はてなキーワード: 一枚目とは
anond:20191011152715 の続き。
その授業は全くといっていいほど、眠くならなかった。
先生は結局、自分の好きな作品語りで講義時間を使い果たしてしまった。ただ好きな著者や作品を語るだけの、講義と言えるかよくわからない時間だったが、俺は数式を写すよりも楽しくその内容をメモしていた。一番のお気に入りは三島由紀夫の「金閣寺」らしい。著者の切腹のエピソードなども挙げ、その不思議な人間性の話を、重く、楽しそうに語っていた。
終了時刻に近くなると、急に我に返ったようになり、先生はプリントをこちらに配った。一枚目はアンケート用紙で、二枚目は文学入門書の序章の写しのようだった。先生はアンケート用紙について「それ提出したら、帰っていいよ」と呟き、また入門書の写しは次回までに読んでくるように、と指示した。しかしこの入門書が、なんというか、堅苦しくて読みづらそうでげんなりした。その文章の塊を横目に、俺はアンケート用紙に手を伸ばした。
「文学とは何ですか?」初っ端からのこの質問に、俺は手も足も出なかった。
え、文学ってなんなの?
俺は文学という科目を履修登録したくせに、文学については何も知らなかった。「文学」と称されるもので自発的に読んだものといえば宮沢賢治の「注文の多い料理店」とか、三島由紀夫の「美しい星」とかだ。読んだは読んだ。でもだからといって文学が何かなんて、よくわからない。傑作とされた小説が、文学なのか?それともたくさん売れた、読まれた小説が文学なのか?普段本を読まない人間には、よくわからない。
そう思いながら俺は尤もそうな、うわべだけの説明を書き入れた。
他にも「好きな文学はなんですか?」「好きな言葉は?」「ノーベル賞を渡したい人は?」などと質問があり、モヤモヤする答えをひねり出しては、消しては書いてを繰り返した。最後の質問に関してはいくらか浮かんだが、著名人なのに漢字で書けないのは嫌という変なプライドが頭を持ち上げて、結局漢字が分かる三島由紀夫にした。先生みたいに強い思い入れもないのに、いいのか?なんて考えていると、終了時刻になってしまったので、結局そのモヤモヤを残したまま、アンケート用紙を提出した。
顔が不愉快。言動が不愉快。純粋にデレマス内に存在しているものとしてうっとうしい。
ナターリア
言葉遣いは片言のつもりなんだろうけどきたない。距離の詰め方が嫌い。これは人種差別発言に近いのかもしれませんがライラさんと違って不潔感がある。
デレアニでクッソつまらん尺取らされたし展開もめんどくさくなったのでとてもきらい。なんか不潔感がある。
安斎都
見てて無性に腹が立ってくる。多分本との向き合い方が私の地雷だからだと思う。
喜多見柚
一枚目のカードの特訓前だけ好き。それ以外が生理的に気持ち悪くて嫌。これは私怨だけどSS3AでLunatic Showを貶めたのもすごく嫌い。村上巴さんは好きです
多分ボイスついてなかったら普通だったかもしれないけどやっぱり顔が受け付けない。言葉がどこの言葉って感じですっごく嫌。福岡にあんな汚い方言使う人いなかったよ。演技指導してる人が悪いと思おう
なんか嫌い
これは中の人への私怨。中の人がやらかすまでは普通に好きだったのになぁ…双葉杏がかわいそう
パッションばっかりだぁ…
総選挙頑張ろうね!
