はてなキーワード: リア充とは
学生の二次面接を担当してるけど、正直履歴書やアンケートやPR文を見て、おおお、コイツはよさげだ!と思う学生は圧倒的に少ない。
面接での感触が一番の決め手。
いくつかの会話を交わしてるうちに、アリナシはなんとなく見えてくるもの。
合コンとかも同じでしょ?
第一印象だったり、会話してていいなと思う子はやっぱりいいし、ナシだなと思う子は盛り上がらなかったり。
もちろんそれが全てだとは言わないけれど、合コンとかでいい印象を持たれないヤツは就活も苦労するに決まってる。
就職ができない、という話ではなく、苦労するって話。
内定をいくつももらう学生は、そういった場でもきっと光っているはず。
自分が本当に好きな人と付き合えるなんてのは、結構限られてるはず。
本当にどうしても第一志望の会社に就職したいってのは、自分の周辺で最高評価の異性をモノにするって話と一緒だから、
合コンも無縁だ、年齢=恋人いない歴だ、リア充死んじまえって奴は、ピュアな自分の技能、才能で勝負するしかない。
そんな技能も才能も持ち合わせいないという奴は、なにもやって来なかった22年間を後悔して、今から10年間貧乏しながらでも何かに必死で打ち込め。
わたしの学生生活を振り返ると、明らかにスクールカーストは下位だった。
いじめられたりとかハブられたりといったことはなかったが、運動が苦手で目立つことが苦手なグループに属し、
自意識過剰なため男にもてようとする行為は一切できず、スカートも化粧も苦手で男友達も彼氏もいない女子高生だった。
成人して社会に出てからほんの数人彼氏ができたこともあったけれど、お互い「いけてない学生時代を過ごした」という共通点があり、
リア充に対する僻み意識や人とは違う自分に酔った時期があるなど、打ち解けるのに時間はかからなかったが
いずれも同族嫌悪で大嫌いになって別れるという結末を迎えていた。
そんな中30代になって知り合った男性が、おとなしそうで共通の文系趣味もあって、
すっかり今までと同じように「いけてない学生時代を過ごした」人だと思い込み、なんやかんやでおつきあいすることになった。
今までに会ったそういう男の人は童貞とか女性経験が少ないことが多くて、わたしも相手のそういうところをマイナスポイントだと思っていなかったので、
わたしのほうがちょっとだけ経験あるっぽかったら、誘導してあげないとな~くらいに考えていた。
ところが、デートで食事をするとトイレに立った際に支払いを済まされたり、車で送り迎えが当たり前だったり、人気のない場所でこっそりキスをしたり、
あれあれ?もしかして女の扱いなれてる?というような行動が多々みられ、
いよいよ初めてセックスするときになって、空気の読み方から始まり方から最中の体位の変え方からどう考えても対戦経験が豊富すぎる、
(つーかセックスってこんなに体位変えるもんなんですか!!AVだけかと思ってた!!)
その実はスクールカースト上位の男だったと判明したのであった。
よくよく話を聞くと、小学生のころから彼女がいたり高校ではヤンキーとも仲良くして、
ギャルの友達ともつるみ童貞卒業していたようで、もし同じクラスだったら接点が全くないタイプの人だった。
というかその話を先に聞いてたら怖くて付き合ってなかったかもしれない。。
イケてる男というものはわたしのようなイケてない女のことはバカにしていると信じて疑わなかったから。
しかし正直なところ、モテてきた男というのは一緒にいてとても楽しい。
愛情表現もするし、気の遣いどころもわかっているし、自分本位ではない思いやりがあるし、
「自称長所はやさしいところ」と言いつつ行動するのが怖くて何もしない男とは全く違う、行動力を伴うやさしさがある。
世の女性が恋愛に夢中になるのは、こういう男が相手だからなのか!!と目からウロコだったし、経験をつめなかった男に勝ち目がなさすぎる。
そして本来わたしのメンタルはモテない男に非常に共感してしまうため、
