はてなキーワード: 考察とは
先程400ぐらいブクマついて
ブコメと増田合わせて300レスは議論が出た増田エントリが消えた。
それなりに意義のある話題だったしネットのログとして残すべき価値があったと自分は思う。
だって300人から発言したい人間を集めてコメント貰おうとしたら結構なコスト掛かるよ?ログとして残しておけばこの時期に於ける日本の社会考察としてライブラリとなったはずだ。
いや止めようが無いし消す自由は当然あるよ。それが増田だから。
だけど議論に参加した人々のコストは参照元が消え去ったことで直接ワードのサーチに引っかからないログの奥底に埋没してしまった。今までも繰り返されてきたし増田が変わらない限り繰り返すだろう。
前に分類した以下のような感情は「期待」から生まれるのでは?という考察
また、他人の期待を多く見、理解する過程で、自分の中で「こう期待されるだろう」という推測データが作り上げられる。
その推測データを素に自分が他人からどう期待されているかを推察するようになる。
期待の推察が過剰になると被害妄想に発展する。
「疎外感」「無力感」は、「罪悪感」のうちの一種類としてカウントできる。
「不満」は、相手に「罪悪感」を抱かせる働きを取る。
その罪悪感は誰のどんな期待によって生まれたのか
ガッカリさせ、失望させ、イライラさせ、不快にさせ、不満にさせたとしても
そのことに罪の意識を感じる必要が自分にあるのか?を考えるのもいい。
罪の意識を感じさせようとしてくるのは、コントロールしてこようとしてくることと同義です。
だったらそこをいちいち気にするのは徒労じゃないの?
そもそもそれが自分の望みでないなら、同一視するべきじゃないのでは?
罪の意識を感じさせれるような自分の姿…「こうあるべき」姿と食い違う自分。
それを変えることが本当に自分の望みなの?
それをよく考えることだ。
「なぜ鬱になるか?」
「なぜ罪悪感を感じるか?」
「行動の結果背負う責任とはなに?」
「自分が引き起こした結果を受けて、それが自分の起こした行動の結果だという自覚を持った上で、次の行動につなげていくこと」
「どうすれば次の行動につなげていける?」
「罪悪感(鬱)に足を取られてそもそも対処できなくなる状態を避ける」
「どうすれば罪悪感とうまく付き合える?」
「罪悪感は"こうあるべき/こうあるべきでない"という期待、定義から生まれる。定義に即しているのが常で、反すれば異常。この期待度には大小がある。例えば、こうあるべきでないという期待のうち、規模の大きいもので言えば無差別殺人を犯すとか、強姦、強盗とか。小さいもので言えばTPOを無視した服を着るとか、言葉遣いの乱れ、電車内での通話とか。小さいものまで目を皿のようにして"禁止されている"ように感じるから、それが(自分には許容範囲でも)誰かにとっては許されないものなのではないかと想像して、なんでもかんでも不安になり、行動をためらう……で、規模の小さい禁止行為(と思い込んでいる行動)の受け止め方が、自分の中で変わっていけば、それが罪悪感とのうまい付き合い方になる。と思う。」
「それはどんな変化?」
「それをすることで、誰かが不快に思うだろう、だからやってはいけない。やるべきではないだろう。でも、自分はやってみたい。だったらやってみよう。こんな変化。」
「実際に誰かに不快に思われて、"やめろ"と言われたらどうする?」
「それは、自分のやりたい行為と、相手のこうあるべきという行為が相反している状態。一種の戦争状態。強行して自分を貫いて勝ちを得るとか、降伏して相手の意を汲みすっぱり諦めるとか、色々戦略が考えられる。自分のやりたい行為を続けたいのであれば、相手と向き合う必要がある。強引で暴力的な状況ではなく、交渉状態に移行できるといいと思う。」
「自分の中ではこのように納得しているので、それを実行している、という相手に提示できる自己説明を提示できればいいと思う。そうしたらそれを受けて相手のそれに納得できない理由を聞き出せる。それに対して自分も相手の納得できない部分に交渉を返せる。どうなら納得できるかって視点に切り替えられれば、その繰り返しで妥協点が見つかると思う。」
「集団は、個人で構成された組織。組織は、ある機能をもたせることを目的に存在している。機能を大きく損なうのを防ぐためのものが"ルール"。その集団がどんな機能のために存在しているのか?損なうとしたらどう損なわれるのか?どこまでなら損なわれても問題ないのか?とかを考えて動いて、融通がきかないんだったらその組織を離れて別の方法を試すよう方向転換すればいいと思う。」
あくまでも集団の一部ではなく個人として生きているという自覚があれば
集団の雰囲気や不文律や古いしきたりや多数決の結果や場の空気みたいなアレに振り回されなくてすむんじゃないのか
という期待
交渉とか高度なこと求めるのこそ酷では?
