はてなキーワード: 利用者とは
「そういう見方が不用意に広まるような行動は不快である。やめて欲しい。」
「アツギのプロモは利用者の女性に対して発信されていて、その対象に対して統計的に不快であることが多いはず。」
これと
「アツギのプロモは(主に男性側の)認識を歪める効果が大きい。」
例えば、地上波TVのCMで1時間に2回ぐらい流れるとか、タイムズスクエアに掲げられているとか、その位の大きな話なら両方とも成立する可能性はある。
だけど件の企画にそこまで噛み付かれる影響力があるかと言われると……
「今回ここまで悪い方向に炎上しなかったら、この企画にみんな気づいていなかったでしょ?」
「愛用者って公式アカウントのフォロー率高いとかそういう特殊な前提があるの??」
「スマホゲームの広告やTV CMのほうがよっぽどキモいじゃん」
「(あなたの想定している)感化されるタイプの男性のTLには最初からエロ絵が流れているのでは?」
みたいな事がいろいろ言いたくなってしまう。
あなたから見たから「あなたに見せないこと」と「この世に存在しないこと」は一緒なのは理解するけども
これがいいと思った企画なんだから企業として自信を持って出し続ければいい。
そのうえで私たちタイツ利用者がそのPRに対してYESとするかNOとするかきちんと企業が見極めて欲しい。それがマーケティングってやつじゃないの?
女が女を叩いて終わったとか、フェミがいつも通り暴れて終わったとか、某区議はそこまでやることだったのかとかで話題が着地してるのがもどかしい。
そもそも今回の件だって最初は特に攻撃的ではなく、これはちょっと気持ち悪いという気持ちの表明だけだった。
その気持ち悪さってのは二次元で可愛く(エロく)描かれるタイツと三次元で実用的に履くタイツは全く別の物であることを
タイツを利用する人が感覚的にわかってるから、そこの線引きがされてないことへの気持ち悪さがあったのだと思う。
この件で性的犯罪を助長するとか性的搾取だとかそんなこと思ってる人は私の観測内ではほとんどいなかった。
絵は可愛いものもあったけどそれを公式がやるのはちょっと・・・というスタンスの人たちばかりだった。
スク水の広告や幼稚園の広告に快楽天の作家を使うのはちょっとなあって感情に近いんだと思う。
(そういう意味でいうと絵師の人たちはおおむね実力を出し切って絵を見た人たちに自分の絵の魅力を伝えられたともいえる)
対立したいわけでも謝罪してほしいわけでもない。ツイッターの中の人を攻撃したいわけでもない。善悪で語ることでもない。
でも終わってみると結局はそこに着地している。不毛すぎる。
今回、ちょっとこれは不快だなって思った多くのタイツ利用者達は・・・だと主語が大きいので、少なくとも私はそんなことを望んでるわけじゃない。
なのになんでそこに着地してしまうんだろう。謝罪はしなくていいんだよ。これがいいと思った企画なんだから企業として自信を持って出し続ければいい。
そのうえで私たちタイツ利用者がそのPRに対してYESとするかNOとするかきちんと企業が見極めて欲しい。それがマーケティングってやつじゃないの?
炎上したから消火しなきゃいけないなら、企画意図をきちんと説明するとか(まあ興奮している人たちがきちんとそれを受け取れるかは別として)
謝罪以外のなんかはないのかな。一部の過激な人たちの大声とアツギ製品ヘビーユーザーではなさそうな人たちとの応酬で何も解決せずに臭いものには蓋で終わってしまうんだよこれじゃあ。
だから同じことを何度も繰り返すんじゃないの?結局いっつもこれで終わりじゃん。
違うんだよ。そうじゃないんだよ。どうしたらいいんだよこの気持ち。メールで伝えればいいのかなぁ。大企業に伝わるのかなあこういうのって。
お値段も手ごろで、設備もよく、サウナまである初心者向けのジムです。
どんな人達か説明した後に、これに対する自分のモヤモヤを書きます。
「そっちのジムはそんなポケモン出るんだー」ぐらいに思ってもらえれば幸いです。
ちなみに、よく聞く「鏡前でボクシング」は私自身は見たことないです。
女「えーコレどうやって使うのお?」
男「ほら、やってみて」
女「んんん~~~~~」
女「ぅん、んんん~~~~~♥」
男「……さーん、しーい、……もぅ全然できてないじゃん(クスッ」
ドS彼氏に開発されちゃう系同人音声。ベッドでイヤホンして聴くやつ。
これ、もう、弱セックスじゃないですか?