一周まわって面白い場合もあるからはてなハイクを定点観測してるけど、変な奴も多くて、中には本気でうざい奴もいる。ネガティブすぎる奴も鬱陶しいけど、頭ん中スッカラカンの奴も、馬鹿さ加減に腹立ってくる。特にうざい奴は、女(ネカマの可能性も捨てきれないけどな)だったらc×××××××iとかだな(×伏せ字)。こいつ前々からうざかったけど、最近は馬鹿に拍車かかってきて、書いてる文章が意味不明っていうかあれはもう文章とは呼べない。多分あいつ本とか全然読んでないと思う。書いてること馬鹿すぎて呆れる。しかもこの間見たらこいつ、誰のことか知んないけど、小心者だとか低能だとか必死過ぎとかって、ディスってるわけよ。毎日馬鹿丸出しの駄文垂れ流しといて、低能はお前だろうよってこの馬鹿に言ってやりたい。だってこいつ、書くことが駄文なら、写真は写真ですげー必死だぜ?どんだけ気取りたいんだよっていう写真を毎日必死で上げてるわけよ。リア充アピールが必死なわけ。そういうやつがほかの人間を低能とか必死とか書いてんの見たら、たとえ他人事でもうざい。こういう奴に限って、たぶんすげー不細工だと思う。だから必死こいてリア充アピールしていろいろ見せかけてんだろ。ほんと馬鹿女うざい。低能はこいつだ。とにかく、馬鹿なくせに気取る女はうざい。それからメンヘラ系もうざい。男にもうざい奴いるけど、男は今度書く。
コメントありがとうございます。しょうもないレスを許してほしい。
僕が今までと今回で何が違ったかを、冷静に考えてみると、
相手の自由を尊重しつつ、結論を保留しながらも自分の意思を明確に示したことだと思ってる。
今まではお付き合い→結婚みたいな、直情型で結論を出すことをばかり考えてた。
が、今回は、どういう結果であれプロセスを大事にしようと思った。
彼女いわく「両想いになるなんて奇跡みたいなことだからフラれても凹む理由がない」そうだ。
また「付き合うためのハードルは低いよ、とりあえず年齢もあるし来るもの拒まず」だとか。
だから白黒つける関係の仕方ではなく、継続的な関わりへの意思があれば、
もっともすぐにフラれるかもしれないけど。
「サークル」って聞くと大学時代にまともにサークル入れなかった人間は
とかくこの世は生きづらいと漱石が書いてからもう幾年が経ったのか、数える気にもならないから全く知らないし、単なる話の枕に過ぎないからどうでもいいんだけど、どうも今の世はもっと生きづらくなってきているようだ。
様々な問題が山積みだし、聞いたこともない問題が次々に産まれては解決されないまま消えていく。じゃあ解決しなくていいんだ、って感じでほっといてるとリーマンショックやら原発爆発なんかでツケが回ってくる。もぐらたたきはメタファーとしていつも非常に有用だ。
僕は政治家でも経済学者でもないから、それらの問題には何も言えないけど、よくネットで話題になる男性と女性という二つの性の問での生きづらさという問題には何かが言えそうな気がしてこの文章を書いている。ネットでこういった類の文章がよく書かれるのも似たような理由だ。(大体の人は男か女だから一端の口を聞ける。)
この、男性と女性の間での問題というのも、今まさに解決しないでいたツケが少子化や雇用問題という形で噴出してきているところだ。全く無関係に見えるところにまで飛び火してもいるだろう。
僕がこの問題について今まさに書いているのは、さっき言ったように僕がこの問題について何かを言えそうというのもあるが、この問題が今の日本社会の最も大きな問題で、これを解決すれば今の日本の殆どの問題は解決すると思っているからだ。
これまでの日本では、男性が女性を抑圧してきた。日本の「社会」というのは男のもので、女は付随物に過ぎなかった。だから社会的に成功した男には女がついてきたし、逆に社会的に成功してない男には殆ど女が寄り付かなかった。女は対異性的に成功していれば嫁として社会的に成功することができ、それ以外で生きる道は存在しなかった。
だからこれまでの日本での性差の問題というのは、社会的な成功をできない、もしくは興味がない男と、対異性的には成功できない、もしくは興味が無い女のものだった。彼らは「社会」から疎外されていたのだ。
しかし、女性が抑圧から解放され始めたことで問題が全体に波及する。
女が「社会」の付随物ではなくなったために、社会的に成功しているにも関わらず女を手に入れられない男が増え、反対に、対異性的には成功しているものの社会的には成功できない女も出た。
これまでは男は社会的に、女は対異性的に成功していればよかったのだが、両性ともに社会的にも対異性的にも成功を果たさなければならなくなったのだ。