一日に2回苦情つけた。不快な店は3件あった。
一軒目は回転寿司で注文端末がフリーズしたので店員を呼んだら、ちょっと見せてくださいといわれて、5分ほど立たされた上でテーブルを変えることになった。
お茶を持ってきてくれますか?と言ったら、ぜひ新しいのをお使いくださいといわれた。あとイワシ頼んだらサンマが来たw
二軒目はメガネ屋で眼鏡を作ろうとしたら店の都合で1時間ぐらいで作れる予定が2時間になり、(5分お待ちくださいが15分とか細々と削られた。)商品に不備があり、謝罪は一切なしだった。
袋に入っていない書類があり、貰いに行き、別の店員に対応してもらっていると、当初の店員が来て、「文句があるなら僕に言ってください。」というので、めんどくさくなり、クレームすることに決めて、「名刺をくれますか?」と聞くと「名刺はありません。」というので「では白紙に要項をかいてください」というと、「嫌です」といわれた。埒が明かないので別の店員に対応してもらっていると、店長が来たので直接苦情をいうと、先程の店員を連れてきてすぐ頭を下げた。「店長がいないと頭も下げれないのがむかつきます。どうにもならないので帰ります」といって帰ってきた。
三軒目はピザ屋で4種類のピザが1/4ごと分かれてるピザを配達してもらったのだが、1/4,1/4,1/8,3/8の割合で来た。一応電話すると、作り直すというので待っていると、今度は1/4,3/8,1/4,1/8できた。また電話すると返金対応しますといわれた。一枚目は食べてしまったが、悪質クレーマーと思われるのも嫌なので、二枚目は食べずに持って帰ってもらった。
お久しぶりです。福山哲郎さんの質疑は明日の与党のストーリーから考えて重要なものですが、あまり注目されていなかったように思ったのでちょっとだけ興味のある人はさらっておくといいかも。
いよいよ明日の佐川氏証人喚問を控えて、26日の質疑も熱がこもったものとなりました。自民党もさすがに和田、青山、西田の幇間トリオは封印し、武見敬三、山本一太が最低限のロジックを備えて、現実的な防衛ラインを再設定しようとしていたり、辰巳孝太郎議員が財務省が官邸、総理、大臣の関与がない根拠を問うと、「本人がないと言っていたから」というイノセントな答弁を引き出したり、安倍総理が「名誉校長というのは信用力を上げるために要請するもの」という今までの自分の答弁を全部ひっくり返すかのようなアレっぷりを晒したりと見所はたっぷりでしたが、白眉は福山哲郎議員の質疑でした。明日の証人喚問では、おそらく与党側は、佐川氏が2月24日に行った面会記録などの文書は事案終了に伴い廃棄した、という答弁以降に改竄を始めた、というストーリーで、まともに答えられるはずのない佐川氏を追い詰める格好をつける算段だと思われるが、前日にこの質疑を行った福山哲郎の性格の悪さはなかなかのものだと思う。
「太田局長、あなたはこの数日間、国会の審議におきまして、佐川局長の昨年2月から3月の答弁につきまして、基本的には改竄前の決裁文書に基づいて答弁を作るのが基本だと基本的には趣旨の範囲内じゃないか。書き換え前の文書、つまり改竄前の文書ですが、あるいはその事実を前提として議論がなされた、となんども委員会で答弁されていますが、それでよろしいですか。」(佐川の答弁は改竄される前の決裁文書の内容に沿って作られているから、改竄は大きな趣旨の変更はないというガースー理論ね)
太田(この人は一生懸命答えようというそぶりは天才的にうまいが韜晦術もなかなかのもの。)
「お答えをいたします。委員、あの引いていただいのでありがたいんですが、基本的にはと申していたつもりです。一言一句どこまでもというふうにはできないからという意味で申し上げております。そのもう一つは、決裁文書ということを強調されておりましたが、決裁文書は重要でございます。ただ国会答弁を作る際に、実際に担当していたものに聞きますと、決裁文書ももちろんですが、近畿財務局に事実を確認して答弁を作る、ということでございます」
「(太田さんへの嫌味兼牽制、省略)実際に太田局長のいうように、昨年2月から3月にかけての答弁が、改竄前の決裁文書に基づいて作られているか、というと疑わざるをえません。一枚目のパネルを見てください。3月2日です。予算委員会。”平成27年1月9日、近畿財務局とかごいけ理事長が面談した事実をお答えください”と私は聞きました。佐川氏は"1月9日と言われましても、そこの記録があるわけではございません"、実際は書き換え前の文書(貸付決議書)には、当局が森友学園を訪問し、国の貸付料の概算額を伝える、と書いてあります。書き換え前の文書に基づいて答弁しているならば、実際に訪問しました、と答えればいいのに、あえて、記録がない、と答弁をしています。これ3月2日ですよ。それで、この答弁に対して、改竄後はこの1月9日が削除されています。これ改竄前の文書前提としているのに、なんでこの時に佐川局長はこのように答弁したんでしょうか」
