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航空自衛隊のオリジナルキャラクター「おまねこ」のプロフィール文がひどいので物申したい
https://www.mod.go.jp/asdf/omaezaki/1/kichishoukai/index2.html
おまねこ
・第にゃーにゃー警隊所属隊員。レーダードームで遊びたくて当分屯基地に所属。
・オスである
オスである。じゃあねーんだよな
キャラクターの説明に「オス」とか生々しい言葉を使うもんじゃない
・ポイント
❌オス⭕男のコ
「〜〜したい」は「〜〜が夢」と書くと可愛らしい
おまねこ
イタズラ好きで元気いっぱいな猫の男のコ。
第にゃーにゃー警隊所属隊員。
運動が得意だけど泳ぐのはニガテ。
もうよくねえか、これで
オスである。とか見たくねえんだよ俺あよ
たのむぜ
じゃあな
その気になれば会えるんだがなそれだとドラマチックにはならんのよね
お互い30代後半、嫁は専業(not育休)、子供は未就学児一人。
恐らく賛否両論、いや否が多いんだろうけど、自分の中で一区切りしたいと思い書き記す。
はじまりは多分大多数と同じで妊娠出産という出来ない時期を経て、
レスでいたらそのまま約3年経過し今に至る。
子供も少し手を離れて、余裕とは言わないまでも、
多少他に目を向けて欲しいなと思い、ちょこちょこそれとなく言ってみるが、
なんとなくはぐらかしてくるので、こちらからきちんと提案したのが半年前。
その時の向こうの答えが
「家事育児で忙しいし疲れている。家事をもう少し負担してくれたら考えてもいい。」
というような大意だった。
これを聞いてタイトルのことを思ったわけだが、
私が休みの日や、妻の体調が悪い時、用事があるときなど勿論やることもある。
○○してくれたら○○してあげる、っていうこの言い方がもうダメだった。
極端な話これは裏を返せば、手伝わなければやらせない、ってことだし、
こちらからすれば、手伝ったんだからやらせろ、っていうことになる。
条件付けをするということはそういうことだと理解する。
そもそも忙しい、疲れているといいつつ、Twitterは頻繫に更新してるし、好きなドラマは見るし、ゲームはやってるし、自分の趣味の時間もとっている。
これも別にそれらが悪いということ言いたいわけじゃない。
こういうことよりも、行為の優先順位が下になった、というのに気が付いたことにガッカリした。
多分もう私とはそういうことはしたくないんだろうな、そのための言い訳なんだろうな、と悟った瞬間だった。
子供が幼少期、無自覚に失望させるような言動行動があって失望したとか、
他に好きな人が出来たとか、確認していないので正確なところ、どれなのかはわからない。
(言動、浮気については別に思い当たることはないが一例として列挙した)
どれでもないのかもしれない。
でも、理由はともかくしたくない、ってことだけはわかった。
一応正当な理由なく行為を断ってレスになったら離婚事由になる、と聞いたことがある。
ただ、これが家事・育児を拒否してるという話なら、嫌でもやれと強く言えるが、
こと行為のこととなると嫌なものは嫌が簡単に通る話で、断る側の立場が強くなりがちだ。
それでもなお離婚事由を盾に交渉すれば結果的にできるかもしれない。
なので、個人的にはレスの問題は夫婦で話し合った方がいい、と解決策としてよく言われるけど、
話し合いをする時点でもう真の解決は出来ないものと思っている。
しかしながら、少なからず葛藤があるのはレスの問題以外は至って夫婦円満というところ。
そのことさえ私が我慢すれば会話が無いわけではないし、家事・育児をさぼっているわけでもなく、浪費もしないよき妻なのである。
上記の提案をしてから、別に向こうから特に何か話があったわけでもないので、
多分妻としてはこのままの状態が続いてくれれば、生活も安泰で、持ち家もあって、主婦が出来て、趣味の時間もある生活が保障されると、
考えていると思われる。
最初は私も自分が我慢して済むなら・・・と思っていたのだが、最近になってものすごく理不尽に感じてきた。
なぜなら私は妻から「あなたは好きではないが、ATMとしてお金は渡してね」ということと同義の事を言われたわけである。
これまで、相手のことが好きだったから我慢したりこちらが引いてきたことも、良かれと思って相手のためにしてきたことも、
する気持ちが失せてきた。
『障がいのある人のきょうだい』っていう字義はわかるんだけど、きょうだい児その人は、誰かのきょうだいと呼ばれるより先にその人でしかない。
悪く言えば卑屈な感じのする言葉だなと思う。ダブルでなくハーフと自称するみたいな、どうしようもない卑屈さ。
私は障がい者だから、きょうだい児のトピックを見かけるたび、槍玉に挙げられてる感がすごい。
だって、きょうだいのせいで問題が生じることって、障がいだけでなくあまねくあるんじゃないの?