広背筋だけでなく二人の関係に新しい刺激を~ってか、やかましいわ。
実際、補助とかで必要だったりするけど、5人は多いよ。
サッカーって高校の部活でも「ゴール前、塊になるな!」とか言われてるイメージあるけど、
サッカーする人ってそもそも群がる習性あるのかも、と思いました。
誰一人マシントレーニングのところに行こうとしないのも、なんか変なプライドを感じました。
しこってんじゃねえ!!
ここでの”しこ”とは四股踏みであり、その後、「はっけよい」の構えのまま動かないことを指します。
バーベルスクワット中、3セット目に入ろうと顔あげたら遭遇しました。
鏡越しに目が合う。合い続ける。
中年太りしたおじさんは気合の入った顔したまま、ずっと立会の構えで動かない。
営業部部長みたいな迫力の中年が不慣れな蛍光カラーのウェアを着て、四股しながら、ずっとこちらを見ている。
どういうこと?
え?え?しこられてる?なんで私でしこってるの?
新しいセクハラ?
休憩エリアで倒立すな。
以前通っていたジムにはお風呂の神様がいましたが、それは少し前の話。
昨今は筋トレ系やフィットネス系Youtuberがいて、トレーニングのみならず
それこそジムの使い方やマナー、あるある動画があふれてるはずなのに、
実際にはそんな環境お構いなしに、変わった人達がジムには生息しています。
そして、そういった人たちは筋力が上がったり体型が変わったりもせず、
同じことを繰り返していく。そう思うと少し愛おしい人達ですね。
「こっちのジムにはこんな人が」みたいな反応いただいて嬉しい?です。
初めて書いた拙い日記にありがとうございます。
でも、皆最低限のルールは守ってる。
もし「家でやれ!」という言葉を投げるなら、
それは他人に対して狭量な私にでしょう。
皆、だれも傷つけていないのだから。
モヤモヤが限界だけどせめて明るい感じ表現しようとしたのがこの日記です。
しかし、冷静になって読み返せば、
送料以外全額返金になる返品※に対し、不当な金額が差し引かれて返金処理されることがあります。
私は10月中たて続けに2件経験し、理由は両方とも返品確認機関で開封と確認されたからでした。
しかし実際は異なり、1点は封のない商品をそのまま返品、もう1点は密封型のため開封すれば明らかに分かる商品を未開封で返品していました。
両方ともカスタマーセンターに連絡し正しい返金処理を行ってもらえたので無事落着しましたが、
立て続けに発生したこととアマゾンの利用者数を考慮すれば、他にも被害を被っているユーザーがいると思われます。
そして超多忙な方であれば、返金予定額との差額にも気づかず超過請求されているのではないでしょうか。
返品システムを利用される方はお気をつけください。
※条件は商品、注文毎に変わります。詳細は以下リンク先を参照。
https://www.amazon.co.jp/gp/help/customer/display.html?nodeId=GNW5VKFXMF72FFMR
これだけ長い文章なのに読みやすい。元ネタの主さんは文章力がある人ではなかろうか。
あくせく働いてやっと日々生活してる人間から見ると、無職なのにレンタル彼女とか呼べるのは勝ち組と言える。いい身分の人なんだろうか。
1点気になったのはここ。
>>増田「動く歩道で自分だけが立ち止まっている。他の人はみんな歩いている。お年寄りさえ自分を追い抜いていく。自分はお年寄りより体力がない」<<