「お答えを申し上げます。今委員が御指摘なさったその答弁、答弁そのものをそこだけ読ませていただきます。(福山:いいよ)いやそのあとがあるんです。読ませてください。1月9日と言われましても、そこに記録があるわけではございませんが、一連の中で、近畿財務局と、先方学校法人の間でのやり取りはあったというふうに考えております、というのが議事録に載っておる答弁でございます。その上で、今委員が御指摘になられた、前段の部分に関しては、実際に訪問いたしておりますので、事実と違うという御指摘はその通りでございます。お詫びいたします。」
「あなたがそう言うと思って、僕も用意してるんですよ、1月9日につきましては記録もありませんし、コメントできませんってそのあと言ってるんですよ。ま、記録と違うこと言ったというのは今認めたので、まいいですけど、本当余計なこと言わないでください。じゃあなんでこういうふうに答えたのか、答えてないから答えてください」
(冗長部略)
「応接記録、面談記録があるかという議論の中で、やらせていますので、その時に彼は応接録、面談記録がないと答えておって、その上で、なんでそういうふうに答えたのかというご質問でしたが、その理由は、応接録、面談記録がないというふうに答えておったので、そういうふうに答えたのではないかと申し上げております」
「決裁書、書き換え前の決裁書、それは承知をしておりました。そのことも当然踏まえて、基本的には、と私は御答弁申し上げてるつもりでございます。その上で先ほども御答弁申し上げましたけども、書き換え前の決裁文書、それはもちろん作成者、答弁を作成するものも踏まえておりますが、その上で、近畿財務局にも事実を確認したしております。その上で、委員は答えてないとのご指摘でございますけども、答弁は一つ一つ、決裁文書だけで答弁をしているわけではなくて、様々なものを踏まえてその中の議論の中で、ということを申し上げております。議論の焦点が文書があるかないかということでございましたので、そういうことを答弁申し上げてるということこでございます。」
「お答えいたします。基本的には改竄前の決裁文書に基づいて答弁を作成しておりますとなんども申し上げております。ただ、これもなんども繰り返しておりますが、決裁文書だけではなくて現地の近畿財務局にも(先ほどの繰り返し・・・)」(要は、佐川がないと言ったのは応接記録、面談記録という意味であって、決裁文書にまとめられた経緯の記録がないという意味では言っていないという理屈をなんとか成り立たせようとしている、頑張ったけどそれは通らんでしょう・・・)
「先ほど委員引かれた、記録がございませんが、というのは応接録のことだと思いますが、申し訳ありません、これ以上のことは私ではお答えいたしかねます」
「じゃあ次、同じ3月2日。国の貸付料の概算額を伝える、と書いてありますが、私”1月9日、籠池理事長に近畿の財務局から(予定価格等を)伝える可能性は否定できませんか”、佐川氏"私共が具体的なそういう予定価格とか賃料とかを提示することは一切ございません"。なぜ彼は私の質問にこのように答えたのでしょうか、同じ質問ですがお答えください。」
「今ほど委員が御指摘の点は、我々が気付けなかったのが申し訳ないんですが、25の法律相談の文書を提示した時にこの経緯の部分ございまして、昨年の三月の参院財務金融委員会だったと思いますが、委員長からのご指示で、27年1月初旬に学園から森友学園側に賃料について問われ、その時、評価額と利回りから算定することになるが、国有財産地方新議会の開催前であり、具体的な金額を提示したことはなかったと説明してきているところでありますが、先ほどと同じとおっしゃいましたが、私が説明できるのはそこまでだということでございます」
「その説明はわかったようでわからないんです。評価額と利回りがわかれば賃料は計算できるんですよ。そんなの当たり前の話なんです。概算額を伝える、と書いてありますが、佐川さんは、国から提示することはありませんと否定をしました(略)、さらに佐川さんは私に改竄前の文書と違う答弁をしました。これは、軟弱地盤であるか、当時の佐川理財局長は、軟弱地盤であることが判明してございます、と言っていますが、改竄前は、特別に軟弱であるとは思えない、としています。これ改竄ですよね、なおかつ真逆の答弁をしている。なんで?」
「外部の調査、それは委員書いてらっしゃる地質調査会社ですが、そこは特別に軟弱であるとは思えない、とした上で、通常と比べて軟弱かというと、通常地盤の定義が困難であるため、回答は困難としてございます。その上で法律相談部門と、法曹部門と相談をして、賃料は、一回目より二回目と変えています。この決裁は一回目の賃料、二回目の賃料を踏まえて最終的に記述したというものでございます」