あときょうだい児トピックはネガティブな感情が生々しく障がい当事者のみに向かいうるから怖い。
障がい者は槍玉に挙げられていい、ネガティブな感情が好き放題に示されていいと思われるのなら、そこに差別はあるんやと思う。
きょうだい児を被害者になるより先に、障がい者が生きる最低限を稼げなかったりなまぽで部外者からやいやい言われる現状がどうにかなっていればなあ。
しかし、
障がい者が好きで困難を抱えたのではないのと同じように、
困難を有している仲間だと、部外者から謂れのないこと思われうる者同士だと、思えたら楽だろうけどね。
さすがに無茶だよね。
って言いつつ、きょうだい児が主人公の某ノンフィクション系ドラマでは、健常者の姉とダウン症の弟がしっかり共存していたりする。
ここを成功例と見るなら、鍵となったのは、差別感覚が少ないこと/愛情深さ/外部にしっかり頼ってることあたりだろうか。
障がい者ときょうだい児に限らずだけど、愛情でしか救われないタイミングがあって、それをお互いにちゃんと見る余裕があったなら、きょうだい間ってうまくいく可能性があるんじゃないかと思う。
ていうかそういうのないと土台きょうだいとかうまく行かないという私見。裕福でもない家柄ならね。
20231218
薬剤師の資格持っててゴリゴリ稼いでる人が、妹が障がい者なんだって言って。
双方自分の能力不足の辛さなのに、障がい者が二人分のネガティブを背負わなきゃならなくなる。そういうネガティブを示される。
きょうだい児トピックの辛さはこういう感覚もあるかもな〜って、思ってこのポストも思い出したから追記した次第。
まあ稼いでても不安な人もいるし、稼いでなくても不安にならない人もいるか。
あと「お前はきょうだい児だからもっと稼げ」って言われたらちょっとわけわかんないもんな。きょうだい児は言われてるように感じてるのかな。
https://anond.hatelabo.jp/20230718071051
率直に言って「へーあいつら腐女子って言われるのも嫌なんだー」って思った
別に女子でもねー年齢の女が大半の癖に何カワイコぶってんだとも思ってたけど腐った女という意味では納得
だったらセクマイの一人として新たに名前をつけてみようか、例えば「差別クソマン子」とかな
今はセクマイである事に何とか折り合いをつけて生きてるけどさ、別にセクマイに成りたくてなってる訳じゃないんだよね
セクマイだけどカムアウトなんてしてないし、今はパートナーもいないから本当に孤独
一人息子でさ、「モテ無いからしょうがない結婚は諦めてる」なんて言ったけどごく普通の善良な両親の事を考えると気がすごく重いよ
この先一般的な形での家族を持てる事なんて絶対あり得ないんだから、両親は俺が妻と子と一緒に家庭を築く事を期待していた筈なんだから
ある人と一緒に暮らしていた時もさ、部屋狭いし散らかってるから呼べないなんて嘘ついて外で食事なんかしてさ、こんな事も嘘つかなければいけない自分のセクシャルを呪ったよ
ハッキリ言って死にたくなるし希死観念は強いよ
そういうコミュニティとも繋がりは殆ど無く、社会の片隅でひっそりと生きてひっそりと死ぬ
この先も良い人と縁があるかも分からないし、仮にあってもずっと一緒にいられるとは限らない
世間的な事情で別れる事もある、ぶっちゃけ前のパートナーと別れた原因はそれだ
どうしようもない孤独が、延々と続いていく
差別クソマン子の糞な所って、さもセクマイがセクマイである事を望んで生きてる様なフィクションを好むじゃん?