追い抜いて行く人とは、当然みんな歩いている人である。体力がない人は追い抜いていかないので存在に気付かないだけのこと。私自身動く歩道では立ち止まる派である。体力の問題というよりは単に面倒くさいだけのことだが。
そしてもう1つ。これだけ反応があるのはある意味素晴らしい。主さんは自己評価低そうだがこれもある種才能。
主さんの望む若い綺麗な女性とみられる反応はほぼ無くてKKO(という用語は今回始めて知った)ばかりに見えるが。まあ単純に利用者の人口比に比例してるのだろうけど。
「PayPay」の還元キャンペーンに疑問 財源は各自治体が支払い(https://news.livedoor.com/article/detail/19102519/)
を読んで、確かに特定の決済サービスだけを優遇していいのかという問題はあると思うが、墨田区や板橋区の産業振興課長が言うように、普及率、導入のしやすさ、手数料がない、複数の決済サービスを使うと店側が混乱するという理屈も理解できる。
特定決済サービスを優遇しているという部分を除けば、GOTOなんたらよりは、参加出来る店舗が多そうだし、利用者側も使いやすい気がする。
僕の通っている大学は、キャンパスが観光地化している。犬の散歩をしている近隣住民、保育園から幼児をカートに乗せてきて広場で遊ばせる保育士たち、向学のためか見学していく中高生、そして観光目的に入ってくる大量の人間(なぜか中国人が多い)…正直辟易していた。研究で気が立っている時にキャンパスが観光客で混雑しているとイライラするし、食堂は混んで使いにくいし(なお11:30~13:30は学外者は食堂を使ってはいけないというルールができて多少良くなった)、大学生にインタビューしてみようみたいな課題でも課されているのか中高生に話しかけられるし、なんといってもうるさい。幼児や観光客のきゃあきゃあ言う声が教室まで入ってきてうるさかった。
しかし今年は大学がとても静かだ。新型コロナウイルス感染症対策のため、3月中旬頃から学外者のキャンパス立ち入りが禁止されて、キャンパスに入ってくるのは教職員と学生、大学病院の利用者が少し、ほんのたまに通行人だけになった。混雑はないし、観光客に道を聞かれることもなくなったし、とても良い。もっとも大学生協は食堂の客の入りが悪くなり、お土産が売れなくなって経営がめちゃくちゃ大変らしいが。これから銀杏並木が見頃を迎えるが、例年なら人でごった返すところがおそらく学生が数人歩くだけになり、黄色い銀杏をゆっくり眺め写真に収めることができるだろう。楽しみだ。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
みゆさんの発言の何が問題かは本文に書いてあるのに、「それが普通だ」と書くだけで正面から反論しているものは一つもない。
問題点①そもそも増田がたどり着いた「若くてきれいな女性だからといって中身が伴っているわけではない」という結論の前提となる「外見の美しい人間は中身が伴っている(?)」という考え自体が問題(一般的でなく社会に共有されていない)である
問題点②議論ではない会話は、言葉で表現されている以外の情報のやりとりが大半を占める。読者のほとんどはみゆさんが「何を汲み取って」「何を想像して」「何を意図して」その発言をしたかを読み取っているが、増田本人だけがその想像ができていない
