病の薬は飲んではならない(飲むと却って躁・鬱の振れ幅が大きくなる)と複数の本で読んだことがある.
今かかっているお医者さんに行きづらいのならば,セカンドオピニオンのつもりで,別のお医者さんに相談してみるのも手かも知れない.
人に会いたくない。
心療内科にはもう何年も通ってる。
医師は何も言わないけど、
その頃から倦怠感に悩んでいたけど、
今は既卒3年目。
スキルと呼べるような代物じゃないけど、
イラレフォトショAE、InDesignとかのAdobeソフト使ったり、
Mayaいじって色々してたからその気になればCADとかもできるかもな。
そんな機会誰も与えてくれないんだけどね。
不動産業者への就職を勧められてたけど、俺の方が未来ないかもな。
だって倦怠期みたいな、何やっててもしんどい気怠い期間に入ると
全部うまくいかなくなるんだもん。
何年も同じことを回しながらやってく自信はないよね。
まず人と関わりたくないしな、めんどくさい、頭痛くなる。
抑うつ気分を伴う適応障害かもしれないし、非定型うつ病かもしれないし、双極性障害の抑うつエピソードかもしれないし、診断名がつかない抑うつ状態かもしれない。
それは実際に医師の診察を受け、もっと詳細な問診をし、今後の経過を見ていかなければ分からないことじゃないでしょうか。
適応障害や非定型うつ病ならば抗うつ薬は効きづらいですし、双極性障害なら抗うつ薬で躁転リスクがあるのが悩ましいところですね。
この状態で鬱なんだったら自分なんかもう15年以上ずっと鬱だわ。
つかこういう状態がデフォだから自分ではてっきりいま寛解状態だと思ってたわ。
ちなみに最初の8年くらいが鬱病診断であとの7年が双極性障害という診断。
双極性障害の場合、元増田くらい動けなくても抗うつ薬などはなかなか出してもらえない。
まあ動けなくても仕方がないじゃない、今はそういう時期だからゆっくり休もうよって言われて放置プレイですよ。
風呂に1ヶ月近く入れず歯も磨けず、外出もできず、月1の通院も親の付き添いなしにできないのに放置プレイですよ。
最近になってやっと抗うつ薬を少量処方してもらえて通院は一人でできるようになった。
そういうわけで元増田が鬱病なのか適応障害なのか双極性障害なのか発達障害の二次障害なのか統合失調症の前駆期なのか健康な人の一時的な抑うつ状態なのかは知りませんが、もしかしたら会社は辞めることになる可能性が高いかもしれません。
わたし、双極性障害を患っているんですよ、それほど重くはないんだけど。大体1年周期で躁と鬱を行ったり来たりする。
冬は鬱、夏は躁。
薬を飲んで躁も鬱も抑えてはいるのだけど、それで感情の波はあるわけで。
イライラしたり、悲観的になったり、新しいことを始めたくなったり。
しかし、それらは病気が見せる妄想のようなものだったりもするわけですよ。
だから自分の心に波風が立つたびに、はてこれは自分の本心なんだろうか、病気のせいなのか、はたまた薬の副作用なのか、と自問自答しなければいけない。
で、そもそも本心って何?とか、考え出すと迷路の中に迷い込むわけです。
自分の考えていること、感じていることが信じられなくなると、なんか世界もあやふやになっていくわけです。
この話にオチなんかない。
今ものすごく弱っていて、誰かと話をしたいのに。こういう時に話をできる友人が僕には1人もいない。ちょっと死にそうになっていて、誰かと自分が今何をしたいのか何をしなきゃいけないのかそういうのを話したい。
いや違う、そういうのではなくてただただ楽しい話をして元気を出したいんだけれども、僕にはそういう話ができる友人がいない。まるでいない。楽しいことがわからない、誰かと共有できる楽しいこと。創作が好きだったけど、今は創作自身が苦痛で、物語が好きだったけれども、今は物語のことを考えたくない。
美味しいものを食べに行くと言うことも楽しみではない。友人と共通の友人の話をしたりして、どうでもいい話をして人は自分のしんどいことやそういうことをごまかしたりするんだろうけれども、そもそも友人がいないので僕には共通の友人と友人の話をするということができない。
毎日を生きる上で、やらなければならないことがたくさんあって、家族の上で、家族が嫌うので、そーゆー人間関係を、全部断ち切ってきた。そのツケがいままわってきてるんだけれども、その時は家にどういう選択肢があったのかわからない。生きているのはもうそれだけでしんどい、誰かに助けて欲しいと思うけれども、助けてくれる誰かいない。