セクマイがノンケに近づいてセクマイ落ちさせたり、堂々とカップルで一緒に暮らしてたりな
何食べだっけ?あんなのは「ワタシの理想とするゲイカップル」を描いただけ
別に否定はしないけど、セクマイである事をロクに悩んでも無いような奴らや、女の理想の世界で理想的に生きてるカップルを描いたフィクションを享受して
セクマイの事を分かっている、知っている、ワタシ達は味方だよね~なんて思ってる差別クソマン子共
以前縁のあった人がそういう漫画も読んでたから、いくつか読んだ事もあるが、上記の様な敵意を持ってしまった為、あまり楽しめなかった
それはそれで俺がセクマイの中でも底辺だし卑屈になってるのもあるし何より趣味嗜好の違いだからしょうがねー
でも差別クソマン子共のあの「私達は正しい事をしている」感じは何なの?
未来が無い事に悩んで死にそうになるし実際にひっそり死んでいる、俺等みたいなセクマイは頭の片隅にも入ってない癖に!
せいぜいBLドラマだかジャニだか韓国アイドルの連中みたいなのぐらいしか入ってないだろ?
後は都合の良いフィクションの中の、とってもとっても綺麗なセクマイだけだ
テメーの理想と性欲の塊で肉体的か精神的にオナってる癖に、ワタシ達は正しい事をしている、正しい考えを持っている善き人間だって面が気色悪い、醜過ぎる
お前ら差別クソマン子がやってる事は糞クズロリコン男が「僕ちゃんが幼女を愛してレイプしたいのは正しい考えであり、僕は善き人間でちゅ~」なんてほざいてる様なものだ
違う!!!とでも否定したいだろうけど、俺らみたいなセクマイからしたらマジで同じにしか思えん
自分勝手な欲望と理想を勝手にぶつけて気持ちよくなってる癖に世間から否定されたく無いが故にどこまでも正当化しやがる
言ってくる方は敵意持ってるってハッキリ伝わるし相手もまさか喜んでると思ってやってるバカはそうそういないだろうし
でも差別クソマン子共は何故か「理解あるワタシ達」をセクマイも歓迎していると思っている節が強いんだよな
やってる事の気持ち悪さは大差無いのに、何故か正しい事をしている善き人間の面で、糞みたいな醜悪のヘイトをぶっかけてくる
声かけられるためにダイエットして化粧して15000出して髪切って脱毛して毎日スキンケアして洋服もシーズンごとに流行を取り入れて周りに合わせるためにドラマとかチェックして常に愛想良くしてみたら?
彼女があるアパレルの売り場任されてて持ち前のコミュ力と可愛さとSNSの発信力ですぐエースになって満員御礼の状態やのにコロナ感染したら5日間家で安静にせい言われて今3日も経って私も無事感染してる気がするけどこれ高齢者や基礎疾患者と子供以外に感染してえらいことになったって聞いたことないし私は車通勤やしそのどれとも縁がないし無症状やから仕事してても別にええんちゃう思うけど日本のルールっておかしくてお前も5日は出社するな言われてあまりに暇すぎてまた匿名日記書いたりアニメ観たりTverのドラマ見たりしてこの三連休を過ごしてるけど睡眠時間が不規則になってきて復職するときに起きれるか不安になるけどこの四年間久々に五連休とか取ったのは間違いないしちょっと楽しんでるけどいくらコロナとはいえ感染者が働く企業の労働者の構成とか来客のデータとか取って無害そうなら出社OKとか判断出来るようにIT技術を強化しなあかんと思うでホンマ
女優本人は映像作品として真面目に取り組んでると思うしどう呼ぼうと勝手なんだけど
表のメディアでAVとは無縁の女性タレントがセクシー女優と対談してAVを「作品」として扱うのは違和感ある。
なんかこうAVを認めてますというか、映画やドラマと同じように作品として扱ってますみたいな態度がすごく嫌。
セクシー女優のパケ写はきれいだしグラビア映像やダイジェスト映像もきれいだし勘違いするのもわかる。
演技で作品を作ってるとか、きれいなセックスを想像したら作品として認めたくなる気持ちもわかる。
でも実際の内容はもっとエグくて他人のちんこ舐めたり複数プレイだったり、挙げ句の果てには肛門を舐めてたりするわけで。
いくら演技だとか良いものを作りたいという姿勢があっても、見ず知らずの男のケツの穴を舐めるって何事?!「作品」とかそんなレベルじゃねーぞ。ケツの穴だぞ?恋人同士でもやらんわそんなこと。
タレントが真顔で「アナル舐めはこの作品の中でどんな意図がありましたか?」とか質問するなら許せるけど、汚い部分は見なかったことにして「作品」なんて呼び方するなよ。
昨日のvivantってTBSのドラマの話なんだけど、ドラマの最後1分に隠しキャストの嵐の二宮が出てきたんだよ
で、いろいろ盛り上がったりしてたわけ
ただ、それで話題を作るってダサくない?