どうせ机上の空論!
嫌になってきたところで寝てリセット
みんな口を揃えて「日本のアイドルより全てにおいてレベルが高い」
「彫刻の様に美しい」
「一度韓国のレベル高い女の子を知ってしまうと日本のだっっっさいアイドルなんて見てらんない」
最近周りがK-pop K-pop言いだしてきた。みんな話題にするのでどんなものかとK-popをyoutubeや色々なサイトで勉強した。まあまあ詳しくなったので地下からスタダハロプロまでアイドルというよりアイドル界が大好き女オタの意見をここに書きます。
EXIDBlackpinkRedVelvetLovelyzTWICE....有名どころをyoutubeの関連動画で片っ端から30時間近く見ました。
ファーストコンタクトで思った事。
(良)
・PVがおしゃれ。セットが凝っててあ〜金かかってんな〜って一目でわかる
・ダンスが上手い
・全体的にエロい 激しいダンスってよりエロいダンスで女から見てもエロいなって思った。
・Lovelyzというグループが歌謡曲調で新鮮だった。声がかわいい
(悪)
・EDMにラップが突然入るパターンがめちゃくちゃ多い 音楽的に耐え切れなかった
・衣装が似たり寄ったり スタイルをよく見せる衣装にこだわってるからなのかテニススカート、へそチラトップス、乳袋制服を何回も見かけた気がする
・口パク 日本のアイドル(AKB乃木坂とかは知らないよ)ハロプロavex系(女子流フェアリーズ)スタダ(ももクロエビ中しゃちほこ)この辺のメジャーは完全生歌。まだ地下アイドルは被せ多いけど地下から脱出したり有名になるにつれて生歌になる(BiSHとか)
K-popはダンスに力を入れてるからなのかヘッドマイクが多かった(Blackpinkなど)ヘッドマイクで被せはほぼ音源しか聞こえない。
・違いがわからない。私がまだ初心者だからなのかもしれないが顔も髪型も似てる人が多すぎる。コンセプトも
K-popアイドルの支持層は陽キャラって呼ばれるイケイケの女性が多いのかなーと思った。最近の日本アイドルで女の子にネットで宗教的な人気ある子がメンヘラというかサブカルチャー寄りが多いのでそことで棲み分けされてるのかなと考察。フォロワー数がすごいあのちゃんとか黒宮れいアイナジエンドetc独特の世界観でオンリーワンの個性を築いているのに対してK-popは誰が見ても綺麗でかわいいって印象。
まとめ
最近メディアで日本のアイドルはk-popにボロ負けしてるって聞くけど比べられないと思う。ジャンルもターゲットも違う。東大と藝大どっちが上なの?って比べても意味ないと思います。
A20の4話と5話を読んだ時に、ある直感が走った。
この漫画は面白いだがもう一歩面白くなるためには乗り越えないといけないハードルがある、と。
それが、三船美優が柊志乃ないし片桐早苗をしんでれらに誘うエピソード、そして柊志乃か片桐早苗のどちらかがどちらかを誘うエピソードの有無だ。
こんなの、物語のあるあるで、考察というほど特筆すべきことじゃないと思うのだけど、
これは、言ってしまえば「アイドルたちの交流」を主題としつつも、
アイドルたちの繋がりの「鎹(かすがい)」にしんでらをしていき舞台を際立たせたい、という作者の主張だと感じた。
だからこそ、高垣楓から川島瑞樹、川島瑞樹から三船美優とつながっていったバトンは、どんどんリレーしていかないといけない。
なぜなら、常に話の導入が高垣楓か川島瑞樹であるなら、しんでれらは鎹にはなれないからだ。
それじゃあ、メインキャラを次々に変えていく必要もないし、もっと言うなら、視点人物はプロデューサーのような第三者を当てるべきだ。
けれども、6話で三船さんが柊さんをしんでれらに誘った。
これはもう、作者からの「この漫画はこうして、アイドルたちの交流がどんどん広がっていって、その中心にしんでれらという場があるんだよ」という強い主張で、
