はてなキーワード: オリキャラとは
高校くらいにBL好きの友人と出会ってからBLを知ったが、どうも好きになれなかった。友人は創作物の中だけでなく周りのクラスメイトでもカップリングとか考えているタイプだったが、正直なことを言えば嫌悪感があった。
ただそれが何故か説明できなかったのでモヤモヤしてたんだけど、昨日のねほりんぱほりんで同人作家の話聞いててふと気付いた。
どうも私は原作や現実にない関係性を付け加えられるのが嫌みたいだ。
そもそも原作厨の傾向があり、オリキャラが許せない。二次創作よりも原作側に近いアニメ版でも原作にないキャラが出るのが苦手だ。原作者のつくった世界を壊す行為であり、私の中にできた原作の世界も壊される感覚がある。だから二次創作全般が原作にない物語で好きになれない。
その中でも、人物同士の関係性を自分たちの妄想のために同性愛者にねじ曲げられているBLにはイライラしてしまうみたいだ。
現実にいる人へのカップリングも、もし自分がやられてたら嫌だな(本来の自分と違う認識をされることが嫌)という気持ちと、実在する世界をねじ曲げて認識する感覚への嫌悪感がないまぜになっている。
もし作中で明らかに同性愛者であると明記されていればまだ許せる気がする。同性愛に対しての嫌悪感よりは、原作を壊される感覚への嫌悪感だったみたいだ。
でもオリジナル作品でもBLには嫌悪感を感じてしまうから100%原作破壊由来ではなさそうだけど…。これは同性愛への嫌悪感が原因なんだろうか?『きらきらひかる』とか大好きだし同性愛者が登場人物であること自体はそんなに嫌悪感はないんだが。百合作品にはそういうのを感じないのはなぜだろう。
お気持ち表明でした。
ドラマ版極主夫道の1話をみた感想を一言で言うと「無駄に豪華な出来の悪い二次創作」だ。
いや、絵面はいいのよ。玉木宏演じる龍は原作から飛び出したような見た目をしているし、
極主夫道は現代の話だから、見た目がきついとかそう言うのは一切ない。完璧。よさげ。設定が変わって娘がいたりだとか、話の展開がオリジナルってのも別にいい。
わざわざドラマでやるんだもの。原作と全く一緒ってのもつまらんからね。OK。なんだけど、キャラクターの思想が原作とまっっっっっっったくもって違うんだわ。これが致命的。
これのせいでこの作品はどんなに頑張っても「表面だけ借りた二次創作」になる。主人公である原作の龍は「元極道の主夫」っていうの徹底しているキャラクターなわけ。
極道に戻ってくれって誰に言われても「自分は主夫なんだ」と言いきる男で、彼自身極道に戻る気はこれっぽっちもない。
にもかかわらず、「身体と心に染み込んでしまった極道ムーブがとにかくまろびでちゃう」。
これが龍を龍として成立させている根っこの要素だし、原作の極主夫道のギャグをささえる
根底になってるわけ。徹底して「ちょっとおかしな挙動をする主夫」なの。だのにドラマ版の龍は、極道として話に関わってる場面が多々あるんだよ!!
喫茶店で「極道として」店員にキレたときにめっちゃもう違和感しかなかったわ。別人やんこんなん。あとギャグの方向性。
原作のギャグは絵面のシュールさとか、龍と周囲のギャップで笑いを取るスタイルなわけ。
龍が「極道の匂いをどうしても消しきれないただの主夫」だから成り立ってると思っている。
当然、龍からその要素を取り除いちゃったらもうだめだよね。
原作でも使われた掛け合いは、ドラマ上ではギャグとしてめちゃくちゃ弱くなってしまう。
しょうがないから別の方向で笑いをとりにいこうとしたのか、極道や主夫とは直接関係ないコントを多分に入れていた。別物やん!!!こうなるとこのドラマはキャラの見た目とタイトルだけ借りてきた作品でしかないわけよ。
中二病の脳内で展開する二次創作か???これならドラマ版は極主夫道の名前を使わずにオリジナル作品として出すべきだったと思う。
キャラ全部オリキャラにして名前変えてだそうぜ。極主夫道インスパイアの新作!って銘打てばパクリって呼ばれることもないだろうしええやん。
日テレさんどうです???
