はてなキーワード: リスペクトとは
むしろ恨みなんかまったく無いの。
ただ単にさ、おれ個人の経験として、おれ個人の “おれ統計” として、「うわあこれは寒い」とか「すげえきもい」と思うコメに、かなりの確率で青いイカ(以前はソウルジェム)のアイコンが付いてるんだよ。そんで、そこにそこそこスターが付いてたりすんの。微妙にスター付いてるから視界に入る頻度もどうしても上がって、そんで見るとやっぱりくっそキモいしまったくつまらないの。
繰り返すけどほんとに恨みなんかなにも無いんだよ。むしろ誰だか知らないし、ぶコメ以外の場所で見た事なんか一度もないし、誰だかどうかなんてほんとどうでもいいの。はてな歴長いらしいけどそれとかすげえどうでもいいし、有名人だとか、匿名なんだしそれって本当にどうでもいいことじゃない。
ただただ、おれにとってつまらないしサムいしキモいと思うコメントに、圧倒的な頻度であのアイコンが付いてるんだよ。こっちも不思議なくらいなの。「あ、またこのアイコンだ」と思うの。それが幾度と無く繰り返されるわけ。もうね、すげえなって思う頻度で同じ感想を抱くんだよ。
別の見方をするとさ、それっておれの背筋を凍らす天才的な才能を持っている ってことでもあるわけじゃない。なんでおれが嫌いな感じがそんなに分かるわけ?って思うの。ものすごい打率なわけ。
どうしてそんなに不快のツボを刺激できるのか、不思議なくらいにズバッと、つまらなすぎてムカつくレベルのコメを付けるんだよね。
たまにおもしろいことがあるならいいんだけど、おもしろいと思った事が一度もないんだよ。他のはてな有名人だと、有名になるのが分かるレベルのおもしろい事をたまに言ったりしてるから、そこそこ納得感あるわけ。あまりはてなの歴史に詳しくはないけど、でもおもしろいから有名なんだろうなと思う人が多いんだよ。
でも彼は違う。もう1つ1つのコメに、それがどうしてサムいのか解説を付けたくなるレベルでいちいちクソいの。
最近のwin-winとかいうやつだって、ただwinと窓のwindowのwinが同じってだけで、そんなもんおもしろいわけないだろ、ふつうに考えたら。窓が2つあって、win-win、wiondowが2つだからwin-win!おもしろい!とかアホかっつの。そんなもんおもしろいわけないんだよ。びっくりするよ。そんなの小学生だって言わないよ。ボケてだったらむしろまとめサイトでサムいボケでまとめられて捻りが無さ過ぎるとかって説教されるレベルだよ。おもしろいわけなさすぎて逆にいまは笑えてきたけど、しかもそんなのにそこそこスター付いてたりすんだよ。驚きだよ。いったいどういうセンスしてんだよ。あ、1周回っておもしろい とかいう便利なやつ禁止な。
あと、もうひとつクソいと思うのは、大喜利ぶコメでもない時に、他人が書いたネタ記事に自分がいま考えたネタをいちいち被せてくるところな。記事に対しての感想とかコメントではなく、てめえがいまさっき考えた別のネタを持ってきて被せてきてスター貰っておれって人気者とかいって喜んでやがる。スター付けるヤツも付けるやつで、おれ予想ではおそらく最近流行りの生主とかいう生き物をマスクを付けてじとっと見つめてるBBAどもみたいなそういう連中だと思うんだけどさあんなのにスター付けてるのって。
とにかく、俺のほうがおもしろいと言わんばかりに、てめえのネタをぶコメにぶっ込んでくる畜生。それが大喜利の流れだったらいいんだよ。つまらないだけだから。そうでもない、誰かが考えたおもしろいネタ記事に、自分の考えたつまらないネタをいちいち被せてくるのが最高にウザいんだよね。記事書いた人へのリスペクトがねえんだよリスペクトがよ。おれの方がおもしろいだろ感がすごいの。