ついに、今回の7話で、柊さんが片桐さんを誘うことで、最初の告知絵に出てきた5人の輪が広がる様が存分に描かれていたと思う。
高垣さんから川島さん、川島さんから三船さん、三船さんから柊さんと、柊さんから片桐さんへと、次々につながっていく。
そしてその、鎹にしんでれらがある。
アイドルを描く漫画でありながら、食事漫画としての側面も出したいA20にとって、王道といえば王道だし、テクニカルといえばテクニカルに、きちんと表現できているし、
もっというなら、今後この5人より先にまた、どんどんとつながっていく楽しみも見いだせる。
もちろん、まずはこの5人で何話かシチュエーションを変えてエピソードを挟むのも良いけど、お酒が飲めるアイドルはまだ多くいるので、そこにつながっていく期待度は十分に上がったと思う。
それにしても、7話の18Pの高垣さんの顔。
もうこの顔を描いた時点で、この漫画がどう転んでも面白いことは確定したように思えるんだよね。
いやあ、本当いい漫画だなあ。
というわけで、勝手に僕が心の中で、A20のテーマソングにしている、工藤静香の慟哭……
じゃなかった、ハチミツとウインナーの「CLAMP of STARS」Youtubeを貼っておきます。
【伊福部崇×天津向】ハチミツとウインナー 視聴動画【Bose(スチャダラパー)×RAM RIDER】 - YouTube
https://anond.hatelabo.jp/20180311000252
ありがたいことに色んな方に見て頂き、はてなブックマークにコメントを頂きました。
今回はそちらのコメントから一部抜粋して返信したいと思います。
影からキャラクターを考察・特定している人はたくさんいるみたいですね。私もいくつか拝見しました。
しかし、考察内容を見る限り、だいたい無難な線ばかりで衝撃的なサプライズは影に潜んではいないようです。
また、あれで全員という事も無いだろうと考えているので、個人的には掘り下げてもあまり面白くないテーマだなと思いました。
これらはおそらく、今作がfor~の移植という私の予想に対する反応でしょうか。
確かに、今作の開発期間を「長く見て3年8ヶ月」と試算したので、それだけあれば完全新作を作れそうな気がしてきました。
ただそれでも、移植の線を捨てきれない(信じたい)という理由があって、それは
リストラが怖い
という事です…。
逆に言えばそれだけなので、for~のキャラが全員続投されるのであれば、完全新作でもなんでも良いという気持ちです。
なので、私の"理想"は、「for~のキャラが全員続投した完全新作」ですね。
それがあまりにも理想すぎるので、移植という"予想"をしたという形です。
これまで、桜井さんのゲームタイトルは、まず制作スタッフを集めるところからスタートしていたという印象があります。
for~の時も、2012/6/22のニンテンドーダイレクト内でバンダイナムコゲームスとの共同制作が発表され、本格的な制作が始まったと記憶しています。
もし、前作の開発終了後にバンダイナムコゲームスとの共同制作を解消し、また1からスタッフを集めて…という事であれば、
完全新作だった場合に2018年に発売し、かつ全キャラ続投は難しいかもしれません。
しかし、あのPVの構成やセンスはfor~の時の各PVを彷彿させるものがありました。
なので、制作スタッフは前作から続投したと考えています。であれば、そこまで不安になることも無いかもしれませんね。
ここしか、書くところが無くて…。
考察に使われそうなキーワードは考えてないし、検索オプションも使ってないんだろ。
普段から情報収集してれば長文考察を書いてるブログのひとつやふたつは知ってるだろうし、
そのブロガーをTwitterで探して、その人がフォローしているアカウントを辿ったり、よくRTされるアカウントを覚えたり、