増田はみゆさんの各発言について「非常識で問題がある」と思っており、それを「根拠を持って反論してほしい(できるわけがない)」というスタンスのようだが、増田が①の誤った前提に立っている限りこれは不可能である。
みゆさんの中身は「至って普通」である、と増田自身が述べている。
発言自体は「至って普通」の人間と同じ、であるのにみゆさんが発言すると「問題」だと増田が捉えてしまうのは、「みゆさんの外見がきれいだから」に尽きる。
ここが増田の大きな問題だと思うのだが、普通の人は、外見と内面が連携しているとはまず思っていない。
増田以外の人は、みゆさんを最初から「普通の人」だと思っているので、みゆさんの発言を(増田と同じく)「至って普通」だと感じる。それだけの話である。
この前提を整理した上で、みゆさんの各発言を見ていくと、「至って普通」と言っているわりに増田は納得していないように見える。
各発言を、増田が見落としている(あえて見ないようにしている?)「みゆさんは何を思っているのか」の観点で見ていく。
この発言については、この前の文脈が明らかでないと、判断することはできない。
と増田は書いているが、何かしら仕事についての世間話をしていたはずだ。まさか天気の話をしていていきなり言ってきたわけではないだろう(それであればたしかに非常識だ)。
を信じるとすると、「増田さんなら工場労働ならできるよ!」という言葉は、励ましのニュアンスを含んでいると考えるのが一般的だろう。
想像だが、増田からの就業に関するなにかしらネガティブなニュアンスの発言を受け、「就業自体が可能である」とポジティブな見解を示したと考えられる。
増田がその前の発言を公開しない以上、根拠は示せない。だが上記のような「動機」でみゆさんが当該の発言をしたとしたら、それは優しさであり、問題発言とは言えない。
みゆさんの発言は聞き流そうと思ったが4回くらい同じことを言われ、無視できなくなった。そこで、みゆさんからそういう発言をされたことを別の人に相談した。その人は、みゆさんが何か勘違いしてるんだろうとフォローしてくれた。
この「別の人からのフォロー」を根拠に「みゆさんの発言には問題がある」と増田が判断している可能性があるが、「別の人」もまた、増田に気を使ってそのような発言をした可能性が高い。
増田は失念しているように見えるのだが、普通、人は特別に親しい間柄(家族・友人・恋人など)でない限り、「本当に思っていること」よりも「目の前の人間の機嫌を損ねないこと」を優先する。さらにその関係が金銭授受によって保たれるものであればなおさらだ。
「別の人」が誰だかは不明だが、「知人」などの言葉でないところから推察すると「別のレンタル彼女」である可能性が高い。仮にそうだとすると、まず「増田が正しい」という前提で話をするだろう。だから増田側の問題ではなく、「みゆさんが勘違いしている」という発言に至ったに過ぎない、という可能性が非常に高い。
それに対するみゆさんの
この発言は、たしかに失礼ではある。しかしここでも、増田はこれまでの文脈を公開していないため、みゆさんが「よく社会生活が送れてるな、と思うような人」という発言に至った背景は見えない。単に若く、言葉を選ぶことがこのときできなかったのかもしれないが、例えばこれまで、増田自身が自虐的にそう言った言葉で自らを形容したことはなかったのだろうか?
また、みゆさんは励ますつもりで「増田さんなら工場労働ならできるよ!」と言ったのに、それを他の人に相談した、と言われて、みゆさんが機嫌を損ねた可能性はないだろうか?