「特別に軟弱だとは思えない。太田さん言ったように回答不能なんです。なんで軟弱地盤であることが判明した、と言い切れたのか。全く答えてないんです。僕ね、映像で見直したんです。全部佐川局長は、持ってる答弁(書)を確認しながら答弁してるんです。これ改竄前の文書でしょ、この時の答弁作ってるのは。ということは、実は3月2日の時に、すでに改竄を前提に答弁をしていたか、改竄がすでに行われていたか、改竄を意思決定して、改竄前の文書とまったく違う答弁をしていたかしか考えられないんですが太田さん私の認識間違ってますか。」
「今の委員の御指摘は、まさにいつ書き換えが行われたか、ということの一定の仮定を置いて、ですから、そのこと、その質問については、誰がいつどういう目的で、と調査しておりますので、私にはお答えできません。」
「このときすでに、改竄後(の文書)を前提に答弁を作っていたということはじゃあお認めいただけますね。誰がとは言ってませんよ、いつとも指示がとも言ってません。改竄を前提に答弁が作られているということはお認めいただけますか」
「それは先ほど申し上げた通り、今の委員の御指摘は、まさにいつ、ということが決まっているという前提でのことでございますので、それは今まさに調査をしておりますので、お答えいたしかねるということです」
「3月の2日の時点で、改竄されているという御指摘であったと思いますが、今の私には答えられない、わからないというのが正直な答えでございます。」
「太田理財局長は、この数日間、改竄前の文書をもとに答弁は作られている、趣旨は変わっていないと答弁をしてきているんですが、3月2日の時点ではすでに改竄後の前提で作られているんです。申し訳ないですが、太田さんの答弁はもう破綻しているんです。フェイク答弁にフェイク答弁を重ねても真実にはなりません。
続きはトラバで
デレステでは無料10連が始まりましたね。さっそく引きました。フェス限SSR本田未央が出ました。
恒常SSR本田未央も持っていたので、本田未央は自分にとって初のSSR二枚持ちアイドルになりました。
しかし使う気にも育てる気にもなりません。
パッション属性のSSRはまだ合計7体程度、捨てるなんてもったいなくレベルも親愛度もMAXにしておいて損はないはずです。
しかしなかなか育ちません。恒常SSRの親愛度もまだ二桁に留まっています。
なぜかというと、本田未央のツラをプレイ中に見ることが苦痛だからです。
トリオやデュオ曲の隅っこに配置してお零れを与えるのが精一杯の状況のためさっぱり育ちません。
本田未央が自分のプロデュース対象になっていることが非常に不快でなりません。
そんな状態をいつまでも続けているとシンデレラガールズ自体嫌いになりそうなので、SSRが二枚も来てしまったこの機になぜこんなに本田未央が厭なのか考えてみました。
アニメです。
アニメで本田未央の魅力をどこにもみつけられなかったことです。
アニメまで、自分は本田未央がどういうアイドルなのかまるで知りませんでした。
アイドルマスターの番組はよく見ていたので、むしろ声を当てている原紗友里女史こそ面白い方として認識しており、その担当アイドルであり、パッション属性である。その程度の知識でした。
そんなモブ同然の理解だったCパートでぽっと出のアイドルが、狂言回しを担い、話を乱し、背中を押す。
非常な違和感を感じつつも、そのうち本田未央の個性や魅力が描かれるだろうと冷静に視聴を続けました。
アニメで本田未央の苦悩は描かれました。本田未央のリーダーシップも描かれました。
ネットの感想を読んでいく中で、ナイスバディが魅力であるらしいことは理解できました。
そこだけでした。
アニメ終了後の自分の中の本田未央は、自信過剰が治ることなく場違いな場所に居座り続け身勝手に自分の幸せを追い続ける市営住宅育ちの取り立てて華のないマイルドヤンキーでした。
まあ、人の好みはそれぞれです。
鷺沢文香も大槻唯も正直大して興味はありませんでしたが、SSRが来て触れ合っていくうちに魅力が理解できましたし、今は愛用しています。
でも本田未央はだめでした。SSRの二枚目が来てしまったとき、一枚目のSSRが一ミリも好感度上昇に貢献していないことに否が応でも気付かされました。
そして考えました。
良い家に生まれ気品よく育った「貴種」の娘が、父親の過ちで労働階級に落とされるも、王子に発見されて幸せな結末を迎える。
シンデレラとして見出される為には、「貴種」である必要があるのです。
アイドルマスターシンデレラガールズでは、その要素を表現する手段として「本人が知らない魅力」を用いています。