名称 | 硬派厨 | 萌えオタ | メンヘラオタク |
年代 | 80〜90年代 | 00〜10年代 | いまここ |
表情 | 怒り | 笑い | 泣き |
口癖 | 「燃え」 | 「萌え」 | 「エモい」 |
褒め言葉 | 「キチガイ」 | 「ヘンタイ」 | 「ビョーキ」 |
褒めテンプレ | 「××は邪道、○○こそ至高」 | 「ドチャシコ」 | 「○○しか勝たん」 |
生死観 | 「死ね!」 | 「生きててよかった」 | 「死にたい……」 |
笑い方 | 「ニヤリ」 | 「デュフフ」 | 「ニチャア」 |
大好きなもの | ロボット | 萌えキャラ | 病みキャラ |
黒歴史 | 設定資料集 | オリキャラ | うちのこ、うちよそ |
喜ぶグッズ | ガレキ | クリアファイル、抱き枕、痛車、痛バッグ | Tシャツ、ぬい |
喜ぶアイテム | 実弾兵器 | 水着、下着 | 医療器具(包帯、絆創膏、薬、注射器) |
喜ぶシチュエーション | 変形・合体、泥臭い地上戦 | パンチラ、ラッキースケベ | ライブ配信 |
喜ぶ世界観 | ロードムービー | 学園モノ | 廃墟 |
武器 | サバイバルナイフ | カッターナイフ | ハサミ |
立ち位置 | 刑事 | 参謀 | アイドル |
習性 | 金を払わない | 擬人化&サジェスト汚染 | ワンチャン繋がる |
敵 | 萌えオタ(軟派)、ニワカ | 硬派厨(老害)、フェミ(サヨク)、お気持ち表明 | アンチ、焼きマロ |
欲 | 達成意欲 | 性欲 | 自己顕示欲 |
なぜなのか?
私はpixivで二次創作を書いている。活動ジャンルにフェイクを入れつつ、人生初のパクリ疑惑を抱いた話を書いた作家をAとする。互いにフォローしていたり、作品にコメントしたりということはない。しかし私はAの作品を呼んだことはある。偉そうだが自分なりに評価すると「発想は面白いがオリキャラ無双がすぎる」「キャラを独自のあだ名で呼ぶので誰が誰だがわからない(例:太郎(イメージカラーが紫)を「菫」と呼ぶ)」という感じ。
原作は本拠地から各地の戦場へ向かうゲームだ。プレイヤーは司令官。
そんなイベントは原作にはないが、本拠地があるので敵がそこに襲撃してくるという二次創作あるあるが存在する。私は料理中に敵が襲撃してきたのでキッチングッズ(包丁、肉叩き、煮えた油等)で迎え撃つという話を書いたことがある。Aは料理中に襲撃してきた敵が出窓にはまり込んでしまい、顔面にお湯をかけたりその口にわさびをねじりこんだりして撃退するという話を書いた。この時点では自分と似たネタだと思ってもパクリだとは思わなかった。
これも原作にはない二次創作あるあるで、性格の悪い司令官のせいで闇堕ちしたキャラが司令官を害するというものがある。別の作家の話に、司令官の偏見による圧制が原因で本拠地が瓦解、キャラは見学に来た新米司令官の元に異動することを選んだが、古参の一人が闇堕ちして自刃、その怨霊が元の司令官を殺害するという話があった。Aはそれと全く同じ展開の話を書いていた。闇堕ちした古参が別のキャラになっていただけだった。読んでいるうちに「あれ?」と思い、最後のオチで「パクリ!?」と思った。
今までの作品を読み返してみると「たまたまネタがかぶった」とは思えないものが見つかる。二次創作あるあるといっても話の流れが一緒になることはまずない。Aの作品はキャラが違うだけで、ほぼ話の流れが他の作品と一緒。しかも投稿日はその作品より後。料理中に襲撃された話も自分のパクリじゃないかと思えてくる。
Aは「ちゃんねる系」と呼ばれる、5ちゃんねる掲示板のような作品を書く。パクリ元の作風は普通の小説と同様。だからパクリ元と思われる作品と文章が一致することはない。それにあちこちにパクリ元と違うネタも挟まっている。
