はてなキーワード: リア充とは
脳は14歳前後で深刻なセキュリティホールが発見され25歳前後でやっとパッチが配布される仕組みになってるから、
セキュリティリスクを抱えた状況で下手に動き回らないってのは、デジタルタトゥー全盛の現代において理にかなっても居るんだよ。
「ネカマ画像」辺りでググってみろ。未熟な脳味噌でとりあえず走ってみた(あるいは走らずには居られなかった)男子高校生の屍が見られるから。
「走らずには居られないほど衝動が強くなくて良かった」「パッチ配布後に動いて良かった」と思えるだろ。
はてな民が「ラッキーリア充死ね」と思いながら横目で見ているような連中は、人から羨まれるような人間関係を、思い出すだけで「ウッ……ウワァァァァァーーーーーーーーーーッ!!!!!! ヒィィィィィィィイイイイイイイーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!」と七転八倒したくなるような記憶とトレードオフで得ているんだよ。
ただ対外的に語られるのはフィクションのように美化された話だけだから、ただただラッキーなばかりの連中に見える。そんなことは無いけどな!!!
あと非モテにとって女子高生はイケメンをチヤホヤしまくる存在に見えるかもしれないが、女子高生くらいの年齢は本当に理不尽に、意味不明な理由で冷めるから。
「女子高生は打算的ではない」と美化して語る奴らも居るが、打算的ではない分純粋に残酷で、「生理的に気持ち悪い、無理(笑)」を何のためらいもなく言い放つ。
彼氏であろうが、元彼氏であろうが、気持ち悪いと感じたら、即気持ち悪いしマジ無理だし消えてほしい。
それも未熟な脳だから仕方がないわけだが。非モテは女子高生の体だけ欲しがるが、そんなものはバーチャルにしか無い。傷つきたくない奴はバーチャルから出てこなくて結構だ。
最近になって初めて「卒業アルバムの真っ白のページの意味」を知った
僕の内定先の企業は(最近よくあるみたいだけど)内定者用のSNSというものがある
事務連絡等もそこでされる場合があるので必然的に見ることになるわけだが
みんな海外旅行にいっただのなんだかのイベントにいっただの書き込んでリア充アピールを全開にしている
どうやら関東の内定者で飲み会なども定期的に開催されているらしい(僕は都内に住んでいるがそんな連絡はきてないしそもそも他の内定者の連絡先も知らないし聞かれてもいない)
一方僕は今までもそうだが、大学でも友人は皆無で
卒業旅行などいくはずもなく
最後の働かなくていい期間ということで毎日朝から晩までゲーム漬の生活だ
「卒業旅行はどこにいくの?」とか「最近なにしてる?」と聞かれる
そのたびに笑ってごまかしている
僕自身は自分の生活に不満はないし毎日趣味に没頭していて楽しくて仕方ないが、人事からは「こいつは協調性のない奴だ」なんて思われて評価に影響するのではと心配になる
自意識過剰なんだろうか
結構、自分の気持ちを整理することとか、話して見ることって、私のようなコミュ障には、大変だな。
自分の気持ちを上手く話せない、
子供の頃や中学でもケンカしたこともあるけど、なんだろうな。中途半端だったな。
以下ループ。
みたいなさ。
キョロ充っていうのか、表面上は、物わかりのいいフリや優等生的な答えをしないと、嫌われるんだと考えていた。
自分の場合は、もっと悩んで悩んで、社会人経験が10年以上経ってから、やっと子供の時代に経験するべきような反抗期がきた感じだ。
寝られない日々が続いた。
心療内科に行ったが、上手く自分の納得できないモヤモヤを話せなかった。
やりたくても、なんかしてこなかったことや出来なかったことをやってみた。
というか、悪びれた行動をした。
髪の毛を茶髪にしてみたり。ヒゲを生やしてみるとか。シルバーのアクセサリーをつけてみたり。
さいわい、おしゃれに目覚めたぐらいで、済んでるのかもしれないが。
産業医の先生に『大丈夫、大丈夫。。それも良い経験だよー』みたいに、笑い飛ばされたり、した。