増田はシンプルに「自分は以前の専門職に復職するつもりなんだよね」と伝えたのだろうか。その上で「専門職に復職は絶対に無理だけど工場労働なら出来るよ!」と言ってきたならみゆさんは確かに非常識だが、そんなことはないのだろう。
これも単に励まそうとしただけじゃないだろうか。
「お年寄りさえ自分を追い抜いていく。自分はお年寄りより体力がない」という増田のネガティブ(とも取れるよう)な発言に対し、実際にありえなくとも、「周りの人が特別元気だっただけで増田さんが体力がないわけじゃないよ」と(むろん冗談交じりで)伝えようとした、というふうに捉えるのが一般的ではないだろうか。
これも想像でしかないが、みゆさんはネガティブな発言に対して、「そんなことないよ!大丈夫だよ」とポジティブに返す、というコミュニケーションを良しとしているのかもしれない。これは一般的に、接客業として間違っている態度ではない。
決して「増田が病気だということを、ほとんど可能性のない根拠を持ち出して反論」しようとしているわけではない。
普通、人は特別に親しい間柄(家族・友人・恋人など)でない限り、「本当に思っていること」よりも「目の前の人間の機嫌を損ねないこと」を優先する。
しかし、この発言についてはその前の増田の発言も明記されており、そちらを見ればみゆさんがこう返してしまう気持ちもよくわかる。
「知り合いの50代~の女性は奥手な自分によく話しかけてくれるんだけど、なぜ若い女性は話しかけてくれないんだろう?」(冗談っぽい口調)
この発言を受けて、「女性の年代別の態度の違いについて論じたい」と思う人は少ない。
この発言の本題は「なぜ若い女性は話しかけてくれないんだろう?」という後半部分にあり、その疑問は「若い女性に話しかけてほしい」という欲求からくるのではないか、と想像させるのに十分だ。
発言者が増田であればなおさら、というのは、増田は「レンタル彼女の利用者」である。「若い女性との会話を金銭を対価に買っている」人間がこのような発言をすれば、「若い女性に話しかけてほしい」という欲求を持っていると捉えられるのは避けられないだろう。
もっと単純化すれば「若い女性と話したい」という欲求に見え、その欲求を満たすのに自分の行動ではなく、「話しかけてくれる」つまり相手となる女性の能動的行動を求めている。もしかしたら、「若い女性が話しかけてくれない」というのは「若い女性」全般を責めているように聞こえたかもしれない。
これは増田の意図している部分の問題ではなく、増田の発言がみゆさんにどのように受け取られたか、という話だ。
「若い女性」であるみゆさんがこの発言に対し、反論したくなるのは理解できる。自分の欲求を満たすことを他者に求める態度は傲慢だからだ。
しかし、みゆさんは暗に「だから自分から行動すれば状況が変わるかもよ」ということを示唆しており、決して増田の否定ではなく、今後の行動についてのアドバイスをしている、と考えることもできる。
みゆさんの個別の発言は、表現が拙い部分はあるかもしれないが至って普通、むしろ優しいものであって、現時点での増田の開示した情報から「問題がある」とは到底言えるものではない。
そもそも増田自身、みゆさんの中身が「至って普通」であることを認めているのだから、それに気づいてなお「みゆさんの発言に問題がある」と主張し続けるのはおかしい。結局他の人の批判通り、増田は「自分の望んだ回答ばかり欲しがってる」のであって、それは能動的に望んだものではなく、こういう回答であるべしという無意識の思い込みレベルのものである可能性が高い。(なので増田自身はそんな回答を求めていない、と発言している)
とまあ自分は増田への反論しか書けないけど、増田に真に必要なのはこれだと思うから、こっちは素直に受け止めたら良いんではないか。
この記事で年収400万円おじさんの自己認識への批判がブクマに並んでる。
https://peing.net/ja/q/36e4897a-f0e6-4d71-9d0d-ec2ca28b6d51
この記事見てて、昔発言小町とかでも自己認識甘いおばさんへの批判的コメントが並んでたのを思い出した。
https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0511/506381.htm?o=2
男女入れ替えただけな気がするが、女性を揶揄する記事には釣りでは無いかと言うコメントが多い。
反応の違いは、はてぶの利用者層の見たいものが、比較的男性に対して批判的な記事だからなのかもなぁと思ったりした。もしくは世代交代したか。
まぁみんな信じたいものを見たいよね。わかるよ。
