はてなキーワード: 被災者とは
程度問題でしょ
配送ルートも他活動者の迷惑にならずかつ通行可能なルートを知っていて、
配給が可能な場所を知っていて、
滞り無く配給ができる労力を提供できる
それならすごく被災者の手助けになるとおもう
ただ、支援志願者が1000万人いて、じゃあみんなそれが可能かというとそうではない
トラックいっぱいに支援物資詰めようと思ったら数十万〜数百万円ぐらいの額だろう
個人でそれらを用意できるのはほんの一握りだ、たいてい組織で運営しないと用意できない
個人で支援したい気持ちはわかった、じゃあ邪魔にならないように実行力をもった組織に資金提供で協力しましょうというのがその呼びかけの主旨だ
1000万人のうち、それができるのは1万人もいないだろう
ならば声を大きく拡散するのは迷惑がかからないようにしましょうのほうがいい
1万人に呼びかけて1000万人がそうだと腰をあげるのは迷惑そのもの
余震も収まってきたしそろそろ動き出さなければ、ということで、事務所のテナントの耐震診断をしてもらうために不動産屋に電話をかけてみたがまだつながらなかった。HPを見たら営業再開のめどが立てられないとのこと。人や車の往来が多い立地で築年数も結構経っている建物なので、地方議員をしているという家主に直接連絡を取ることにした。
連絡先の控えが取り出せる状態ではなかったのでFBで探し出し、メッセンジャーで連絡をした。
丸一日経ってもメッセージは開封されず、今はいろいろな連絡が殺到しているだろうし、かつFB上で友達ではないので受信箱も仕分けがされていてそもそも気づいていないかもしれない、とも思い、自宅の電話番号が公開されていたので、申し訳ないとは思ったがそちらに電話をかけた。
「不動産屋が営業再開のめどが立たないとのことで、申し訳ないとは思ったがやむを得ずこちらに連絡した。
もっと緊急度が高いところが一段落してからでもちろんいいので、順番を待っている」
ということをていねいに伝えたはずなのだが、それに対して返ってきた的外れな返答が、本当に不快だった。
「あの建物は丈夫に作っているので、すぐに倒壊する危険はないとわたしは思いますよ」
→おまえの私見を聞いているのではない。今後のために専門家に見てほしいということを言っている。
「いいですか、優先順位というものがあるんですよ。おわかりですか?」
→最初に言ったでしょ。この状況を経験してわからないとでも思ってんの?
「窓が開かなくなったと言いますが、開いたまま閉まらないよりはずっといいでしょう」
→窓が開かないこと自体に困っているのではなく、建物に歪みが発生したのでそれを調べてくれとさっきから言っている。
いちいち言い返すのもめんどくさいし不毛だし、だいたい頭が回らなくて言葉が出てこなくて、終わるまで黙って聞いていようと思ったが、窓のくだりでもう耐えられなくなって話をさえぎり
「確認ですが、借主から家主への、調査をしてくださいという依頼のお電話です」
「はい、その依頼のお電話です、順番が来てからでいいですからね。診断をお願いします」
という調子で、なんとか「診断する」という言葉を引き出せたので、そこで電話を切った。
一晩明けた今も腹立たしい気持ちが消えない。
なにしろ議員さんのところにはいろいろ頭おかしい電話もかかってくるのかもしれないし職業柄どうしても会話の調子が説教臭くなるのかもしれないが、それにしても、現状認識のレベルの低さというか頭の悪さというか、はなから「何もわかっちゃいない」という調子で一方的に誰でもわかってることをあたかも自分だけがわかってるかのような調子でとうとうと語り続けるそいつの語り口に、ああこんな馬鹿が議員をやっているうちの地方ってもうダメやん、という暗澹とした気持ちになったし、被災者がお互いに共有している「大変なのはみな同じ、お互いに譲り合って、協力しあって乗り切ろう」という気概にものすごい傷をつけられたような気持ちになった。
といった、東京から来たテレビの連中並のことしか書かれてなくて、当事者意識がまるで感じられない。
もしかしたら、見えないところでいろいろ駆け回ってるのかもしれないけどさ。
それならあんな言い方にならないはずなんだよね。
頭が回らなくて言い返すこともできなかったというのがますます腹立たしい。
こっちはいまだに毎晩車中泊なんだよ。自宅も損壊してんだよ。そっちもいつ見てもらえるかわかんない状況なんだよ。
風呂入るのに、移動時間と待ち時間と合わせて4時間かかんだよ。
足りないものは分け合って、励ましあってやってんだよ。
馬鹿にするな。
どんだけ毎日頑張ってると思ってんだ。どんだけ我慢してると思ってんだ。
何もわかっちゃいないのはお前のほうだよ。
やらない善って、善なの?