いのちの電話に電話してみたけれどもずっと話し中でつながらなくて、あーこういうものって全く役に立たないなぁって思った。
何もすることができない。体中からエネルギーが抜けてしまって、頭の中で、これから作るもののイメージやディティールが、全く像を結ばない。昔はできたのに。
昔はできていたことがどんどんできなくなる。年をとっていると言うこともあるんだけれども、やりたいことや欲しいものを我慢して我慢するのも疲れるので、心の中からそういう願望そのものを削り取って、何も感じなくなるようにしてやりすごした結果こんな感じになってしまった。
人が何かを作るときや行動するとき、新しいことを始める時、それ以外でも何かはがんばる時に必要な事は欲望だと思う、それはそのやらなければならない事とつながってなくてもいい。何か欲しいものやりたいもの、そういうのがあるからこそ人は頑張れるんだと思う。
昔は、やりたいことが、あったはずなのに、今はもう、思い出せない。パソコンの奥にいくつかメモがある。やりたいことの企画やしたい事のリストにもならない残滓。でもそれを見ても、今の自分には、それが一体何なのか、理解できなくなっている。
疲れた。本当に疲れた。本当に休みたい。休みたいけれども、やらないとならないことがたくさんあって、休むことができない。休むことができないけれども、そのやらなければならないことが、力が全然入ってこなくて、やることができない。
生きるのがただ辛い。ずっと辛い。この10年間ずっと辛い。朝起きたら偶然死んでないか、そういうことを望んでいる。死ぬと困る人がたくさんいて、死ぬこともできない。でも生きるためのよすがが全くどこにもない。
欲しかったものが思い出せない、何かのために頑張りたいけど、その何かがどこにもない。誰かに〇〇のために頑張れと言われて、それは世間一般的にとても正しいことなので、本当に自分のしたかった、多分、世間一般的に見て、正しくない歪んでいる事、誰かを傷つけること、そういうことを、自分の中から追い出していた結果、いつの間にか、空っぽになってしまった。
偽物の願望は、やっぱり偽物で、頑張れば頑張るほど、どんどん虚しくなっていく、疲労だけがたまる。折れそう。
10年間患った鬱は結局直らなかった。双極性障害、つまり躁鬱病の二次障害としてのうつ病で、また、もともと発達障害の部分があり、つまり生きるのが辛い、普通に生きてても、社会との軋轢がすごいあって、ただただ削れる。
ただ、小さい頃からそんなふうにずっと削れていたので、そんなふうに削れて辛いのは当たり前のことだと思ってた。辛いのにもうきついのにも慣れていた。
も慣れるのと、体が耐えられると言うのは全く別のことで、大人になって会社に勤めだして数年が経った時に、倒れて動けなくなってしまった。
ずっと生きるのがきつくて、もう、高校生ぐらいから、ずっと朝起きたら死んでいたらいいのにと思っていた。だから倒れてこのまま死んでしまいてたらそれでいいと思っていたけれども、当時恋人がいて、恋人が悲しむし、家族も悲しむので、死ぬわけにはいかなくて、なんとかすごくきついの耐えて頑張ってる、そろそろ限界だけど。
それから結婚して、子供ができた。子供作った理由は、子供がいれば、自分が死んでも死んでいなくなっても残った人間は、自分のかわりに子供を糧にして、生きていけるだろうと思った。とりあえず自分がいなくなっても何とか持っていけるようにしたかった。自分がなくなって大丈夫な状態を作りたかった。
結局失敗して、子供の分、さらに生きて行かなきゃならなくなったし、お金も育児をしている分だけ働ける時間が少なくなって、厳しくなった。働きたいけれども働けなくなった。本当はお金を貯めて自分がいなくなる分の先の分をなんとかしたかったけれどもどんどんどうにもならなくなっていく。
借金を返すために働けば働くほどなぜか借金が増えていく、吉原の風俗嬢みたい。または昔の遊女とか。
働きたくても、働く時間が作れない。いくらか仕事の企画やアイディアしたいこともあったけれども、そーゆー部分にさく、時間や精神的なメモリの余裕がなくて、できないタスクに、ずっとメモリの1部を使い続けているわけにはいかなくて、自分のしたかったことを削ったみたいに、そのアイディアやそれを必要とするための脳の機能、考え方、その他必要なアプリみたいなものも一緒に削ってしまった。そうしないと育児ができなかったから。