現実世界で趣味が合う人がいないので、Twitterで探したいと考えているんだけど、「〜好きで繋がりたい」ハッシュタグをつかっているような人たちとあまり合わない感じがする。私はどちらかといえば作品の考察でじっくり語り合う方が好きなのだけど、そういう人はあまりハッシュタグで見かけない。
でもそうなると繋がる手段が本当にない。好きなもののキーワードで検索しても上がってくるのは大体そういう人たちか、宣伝垢か、botだ。
私が仲良くなりたい相手は鍵垢が多いのかも!と思っても、鍵垢なのでどんな人か知るべくもない。ツイプロのリンクもなく、プロフィール欄には不思議な文言があるだけだ。めっちゃ気になるけど、片っ端からフォロリクしても、同じ趣味の人に当たる確率ってかなり低い気がする。
みんなはどうやって同類と会ったの?
1 ヶ月くらい前からサインバルタという抗うつ薬を内服している。これは SNRI という薬剤に分類されるもので、神経伝達物質であるセロトニンとノルアドレナリン、両方の機能を増強するものだ。かなりの劇薬で、この手の薬剤にはよくあるように内服開始すると早々に副作用が出てくるものの、患者が必要としている薬効は少なくとも 1 週間くらいは内服継続しないと出てこない。
これまで何年間も抑うつ状態から浮かび上がることができずに苦しんでいたが、サインバルタを内服開始してから 1 ヶ月ほど経過し、やっと副作用もやわらいで気分落ち込みのない "普通" の時間が出てきた。ただしそれが終日続くようなことはなく、せいぜい 30 分から 2 時間くらいのことであるが、それでも気持ちが穏やかな時間ができたのは本当に嬉しい。
今回改めて思うのは、自身のうつ病を薬物なしで、気持ちの切り替えなどの自助努力のみで良くすることは自分には無理だっただろうということだ。しかし今までも他の抗うつ薬を試す機会は何度かあったが、それらは全く上手くいかなかった。では何が違うのか、私的経験のみにもとづくものではあるが考察してみたい。
当然のことであるが、薬の合う合わないはあるかと思う。抗うつ薬は効果が出るまでに時間がかかる一方で、抗うつ薬の副作用は強烈であるし、うつ病患者にはトライアンドエラーができるほどの気持ちの余裕は全くないため、効く薬さがしは難儀することが多いかとは思う。また単剤で十分量を十分期間投与というのがうつ病治療の基本らしいのだが、十分期間を待つことも難しい。今回は日中の眠気が少ない薬剤を選択してもらえたのが継続できた理由のひとつかと思う。
いずれも抗うつ薬の治療効果をマスクしてしまう可能性がある。つまりアルコールや抗不安薬での気分変化のほうが大きいため、抗うつ薬が効いていたとしてもその変化を感じとれない可能性がある。かつての私はこの問題に陥っていた可能性が高い。今回はアルコールも抗不安薬も常用していなかったので僅かな気分の復調を敏感に感じとることができ、それも治療継続のモチベーションとなった。
運動によって自発的に脳内麻薬/エンドルフィンモードをつくり出せると、気分のよい時間を増やすことができる。有酸素運動で脳内麻薬を出すにはマラソンにおけるランナーズハイのようにけっこうな時間がかかってしまうが、短距離走ダッシュとか筋トレなど全力を出すような無酸素運動であれば比較的簡単にエンドルフィンモードに近づけるようだ。この状態にするには全力を出すことが肝心なようで、自重だけで十分負荷をかけるのは困難なので、筋トレするならジム通いが効率的だろうと思う。私は 10 回ギリギリできるくらいの負荷をかけ、時間をおいて 3 セット繰り返すようにしている。
1時間で、3円の損失
つまり、
「被災者のことを考えて、一週間以上かけて16万円程損をしました」
「馬鹿だなー (笑)、俺はそこまで馬鹿じゃ無くてよかった、人生棒にふるレベルの低能に比べたら、一過性の被災なんか些細な問題だな!」
本来、句読点があるべきところに半角スペースを用いるツイートを度々見かけます。半角スペースのおかげで、ここで一拍おきたいのだなとわかるのですが、では何故句読点を使用しないのでしょう?