運営には通報していないが、モヤモヤはする。何が一番モヤモヤするって「これもパクリじゃないのか?」ってつい色眼鏡で見てしまうこと。
この前人気エントリ入りしていた記事で「チュプ」という単語を初めて知った。
私がいる界隈にも「同人界隈への迷惑行為を繰り返す子もち既婚女性」がいて、彼女たちへの対処に困っていたので「ああいうタイプの同人女のことか」とすとんと腑に落ちた。
ブコメを見る限りとっくの昔に死滅した言葉で、今ではババアキッズとかキッズバアアとか呼ばれている人たちを一昔前は「チュプ」と言っていたのかな?と感じた。
ちなみに結婚出産報告は勝手にしてくれと思っているので元増田には不賛成だし、今回はそのことについては取り上げない
本の感想をくれるのは嬉しいが後半になると「先日伊勢丹に行って~~」とか「主人とどうのこうの……」みたいな私の本とは関係のない日記のようなメッセージを送ってくる
こういう人は昔はたくさんいたらしいが、今でもいます。ホラーかよ。
他人への感想文にも「〇〇さんのゲロ甘小説を読んだら旦那との初エッチを思い出しちゃいました!」とか書いてくる
あのメールをもらった当初はゲロ甘という言葉を知らなかったのでググって意味を知って衝撃だった。こっちがゲロだよ!
長机のまわりを走り出す幼児、ぐずって泣き出す幼児……おまけに自分の意志ではないコスプレをさせられていてかわいそう
変態趣味の一般人の幼児の写真を保存されていたらどうするんだ…
炎上案件に積極的に参加してキレている。そのキレ方が喪っぽさ全開。
検索かけたら昨日の同人女が~の記事に「ああいう記事を書いたのは独身のブスに違いない」とまで謎のマウントをとる方法で怒りを表明していたのもやはり既婚女性だった。
批判されたら「ここは私のツイッターなので好きにします!」などひと昔前の個人サイトルールを持ち出してくる始末。
SNSが個人サイトではなく垣根のうすい公共の場であることを理解できず、いまだに個人サイト時代の感覚のまま生きているらしい。ホラー。
「公式にファンの声を届けよう!」と煽動して公式を困らせるタイプの人ね
忙しくて腹立ってるのはわかるが漏らした情報かき集めたらどこの会社かや住んでる地域もおおむね特定できてしまうんだが……
空港や劇場で出待ちしたりね、旅行先に待ち構えていたりと聞くたびに冷や汗が出るような行為をしている
それはもう犯罪では……?
結婚妊娠出産報告をするのは好きにしてくれという気持ちであったが、個人情報がばがばで迷惑行為をしている自覚がないチュプを見ているとそういう人を遠ざけたくなるのは確かである。
そもそも、ジャンルやCPについて語りたくて同人活動してるのに、なんでお前の私生活情報にも付き合わなきゃいけないんだみたいなところは正直ある。
「私生活情報込みで私の作品見てね~☆」ってことなんだろうが、じゃあ聞くけど、なんのために同人やってるんですか?お友達作り?だったらジャンルの力を借りずにインスタグラムあたりでオタママ垢でもやればいんじゃないですか?
これもまた人気エントリで知ったのだが「マミーポルノ」という言葉があるらしい。
「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」が確立させたとされている、ポルノ小説のジャンル。 同作が主に30〜40代を中心とした子供のいる女性の間で人気が高く、こう呼ばれている。 また、著者に家庭を持つ妻や母親が多かったことも名の由来とされている。
https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E
なるほど……!