飲み会とかで、誰かがすごいおもしろい話をしてるときに「ウチの知り合いもさぁ!」とかいって、ぜんぜん関係ない自分の話を急にぶっ込んでくるヤツいるじゃん? もう完全にあれなんだよ。
おめえ、いまこの人の話をみんなで聞いてるのに、なんでいきなりおまえの話をしだすわけ?っていうあれね。周りもすごい微妙な感じになって「へ、へー」とかいうしかなくなるあれ。
あの感じをぶコメで完璧に展開しやがるんだよあのイカは。 だから個人的に全力で嫌いなの。恨みはなにも無いけど、本当に嫌いなの。だからどうってことでも無いんだよ。みんながどう思おうとどうでもいいんだけど、おれは自分で笑っちゃうくらい嫌いなの彼が。
でもおれはべつにネットに美しさなんて求めてないからブロックはしないの。ネットなんて玉石混交、それも多様性の一種として認めるし、いきなりぶち当たる蓮コラ見てギャーとか言うのがネットなわけで、別にウザいからブロックして見えなくする気は無いわけ。
むしろね、ぶっちゃけ怖いもの見たさの気分もある。サムすぎるから。毎回、鳥肌たつんだもの。そういう意味で笑えるからブロックはしないんだけど。
でもやっぱ、何度見ても、毎回まいかい、完成度が高すぎてツラい。どうしたらそんなに不愉快な気分になるコメ付けられるのかほんと不思議。
まあこんなこと書かれるのも有名人は災難だなあとは思うけど、コメントが個人的に死ぬほど嫌いなだけでそれ以外はなんでもないし、世間に彼の中傷をまき散らそうとも思わないし、こんなこと他に言ってる人見たこと無いからこれを誰が書いてるのか注意深い人には丸わかりだろうけどべつに隠す気もないしまあかんにんな。ただおれはほんとにヤツは童貞だと思うぞまじで。あの振る舞いはいい歳こいてガキのままの童貞って感じがする。
言ってる事自体が間違ってるとは思わないのだが、どことなくフワフワしててけむにまかれている(筆者自身が「ガハハハ」と言う感じがする)から聞いていて納得出来ないのは僕だけかしら?模倣とパクリは違うし、模倣したものを出す時にかっこ良くならない、元ネタへのリスペクトや根回しが不足してるといった事態があれば、批判されてしかるべきだと思うのだが…。
なんだろう…やまもといちろうのようなキレがない…。
切り込み隊長繋がりらしいけど、なんか、切るというよりもはたくいう感じ…ああ…そういうことか。なんかキレ方に重さがないなぁ…と思ったらそういうことね
思ったよりも中川さんのツイートが長いよ~><追いかけて連続RTしてるけど、フォロワー減るんじゃないかと心配になってくるほどの連続RTになってきたぞ…
キレた時こそ何が言いたいか的確にしないと、本当にただの散文になって、怖いだけの得体のしれない人になっちゃいますからね…。少なくとも僕はそれを避けてます
kanose 本人、キレた時に何が言いたいか的確にしてるつもりらしい! ヨークシャー・テリアショック!
評判が評判だけに中川さんにはもうちょっと期待してたのですが、思ったより残念な仕上がりなんですよね…。覗き始めたから終いまでみますが、かなり後悔してます。(RTは減らします。すいません)
kanose 出~勝手に期待して勝手に失望奴~。っていうかこの豚まんこの勝手に失望メソッド使いすぎ。ライターに対する悪口ほとんどこればっかりでバリエーションなさすぎぃ!