全てがそんな調子ですから、その半角スペースが「、」を意味しているのか「。」を意味しているのか判断できないこともしばしばあります。
勝手ながら、こういうツイートを見ますと「他者に正確に情報を伝えることより、よくわからないマイルールに縛られている頑固な人」という印象を持ってしまいます。
みなさんは句読点の代わりに半角スペースを用いる人をどう考察していますか?
ご意見なんでもお聞かせください。
私はいわゆるオタクという生き物、しかも基本好きになるのは主要ではなく脇なんかでひっそり生きているか主要でも女性人気の低いマイナーキャラだ。見目麗しいキラキラしたイケメンよりも、一癖も二癖もいやもう五癖くらいあるキャラの方が好きだ。
例えるとすればアンパンマンより天丼マン、工藤新一より毛利小五郎、ハウルよりクロトワ、サトシよりタケシ、徳井より福田、ハンバーグよりクレソン…みたいな感じだろうか。ハンバーグに至ってはクレソンが乗っていない時の方が多いだろう。
そんな癖がある決して正統派とは言えないキャラを気付けば好きになってしまう。
付き合いたいとかは微塵も思わない。何気無い彼らの生活を己が干渉すること無く、空から見守りたい。
お気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、ここまでは前置き。ずっとこんな調子で続くから耐えて欲しい。
遡ること数年前、私はやっぱりしがないオタクだった。あるアニメの放送が始まりなんとなくで観始めたら最後、どっぷりとハマってしまった。
毎週の放送が楽しみで、おのずと好きなキャラ…いわゆる推しも出来た。決してグットルッキングガイとは言えなかったが、性格や立ち位置やセリフ回しなんかが凄く好きだった。いつもは筋肉むきむきのキャラばかり好きになるのに、「痩身も悪くないな!」と思えた。
そのキャラが出る回は例え一瞬でも何度も何度も繰り返し観た。
そんなこんなで推しが出来ると、今度はそれを語り合う相手が欲しくなる。
現代にはツイッターなんていうオタクに優しいコンテンツがあるので、私はそれで仲間を探した。…が、やはりマイナーなのである。私が好きになるキャラは基本マイナーなのである。全然仲間がいないのである。
人気アニメで、沢山のオタクが楽しげにひしめき合っていると言うのに、その人混みを掻き分けども掻き分けども見つからない。カバンの中も机の中も探したけれど見つからない。
同士はいないのかー!