レンタル彼女の話盛り上がってるけどあの人って別に特別迷惑な行為を働いたわけではないじゃん。若くてきれいな女性に対する謎の信仰心とか工場労働者への思い込みとかがちょっとずれてて不愉快なだけ。犯罪者ではないしカウンセラーにかかって思考を矯正してこいなんて言われる筋合いはないっしょ。いいじゃん中年男性が若くてきれいな女の人と話してみたいと思ったって。優しくされたいと思ったって。無料でならともかく対価も払ってるんだし。金出したらそのへんの素人女性なりの対応じゃなくそれなりのコミュニケーションスキルを求めてしまうのは仕方ないじゃん。(サービスの利用者に提供者にもなったことないから増田の要求の妥当性についてはイマイチわからんが。)
若い女性に話しかけられたいという願望が叶わないからその代償として試してみることそれ自体までは別に責めなくていいじゃないの。
あとみゆさんは別に思慮深い女性でもないよ。みゆさんと増田が友達でこれを言ってるなら普通にクソバイス罪で逮捕案件なんです。「自分の周りのアレな人にも務まってるし増田さんも工場ならいけるんじゃない」のノリで話されたら増田だってこいつ俺のこと馬鹿にしてんのかと思うわ。
増田も、文系オタクの俺に工場は合わない…というわけわからん不安を抱いているが、(これは工場にはヤンキーがたくさんいて俺のようなオタクなど狩られてしまうのではという不安?知らんけど。オタクの工場勤務者はたくさんいるって。)体力的な面で不安を持ってしまうことそれ自体はそんなにおかしいことではないと思う。
本文とかブコメとか流し見だけど言いたいことそれだけ。
新型コロナウイルス騒動も徐々に落ち着きをみせてきたが、いまだにマスク否定論者は存在している。
その理由がこのたび判明したので、ここに共有する。
次の問にYES/NOのいずれかで答えれば、マスク否定論者の考え方を体験することができる。
問いてみてほしい。
問1. マスクを付けて、3密を避けていれば風邪にもかからないだろうか。
問2. スマフォを裸で持ってる人でもマスク装着で風邪を防げるだろうか。
問3. コロナの蔓延する人里を離れた山奥で、自給自足の生活をしていれば風邪にもかからないだろうか。
一瞬迷うところがあるかも知れないが、新型コロナウイルスに関する知識情報に基づけば、上記の正解はいずれもYESである。
SARS-CoV-2よりも圧倒的に感染力が弱く、空気感染もしない風邪ウイルスなのだから、解答は明快に出せるであろう。
全人類が100万人の犠牲を払いながらも集めたノウハウなのだから間違いはない。
しかしながら、論理的には分かっていても感情的には腹落ちできないところもある。
無理もない。人は誰しも心理的防衛機制というものを持っており、それが詐欺などに騙されるのを防いでいるのだから。
前述の問いを考えることで、自身の心理的防衛機制を体験して頂けたと思う。
数日前、『終末のワルキューレ(伝説や伝承に出てくる神と人間がタイマンする漫画)』に対して、ヒンドゥー教の聖職者がシヴァ神を軽視しているとクレームをつけたというネットニュースを見た。
ジャパニーズポップカルチャーでは宗教上の神話の登場人物(登場神物?)をキャラクター化するのは当たり前と化していて、その宗教に属する人々から批判を受けるということは今までもたびたびあった。
ただこうした批判自体が宗教的価値観特有の傲慢さに基づくものに感じて、俺は昔から気に入らないと思っていた。
まず第一に思うことが、どれだけその宗教の人々が心から信じようと神話はあくまでただの一”物語”に過ぎないということだ。
著作権に国際的な統一法はないが、何百年、何千年も前の物語が著作権保護の期間の範囲内だと主張する人は流石にいないだろう。
であるならば、神話だって著作権の切れた他の創作物と同じように後世の人が自由に使って良いだろうと思うのだ。
そして第二に思うのは、現代の宗教家は著作者本人でもなければ、委託を受けた権利の管理団体でもなんでもないだろうということだ。
宗教なんて大抵どこも宗派で分裂したり争ったりしていて、神話が創作された当初と同じ組織体系を維持しているところはほとんど存在しないだろう。
現代の宗教家なんてキリスト教だろうが、ヒンドゥー教だろうが、イスラム教だろうが、どこも勝手に正当後継を名乗っているだけで、神話の創作された頃の人々が自分たちの後継と認めるかどうかも分からない、その程度の集まりに過ぎないのだ。
そういう意味では彼らも日本の漫画家と同じで、許可も取らずに勝手に神話を使用している”利用者”に過ぎないわけだ。
日本の漫画家はキャラクター原案に神話を使い、宗教家は自分の信仰に、あるいは統治に神話を利用している。そこにあるのは使い方の違いだけだ。
物語というのは、過去の物語が人々に読まれ、そこから発想や知啓を得た人々が新たな物語が作り、そうして連綿と生み出され続けるものだと思う。
かつて神話を語った人もきっと、それまでに聞いた物語を参考にしつつ、自分なりのオリジナリティを加えて神話を綴ったのだろう。
であればいい加減、宗教家は神話を独占して自分たちだけに使用権があるかのように主張するのではなく、次世代の物語のために神話を開放するべきでないか?