それによって負担が増えたように感じる、対異性的に成功していない男は女性解放を訴える女達に怨嗟の声を上げ、社会的に成功していない女は社会的な成功を約束しなくなったふがいない男達に対して罵りの声を浴びせる。
現状、男性も女性も、どう生きていても非難を避ける事は出来ない。
たとえ対異性的に成功しようと社会的な成功をしていない男はクズだし、両方で成功を果たしていてもリア充と言って叩かれる。
たとえ対異性的に成功しようと社会的な成功をしていない女はビッチだし、両方で成功を果たしていてもリア充と言って叩かれる。
勿論そうではない。
かつてアメリカで黒人が解放の声を上げた時最も人種間の争いが激しくなったように、今は過渡期に居るだけだ。
将来、女性が完全に解放された時、本当にそんな時が来るのかはわからないが、その時は性別の間の争いはなくなるだろう。誰もそれを意識しないからだ。
仮にその時が来ず、人種差別のように、女性差別が社会を通奏低音のように流れ続けたとしても、解放が進めば進むほど事態はよくなる。
対異性的に認められることと社会的な成功がイコールになる時代になるからだ。
今主夫が認められつつ有るように、女性の解放というのは、男性の中の女性性の解放でもあるのだ。
漱石の小説もこの問題について書いている。彼の小説は日本のエリートが西欧で流行っている恋愛というものをしてみんとしたものの集積だ。社会的にはエリートなんだけど恋愛的、対女性的には坊っちゃんで、結局それは上手くいかないまま終わった。村上春樹がその後を継いで成功しようとしている、とか言われてる。
だが俺はもう5年以上恋人がいない。
「お前にこのサービス作れんのかよ?」
的な目で俺に話をしてくる。
だが良く考えてくれ。
推理小説を書いている奴らは、一度でも人を殺した事があるのか?
FPSを作っているゲームクリエイターな奴らは、銃を握って実弾を撃った経験があるのか?
ゾンビゲーを作っている奴らは、一度でも実在するゾンビに出会った事があるのかと。
例えば、ドラゴン。
そうだ、雌のドラゴン。
世の中はドラゴンなんとかとか、なんとかドラゴンとか、とにかくまあ、
だが、そんなドラゴンなんとかを手がけている連中の、
…雌のドラゴン、ドラゴンのま◯ことか想像すると無意味に興奮するな。。。
おっと、俺は変態ではない。
話を戻そう。
つまりあれだ。
話を戻そう。
つまり、その、あれだ。
以上、異論はないはずだ。
わりと今の会社がやりづらいな転職かなーってぼんやり考えてたら、
原因はやりとりの多い先輩(30代男性)のワールドイズマインっぷりだなと気がついた。
リア充路線の日本人男性で、「俺の常識は世界の常識」とばかりに日常会話を進める上に仕事の納期をたびたびすっ飛ばすのに反省せず、他人のミスにはとても厳しい。
「女は25過ぎたら結婚しないとやばい」「鬱病患者に甘い就業体制は健常者に不利」とかSNSで発言したら即炎上レベルの差別発言をどかどか吐くのでくたびれるし、
「あのアイドルは終わった」だのどや顔で評価することも多く、俺基準ISオールって感じの物言い。常時マウンティング。
「目下に教えてやる」っていう姿勢がベストポジションっぽくて、
上司の前だと打って変わって弱腰で声まで小さくなってる。あと無意識だろうけど上目遣いになってる。残念ながらかわいくはない。
俺こそが世界の中心で、それがわからない他人が理解できないのかもなあ。
(私は最低限しか相手しなくなって久しいけど、入社一年目の女性社員とかよく長時間つかまってて、あーーーーーってなる。)
仕事の愚痴から話は突然でかくなるけど、今とってもホットな曽根綾子氏の例のコラムも根っこは似ている気はする。
彼女もきっと、自分の幸せや快適さがどの人にも共通の真理だと思い込んでるから、新聞にあんなこと書けるんだろう。
幸せのかたちや快・不快の基準は性別・年代・国籍とかの大きめのセクションだけでなく
個人個人でまったく違う。日本は単一民族国家だし「マジョリティ」が固定化され気味のきらいがあるので
マイノリティには居心地が悪い部分もけっこうある。特に女性であるとやりづらいって思うことも「社会」に出てから多々ある
(脱線するけど私は「社会人」という言葉が嫌いだ。往々にして「社会人」は「俺様の知ってる世界を理解できている奴」をさすから)
いろんな人がいて当然っていう世界になったらいいなあ、とぼんやり祈りながら紅茶をすすりながらキーボード叩くしかできないけど、