もう全然良い、腐女子でも貴腐人でもなんでも良い。それより私と踊り狂って欲しい。
そんなこんなで私は腐女子のお姉さま方という素敵な語れる仲間を見つけ、幸せ推し語り生活が始まる……はずだった。はずだったんだけど、いや始まってはいた。でもね、そのお姉さま方は一番好きなキャラは別にいた。
推しが違った。
ではどうして私の呼び掛けに彼女達は応えたか。……そう、そこでカップリングという問題が発生するのである。
カップリングとはつまりキャラ同士がイチャイチャするに当たっての男性役と女性役の掛け合わせだ。
掛け合わせるキャラによって名称も変わる。アンパンマンが男性役で天丼マンが女性役ならアン天みたいな。知らんけど。
基本一番好きなキャラ…最推しは女性役にする人が多い(勿論逆の人も沢山いるけどその傾向が強い)。
私が繋がったお姉さま方はみなさん私の推しを男性役に置いていた。そこで認識の齟齬が生じていたわけだ。ついでに男役と女役を逆にした所謂「逆カプ」の人口はほぼ無かった。
悪口ではなく比喩でもなく、本当にウンコみたいなカップリング名だった。もうどう擁護も出来ない程にウンコだった。(その後あまりにもウンコなので名称が改良されたらしいけど、それはまた別のお話)
そんなわけでどうにも腑に落ちないままずるずるとアニメを見てツイッターなんかで感想を漏らしていた時、一人の同志と繋がった。
彼女もやっぱり腐女子で、しかも最推しは別にいる。私の推しを男性役の方に置いて腐った生活を楽しんでいるような人だった。しかし話していくうちに彼女は彼らをBLとしてではなく、キャラ同士の精神的な繋がりが好きだと吐露するようになった。
……分かる、分かるよ。物凄く分かる。
そう私も同意した。
というのも、彼女の最推しと私の最推しは協力者であり主従であり静と動であり、また一種の腹心の友のような複雑な関係だった。それが好きなのだと彼女は言う。私も全く同じだった。
それからと言うもの、彼女とめちゃくちゃ二人の考察を語り尽くした。とても楽しかった。アニメは最終回を迎え、各々考えさせられる様なラストではあったがそれでも私達の熱は冷めず、毎日毎日推しは違えど二人の関係性を語って盛り上がった。
こんな時間がいつまでも続くと、私も彼女も思っていたことだろう。多分。
そんな中、事件は起きた。
アニメの最終回から数ヶ月経ったある日、一冊のスピンオフ本が出版された。なんと私の推しがメインキャラだった。しかもアニメ本編よりも前が舞台。つまり彼の半生を知ることが出来る。
発売日を手帳に書き込み、わくわくしながら待ってそして満を持して小説を手に入れた。フォロワーの腐女子のお姉さま方もみなさん手に入れていたし、もちろん彼女も「スピンオフ買ってきた!」とはしゃいでいた。また沢山語れるネタが増える!嬉しい!私は素直にそう思っていたし、フォロワーさん達も彼女も同じ気持ちだっただろう。
そう、読むまではね。
その日の夜、ツイッターのタイムラインは死屍累々だった。本当にあれは地獄だった、誰も全く幸せじゃ無かった。さながらお通夜。全員喪服着て泣きながらお焼香あげてる。
みんながわくわくしながらページをめくり、余す所無く読み込んだであろう私の推しのスピンオフにはとんでもないことが記されていた。
ちんこが無い……?
ちんこが無いって……?
ちんこが無い……?
どういうこと……?
比喩……??
いいや、比喩ではない。
本当にちんこが無かった。
正確に言えば拷問のすえ去勢されていた。正直、どう自分の中で処理すれば良いか分からなかった。だって今まで推しにちんこが無いなんて状況、一度だって経験して来なかった。というか考えたことすら無かった。そらそうだ、もしかして無いかも?なんて日常的に考えてたら危ない人だ。
まあね、別に私はそれでも良かった。
ちんこがあろうと無かろうと、推しが推しであることに変わりはない。別にちんこの必要性とか無かったし。ただトイレとか立って出来ないのかなとは思ったけど。いつも個室に入らなきゃいけないわけだから、推しが小学校高学年の多感な時期じゃなくて良かったなみたいな。え、小学校高学年の推し?想像したらか〜わ〜い〜い〜!
だが、腐女子のお姉さま方は違った。そりゃそうだ、だって男性役に据えてた男にちんこが無かったんだもの。
じゃあ今まで私達がしてた妄想ってなに???あのちんこはなんだったの???まぼろし???