そして日本にマミーポルノ作品が定着しなかったのは、既にR18同人文化が定着しているからだろう、というのは容易に想像できる。
だが日本の場合マミーポルノは2次創作同人で行われており、彼女ら創作するBLの中にはマミーポルノ作品に出てくるような特徴を持っているのだ。
幼児になった受けがいなくなって攻めがふぇえええ~~~とうるうるフェイスで泣かされているなど多岐にわたる
幼児化させられたキャラ同士ではぐはぐシーンなども。まるで動物の多頭飼育のよう
妊娠した受けを攻めがいたわる話が多い。オリキャラ息子が出てくると「息子より受け」な攻めが描かれる
BLなのに異性愛ベースの交際をしているというのも昭和の価値観から抜け出せないのだな、という印象である
「抽挿」「挿れる」「隘路」などじいさんが隠し持っていたフラ〇ス書院文庫みたいなエロ用語を2020年になった今でも使っている
このワードが出てくると(アッ……作者さんの年齢、かなり上だな)と察してしまう
いわゆるババ絵と呼ばれているアレです
塗りとか構図が進歩していない
2020年のジャンプ作品の同人でババ絵を見ると時空の歪みをアハ体験☆
マジで寒い。本当に寒い。なんだあのオタク臭全開のなれ合いシーンは……クールなキャラだろうがなんだろうがオタクのようなノリツッコミをさせられている。
そんでもって作者様本人らもSNSでオタク臭全開のなれ合いをしている。うすらきも寒い。
チュプのマミーポルノを見ていると「キャラが好きでBL同人をやっているのではなく、人気のある原作と手軽なキャラでマミーポルノ作ってオタクママ友会やってるだけ」みたいなところがある
マミーポルノが好きならそれでもいいが若年層やジャンルに迷惑をかけるのはやめてくれ
私はジャンルの輪を乱したりトラブルになるのはとても嫌なのでチュプにも愛想よく対応していますが、正直に言うと、会社の面倒くさいお局おばさんとお付き合いしている気分です
基本的に妄想を形にして自己満足に浸っているタイプなので、評価されてなくても書くけど、やっぱり評価されると嬉しい。コメントをもらうと大喜びする。「面白い」「続きが気になる」のように一言だけでも、コメントはもらえると嬉しい。
ただの愚痴なので、何の参考にもならないけど書いてみる。あと、以下の例はすべて実際にもらったものを基にした創作。
1:謎のオリキャラ
例:「メアリー『なんと愚かな……ここまで堕ちたか』沙羅『ご主人様が出るほどではございません、私にお任せを』」
原作キャラなら別にいいんだけどオリキャラは困る。たいていコメント欄で長々と小話作ってくるから困る。それは自分の作品内でやってくれ。
2:謎アイテム
例:「皆さんにこれを……『エリクサー(死者をも蘇らせる秘薬)』」
1の派生。作品内に出てくるアイテムならわかるんだけど、他作品内に出てきたアイテムだったりオリジナルのスーパーアイテムだったりするので困る。
3:自分語り
例:ラーメンを食べる話に対し「おいしそう!でも私はそばのほうが好きです」
「はい、そうですか」以外に返事しようがない。
最初から最後まで自分語りだと容赦なくコメントを削除できるが、一応褒め言葉もあるのでなんとなく消しづらい。
例:物理攻撃の利かない敵を水魔法で倒す話に対し「〇〇さんの話(物理攻撃の利かない敵を川に沈める話)のパクリですか?」
「パクリのつもりはないけどネタがかぶったか?」と思って該当作品を見に行くと、水で敵を倒すってところしかかぶってない。こっちが「怒りに任せて得意な水魔法をぶつけたら効いた」なら、あっちは「土に埋めるか水に沈めるかすれば勝てると思って川に誘導した」みたいな感じ。
私の場合、展開の元ネタが界隈ではメジャーだったので、そのことを私以外のユーザーが指摘した。あと本当にパクリだったとしても本人以外がオープンなところで騒ぐのはよろしくないと思う。
ちなみに名前を出された〇〇さんはどれも話が面白かったのでフォローした。
例1:キャラAが塩と砂糖を間違えて怒られる話に対し「Aをバカにする描写があるならキャラヘイトタグつけてください!」