これが我々の業界(ブログ界隈)では最上位の一人と言われてるから悲しくなる…。「敵に回すとめんどくさいけど、味方にすると頼りにならない」…どっちかというとそれ、本物川とかkanoseのことじゃねーの…?まぁ、味方されたことないけど、彼らの援助でうまく行った・幸せになれた信者の存在も聞かないし…この連続投稿を見て褒めてるんだから、はてなのレベルの低さにがっかりしました
kanose 発作です。
この連続投稿を見て褒めてるんだから、はてなのレベルの低さにがっかりしました
はてなのレベルの低さにがっかりするの何ヶ月ぶり何度目?3ヶ月ぶりであることは確かです。
kanose 違います。1ヶ月前にもがっかりしてます。記憶力なさすぎる。
はてなブックマークのおすすめユーザーのところにkanoseを出すの、やめて><3年半も前から存在は知ってるし、リアルでもお会いしてるけど、お互いがお互いフォローしてない時点で、そういう関係だといい加減察して><
なんてことを書いてるトラバがあったけど、これって当たり前田のクラッカーだよね。
そこにリスペクトがあるかないかが大きな問題となるわけで、研究者なら注釈つけて論文に載せるし、
デザイナーなら許諾を取ったり、もっと言えばその画像なりデザインを持ってるところに金を払う
わけだ。
科学者とかは実績がものとして出来上がるからわかりやすじゃん。
デザイナーとか言い方次第みたいなところがある気がする。
そういうのは違うところは違うかもって思う。
小保方さんとこは実績が物を言うのに加えて期待されてたから期待の分だけ持ち上げと落差が激しかったみたいだし。
なにかの菌でガンが治るとかだれも期待してないし科学的根拠を示せとか面倒だから放置してる。
芸術系は似てるとかパクリとかいうのは感性だからイメージが実績になるものかなって。
東京タワーはエッフェル塔のとかキャラクタ名がバンド名の漫画やストーリーそのまま自分の絵にした作品は著作権侵害してるのかとか。
オマージュとかいう類のものとか経緯が説明不要で理解される率が高い物とかデザインが似ている場合でも受け入れられてるものはいろいろあるとおもう。
状況の説明方法や収益の回収方法もデザインに含まれているような気がする。
どうしたら引っ込まずに済んだかを考えると小保方さんは実績が物を言う世界なので実績として方法はすべて無視してもSTAP細胞さえあれば生き残ったかもしれない。
言い換えるとSTAP細胞に賭けていたんだから共に滅したと言えるかもしれない。
佐野氏のデザインは形はどうあれ支持される状況をデザインできていれば擁護されたかもしれない。
オマージュのつもりがパクリといわれたりパクってみたのを黙っていたらリスペクトしてるといわれたりすることはあるんじゃない?
それがどうしてそういう結果になるのか素人にはわからないけど心理的にとか状況的にとか研究して学習してきた人がすることにはそれなりに意味があると思う。
出来ていなかったら結果はそれなりに出てくる物ではないかなと。出てきた結果がこれではないかと。
すでにそれぞれの分野で失敗している今でも、指にSTAP細胞ついてましたすみませんといえば復帰も支持もされるのではないかと思う。
パクリデザインも今だからぶっちゃけるけどベルギーのデザイナーとも旧知の仲だしタイポグラフィーは先生に師事してたんすよ、っていえばそうでしたかごめんなさいって言われると思う。
その短文だけで形勢逆転の「パクリはオマージュでした」って認識に変わるんじゃないかな。
そう考えると細胞が出てこない限り小保方さんは出てこれないと思うしデザインの説明を自分たちの説明抜きに理解しろ受け入れろの繰り返しでは出てきようがないんじゃない?
狂ってるとか一度ついた「穢れ」とかそういう曖昧なものではなく、はっきりした戦略ミスじゃないかな。
巨大チェーンが不正を行っていたとして文句を言われるのは真面目に働いている店員だったりするみたいな所について、業界全体がと言ってあげるのはちょっとかわいそうとは思う。
悪があるとするならそれらの当人に「やれ」と言った人GOを出した人、または勝手にGOする管理不足だった人かもしれないね。
そういう意味では「才能の芽を摘むな」と批判に対して噛みつきたく気持ちもあるだろうなってことは理解できる。
彼や彼女がどういう状況にあったか、状況そのものに生産の価値があるという聖域があるというのは一理有ると思う。
聖域を一般開放するとか人々に歩み寄り理解を求めるというギャップの埋め方という解決方法もあるかもしれない。
他に権威を守りつつ、聖域として残して置きつつ、切り捨てず生かす方法もあるかもしれない。
経歴や背景の捏造といった酷い物になる可能性もあるけど成果を守るのか人を守るのか組織を守るのかで方法は変わるんじゃないかな。
xevra先生は一定の話題に一定のコメントを返す装置なので深く考えても仕方ないぞ
・普通は断定をためらうようなことでも必ず言い切る
・常に上から目線
あと、はてブに上がっている糞まとめブログは見ないようにお願いしたい。
こちらキタニが販売しているナナ・ディッツェルのND-01イージーチェア。
ND-01(ソファ・ソファー) / Kitani - 家具 TABROOM(タブルーム)
こちらマルニが販売している深澤直人のRoundishシングルシートソファ。
Roundish シングルシートソファ(ソファ・ソファー) / maruni - 家具 TABROOM(タブルーム)
一見して、全体の形はとてもよく似ている。
しかしRoundishの名のとおり深澤直人デザインは背もたれが丸みを帯びており、
骨組みも継ぎ目なく作られていて、内側の角が丸くなっているのが分かる。
骨組みとクッションの固定の仕方も違うようだ。
クッションの厚さがだいぶ違うので座り心地も異なるのではないか。
また、Roundishシリーズではソファの前にチェアが発表されている。
Roundish チェア(張座) | マルニ木工オンラインショップ
少なくとも「何もないところから他人のデザインをそのままパクってきた」とは言えないのではないか。
個人的な結論としては、「まったく無関係に作りました」とは言いがたいが、
「ナナ・ディッツェルをリスペクトして現代風に作り変えました」と言われれば納得できる。
あるいはマルニが「ナナ・ディッツェルのあの椅子みたいなのをデザインしてくれ」と注文した可能性もある。
「良い」か「悪い」かの二択ではなく「どの程度の良さ/悪さなのか」を考えたいものだ。
以上だ。
https://www.facebook.com/pages/Zaricor-Originals/109247355769680
The red sun slightly to the right or the east is self explanatory. While it serves as the sun and Japanese spirit it also symbolizes the flame in the Olympic torch.