そんな感じでみんな死んでいた。現実について行けず、一部ハイテンションな人もいて逆に悲しくなった。
そんな、無理すんなよ…泣きたい時は泣いて良いんだぞ…。
そうやって私が肩を抱いてやる前に、1人また1人とお姉さま方は別のカップリング、もしくは別の推しを見つけジャンルから去っていった。随分と人が少なくなって廃れ、ダムに沈んだ街みたいになった。
でも、私にはあの子がいた。
やったー!あの子なら別に私の推しにちんこがなくても変わらず語ってくれる!だって精神的な繋がりが好きなんだもの!そう思い、私はウキウキでその子のアカウントを覗いた。
明らかにツイートが減ったのは推しにちんこが無いと判明した時期。当初はそれでもぽつぽつと呟いていたようだが、次第にそれもなくなり「すごい」という呟きを最後に更新がなくなっていた。何がすごかったのか、それを聞くことは金輪際叶わないだろう。
なぜなら、彼女はそれから暫くしてアカウントを消してしまったから。
ああ、ちんこか。
私はそう思った。
お前もちんこなのか。
私は信じていたのに、結局ちんこなのか。
精神的な繋がりが好きだと言っていた彼女のリプライを思い出し、そしてまた思った。
好きだったの、ちんこ的な繋がりじゃん。
なぜ突然こんな話をしたためたか。
それは、つい最近公式で大きな発表があったからだ。どうやら、私に天国と地獄両方を見せてくれたその作品の映画第2段が制作されるらしい。きっと私の推しは出ては来ないだろう。それでも、あの時感じた失意とそれを上回る楽しかった記憶とを思い出し記録しておきたいと思ったのだ。
みなさんもどうか気を付けて頂きたいと切に思う。
女性キャラにおっぱいがないなんて事良くあるよとのコメントを頂いたが、良く考えてみて欲しい。私の推しにないのはちんこだ。つまり男性器である。ならばそこで消失すべきは女性器の方ではないだろうか。
貴方の大好きな女の子に女性器が無いのである、じゃあ今までの甘い妄想はなんだったんだ!?あの穴は幻想だったのか!?何処に出し入れしてたんだ!?なんて思わないだろうか。
私は推しの事をそういう目で見てはいなかったのでノーダメージだったが、そういう目で見ていた腐女子のお姉さま方には大ダメージだったのだ。きっと今まで自分の中で育んできた彼らの記憶が幻想だったと悟り、とんでもない喪失感に襲われたのだろう。ご理解頂きたい、彼女たちも私とは別角度で心に傷を負ったのだ。
2020.追記
このアニメの3期が今年放送、また配信されました。もちろん見ました。大好きな彼は当たり前ながら出て来ないですが、非常に面白かったです。とくに敵のトップが最高でした。これからもこのコンテンツが繁栄していく事を願います。
私は自分の方が少しでも優れている部分があると、自分より少しでも優れていないものへの怒りがおさえられなくなり、攻撃したくなってしまう。
それは、私が過去にいじめられたのを自分が底辺の劣った人間だからだ、という理由で納得させていたからだ。
しかし、劣った人間ではない、と思い込もうとすると世界の理不尽に耐えきれなくなるのでどうすればよいのか長年わからなかった。
同じような、世の中の理不尽を受け入れられない状況にいる人達のヒントになるといいなーと思ってこの文章を書く。
たぶん多くの人はこれに気付いているし、わざわざいうこともないから誰も言わないのだと思うが、私のような馬鹿は一生これに気づかず苦しみながら人生を終えることもあるかもしれないので、わざわざ言語化してみる。
いやたぶん人間は多かれ少なかれみなそうだと思う。
災害とかが起こって人が死んだり、飢えで苦しんだりするたびに、そのことを運が悪かったのだと自分を納得させることができなくて、神への崇拝が足りないんだ、とかって納得させるために宗教とか生まれたんじゃないかなあと思うし。
でも、今日読んだ本に書いてあったのだけど、世界って人間には操れないカオスなんだって。