ドラマの内容そのものより役者というメタ的要素の方が面白いってことになるじゃん
てかいいの?特にvivantは世界がどうこうとか言ってたのに内輪ネタみたいなのに走っちゃったりして?
まぁ、そもそも期待はしてなかったけど
ただ、期待してなかったからかもしれないけど、それなりに面白いなと思って観てたんだよ
(てかジャニーズ出しちゃっていいのかね?二宮が悪くなくても、二宮を見たくなくなるようなジャニースキャンダルが更にでてくるかもしれないのに)
まだシーズン1までしか見終わってないけど、医療ドラマにありがちな院内政治シーンはちょっとあるけど、どの人からも医療に対する熱意みたいなのを感じるシーンがあって良かった
医療ドラマはERとDrHouseが好きだけどしばらく新しいものに触れてなかったところにDrKの無料配信でまた医療モノ熱が再発した感じで、グッドドクター見終わったら他の医療モノ見たい
グレイズアナトミーも気になってるけどドロドロ恋愛もの要素ありそうで避けてたけど考えてみたらERもDrHouseもドロドロ恋愛だし気にするほどのことではないのかな…
アニメにしろ実写映画にしろ、ドラマにしろ舞台劇にしろ登場人物は発話をする。
そのとき声の演技というものをもっとも過剰に求められるのは舞台だ。
演技を視覚だけに頼っていると成立しない。
富野由悠季監督なんかが、舞台役者をアニメ声優として連れてくるのは、
では、実写映画とかだとどうなるかというと観客は基本的に視覚に頼って物語を受容することになる。
映像が主体となって語られる物語にとって過剰な声の演技はときに足を引っ張られることになる。
これはTVアニメ、とくに古いTVアニメにおいては声優の力により物語を保たせていた部分が大きいだろう。
というのも昔のアニメはお世辞にも映像面でのクオリティは高くなかったからだ。
また日本のアニメは発展するうちに「アニメキャラ」というひとつの登場人物の型を生み出しそのようなキャラクターにも声優の力は不可欠である。
しかし、宮崎アニメに代表されるような緻密で写実的であり豊かな映像表現がされたハイクオリティなアニメ映画が作成されるようになると
声優の演技はその映像表現の足を引っ張りかねない、過剰性を含んだものとなったのだろう。
確かに、いまラピュタなんかを見ると主人公少年はあまりにアニメアニメしていてくどい印象を受ける。
もちろんラピュタくらいまではそれでも成立していた。
でも、トトロくらいからは段々と難しくなっていったんだろうな、というのは十分に分かる話だ。
ただ、よくTVを普段からたくさん見る人達にとって、俳優やアイドル、タレントが声優を務めるアニメというのはつらいんだろうな、というのもわかる。
私は普段、まったくテレビを見ないので、正直宮崎駿の新作を見ていても誰が誰の声なのかというのがピンとこなかった。
もちろん、私も木村拓哉さんの声は知っている。でも、声だけ聞いて木村さんのイメージが湧くほどにはテレビを見ていない。
しかし、TVを普段からたくさんみて木村さんの声を聞けば木村さんビジュアルが浮かんでしまう人にとっては映画のじゃまになってしまうだろう。
韓国ドラマ以下Kドラは、もうそうだと思わせるくらい女の性欲をぶっ刺しにきている。
全部ではないが、こんな話は多い。
昔の韓流メロドラマと違うのは、恋愛要素に加えて、女性の社会的に自立したいという欲求も叶えるという点にある。
これがポルノだと言うのは、ドラマの前提となる設定が余りにも女性側に都合良くできているからである。主人公の女性は男社会でやっていけるくらいの能力を持ちながら、オンナを使えるくらいには美人設定で、言うなれば才色兼備。
また、オンナの使い方も枕営業といった下品なことはしない。あくまで女を盾にして、男なら殴られるから言えないようなことを平気な顔で言い放ったり、好意を向けてくる男をうまく利用したり、といった狡猾な使い方である。