やらない善の人達って、やる人達(善、偽善)をなにもしないで誉めたり文句言ったりしてるだけでしょ?
被災者に対してなにもしてないから善ですらないんだと思うんだけど。
ただの野次馬。
少なくとも2011年には500人社内でやりくりできてるよね?
物流って繁忙期はあるし総量が流動的だから、それなりにバッファもってるよ。
災害などの緊急事態にその何割かを”一時的に”やりくりすることは、非現実的な話じゃないと思うけどな。
あと、コストとかを持ち出して、ビジネス的な視点の話をあえてするとしたら、
仮にこうして助けられた被災者って、その企業の熱狂的なファンになると思うんだよね。
お年寄りなんかだったらもう生涯ヤマトしか使いません!みたいな人が出てきてもおかしくない。
地元企業だって、ちょっとくらい見積もりが高くてもお世話になったしヤマトさんで行こうかってなる企業も少なくないと思うよ。
何と言っても命助けられてんだから。それが数万人、数十万人規模だよ?
テレビCMじゃ絶対得られない、ブランド価値向上は手に入ると思うけどね。
まぁそんな事より、被災者を助けられる強力な手段が存在するんだし実績あるんだから
お金云々じゃなく、やった方がいいでしょ。
親は生きている
家も倒壊はしていない
運がよかったのだろう
私に今出来ることは何か
福岡まで飛行機で飛んで,福岡でレンタカーを借りて熊本まで親を迎えに行って,福岡に避難させた友人はいる.
ただ,私はそこまでやるのか?そこまでする必要は無いと思った.
私にも仕事がある.
正直,きちんと避難をしていれば,命を落とすことは無いだろうと思う.
迎えに行ってあげられない代わりに,
停電が長く,テレビやラジオが使えずに情報を得ることが出来ないと言われた.
土日はずっと家で待機をしてテレビの熊本地震のニュースを流しながら
例えば,どこどこのスーパーの何店が開いている,どこどこの湧き水が飲める,
とか
親も携帯のバッテリーも限られていたため,私が一方的にLINEで重要な情報を送り
親はたまにスマホの電源をつけて確認するといった対応をとっていた
土日ずっと同じ内容のニュースを聞き続けて
ノイローゼ気味になった
土日もさ,寝れたとしても,目が覚めたらやっぱすぐに天気予報の地震履歴確認して
ぐっすり休めた気がしないよね
安心した.
みんな人ごとだな
そんな中で一人なのがきついんだ
そろそろTwitterでも「熊本地震のはなしやめろ」みたいな書き込みが出てきた
被災者叩きみたいなのもたまに見かける
居づらい
こっちには共感者がいないんだ
私は,余震が少なくなってきたねと親を励ました
けれど親は,嵐の前の静けさとか言うんだ
もうなんて言えばいいんだ
正直,まだ余震が続いていて,今後また地震は起きるのだろうなと思う.