しかし自分の理解する本田未央は身の程知らずで自信過剰の万能感の塊です。
なにを実現しても、本田未央の知らなかった本田未央の魅力を引き出すことはできません。
そんな子が自分のプロダクションにいては場が乱れる。一体感が得られない。空気が読めない。
表現はなんでも良いですが、とにかく「自分の空間から排除したい」と思うようになりました。
これがどういうことかご理解できるでしょうか。
そうです。差別です。
理由は自分の思うアイドルマスターシンデレラガールズの世界に相応しいとは思えないから。
さて、差別という受けた教育によっては思考停止を余儀なくされるようなワードに考え至っても、自分はこの姿勢を無理に糺す必要は無いと思っています。
なぜなら、自分のプレイするデレステの世界は、自分だけのものだからです。
そして人の好みはそれぞれです。
しかし、LIVE PARTYで、イベントストーリーで、アニメで、ライブで、街頭広告で、本田未央が現れるのは当たり前のことなのです。
自分が嫌っている事実と、外の世界に本田未央がいる事実は両立しうるのです。
今後本田未央をこの中には入れない。
これは差別ですが、他人の介在しない世界で続ける限り精神衛生上必要なものです。
今、「ケーキバイキングで写真撮って食べずに帰るインスタ女子」をマツコが「ブス」と罵る画像が大量拡散されている。
以前はデコアイス屋でも「食べずに捨てて帰るインスタ女子が多い」とバズっだ。しかし実際検証に行ったら食べ残しは殆どなかったという。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/13518741/
アイスが捨てられている元画像にしてもインスタ女子がやったという証拠はなく、また食べ残しといってもアイス部分は食べられており残されているのはコーンだけである。コーンを残す人なんてインスタ以前にも大量にいたではないか。
それより前には、インスタではないが似た例として、糖質制限のため回転寿司でシャリだけを残す女性たちが急増と言われた。しかし、これもソースは「ネットで見ただけでニュースにするJCastニュース(リンク貼らない)で、しかも大手回転寿司チェーン店はどこも「そのような事実は承知していない」と答えているのに「ツイッターで見た」と記事にしているものだった」らしい。
https://twitter.com/synfunk/status/777866643498078208
https://togetter.com/li/1026527
このまとめで挙げられている三件のシャリ残しツイート画像だが、コメ欄によると全員男性のものである。
一枚目は筋トレ男、二枚目は実況者男、三枚目は(残してるのは女でも)報告者は男であり、しかもカップル単位では残していない。
つまり少し調べれば性別が分かるものを女だと決めつけられ、女叩きのためのネタにされ記事にされてしまったのである。
さて、今回のケーキバイキング。ケーキの値上がりがインスタ女子のせいといわれているが、スイーツバイキングに限らず外食ってどんどん値上がりしているし、ケーキだったら小麦粉もバターもたくさん使うんだし材料費の高騰が原因では?
インスタにドカ盛り写真を上げないし。多少多く食べられたくらいで影響出るようなら食べ放題なんてやらないだろう。
ケーキバイキングでは特に大人数のグループになると大量に食べ残して帰るというのはたしかによく見かける。大人数だと仲間のために多めに取るという行動を複数人が繰り返した結果収集がつかなくなることがよく起こるからである。ただしそれらがインスタバエであるというのは証拠もなく、当人の思い込みに過ぎない。
そもそも、この話題どう切り貼りされてるのかわからないけれど「今そんなことする女いるの!?」ってマツコが言うまでは男だ女だと誰も話してはいなかった。流行りのインスタ女子叩きしたいがために不確定な罪状作り出して言っていいことにしてるだけでは。
ふと思い出したので書く。
今は体を壊してナマポ生活だが、10年ほど社会人をやってきた。
その時、散々言われてきて、最後まで結局その意味が理解できなかった言葉がある。
なんだよ、心って。
このキャンペーンにこれだけの予算を突っ込めば、最低これだけ、最大でこれだけのリターンが見込める。
月間の売上予算目標がこれだけだから、最大の6割の結果がでれば予算達成できる可能性が高い。
俺はそう言う理屈で過去数年と直近数ヶ月の売上動向とその変動を見て妥当と思われる数字を出すことを心がけた。
「お前の思いが伝わってこない」
「分析はできてるがそれだけ」
参考に他の人間の書類を見せてもらったが、違いは分からなかった。
むしろそうやって見せてもらった他人の書類は、理屈や根拠となる数字が薄く希望的観測に頼ったものばかりだった。
心?心ってなんだ?