Below is a great wave, dominated by the spirit of the sun. The wave is also in the shape of a T representing Tokyo and also symbolizing the torch itself. Both these 3 meanings in the torch and the sun also relate to the 3 marks of existence.
The font styles on TOKYO 2020 and the spacing of all elements as well as the size of the Olympic rings will be tweeked as I continue the larger finished painting.
Although the design will change slightly and become more refined as I continue this is the basic idea and all seeing may serve as witness.
I hope this serves as a testament of my respect for creativity, the Olympics and the wonderful people of Japan.
Thank you, Benn Zaricor
少し右、あるいは東(※the eastは英語だと東洋を指すことがある)にある赤い太陽は、それ自体が説明的だよね。太陽と大和魂として機能する一方、オリンピックの聖火の炎を象ってもいる。
下のはグレートウェーブ(※葛飾北斎の神奈川沖浪裏は英語だとThe Great Waveとして知られる)で、太陽の魂に気圧されている。波はTの形にもなっているけど、これはTokyoを表すのと同時に聖火のトーチ(torch)自体を象ってもいる。聖火と太陽の3つの意味は、三相(※仏教で無常、苦、無我のこと Wikipedia。ただし、これはタイなどで信仰される上座部仏教の話で、日本などの大乗仏教とはちょっと違う)とも関係があるんだ。
TOKYO 2020のフォントのスタイルや、全要素のスペース処理、五輪の大きさなんかは、もっと大きな完成版の絵の作業をしていくうちに修正されるよ。
作業をするうちにデザインは少しだけ変わって、もっと洗練されるはずだけど、これが基本的なアイディアで、見えるもの全てが証拠品となるだろう。
これが、創造性、オリンピック、日本の素晴らしい人々に対する、僕のリスペクトの証になることを願っている。
ありがとう。 Benn Zaricor
ちなみにロケットニュースによる訳
http://b.hatena.ne.jp/entry/rocketnews24.com/2015/08/17/621055/
「少し右側、すなわち東側に赤い太陽があるのは自明のことです。それは日の丸と日本人の精神を表すとともに、オリンピックの聖火の象徴でもあります。下には日の丸のスピリットに支配された大きな波が描かれています。この波はまた、Tの形をしています。東京のTであり、聖火(torch)の象徴でもあります」(Zaricor Originals Facebookより引用)
「アーティストは政治的主張を行うべきではない」、「作品で語れ」。
なにもかも職人偏重文化のせいだとおもう。与えられた枠内で技術を研ぎ澄まし、寡黙にプロダクトを作り続ける「職人」への憧憬。それをアーティストにも適用してしまったことがそもそもの悲劇だ。
日本のアーティストは根っこの部分で表現者であることを求められてはいない。製造者たれ、ということだ。なんだってプロダクト扱いしてしまうのだ。美術品は金銭に還元できるものであり、究極的にはコンビニで売っているヤマザキのクリームパンと等質であると信じて疑わない。
なので、先日のオリンピックエンブレム問題を見てもわかるとおり、高度に訓練されたデザイナーやデザインはリスペクトされない。
日本人の美意識は今後百年、楽天の通販サイトから一歩も前へ出ないだろう。
ところで「アーティストなら作品ですべてを語れ」という言説は一見かっこ良く、筋が通っているように思われる。
ひとつは、表現活動はストレートに言語化できない領域を扱っている場合が多い、ということ。
明確なテーマや社会的政治的なメッセージやイデオロギーが作品内で直截的に説明されている作品や作家も世の中にはある。
しかしエンターテイメントの分野においてはリーダビリティの都合上、そうした主張は糊塗されていることが多いし、アート作品ならばそもそも既存の言説言語では語りえない(表現者自体の言語能力はさておき)ことを表現したがったりする。
ありきたりな言葉でいえば、数行のセンテンスで説明できる内容ならそもそも小説や絵や漫画や映画や写真や音楽などにせず、論文なりtwitterなりで発表するはずだ。そして、現にそうしている作家も少なくない。政治的なアーティストたちは、単に媒体ごとで最適かつ合理的な伝達形態を選択しているにすぎない。
だというのに、バカは不合理を強いるのが好きだ。
もうひとつは、作者にはテーマが選ぶ自由がある、ということだ。
あなたが政治的なレベルでピーマン嫌いだとして、戦国時代を扱った作品でピーマンの栄養学的劣位を述べる必要はまずない。