一方、彼女の相手をするイケメンの類は男児のような幼い顔で、大人しく、ツルツルした女性のような顔立ちである。男の暴力性は無害化され、男のわがままは男児の駄々こねに見えるくらい可愛く描写される。
少年漫画や王道アニメでは、仲間のために強くなれる男をヒロインが好きになるという共同体の構造が必ずある。しかし、Kドラは、この共同体の概念を希薄させ、私とあなたの物語の周縁程度にとどめる。そして、最終的には私が気持ち良くなるようにあなたとその周りを改変させていく。この過度な私中心のストーリー展開はポルノ的と指摘せざるを得ない。
しかし、Kドラは女性をエンパワーメントしているとフェミニスト界隈ではむしろ称賛されている。能力を活かして仕事をバリバリこなす筋書きなら理解できる。しかし、オンナを逆手にとって、都合よく愚かに設定した男性社会をのし上がり、一番魅力的な男を自分だけのものにする過程を描くことはエンパワーメントではなく、単なるエンターテイメントである。
同時に、過度に弱体化した男性相手に性的な優位性を取って支配下に置くことはもはやレイプ演出と呼べるのではないだろうか。
しかし、ポルノをポルノだと見抜けないまま大人になると痛い目に遭うのだ。充分に成熟しないとポルノを閲覧してはいけないのはそのためである。これは今まで男の専売特許だと言われてきたが、女にも言える時代が来たのだと思う。女性用風俗が産業になる時代なのだ。
Kドラに感化されるのはいいものの、現実はそこまで都合良くできていない。実際、美人や能力者ではない女性は取り残されるという、ドラマ設定の裏の脅迫に対して多くの弱者女性たちは無力だ。だからこそ彼女たちは美容整形に走ったり、摂食障害になってしまったり、姫扱いしてくれるホストクラブにハマってしまったり、ODに依存したりといった逃避・自傷行為に出るようになったのではないか。
また、現実にはドラマほど愚かな男性は中々おらず、ドラマで見るような鉄槌を下す機会などほとんどない。煮え切らない思いをぶつけるために、一部フェミニストが敵の定義を不必要に押し広げた結果、フェミニズム運動は女性にすら支持されないくらい過激化してしまった。
韓国の異常すぎる整形文化、”韓国フェミニズム”と呼ばれるに至った特殊なフェミニズム、憎悪としか形容できない激烈な男女間対立と、極度に低下した出生率は、Kドラをはじめとする女性用ポルノの悪影響と言えるのではないか。もちろん、依然として残り続ける儒教社会の悪習や、周辺国相手に全く役に立たない弱腰軍隊(や徴兵制)及び政治家への辟易など、男性を糾弾する土壌が先にあって、その欲求に応えるようにKドラが発展し、その価値観を強化して捻じ曲げたとの見方もできる。
日本でも、トー横キッズ、歌舞伎町界隈、港区女子、過激なフェミニズムといった女性が登場する世相の乱れが目立ってきたのは、女性用ポルノの無制限の蔓延をその要因の一つに挙げても良いのではないだろうか。
ポルノは社会の風紀を乱す。だからこそ男性向けポルノは文化的に暗がりに追いやられ、法的にも規制されており、表立って語られるときは冗談や嘲笑の対象にすることで現実との距離感を保っている。
それなのに、Kドラに見られるような女性用ポルノは忌避されるどころか、政治的妥当で、多様性準拠で、年齢制限も緩くて良いものとみなされている。今もなお、エンタメ界のど真ん中を、スポットライトを浴びながら威風堂々と闊歩しているのだ。
ポルノを嗜む主体性を女性が得たことは歓迎するべきことである。しかし、主体性に伴う責任と枷のようなものが、男性側には文化・慣習の中で課せられている一方で、女性はそのような社会的装置を壊すことが近代であったがために、際限のない自由に放たれてしまったことは問題視したい。
自由を阻むものは自分だけである。だから自由は弱き者にとっては呪いでしかない。フェミニズムは弱者女性を救うことができないまま、自由だが不安定な空虚だけを残したのだ。