手書きの汚い字で書けば心がこもるのか?
何が悪いのかも指摘されない。
結局、人格否定、人生否定までにいたり、俺の脳みそはぶっ壊れた。
心、心ってなんだ?手書きで稟議書上げりゃ心がこもってるのか?
根拠のない数字を勢いのいい言葉でまくし立てるのが心がこもってるのか?
熱意があろうがなかろうが、筋が通って客の心をつかめばそれを理論化していけば売上の上がる理論ができるのではないのか?
そこに心が必要なのか?
すべて正解ではある。しかし性癖が 「拡張」できるということを知ってるひとは意外と少ない。
例えば普通のセックスAVを見るA君が居たとする。純愛モノのラブラブセックスAVでないとちんこも勃起しないとする。一例としてレイプモノを見せると拒絶反応を起こすレベルだと考える。
中身は違えども人は誰しもA君のような状態である。レイプモノは容認できてもスカトロモノは絶対に容認できないと考えている人は多いと思う。
はっきり言って、これは単なる嘘であることを言っておきたい。
味の好き嫌いを直せるように、実は性癖の好き嫌いも直せるのだ。
しかも性癖というものは味の好き嫌いと違ってもっと自由にコントロールすることが可能だと長年の研究により判明した。
それこそリョナであろうがスカトロであろうが射殺であろうが箱化であろうがダルマ女であろうがすべてのおかずで抜けるようになる。
しかし一体どういった 「メリット」があるのかと考えた人もいるかもしれない。
よく考えてみよう。人は最適なおかずを探すのにどれだけの時間を無駄にしているのだろうか?おかず探しに1時間ぐらいかけた経験を持っている人もいると思う。
これは業界では有名なことではあるがズバリ「おかずの最適化問題」である。
例えばランダムに掴んだおかずが自分が抜くに値する最適なおかずである可能性はかなり低い。
統計的に調査した結果、人がおかずを探してお目当てのおかずにたどり着くまでに平均で動画に4個、画像に60枚かかる。
そこでどんなおかずであっても抜ける人のことを考えてみよう。彼は文字通りどんなおかずでも抜ける。女優が思ったよりブスであってもブス好きの性癖があるので抜ける。逆に美人であっても普通に美人は嬉しいので抜ける。同じ要領でどんなおかずでも抜けることになる。
通勤中にiPhoneで聴くのは、最近はジャズばっかりだった。
前から好きな曲だったけれど。
つり革を握りながら、涙が出た。
そこでアルバム通して聴いてみると……。
全曲、泣ける!
「無罪モラトリアム」だけじゃなかったんだ。
「平成風俗」があったんだ。
気がつかなかったのは、鈍感だったからか?
いや、聴こうとしていなかったのだろう。
そうなのかもしれない。
唐突に終わらざるを得なかったあのバンドの、最高に洗練された、かがやく絶頂期。
それを知ったあとに聴いたからね。
眼が曇っていたかな、おれは。
じゃあ、より新しいものは、どうだろう。
どうしてアニメの浮世絵とかがだいたいクズかの理由を述べていく。
いくつかパターンはあるけれど、一番多いパターンは、単純に見れたものじゃないというレベルのものだ。
そんなものが売れるのは
っていう前書きがあるからだ。
手で作ったからといって、伝統技術で作ったからといって、機械が印刷したほうが綺麗なら、そんなものに価値はない。
おそらく、ここ数十年まではカラー印刷技術の中で最強の座を誇ってたと思う。
2枚の版木、赤、青で摺るとする。
1枚目で摺る。
1枚目の赤の版木が当たる部分、当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、つまり2色の世界。
2枚目の青の版木が当たる部分、一枚目の版木も二枚目の版木も当たった部分は赤と青が重なり紫に、二枚目の版木だけ当たった部分は青に、一枚目の版木だけ当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、4色の世界。
3枚の版を使えば、8色、4枚の版を使えば16色、理屈の上では指数関数的に色数が増える。
雑誌なんかで、表紙のすぐ下や、誌面の中頃に、一枚だけカラーページでグラビアやイラストのカラーページがあったりするのはわかるだろうか?