表現者の義務は自分のすべてを伝えることではけしてない。むしろ、自分の要素のうち何を削ぎ落とすかが重要になってくる。これも伝達における最適化の問題だ。さきほども言ったように、簡単に言語化できる政治的言説を人びとに伝えたいのであれば、それはそのまま作品を通さずに主張するのが合理的なのだ。
ぎりぎりまで絞った作数を重ねるうちに、全体を通じてひとつ芯の通ったテーマが浮かび上がってくることもある。その芯は作家性とも呼ばれる。だが、残念なことに作家性はたいがい作家個人のコンプレックスやトラウマに直結している。社会性などない。
選ぶのは自由なので、もちろん、社会的なメッセージ、政治的なメッセージを作品を通じて生に近い状態であれオブラートにうまく包んであれ発信する作家も多い。それは彼らがそうした方が受け手に伝わりやすいと判断したからだ。やはりそれも作家個人における選択の問題であって、乱暴なアフォリズムで普遍化されるべきものではないんですよね。
皆が底辺になってほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20150803122717
これ書いたんだけど。
俺がモテなかったのは、ブサメンどうこうより、性格とかそっち系のせいらしい。
皆は、俺が努力してる間に、別にことで努力してたから、彼女いたり、結婚してるらしい。
分かってんだよそんなの。俺だって現実逃避で能力上げてるんだよ。現実見てもいいことないからね。
だけど、俺が数学で解けた問題、大半の人が解けなかった。そういう時が確実にあった。皆は数学で努力不足だったのは事実だろ?
なんで、その俺の努力が、一向に見られないのか。学歴だけできるクズ、金だけある雑魚。そういう扱いかよ。
これはうらみをもってもしょうがないだろ。同じ立場ならどーよ。必死にやってきたことがまったくだね、みたいなの。
そうだよ、分かってる、客観的にはそりゃそうだよ。学歴がどーしたよ。ってなる。でもまあ金は強いよねって思う感じかな、客観的に金は強いしなあ。
分かってるんだよ。外見とかも、一応努力とかなんとかあるんだろ。そういうのを認める意見も分かる。
だけどさ、整形が努力です、酒飲めるのが努力です、貧乏なのにファッションに突っ込んで背伸びしてます。こういう奴らが積極的に肯定されるのは、頭来る。
いやもちろん、感情論抜きなら、利益が出せてるんならそいつは認めないといけないのは分かってる。分かってるが。
俺が努力しても絶対手に入らなかったもので言われてしまうと、屈辱。
俺が劣等腫だってことじゃねーか。
いやまあそうなんだろうけど。
その劣等腫だとののしる奴らが、まともに物理の問題すら解けずに成人してたりするのが、また腹が立つ。俺がした苦労をしてこなかったわけだ。
まあ、騙されたよ正直俺は。国っていうか、社会の洗脳っていうかな。中身=勉強できる。とか、知的とか。そういうことに騙されて、恥ずかしくも文学や哲学に傾倒しちゃったことあるよ。
だけどさあ。そりゃ騙されるよ。だって、いかにももっともじゃん。勉強したら、強いぞって。ユダヤ人とか、金が無くても教育投資しまくるんだろ?それで世界一優秀な民族かつ、世界を牛耳って、ノーベル賞なり、金持ちなりバンバン輩出してるじゃん。
俺も、そうなりたかった。俺もそれが正しいっていうアル意味、宗教っつーかな。そういう思考を受け入れて生きてきたんだよ。
それが、なんだ。ウエーイ?みたいな?そういうのが圧勝って。どうなってんだよ。
そんな世界、滅べよクソくだらねえ。
ってなった。
これを、メンヘラだという奴がいるが。俺は精神科言ったが、n.p.(異常無し)だった。まともな正常なメンタルを持ってる中で、こういう結論に至ってしまった。
俺がこじらせてる、という意見があるが。
「400字以内でウエーイの根拠を述べよ」みたいな論述問題だして、どの程度解けるのか逆に聞きたくなった。これ学歴厨の特権ね。
あとさ、俺のこと、たいした学歴じゃないっていうが。多分、俺ほぼ全員に勝ってると思うよ。文句無いはず。
いやようするにさ、俺が負けるにしても、ウエーイはなくね?って思ったんだよ。ウエーイが勝つくらいなら、滅んでくれよっていう。
もう少しさ、人類より圧倒的にレベルの高い宇宙人がやってきて、人類征服。こんくらいなら納得できるよ。仕方ないよなって。
でも、さ。ウエーイは、マンモスみたいに、道具を開発すれば人間側勝利できそうじゃん。
まあ、仮に、確かに。この世が底辺であふれて、ウエーイなんて余裕がなくなったとしても。
俺のターンは来なさそうだねってのは思った。
なんつーか、俺も他人も、皆宇宙の塵芥(ちりあくた)だろ?っていう根本的な無力感と結びついて客観的に正論に思えちゃうのがまた。
そう考えると、学生時代の女からの扱いとか、スクールカースト、あの土壌が良くなかったんだろうな。
あれで、最下層の扱いをされて、流石に人間をリスペクトする気持ちは失せた。勝ってるほうが勝つでいいんだよね、ってなるほど納得した。
それを作った奴らが、平気で他人をリスペクトしてますってのは本当に納得いかないけど。
世間の95%には関係無い5%の奴らの恨みや論理的な齟齬なんて、どーでもいいからね世間には。
だけど、海外とかじゃ、俺みたいなの本当らしいじゃん。
ナードとかいう、カースト最底辺の奴らは、学生時代はいじめられてるけど、将来は勝ち組が出るから、そいつらが社会を支配して、ジョっクとかそこらへんのカーストトップをいじめるってのが普通らいしじゃん。アメリカでは当たり前の概念だし、社会通念としてあるんだよね。
あと、あれだ。俺みたいに、女が抱きたいみたいなのは、もちろんとして。いじめられてたナードのホモって、ジョっクに対して性的な興味があるけれど、クッソむかつくっていうアンビバレンス抱えてるっていうのも結構社会通念として成立してるらしいね。