そういうもんかな、と思いながら、納得が出来ない部分もありながら、しばらくは、我慢していた。
その後で、心理的なカウンセリングを受けても、臨床心理士の人に対して、この優しい人からも嫌われないように「いい大人でいよう」なんて思って正直な気持ちを話せなかった。
少しづつ、心を開いても、いいんだって感じれるように、なりつつある。
いわゆる『こだわり』が強い人間なんだと、納得がいきはじめた。
アイコンタクトとかボディータッチされると、にやけたいのを、我慢しちゃっていた。
目を合わせて、笑顔で挨拶すること、3回以上も続けることは、出来なかったな。
なんか、緊張しちゃう。
今まで、色んな人との間に、誤解があったんだな、と最近になって、10年以上も前のわだかまりを思い出した。
涙が、にじんできた。
職場でも、我慢するだけでなくて、適切な方法で不満を表明するのは、さほど、問題にはならない。
自分の感じ方が、おかしいのかと思って、ますます、自分を嫌っていたというか、厳しく見ていたなぁ。
俺は東大合格者5番には入る学校にいて、学校内では底辺の成績だった。現役東大落ちて、滑り止めの学校にいって、今はニートしてる。いろいろ興味深いこととか実態とか話す。
まず、あまり注目されないことだが、超進学校には明確な学力ヒエラルキーが存在する。低い階級のものは、何か他のもので自分の現状を合理化しようとする。例えば、部活に熱を出したり、文化祭などでリア充っぷりを追求したり、だ。高い階級のものは、無垢なままで高くありつづける。このヒエラルキーは、ずっと続く(受験生になってから、勉強法を模索して東大に滑りこむ奴は結構いるが)
全体として見ても、「昔はチヤホヤされた」集団なので非行に走るやつや、飛び抜けて性根が腐っているようなのはあまりいない。いじめは中学まではあるが、高校に入ると途端になくなる。
次に、カリスマ教師のようなものはいない。教師の質に関しては俺が言及できるところはないが、少なくとも「カリスマ」はいないと思われる。ただ、これはうちの学校だけかもしれない。自身の指導方針に自信と誇りを持っているような教師が、どこかの学校にはいるらしい。(個人的に灘の校長はカリスマだと思う)
塾について。9割の生徒は塾を利用する。鉄緑会を始めとした大手塾に通う人、小規模な個人塾に通う人もいた。塾の学費は年間約50万(科目数にもよる)程度であり、学校の学費が100万程度であることを考えると、結構洒落にならない金額がかかる。ちなみに俺の親は年収1500万付近の人間だが、ほとんどの人はそれ以下ぽかった。子供には相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。
総括。
教師も生徒も、「じぶんはなにも知らない」という認識が欠けていた。善悪の判断を自分でしようとするものがいなかった。
「東大いけいけ」「医学部おせおせ」なムードが強く、流れにのるだけで東大にもいけてしまうので、そういうのが好きな人にはいいと思う。しかし物事に懐疑的な人には、生きづらい環境であった。
俺は中学とか高校というものが嫌いなので、自分の子供をいかせるつもりはサラサラないが、「日本国内」で「中学高校」にどうしてもいかせなければならなくなったら、進学校を選ぶと思う。
自分の幼い頃、平仮名の書いてあるブロックを組み合わせて単語を作れる知育玩具が家にあったらしい。
「あんたはまだ文字も教えてなかったのに、そのブロックで『これが私の名前!』と自分の名前を並べてみせたので皆びっくりした」というのが、自分の幼少時を語る時のうちの母親の十八番だった。
実際小さい頃から本が大好きで、言葉は遅かったのに読み書きの上達はめっぽう早かったという。3つ年下の妹は逆に、読み書きはからっきしだが愛想が良くてぺらぺら喋るという対照的な育ち方をしていたようだ。
独りで勝手に文字を覚えられるわけも無いから、長い事「母親が見てない隙に父親が教えたんだろう」と勝手に思っていた。