親をどうやって励ましていいかわからない
私はもう親を励まし続けるのがつらい
「◯◯ちゃんが色々情報やアドバイスをくれ,心配してくれることが励みとなり毎日頑張れてるよ,ありがとね」
もうきついんだよなあ
私は薄情なんだよ
私が親を励ますことが出来ないことがつらい
私は力がないんだ
はー
どうやったら励ませるんだ
いつになったら地震おわるんだよお
http://www.yukawanet.com/archives/5037350.html
とある知り合いの実家は福島で、両親も被災者であったと聞く。どの程度の被害を受けたかは知らないが自分たちよりもっと大きな被害を受けた人たちへの支援ボランティアをやるようになった。
ボランティア仕事の一つに各地から送られてくる食料の分配作業がある。ありがたいことに日本各地だけでなく外国からも食料が送られてくるのだという。
震災から1年も経ってしまえば、暮らしに不自由は残れども本格的に食事に困る人などはもういなくなる。そうするといわゆる非常食みたいなものにはもう飽きてくる。生きるか死ぬかの時期を超えた被災者のQOLを考えれば「食えるだけマシだと思え!」とは言えない。気持ちはよくわかる。
そういうフェーズになるとあまりにおいしくなさそうなものやよくわからないものは敬遠され始める。
ボランティアをしていた知人の両親が配布していた食料の中にも、東南アジアから来た何を煮たものかよくわからない缶詰や、イタリア語の説明しか書いてない粉末パスタソース、オリーブベース?と思わしきフランス語表記のブイヨンなどが沢山残っていた。上手に使えばおいしい食べ物でも、使い方がよくわからないというだけで誰も手をつけなくなってしまうわけだ。
せっかくの支援物資を捨てるわけにもいかず、結局賞味期限が切れるまで保管され、その後は私のような知り合いが引き受けた。
食べ物でさえ場合によっては邪魔になるというのに、流通が混乱を極め保管場所にも困る被災地に千羽鶴を送ろうなんてのは迷惑でしかないと部外者の私でもわかる。
気持ちがこもってそうなモノだけに、ジャマでも捨てることもできなくなり大きなお荷物と化すケースも多々あるだろう。
気持ちを送りたいとか言ってる人はとりあえず100円でも1000円でも金を送ればいいのに。
被災地を助けたい気持ちや、実際に何かをする時間や、かけられるお金に個人差はあるけれど、せっかくなのだから迷惑はかけない程度に勉強してから動いたらいいと思う。さもないと偽善どころかやらない方がマシになってしまう。
ここ最近、熊本の大地震に関する事がネットでもニュースでも騒がれています。必死に頑張る被災者、被災者を応援する県外の人、頑張れ、応援する、支援する。
全ての言葉が突き刺さって辛いです。全員が熊本の為に頑張らなければならないのでしょうか?
嫌なら見るなと言いますが、ネットでさえ地震の事ばかりで逃げ場所がありません。
報道を自粛しろとは言わないが、見ていて何もできないもどかしさ、皆が頑張っているのに動けない心、この日本の雰囲気が自分には鞭打ってまで頑張らなければお前は非国民だと言われている気がします。
「頑張れ日本」は私のような人間も頑張らなければならないのでしょうか。だとすれば、正直しんどいです。ほんとうに、被災者の方にはすいません。
という人も多いんだろうと思う
わかるよ、とってもわかる
だって、平和に何不自由なく暮らしてる場所で、いきなり水の箱を何十個も送るとか言いだす人を見たら変に見えるもん
あ、ちなみに俺は元熊本県民、元阪神大震災経験者だけど今回の地震の被災者ではないとだけ一応
あと、今は物を送るな、今は行くな、って言うのが理性的で正しい行動と信じている人もわかるよ
物より金がいい、っていう人のこともわかるよ
だってそうだよね、パニックな時に何かしたって、かえって現地に混乱が広がるだけに思うよね
でもさ、違うんだよ
これ全部違うんだよ
いま水が必要な人がいるんだよ
いま食べ物がなくて困っている人がいるんだよ
落ち着いて金が来る頃には生きてられないかもしれないんだよ
経験したことのある人は、場所によってはこれがオーバーじゃないのわかるだろ?
確かに、慣れない者が、自分が食べる物もないくせに、やったこともないボランティアしようとするとかえって迷惑なのはその通り
でも、いま必要としている物資を、いま持ってきてくれる人ほど有難いものはない
もちろん、持ってきた以上消費して帰ったら無意味だよ!
最短でさっと来て、物資を置いて、出来ることだけして出来ないことはせず、長居せずに帰る、これは役に立たないわけがない
そうだろ?
どう考えても役に立ってるだろ?
支援物資、今送っても、という人がいるけど、いまは被災地がうまく回らないので受け付け停止になっている
そもそも送れないからね
荷物を受け付けてくれるようになれば、もはや何も心配せず送ればいい
大歓迎
モチベーションが偽善でも不純でも、何かをしてくれたら助かるのは当たり前
やってもらった側はその人のモチベーションなんかどうでもよくて、ただありがたい
道の復旧、インフラの復旧、そういうのが全て終わって街は元どおりになったとしても、傾いた個人の家や家具は最後まで片付かない
おばあちゃん1人でこれを片付けるのは不可能なので、最後の最後まで、ボランティアはありがたいです
・出来もしないことをしようとする人
・現地の物資を消費する人
・目的なく来る人
だけであって、
・物資を持ってきてくれる人
・役立つことが出来るし、する人
は何も迷惑じゃない
どう考えても迷惑じゃない
ただ、多くの人は、何も出来ないし、何も持って行けないので、理性的であろうとする人が言う通りに動くことが、結果的に正しくなる
これは悲しいけど現実
でもそれは、次善の行動なわけで、全員にとって絶対に正しい常識でもない
自衛隊や掘削のプロや、炊き出しのプロ、まあ、なんでもいいから、役に立つことが出来る人が行くことは、今すぐでも意味がある
水や食料を今すぐに避難所に持って行く人がいれば、それは来年お金をくれる人より、骨身にしみてありがたい
みんな、出来ることをしよう
しないことの理由を探すのが、知的で常識的で理性があるわけじゃないぞ
ましてや行動に起こす人を批判するのは下の下だ
ただし、出来ないことはくれぐれもしようとするな!