昭和の初期までは、あれを木版でやっていた。
しかも、浮世絵の時代と遜色ないどころか、それ以上に15度20度と摺って色を重ねて印刷していた。板を彫って。ばれんで摺って。
中でも、最もキチガイじみた雑誌はというと、毎号50度摺以上の手間暇をかけて、日本画の複製を誌面に挟んでいたある美術雑誌だ。
号によっては100度近い摺りを重ねたらしい。
色数の問題だけではない。
ほとんどの印刷技術は、オフセット印刷もシルクスクリーンもレーザープリントもインクジェットプリントも、色の濃淡を色の粒の"密度"で表現している。
木版で使うグラデーションをつける技法は、粒ではなく無段階のグラデーションをつけることが可能である。
人間が視認できる限界を超えたRetina Displayがでるまでは、真のグラデーションは木版の中にしかなかった。
そして発色である。
浮世絵の技術で摺られた絵は、直後に触っても、手に絵の具は移らない。表面には絵の具は残ってない。
紙の繊維の奥から、輝くのだ。
いつものように、能書きが長くなったが、
っていうことを強く打ち出した売り方だと、極端な話、出来のいい悪いに関係なく売れる。
普通の印刷よりも汚くても、「それが木版の味です」として売れる。
たぶん、下絵もどんな絵なら工数をケチっても綺麗に仕上がるかなんてことも考えていないし、職方に高いレベルは要求しないし、職方もそれを見抜いてそれなりの手間しかかけない。
企画元「安く版権が手に入ったから、斜陽産業の職人を安く買いたたいて作らせて、オタクに高く売ろう」
職人「どうせわかりゃしないから、材料と手間をケチろう。どうせ工賃も半額に値切ってくるんだろう」
っていう思惑が誰でもわかる。
みれたもんじゃない0点の浮世絵、これがアニメの浮世絵の約8割。
実は、丁寧過ぎるのも嫌いなので、それについてもややこしいんだが、それについてはまた後日。
様子見 RT @touya_huji: @kirik @Memo__Note @hamgorira 隊長がメタップスと佐藤 航陽氏をどう思われてるかも気になります。— やまもといちろう (@kirik) 2016, 2月 13
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「ベンチャー協議会 新井将敬」で検索してみるんだ RT @shiroki_k: @kirik 以前ヤフーニュースに書かれた「AppBankが上場承認されましたが、ステマ記事が多いのは問題ではないでしょうか」の記事で「一枚目からいきなりCFO廣瀬光伸という文字列を見て侘び寂びを感— やまもといちろう (@kirik) 2016, 2月 13
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
古巣? それはないんじゃないかな。あるとしたら、私らが訴訟を起こしたイメージエポック(この前倒産した)の取締役財務責任者が廣瀬光伸さん RT @yokohama_no_inu: @kirik やまもとさんの古巣というかなんというか。一部スレでそういう話が若干出てます。— やまもといちろう (@kirik) 2016, 2月 13
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
続きです。
こちらに一連の話の元となった安彦良和の「虹色のトロツキー」の格闘シーンの画像があったので、これを元に解説を試みてみます。
http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/archive/2013/09/11
なお自分ははてなで安彦良和のあとがきの引用を読んだだけで、作品「虹色のトロツキー」は読んでおらず前後のページとのつながりもわからないので、的はずれなことを言っている可能性が大いにありますご了承ください。題材とするのは、上記リンク先の安彦良和の一枚目、老柔術師範が青年の道場破り?を投げ飛ばす見開きです。
これがいしかわが指摘したシーンそのものかは知りませんが、ぶっちゃけて言うと、すごくギクシャクしていて、動きがないというか重みがないように見えます。
この見開きでは、以下の様な心理的な動きと物理的な動きの両方が示されています。
1:心理表現) 老師範が青年の力量を測るために組手に誘い、組んだ感触で何らかの判断を下した後に投げ飛ばした。
2:物理表現) 老師範が青年を組手に誘い、青年は勢いをつけて組みに行ったが達人技でいなされ、投げ飛ばされた。
左ページ2コマ目の二人が見つめ合っているコマを中心に、この見開きで老師範の心理的な動きを表現しているのですが、これがなんというか工夫のない書き方で、物語の心理的な動きを表現する一方で、物理的な動きの表現の妨げとなっています。
その原因は、大きく分けて2つあります。
まず右ページ最終コマで青年は画面左上から右下に突っ込んでいます。背景に流線を入れてスピードを表現しているにも関わらず、勢いを感じさせることに失敗しています。なぜなら、読者の視線の動きと一致していないからです。特に右ページの左下最後のコマというのは、左ページの頭に戻るための視線の動きが強く働くため、左上に向けた動きを読者に暗黙に想定させます。
もっというと、右ページの他のコマを無視して「このコマは青年が腹に前蹴りを食らって後ろ向きに吹っ飛んでいるところだ」と言われれば、そう見えてもしまうのではないでしょうか?