子供にも育児にも全く無関心で、女遊びや散財に現を抜かした挙句家を出て行った父親がそんな事をするとも信じがたかったけれど、父方の祖父母は遠方、母方の祖父母は早世しており、他にあてが思いつかなかったので。
そうしたら最近、娘が35も過ぎた年になって、母の口から大変な新事実が明らかとなった。
曰く「(妹)が産まれた頃はお母さんも親戚や近所の皆も、産まれた赤ちゃん(妹)が可愛いんでついそっちばっかりちやほやしてたんだけど、一人だけそうじゃない人がいた。学校の先生をやってた女の人で『○○ちゃん(自分)は頭がいいね』と言って、あんたのことをとても可愛がってくれたんだよ」。
おいどう考えても平仮名教えてくれたのその人じゃねーか!! なんで気付かなかったんだよ!!!1
顔も悪けりゃ愛想も無い、運動音痴で頑固で、小さい頃からリア充だった妹が持っている可愛らしさのかけらもなかった自分には「本を読むのが大好きなので、自然と学校の勉強も得意になった」という唯一の取り柄があった。
奇跡的に生まれつき本が好きだったおかげで、辛うじて「なんにも取り柄のない駄目人間」であることを免れたのだろうと思っていた。
なんの事はない、その時の女先生に褒めてもらった事がきっとよっぽど嬉しかったのだろう。
もしも本が好きじゃなかったら、唯一の取り柄の勉強すら出来なくて、もっと酷い人生を送っていたんだろうと思う。
見た目の優れた姉妹がいて、日本神話のコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話を聞いたことがある喪女なら誰でも知っているような気持ちを、例外なく自分も抱えて生きて来た。
これで「お姉ちゃんは頭がいいね」「○○さんはいい子だね」と褒められる事すらなかったら、自分はとてもまともに生きて行かれたかどうか分からない。今頃心を病んだ引きこもりニートか何かになってとっくに野たれ死んでいたかも知れない。
なのに顔も名前も、そんな人がいた事すらさっぱり思い出せないなんて恩知らずな話だ。
時々「ジョジョの奇妙な冒険」の4部で幼い仗助を助けたリーゼントの学生みたいに、3歳の自分に日本語を教えたのは、実は未来からタイムスリップしてきた自分自身なんじゃないかとバカな妄想をする事がある(4部の学生の正体は結局不明のままだったんだけど)。
男の中身は、虚栄心とエロ心しかないんだろうか。男は、隠しきれないほどの競争心=一番でありたいという欲望と、いかに女を獲得するかという欲望しか持たない。要は自己中心的で、他者への思いやりや気づかいなど本心では持ち得ない。その救いようのないエゴイズム、そしてそれを隠そうとする姑息なやり口。ゲームに勝つためだけに駆動する、サバイバル本能しかないエゴイステッィクな動物だから、女を出し抜いて、これまで歴史を、社会を占有してきた。女を貶め、あるいは利用して自らが優位に立つことだけが重要で、そうしたシステムを作るためにあらゆる詭弁、こじつけをこさえてきた。封建制度なんぞクソくらえ。単に男のご都合主義で作り出した制度にすぎない。男の作り上げた道徳、社会認識にさんざんぱら振り回され、苦しめられてきた女たちに、いっぺんの思いを馳せたことはお在りか。結婚しなければならない、子供を産まなければならないなどと、誰が決めたのか。結婚すればセックスがいつでも得られて、己の子孫となる子供を産ませれば女=母親にその世話をすべて押し付ける。欲望は拍車がかかるものだから、妻に飽きれば外でより若い女と浮気する。浮気は男の甲斐性、とはどれほどのご都合主義か。男は自分の欲望を満たすためなら、どんな虚言も欺瞞も厭わない。いかなる感情操作も試みる。
そういうのが「男」のスタンダードなら、オタクの男はむしろそうした闘争心の薄さや、女を獲得する行動に出ないだけ、実害が少ないともいえる。ヴァーチャルで事足りさせる辺りも自己充足していて、むしろ害を自らに向けるオートマトンと化している。しかしいっぽうで、現実の女一般に対してはルサンチマンを抱えている。ミソジニーを強め、ますます現実の接触から遠ざかろうとする。それは単に、本来持つ競争心や性的欲望を現実に行動して解消できない欲求不満が、女への憎悪へと反転してしまったのか。彼らは妄想を強めるばかりで、彼らの苦しみもまた解決しない。ともあれ、オタク男が忌むべきはリア充男であって、女ではない。リア充こそ社会的利権を一挙に掌握しながら、その暴挙によって苦しむ者がいることに気付きもしないのだから。