心に余裕がなくなると、発想が貧困になることはよくある。
でも、熊本みたいな田舎だと、家族みんなで県外に疎開して復旧したら戻ってくるなんてことしたら、
村八分に合うんじゃないか?
みんなが崩れた家から被災者を救うために一生懸命捜索活動してるのに、
そんなのほったらかして、勝手に疎開して悠々自適な避難生活していたら、非難の的になりかねない。
そんなきがしてならんのよ。
震度6の揺れが来たこともあった。
4/14の最初の地震があった時点では、震源地の益城とその近くでは大変な被害があったけど、その他の地域への影響は限定的だった。
一部地域で水道水が濁ったり断水になったりというライフラインへの影響と、スーパー・コンビニから水とパンが消えたというのが主な被害だった。
余震は続いたが、本震は過ぎたことだし、徐々におさまってまた日常が戻ってくるだろうというのが大半の人の考えだったに違いない。僕もそう思っていた。
そして、その不意を突くように、4/16未明、あの大地震が起きた。
南阿蘇村を中心に大きな被害があったことは周知のことだと思う。
この地震以降、僕の周りでも状況の深刻さの度合いが変わった。
ほとんどの店がクローズしており、営業している店を見つける方が難しくなった。当然、営業している店には長蛇の列。
炊き出しや給水場などが増え、そこでお世話になることが普通になった。ああ、ここは被災地で、僕も被災者なんだなと実感した。
事態が完全に回復することの見通しが立たない中、これじゃ生活がままならないなと思った僕は県外の実家に一時的に帰ることにした。幸いにも僕の実家は熊本からそう遠くない。
僕の友人にもそうする人はいたし、テレビでもそういう人たちのことが写されていた。
高速道路が一部閉鎖されたりと多少の交通規制はあったが、通常の1.3倍程度の運転時間で実家に帰りつくことができた。
実家では、スイッチを押せば電気が点いたし、蛇口をひねれば水もお湯も出た。
快適だ。僕はあっさりと快適な生活を取り戻すことができた。
こんなにも簡単に元の生活を取り戻すことができたことに、僕は言いようのない違和感を覚えていた。
そしてその違和感が、熊本に漂っていた雰囲気としての深刻さと、そこから簡単に抜け出すことができたこととのギャップだということに気づいた。
もちろん、阿蘇大橋が落ちて身動きがとれない阿蘇の人達や家が倒壊するなどの大きな被害を受けた人達を始めとした「どうしようもない理由」を抱え、支援に頼らざるを得ない人達はいる。
だがそれ以外の人達は、案外簡単にこの状況から脱することができるんじゃないか。
僕は実家に帰ったが、友達の家でも、親戚の家でもいいし、宛がないならしばらくビジネスホテルに泊まるでもいい。
緊急事態だし、ゴールデンウィークの代わりの旅行とでも思えば出費のことは我慢できるだろう。
熊本は車社会だから大半の人は自家用車を持っている。車を使えば簡単にこの被災地から抜け出すことができるのだ。
仕事は、電気が来てないんだから大半の職場では休業だろう。僕の会社も数日間は臨時休業となった。有給をとってもいいだろう。
地震が起きたのは土曜日の未明だから、土日の間だけでも避難するという選択肢もある。
もちろん県外に出ることを強要することはできないが、何かそこにとどまらなければいけないという思い込みがあるような気がする。閉じ込められたという勘違いがあるような気がする。
ライフラインが機能しない状況では、金銭的に余裕がある人でもその場所に留まる限り、支援に頼らざるを得ない。
余裕がある人は、県外へと出て、自分が支援を受けなくてよい状態にすることが、「本当に支援に頼らざるを得ない人」を助けることにならないだろうか?