そんな空虚を埋めるために、男性向けポルノのような規制を受けない女性向けポルノが広まるのは当たり前のことだった。その女性向けポルノが、Kドラこと最近の韓国ドラマなのである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/326057
死んだら金は持っていけないから、生きてるうちにもっと金を使おうぜって本に反論のブコメばっかり。
漫画でもドラマでも小説でも古典でも現代の作品でも、金持ちが必要以上に金を求める愚かさを描いた物語って無数にあるけど、ぜんぜん教訓として浸透してないんやって感じだわ。
漫画・アニメ・ドラマ、映画でさえもAIで作れるようになる時代が来るだろうけど、エンタメの中で音楽って実は一番影響受けにくいのではないかと思う。
そもそも音楽は量産するのが簡単。AIに頼らずとも、一日一曲以上作るミュージシャンだって普通にいるはず。
本当はその気になれば量産できるけど、注目を集めヒット曲を産むためにわざと発表する楽曲を絞っている。
しかし楽曲が絞られているのに、それでも世の中にはアマチュアが作った楽曲であふれている。漫画はともかく、アニメ・ドラマ・映画ではそんなことはありえない。
AIが一日千曲、一万曲作りますって言ってもあまり意味がない。もともと数があるのは当たり前。
漫画・アニメ・ドラマ・映画は圧倒的なクオリティ差でAI作品に駆逐されるかもしれないが、音楽は元々競争原理が厳しく働いていたから影響少なそう。
同じくらい良い曲なら、AIより人間が作った方を聞きたいでしょ?それが共通認識となるなら、そもそもAI曲を聞くと言う行為自体が酔狂なことになるかも。
それにAI曲は本人歌唱ができないのがディスアドバンテージ。アイドルじゃなくても、詰まるところ音楽って誰が歌ったかが重要なわけで。
結論: 福岡ではかなり前から使われている表現ということで、福岡の方言とみなしてもよさそう。
ここで福岡の方言とみなされていることを知った。自分は福岡出身(社会人になってからは関東在住)だけど聞いたことないので調べてみることにした。
方言であった「なるほどですね」は、実はドラマの影響で幅広く拡散していきました。2011年7月9日から同年9月24日まで、日本テレビ系列の土曜ドラマ枠で放送されていた連続テレビドラマ「ドン・キホーテ。」そのドラマの中で、松田翔太氏演じる城田 正孝の口癖の1つがこの「なるほどですね」という言葉でした。
このドラマの脚本家・大石哲也氏が「福岡県」出身であることから、この言葉が起用されたと推測できます。こうして「なるほどですね」という言葉が他県にも広がったと言われています。
とあり、確かに大石哲也氏は福岡出身のようだけど、福岡でキャリアを積んだかは不明で、根拠としてはやや弱いように感じた。
2003/06/13。不思議な言葉として紹介されており、方言であるという説明はない。
2006/08/10 の質問。九州の方言であるという意見がようやく出てくる。
その人の喋りは「ですね」の連発で、
いわゆる標準語の「ですね」とは少し違うみたいです。
最初に地域性に関して言及のあった回答はこちら。(他にもいくつか情報はあるけど省略)
それに対する回答。
まいさん、私確かに九州在住です。でも、私のまわりでもそんなに一般的な言い方ではないんですよ。
はじめて「なるほどですね」を耳にしたのは、大学を卒業して社会人になった年に、福岡市出身の同僚が口にした時でした。22年前です。大学も福岡市内にありましたが、学生時代には耳にした覚えがありません(だからこそ、同僚の「なるほどですね」が新鮮だったわけで)。
その後、なじみになったビストロのシェフが「なるほどですね」って言ってました。そのビストロと件の同僚の実家が近いのですよ。福岡市の中心部でたぶん同じ校区内(小学校の)。ただし、年は一回り離れているので直接の接点はないはずです。