つい先日のことだ。パラパラと大粒の雪が降る夜、高そうな中華料理屋の奥にそいつが座っていた。
ダボダボの服に、ふてぶてしい座り方、室内だというのにかぶったままのニット帽子、帽子からこぼれるくしゃくしゃの髪。
まるで窪塚洋介だ。だからこれからそいつのことをクボヅカと呼ぶ。
クボヅカは、僕を見るなりこういった。
「けいちゃん(仮称)かーwwはっじめましてーーwww」
先に断わっておくが、僕はシスコンではない。
まぁ確かに一般的に見ると美人なほうであったし、同級生からも紹介しろ紹介しろとうるさく声をかけられるような姉であった。
しかしなんといっても性格が最悪。気が強くて乱暴でがさつで、幼いころから喧嘩ばかりしてた。
また思春期になると顕著になったお互いの差、リア充な姉と文学オタクな僕の馬が合うはずもなく、ある時期を境に家庭内ではほとんど会話していなかった。
それに僕は25歳で姉が27歳、そりゃまぁ結婚する歳だし、姉が結婚することに驚いているわけでもないし、ましてや兄弟を取られたなんて感傷で批判しているわけじゃない。ただ、ただクボヅカが家族の一員になることが嫌なだけだ。
だって考えて見てくれ。
初対面の義弟をちゃん付けで呼ぶだろうか?
ハッピーwwだとかピースwwだとかそんな頭の悪そうな単語を会話に混ぜるなんてあり得るだろうか?
僕の印象はほんと最悪だった。美容師だかなんだか知らないけど、礼儀知らずな奴だなと思った。
だから同じようにうちの親、特に父なんかはきっと印象最悪だろう。
そう思って、両親に目をやったら、少し緊張しながらも始終ニコニコしていた。
ウソだろ。信じられない。相手の無礼をなじり、不機嫌そうな対応でもいいのに。
クボヅカは楽しそうに偉そうに、自分の生い立ちや仕事のことを語った。
高校卒業後俳優目指して東京に行き、劇団で大道具スタッフ兼演者をしていたこと。
そこで英語を覚えたこと。
だから会話についつい英語を入れてしまうこと。アメリカで見たり聞いたりしたこと。
店のコンセプトは80年代風のクラシカルな感じを少しモダンにしたい等々。
よくもまぁ自分のことをそこまでペラペラ語れるもんだなと、口数の少ない僕はいつも以上に黙って聞いていた。
自分のことを雄弁に上から目線で話す、僕はこういうやつが大嫌いだ。
自分を大きく見せたい、承認してもらいたい、そんな願望が丸見えだからだ。
そんな僕とは対照的に父も母もクボヅカの大変楽しそうに興味深そうに話を聞いてた。
そんなもんなのかね、イマドキの顔合わせっていうのは。もっと緊張感があるもんだと思っていた。
父よ、美容師だからって気を使う必要はない。帽子を外せって怒ったっていいんだよ。
「けいちゃんもさー。いろいろあると思うんだけど、まぁ仕事なんてなんとかなるって!俺なんて……(以下自分語り)」
何を偉そうに、いったい僕の何がわかるっていうんだ。
仕事を辞め、公務員試験も落ちて、転職活動中の僕のいったい何を知ってるというんだ。
こうやって中華料理屋では始終イライラしていたわけだけども、この後、クボヅカに対する僕の印象がガラッと変わる出来事が起きた。
それは会食後、オープン準備中だというクボヅカの店に行った時のことだ。
小さなエレベーターしかなく、両家が乗るには二回に分ける必要があった。ぎゅうぎゅうのエレベーターを抜けたところ、
「オープンザドアーww」
そう言いながらクボヅカはお店のドアを開けた。
そこで店内の様子を見た僕は思わず息を呑んだ。
柔らかい間接照明が適度に置かれていて、冬の寒い夜に見たにもかかわらず、とても暖かい気がした。
金属部分が露出しないように全部木枠などをはめており、エアコンにもしっかりと木製のカバーがはめられていた。