その方が、不自由がないからその人自身も時間を有効に使えるし、win-winな結果になると思うのだが。
[追記]
ついにエコノミークラス症候群で死者が出た。
熊本を出さえすれば、あっけないほどに、いつも通りの生活を送ることができるのに。
マンガはちょっと違いますが(被災者が現地で食料などを調達をしにするための地図が欲しいという話でして、ボランティア受入は無関係です。私は熊本県民です。)、確かに、思っていた以上の早さで規制は解除されつつあるようなので、待つのが良さそうですね。
被災者を見ずに、勝手に支援物資おくったり、掲示板乱立させたり、募金活動したり、...
人間ってほんと何なの?
バカなの?
毎日全国の営業支社とテレビ会議つないでミーティングしてるからすごく顕著に感じるのかもしれないけど、
東日本大震災の時「なんで東北支社のやつら会社きてないの?」「はやく事務所片付けて仕事戻れよ」みたいな空気を放ちまくっていた大阪、福岡の支社の人間がたくさんいて、
だんだん報道が加熱したり原発の件とかあって「あっ……」みたいになって二、三日で黙りはじめて気まずそうにしてるのを見てた(増田は東京本社勤務)。
この間の金曜日、「フクイチがー!」とか「我々被災地域は!」みたいな活動に土日を裂いているらしい東北支社のそれなりにえらい人が
「この程度でなんだ。福岡の連中は情けない…俺たちのときは」等とのたまいはじめたのをみて
ほんと人間て醜いなって。
あと、あんなに東日本大震災の時に他人づらしてた九州支社のやつもみんな被災者様みたいな態度になりはじめてて、
土日に地震の報道があっても「ああまた来週不毛なやりとりがあるのか…」としか思えない。犠牲者を悼む気持ちさえ生まれない。
こうやって自分も醜くなっていくんだなあ…
個人か団体かで話が変わってくる案件ですが、個人の場合は「仮復旧して体制が整うまで待つ」事が最善になります。
現場もネット上も、5年前の震災で既にノウハウは十分に蓄積されているので、今から新規に立ち上げるよりも早く、寸断された道路が復旧できるはずです。
【拡散希望】『阪神大震災被災者からのお願い』 嬉しいんです!嬉しいんですけどその援助、もうちょっとだけ待って下さい! pic.twitter.com/2BgwW00mRx— 澤田 圭 キャラクターデザイナー (@keisawada) 2016年4月16日
でも、言いたい事は解るのですよ。
毎度思うけど、災害で停電になってるのに被災者向け情報をネットに書き込む意味がわからないというか。
ホーム画面に設定されてるならまだしも、個人ブログをわざわざ検索して大量にあるブログ群から探し出すのも手間暇掛かるね。
チラシ1枚にプリントしたもんばらまく方がまだ届くんじゃないか?
今回の震災で確信した。原発はこの国から滅ぼさなくてはならない。
昨日熊本で震度7の直下型の大地震があって、被害は甚大だけど、でも正直、二次被害は東日本に比べて少ないことに安心した。このまま余震は段々小さくなっていって収まるもんだと思ったんだよ。
今これ書いてる時点で、ド深夜だよ?昨日よりデカい地震が2回あったって。前回よりも九州全体に範囲広がってて。
もうさ。
自然災害には、1分後の安全の保証もないってことを、1日で忘れた。
次の瞬間に川内原発の真下で大地震が起こる可能性が、この世にはある。それはセーフかもしれないし、アウトかもしれない。
でも、2011年より後の世界でその二択を優しく見守ってる状況、おかしいだろ。日本はもう一度負けてんだよ。何がセーフなんだよ。アウトだったら今度こそ日本どうなっちゃうんだよ。
俺たちは何で、地震があるたびに「原発大丈夫か!?」って思わなきゃいけないんだよ。
国民が原発にビクビク「させられて」るんだよ。俺たちは現在進行形で精神的ハラスメントを受けてんの。
反・反原発?逆張り系?の人がTwitterとかで放射脳とか色々言ってるの見るけど、
「被災者より前に原発の心配をしている。震災を政治的主張に利用している」とか
地震があったら地震被害と被災者の心配だけしてたいのに、何で原発の心配しなきゃいけないんだよ。
安全神話の一度崩れた原発の存在のせいで、被災地を越えて日本全国でその精神的被害者も増えるんだよ。
一時の利益のためにこんなリスク高いもん作ってさ。廃炉にするっつったってこれから何十年も付き合わされる訳じゃん。
政府はさぁ何ツーアウトもスリーアウトもあるような顔して「(今回は)異常なし」とか言ってんだよ。
もう無えよ。
何で俺は俺が生まれる前に誰かが作ったものにビビらせられてんだよ。
ふざけんな。