俺もまさに、馬鹿にされてきて、それでも女を求めるっていうそういう気分なんだけど、日本では納得できない感じの概念みたいだね。日本のほうが協調性高くて頭いいからかな。
こっちが勝ったらちゃんと相手に従わせる、絶対緩めずにいじめ続ける。論理的な正論はこちらにあるってなったら、ひたすらいじめ続ける。
いまさらカーストでどう扱われても、底辺で扱われたことは一生忘れない。そういう人間性が人間に普遍的にあることは絶対に忘れられない。
まるで、レイプされた女が、男全体を恨むようだけど。実際男にはだれしもそういう部分あるんだろって一生男不振になるみたいな。
そういう感じはあるが。
パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。
デザイナーがロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。
(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)
案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。
2文字以上の要素をロゴマークに共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、
2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するときに
プログラムのプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。
所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。
色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと
パっと見て判る物がいい。
そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。
形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。
どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。
と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。
このプロセスと似たような形をベルギーのデザイナーも踏んだはずだ。
中村勇吾が言う「すごく基本的な形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。
言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人がボケを説明するくらい恥ずかしいもの。
だから精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。
それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。
こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。
まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。
そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。
(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)
同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。
以上。
望むと望まざると関わらず、権威を持つということは、そういうことだ。
今回は映画関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「誰がどう見ても駄作」の批評への信頼度は高いが、そうじゃないときは個人の限界をモロに露呈させているからさ。
例えば、調子に乗って無意味な続編を作った映画として、私は「トワイライト・サーガ」系列をよく挙げるのだが……。
おっと、勘違いするなよ。メインターゲット層にのみ視点を絞っていえば、「トワイライト」はその役目を間違いなく果たしている。
ただ、分不相応に流行り、調子に乗って無駄な続編を作ったのがダメというだけさ。
特に、そのシリーズの中でも「エクリプス」は、蛇足と駄作の境界で反復横とびしているような出来でね。
シリーズも板についてきただろうに未だ大根役者、デフォルト顔がお口ポカーンヒロインのベラ。
少年雑誌のラブコメ漫画も失笑するレベルの、「ニュームーン」での不自然な三角関係を無理やり継続。
明らかに吸血鬼エドワードのほうになびいているのに、ベラが狼男ジェイコブにキスを要求したときは、新喜劇ばりのズッコケをしてしまったよ。
シナリオも、シリーズ全体から考えて不必要だと断言していい内容の薄さ。
唯一褒めたいアクションシーンすら、カップラーメンができるのすら待ってくれない。
75点だ。
「トワイライト」、「ニュームーン」よりも高い点数をつけてしまったんだ。
しかも、あのサイトではかなりいい方だということも、信頼を損なうには十分な理由だね。
最終作で、無駄にパート1、2に引き伸ばした「ブレイキング・ドーン」の批評?