床こそコンクリートの打ちっぱなしだったが、冷たい印象を与えないようにか半分だけアイボリー色のペンキが塗られていた。まだ作業途中のようだ。
水道の配管やシャワー台の設置は業者に頼んだようだけど、それ以外は全部自分で大工のように板を切りくぎを打ち、作ったとクボヅカは誇らしげに語った。
「もともと企業の事務室だったところを作り変えたから、いろいろ手間かかったわww絨毯はがすのに一週間はかかったww」
こんな手間のかかりそうなことを一人で黙々とやったのか。
丁寧に一つづ、鏡やテーブル、エアコンの木枠まで自分で作ったのか。
一週間も床をはがす作業をあきらめずに行ったのか。
クボヅカのあの偉そうな上から目線の態度も実はこういう地道な努力から裏打ちされたものかもしれない。
そう思うと、なんだかクボヅカに親近感を覚えた。
全然違うタイプの人間かと思ったけど、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。むしろ尊敬できるかもしれない。
僕は今まで見た目で決めつけていたことを恥ずかしく思った。
クボヅカは、換気換気―wwといって美容室の窓を開けた。冷たい冬の空気が入ってきた。
僕はクボヅカに話しかけようと思った。もっとこちらから話しかけて仲良くなろう、そう思った矢先、クボヅカは窓の外を見てこういった。
だめだ、折り合えない、クボヅカはクボヅカだった。リア充はビックバンしろ!
やはり心の底からそう思った。
元記事書いた増田だけど、結局恋愛についての語りっていうのは、その人の個人的な体験に基づく部分が大きいと思う。
鶉さんの記事も個人的な視点(私が救われたい)を普遍化し過ぎた為に叩かれているという部分はあると思う。
元増田への反響は一つ一つ丁寧に読ませて貰ったけど、人によって見えている「景色」がまったく違うのが興味深く感じられた。
リア充っぽいことを書くとそれだけで反感を買うので避けてたけど、もう大分時間がたったので私が見ている「景色」についても書いておきたい。
私は一年前に人生で初めてできた彼女(趣味の同好会で知り合ったのは二年前)と今でも付き合っていて、真面目で社交的な女の子なのだけれど、話を聞いていると、過去の恋愛でそれなりに苦労してきたっていうことが分かる。
特に二年間遠距離恋愛してた元彼が酷くて、ピルを飲ませてコンドーム付けずにセックスして、浮気もし放題みたいな男だった。
私と付き合い始めたばかりの頃の彼女は軽い男性不信に陥っていたと思う。
こういう彼女の話と、ネットとかで読んだ色々な女性の体験談を照らし合わせると、こういう「プチ岡田斗司夫」みたいな男に困らされるっていうのは、女性にとって割とポピュラーなことだってことが分かってくる。
岡田みたいなのに騙されるのは「一部のメンヘラ」だと思っている人々と、ありがちなことだと考えている私とで。
で、私と普通の恋愛をしていることで「救われている部分がある」と彼女は何回も言ってくれていて、ここでまた景色が分岐する。
恋愛で他人に救いを求めるのは傲慢な要求だと考える人々と、普通の恋愛で女性が救われることはあると考えている私と。
私は鶉さんが恋愛に救いを求めるのは過大な要求だとは思わないし、「若い男性たち」が恋愛に消極的な為に、岡田系の男性の市場価値が不当に高まっているという主張にも共感できた。
そして、「若い男性たち」が恋愛に消極的なのにも無理からぬ理由があるということも書きたくて、元増田のような記事になったというわけ。
ちょっと前まで喪女中の喪女だった。彼氏なんて20年以上生きてきて一度もできたことなんてなかったし、高校の時は陰気な文化部だったし、大学のサークルでも喪女キャラみたいなポジションに落ち着いてしまった。卒業してもそんな感じ。我ながらコミュニティの中で気軽に殴れるサンドバッグ的立ち位置だったと思う。だったのだけど、1年くらい前になぜか彼氏ができてしまった。しかもトントン拍子で結婚が決まってしまって、がらっと環境が変わった。いや環境が変わったのではなく、周りの見る目が変わったといった方が正しいか。