自分のような、アスペルガー気質、いや、アスペルガーの人間にもいろいろいるから、これは自分自身だけの問題で、自分には育児が、本当に大変だった。能力的にものすごく厳しかった。連続して長い間ひとつのことに集中せずに、いろんなことをマルチタスクで集中してみると言う事はものすごく疲弊する。子供を育てると言う事は、ものすごくマルチタスクの能力と判断力を要求される。睡眠時間を取らないとものすごく判断力が鈍るけれども、子供は夜中に起きるので全く寝ることができない。予定を組んでも必ず子供が風邪をひいたり急な病気になったりとして絶対に予定通りにはいかないんだけれども、自分の特性として予定通りに物事が運ばないとものすごくダメになる。その後計画していた予定すべてをする気力をうしなってしまう。気合でどうにかできるものではないと言うことをこの10年で思い知った。
若いうちは若さとかエネルギーとかそういうので無理矢理自分の気質を捻じ曲げていたのだけれども、結局それによって削れてしまって倒れてしまって、それからはもう、本当に無理が効かないようになってしまった。
ただ育児は無理をしないとどうしようもない。もっと自分を削って行かないといけない、自分の欲求や自分を形成している1番大事な部分、そういう部分のタスクを削って育児に、割いて行かないといけない。もともと他人との生活が難しくて、人と暮らすと言うことで削れていっていた分がますますひどくなった。
死にたいって思ってるずっと。それが無理ならせめて1人になりたい。
自分のこういうような性質。何かをするエネルギーが外から持って来れなくて、限界を超えたときに、そうやって自分自身を削れば何とかなると言う性質、マルチタスクができなくて、すごく集中すれば人と会話をしたり子供と楽しく生したりはできるけれども、それがものすごく体力を使うことだということが妻にもわかってもらえてなくて。
少し前のテレビ番組であったらしいんだけれども、発達障害のピアニストの人が、生徒に教えるとき、いつもはのだめカンタービレの主人公のようにふわふわとしているのが、ものすごくしっかりとした、音楽の先生のようになって教えていたと言う。ただ30分が限界でその後はばったりと倒れこんでしまうと言う。
自分も同じで、無理をすればできる。無理をしないとできない。その2択なのに、できる範囲でとか、困る。後で倒れるならやめてと言われてもどうしても倒れてしまう。それ以上頑張ろうと思ったら、自分の精神自体を、削っていくしかない、削ったら何とかなる。だから何とかしてる。そういうことをずっと小さい頃からやってきて、でもそろそろ本当に限界みたいだ。
多分これを読んでいる人は、これが一体何を書いているのかほとんどわからないと思うけど、何か生きづらい人がたくさんいるはてなだったら、何人か分かってもらえると思う。
もう無理がきかなくなってきていて、大体1年位前からで、頭が何かを考えることができない。手癖のようなもので、仕事をしているけれども、どんどん質が下がっていく。今作っているものはとても商品になるものではないと思ってる。でもそのクオリティを上げることができない。ディティールが想像できない。
がんばらないといけないんだけど、気力だけではどうにもならない位の力がなくなってしまっていて、気力自身も振り絞るのが難しい。
失敗した、僕は失敗した。僕が失敗した。
私の両親は恋愛結婚ラブラブで結婚したのだけれど、私が3歳、姉が4歳のときに離婚してしまった。
私も姉も母親に引き取られて、母に女手ひとつで育てられたんだけど、貧乏(仕事と育児から現実逃避するために母がパチンコに嵌っていたため)と虐待(しつけという名目で暴言や身体的暴力、服を買ってもらえない、食事を作ってもらえない)が本当に辛かった。
子供の頃から、「私は絶対に結婚しない。こんなひどい苦しみを生む可能性があるんだから」と思い続けてきた。
実際に、異性との交際経験はあるものの、いまでも結婚は考えられない。
世間の人たちの大半は、特にそこまで考えず、周りが結婚してるし親も勧めるから〜って理由で、自然の流れで結婚してるのではないかと思う。
ところで、私のような劣悪な環境で育った人間は病気になりやすいのだろうか?