ないんだな、これが。
あと、これは私にとっての例で、他にも明らかに変な点数をつけて批評をしているから、試しに探ってみるといい。
とはいえ、これは超映画批評に権威なんてないという話なだけで、そもそも個人の感想なんてアテにならないものさ。
もちろん誰にだっていえるが、大事なのは君が実際に観て感じた体験、それこそが真実なんだ。故に、己自身という「個」に勝る評論家は存在しない。
批評がなければ映画が観れない、或いは批評を読んだだけで映画を観た気になるような輩でなければの話だが。
まあ、色々けなしたが、酷い低得点のときは割と信頼できると思うので、あのサイトは話半分で読むことをオススメするよ。
その二択だけ?……じゃあ、スーパーマンで。
バットマンはカッコイイかもしれないが、私からすればあれはコウモリのコスプレしたおっさんなので。申し訳ないが。
私がそう思うのは、やはり数十年前のTVドラマの影響が強いね(OPでひたすらバッマーンっていうやつだ)。
ファンにとっても、バットマンを世間に知らしめたという意味で功績は評価するが、いかんせんコメディ色の強さが今のダークな世界観を好む層には合わない。
映画でバットマンが、ボンバーマンのように爆弾を持って走るシーンや、サメを撃退するシーンはいま見ても面白いが、滑稽すぎるともいえる。
残念だが、いまのバットマンに望まれていないんだ、そういうのは。
私だって、好きなバットマンの映画を挙げるなら「マスク・オブ・ファンタズム」を挙げるしな。
とはいえ、アニメイテッドシリーズのとあるエピソードで、TVドラマ版バットマンの俳優が声優で参加したこともあるし、やはりTVドラマ版を無下に扱っちゃダメだとも思うんだ。
くれぐれも、リスペクトを忘れないことだよ。
「ダークナイト」の吹き替えを観た時、声優がちゃんとクリスチャン・ベイルのバットマン喋りをマネしていて吹き出しそうになったんだが、つまりそういうことだ。
自分は文章を書くとき、なるべく見てくれた人がほっこりする文を書きたいと思っている。
幸せになれる、は言い過ぎかもだけど、親身なレスポンスを貰えたらいいなって思いながら書いている。
読ませるというより読んでくれる文とでもいうのだろうか。
なるべく書き残すなら前向きな内容の方がいいと思って、そう心がけるようにしている。
経験則上、人や世間なんかに対してヘイトを綴ると、あとで読み返した時に気分が下がる。
なので、そういう文はさっさと流れたり埋もれたりするTwitterとかに書く。
どうしても書きたくなったら、怒りは抑えて最低限の内容のみを書く。
ただ、精神衛生上やっぱりこういった愚痴は書き残さないほうがいいとは思っている。
あと、思いつきや衝動に駆られるがまま文章は書かない方がいい。内容がめちゃくちゃになる(たんに構成力の問題だろうけど)
思いついた内容は推敲したり寝かせたりする。寝かせすぎると腐ってしまうので2週間以内くらいにはアウトプットするといいと思う。
批判する文章に反対というわけではなく、そういう話もあるだろうけど、前向きに受け取れることを書けないかと自分は考える。
幸せなアウトプットをする最大のコツは、幸せそうな人を周りに置くことだと思う。
いじょ!