今まで誰かが落ち込んでたりしたときは「ほら!私を見なよ!私よりいいでしょ?大丈夫、元気出して!」みたいな方法で励ましてきた。実際それで励まされた人も居たみたいだし、まあ実際私は大した人間ではなかったし、私を見下して安心できる人が居るならそれでいいかなと思っていた。けれど、今それをやったらただの嫌味に取られてしまう。彼氏ができて、結婚が決まって。それだけで私という人間の位が勝手に上がっていくのが怖い。これまで「貴方みたいな人が居るから安心できる」と言われてた人間だったのに、急に「貴方は恵まれてるからいいわよね」と言われるのが辛い。
私はどうしたらいいんだろうと思う。落ち込んでいる人が居るときは、変におどけたりせず真摯に励ませばいいのだろうか。でもそれすら傲慢に見られたらどうしよう。ずっとリア充だった人たちはどうやって自分を下げないコミュニケーションをしているのだろうか。
心理学者や社会学者のオバサンには向かわない。あくまで若い女に救ってほしい。
しかし若い女も若い男と同様に苦しんでいて、誰かに救ってほしいと思っている。
だから「無償で救ってくれ~セックスもさせろ~」とゾンビのように寄ってくる若い男の手を振り払い、オッサンに向かう。
全てのオッサンがモテるわけではない。貧乏で精神病のオッサンは気持ち悪いだけである。
あくまでオッサンの見た目はマイナスだ。人を救えるだけの金銭的・精神的ゆとりがモテているのだ。
ゆとりのあるオッサンと、救ってほしい若い女とでは、お互いにとって利がある。
「若い身体」と「カウンセリング」を交換しているのだ。両方、金で買おうと思えば高額だ。
ゆとりのあるオッサン側が、若い女の身体や、いつも同じパターンになる会話に飽きたり、
救ってほしい若い女側の目が覚めて「この人、神様じゃなくただのオッサンだった」と気づけば、
お互いにとって利がある状態はなくなり、関係も解消される。
呆れるのは、自分のことでいっぱいいっぱいの苦しみの最中にいる若い女に対して、
「救ってくれ」とすがりつき、手を振り払われて若い女を憎悪する若い男である。
彼らは若い女に「若い身体」と「カウンセリング」をセットで無償提供することを強要する。
なぜかそれが得られることを当然の権利と思っており、得られないと女を憎悪し始める。
若い男は本当に意味不明な存在で、してもらえることが当然と思っている。
「返報性の原理」という、人から何かしてもらったときに何かお返しをしたくなる心理があるが、
これを持ち合わせている若い女は多いのに、若い男だとまるで居ない。
友達が一人も居ない人間も、女より男に多い。これは「返報性の原理」が働かない人間が男に多いからだと思う。
親に用意された最適な環境しか知らないから、他人の労力があってのその環境だということに気付かず、
「お返しをしないと」という心持にもならない。だから同性の友人からも「なんだアイツ…」と思われ、
「アイツとは共同作業をしたくない」となり、距離を置かれていく。
そして孤独と貧困に苛まれるようになり、全てをリア充・女・韓国人・団塊などの責任にして憎む。
若い男にも若い女にも言いたいのは、他人に恋愛とカウンセリングをセットで無償提供してもらえることを期待するのをやめろということだ。
「セットで無償提供」を期待している若い女は、身体目当てでカウンセリングしてくるオッサンやナンパ師にハマるし、
「セットで無償提供」を期待している若い男は、若い女に気持ち悪がられて蛇蝎のごとく扱われ、精神病がどんどん悪化する。
カウンセリングに金を払え。恋愛は、精神の問題が解決してからにしろ。
精神の問題を無料で解決してくれる素敵な異性が、自分だけにプッシュで来るなどとは思うな。
待つ女にはろくでなしがやってくる。待つ男には誰もやってこない。
追記:
kash06 だが思うに、与えられた事のない人が、与えるだけの余力を捻出するのはどうあっても難しい。…敢えて言えば、神は先に与えて下さった「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう」(使徒行伝3:6)