親戚には精神疾患のある人はいないのに、私は16歳で摂食障害になり、その後うつ病になり、さらにその後20代半ばで難病を発症し、さらにそのあと双極性障害を発症した。
某xevra先生が布教していることの正しさがイマイチ広まってないようなのでムラムラして書いた。(*´д`*)
うつ患者は脳の海馬の萎縮がみられ、統合失調症患者は発症前に脳体積の減少がみられる。
ストレスホルモン(コルチゾール)が過剰の患者において、海馬の萎縮、脳細胞の減少等がみられる。
ストレスホルモンの増加が後述のBDNFの減少、機能低下を招く。
脳由来神経栄養因子(BDNF)はニューロン新生促進、神経伝達物質放出の増強、神経の保護、シナプス形成等に関わるタンパク質。
BDNFによる脳の修復がストレスによる損傷に追いつかなくなり、うつ病が発症する。
・器質的な異常がみられない非特異的腰痛に心理的ストレスが関係すると考えられており、抗うつ薬投与や認知行動療法が行われている。
・普段は発達障害(アスペ等)の症状がない人でも、ストレスにより症状が発現しやすくなる。
瞑想によってストレスフルな思考を停止させたり、マインドフルネス認知療法のように否定的な価値判断から離れることによりストレスから離れることができる。
ストレスによる脳の破壊から逃れるためには、瞑想によるストレス回避や適切な適度な運動、良質な睡眠、食事習慣改善による脳の回復が必要である。
ストレスにより前頭葉が損傷し続けることで、もともとボーダーだった人に認知、アスペ、統失、ADHD、学習障害の症状が出てくることが考えられる。
ストレスによる神経系の損傷と関係あるかはわからないが、ストレスは腰痛・肩こり等の痛みを起こしうる。
私は先生の「大脳は回復しない」発言は違うと思っているけれどどうだろうか。
ともあれ、先生の言葉を守らずに精神疾患が出てからでは遅いのだ。
恐ろしい、恐ろしい。
最近やたらとネット上で「私は双極性障害です。」というカミングアウトが目立つ。医師がそう診断したというのが根拠だ。
ネット上でメンタルヘルス界隈を見続けて18年超の私から申し上げると、「一昔前までは、双極性障害を自認するメンヘラーはまずいなかった」という事実がある。病名が、躁うつ病 → 双極性障害 に変わったから当たり前なのだが、じゃぁ以前に「躁うつ病」とカミングアウトしたメンヘラーがいたかといえば、とても少なかった。(うつ病の自称者はウジャウジャいた)
精神医学商売にもトレンドがある。世紀をまたぐ頃から長らく「うつ病の診断とSSRI(抗うつ薬)の処方」という流行があった。それがここ数年で「双極性障害の診断とラミクタールの処方」に変わった。かなり露骨に・・・
SSRI(抗うつ薬)に反応しない患者に双極性障害の治療をしたら治癒するシチュエーションは確かにある。双極性障害なのにうつ病診断されていた患者に、適切な病名が告げられるようになったともいえるかもしれない。
しかし、そんな医学の進歩的な理由が主因だとは思えない。今、メンタルヘルスで医者が儲けようとしたら、薬価の高いラミクタールとエビリファイという、うつ病治療とはベクトルの違う処方をした方が単純に儲かる。加えて、うつ病だと寛解したら治療が終わってしまうが、双極性障害の診断をすれば長期的な通院が期待できる。この二つが真の理由だ(あえて断言したい)
医療の世界でもメンタルヘルス界隈ほど製薬会社の戦略に安易に乗っかる分野はない。SSRIを売りたいトレンドでは「心の風邪」なる言葉と共に不必要な人にまで抗うつ薬が胃薬のように安易に処方された。それが今、双極性障害の診断の名の下に高価な薬がやたらと処方されている。それだけなのだ。
厄介なのが双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、後者は抑うつがメインで躁状態は軽微というパターンで、これはうつ病との診断の見極めが難しい。ちょっと前までは「新型うつ病」の新しい概念を使って患者を量産してきた、それに疑義を唱える雰囲気が濃厚になった昨今、精神科医が胡散臭くなくて、薬を選びやすい双極性障害Ⅱ型に診断名を変えてきただけだ。こんな恣意的診断にも医療費は健康保険料から支払われる。長谷川豊的嘆かわしさだ。
私の個人的経験から帰納すれば心療内科・メンタルヘルスクリニックの大半は他の医療分野と比較してあからさまにレベルが低い。安易になされた双極性障害診断に納得してはいけない。((参考:気分障害の当事者活動と「双極性Ⅱ型」について))
現在24歳。短大中退してずっとフリーターで今半年無職やってる。
治療に本腰入れはじめたのは1年半前。
主な症状は不眠、気分の波、自傷、拒食などなど。
私の意思で先生には「病名があったとしても私には伏せて治療を進めてください」と言ってやってきた。
やっぱり病名ついたら甘えちゃうんじゃないかみたいなのあったし。
今はデイケアに通いながら社会復帰めざしてるし、大好きなかれぴっぴと夢の同棲生活なんかしたり
それなりに幸せな日々で、就活とか視野に入れて生きてて「やっと人間らしく生きれるかな〜」
なんてぼんやり思ったりしてましたよ!