ちなみに一応、言っておくが、俺のこの主張は別に、例えば『終末のワルキューレ』のような神や偉人をキャラクター化する創作物を擁護するものではない。
俺個人としては「別に良くね?」と思うが、それはなんとなく世間で許されてまかり通っているだけで、論理的な正当性を主張することは難しいと思う。
一次創作である神話に対するリスペクトが足りないという批判は当然あるだろうと思うし、だから、宗教家の人たちが解釈違いとして文句を言うのならそれは一つの意見だと思う。
宗教家が、自分たちだけが神話という物語の神を”使う”権利があると思って批判をしてくるのならば、それは大きな驕りだと断じたい。
最近よく実感する。googleの検索が広告汚染でダメというのともまた違う。もっと根が深い。
それは日本のゆとり世代(失われた20年のために本物のエンタメやサービスの経験が薄い)
の皆様が日本の屋台骨を支える日本のど真ん中に入ってきたために、
投票系の情報、レビュー系の情報のレベルが使い物にならない位低くなってきたということだ。
アマプラのビデオとか糞みたいなのが9割くらいあるのにめちゃくちゃ褒められてたり、
古典的な名作が、見る側の教養が不足しているために楽しめない、つまらないと酷評されていたりする。
はてなも同じで、めちゃくちゃくだらないトピックが繰り返しホッテントリに入っていたりする。
なんだか最近クレジットカードの引落とし額が多いような気がすると思い明細を見たら、コワーキングスペース、服のサブスクリプション、コーヒーのサブスクリプション等、各種のサブスクリプションで10万円以上引き落とされていたので、全て解約した。
どれも最初の数ヶ月は利用していたが最近は利用しておらず、その一部は加入していたことさえも忘れていた。
当たり前だが、全て解約した後には何も残らず、無駄金を使ってしまったという感じだけが残った。
買うには高いが、他人とシェアしてときどき使うだけならサブスクリプションを。
基本の商品やサービスを利用してみて、もう少しいいものが欲しくなったらプレミアムを。
これらは利用者の都合に合わせて提供されているように見えて、全て売り手の都合にすぎない。
個人の経済活動がシェアリングエコノミーの名の下にどんどん小さく、さもしくなっていったのはいつ頃からだったろうか。
同じ課金方法をバカの一つ覚えのように使い続ける売り手もバカだが、そのようなやり口にうまうまと乗せられて金を払ってしまう買い手もバカである。
よいものは高い。貧乏人は買わなくていい。貧乏でもどうしても欲しいなら無理して買え。高いものを無理して買ったら余計によいものと感じるだろう。それも無理なら自分で作れ。最高級のものは全てオーダーメイドだ。
ちょっとだけよくてちょっとだけ高い、「プレミアム感」のあるものは、よいものではない。よいものはそのように限られたさもしい選択肢から選び取ることができるようなものではない。最高級のものは全てオーダーメイドだ。