「与えられた事のない人」は存在しない。
人は魚類などとは違って、自力で育つことは出来ない。人の手助けが無いと、たちまち死体になってしまう。
ではなぜ「与えられた事がないと感じている人」が数多く存在するのか。
その理由は、人に与える経験をしないと、人に与えられていることに気づかないからである。
飲食業のバイトを経験した者が、客として飲食店を利用したときスタッフに丁寧に接するように。
飲み会の幹事を経験した者が、もてなされる側になったときに幹事に感謝の気持ちを持てるように。
旅行のセッティングを経験した者が、もてなされる側になったときに感謝の気持ちを持てるように。
子育てを経験した者が、親がどれだけの労力をかけて乳児だった頃の自分を育てたか知るように。
人に何かを与えた経験が、与えられた環境への具体的な気付きをもたらす。気付けるから感謝が可能になるのだ。
感謝をしないのは、与えられたことが無いからではなく、与えたことが無いからだ。
与えたことが無い人間は、開発に無茶振りをする無知な営業のようだ。
開発にかかる具体的な労力を知らないから、労力を極度に低く見積もるし、出来にケチをつけるばかりで感謝が無い。
「与えられた事がない」と感じるのは、与える能力が無いからなのかもしれない。
リア充爆発しろって思うくらいリア充臭がやばい業界のやつと飲んで、女の子を呼び出してきた女の子たちがなんていうかすごくて
まぁ、22時すぎくらいに集合したし、次の日は休みだったけど、終電とか普通に気にせず飲むのって普通なの・・?
なんてか、終電だし帰ろうかな、、みたいな素振りもなしで、今日は飲みましょうー!とかそんな感じで
しかもなんかよくわからんのだけどあいつら以上にボディータッチするのマジ気持ち悪いんだけどなんなの。
気軽にセッロス楽しむのはまぁいいけど、普通の女の子と結婚したい自分にとっては非常に恐ろしい体験だった。
こんな子たち(20代半ば)が普通にこんな貞操じゃあ俺はどうしたらいいんだ。
まぁもちろんそうじゃあない人達もいるとは思うけどさ。
インプレッション数が一番重要だと思ってたけど実は良い(気の合う)クラスタと巡りあうことのほうがよっぽど重要なのかと思った。
『お前らにババアの魅力を伝えたくて来たんだ』
http://sakkimo.com/blog-entry-908.html
ババアの隣に座ることは2回できたけど、パチンコ自体はじめてて、ババアは終わってカード抜いて席を立つのに、俺は球が残ってて席を立てない(カード持ってないから)。そもそもフードコートなんてなくね?ってか、場所取りでカードやパチンコ球がおいてあるの後で知って、場所とりしてたおばあちゃんが来て気まずかった。つか、200球ずつでるんだな、800球機械に残ったまんま終わったと思って立ってしまった。
作戦変えてパチンコで出街したんだけど、声がでない。ってか、景品交換所みたいなところに行って金に換えてて、へーそんなシステムなんだーって関心してたらババアがいなくなった。5人話しかけようとして5人声がでずに去っていった。
まあ、ナンパの失敗はこれ1回じゃないし、街中でも無理だったけど。 地蔵なんだよなあ。クラブでも地蔵だった。
俺どーしてもナンパしてーなーって思ってたけど。話しかけられずに地蔵ってパターンばっかりだったんだけど。
フト、これ魚釣りと似てるなと思った。
①魚釣りは相手に合わせた針や釣竿を使わないと釣れない、えさに食いついても吊り上げられない→自分の容姿(ルアーや釣竿)、トークでのヨイショ(えさ)
②魚釣りはつれるポイントや時間でつらないと無駄→ナンパできるポイントや時間を選ぶのが大事
③魚自体に詳しくならないと厳しい→相手は人妻、バンギャ、風俗嬢、OL、保育士などさまざま、それごとの釣り方をしないと無理、得意分野をまず作る
④釣り仲間を作ると楽しい→イケメンリア充やモテテルブサメンの友人が大切、つかツイッターでナンパ師とカラムのが早いか?