いや薄々気づいてはいたけど、気づかないようにしてた。
そして、その自分の作った法則は実際には世界に法則なんかなくてカオスなので、歪みがうまれて自分のことをがんじがらめにしていたから上に書いた問題やそれ以外の諸問題をひきおこしていたんじゃないか?と思った。また、それって多くの人がそうなんじゃないか?とも思った。
例えば、どこの国か忘れたんだけど、黒人差別のひどい国では、白人が黒人の愛人との子供を可愛がる一方で、それとよく似た姿をした黒人奴隷は自分の大便を食わせたり、鞭で容赦なく叩いたりする、という理不尽があった。その理不尽を運が悪かったのだ、ということだけでは納得できず、いつしか黒人自身に少しでも肌が白いものは優れていて、少しでも肌が黒い劣った者を差別していい、という価値観をうみだし、黒人自身がそれより少しでも肌の黒い黒人を差別するようになったそうだ。
ネットの弱者叩きもそうじゃないかな、と思う。公正世界仮説と呼ばれているけど、世界はカオスだということを受け入れられず、世界は罪を犯したものにそれに値する罰を与えるという法則がある、と自分に言い聞かせているので、実際には世界はカオスで弱者には何の罪もないのにも関わらず、その法則にしたがって弱者を攻撃してしまう。
つまり、世界がカオスであるということを受け入れなければ、人間は幸福にはなれないのではなかろうか。
しかし、世界がカオスであるということを受け入れるだけでは、人間は生きる意味を見失ってしまう。
世の中は理不尽なんだから、何かをやってもすぐに失ってしまう。だから、なにもせず、世界のカオスに押し流されるまま生きて、死ぬのをひたすら待とう、しかしそれって生きる意味なんかあるんだろうか、と考えてしまう者たちがいる。たぶん、多くの人はそれに気づかないように適度に麻薬を与えマヒさせながら生きているのではないだろうか。そしてそれがうまくできない人が生きる意味を見失ってしまうんじゃないだろうか。
だから、人生を肯定するということは世界がカオスであるということを受け入れた上で、それでも自分の人生をコントロールすることを試み続けるという矛盾を繰り返すことなんじゃないだろうか。
頭が悪いので全然違うかもしれないけど、ニーチェの永劫回帰とか超人とかいう考え方もこれに通じるのではないかな~と個人的には思っている。
自分は何事にも理由や法則を求めてしまう愚かな人間なので、自分を世の中が提案するマヒの方法でマヒさせながら生きることができない。上記のような考察をしないと生きられない。
この文章は同じようなマヒさせながら生きることもできずどうすればよいのかわからなくなっているバカに、
まあとりあえず私は、世界がカオスな大海原であるということを受け入れた上で、なんとか自分の持っている船をこいで、何度も押し戻されてひどい目にあいながら、それでも行きたい場所を目指したいと思っている。そういう風に生を解釈してみてはどうだろうか、というマヒのさせ方を提案するものである。
少しでも私のような馬鹿が生きるのが楽になることを願う。
悪魔城ドラキュラ、デビルマン、B、AICOとネトフリアニメを見た。
いずれも視聴者に媚びてなくて、クリエイターが作りたいものを作った感じがして大変良かった。
その回をすっ飛ばしても全体の話に全く影響がない話が嫌いだ。
世界観を無視してビーチバレー始めたり、突然温泉が湧いたり、こじつけで脱ぎだしたり、しかもそれを円盤の売上のためとか言い訳したりするのが大嫌いだ。
そのせいで後半説明不足になったりするともう最悪。なんであの回入れたのか!?と恨みしか募らない。
水着では無いがウテナにちょこちょこ入ってくる七実回は本当に嫌だった。七実は好きだけど、一連のあれ必要だったか?と今でも思う。
今のところネトフリアニメはそれが無い。
萌え美少女や腐向け美少年で「釣って」るようなアニメもなくて良い。