例2:キャラAが塩と砂糖を間違えて怒られる話に対し「Aは(グロ描写)されて死んだほうがいいですねwww制裁編希望!」
1~4と比べて凶悪度が段違い。Aのことは普通に好きなのに、そんなつもりはなかったのに……と悩む。
私はこれが原因でコメント返信をやめた。あとキャラAの話を投稿するのは控えようと思った。
でもやっぱりコメントもらえると嬉しい。
今回はこの場をお借りして原作未履修者について少しばかり自分の思うことを書いていこうと思う。
まず私は原作主義者だ。「原作やってないけど創作しましたー!」っていうのが嫌いなタイプだ。
タイトルの主語は少し大きいが、原作未履修者を全員叩く文ではない。これは「原作全く知らないから自分なりに考えて独自の設定をつけてオリキャラみたいにしました!」という人を指す言葉である。
自界隈ははっきりいうと原作をやっていない人が創作をしていたりするようなジャンルだ。昔の作品であり、今は入手するのが少しばかり面倒な作品であるからであるのと、今はネットで調べればあらすじやキャラクターの関係なんかは出てくるからというのもあるだろう。そのため原作を見たことのない人が少なからずいる。
ゲームなんかだと実況動画を見て終わらせたり…これに関してはかなりグレーゾーンであるが。
いるのは仕方がない。私も今のジャンルを知ったきっかけはTLに偶然流れてきた二次創作を見たからであり、その頃はキャラクターは知っているが原作は知らないレベルだったからだ。その作品は原作が好きな人が考察を含めて愛を綴った作品で、魅力の伝え方がうまかったのもあり原作も面白そうだと色々と調べていくうちに「まぁ少し触れるだけなら」と原作に触れて沼に落ちた。
そんな私が原作をやっていない人をどうして苦手とするかというと、作品に対してではなくキャラ単体であったりカプであったりに萌えている人が多いからであり、そのような人が描くキャラクター像は上で書いたようにオリキャラのようになりがちだからである。
どれだけ検索をしようがそこに書かれた文からはキャラクターの心情や表情、性格などをはっきりと知ることはできない。こればかりは台詞回しやそのキャラクターに関わった人の動きなどを見なければ感じることができないと思っている。そしてそれはまとめサイトには載っていない。
自分の推しすらもこれこれこういう経歴のある心優しい人としか表記されていなかった。優しいからこそ自分に厳しく見ているこっちが心配になるぐらい精神的に弱かったりもするし、仲間に支えられたりしているんだけども。
だからこそ自分の推しに対して「優しいところが好き!聖人すぎて眩しい!」って持ち上げて騒いでいる人を見ると、この人は原作見てないなと思ってしまう。「優しいからこそ弱い。そこが魅力なんだ」と語る人との差異が顕著に出てくる。
たとえ実況動画で見たとしても実況者の意見に引っ張られやすいためそこから自分の意見を持つことは難しいだろう。
そのため原作を知らない人が描いたキャラクターはどこか薄っぺらく魂がない。魂がないため創作者自身が透けて見える。何かが違うのだ。
歴史上の伝説のみを聞いている人と、その時代に生きていた人の語りだと例えるとわかりやすいだろう。
薄っぺらいからこそ、こうであったら嬉しいな!私はこういう設定が好きだな!と設定が付け加えられる。それはもうそのキャラクターではなく作者のオリキャラじゃないかってほどに。そして台詞すらも薄くなる。
そうなるとどうなるだろうか。
自分がこの色の方がいいからって服や髪や目の色を変えられる。まとめサイトに書いていないからって過去を捏造される。性格を変えられる。
なんかしらの設定を付けて私物化しないでくれ。それは誰だ?原作を踏み台にキャラクターという素材を使って行う一次創作キャラみたいなものになっているじゃないか。
残ったのは髪型と整った顔だけで、そのキャラである必要はあるのだろうかと疑問に思うことも多い。お人形遊びのようにキャラクターを扱うその人がキャラクターに求めているのは残ったそこだけなんだろうけども。
このキャラに対して愛が重いとか自慢をするぐらいならせめて原作を見てくれ、頼む。愛が重いのならそのぐらいの投資は安いものじゃないか?