⑤馬鹿のほうがうまい→馬鹿のほうがうまい(なぜか知らないが、釣りやってる高学歴は下手くそが多い)
⑥最初は100回キャストやって1回しかつれない→ナンパも最初はこえかけても無駄
なんつーか、人相手に釣りっていうのは人権的なアレな感じがあるけど。
でもシンプルに自分を釣りの道具だ、女は魚だっていうふうにゲーム感覚っていうのに落としたほうが考えが楽ってか、技術も身につきやすいと思う。
俺は、トーク技術(魚がかかってからの勝負)ばかり考えて学んでいたのがダメみたいだ。地蔵当たり前、だって人間が通り過ぎていくんだもん。
つれる場所でつれるえさと道具で行けばつれるんだよなあ。
ボロイ釣竿(ブサメン)だとコイキングしか連れないのわかるんだけど、コイキングすらかからない。かからないってか、釣り道具だけもって、針をたらすことができねえw
とりあえず、声を掛ける。掛けることが大事。
曜日の関係で機内はガラガラ。CAが他の客と話しているのが聞こえた。
CAが客と雑談をするなんて珍しくもないが、それはあくまでも業務上のことで、
丁寧だし温かみは感じるけど、しっかり落ち着いたとした口調や声のトーン。
でも今回は、ちょっと違った感じに聞こえた。
いつもが「お仕事ですか?大変そうですね」という感じが、
「大変そう。。」みたいなどこか、甘えた感じというか。なんというか。
長い移動中でそのCAと客の会話が何度か聞こえたけど、
サービスのための落ち着いた口調の時と、そうでないトーンが混在していた。
ちなみに私には、終始落ち着いた口調で。
で、「ああ、なるほど」と。
普通の人はこうやって、なんとなく、相手に好意を示して、距離感を測っていくのか。
非モテの自分は、はじめて知りました。だって、そんなことしてくれる人いなかったし。
CAと客が、本当にそうなのかそうでなかったのか、真実はわからない。
ただ、リア充なひとは、ああやって出会いを見つけていくんだね。
でも、わかったけど、いまさら、そんなことを知っても、どうにもならないか。
なんだかね。
投稿した直後にトラバがいくつか釣れてブクマは0、まあこのクオリティだったらこんなものかと思ってたんだけど、いつの間にかブコメ欄がカップルの愛の告白場に。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141229184700
ispapan 「他人の個性を「メンヘラ」などという借物の言葉に当てはめることでしか受け容れられない貴方方には、生涯得られることのないものだ。」/この増田好き〜超正しいこと言ってくれた。ありがとう!
Rlee1984 なにこの記事w ispapanは、まじで神。援護というより、守護。守護神。あと、彼女の言っていることは、かなり正しい。
二人のブコメにお互いにスターを付け合うというロマンティックな展開に(何故かid:wattoもスターを付けているが)。
マジレスすると、コウモリさんみたいな嫌われることも多い個性を持った人を全力で擁護してくれる人がいるというのはやっぱり素晴らしいことだと思う。