でもなんか最近おかしくてな〜、毎日泣いちゃうとおもったらケラケラわらったり。
すごい楽しくなって毎晩外食したり、ちょっとお高い服買ったり。
全然どうでもいい冗談で泣いたり、ピアスたくさんあけちゃったり
夜中にハイテンションになったりでな〜。
今までもそういうことあったけどさ、独りだったから別に良かったの。
前述した先生との約束を破棄して聞いてみたら、タイトルってワケ。
短大で心理学専攻してたんだよ私は。要するに躁鬱ってことでしょ?
って調べたら「一生付き合っていくしかない」とか「自殺率が高い」とか。
今までも自分の中にあったんだけど「私は人間じゃない」っていう感覚がどんどん膨れ上がってくんだよな。
みんな私と同じ構造をしているのに、みんなができることが私にはできない。なんでだろう、なんでだろう。
やっと生きてて良かったってこれから頑張ろうって思えるようになってきたのに。
毎日毎日毎日毎日薬飲んで眠って、呼んでもないのに毎日が来るし。
それでも寝てご飯食べてれば良くなるって信じてたのに。あほらし。
なんでみんな生きるために眠るのに、私はそれができなくて薬飲んでまでして生きてんだろ。
あほくさ、あほくさ、あほくさ。そこまでして生きる価値もなんもないんだけどさ、それでも生きる価値を探して惨めだねえって自分ねぎらってるの。
なんてなー!!!!!
という病気があることは知っていた。
だってあれじゃん、ようするに躁鬱病でしょ?躁の時はすごい多幸感とか誇大妄想とかが症状として出て、結果莫大な借金したり人間関係が破壊されたりするやつだよね、作家だと北杜夫とか中島らもとかあの辺の人。そういうイメージ。
でもある時そういう世間的によく知られている典型的な躁鬱病ってのは双極Ⅰ型っていうやつで、周囲の人間にあまり影響を及ぼさない軽躁状態の症状が出る双極Ⅱ型ってのがあるのを知ってあれって思った。あと躁状態って単にハイになるだけじゃなくて不機嫌になったり、攻撃的になったりする場合もあるらしい。
あのさ、道歩いてるとたまに変な文句ぶつぶつ言いながら道行く人に因縁つけたりするヤバい年寄りとかいるじゃん。私あの手のじいさんやおっさんと怒鳴りあいとか掴み合いになったことが何回かあんのね。ほら、ああいう人ってさ、弱そうな人狙うからさ、わたしみたいな一見大人しそうな人間から口汚い言葉で罵られたあげく胸ぐらつかまれて引きずり回されたりするとすげえびっくりして狼狽えるわけよ。その狼狽えた間抜け面見るとすごくテンションあがるのね。
で、そういう小競り合いしたあとはめっちゃテンションあがってなんでもできんの。
なんか多分人格障害かそれでなかったら複雑な性癖の発露だったりすんのかなーと思ってたんだけど、そもそも喧嘩売られなきゃ私は何にもしないし警察沙汰になっても頭下げるだけですんだしまあ病院行くほどじゃないだろうと思ってた。
でも他にもⅡ型の症状に合致する部分があったので精神科行ったらデパケンとかいう気分調整薬が処方された。
飲んでたら私びっくりするほど穏やかになったよ、上の立場にいる嫌な人にも楯突かず上手くいなせるようになった。
結果仕事が続くようになった。
私こんなだから職場でも対人トラブル起こして仕事長続きしたことなかったんだよ、そういうこと続くとさ、もう働くのやだ、引きこもってようって当然思うわけじゃん。でも引きこもるの3ヶ月が限界なんだよ、だって飽きるじゃん。
よく考えるとこの引きこもるのに飽きるってのも軽躁状態の為せる業だったのかもしれない。
まあとにかく性格上のことだから直ることがないだろうと思っていた自分のキチガイぶりが薬一つで収まって驚いてる。人間の脳って不思議だね。そんだけ。