そのような人が作る作品を見て、原作を知らないけどこの人のキャラクターは好きだなという人が現れて誤解の連鎖が続いてしまう。薄っぺらいからこそ原作に対して魅力を感じさせることができず、キャラ萌えのみの間違った解釈が広まってしまう。「このキャラクターはかっこいいね、可愛いね、綺麗だね」で終わってしまう。
私が最初に見た作品が原作愛のある作品だったからこそ私はここまで落ちたのもあるだろう。それまではキャラクターを見たことはあったがここまでは落ちていなかった。
そして絵がうまい人に限ってそれをやりがちだ。原作をきちんと知らない人にとっては二次創作こそが作品への入り口になってしまうし、原作となってしまうんだ。気をつけてほしい。
「〇〇さんの描く黒(化された)キャラが好き!好きなんだけど探してもないんだよな〜」と言うツイートを見たときは頭を抱えたくなった。
自分好みのキャラクターではなくキャラクター自身を愛してあげてほしい。着せ替え人形みたいな扱いをしないでほしい。
原作を履修せずに創作をしている人は一度支部やTwitterなどでキャラクター名やカプ名ではなく原作名でも検索をかけてみてほしい。その世界はあなたの考えている世界と同じだろうか。
ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。
私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。
私はしがない字書きの大学生である。中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクターを架空の世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。
高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。
とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員と一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かばず空虚な日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量で部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。
恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクである。とはいえ、二次創作をイラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNSに投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。
そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。
端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女は高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)
Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才だから」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋に尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートやボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校の赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。
思うに、Aはオープンな性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才だから(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポートの画像)」などなど。活きの良い大学生である。
さて、本題から離れてしまったが、私がお話したかったのはAの創作についての話である。
実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作のゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。
なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。
彼女はゲームのシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。
Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。
そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターのイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクターの個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つのも自然だろう。
最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらのファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。
Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。
Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。
そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。
なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分の創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。
四の五の言わずに書けよ。
一発当てたいなら本気で完成させろよ。
甘えてんのか。
もちろん私は今の文壇をリードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。
「わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分の好きな物上手く書けなそうじゃない?」
私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。
オープンな彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである。
「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」
子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。
また、数日後にはこんなツイートもあった。
「承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」
私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。
今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。
SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである。
さほど苦ではない。しかし確実に自分がストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。
結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから。
推しには女の子と幸せな恋愛をし、結婚して、子供を作るという人生を歩んで欲しいと思っています。
なので、推しの将来を考えると、どうしても「周囲から反対されるのではないか?」「周囲に認めさせる過程で推しの心が傷ついてしまうのではないか?」などと考えてしまい、純粋な気持ちで腐作品を楽しむことができません。
これと同じ理由で、男女愛であっても身分差や10歳以上の年齢差があるカプを安心して見ることができません。
こんな古い価値観・偏見を持っている自分が情けなくてたまりません。ですが、どうしても恋愛で推しに辛い思いをさせたくなくて、脳内お花畑みたいな妄想しかできません。
自分は腐を純粋な気持ちで楽しめる方々を心の底から尊敬しています。一体どのようにして、同性愛を受け入れられるようになったのか知りたいです。