そして次のコマで、青年が老師範に組み付くのですが、このコマの画がすごく止まってます。もし青年がそれなりの勢いで組み付いたのなら、老師範はこの勢いを受け止めるために力を入れて押し返す(重心が前に出る)か、力を受け流す(重心が横か後ろに下がる)かをするはずですが、老師範はほぼ直立したままで受け止めています。読者はこのコマだけを見て、青年が勢い良くぶつかってきたと理解できるでしょうか?
もっと言うと、青年が勢いをつけたにも関わらず自分より小柄な相手になんの工夫もなく受け止められていて、なんというかこの人、体重ないのかな、という印象すら受けます。
おそらく安彦良和の意図としては、このコマの出来事は一連の運動のほんの一瞬であって、実時間上の次のフレームでは老師範が達人技で勢いをいなして投げ飛ばす、という流れを想定しているものと思います。ですが、一連の運動の流れの中から切り取るべきフレームはこの老師範が直立したままの瞬間ではなく、数フレーム後、投げ飛ばす技の初動の体重移動が入った場面を、デフォルメを入れてでも運動の方向をわかりやすく描くほうが、より伝わりやすいのではないでしょうか。
そして、この組み付いた瞬間から最後の投げ飛ばされるコマまでの時間経過がわからない、ということが二つ目の問題点となります。
組み付いたコマから青年が投げ飛ばされる左ページの最後のコマまでの間に、二人が見つめ合っているコマと、老師範が力をいなすために体を沈めるコマの2コマが入っています。
もし一連の流れが一瞬のうちに起こったことだとしたら、読者がそのスピードを体感する、言い換えると読みのスピードと事象のスピードを一致させるためには、この2コマをすごい勢いで読み飛ばす必要があります。(もし事象として数秒間組んだまま止まって見つめあっているのだとしたら、前述のとおり青年の勢いをどうやって受け止めたかが謎になり、やはり運動の表現としてはおかしいという結論になります。以降、一瞬のうちに投げ飛ばされた説を取ることにします。)
前稿でも書いたとおり、マンガにおいては一枚の平面の中に、空間と時間の両方が並列に表現されています。それぞれのコマや間白がどのくらいの時間経過を表しているかについて、基本的にルールはありません。読者がコマ構成や文脈から自由に読み取ることになります。そのため作家は、どのコマどの間白がどのくらいの時間分節になっているのかを読者に伝えるために様々な工夫をする必要があります。
これには単純な方法があります。短い時間の出来事のコマを小さくすることと、視線の流れの中で並行になるようにコマを並べて、同時に起きた事象として表現する方法です。
この例では、これらのいずれもとらず、なぜか組み付いた瞬間のコマが大きく描かれています。さらに追い打ちをかけるように、二人が見つめ合うコマを重ねています。心理的な表現としては機能しているのですが、多分普通に読むと、この見つめ合うコマで読者は1秒弱くらい止まります。イコール、組み合った瞬間から投げ飛ばされるまでに1秒止まっていた、と読み取られる事になります。読者がそう読んでしまうと、一瞬で投げ飛ばされたという説得力をかなり失うことになります。
まとめると、この2ページの間に、どのくらいの体重の人間がどのくらいのスピードで跳びかかって、組み付いた瞬間の衝撃はどのくらいで、どのくらいの時間組んだ状態でいた、もしくはほとんど組んでいなかったか、どのくらいの勢いで投げられたか。そういった運動的な情報をマンガという手法を使って表現することには、まあ控えめに言ってあまりうまく行っていないな、とこの見開きを見た限りでは感じます。